いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

韓国戦に勝利~WBC

2006年03月19日 19時43分57秒 | 経済関連
日本の筋書きはやはり出来ていた(笑)。当然のことながら、日本は勝利した。地力に優る日本チーム本来の力が発揮された。


立役者は勿論「上原」であった。息詰まる投手戦をひたすら耐えて投げた。気持ちを入れて投げ込んだ。先日のアメリカ戦での敗戦以降、恐らく彼の中にもやもやしたものがずっと残っていた。本当は疑惑判定云々よりも、自分の失点に大きな後悔が残っていたのだった。「自分が1点取られていなければ・・・」

実は、自分の失投を悔やんでいたのだった。あの一球―――。
ジョーンズに浴びた一発。
「あれさえなければ・・・」
そして「次こそは、この借りを返す」と固く誓っていたのだった。しかし、まさかの韓国戦敗北。潰えかけた準決勝進出――。
このまま終わっては、不完全燃焼のままだったろう。
日本代表という、重い「日の丸」を背負った試合に、何かを残したままになってしまう――。


メキシコ戦では、力で完璧にねじ伏せた、松坂の投球。ストレートで押すという、松坂の最大の良さが出ていた試合。
プレッシャーのかかる韓国戦。渡辺の脅威のサブマリンが見せた、安定した投球。全く打たれる気がしない内容の試合。

どちらも「絶対に失点はしない」という、一球、一球に気持ちのこもった投球だった。
上原は一流のピッチャーだ。
チームの応援しながら、彼らの気迫溢れる投球を見守っていた時に、彼が感じない訳がなかった。
「次は、オレが必ず・・・」強く心に誓っていた。
先発2人の投球を見て、エースと呼ばれる男が思わないはずがなかった。
それこそは、一流の勝負師の証だ。
同じ「日の丸」を背負い、一流であるがゆえに感じるもの――。


祈る思いで、次を信じた。
そして、再びチャンスが巡ってきた。
上原は、もやもやが吹っ切れた。
「借りは必ず返す」



「絶対に失点しない」という強い決意で、集中して投げ続けた。
そして、味方を信じていた。チームを信じていた。
「必ず点を取ってくれる」


前の試合の流れに似ている―イヤな雰囲気が頭をかすめる。
先取点が取れそうで取れない。得点のないまま中盤を過ぎていく――。
しかし、それは観戦者たちの気持ちの弱さに過ぎなかった。
その気迫に応えるかのような、味方打線の奮起。


終盤に入る7回表の攻撃。
4番松中のライト線への打球。遅い足にもかかわらず、迷わず2塁へ。
気迫のヘッドスライディング。
「次へ。次の塁へ。前へ。一つでも前へ」という強い気持ち。
チームに勇気を呼び覚ます。

前の悪夢を引きずる男がここにいた。多村。
アメリカ戦での重大な場面で、送りバントミス。
「自分のせいだ・・・」
敗戦の、強い責任を感じていた。あの失敗が・・・
そして今日、同じように失敗するのでは・・・
あの場面を知る観戦者達はみなそうだった。
その不安は的中した。
やはり同じだった。バントミス。あの日と同じ・・・


この失敗を必ず帳消しにしてやる、とチームメイトたちは思っていた。
今までの敗戦は、”誰か”の責任なんかじゃないんだ、
オレ達全員の、
「日の丸を背負ってるチーム」の責任なんだ。
誰もが判っていた。

調子が悪くて、ヒットが出てなかった(福留)孝介はスタメンを外れた。
予選で唯一のヒットはボテボテの内野安打、たった1本だ。
「チームに迷惑をかけている・・・大ブレーキになってるのはオレだ・・・」
得点の少なさに責任を感じていた。
打撃陣のリーダー的な存在であったからだ。
福留は五輪にも選ばれて、「日の丸」の重みをよく知っていた。
だからこそ、自分の不甲斐なさを申し訳なく思っていた・・・。


