いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

やっぱり庶民には馴染めない金融政策論議

2006年03月10日 21時21分22秒 | 経済関連
前の記事では、あくまで堅めに書いてみたんですが、かなり変だったかもしれませんね(”かも”じゃねーだろ、ってツッコミはご勘弁を)。出来るだけ感情を抑制して書いてみました。でも、今度は本音で書いてみたいと思います。


時間を置いてみると、案外とあっさり過ぎてしまったような気がします。まるで「郵政民営化法案否決」直後みたいなもんです。なんだか気が抜けた。やっぱり一般庶民の私には、金融政策というのはどうも馴染めない議論でした。元々、難解だからで、知識等の素地がないし。国民全体で見ても、それほどの興味がある話題でもなく、何だかよく判らないことが問題になっている、ということくらいしか感じないのでは、と思うな。


トータルの評価としては、数値が具体的に記述されたことにはちょっぴり「前進」があったと思うけれども、フニャっとした「枠組み」ということらしいです。本日の読売朝刊には、中原元審議委員、伊藤隆敏東大教授、そして何故か荻原博子氏が論評を載せておりました。何で、荻原氏をチョイスしたのか判らんな。前から言ってるように、「経済」の肩書きは荷が重過ぎると思うよ。


ここ数日のテレビ報道でも再三使われた表現「ジャブジャブ」というのは、いい加減に使い古されたものですけれども、視聴者に誤解を与えるには丁度いい「言い回し」なのかもしれないですな。番組出演者に仕組みを上手く説明せよ、って求めても無理だわな(笑)。日銀の発表(金融経済月報・基本的見解)によると、「マネタリーベースの伸びで前年比2%程度、マネーサプライは同1%台の伸び」となっており、全然増えてはいないんですけど。テイラー(スタンフォード大教授)曰く、日本経済が順調ならばマネーサプライは7%程度は行ける”実力”があるそうですが。テレビで「どんどんお金を日銀が出すから、お金がジャブジャブ・・・」とか言うのって、どこがジャブジャブなんでしょう?出演者の懐がジャブジャブ?出演者(まあ所謂ひとつの「きゃすたー」とか、エコノミストとは言いがたい経済評論家?)などが、適当に言うのはどうかと思うけど。ジャブジャブってのは、どんなことですか?日銀が市中にお金をばら撒いていると?どこにさ?そんな金があるんなら、オレにくれよ!世の中の多くの人々は、「景気がいいだって?ふざけるな」だよ?景気が上向いているなんて全然感じられないんだってば。


特にテレビには呆れるね。間違ったことを堂々と言うもんね。「デフレ」と「ミニバブル」とは、全くの別物でしょ?株買ってるのなんて、ほんの一部の人間に過ぎない。それは、「買える金」を持ってる人だけだっての。不動産を買うって?都心の高級マンションが飛ぶように売れてるって?そんなの、東京モンの金持ってるヤツラだけだろ!世の中では所得の低い人々が大半なのに、何でも東京基準で判断すんなよ!世の中には、まだまだ所得の低い人々がいっぱいいるんですよ。金持ってるのはそんなに多くはないぞ。投資が過熱云々とか言うが、2割以上の世帯(確か単身世帯は除かれてたはず)は「預貯金」さえ持ってないんだぞ?独身者(単身世帯)を入れたらもっと多いかもしれないんだぞ?バブルだ、なんだの言ってるのは、ごく一部じゃないの?そりゃ、本当に儲かってる連中だけだろ。


一般に、「利息をもっと付けてくれ」ってことは確かにそうだと思う。庶民の実感にも沿うだろう。だが、何を優先するか、だ。デフレが続く限り、「キャッシュ」を大量に持ってるヤツが勝つ。大量の現金を持っていて、金利収入でそれなりに生活出来るレベルの人間は大いに助かるかもしれないが、持ってない人々には苦しみを与える。おまけに、失業を生み出す。既得権者たち(それなりに賃金を貰える正規雇用の安定した人たち、例えばテレビ局のようなメディア関係とか、大企業勤務や公務員とかだろ)は有利になるだろうけど。世の中に失業を大量に発生させても、「金利を上げてくれ、オレの利息を付けてくれ」という人はそんなに多くいるだろうか?いずれ我が身にも跳ね返ってくることになる。税金を払う頭数が減るし、失業給付も増加するから、財政状況は悪化して保険料値上げやら増税やらに必ず繋がるんですよ。だから、デフレは絶対に終わらせないとダメなのだ。多くの人々は、経済学的な話なんてよく判らない。私もそう。なので、何が問題なのか知らないんですよ。


