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信用のこと~何故途上国では貸出金利が高いのか

2007年08月21日 12時56分24秒 | 経済関連
昨日の記事に関連したことで、少し考えたので。

途上国などに見られるグラミン銀行のような『高利貸』っぽい融資制度の金利は、日本に比べると高い(でも、グラミン銀行の場合は25%くらいだったか。29.2%よりは低いな)。無担保融資だから、ということはあるかもしれないが、連帯保証という人的担保はある。それでも数字だけ見れば、かなり高いと言わざるを得ないだろう。中には、こうした途上国のマイクロファイナンスの金利が高いということをもって、「日本の上限金利は低すぎる」というような意見というのも出されるかもしれない。途上国の金利水準を日本に持ってきて同じように当てはめようというのは、あまりに違いが大きすぎますね、とは思う。

以前にもちょっと触れたと思うが、一応書いておく。
人間もマウスも「同じ哺乳類」だし、動物実験などでもマウスで試して人間にも同じ薬なんかを使っているじゃないか、遺伝子研究でもマウスと人間を同じように見て調べているじゃないか、といったご意見があるとしても、まあそうだな、とは思う。でも、基本的(生理学的)にほぼ同じような循環系システムを持っていたとしても、心拍数とか血圧が人間と同じ水準なのかと言えば、これは全然違うのだ。なので、経済規模が小さいということがどういうことか、まずよく研究してみた方がいいのではないかと思う。そういった違いを超えて、何かの指標の「数字」を比較する意味があるものかどうかということだ。「マウスの心拍数の正常範囲が500~600程度だから、人間の心拍数が120とか150であっても薬物治療によって100以下に落とす必要なんかない」、みたいなことがあるとしたら、頻脈の治療はそもそも存在しないですね、とは思う。治療が必要かどうかは、運動した時なんかの「病的でない」状態かどうかが問われるのであって、マウスの数字と人間の数字を比べることの意味というのは殆どないのだ。「病的かどうか」の判定に意味があるのだ。


話を元に戻そう。途上国のマイクロファイナンスの金利がどうして高いのか、ということの疑問があるのだが、インフレ率が高いということもあるかもしれないけれど、どうもそれだけとも思えないのだ。それを考慮したとしても、もっと金利水準が高いのですから。実質金利を比較するとしても、結構高い数字となっているであろう、多分。

で、何となくチラっと思いついたので、書いておこうかなと思う。

途上国がどうして途上国なのかといえば、金がない貧乏な国だからだ。
(唐突ですが、「ビンゴゲーム」のことを「貧乏ゲーム」と呼んだ人が私の親族にいた。いくら年寄りだから、とはいっても…酷い間違いだなと思った。ただ、ツキに見放された人にとっては、本当にとことん「貧乏ゲーム」だと思う。)
なので、「資本」自体のコストがとても高いのだろうと思う。資本という言葉は経済学的に決まっているが、とりあえず資金のことだけ指すものと思って頂ければ。本来的にはお金だけじゃなく、労働力とか土地とか他のものも含まれると思いますけれども、複雑になるので。途上国のような「金不足」の国だと、お金そのもののコストが相対的に高いのだろうな、と。人員(=労働力)とか土地とかは結構たくさんあるのだけれども、資金がないので事業とか開発なんかができない。やるとしても百万年かかってしまう。そういう環境なので、資本を導入するコストが先進国などに比べるとはるかに高いのであろうと思う。先進国であると、金融とか制度の発達によって資本提供コストがあまり多額にはかからない、ということなんだろうと思う。そういう大きな違いがあるのではないかな、と。


貧乏国の家計を思い浮かべてみると、次のような感じになっているのではないだろうか。

稼ぎ 10 = 生活費 10
採取 20   自家消費 20

当たり前の書き方で申し訳ないが、収入というのが左側、使ってしまうのが右側ということで、稼いだ分は全額生きる為に使わねばならない、ということかなと。実際には不足分というのがあって、それは自力で農産物とか果物とか魚などの食べ物を採取したりするくらいしかないのかもしれない。この部分はほぼ換金できないので、お金として収入計上されないが、家計の一部の担っているのではないかと思う。で、問題となるのは、お金としての「余剰分」というのが残らない、ということだろう。お金となる部分は、例えば鉄くずを拾ってくるとか、僅かな生産物(農産物とか織物?みたいなものとか)を激安で売って得た金とか、そういうものだ。他の仕事らしい仕事もないし、稼げる方法がない、と。で、お金で買うのは必要最低限のもので、それ以外は自力調達しかないのであろう。

楽園の島みたいに、人口に比して食糧の方が潤沢に存在しているならば、適当に生えている植物とか果実を採取するとか、魚を採ってくるとかできて、それだけで一生食べていけるので、仕事があってもなくても生存にはあまり深刻な影響を与えないし、お金としての稼ぎがなくても生きていけるだろう。

