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人間力とlife hack ~その2

2007年08月04日 17時27分03秒 | 教育問題
4)人間力とは

ここで唐突に話が変わりますが、いきなり「人間力」です(笑)。
政府が打ち出した「人間力戦略」というのは、次のようなものでした。

人間力戦略ビジョン新しい時代を切り拓くたくましい日本人の育成~画一から自立と創造へ~

かなり古い話ですけれども、教育関連施策で「こういう方向でやっていってはどうか」ということで、文部科学省が取りまとめていったのですね。

でも、話の発端というか、流れ的には経済財政諮問会議から出されたものでしたので、内閣府も噛んでいくことになったのですね。何かのスローガンでもなければ、文部科学省のまとめを見ても殆ど理解されにくい話で、そういう意味においては「人間力(戦略)」という単純なフレーズは効果的であったと思われます。

人間力の経過>「人間力」について

こちらが内閣府で進めた研究会>人間力戦略研究会報告書

要するに、人間力の根本的な話というのは、教育関連施策に「ワン・フレーズ」を与えたものなのであり、教育について行政が積極的に関与すべきではないという考え方であるならば、これら施策については「全て止めるべき」というご意見が出されてもいいでしょう。行政は金だけ配分しておけばよい、ということであれば、それはそれで一つの意見でしょうし。文部科学省の無駄な官僚の頭数を大幅に削減可能になるのですし、無駄な天下り先も大幅に殲滅できそうなので、検討に値しますね。天下ってこられる受け入れ側―例えば大学とか―では、大変な迷惑を蒙ってしまうかもしれませんが(笑)。


5)人間力批判

具体的な例として、ご紹介しておきたいと思います。

asahicom:朝日新聞就職・転職ニュース


 全体として世の中が進んでいる方向は、ますます混沌(こんとん)としてきています。大人の意識に刷り込まれている「近代社会」とは、たとえば官僚制組織のように役割や指揮命令系統がきちんと決まっていて、標準的であることや集団への適応が重んじられる状況でしたが、現在はかつてよりもすべての物事の偶発性が高まり、自律性や柔軟性が求められ、かつ競争が激化した「ポスト近代」状況に突入しているのです。

 世の中が不透明化し、煙が渦を巻きながら立ち込めているような状況で、個人はどうやって対処していけばいいのか。とても大変な課題です。その中で、教育界や財界、政府などがそれぞれ、「人間力」とか「社会人基礎力」とか「就職基礎力」を身に着けさえすれば何とかなるといった言説をせっせと生み出している。一般の若い人にとっては「そんなこと言われても」と戸惑うような漠とした無責任な要請を、権力や諸資源を手にした年長世代が投げかけている。

 ほんの一握りの起業家を目指すような若者は、確かに主体的で創造的な個人でしょう。もちろんそういう人はいるけれど、そのイメージをすべての若者に当てはめて働く意欲を喚起・動員するという発想は、成功や失敗の責任を個人に転嫁しているだけで、何の解決策も提示していない。せめて、周囲から、完璧な強い人間になれと若者を追い立てることはやめて欲しいですね。




この続きも読んでみると、本田先生の言わんとしていることは判らないではないです。しかし、人間力と聞くだけで拒絶反応を示すというか、行政側の出す「人間力」や「社会人基礎力」や「就職基礎力」(これは聞いたことがなかった、笑)のようなフレーズが気に入らない、というだけで、即座に否定していいものなのかどうか、ということは思います。人間力を批判したところで、「就職できる若者が増える」わけではないです。年長者たちに若年層に対する誤解があるとしても、本人を目の前にした時に「この若者はこんな素晴らしいところがありますよ、立派に頑張っていますよ」ということくらいは感じ取れるし、現実に大半の若者を雇って仕事を学ばせているのは年長者なのですから。

