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社会保障制度改革再論~序

2007年10月29日 21時41分17秒 | 社会保障問題
主に年金制度の問題から始まった社会保障に関する議論ですけれども、諮問会議や民主党のご意見が出されてきましたし、消費税率などの税制に関する問題も含まれますので、もう一度書いておきたいと思います。これまでの主張については、「社会保障問題」のカテゴリーに入っています。


1)将来見通しを明確にすること

特に大きな問題になっているのがはっきりとは判らない、目には見えない、漠然とした将来に対する不安だと考えています。そこに拍車をかけているのが、杜撰な社保庁の管理や宙に浮いた年金問題などです。国民からの公的年金に対する信頼性は失われたでしょう。更に言うと、人口構成の問題というのがあります。少子高齢化の流れは今のところ継続しており、これが急速に改善するというのは期待できません。

参考記事:<a title="いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」 所得代替率という「ゴマカシ」" href="http://blog.goo.ne.jp/critic11110/e/a6091ff5451044eba8d911f5e3232025" target="_blank">所得代替率という「ゴマカシ」

2000年に生まれた子どもたちは既に小学生になっていますが、この方々の恐らく半分以上は2090年頃まで生きているのではないかと予想されます。平均余命で見るべきなので正確ではありませんが、平均寿命は僅かながらも延長して行くと予想され、大雑把に「男性80歳以上、女性90歳くらい」というふうになっていくでありましょう。つまり、現在の年金制度が途中で行き詰まることになれば、既に生まれている世代において「年金制度が維持できない」ということが起こりかねないのですよ。まだ生まれていない世代が困るとかの話ばかりではなく、今目の前にいる自分の子どもや孫の世代でそうなってしまったらどうしますか、ということなのです。それでいいのでしょうか?

2050年過ぎには、65歳以上の人口は約4割に達するのです。現役バリバリで働いてる中心世代が25~65歳(便宜的に現役世代と呼ぶ)として、ざっと3800万人くらいしかいなくなるのですよ。専業主婦はいなくなり全員が働いても4000万人以下、ということ。高齢世代は約3600万人いる(今で約2450万人くらい)。これで支え切れますか?って言ってるんですよ。この状態は若年人口が増加してこない限り、似たような人口比が継続していくことになるでしょう。積立金があるうちはまだいいかもしれないが、いずれ減少し枯渇するでありましょう。入ってくる保険料よりも、給付額が多いからですよ。当たり前だわね。2050年頃の現役世代は「税金」と「保険料」で高齢世代の年金・医療・介護を支え、尚且つ若年世代の教育・育児費用なども支え、自分たちの医療費も同時に支えねばならないことになるのです。これが本当に可能なのでしょうか?

仮に、年金財源問題は現行保険制度を維持したままどうにか手当てできたとして、高齢人口が2400万人時代と3600万人時代では医療費+介護費用の大きさは比べものにはならないでありましょう。この財源をどうしていけばいいのか、ということは依然として目処が立っていません。諮問会議が出してきた「増税か、サービス削減か」という選択に従い、仮にサービスをカットしていく方向にしたとして、それは何を意味するでしょうか?それは、自分のことは自分でどうにかせよ、ということなのです。介護問題についても、公的サービス給付を大幅抑制すると、補助的に民間事業者を使え、みたいなことにならざるを得ないでしょう。その費用が払えない人々は、サービスを受けられなくても我慢せよ、ということです。これはまるで今の義務(公的)教育と民間事業者の塾みたいなものですね。足りない部分は自分たちで何とかしなさい、ということです。介護と大きく異なるのは、勉強ならば本人が自分で何とか頑張ればどうにかなる面が大きい(公的教育だけでも何とかなる)のですけれども、介護は頑張りようがありません。本人の努力ではどうにもできない部分が圧倒的に大きいのです。けれど、サービスカットか、増税か、という2者択一を迫られているのです。民間事業者の餌食にさせる部分を大きくする目論見なのかもしれませんね。金を払える人たちには、快適で充実した介護サービス付き高齢者専用マンションとかに囲い込み競争になるんですよ。他は知らん、ということなんでしょう。

結局は、あらゆる社会保障サービスは「自助」で頑張れ、ということになってしまうでしょう。


2)基本的な装備を持たせようということ

これから冒険の旅に出かけようという状況だとしましょう(言ってみれば昔ながらのRPGみたいなものです)。
どんなモンスターとか危険が待ち受けているか判らないのに、全くの無防備状態、ノーガードで戦えというのは酷ではありませんか、というのがまず第一です。装備は一切なし、ということで「あとはお前ら自分で頑張れ」と言われて、放り出されてしまうのは危険じゃありませんか、ということです。

喩えて言うと、こんな感じです。
正規雇用者:ミスリル製の鎧、エクスカリバー、イージスの盾
非正規雇用者:なし

非正規雇用者は、厚生年金に入れず、労働保険も漏れていることが多く、医療保険もお金がないので払えないことが多いのですよ。特に若年層ではそうなんですよ。国民健康保険にどうにか加入しようとすると、収入が非常に低いにも関わらず厚生年金よりも多額の保険料負担を強いられるのですよ(参考記事:社会保障改革を推進せよ・3)。この格差は一生涯続いていくのです。これは余りに問題があるでしょう、ということです。なにもエクスカリバーを装備させろ、みたいに言っているのではありません。自力で冒険の旅を頑張ってもらうには、せめて最低限の装備はさせましょう、傷ついた体を休めたり体力を回復したりできるような休憩所や宿屋くらいは整備しましょう、ということを言っているのです。