「物価が上がるのは困るんですよね」というのは、庶民の感覚としてはそうだと思う。だが、正しく理解してもらうことも必要だろ?物価が上がると生活が苦しくなるから止めてくれ、っていうのは、ごく平凡な意見だけれども、それでは良くないことが多いと理解してもらわんでどうするの?逆に下がり続けることの恐怖というか弊害をしっかり説明せにゃいかんだろ。今の今まで、デフレでこれほどまでに苦しんだのに、それでも「物価が上がると・・・」「銀行の金利は低すぎて・・・」という普通の感覚で言う意見が正しいと思い込まれては、再びデフレに逆戻りになってしまいますよ。


今回の一件では、ライジングチームは頑張ってくれたと思いますね。色々とお願いしてみるもんです(笑、多分全然届いていないけど)。もしも彼らの牽制がなければ、日銀は独断で爆走となっていたでしょう。今まで通りの「バブル恐怖症」(「euphoria phobia」とでも呼びましょうか、でも語呂が悪く変ですね。もっと変な造語にすると「euphobia」?ダメですか?笑)で、日銀の主流というか「強硬派」が大勢を決していたでしょう。新たな枠組みが登場することもなかったでしょう。従来通り、「オーソドックス・スタイル」で貫き通すつもりだったでしょうね。大きな変更とか事態の進展は難しいのが普通であり、特に中央銀行に関することですので難易度は相当高いはずで、多くの経済学者たちにとっては「不十分」という評価であるとしても、とりあえず「半歩前進」と思って、多少の痛み分けは仕方がないと考えるべきでしょう。そんなに急には変えられないと思いますよ。伝統ですから。本格的に変わるには、もっと長い時間がかかるものです。


全体で見れば、政治的には「成果があった」と言ってよいのではないかと思いますね。枠組みと数値を入れたことは、「一部勝訴」に匹敵しますね(笑)。散々お願いした立場の私としては、やはり「労をねぎらう」ということも必要だろうな、と思います。折角頑張ったのに、「何だよ、全然ダメだったじゃないか」とか言われるだけであれば、「もう聞いてやらん」とか思ってしまったりするんじゃないか、と。こんなことを書いてしまっては、バレバレなんですけれど。でも、こうした時にこそ、「政治の力」とその意味について、「なるほどな」と感じます。


唐突ですけれど、「日本21世紀ビジョン」は無駄ではなかったでしょ?ちゃんと、学者さんたちが大勢集まって考えているんですから、それには深い意味が込められているのですよ。こういうのに批判的立場の人々は、単に批判するばかりではなくて、実際上の「解決する方法」ということを考慮するべきなのです。これは「政治的」にも、そうですね。何かを得る為には、どこかで妥協することも必要になるかもしれないんですから。強い拒否の態度には、同じく強い拒否しか得られないように思います。こちらが何かを認める(理解してあげる)なら、向こうも何かを認めよう、って話ではないかな、と。全くのいい加減な感覚でしかないのですけれど。



遂に量的緩和解除

2006年03月10日 04時33分31秒 | 経済関連
朝刊には有力なエコノミストたちの論評が出揃うはずであろうから、専門的な解説は譲ることにするが、個人的な雑感を書いてみたい。

量的緩和解除によって、日銀は政治的圧力に屈してはいない、という基本的な立場を確保したようである。解除すること自体に、一つの意義を持たせることに成功したと言えるであろう。日銀の体面というか約束を守るという点においてである。一方では、政府に対する政治的配慮も匂わせたものとなった。不十分な結果ではあるものの、これまでの日銀の態度を思えば、一定の成果はあったと言えるのではないか。今後の政治的な変化(直接的には自民党総裁選挙であろう)にも対応可能なものとした、ということだろう。