何かのスキルを習得させるとしても、例えばRPGのスタート時点での装備みたいなもので、「布の服」とか「短剣」を装備させる程度でしかないように思えます。「甲冑」を装備していたなら採用されるが、「布の服」だと採用されない、という単純なものではないのではないのかな、と。
もっとキャラクター全体を見ると思うし、「鉄の胸当て」だと採用だけど、「粗末なローブ」じゃ不採用、ということにはならないでしょう。そういう意味では、人間力というのは、せめて何か装備するように、ということを最低限求めるものであると言えるかもしれませんね(笑)。
これはまた別な機会に書いてみたいと思います。


6)「life hack」としての基礎力

人間力や社会人基礎力といった言葉を拒絶したければ、別な用語でもいいと思います。とりあえず、「基礎力」とだけ呼ぶことにします。

採用側が見る指標の組み合わせの標準的なものが、この基礎力ということです。「life hack」としては、人事担当者における「新人採用に当たってチェックすべき(見るべき)○つのポイント」というようなことになりますでしょうか。立場を変えて、採用される側になれば「就職するに当たって達成するべき○つの心得」みたいなもの、ということになるでしょうか。これの何がマズイのか、どこが不満なのか、私にはよく判らないのですね。こうした標準化やlife hackそのものが許せないとか、達成するべき心得を達成できない人間を排除するものだとか、型にはめるのが良くないんだとか、全てを達成できているような完璧な人間なんて存在し得ないんだとか、そういうことなのでしょうか。

まあ、その気持ちは理解できますし、仮に私自身も多分「達成できない」と思えますので、やめて欲しいと願わないでもありません。しかし、これはあくまで評価のポイントを羅列したものに過ぎないのだから、最終的にはオレを見てくれ、ということでいいのではないでしょうか。そのように考えることさえも、苦痛を強いられるというのでしょうか。勿論、こんな当てにはならないlife hackを信じる必要もないし、もっと「市場全体の環境」さえ良くできるなら個別銘柄の心配などする必要がない、ということあるでしょう。

そうであっても、インデックス(=若年層の大きな集団)を買うわけではないので、採用側は個別銘柄を購入(=個々の若者を見て採用)せねばならないのですから、ハックを利用してみたいというのを止めさせるのも大きなお世話でしょう。インデックスが上昇する市場環境が整っていたとしても、誰も値下がり株を掴みたくはないわけですから。値上がりしていく成長株をどうにかして見つけ出したい、これだけを選びたいと採用側は願っているわけですから。

株式市場においても、基本的な部分では規制というものがあるわけです。全くの野放図でよい、ということにはなっていませんね。どんな企業の株でも上場できるわけではありません。少なくとも、「上場基準」は達成されていないと、上場できないのです。この上場基準とは、全て理論的に決定できるものなのでしょうか?ルールとして存在しているだけなのであれば、各ファンダメンタルズの指標が一定以上に到達している、という意味しか持っていないのではないかと思えます。

行政や財界が色々と言っているのは、「上場基準が十分達成されていないんじゃないか」とか、「上場基準が甘くなってきているんじゃないだろうか」といったことなんだろうと思うのですよ。別に「若者はみんなロクでもないので、お仕置きよ!」ということを言っているのではない、と思うのです。上場基準に達しない銘柄(個人)が多いようであるなら、もっとたくさんの銘柄で到達するように教育施策を考えた方がいい、と言っているのだろう思います。銘柄を各種指標(学力、ナントカ能力、ホニャララ能力、…)に沿って評価してみると、少なくない銘柄において「落ちている部分がある」と考えた、ということだろうと思います。

企業においても、売上高の増加率が倍々で増えてる会社もあれば、着実かもしれないが数%程度でしか増加していない会社もあるだろうし、借入金比率が高い会社と借入ゼロの会社とかがあります。そういう違いというものはごく普通にあるし、指標だけで見れば優劣がついてしまうのはしょうがないのです。でも、それが会社の評価の全てではないし、長い年月の中で予想以上に成長していく会社も出てくるし、それは完全に判るわけではないのです。誰にも判らないからこそ、何かの役立ちそうな指標を見てみましょう、とか、みんなの知恵を活かして有効な「life hack」を教えて欲しい、とか、その程度でしかできないのですから。



