いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

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ムンバイ・テロ事件に思うこと

2008年12月03日 23時01分43秒 | 外交問題
先日インドのムンバイで発生したテロだが、これについて言えば米国を直接標的としたものとは違っていた。インドはパキスタンに非難を出していたが、アフガンに大勢いるらしいテロとの関連などは不明のままだ。
犯行声明は「デカン・ムジャヒディン」というマイナー組織から出されたもので、インド国内の過激派組織ではないかと見られている。
今年起きたパキスタンの「マリオット・ホテル」爆破テロと、今回のタージマハルホテルやトライデントホテル襲撃という高級ホテルを標的とする点では、「外国人狙い」ということで言えば似てなくもない。

が、周到に計画された犯行だ、という割りには、そうでもないように思える。

もし本当に英米人を狙うとしたら、自分がテロの立場にある時、どうすると思うか?
街中を、銃を乱射しながら走りまわるか?
タクシーに乗って、手榴弾をばら撒く?
ホテルの調理場に向かって銃を乱射する?

何の為に?

これまで判明した死亡者数をみると、英米人は少ない方だ。それ以外の外国人の死亡者数の方が断然多いのである。イスラエル人が最も多いようだが、これはユダヤ人施設などが狙われたせいなのかもしれない。イスラム教徒が不当に扱われている、という主張を全世界に知らしめようとするなら、ユダヤ人をいくら憎んでも解決されない。インドはイスラエルではないからだ。

それに、心底ユダヤ人を憎んでいたなら、ユダヤ人施設に立て籠もるというのも、あまり意味がない。即座に全員殺すからだ。死をも恐れない「自爆的テロ」なのであれば、迷わず全員殺す。ユダヤ人を憎んでいるのでしょう?自分が死んでもいいから、1人でも多く殺すはずなのだ。

インド国内のテログループで、インドに来ている英米人を最も多く殺そうと思うなら、英米人の多く集うオフィスとか空港を狙う方が確実だ。米国か英国路線の発着便ならば、かなりの数が多分その国の人間だろうと思われる。大型機ならば、数十~百人といった数がいるだろう。ロビーに固まって存在しているのだし。探す手間もいらない。
空港警備の警官たちがいるとしても、人数的にも武装のレベルも上回れるのだから、そこにメンバーを集中しておけば済む話だ。急襲されたら、警官といえども即座に撃ち殺されるだろう。だって、まさか自動小銃や手榴弾で襲ってくるとは思ってないのだから。拳銃を抜く間もなく、終わるだろう。

それをわざわざ大型ホテルにわずか数人で乗り込んで、人体改めを客の1人ひとりとか一部屋毎に行っていこう、というのがどれほど困難な作業か。警護がつくほどでもない、ちょっとした要人(どこかの知事クラスとか政府役人とか)を狙ったわけでもない。ホテルに来ることさえ判っていれば、ホテルのフロント係をちょいと脅して締め上げれば、部屋を割り出すことだって直ぐにできる。

つまり、そういったことを一切やらず、ただ「外国人が居そうな場所」目がけて走り回り、「オイ、英米人はいるか」と呼びかけ、行き当たりばったりの「出たとこ勝負」みたいに乱射してみました、というだけだ。こういうのを「周到な計画」とは多分呼ばない。単に殺害人数を多くしたいなら、列車爆破の方がはるかに簡単。しかも大惨事。インドでは異常なくらいの過密乗車だったと思うし。

インド人は殺したくないが、英米人とユダヤ人だけはたくさん殺したい、ということなら、もっと狙いを絞ってそういう場所を襲撃するはず。街中で適当に銃撃をやったりする必要性はない。