小泉総理をはじめ、ライジングチームの強い意向を全く無視するという政治的なリスクは、日銀の選択肢に入れるわけにはいかなかったであろう。この意味において、政府側の働きかけは無駄骨ではなかった。しかし、竹中大臣や中川政調会長のコメントに見られるように、「不十分であり、評価できるものではない」というのは、言うなれば「お約束」の一部であろう。今日の決定会合でどんな結果をもたらしたとしても、「評価できる」というコメントは有り得ないからだ。それは与謝野大臣が日銀派である限り、ライジングチームとの政治的な溝が残るのは止むを得ず、日銀はこうした政治的な争いから距離を取りつつ対応を迫られることとなったのは経済政策とは別の試練であったろう。これらの他にも、財務省(旧大蔵の亡霊も?)の意向を全く無視するわけにもいかない、というタンコブも抱えており、日銀自身が中立を保てる「安全地帯」を見つけ出すのに甚だ苦労させられたに違いない。


いくつものハードルをクリアする為の、苦渋の決断の結果が本日の量的緩和解除と新たな金融政策運営の枠組みであった。金融市場調節方針は、今まで続けてきた「当座預金残高」から「無担保コール翌日物金利」へと変更された。日銀の発表では次の通りである。


(金融市場調節方針の変更)

 日本銀行は、本日、政策委員会・金融政策決定会合において、金融市場調節の操作目標を日本銀行当座預金残高(以下、「当座預金残高」)から無担保コールレート(オーバーナイト物)に変更した上で、次回金融政策決定会合までの金融市場調節方針を、以下のとおりとすることを決定した(別添)。

無担保コールレート(オーバーナイト物)を、概ねゼロ%で推移するよう促す。


(金融市場調節面の措置)

 当座預金残高については、所要準備額に向けて削減していくことになる。金融機関においては、量的緩和政策採用以降長期間にわたって、多額の当座預金残高や資金供給オペレーションを前提とした資金繰りが行われてきた。このため、当座預金残高の削減は、数か月程度の期間を目途としつつ、短期金融市場の状況を十分に点検しながら進めていく。当座預金残高の削減は、短期の資金オペレーションにより対応する。長期国債の買入れについては、先行きの日本銀行の資産・負債の状況などを踏まえつつ、当面は、これまでと同じ金額、頻度で実施していく。補完貸付については、適用金利を据え置くとともに、2003年3月以降、利用日数に関して上限を設けない臨時措置を実施しているが、この措置は当面継続する。


これらの部分で大まかにまとめると、
・(概ね)ゼロ金利を続ける
・当座預金残高削減は数ヶ月かけて行う
・長期国債買入は変えない

で、残高以外は当面変えません、という「宣言」をしているので、これはそれなりに意味があったということになるだろう。コミットメントは無駄ではない、ということである。


もう一つ重要なことは「枠組み変更」である。これは政治的な(主にライジングチームへの)配慮、ということでもあるかもしれないし、日銀内部での政策論争における「妥協点模索」の結果であるかもしれない。日銀側としては「一応、数値を入れました」ということで、過去の日銀の姿勢から見れば僅かながら前進が見られた、ということになるであろう。再び日銀の発表を挙げてみる(一部抜粋)。


1.新たな金融政策運営の枠組み
(1)「物価の安定」についての明確化

 日本銀行としての物価の安定についての基本的な考え方を整理するとともに、金融政策運営に当たり、現時点において、政策委員が中長期的にみて物価が安定していると理解する物価上昇率(「中長期的な物価安定の理解」)を示す(後述)。こうした考え方や理解を念頭に置いた上で、金融政策運営を行う。

(2)2つの「柱」に基づく経済・物価情勢の点検

 金融政策の運営方針を決定するに際し、次の2つの「柱」により経済・物価情勢を点検する。

 第1の柱では、先行き1年から2年の経済・物価情勢について、最も蓋然性が高いと判断される見通しが、物価安定のもとでの持続的な成長の経路をたどっているかという観点から点検する。

 第2の柱では、より長期的な視点を踏まえつつ、物価安定のもとでの持続的な経済成長を実現するとの観点から、金融政策運営に当たって重視すべき様々なリスクを点検する。具体的には、例えば、発生の確率は必ずしも大きくないものの、発生した場合には経済・物価に大きな影響を与える可能性があるリスク要因についての点検が考えられる。

