いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

300円の借金

2006年03月27日 21時45分22秒 | 社会全般
この前、ベンチに座っている若い女性2組がいた(「なんだ、またかよ」と言わないでね。知ってる人は知っている、笑)。どこかの職場の制服を着ており、仕事の休憩時間か何かであったのだろう。丁度私の後方にいて、特に聞き耳をそばだてていた訳ではないが、なんとはなしに話し声が聞えてきた。だって、急に大声だったんだもん。


「えーっ!!今日って土曜日だったんだ。どーしよ」
「ATMは5時までだよ」(「6時」って言ったかも・・・ちょっと不正確)
「今日下ろそうと思ってたのに。帰りのバス代がないかも」
「そーなの?貸してあげようか。いくら?」
「160円。私いま、サイフに100円も入ってないかも」
「帰れないじゃん」
「あ、頑張れば歩いて帰れるから」
「つらいね」
「やっぱ、先輩、お金借りていいですか?」
「いいわよ」
「じゃあ、160円・・・」
「もうちょっと貸そうか?」
「そんな、いいです、・・・でも・・・ああ、やっぱり貸してもらえますか?300円」
「いいよー、本当にそれで足りるの?」
「はい、300円で。大丈夫です。助かります」
・・・・


ところどころ不正確ですけど、だいたいこんな感じだった。少なくとも正しいのは「いま100円もない」のと、「借りたのが300円」です。


思ったのは、例え銀行が休みであろうが、ATMの時間が6時だろうが9時だろうが、コンビニで多分下ろすことはできるはずだろうな、と(提携してないのかも?しれない・・・)。ひょっとして、銀行にも金が入っていないのかもしれないな、と。

それと、現在持っているお金が100円以下、ということに驚きました(まあ、わたくしも学生時代には同じくらい貧乏な時は多々ありました。30円の「パンの耳」しか買えないくらい。笑。前に書いたけど)。多分20歳前後の人だったと思うけど、学生ではなくて仕事(バイトかも)をしている人だった、ということです。本当に若い人たちはカツカツなんだな、と思いました。


で、優しい先輩が貸してあげると言ってくれて、借りるお金が300円という非常に真面目な金額でして、何となく両者はいい人なのかもしれない、と思いました。それは、普通よりも賢くはないかもしれないし、賃金も安い仕事しか就けないかもしれないけれども、狡知に長けてはいなさそう、ということです。普通にバス代とか300円程度のお金を融通しあうのって、何となくホッとしました。特別に今の若い女の子がみんな、お金の為だけに稼ぎのいい風俗だの何だのにすぐ「走る」わけでもないんだなー、って。貸す方(先輩)も、もうちょっと気を回して千円くらいは貸してやれよ、と一瞬考えましたが、バス代ピッタリじゃなくて少しだけ多い300円というところが、双方にとって丁度いいのかもしれませんね(笑)。でも、本当のところはどうなのか、全く分りません。私の得意の推測ですから。


世の中の若者たちには、確かに真面目に働いていてもお金が全然入ってこない人や、一生懸命生きている人はたくさんいるでしょう。そういう人々は必ず救済しなければならないのです。彼らの労働力を不当に搾取してはならないはずなのです。最近の求人の傾向では、大企業を中心に再び人材育成を自前でやって行こう、という機運は生まれつつあると見ています。それは団塊世代の引退ということもあるのだけれど、きっと自らの歩いてきた道を企業経営者たちが思い起こしてみたからではないかと考えています。


現在はたとえどんなに偉い社長とかCEOなのかもしれないが、入社当初からその実力を身に付けていたわけではないのですから。大抵は普通の新入社員と同じように、仕事ができず怒られたり、先輩たちに教えてもらい、ようやく一人前にしてもらったに違いないのです。初めから素晴らしかった人もいるかもしれないが、そんなのはきっと稀だろう。誰でも初めっからうまくできっこないんですよ。そうやって、自分を育ててくれたのは、会社であり、先輩であり、上司やら後輩やら、取引先の人・・・要するに、周りの人間たちです。自分だけの力で大きくなったわけではないのです。そう考えれば、現代の若年層に「即戦力」というのを求めるのは、ちょっと酷なのです。


偉そうにあれこれ言う社長さんだって、案外入ろうと思ってなかった会社に入ってしまい(他が全部落ちたとか断られたとか・・・よくそういうエピソードはありますよね)、その後にたまたま出世した、とか、ありますから。人との偶然の出会いとか、好きな指導者とか、何かそういうキッカケで開花することはあるかもしれないな、と思いますね。そういう過去を思えば、企業が自前で人材を育成するなんていうのは当たり前と思いますね。


企業は社会的活動も重視するようになっているだろうから、一部にはメセナとかもやってると思う。他のプランとしては、人材育成ということで考えると、アメリカみたいに「奨学金」を与える、ということも考えてみてはどうだろうか?勿論、経済的に恵まれない層から選抜するのです。優秀な人材が埋もれているかもしれず、例えば若き研究者を育てる、ということで考えると、企業が大学の学費を出すことで、将来その企業の研究部門に優秀な人材が集まるようになるかもしれませんよね。或いは、将来立派な学者になって賞を獲ったりすると、企業の知名度が上がるかもしれないですよね。それとか、奨学金の選抜に希望者が殺到して、そのこと事態がニュースになって企業の知名度や好感度がアップするかもしれないですし。前にも篤志家のこと(参考記事)を書いたのだけれど、学費を出してあげる、というのは意外と効果が大きいんじゃないのかな、と思うね。


大都会ではない地方こそ、そうした制度をどんどん作って、地域にいい人材を集められるように工夫するべきだと思うね。だって、優秀な人たちは都会の大学に行き、都会の大企業などに就職してしまうからね。そのままそこで居座るのだし。なので、奨学金に当たった人たちは地域に戻ってきて必ず働いてもらう、という制度にしておけばいいのではないかな(もしも、戻ってこなかったら、全額返済してもらえばいい)。本当は、起業をしてもらって大成功してもらうことが一番なのだけれど。雇用も生まれるしね。公共事業の名を借りて、誰も来ない工業団地を大袈裟に造成したりなんかするよりも、いい人材発掘のために学費を出してあげて、地域に定着してもらえる方がよっぽどいいと思うけど。思い切って域外からの人材にも拡張してもいいかもしれない(全国各地で同じような制度が作られてしまっては、差別化が図れないかもしれんな)。


こういった奨学金の獲得競争は厳しくなるだろうし、大学に入ってからの評定で一定水準以下になったら下手すりゃ打ち切りということになれば、すごく真面目に勉強すると思うけどね。アメリカのスポーツ奨学金だって、大体そういう感じですよね?貧困層から這い上がれる、まさにアメリカンドリームを掴めるのは、そうした奨学金制度が影響していると思うね。自分が努力したり頑張れば這い上がれる、と信じるのは、そういう制度的なことがあるのではないのかな。