あの時テンポよく投げていたのに、再三の審判のイチャモンで、
リズムを完全に崩し同点2ランを浴びた、清水。

完全にフェアなスタートでタッチアップしたにも関わらず、
アウト宣告された、西岡。

先制のホームわずか数メートル手前で足の筋肉がつったようになり、
突然失速して憤死した挙句無念のリタイアとなってしまった、岩村。

守備の良かった、その岩村に代わってサードに入った韓国戦で、
好返球を痛恨の落球で失点につなげてしまった、今江。

韓国戦で好投の先発渡辺の後を引き継いだのに、
2点タイムリーを打たれてしまった、杉内。

あと一つのアウトだったのに、
A・ロッドにサヨナラヒットを打たれた、藤川。

そして、
得点圏にランナーを置きながらセカンドゴロに倒れ、
自分のバッティングでカバーできなかった、イチロー。


みんな悔しい思いが残っていた。
上原、多村や福留ばかりじゃなく、「借りを返したい」と思っている選手ばかりだった。
「このままじゃ、終われない」
みんながそう考えていた。


「動きがあったら、すぐ行くぞ」
恐らく孝介はコーチに呼ばれていただろう。
韓国は右ピッチャーを出してきていた。
多村の送りバント失敗。
「また得点できないだろう・・・」
韓国チームの監督には、心に僅かな慢心が生まれていた。
2度とも勝利したからだ。


前回も日本はそうだった。
チャンスを掴みかけながら、中々得点できない。
そこに左の幸介が告げられた。
「彼は調子が悪いはず・・・、変えずに行こう」
セオリーならば、左ピッチャーを当てても良さそうだった。
今マウンドにいるキム・ビョンヒョンは多村のところで替えたばかりだ・・・
韓国の監督は多分「抑えられる」と思った。
それはチャンスを掴めない日本の勝負弱さと、
バッターボックスにいる「絶不調男」の両方を、瞬時に分析したのだった。
だがそれは、福留の冷静な目と類稀な才能を
過小評価したにすぎなかったと思い知らされるのだ。


バッターボックスに向かった孝介には、焦りはなかった。
案外落ち着いてボールが見えていた。
ベンチにいたおかげで、試合を離れて見ることができた。
それまでの、何とか結果を出さなくちゃ、という逸る気持ちは消えていた。
「打てる球を打つ」
非常にシンプルに考えることができた。
「後ろにつなげば、きっとみんなが何とかしてくれる」
集中することだけを心掛けた。

ピッチャーの手から球が放たれる瞬間が、よく見えていた。
外角ストレートに反応しそうになったが、低めの厳しいコースだったので見逃した。
(あれに手を出していたら、引っ掛けてショートゴロだったろう・・・)
そして3球目の甘い球を逃さずに、
無心で振り抜いた。
バットが手から離れた瞬間には、
手ごたえ十分の感触だけが残っていた。

完璧だった。
まるで、侍が残心を見せたような、美しい形だった。
打った瞬間に入るとわかる、素晴らしい当たりだった。


きっと、相手投手はチェンジアップか沈む球を投げたのだと思う。
しかし、全く落ちずに、棒球みたいに入ってきた。
あの瞬間を打ち損じることなく、
孝介のバットがボールを捕らえたのだった。
鋭く打ち出された打球は、チーム全員の思いを載せて
美しい放物線を描いてスタンドに飛び込んだ。
韓国の野手は見上げただけで、殆ど動かなかった。

ひょっとすると、気負いや焦りがあれば、打ち損じていたかもしれない。
多村が過去の失敗の残像に自分を狂わされて、バントを仕損じたように。


みんなの気持ちを一つにして、「勝とう」という強い気持ちと、
仲間を信じる気持ちがあった。失敗を引きずることもなかった。

バントの為に、打席に入る多村を見て、多くの観衆は、
「ひょっとして、また失敗じゃ・・・??」という「悪い予感」を抱いただろう。
勿論私も例外ではなく、その疑念が湧いてきた。そして、その通りになってしまう。
これまでの戦いであれば、この失敗を悔やんでいただろう。
悪い連鎖をもたらしていたかもしれない。
だが、今日は違った。バントミスを帳消しにする本塁打だった。