この事件から判ることというのは、単なるデモ効果だけ。
「こんな風にテロが起こせるんですよ」ということを、示威的に世界中に知らせたことは確かだ。「思いっきり目立つようにやりました」、「人々を怖がらせる為にやりました」ということは言える。インド国内のイスラム教との地位向上とか、カシミール地方の独立云々を求めるなら、それは体制側に向けて行われるべきものだ(実際、これまでインド国内ではそうしたテロが発生してきた。犠牲になったのはヒンズー教徒のインド人だ)。今回のように外国人やユダヤ人を何人殺したとしても、変わりようがない。もしあるとすれば、英米がインドに対して「独立させろ」と強硬に求めることを期待する、というようなことくらいだ。

パキスタン国内のISIからの支援を受けたテロ組織との繋がり云々とも言われていたりするが(名指しされたラシュカレ・タイバは関連を否定したらしいが)、仮にそうだとして、パキスタンを苦しい立場に追い込むのに、それを安易と行うというのもちょっと解せないのだ。自分がその立場ならば、絶対に身元が割れないように行わせると考えるだろう。時代劇で、裏で糸を引いているのが加賀屋さん(あくまで架空の話です)なのに、捕まって「どこの手の者だ?」と問われ、「へい、加賀屋です」って、そりゃただの間抜けじゃないですか。たとえその組織の人間だとしても、普通は全くの別組織の身元を用意しておくのが当たり前では。
「さてはお前、CIAだな?」「ええ、そうです」じゃ、映画も作れないよー。


要するに全体的にお粗末な作戦だったように思えるのです。
若年男子の、ひょっとすると特徴的とも思えるような純粋性、理想主義的な部分や染まり易さということを利用するなら、事件を唆すことができるかもしれません。まるで「何とかギャング」っぽい派手な行動も判るような気がします。


この事件は、事件の存在そのものを認知させる、ということが最大の目的であったのなら、全てがよく理解できるのですよ。狙ったのがインド人じゃないこと、デカン何とかみたいな未知の名前の組織だったこと、やたらと目立つ派手めな行動をするグループだったこと、パキスタンに圧力となったこと、インド・パキスタン・アフガンという地域に焦点化させることに成功したこと、世界中の目を「テロ」に向けさせることができたこと、というようなことかな。

その背後にいるのが、インドの反体制勢力なのか、パキスタンの情報組織なのか、友達の友達のテロ組織なのか、はたまた「テロの脅威」が薄れると困る誰かなのか、それはよく判りませんが。



アフガニスタン問題に日本はどう対処するか

2008年12月03日 21時03分06秒 | 外交問題
現在のアフガンにおける紛争に米軍やNATO軍が「対テロ戦争」として深く関与しているが、終わりの見えない戦いとなっている。日本が積極的に協力すべきだ、という要求はしつこく行われているが、それは望ましい選択とは思われない。前にも書いたが、「戦争は他の者に任せるがいい」という言葉を、再度送りたい。まずは、よく考えることだ。


1)宗教的争いは昔からずっとある

アフガン問題に限らずイラクでもそうであったが、スンニ派とシーア派のような争いや所謂イスラム原理主義的な急進派の存在を今すぐになくすことはできないだろう。まして、日本が紛争に直接関与したからといっても、どうにか解決の糸口を見つけられるわけじゃない。基本的には、当事者たちの中でどうにかしてもらうより他にはないのである。対立が激化している時に、外部からの介入で物事が収まるほどには簡単なことではないだろう。


