先日来ずっと、書こう、書こうと思っていて、日銀関連に手間を取られてしまって書けなかったことがある。それは、切込隊長氏の心温まる記事(笑)だ。
切込隊長BLOG(ブログ) - 働く必要に迫られたニート経験者は意外と重宝する
えー、ニート等のキャラであっても、門戸は全部が閉ざされている訳でもあるめえ、というお話。
結構感動したんですよ、私(笑)。本当ですって。
ちょっと名言を挙げておきますね。
>「使えるかどうかは学歴があるかないかと関係ない」という命題と直結するのかもしれないが、その人のセンス、才覚に加えて「人生、そろそろ固められるところは固めておこう」という本人の意思と、働いていなかった時期にどんなものをその人の内側に蓄積してきたかに大きく影響されるものなんだろうと思う。
だよね、だよね、そーだよね、って何かの歌みたいだけど(どんな歌だったか忘れた)、いいこと言うじゃねえか、おまいさん、って思った。「本人の意思」だよ、やっぱり。いい加減に夢を追い求める状況でもねーだろ、ってことを、本人がどこかで踏み切らないと、次が出てこないこともあると思う。
「オレはこうして脱出した」「こんな風に乗り越えた」というような、同じような仲間たち―ニートばかりじゃなく、下流と呼ばれるような同じ階層に属するという人々―の成功した体験談などが、案外と希望になっているのかもしれませんね。そういう意味では、切込隊長氏の会社で働く人々は現実に成功体験をした例として、勇気を与えてくれるものかもしれません。
>コスト1でいいから能力の至らない、それでいて特徴のある武将をかき集めてきて、大枠の運用に気を使うほうが楽しいのである。人海戦術とはまた違って、スキルというものの性質として、単品性能が高いことより性能を組み合わせるほうが方針を決めたあとの効果が大きいように感じるからだ。
これも泣かせるんですよ、本当に。『NARUTO』的なマンガの世界でもありがちなことなのかも。個人の能力ではエリートとか秀才というような範疇にない連中だが、自分の特徴を活かして皆の役に立つ、仲間の危機を救う、というようなことです。個人の能力として凄く優秀であることが、必ずしも組織の「強さ」ではない、ということです。多分、チームとして何かをやり遂げた経験を持っていれば、こうした意外な力というものに気付くこともあると思いますね。『単品性能が高いことよりも組み合わせるほうが(中略)効果が大きいように感じる』とは、本当にそうだと思いますよ。
スポーツチームでも同じですね。言うなれば、「ロッテ派」か、「ジャイアンツ派」か、ですね(笑)。マツーイ、ヨシノブがいるのにキヨ、コクボ・・・更に古くは、ぺタ、江藤、石井、その他モロモロ、何が何だか忘れるぐらいたくさんで、こうした高いコストの単品性能をかき集めてくるんですが、これが滅法弱かったりする(笑)。一方、ロッテや広島は安いコストで、組み合わせで頑張ろうとするんですね。まさに「コスト1」と「コスト3」というような違いがある訳です。でも、現実にはコストの高いジャイアンツよりも、ずっと安いロッテの方が勝ったりするんですね。得てしてそういうもんです。これ、非常に分かり易いですね。
だから実際の仕事の上でも、個人の単品性能が高い(学歴が高いとかテストが高得点とか・・・)ことよりも、いかにチームに貢献できるか、という方が実は大切なのではないかと思える。その為には自分が最大限の能力を発揮しなければならないし、それを達成するにはどうしたらよいか自分で考えることだと思う。個々の単品比較では確かに劣るかもしれないが、チーム戦であれば単純な算術通りではないことも多いような気がするのである。例えば個人の能力が「評価3」が5人いてもチームとして総合力15になるかと言えばそうでもない。逆に「評価1」が5人であってもチームの総合力として10とか15になったりすることもある、ってことだ。常に自分の能力を発揮してベストを尽くせるか、ということがやっぱり大事なんだろうな、と思う。ある種の、職人気質でもあるな、とも思った。
>ある程度、職場で必要と認められて働く意欲に恵まれてくれば、黙っていても努力を払うし結果もついてくるように思う。概ね、働きたくないとニートが願っているとも思えず、むしろ働く場というよりは期待される場、役に立てる場を求めていて、そこに生活できるだけの金がついてくれば良い、だが複雑な人間関係をあれこれ泳いで上を目指そうとはあまり考えない、といった雰囲気の話ではないか
そりゃ、人間だもの。誰からか、自分を「必要とされたい」って思うものだろうな、と。私もそうだ。これって、根源的なことなんだろうな、と思った。「期待される場」「役に立てる場」「(自分が)必要とされる場」、そういうものが感じられた時にこそ「働く意欲」は高まるだろうし、「やりがい」を見出したり、自分に何かの自信を持てるようになれるのではないか、と思った。