孝介のホームランで、相手ピッチャーは酷く動揺した。
小笠原の初球、いきなりぶつける。手に球が引っ掛かってしまっていた。
動揺が手に取るように分った。
それが続いていた為に、里崎の時にワイルドピッチが出てしまう。
2塁に進塁された。
ピッチャー交代のタイミングを完全に逃してしまっていた。
これまでの韓国チームであれば、福留に左投手を投入してきただろう。
里崎、執念のタイムリー2ベース。

韓国は左投手にスイッチ。
だが、日本チームの気持ちが勝っていた。
代打のキャプテン宮本が告げられる。
ここではさすがに韓国も、替えたばかりの左投手から右投手に替えてきた。
しかし、もう勢いを止めることができなくなっていた。
後手に回ったのだ。
意地のタイムリー。誰もが勝利を確信した瞬間だった。
チーム一丸を象徴するかのような1点だった。

続いて、決定的なイチローのタイムリー。
大きな「5点」が入った。素晴らしい集中力を見せた。
打者一巡の猛攻だった。


そして最後は、多村だった。
みんなにお詫びの一打を見せた。
自分の失敗を救ってくれた、チームメイトたちへの感謝の一打だった。
前は、失敗の後の辛い敗戦だったが、
今日は、信じた仲間が自分のミスをカバーしてくれたのだ。


この勝利は、ある意味必然だったかもしれない。
信頼と集中力。
一丸となって戦うことの意味。
「日の丸」の重み。
勝ちへの執念。
日本チームは全てに優っていた。
完勝だった。


本当に素晴らしいゲームだった。



飲み疲れ

2006年03月19日 11時42分00秒 | 俺のそれ
頭がちょっと痛いです。飲みすぎのせいです。歳を取るに連れて、酒に弱くなっています。当たり前なのかもしれないけど。


昨夜は友人たちと長時間飲み続けていましたが、同じ年頃のオヤジが集まるとついつい子どもの教育の話などが出てきます。特に、「塾は行かせるか」「受験をどう考えるか」というようなことで、それぞれの家庭の状況によって全く別の考え方が出てきます。そういう話を聞くと、「結構考えていることが違うんだな~」と思いますね。


多くの家庭では、やっぱり子どもの教育に悩んだり迷ったりするのだな、と思いました。スポーツなどの習い事に関してもそうです。子どもにどの程度「機会を提供するか」「練習を厳しくさせるか」などというところも、中々難しい問題ですよね。


仮に、イチロー親子のように、わが子にかなりの練習を課すというのは、それができる子もいれば嫌いになってしまって逆効果ということもあるかもしれないですし。そこら辺の見極めというのは、難しいですよね。

でも、実際にやるチャンスを持たなければ、子どもが自ら進んでやることも少ないだろうし。そういう場面を親がどの程度提供できるか、というのは親の収入などにも左右されるから、一概には言えないかも。


変な例かもしれないが、バイオリンを子どもがやりたいと言っても、貧乏であればバイオリンなんて買えないし、習わせられないだろう。或いは、子どもが荒川さんの金メダルに感動して、是非自分もフィギュアスケートをやりたいと言っても、それを継続させられる資金がなければ無理だろう。要するにそういうのを親がどのくらい頑張れるか、ということでもある。子どもの才能や興味の方向性とは全く別な問題なのだ。


これに近いことをみんなで話してみたのだが、「これだ」という結論は出なかった。やっぱり親は親なりに、できることを考えて精一杯やる、ということくらいしかないのだろうと思う。