本当の名称は長くて、「安心と希望の介護ビジョン会議」というのだそうですが、いちいち面倒ですので、ケインズの『一般理論』と同じような短縮名称を用いることにします。
高齢者介護、「家族はくせ者」-医療介護CBニュース-
(以下に一部引用)
同会議の意見交換で、鳥羽研二委員(杏林大医学部教授)は「誰のための安心と希望か」と問題提起。「わたしは介護を受ける人や、その家族が対象になると思う」と述べたが、袖井孝子委員(お茶の水女子大名誉教授)が、これにかみ付いた。
「家族はくせ者で、介護される人と家族(の利益)は一致しない。『安心と希望』は本人を第一に考えてほしい。わたしの親は施設(介護)だったが、本音を言えば(わたしも)自分勝手なところがあった。『どちらを取るか』というとき、要介護の人を優先せずに自分を優先するので、やはり『本人第一主義』でいくべきだ」
さらに、村田幸子委員(福祉ジャーナリスト)が厳しい指摘をした。
「介護される人たちを見ていると、『できないからしてくれ。もっとサービスしてください』という実態がある。老いて暮らしにくさが増えるにつれ、要求度が高まってくる。介護というと、『気の毒だから、あれもこれもしてあげよう』という方向に流れがちだが、『できることは自分でやる』という意識の醸成が必要だ」
これらの意見に、経済学者の駒村康平委員(慶大経済学部教授)が「現在の制度を少し解体して、直せるものから直していくべき」と補足し、前田座長も「全くその通り」と同調した。
=====
袖井さんの介護する家族の立場として「自分勝手なところがあった」、という体験例を一般化するのはどうなんだろうか、と思わないでもない。この委員が自分勝手だったから、他の要介護者を抱える家族の人たちも同じように「自分勝手」と決め付けるのだろうか(笑)。会議のやり方として、たった一つの体験談を元に議論の柱とするのは明らかにオカシイですよね。例えば「私は○○に騙されたことがあります」といった経験を話せば、その○○業界全部に厳しい規制をかけるのか、という話です。高齢者にありがちな、(自己)経験至上主義的な妄言と区別がつきませんよね。さしづめ「高齢の有識者委員はくせ者」という一般化をしたら、多分烈火のごとく怒るだろう(笑)。
村田さんの指摘した『できないからしてくれ。もっとサービスしてください』という実態というのは、言葉は悪いかもしれないが、簡潔に表現すればそういうことなのだし、これは割とあることではないかと思う。なので、同意できる面は無きにしも非ずだ。介護だけに限らず、医療やその他福祉(生活保護とか)にも通じる部分はある。医療でも、「もっとしてくれ」という要求は昔に比べれば強まってしまったと思うので、医療者の立ち去りの一因となっているのではないかと思う。昨今の、いい仕事に就けない、正規雇用になれない、泥のようになれない(笑)、というような傾向とも似ている面があるかも。「自分でやる」という意識は、社会全体で乏しくなりつつあるかもしれない。確かに「できない方々に支援しましょう」というのは方向として間違ってないとは思う。けれども、「気の毒だから、もっと」という風潮が蔓延して、「求める人たちが増えた」ような気がする。社会全体として、支え手が大多数で「求める人(弱者?)」が少数であれば持続可能であるが、支え手が大幅に減っているのに「求める人」たちばかりが増えていけば、支える側にもいずれ限界がやってくるだろう。
なので、基本的には「自分で頑張りましょう」、でも全部は無理だろうから「支援が必要な方々には支援していきましょう」ということだと思う。その上で、最悪の事態とか酷いどん底にはならないように、「底の部分」はしっかりとさせておく必要がある。あまりに社会の平均的生活と落差の大きい水準では、やはり安心にはならないだろうから。
座長の先生はどんな人なのか全然知らないが、「全くその通り」とか調子のいいことを言っているようなので、御用学者の一派なのかと思わないでもない。ありがちなのかもしれないが、違ってたらごめんなさい。駒村慶大教授は経済学者のようですが、慶応には随分と経済学者が大勢いるようで。鳥羽委員にちょっと噛み付かれたようだ。医療、介護、福祉関係者たちには多分トラウマがあって、「経済学的視点」を強調されると誰でも敵に見えてしまうという錯覚を起こしてしまうのだろう(笑)。かつて経済学者たちに、散々酷い目に遭わされたからだ。あの会議でも、この会議でも…、惨敗に次ぐ惨敗で、相当凹まされたからだろう。なので、有識者会議の席上に呼ばれる非経済学者としては―殊に医療者や福祉関係者たちは―経済学的視点での議論になった時に、言い負けないだけの理論武装が最低限必要ということ。点穴に針を打ち込むが如く、的確に相手の急所に叩き込まねば会議では優位に立てないのだ。だからこそ、敵の急所を知り、弱点を研究しておかねばならんのだ、ということですよ(笑)。
医療者や福祉関係者にこそ、経済学が武器になるのです。まあ、駒村委員が敵かどうかは、今後見ていかねばまだ判らんでしょう。元から味方側の人間なのであれば、わざわざ標的として攻めること自体がマイナスだし、対立するよりも「有効な意見を述べてもらう」方が圧倒的に得策ですからね。