(3)当面の金融政策運営の考え方の整理

 以上2つの「柱」に基づく点検を踏まえた上で、当面の金融政策運営の考え方を整理し、基本的には「経済・物価情勢の展望」において定期的に公表していく。


2.「物価の安定」についての考え方
 「物価の安定」とは、家計や企業等の様々な経済主体が物価水準の変動に煩わされることなく、消費や投資などの経済活動にかかる意思決定を行うことができる状況である。

 「物価の安定」は持続的な経済成長を実現するための不可欠の前提条件であり、日本銀行は適切な金融政策の運営を通じて「物価の安定」を達成することに責任を有している。その際、金融政策の効果が波及するには長い期間がかかること、また、様々なショックに伴う物価の短期的な変動をすべて吸収しようとすると経済の変動がかえって大きくなることから、十分長い先行きの経済・物価の動向を予測しながら、中長期的にみて「物価の安定」を実現するように努めている。

 物価情勢を点検していく際、物価指数としては、国民の実感に即した、家計が消費する財・サービスを対象とした指標が基本となる。中でも、統計の速報性の点などからみて、消費者物価指数が重要である。

 「物価の安定」とは、概念的には、計測誤差(バイアス)のない物価指数でみて変化率がゼロ%の状態である。現状、わが国の消費者物価指数のバイアスは大きくないとみられる。物価下落と景気悪化の悪循環の可能性がある場合には、それを考慮する程度に応じて、若干の物価上昇を許容したとしても、金融政策運営において「物価の安定」と理解する範囲内にあると考えられる。

 わが国の場合、もともと、海外主要国に比べて過去数十年の平均的な物価上昇率が低いほか、90年代以降長期間にわたって低い物価上昇率を経験してきた。このため、物価が安定していると家計や企業が考える物価上昇率は低くなっており、そうした低い物価上昇率を前提として経済活動にかかる意思決定が行われている可能性がある。金融政策運営に当たっては、そうした点にも留意する必要がある。

 本日の政策委員会・金融政策決定会合では、金融政策運営に当たり、中長期的にみて物価が安定していると各政策委員が理解する物価上昇率(「中長期的な物価安定の理解」)について、議論を行った。上述の諸要因のいずれを重視するかで委員間の意見に幅はあったが、現時点では、海外主要国よりも低めという理解であった。消費者物価指数の前年比で表現すると、0~2%程度であれば、各委員の「中長期的な物価安定の理解」の範囲と大きくは異ならないとの見方で一致した。また、委員の中心値は、大勢として、概ね1%の前後で分散していた。「中長期的な物価安定の理解」は、経済構造の変化等に応じて徐々に変化し得る性格のものであるため、今後原則としてほぼ1年ごとに点検していくこととする。


これが日銀の導入した新たな「枠組み」ということだ。こちらも非常に大雑把にまとめると、次のようなものである。
・「物価の安定」「2本柱」の公表
・「2本柱」とは、(長期的)成長経路からの乖離と乖離リスクの点検
・「物価の安定」の定義付け
・バイアスは大きくないと認識
・日本特有の「低いインフレ期待」
・CPI を重視、大勢は概ね「1%前後」で、「0~2%」程度を目標におく
・原則ほぼ1年ごとに点検


多分、事前の予想とは外れていないと思うが、市場関係者ではないのでよく判らない。ただ、数値を入れてきたことには評価してもよいのではないか。現実の金融政策上で、どの程度重視されるのかは不明ではあるが。ECBと似たような感じであろうか。委員たちの意見の具体的な分散も記述されたことには、各方面への何らかの意図が含まれているのかもしれない。「中心値」という表現、そして、上下のレンジでの表現、ということだ。中にはタカ派も存在するであろうから、「どうしてもゼロ%は譲れない」という委員がいたかもしれない、ということでもある。未だにその考えを捨て切れない、伝統派ということなのだろうか。


原則ほぼ1年ごとに点検、ということには、かなりの含みがあると考えられるかもしれない。次の政権担当の状況次第、とも言えなくもない。政治的な意図もあるだろう。