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古い法律の話~一番古い法律って何?

2007年10月03日 22時17分33秒 | 法関係
タイトル通り、日本の法律の中で一番古い法律とは何か?というのが発端です。気になって調べましたよ。
法令データ提供システムで。すると、このデータベース上で記録されている中で、明治20年までに制定されたものが11ありました。これを取り上げていくことにします。今回はその第1回ということで(笑、シリーズかよ!)。


これを調べていく過程で判ったことを、書いておきます。
皆様ご存知のように、明治時代に制定された大日本国憲法は1889(明治22)年2月11日公布です。ですので、それより前と後では法律の体系というのがちょっと異なっているようなのです。それでも現代まで残されている法律があるというのは、面白いと思いませんか?

この憲法制定前からあった法令には、太政官布告とか太政官達といったものがあったようです。ですが、その後に勅令が出されて法令の形式は変更されていったのです。勅令第1号は「公文式」というものです。

公文式 勅令 - Wikipedia


ここからは、この勅令以前の法令のお話です。
一番古かったのは「改暦ノ布告」というものでした。

○明治五年太政官布告第三百三十七号(改暦ノ布告)
(明治五年十一月九日太政官布告第三百三十七号)

今般改暦ノ儀別紙 詔書ノ通被 仰出候条此旨相達候事
(別紙)
詔書写
朕惟フニ我邦通行ノ暦タル太陰ノ朔望ヲ以テ月ヲ立テ太陽ノ躔度ニ合ス故ニ二三年間必ス閏月ヲ置カサルヲ得ス置閏ノ前後時ニ季候ノ早晩アリ終ニ推歩ノ差ヲ生スルニ至ル殊ニ中下段ニ掲ル所ノ如キハ率子妄誕無稽ニ属シ人知ノ開達ヲ妨ルモノ少シトセス盖シ太陽暦ハ太陽ノ躔度ニ従テ月ヲ立ツ日子多少ノ異アリト雖モ季候早晩ノ変ナク四歳毎ニ一日ノ閏ヲ置キ七千年ノ後僅ニ一日ノ差ヲ生スルニ過キス之ヲ太陰暦ニ比スレハ最モ精密ニシテ其便不便モ固リ論ヲ俟タサルナリ依テ自今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之ヲ遵行セシメン百官有司其レ斯旨ヲ体セヨ
  明治五年壬申十一月九日
(以下略)

この法令で1年が365日って書いてありました。太陽暦採用を決めたというものですが、詔書の写しという形式なんですね。1873年ですから、今から134年前の話です。11月9日はこよみの日とかカレンダーの記念日かと思うでしょ?違うんですよ。この年の12月3日を明治6年1月1日と決めた為、12月3日がカレンダーの日だそうです(カレンダーの歴史 - 全国団扇扇子カレンダー協議会(全協)による。そんな団体があったのかー!)。おもしろー

でも、この太政官布告が現時点の最古の法律かどうかは不明です。効力が失われている可能性は否定も肯定もされていないようです。でも、他の裁判所休日法とか国民の祝日を決める法律なんかで何か触れられているかもしれませんが、定かではありません。手続関係の期日とか、時効成立の期日とか、そういうのが全部関連しそうなので、一応、1年365日で月とか1日の時間とかは、この太政官布告に準拠しているものと考えられているのかもしれませんね。だって、こよみが違えば、月日の数え方とか、期限とか変わっちゃうもんね。


これの次に古いのが、これ。

○明治六年太政官布告第六十五号(絞罪器械図式)
(明治六年二月二十日太政官布告第六十五号)

