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福島産科死亡事件の裁判・その8

2008年08月28日 19時55分02秒 | 法と医療
警察や検察の反応がいくつか出てきたようです。

21日の吉村警察庁長官が、「判決を踏まえながら医療事故の捜査について慎重かつ適切に対応していく必要がある」と発言したとされる。これは長官側から出されたものか、記者からの質疑の中で答えたものかは判らない。しかしながら、警察当局としては、「慎重かつ適切に」対応していくという姿勢を見せた、と考えてよいものと思います。悪く解釈すれば、単なる模範解答に過ぎず、所謂お役所答弁の一種と取れなくもないが、警察トップの言葉の重みとして受け止めたい。
今後、告訴を受理せねばならない状況があるとしても、いきなり身柄拘束といったような旧来型の捜査手法・段階を選択しない、という可能性は高いかもしれない(ただし、警察が好き勝手に逮捕できるわけではないはずで、逮捕状請求は裁判所に行われるのだから、ここでも裁判所が適切に判断して逮捕拘留の許可を与えなければ防がれるはずなのだが)。


検察の方はどうかといえば、控訴を断念するかどうかの調整中ということのようです。

<大野病院事件>検察、控訴断念へ最終調整 (毎日新聞) - Yahooニュース

(一部引用)

福島県大熊町の県立大野病院で04年、帝王切開手術中に患者の女性(当時29歳)が死亡した医療事故で、福島地裁(鈴木信行裁判長)が業務上過失致死などの罪に問われた産婦人科医、加藤克彦医師(40)に無罪判決(求刑・禁固1年、罰金10万円)を出したことについて、検察当局が控訴を断念する方向で最終調整に入ったことが27日分かった。
(中略)
福島地検が上級庁と協議を進めているが、女性の症状の「癒着胎盤」は症例が極めて少なく、剥離を中断した臨床例の提示も困難なことなどから、慎重に検討しているとみられる。

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この記事は、毎日新聞だけが先に掴んだのかもしれません。
結論が出されたわけではないと思いますので、どうなるのかはまだ判りませんが、どうも他の報道などからの雰囲気からしますと、「断念」という可能性が強まりつつある、ということではないかと思います。

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検察で思い出したのですが、読売新聞に出ている「時代の証言者」の今シリーズは、元検事総長の松尾氏なんですよね。とても興味深く読んでいるんですが、私がまだ子どもだった、あの浅間山荘事件の担当検事だったのかと知り、時代や時の流れをじみじみと感じましたよ。同じ時代に生きていて、同じ事件を全く違う立場・角度から眺めている、というのが、なんというか不思議です。


映画の『ダークナイト』でも出てきましたが、正義や正義の味方というのは、どこからもやって来ないし、タダで楽して手に入れられるものではない、ということなんだろうと思うのです。正義の象徴としての「検事」を守るべくバットマンは行動し、あの警官もその正義の象徴を守ろうとする(因みに、あの警官がああなって奥さんや子どもに知らされるシーンがあったけど、涙が滝のように出たぞ)。「我が身可愛さ」や「自己利益」で行動してしまう愚かな大衆、というのを意図的に見せていましたよね。大衆はまさにあのような状態になりがちかもしれない、ということなのでしょう。真実を知らずに、「誰か」をひたすら非難する。生贄として差し出そうとしてしまったりもする。

が、究極の選択を迫られても、人々は「心の底から悪になれる人は滅多にいない」ということを知るのです(いや、中には根っからの悪人が存在するかもしれんけど、とりあえず)。やはり人間として踏み越えられない一線というのがあるのだ、ということなんですよね。そして正義というのは「ヒーロー(誰か)に与えられる」のではダメなのだ、人々が自ら気付き、選択し、行動しなければ、決して得られないのだ、与えられるものではなく勝ち取るものだ、ということなんですよね。全ての検事に、この映画を(笑)。