読んでいて泣けました(って、本当は泣いてないけど)。うん、うん、って凄く納得できる記事でありました。
切込隊長BLOG(ブログ) - 働く必要に迫られたニート経験者は意外と重宝する
えー、ニート等のキャラであっても、門戸は全部が閉ざされている訳でもあるめえ、というお話。
結構感動したんですよ、私(笑)。本当ですって。
ちょっと名言を挙げておきますね。
>「使えるかどうかは学歴があるかないかと関係ない」という命題と直結するのかもしれないが、その人のセンス、才覚に加えて「人生、そろそろ固められるところは固めておこう」という本人の意思と、働いていなかった時期にどんなものをその人の内側に蓄積してきたかに大きく影響されるものなんだろうと思う。
だよね、だよね、そーだよね、って何かの歌みたいだけど(どんな歌だったか忘れた)、いいこと言うじゃねえか、おまいさん、って思った。「本人の意思」だよ、やっぱり。いい加減に夢を追い求める状況でもねーだろ、ってことを、本人がどこかで踏み切らないと、次が出てこないこともあると思う。
「オレはこうして脱出した」「こんな風に乗り越えた」というような、同じような仲間たち―ニートばかりじゃなく、下流と呼ばれるような同じ階層に属するという人々―の成功した体験談などが、案外と希望になっているのかもしれませんね。そういう意味では、切込隊長氏の会社で働く人々は現実に成功体験をした例として、勇気を与えてくれるものかもしれません。
>コスト1でいいから能力の至らない、それでいて特徴のある武将をかき集めてきて、大枠の運用に気を使うほうが楽しいのである。人海戦術とはまた違って、スキルというものの性質として、単品性能が高いことより性能を組み合わせるほうが方針を決めたあとの効果が大きいように感じるからだ。
これも泣かせるんですよ、本当に。『NARUTO』的なマンガの世界でもありがちなことなのかも。個人の能力ではエリートとか秀才というような範疇にない連中だが、自分の特徴を活かして皆の役に立つ、仲間の危機を救う、というようなことです。個人の能力として凄く優秀であることが、必ずしも組織の「強さ」ではない、ということです。多分、チームとして何かをやり遂げた経験を持っていれば、こうした意外な力というものに気付くこともあると思いますね。『単品性能が高いことよりも組み合わせるほうが(中略)効果が大きいように感じる』とは、本当にそうだと思いますよ。
スポーツチームでも同じですね。言うなれば、「ロッテ派」か、「ジャイアンツ派」か、ですね(笑)。マツーイ、ヨシノブがいるのにキヨ、コクボ・・・更に古くは、ぺタ、江藤、石井、その他モロモロ、何が何だか忘れるぐらいたくさんで、こうした高いコストの単品性能をかき集めてくるんですが、これが滅法弱かったりする(笑)。一方、ロッテや広島は安いコストで、組み合わせで頑張ろうとするんですね。まさに「コスト1」と「コスト3」というような違いがある訳です。でも、現実にはコストの高いジャイアンツよりも、ずっと安いロッテの方が勝ったりするんですね。得てしてそういうもんです。これ、非常に分かり易いですね。
だから実際の仕事の上でも、個人の単品性能が高い(学歴が高いとかテストが高得点とか・・・)ことよりも、いかにチームに貢献できるか、という方が実は大切なのではないかと思える。その為には自分が最大限の能力を発揮しなければならないし、それを達成するにはどうしたらよいか自分で考えることだと思う。個々の単品比較では確かに劣るかもしれないが、チーム戦であれば単純な算術通りではないことも多いような気がするのである。例えば個人の能力が「評価3」が5人いてもチームとして総合力15になるかと言えばそうでもない。逆に「評価1」が5人であってもチームの総合力として10とか15になったりすることもある、ってことだ。常に自分の能力を発揮してベストを尽くせるか、ということがやっぱり大事なんだろうな、と思う。ある種の、職人気質でもあるな、とも思った。
>ある程度、職場で必要と認められて働く意欲に恵まれてくれば、黙っていても努力を払うし結果もついてくるように思う。概ね、働きたくないとニートが願っているとも思えず、むしろ働く場というよりは期待される場、役に立てる場を求めていて、そこに生活できるだけの金がついてくれば良い、だが複雑な人間関係をあれこれ泳いで上を目指そうとはあまり考えない、といった雰囲気の話ではないか
そりゃ、人間だもの。誰からか、自分を「必要とされたい」って思うものだろうな、と。私もそうだ。これって、根源的なことなんだろうな、と思った。「期待される場」「役に立てる場」「(自分が)必要とされる場」、そういうものが感じられた時にこそ「働く意欲」は高まるだろうし、「やりがい」を見出したり、自分に何かの自信を持てるようになれるのではないか、と思った。
読んでいて泣けました(って、本当は泣いてないけど)。うん、うん、って凄く納得できる記事でありました。