なので、「装備なし」じゃなくて、少なくとも全員に装備品を調達しましょう、ということです。鎧は無理でも「布の服と麦わら帽子」とか、エクスカリバーの代わりに「6尺棒」とか、イージスの盾の代わりに「鍋の蓋」くらいは装備させてあげましょう、ってことを言っているのです。そうでなければ戦えませんよ。自力で頑張るにも限界がありますよ。こうした最低限の装備品を整えるのにかかる費用は、ベースラインとして「税で整備しましょう」というのが私の考え方です。

(中にはもっと過激な人たちがいて、「お前が装備している盾を俺によこせ」という運動をやろうとしていることもあります。その主な理由というのは「イージスの盾は努力で勝ち得たのではなく代々受け継がれてきただけだろ。お前ら、元から持ってるのはズルイんだよ。俺がぶん取ってやるぜ」みたいなものです)


3)消費税をどのように使うのか?

とりあえず現行税制を基本に考えますけれども、社会保障関係の保険料は税に振り替えられる、ということになりましょう。保険料を払う代わりに消費税で負担を広く求めることになります。現行制度においても、年金も医療も「公費負担分」というのが投入されており、保険料と税のミックスになっています。この公費負担分は「消費税なのか!所得税なのか!どっちだ」みたいに問題にはされていないでありましょう。これまでは、国民年金特別会計、厚生保険特別会計、雇用保険特別会計、労災保険特別会計、みたいに細かく区分されていたのを止めさせるということになります。お金の流れを明確にし、中間組織に貪られてきたのを改めます。保険制度的な部分を残した方がよいのであれば、その性質のうち重要部分だけは引き継ぐことを考慮してもよいかもしれませんが、基本的には税という位置づけになります。

制度が複雑なことで得するのは誰かというと、官僚組織的な中間体です。かつて商品の流れが複雑で、製造者から問屋、仲買人、小売みたいに通過すると、その分だけ最終価格に上乗せされてきたはずです。これが、製造から小売までの流れが簡素化してダイレクトに流れてくるようになると、中間でかかっていた経費は削減可能になります。現在の制度で中間体の多くは「官僚制度が生み出してきた特殊法人系の組織」ということになっているのです。年金の徴収コストで比較しても、税金に比べるとかなり無駄なコストがかかっています(3倍くらい?だったか)。未納に係る徴収コストもかなり膨大です。印刷物の大量郵送なんかも癒着の温床になってたりするかもしれませんし。これは他の医療保険や労働保険関係においても同様にコストが多くかかっていることになるでしょう。
また、被保険者からすると「制度の全貌が見え難い」ということになっており、情報が非対称となっています。なので、これまでだとお役所仕事の「良し悪し」というものが各被保険者には判断のつけようがなかった、ということです。会計が透明化すると、随分と評価が変わるのではなかろうかな、と思っています。

所得税にしろ法人税にしろ消費税にしろ、まず国庫に入るのであるから、そこから出る時には、このお金は元々何だったか、ということは使う時にはあまり関係がありませんね。もしも消費税を上げた時に約束として「原則的には社会保障費以外には使用しない」ということを明言するのであれば、それはそれで望ましいと思いますね。保険に比べて、税の方が安易に下げられるみたいな意見もありますけれども、必ずしもそうでもないでありましょう。
例えば雇用保険の料率なんて、積立金が枯渇するので上げろ上げろと役所が大騒ぎして急に上げられましたね。でも雇用能力開発機構みたいな労働保険料の貪食組織のせいで数兆円もの損失を出されたとか書かれたら、今度は失業が落ち着いたので料率を下げます、ってバカみたいな政策だったんですよね。どうみても保険制度だからとか、財務省よりも信頼できるとか、そういうことはないね。どっちもどっちかもしれないけれど。財務省と厚労省のどっちが信頼できるか?という選択は、究極の選択ってやつですかい?(笑)
ま、個人的には、どちらかというと財務省ではないかな?とは思いますけど。でもね、許せない面はかなりある。

高額所得者は年金をもらえないのに消費税だけ払うのか、みたいな意見というのは全く反対理由になっていないので、無視できるものでしょう。言い換えると、高額納税者たちにしてみれば、それは全ての部分について通用してしまうからですね(笑)。
生活保護費を受け取らないのに、所得税だけ払わねばならないのか!
カゼ一つひいたことないのに、~だけ払わねば…!
子どもなんて1人もいないのに、~だけ払…!(以下略)

そんな反対理由が認められるのであれば、納税者は等価の受益を確約せねばならないとでも言うのであろうか?累進課税は根本的に不可能になってしまうね(笑)。多く納税してくれている人たちのお陰で、全然払ってないとかあんまり払ってない人たちへのサービスが維持されている、ということに他ならないでありましょう。

そういう意味では、税というのは、基本的に高額納税者の善意みたいな部分が大きいのだろうと思いますね。負担者は自分への直接的な見返りを必ずしも求めませんし。みんなで感謝しましょうね。