そういうわけで、人間力とか基礎力とかが「大きなお世話なんだよ!余計なことだ」とか、そんなに批判されるべきものとも思っていないです。何かの指標とか上場基準とかそういったものを絶対に利用しない、と宣言するような人々なのであれば、全てに反対することも理解できます。教育分野について行政が介入するべきではない、ということであれば、教育施策については放任主義的というか、行政の役割を縮小していくような仕組みを整えることを提案すべきでしょう。まずは、教育・労働関連行政に存在する無駄な官僚組織とそれに付随する寄生組織の抹消を推進していくことが第一歩かと思います。



人間力とlife hack ~その1

2007年08月04日 17時02分44秒 | 教育問題
最近の流行りものに便乗して、書いてみたいと思います(笑)。乗り切れていないことは確実ですけれども。そこら辺は、既に十分ご理解されていると思いますが、改めてお断りしておきます。


1)就職戦線の異変?

今年の就職戦線はチョー「売り手市場」と言われているらしい。

京都新聞|経済フォローアップ

(一部引用)

来春の入社を目指す大学生の就職戦線が昨年以上に早まっている。大量退職時代を迎え、大手企業の採用意欲はおう盛で学生の「売り手市場」の傾向はさらに強まり、4月上旬の内定が続出している。その一方で企業の「厳選多数採用」の傾向は今年も続き、内定が集中する学生と内定がなかなかとれない学生の二極化がさらに進みそうだ。
立命館大理工学部4年の徳永亮太郎さん(21)は、4月上旬に2社の内定をもらった。最終面接段階も何社かあり、「就職難を感じなかった。すんなりといきすぎて驚いている」と話す。

(中略)

学生にとっては願ってもない売り手市場だが、企業にとっては悩ましい。地元企業は今年の傾向を「昨年よりもさらに売り手市場。学生に余裕があり、志望度の高い企業を集中的に研究している」(オムロン)と分析。激しさを増す人材獲得合戦に「すでに他社の内定を持って面接に来る学生が多く、入社の意思確認が重要」(京都銀行)という。また「学生が大手ばかり目指して来てくれない。就職氷河期の方が優秀な学生を採用できた」(京都市内の中小企業)との声もあり、新卒確保に積極的に取り組む企業も出てきた。

(中略)

だが、これだけの売り手市場でも「企業は採用条件のハードルは下げず、バブル期のような数合わせの採用はしていない」(京都産業大進路センター)。優秀な学生に内定が集中し、内定がとれない学生は夏を過ぎても就職活動に取り組む長期化現象が今年は一層進みそうだ。




この記事を信じるならば、すんなり複数からの内定をもらっている人は少なくないようですね。一方では、企業が採用条件のハードルを下げないということから、内定に至らない学生はいつまでも残ってしまう、ということが見られそうということです。

一部には「バブル気分」などと揶揄される売り手市場を満喫する学生たちがいるのかもしれません。就職氷河期とか言われていた「陥溺の世代」との落差はかなり大きいですね。

こんなの許せないって感じがコレ>はてなブックマーク - 覆面座談会業界別 一流女子大生の就活事情 月刊チャージャー - Yahoo JAPAN PR企画

これはちょっと話の中身に問題があるのかもしれませんが、現実と大きく外れているとも言えないかもしれませんね。

こんな話も実際あるようですから>2007年問題が引き起こした“超・売り手市場” SMBCコンサルティング


何社も内定を貰っている学生というのは、採用側からの「人気が高い」=「価格上昇」、ということになってしまうのはしょうがないわけです。株も同じで、人気銘柄というのは価格が上昇してしまうものなのです。逆に不人気銘柄であると価格は下がるわけですから、いかに本人が「自分の価格はもっと高いはずだ」と思っていても、誰も買ってくれなければ値段が下がってしまうのはやむを得ないのです。若者に何か知恵を付けるとか、就職テクニックなどでどうにかすると、値段が下がらないようになるのかというと、これは中々難しいのかも。

