ちょっと書くのが遅れたのですが、この前の結果が出ておりまして、拝見した感想などを少々。
答えの予想を書いたのがコレ>「最後の授業」とハイド博士
ハイド博士のヒント、、おっと失礼、ハイド博士もとい小田中先生がヒントとして書いておられた「最後の授業」ですが、これについては大体自分で記事に書いたようなことでした。すなわち、アルザス地方はドイツっぽいというか、殆どドイツじゃないか、と。
WIRED VISION 小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 第4回 気分はもう戦争・そのIV
で肝心の「国防=権利」?ですけれども、やや解答の核心部分というのがもう一つはっきりとしない印象でした。以下に、小田中先生の記事から一部引用してみます。
まとめよう。アルザス地方は(乱暴にいってしまえば)ドイツ!!である。
それでは、なぜドーデはこんなミスリーディングな話を書いたか。もちろん、そこには理由がある。彼はドイツに負けてくやしかった。かくなるうえは、いずれきたるべき対独復讐の日にそなえて臥薪嘗胆しなければならない。そのためには、フランス国民のあいだに、フランスはえらく、フランス人はフランスを愛し守らなければならないという感情を植えつけなければならない。こんな感情は、通常「ナショナリズム」とよばれている。「最後の授業」はナショナリズムのためのフィクションであり、そうしたものとして意図的に書かれたのである。
【3】
話の筋があっちに行きこっちに戻りしてるようで、自分でも目が回ってきたが、カンのよい読者諸賢はもうわかっただろう。国防は権利であるという考え方を普及させるには、ナショナリズムの力を借りることが有効だし、簡単である。
フランス人が「国防=権利」と考えてきたとすれば、それらは彼らがナショナリストだからである。フランス革命はナショナリズムを生んだ。ナショナリズムは国民軍を支えた。20世紀末のフランスで国民軍の廃止に反対した左翼政党は、ナショナリストだった。
そして、ナショナリズムは強い。たとえば、「最後の授業」からしばらくたったころのフランスでは、右翼政党が対独復讐を唱え、左翼政党が植民地獲得を求める、という外交・軍事政策の対立があった。でも、どっちもナショナリズムに基づいていたことにかわりはない。
この部分を箇条書きにしてみると、次のようなことです。
・「最後の授業」はナショナリズムの為のフィクション
・「国防=権利」を普及させるには、ナショナリズムを利用するのが有効で簡単
・「国防=権利」と考えたとすれば、それはナショナリストだから
・フランス革命はナショナリストを生んだ
・ナショナリズムは国民軍を支えた
・前世紀末に国民軍廃止を反対した左翼政党はナショナリスト
・ナショナリズムは強い
・大戦前頃の右翼政党も左翼政党もナショナリズムに基づいていた
ここまで読めば、3番目が答えということであり、「ナショナリストだから」というものかなと思いました。
因みに、前回の質問部分というのは、
『なんでフランス人は「国防=権利」って考えてるのかね、まったく。
ちなみにそのヒントは 「最後の授業」』
でした。
つまりは、
◎「国防=権利」と考えるのは、フランス人がナショナリストだ(orが多い)から
ということになるかと思います。フランスにはナショナリストが多い(だろう)ということは、箇条書きの部分を拝見するとそうなんだなと思います。ただ、ナショナリストだから、ということを知ったとしても、何となく答えに辿り着けていないような感じを抱いてしまいました。次のように書いてみると、その疑問が残っている感触というのを判って頂けるのではないかと思います。単純化しすぎ、というご批判はあると思いますが、とりあえず。
①ナショナリストは「国防=権利」と考える
②フランス人はナショナリスト
③故に、フランス人は「国防=権利」と考える
こうしてみると、前回の質問文、『なんでフランス人は「国防=権利」と考えてるのか』の「フランス人」を「ナショナリスト」に置き換えただけのようにも思え、どうしてなのかが不明のままな気がしてしまうのです。何故ナショナリストであると「国防=権利」と考えるのか?ということが判れば、一番有り難いのですけれども…ないものねだりをしてもしょうがないのですが、普通ナショナリストというのは国防を権利だと考えているのでしょうか。
平凡に考えると、「徴兵制を復活せよ」とか唱える集団などが言いそうなことは「兵役は国民の義務だ!」みたいな感じじゃないかな、とは思ったりします。つまり、国民の義務だ、みたいな主張は多くありそうかな、とは思うのですが、「権利だ」と主張するのって結構難しそうかな、と思うのです。
そういうわけで、ナショナリストは何故国防を権利と考えるのか、ということは依然謎に包まれています。うーん、どうしてかな?