真の曲者は、やはり座長でしょう。
高齢者介護、「家族はくせ者」-医療介護CBニュース-
(以下に一部引用)
同会議の意見交換で、鳥羽研二委員(杏林大医学部教授)は「誰のための安心と希望か」と問題提起。「わたしは介護を受ける人や、その家族が対象になると思う」と述べたが、袖井孝子委員(お茶の水女子大名誉教授)が、これにかみ付いた。
「家族はくせ者で、介護される人と家族(の利益)は一致しない。『安心と希望』は本人を第一に考えてほしい。わたしの親は施設(介護)だったが、本音を言えば(わたしも)自分勝手なところがあった。『どちらを取るか』というとき、要介護の人を優先せずに自分を優先するので、やはり『本人第一主義』でいくべきだ」
さらに、村田幸子委員(福祉ジャーナリスト)が厳しい指摘をした。
「介護される人たちを見ていると、『できないからしてくれ。もっとサービスしてください』という実態がある。老いて暮らしにくさが増えるにつれ、要求度が高まってくる。介護というと、『気の毒だから、あれもこれもしてあげよう』という方向に流れがちだが、『できることは自分でやる』という意識の醸成が必要だ」
これらの意見に、経済学者の駒村康平委員(慶大経済学部教授)が「現在の制度を少し解体して、直せるものから直していくべき」と補足し、前田座長も「全くその通り」と同調した。
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袖井さんの介護する家族の立場として「自分勝手なところがあった」、という体験例を一般化するのはどうなんだろうか、と思わないでもない。この委員が自分勝手だったから、他の要介護者を抱える家族の人たちも同じように「自分勝手」と決め付けるのだろうか(笑)。会議のやり方として、たった一つの体験談を元に議論の柱とするのは明らかにオカシイですよね。例えば「私は○○に騙されたことがあります」といった経験を話せば、その○○業界全部に厳しい規制をかけるのか、という話です。高齢者にありがちな、(自己)経験至上主義的な妄言と区別がつきませんよね。さしづめ「高齢の有識者委員はくせ者」という一般化をしたら、多分烈火のごとく怒るだろう(笑)。
村田さんの指摘した『できないからしてくれ。もっとサービスしてください』という実態というのは、言葉は悪いかもしれないが、簡潔に表現すればそういうことなのだし、これは割とあることではないかと思う。なので、同意できる面は無きにしも非ずだ。介護だけに限らず、医療やその他福祉(生活保護とか)にも通じる部分はある。医療でも、「もっとしてくれ」という要求は昔に比べれば強まってしまったと思うので、医療者の立ち去りの一因となっているのではないかと思う。昨今の、いい仕事に就けない、正規雇用になれない、泥のようになれない(笑)、というような傾向とも似ている面があるかも。「自分でやる」という意識は、社会全体で乏しくなりつつあるかもしれない。確かに「できない方々に支援しましょう」というのは方向として間違ってないとは思う。けれども、「気の毒だから、もっと」という風潮が蔓延して、「求める人たちが増えた」ような気がする。社会全体として、支え手が大多数で「求める人(弱者?)」が少数であれば持続可能であるが、支え手が大幅に減っているのに「求める人」たちばかりが増えていけば、支える側にもいずれ限界がやってくるだろう。
なので、基本的には「自分で頑張りましょう」、でも全部は無理だろうから「支援が必要な方々には支援していきましょう」ということだと思う。その上で、最悪の事態とか酷いどん底にはならないように、「底の部分」はしっかりとさせておく必要がある。あまりに社会の平均的生活と落差の大きい水準では、やはり安心にはならないだろうから。
座長の先生はどんな人なのか全然知らないが、「全くその通り」とか調子のいいことを言っているようなので、御用学者の一派なのかと思わないでもない。ありがちなのかもしれないが、違ってたらごめんなさい。駒村慶大教授は経済学者のようですが、慶応には随分と経済学者が大勢いるようで。鳥羽委員にちょっと噛み付かれたようだ。医療、介護、福祉関係者たちには多分トラウマがあって、「経済学的視点」を強調されると誰でも敵に見えてしまうという錯覚を起こしてしまうのだろう(笑)。かつて経済学者たちに、散々酷い目に遭わされたからだ。あの会議でも、この会議でも…、惨敗に次ぐ惨敗で、相当凹まされたからだろう。なので、有識者会議の席上に呼ばれる非経済学者としては―殊に医療者や福祉関係者たちは―経済学的視点での議論になった時に、言い負けないだけの理論武装が最低限必要ということ。点穴に針を打ち込むが如く、的確に相手の急所に叩き込まねば会議では優位に立てないのだ。だからこそ、敵の急所を知り、弱点を研究しておかねばならんのだ、ということですよ(笑)。
医療者や福祉関係者にこそ、経済学が武器になるのです。まあ、駒村委員が敵かどうかは、今後見ていかねばまだ判らんでしょう。元から味方側の人間なのであれば、わざわざ標的として攻めること自体がマイナスだし、対立するよりも「有効な意見を述べてもらう」方が圧倒的に得策ですからね。
真の曲者は、やはり座長でしょう。