企業であれば、元々のファンダメンタルズが悪ければ評価が下がることは多いでしょうし、株価も下がることになるでしょう。採用される側(若者)にしても、ファンダメンタルズが良くなるようにするしかないように思えます。もっとも、株価であると市場環境というのが重要で、どんなに優良企業であっても市場が全体的に落ち込んでいる時には、価格が下がってしまうのを中々回避できないでしょうからね。02~03年頃のような日本市場の状況ということです。それと同じで、就職事情も個々の若者云々の問題ではなく、市場全体を落ち込まないように(=政府の経済運営)していくことは大事ですね。


2)個人の「ファンダメンタルズ」とは?

ところで、このファンダメンタルズというのは一体何なのか?
学力とか、特定のスキルとか、競争力とか、要領の良さとか、コミュニケーション能力とか、見映えとか、そういう色々なものなのかもしれません。この指標というものは未だ決まっていないかもしれず、多くは経験的に判断されるものとして捉えられているように思えます。これらの指標などから、おおよその選別は行われているでありましょうが、個々の若者が正確に評価されるということは難しいでしょう。そんな理論は未だに判っていないからでしょう。

企業の場合にも、ファンダメンタルズを重視して評価するのは当たり前ですが、各種指標が株価決定の確定的要素になるとも限らず、業績が良くても不人気の企業では株価は低いでしょう。逆に「こんな業績で何故?」と思えるような企業であっても(将来の)期待込みとか、キャラクター(主に経営者の?)的に好かれるとか、ブランド価値とか、連結対象の恩恵(人間であれば人的ネットワークとか?)などによって、実際のファンダメンタルズから乖離して高い株価となっている企業も多数存在するのです。

つまりは、株を買うのも、新人を採用するのも、人間が判断して決めるという仕組みになっているのであり、更に言えば「人気がある」というところに行き着くのではないかと思えます。人気を左右する要因には、様々なものがあると思いますが、企業利益とか試験結果のような数値的に判断できるものもあれば、あくまで感覚的なものでしかない将来期待やキャラクターやネットワーク価値などがあります。数字で計れない部分というものがいくらでも混入してくるので、株価にも偏りが生じますし、採用側判断にも同じように偏りがあるのは回避し難いのではないかと思えます。


3)個人のファンダメンタルズを見るのは「life hack」的なもの

企業業績とか株価の判断の材料としては、これまでに多くの指標が挙げられています。例えば増益率だの、PERだの、ROAだの、益回りだの、多数あります。通常はこれら全ての指標で完璧な企業というのはないので、どれかに重きを置いて比較検討してどの企業の株を買うのか決めますよね。新人採用の場合にしても、学力、コミュニケーション能力、語学力、コンピュータ能力、等々、指標を組み合わせて判断するものと思います。こうした指標の組み合わせパターンというのは、どれがいいのかということは、誰にも正確に判らないわけです。

それは株価の評価をする時に、最適解の決定版が存在しないのと同じです。多くの人事担当者たちは、標準的な指標の組み合わせパターンと経験則との複合で対処するしか方法がない、ということです。どのような指標パターンが良いか或いは大事か、ということをそれぞれの企業で考えてみるものの、みんなも正解を知らない(正解があるのかどうかも判らない)ので、大体良さそうな所のマネをしたりするしかなく、そうすると、今のようにコミュニケーション能力も大事だよね、ということになるのだろうと思います。

こうした重視するべき指標とか、組み合わせる指標パターンといったものは、確実な理論というよりも「みんなの知恵を使おうね」という経験則的なものにならざるを得ず、流行りの「life hack」ということに近いのだろうな、ということです。「~を上手に使う5つの法則」とか「~を見つけ出すのに役立つ8つの法則」とか「~をやる前に知っておくべき10のこと」とか、これに類するのが新人採用の時の評価法ではないでしょうか。