答えの予想を書いたのがコレ>「最後の授業」とハイド博士
ハイド博士のヒント、、おっと失礼、ハイド博士もとい小田中先生がヒントとして書いておられた「最後の授業」ですが、これについては大体自分で記事に書いたようなことでした。すなわち、アルザス地方はドイツっぽいというか、殆どドイツじゃないか、と。
WIRED VISION 小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 第4回 気分はもう戦争・そのIV
で肝心の「国防=権利」?ですけれども、やや解答の核心部分というのがもう一つはっきりとしない印象でした。以下に、小田中先生の記事から一部引用してみます。
まとめよう。アルザス地方は(乱暴にいってしまえば)ドイツ!!である。
それでは、なぜドーデはこんなミスリーディングな話を書いたか。もちろん、そこには理由がある。彼はドイツに負けてくやしかった。かくなるうえは、いずれきたるべき対独復讐の日にそなえて臥薪嘗胆しなければならない。そのためには、フランス国民のあいだに、フランスはえらく、フランス人はフランスを愛し守らなければならないという感情を植えつけなければならない。こんな感情は、通常「ナショナリズム」とよばれている。「最後の授業」はナショナリズムのためのフィクションであり、そうしたものとして意図的に書かれたのである。
【3】
話の筋があっちに行きこっちに戻りしてるようで、自分でも目が回ってきたが、カンのよい読者諸賢はもうわかっただろう。国防は権利であるという考え方を普及させるには、ナショナリズムの力を借りることが有効だし、簡単である。
フランス人が「国防=権利」と考えてきたとすれば、それらは彼らがナショナリストだからである。フランス革命はナショナリズムを生んだ。ナショナリズムは国民軍を支えた。20世紀末のフランスで国民軍の廃止に反対した左翼政党は、ナショナリストだった。
そして、ナショナリズムは強い。たとえば、「最後の授業」からしばらくたったころのフランスでは、右翼政党が対独復讐を唱え、左翼政党が植民地獲得を求める、という外交・軍事政策の対立があった。でも、どっちもナショナリズムに基づいていたことにかわりはない。
この部分を箇条書きにしてみると、次のようなことです。
・「最後の授業」はナショナリズムの為のフィクション
・「国防=権利」を普及させるには、ナショナリズムを利用するのが有効で簡単
・「国防=権利」と考えたとすれば、それはナショナリストだから
・フランス革命はナショナリストを生んだ
・ナショナリズムは国民軍を支えた
・前世紀末に国民軍廃止を反対した左翼政党はナショナリスト
・ナショナリズムは強い
・大戦前頃の右翼政党も左翼政党もナショナリズムに基づいていた
ここまで読めば、3番目が答えということであり、「ナショナリストだから」というものかなと思いました。
因みに、前回の質問部分というのは、
『なんでフランス人は「国防=権利」って考えてるのかね、まったく。
ちなみにそのヒントは 「最後の授業」』
でした。
つまりは、
◎「国防=権利」と考えるのは、フランス人がナショナリストだ(orが多い)から
ということになるかと思います。フランスにはナショナリストが多い(だろう)ということは、箇条書きの部分を拝見するとそうなんだなと思います。ただ、ナショナリストだから、ということを知ったとしても、何となく答えに辿り着けていないような感じを抱いてしまいました。次のように書いてみると、その疑問が残っている感触というのを判って頂けるのではないかと思います。単純化しすぎ、というご批判はあると思いますが、とりあえず。
①ナショナリストは「国防=権利」と考える
②フランス人はナショナリスト
③故に、フランス人は「国防=権利」と考える
こうしてみると、前回の質問文、『なんでフランス人は「国防=権利」と考えてるのか』の「フランス人」を「ナショナリスト」に置き換えただけのようにも思え、どうしてなのかが不明のままな気がしてしまうのです。何故ナショナリストであると「国防=権利」と考えるのか?ということが判れば、一番有り難いのですけれども…ないものねだりをしてもしょうがないのですが、普通ナショナリストというのは国防を権利だと考えているのでしょうか。
平凡に考えると、「徴兵制を復活せよ」とか唱える集団などが言いそうなことは「兵役は国民の義務だ!」みたいな感じじゃないかな、とは思ったりします。つまり、国民の義務だ、みたいな主張は多くありそうかな、とは思うのですが、「権利だ」と主張するのって結構難しそうかな、と思うのです。
そういうわけで、ナショナリストは何故国防を権利と考えるのか、ということは依然謎に包まれています。うーん、どうしてかな?