絞罪器械別紙図式ノ通改正相成候間各地方ニ於テ右図式ニ従ヒ製造可致事
絞架全図 実物 六十分ノ一
本図死囚二人ヲ絞ス可キ装構ナリト雖モ其三人以上ノ処刑ニ用ルモ亦之ニ模倣シテ作リ渋墨ヲ以テ全ク塗ル可シ
凡絞刑ヲ行フニハ先ツ両手ヲ背ニ縛シ紙ニテ面ヲ掩ヒ引テ絞架ニ登セ踏板上ニ立シメ次ニ両足ヲ縛シ次ニ絞縄ヲ首領ニ施シ其咽喉ニ当ラシメ縄ヲ穿ツトコロノ鉄鐶ヲ頂後ニ及ホシ之ヲ緊縮ス次ニ機車ノ柄ヲ挽ケハ踏板忽チ開落シテ囚身地ヲ離ル凡一尺空ニ懸ル凡二分時死相ヲ験シテ解下ス(凡絞刑云々以下ハ原文絞架図面ノ後ニアリ)
 踏板表面図 実物三十分ノ一
 図(略)
 機車 実物三十分ノ一
 図(略)
 機車属鉄板図 実物三十分ノ一
 図(略)
 踏板裏面図 実物三十分ノ一
 図(略)
 機車装置図 実物三十分ノ一
 図(略)
 絞縄鐶図 実物十分ノ一
 図(略)
 鉄板架図 実物十分ノ一
 図(略)
 螺旋図 実物十分ノ一
 図(略)
 絞縄略図 縄長二丈五尺
 図(略)

絞首台の設計見取り図みたいなものかと思います。ちょ、ちょっと、コワイです…。
螺旋図とか絞縄略図とかいかにも、って感じで、縄長二丈五尺 も妙にリアルです。この太政官布告は、恐らく過去の裁判例で取り上げられたことがあるらしく、死刑が違憲とか何とかという話なのかな、と思ったりしますが、調べてないので判りません。でも、一説によれば、この法令は有効ということのようです。

古い法令の双璧ですね。


他には、時代が進んで明治32年にできた失火責任法という法律がありますが、これはとても短い法律として知られているようです。

○明治三十二年法律第四十号(失火ノ責任ニ関スル法律)
(明治三十二年三月八日法律第四十号)

民法第七百九条 ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス

これはよく出てくる民法709条の不法行為の損害賠償に関する条文において、重過失でなければ火事の賠償責任を問われないとするものです。条文の長さは50文字しかありません。多分、公文式以後での最も短い法律条文なのではないでしょうか。

でも、先の11ある古い法令には、もっと短いものが存在しています。それはコレです。

○明治十六年太政官達第二十七号(官報の発行)
(明治十六年六月二十日太政官達第二十七号)

官報本年七月一日ヨリ発行候条此旨相達候事

何と20文字しかありません。官報誕生は1883(明治16)年7月1日ということで、この日が「官報の日」と定められましたというのはウソですが、第○条みたいな条文になっていない数少ない法令ということになりますでしょうか。他にもあるかもしれませんが、この2つしか判りませんでしたので、もしあれば情報をお寄せ下さい(これは本気)。テロ特措法の正式名称の文字数から比べると、極めてコンパクトな条文ですよね(笑)。


とりあえず初回はここまで、ということで。




教科書検定問題について思うこと

2007年10月03日 15時01分23秒 | 社会全般
私には詳しく判らないことが多い話題で、沖縄のこと(一度も行ったことがないです)や沖縄の人々のこともよく知りません。それでも、思うところについて書いておこうと思います。

教科書検定問題、「政治介入」政府迷走 太田氏発言に町村氏困惑(産経新聞) - Yahooニュース


何故こうした政治問題化してしまうのか、これによって何が得られるのか、私にはよく判りません。このような闘いを経て勝利したら、みんながハッピーになれるのでしょうか。勝った方が正しかったということになるのでしょうか。

真実がどうであったのか、ということは、後日になっても完璧に明らかにすることは難しいと思います。それは当事者本人であってさえも、知らないことが多すぎるからです。そうではあっても、何かの事件の裁判のように、残された証拠や証言から「どうであったか」ということを後から構成していくことくらいしかできないと思います。そうした全体像というものを正確に知ることができるのは神(いるか判りませんが)のみであり、後から再現することも全てを認識することも普通の人間にはできないでありましょう(参考:歴史とは、誰かの物語だよね)。


