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古い法律の話~欠番?のある法律

2007年10月04日 12時41分48秒 | 法関係
シリーズの2回目です(笑)。前回は明治5年と6年のほぼ最古と見られる太政官布告でしたが、今回は明治8年のものです。
この年の太政官布告・達は現存するのが3つあり、「勲章制定ノ件」(布告)というのは、今も用いられている勲章の階級が定められています。他には、「不用物品等払下ノトキ其管庁所属ノ官吏入札禁止ノ件」(達)というものがあり、これは払い下げの入札には官吏やその代理人が参加してはなりません、ということを定めた太政官達でした。

最後の一つですけれども、それはこれでした。

○明治八年太政官布告第百三号(裁判事務心得) 抄
(明治八年六月八日太政官布告第百三号)

今般裁判事務心得左ノ通相定候条此旨布告候事
第三条  一民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ
第四条  一裁判官ノ裁判シタル言渡ヲ以テ将来ニ例行スル一般ノ定規トスルコトヲ得ス
第五条  一頒布セル布告布達ヲ除クノ外諸官省随時事ニ就テノ指令ハ将来裁判所ノ準拠スヘキ一般ノ定規トスルコトヲ得ス


何と、第三条から始まってしまっています。恐らく、2度の憲法制定によって、この前の条文が無効(?)となってしまい、消されたものではないかと思いますが、定かではありません。でも、第1条がないのに、続きの条文がある、というのは何となく面白いですね。条文というのは、削除ということの修正は行われても、欠番部分に繰り上がりみたいなことは起こらない、という決まりみたなもの(不文律?慣習?)があるのかもしれません。つまり、条文というのは、常に「永久欠番」制となっている、ということですね。大変律儀でございます。


で、裁判事務心得をもう少し詳しく見ていきましょう。

第三条
一民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ

私の理解の範囲で平たく書くと、一民事の裁判では、
・成文法となっている(法律の条文にきちんと書いてある)ものがない時は習慣に依るべき
・習慣も定まっていない時は条理を推考せよ
ということかと。つまりは、重要度順位をいうと、法(条文)、習慣、条理、ということでしょうか。条理というのは、道理みたいなものですので、決まっていない事柄を裁判するには大岡越前みたいなことも必要とされる(笑)、ということでしょうか。でも、これはあくまで民事裁判についてのものです。慣習法的な発想も場合によっては必要だね、ということを言ったものかな、と。推考せよ、と言われているのですから、条文になく過去の例もないようなものは「裁判官の持っている条理」に左右されてしまう、ということになりますね。


次に行きましょう。

第四条  
一裁判官ノ裁判シタル言渡ヲ以テ将来ニ例行スル一般ノ定規トスルコトヲ得ス

一裁判官が裁判を行った判決というのは、将来に渡って一般的に適用することのできる規範とか原則にはなりませんよ、ということではないかな、と。ある裁判例と同じようなことがあっても、必ずしも過去の判決を定規とすることはできません、ということです。このことにはいくつかの意味が含まれているかな、と思いました。
一つは、裁判官だって間違うかもしれない、ということです。ゆえに、一裁判官の判決だけをもってこれを手本にしてはいけない、他の裁判官も自分で考えておけ、ということなんだろうな、と。二つ目は、何でも「杓子定規」に判断するな、ということではないでしょうか。それは先例があって判決が出ているとしても事件としては違いがあるやもしれず、時の社会環境や社会的慣習なんかも異なっているかもしれない、だから、将来に渡っての定規ともなり得ない、という戒めを言ったものではないかな、と。三つ目は、一裁判官が出した判決だけをもって、これを一般原則として社会に強制されることがあってはいけない、似たような事例においての一般原則として作用してはならない、ということを言ったものではないかと思います。

このことは、以前に少し書いた記事(「司法の品質管理を問う~2」のシリーズあたり)が関係しているかもしれません。


最後です。

第五条  
一頒布セル布告布達ヲ除クノ外諸官省随時事ニ就テノ指令ハ将来裁判所ノ準拠スヘキ一般ノ定規トスルコトヲ得ス

頒布された太政官布告や布達を除いて、諸官庁が随時出している色々な指令・命令というのは、将来に渡って裁判所が準拠するべき一般原則・規範とはなりません、ということでしょうか。これはちょっと問題になりそうな条文ですね。それは官庁が出した通知・通達というのがこの「随時事ニ就テノ指令」に該当するとも考えられ、すると、これら「法令範囲外」にある指令には、法的拘束力のようなものが発生し得ない、ということになるかと思います。時々出てくる通知の内容を根拠とする違法性の判断などは、本来的には「裁判においては準拠するべきではない」と考えられなくもありません。

やや話が離れますが、「頒布セル布告布達」というものが今で言うところの法令であって、通知・通達だとかガイドラインとかを法源とするのは本来的にオカシイのではないかと思えます。例の内診行為問題についてですが、「違法性を認定する根拠」となしているのが厚労省通知というのは問題であろうと思います。



ところで、これら太政官布告は現在も有効な法である、というような結論はどこかで出されたことがあるのでしょうか?もし、結論がないならば、それが問題とされたりはしなかったのでしょうか?勲章をどうするか困ってしまうとか、カレンダーも困るとか、それもヘンだし。でも、「一応有効なんじゃね?」とみんなは信じ込んでいるだけで、それが確認されたことがないとなれば、「大丈夫か?」とか不安に思ったりもします。こういうのは、どうやって廃止とか無効とか有効とか決するのか、全く知りません。基本的には、廃止届け(廃止の為の法律?)が出されない限り、生きている・有効ということなのかもしれませんけど。
そう考えると、社会保険庁のコンピュータがレガシーシステムであったという話も、何故そうなってしまうのか、というのが何となく判らないでもありませんね。それはお役所的発想の賜物だからですよね。法は廃止されない限り生かしておかねばならない、その上に色々と法案を継ぎ足していかねばならない、みたいなもんですからね。積み木とか木組み模型みたいなものがあって、不要な部分は引っこ抜き、後から後から新たな部品の木を継ぎ足していく、というのがお役所の「法の世界」的発想なんだろうな、と。キレイなビルを建てようと思えば、老朽化したビルを一度ぶっ壊して、新たに作り上げた方が早いし快適だし美しいだろうけど、それができないのですよね。それは法制度がそのようになっているから、ということなんでしょう。