既に書いてきましたので、結論だけ。
それは…「貧乏バイアス」(仮称)のせいです!
解答は60秒後!
じゃなく、ココ>昔は「庶民の感覚」重視だったのか?
何かの指数が実感と整合的である必要性というのは、可能ならばやってもいいけど、あんまり意味がない。人間の感覚には、正確性に欠けることが少なくないのであって、それは脳の機能によるとか、何かの生理学的現象に起因しているのであれば、回避できにくいからだ。
それは錯視みたいなものであって、見たまんま(=実感)を優先するのか、元々の図柄を優先するのか、ということ。
長さが、「測定(実測)値で10センチ」で全く同じ直線AとBを、錯視によって「うーん、ボクはAが9センチ、Bが11センチだと思う(のように見える)」「そうだな、オイラは…」以下無数(ほんとは無数じゃないけど)の人たちの意見をいくら聞いてもあんまり役立たない。「これって、錯視じゃん」と見切って「両方とも10センチ」とか気を利かせてくれる人も稀にはいるかもしれんな。
まあ、いいんだけど、実感とズレがある、ということは昔からであり、下がっている時も上がっている時も、やっぱり「大変だ!モノの値段が上がっている!庶民を苦しめる物価高!!(=経済はやっぱり悪だ、資本主義は悪魔的だ)」ということになってしまい、キリが無い。なので、景気ウォッチャー指数が別に立てられていて、こちらにはそれなりの意味があろうというものだ。こういう風に、「実感」を扱う独立した指数を、「時系列」でそのトレンドを見ていくことには意味があると思うけど。
そもそも、実感と実測値の物価指数を比較する意味って何?って話。
比較でき難いものを比較しようとすれば、そりゃ無理だなってことになるだけ。「アタシと仕事のどっちが大事なの?」問題みたいなもの(?、ウソ)。
「あなたの両親とアタシのどっちを愛しているの?」問題でもいいけど。
特に比較する必要もないし、比較してもしょうがないのでは。
それは…「貧乏バイアス」(仮称)のせいです!
解答は60秒後!
じゃなく、ココ>昔は「庶民の感覚」重視だったのか?
何かの指数が実感と整合的である必要性というのは、可能ならばやってもいいけど、あんまり意味がない。人間の感覚には、正確性に欠けることが少なくないのであって、それは脳の機能によるとか、何かの生理学的現象に起因しているのであれば、回避できにくいからだ。
それは錯視みたいなものであって、見たまんま(=実感)を優先するのか、元々の図柄を優先するのか、ということ。
長さが、「測定(実測)値で10センチ」で全く同じ直線AとBを、錯視によって「うーん、ボクはAが9センチ、Bが11センチだと思う(のように見える)」「そうだな、オイラは…」以下無数(ほんとは無数じゃないけど)の人たちの意見をいくら聞いてもあんまり役立たない。「これって、錯視じゃん」と見切って「両方とも10センチ」とか気を利かせてくれる人も稀にはいるかもしれんな。
まあ、いいんだけど、実感とズレがある、ということは昔からであり、下がっている時も上がっている時も、やっぱり「大変だ!モノの値段が上がっている!庶民を苦しめる物価高!!(=経済はやっぱり悪だ、資本主義は悪魔的だ)」ということになってしまい、キリが無い。なので、景気ウォッチャー指数が別に立てられていて、こちらにはそれなりの意味があろうというものだ。こういう風に、「実感」を扱う独立した指数を、「時系列」でそのトレンドを見ていくことには意味があると思うけど。
そもそも、実感と実測値の物価指数を比較する意味って何?って話。
比較でき難いものを比較しようとすれば、そりゃ無理だなってことになるだけ。「アタシと仕事のどっちが大事なの?」問題みたいなもの(?、ウソ)。
「あなたの両親とアタシのどっちを愛しているの?」問題でもいいけど。
特に比較する必要もないし、比較してもしょうがないのでは。