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「最後の授業」とハイド博士

2007年08月15日 19時14分47秒 | 社会全般
田中先生経由で発見。

WIRED VISION 小田中直樹の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」 第3回 気分はもう戦争・そのIII

答えを考えるのは結構難しいな。ヒントが最後の授業、って物語しか思い浮かばないけど。ま、これはとりあえず後回し。

読んでいて思ったことを。
特徴的な部分としては、「かくして」という用語が非常に多いかな(笑)。【2】の部分の僅か800字程度の中に、4回も「かくして」が登場する。どんだけ~
またも用法が違うか?
これは冗談ですけど、第1回登場の「出羽守」というのと合わせて考えてみたい。「出羽守」というのは、何かというと『~では』と表現する人のことを指すらしい。あの丸山眞男がチャンピオンだそうだ。なるほど。でも、あまりヒネリは効いてないかな、とも思った。「出羽守」って読んだまんまですからね(笑)。因みに、私が以前に書いた例としては、こんなのがあった。

・薩摩守>ニート対策禁止法(爆)
これは「薩摩守忠度」から、「タダ乗り=キセル」の隠語的用法である。

・笵増>早口言葉?(追加あり)
笵増は「亜父」と呼ばれたことから、読んだ通りに「アホ」である。

いずれも、直接表現しないのがいい感じ(笑)だと思うのだが、「出羽守」だと『でわ』がそのまんまなので面白味がやや失われているかもな、と。別にいいんですけどね。それよりも、「かくして」を頻用することから、「出羽守」に該当する名称を勝手に考えてみた。
「かくして王子」とか「かくして坊や」というのも変だし、「~守」というのも適当なのが思いつかなかった。そこで、「かくして=隠して」というところから、hide→ハイドというが思い浮かんだので、これにした。
名前であれば、hideではなくてhydeでしょうけど、音は同じなのでいいかな、と。普通は「ハイド」と聞けば、「ジキルとハイド」を思い浮かべるだろう。決して、ミュージシャンとかではないだろう(笑)。しかも、ジキル博士はドクターだが、ハイドはドクターではないですよ。でも判る人には判るかな。ということで、「かくして~」という場合には、ハイド博士と呼ぼう!
(これは決して批判とか、バカにしているとかではないですよ、念の為。言葉遊びというか、ほんのシャレですから)


さて本題に戻ろう。出された宿題というのが、何故「国防=権利」?ということなのですが、全く見当もつきません。判るのはヒントの「最後の授業」だけですね。これは昔―小学生くらいだったと思うが―教科書に出ていたお話で、読んだ記憶がある。でも、あまり良い話ではなかったような印象。プロシアだったかプロイセンだったかがどうのとか、占領がどうのという話だ。教科書の脚注に、「プロシア」(それとも「プロイセン」だったか?)は、「今のドイツのこと」とか書いてあったような気がする。「おめーら、ドイツ語喋れ」とか強制されちゃって、もう言葉が使えなくなるんだ、だから云々というものだった。

参考になるのはこちら>アルザス地域圏 - Wikipedia


話の舞台となったアルザス地方って、何度もフランスとドイツを行ったり来たりさせられていたんですね。昔習ったアルザス・ロレーヌ地方というのは、石炭・鉄関係の重要地域でしたしね。取り合いになりやすい地域だったのでしょう。で、元々文化圏としては、ドイツっぽい、ということで、言語的にもドイツ方言みたいなもんだ、と。アレレ?「最後の授業」では、「おめーら、ドイツ語喋れ」と強制されてしまうんだ、国語の授業はこれでおしまいなんだ、みたいなことを言ってたのに、元々ドイツっぽいんじゃないか。そりゃそうか。地域的には神聖ローマ帝国とかだし。要するに、アルザスの人々がドイツ的文化圏であるにも関わらず、「俺たちゃ、フランス人(国民)だぜ」と言えばそうなるんだな、ということかな。でも、普仏戦争でドイツに取られてしまうということになり、「最後の授業」の筋書きが誕生することになった。

ところで、フランス軍隊は自由、博愛、平等を実践している面があって、徴兵制の特典としては「成り上がり可能」ということだったろうと思う。割と実力主義的であったらしい。なので、ナポレオンのように下っ端から昇りつめるような人物も現れた。となると、徴兵に関して「俺はフランス国民だから、是非参加させてくれ」という権利を主張できると、下層の人間であっても軍隊内で実力を発揮し成り上がっていくことが可能になる、ということだ。成り上がる為には、まず軍隊に入るというスタート地点に立たねばならない。それにはフランス国民であることが必要で、国民軍メンバーになれることが条件ということである。アルザス地方のように、ドイツに取られてしまえば徴兵制には参加できなくなってしまう、ということかな?

やや話が外れるが、成り上がり可能というのは、戦国時代の下克上オッケーなのと近いかも。実際、秀吉のように農民から這い上がって成功できた人間がいたことと共通性があるように思う。戦争(戦闘)という特殊なプロジェクトを遂行するということには、能力主義的な組織運営や人事制度を採用させる何かがあるのかもしれない。明治維新の頃にも、成り上がりがかなり多く登場しただろう。そういう時代の大変革期を求めたくなる、というのが、閉塞感を打ち破れない今の若者世代に存在しているということなのかもしれない。つまりは「ナポレオンや秀吉のように成り上がりたい」という希望がある、ということなのだろうか。この辺はよく判らない。


あちこちに飛んでしまったが、要するに、「徴兵の権利」を与えられれば成り上がれるというチャンスを与えられることになり、機会の平等のような基本原則に(普通の社会制度・社会生活よりも)近づく、ということかな。徴兵を受けることのできる権利とは、フランス人であること、すなわち「フランス国民であること」が条件であり、(「最後の授業」に出てきた)アルザス地方のように元々「ドイツっぽい(殆どドイツ?)じゃねーか」という地域であっても「俺たちゃフランス国民だ」って意志を持って、国家に属していることが必要だということかな。

うーむむ、どうなんでしょうか。

次回記事で小田中先生の答えを確認してみたいと思います。
TBはどうかな、届かないことが多いので。