稼ぎ 1 = 生活費 1
採取 39  自家消費 39

こんな感じになる、ということかな。自家消費だけで十分生活できるのであれば、大した現金収入がなくても大丈夫なのだ。

しかし、生存ギリギリの水準が稼ぎの全てを投入せざるを得ないとなれば、生産による余剰が生まれない。なので、銀行預金とかが発生しない。銀行などの金融システムというものは、大金持ち相手だけでしか成立しない。すると、資本というものがあまり生み出されない、ということになってしまうだろう。


マイクロファイナンスの効果というのは、稼ぎの余剰というものを生み出すということなのではないかと思う。例えばお金さえあればトラクターが購入でき、農産物の生産力が10倍にアップして、生産の余剰をもたらすということになるなら、そこに資金投入できれば貧乏を抜け出せる。しかし、稼ぎの全部を投入しないと生き延びてこられなかったのだから、ヘソクリすることもできず、自力では永遠に「トラクター購入資金」というものを生み出せない。そこで、「借金」という資本投入が必要になるのだ。資本は何も無い所からは生まれてこない。銀行のような「金を持っている誰か」が貸してくれないと、どこからも調達できない。しかし、これまで稼ぎの全部を投入してきたカツカツのどん底貧乏人に、金を貸してあげようなどという奇特な人はいないということだ。それを改善したのが、グラミン銀行のようなマイクロファイナンス組織だったろう。

「信用」を創造する為に、5人組の連帯保証人制度としたのであろう。この資本投入の為のコストは、日本人が銀行やクレジットカード等で金を借りるよりも、相対的に大きいだろう。これは携帯電話の普及が1万台未満だった頃には料金が高かったが、現在のように普及台数が増加して低料金となるのと似たようなものである。誰も携帯電話を持っていない途上国でそれを持とうと思えば、導入コストは相対的に大きい(例えば携帯電話購入費用/平均年収とか利用料金/平均年収の比較)ということだ。信用創造によって資本投下されると、稼ぎの水準が劇的に改善しうる、ということだろう。

         生活費 30
稼ぎ 100 =   返済 50
           余剰 20


実際の収入改善水準がどうなのか不明であるが、イメージではこんな感じだろうと思う。資本投下前には「稼ぎ10+採取20」の合計30だったものが、借金で資本を投下すれば100の稼ぎに増加した、と。
結局、お金の形で余剰を生じないとダメなのだ。たとえ運良く魚とかヤシとかで大きな余剰を生じたとしても、換金できない限り他のものを購入できない。おそらく貧乏な国ではそういうことが多いのではないかと思うのだ。借金によって生産力の向上が著しいのであれば、お金の形で収入が入ってくるようになる。決して安くない金利で借りているから返済額が日本などに比べて多いとしても、お金の形の余剰を生み出せる可能性が高まるのだろうと思う。これが貧困脱出のカギなのではないかな。社会全体として余剰が生まれないと、発電所を作るとか、水道を引くといった基本的なインフラ整備さえも困難となろう。そこに資金を回す前に、食べてしまったりせねばならないからだ。食べることに使ってしまえば、いつまで経っても誰にも電力供給を整備する資金が生まれないということになってしまうのだ。ほんのごく一部に裕福な人がいても、所詮限りがあるということだろう。


一世を風靡したアニータさんだったか、公社職員が横領した数億円を貢がせたのだけれども、チリに資本投下して一大事業家に成り上がったはずだ。貨幣価値の違いということもあるかもしれないが、根本的に「資金の出し手」が不足しているのだろうと思う。つまりは資本が不足気味、ということで、お金を投入すればまだまだ成長余地があるのだろうと思う。今話題となっている朝青龍も、モンゴルで資本を投下して事業家となっているらしいからね(笑)。こうした資本不足は、お金という形での余剰の生まれる余地が極めて少ないと起こってしまうのではないかな、と。


まとめると、途上国でのマイクロファイナンスの金利が高い理由の一部として、
・資本導入の為のコストが高い(かなり希少)
・生産による(資金)余剰が殆ど生まれてこなかった
・資本投下で生産力の改善が期待できる
・返済してもなお(資金の)余剰を生み出せる可能性が高い
といったことがあるのではなかろうか。


ただし、この利点が常に活かされるかというと、そうではない場合もあるだろう。サブプライムローンのように、貸し手側の過度な競争が生じてしまうと不適切な貸出が相対的に増加し、貸倒率が上昇することになるだろう。資本の不足しているところに資金の出し手(貸し手)が現れることは望ましいのであるが、貸し手側競争が激しくなってくるとマイナス面の方が強くなってくるということであろうか。失敗例(先進国でも途上国でも)の多くは、貸出競争の結果、銀行やノンバンク等(貸し手側)の貸出規律が甘くなっていくということが観察されるだろう。リスクの高い借り手は破綻し、貸倒が増加するので貸し手にもダメージということになる。金の貸出というのは、同じような誤りが起きやすいのかもしれないが、それが何故なのかは判らない。金、借り手、貸し手、決定様式(機構?)、それらが揃うと何らかの「間違いやすい要因」みたいなものがあるのかもしれない。心理学的とか行動学的なものであるなら、理屈だけでは回避し難いかもしれない。