戦争というものは、ある種の狂気のようなものなのだろうと私は考えています。そうした狂気がなければ、そう簡単には人を殺せないように思えるからです。自分の恐怖や何かの激痛を隠蔽しておく為の、狂気がなければならないだろうと思うからです。そこでは、むき出しの本能とか、生と死の懼れとか、それらを飛び越えた何かがあるかもしれない、と思ったりします(うまく表現できませんが)。少年の無垢・純潔さが逆に働いてしまう(従順で忠実な兵士にはうってつけになってしまう?)のかもしれないし、家族愛の倒錯のような愛という感情かもしれないし、集団心理のようなものかもしれないし、そういうことは誰にもよく判らないのではないかな、と思うのです。

しかし、一つ言えることは全員にとっての悲劇であり、戦争というものが肯定されてよい、ということには繋がり得ない、ということです。何かが起こった当時には、時代の流れとかそれこそ運命とか、後から思えばそういう流れに全員が巻き込まれていっただけで、それを当事者になり得ない人間たちが「正しく評価する」ということなど難しいのです。過去にこういうことが起こった、あった、ということを知ることと、そのことが「酷い、残酷だ、可哀想」などと感情的評価を加えることとは多分別だろう、ということです。それぞれの物語を読んだり、知ったりすることで、各個人がどの様に感じ考えるかということは、読んだ人たちの心の中に芽生えるものであって、それを等しく他人にも「同じ感想・感情を抱け」と強要することなどできないのではないでしょうか。そういうことを統一的にしようとするからこそ、紛糾してしまうだけであり、賛成派・反対派のいずれにも歩み寄りも共感も失せてしまうのではないかな、と思います。自分以外の物語の感想を知ったならば、「そういう感想もあるのか」とか、「自分はそこまで読み込んでいなかったな」とか、理解を拒否しない立場があればそれでいいのではないのかなと思うのです。それは同じく考えろとか、同じ感想を持てとか、そういうことを強要するものではない、ということです。


今起こっている紛糾は、数多くある物語を政治とか何かのイデオロギーに「利用しようとする」人々が活動するがゆえなのではないかと思えます。教科書の記述というのは、そういうものからは離れたところにあるのが望ましいのではないかと思います。もしも、二分論的に書けないことが多くの歴史家たちに理解されているのであれば、書けるところまでの記述に留めておき、もっと深く知る時の為の参考文献として代表的な著作を挙げておくとかはできるのではないかと思います。中学生や高校生が読めるくらいのものが望ましく、専門的な歴史学の大部みたいなものは難しいかもしれませんね。私のような歴史認識の甘い(笑)人間の言うことなので当てにはなりませんが、青少年の時期に一度読んでおくといいよ、みたいなものがいいのではないかな、と思います(例えば、スゴ本の人とかに尋ねると、サクッと数冊教えてもらえたりするんじゃないでしょうか…)。殊更に、日本軍の残虐性や人間の悪魔的一面みたいなものを強調して教え込む必要などないのではないかな、と思います。子ども向けの本で、世の中で起こっている残虐な殺人事件や強姦事件の「真実」を克明に伝え、こんなのが世の中の正体なんだよ、みたいな「歴史的真実」を教えることが本当に教育上必要なのでしょうか?ということです。


随分前に教科書検定の話がネット上で話題になった時、知らないことがたくさんあるのだな、と思ったので、その時読ませて頂いた記事を挙げておきたいと思います。私は、現代に生まれて良かったな、と改めて感じましたし、「希望は戦争」などという言葉を安易に用いるような連中には、言説の中身如何に関わらず、その言い草故に同意を示すことなど絶対にできないのです。


小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 2007-03-31

小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 - 2007-04-02