欧州がオスマントルコ軍の攻勢に晒されていた15世紀、「ドラキュラ」のモデルとして知られるワラキア公”串刺し”ヴラドや、絶望的なベオグラード包囲戦を戦って勝利に導いたトランシルバニア公ヤーノシュなどが活躍を見せるものの、コンスタンティノープルが陥落させられ、キリスト教徒にとっては危機的状況に見舞われていた。
その後も勢力拡大を続けるオスマン帝国は、16世紀に入るとフェリペ2世(*1)のいたウィーンまで攻め込み、包囲戦にまで及んだ。この当時、宗教改革によってルター派が広がりつつあったことや長らく続いていたイタリアを巡る紛争があり、この権益を狙うフランスはイスラム勢力であるオスマン帝国と同盟を結んだ。神聖ローマ帝国への対抗という為には、手段を選ばないということ(因みにスコットランドはイングランドとの関係上、フランスと通じる道を選んだ)。つまり、キリスト教世界の中では、カトリックの中でも教皇派、神聖ローマ帝国派、更にはルター派が加わり対立しており、外部の宗教勢力として当時最強と目されるオスマン帝国というイスラム勢力による介入という構図だった。17世紀に神聖同盟がオスマン帝国を破るまで、オスマン帝国の脅威は続いていた。

(*1):異端裁判で新教徒やユダヤ教徒などから恐れられた。奥さんは言わずと知れた「ブラッディ・メアリー」(異端者の処刑弾圧で大量流血w)のイングランド女王メアリーでエリザベス1世のお母さん(←訂正、本当はお姉さん、コメントもらいました。2010年10月9日)。メアリーの父は(”狂人”アンと再婚する為の)離婚問題が発端で教皇に破門されたヘンリー8世。

宗教的対立や国の勢力争いを軸として、そこに外部の軍事力が介入するという構図は、現代での紛争とさして違いがないように思われる。この時代には、旧ユーゴ及びバルカン半島一帯や黒海沿岸(*2)などがオスマン帝国の勢力圏内となっておりトルコ軍の軍団にはこれら属国の戦力は投入されていたであろう。後のクリミア戦争(ナイチンゲールが有名になったw)の舞台となったクリミア半島には、バックにオスマン帝国がついたクリミア・ハン国がおり、リヴォニア戦争ではモスクワまで攻め込み、焼き打ちした(ロシアの歴史では、モスクワまで攻め込まれた例は少ないので珍しい)。19世紀のクリミア戦争では、膨張政策を続けるロシア帝国と英仏オスマン連合軍とが激突した。ロシア帝国は17世紀からの拡大を何百年にも渡って継続し、南下政策も現代とあまり違いがない。それを阻止しようとするのも、やはり数百年来の出来事でしかない。今年のグルジアでの紛争も、そうした拡大と阻止という流れの中では、「これまでと同じ」ということである。

(*2):スルタンの「ハーレム」というと、美女という印象が真っ先に思い浮かぶwだろうと思うが、ロシアやウクライナ美女が集められたらしいですから。ロシアは「奴隷狩り」に来る武装勢力(=今でいうテロ組織?)に手を焼いていたらしい。


現代におけるイスラム勢力の問題というのは、昔のキリスト教徒の争いとあまり違いがないように思われるのである。ある種の超大国の軍事力介入を招くのも、よく似ている。結局のところ、異教徒から見ると、何が争いの根本原因となっているのかは、中々見え難いのではないかと思う。当事者以外の人間には理解が難しいのだ。ただ言えることは、「争いはよくありません、殺傷行為はやめなさい」ということくらいではないか。


2)アフガニスタンは西欧の利害激突の地

これまでよく知らなかったが、アフガニスタンの歴史を見ると面白いことが判る。
アフガニスタン - Wikipedia

歴史的には、19世紀の対英戦争から始まって、未だにそれを引きずっているのではないかと思える。
・1838~42、第一次アフガン戦争:カブールまで侵攻するもゲリラ勃発、撤退時に英軍全滅
・1878~81、第二次アフガン戦争:各都市攻略し英国の保護化、ゲリラに手を焼き英軍撤退
・1919、第三次アフガン戦争:アフガン軍がインドまで攻め込み、独立

19世紀の英軍はかなり高い水準の軍事力を有していたと言ってよいだろう。なので、一時的に勝利するだけなら、アフガンくらいは簡単に攻略できた。対ロシアという「英国の都合」によって、要地であるアフガンに先鞭をつけておきたかった、ということだ。ロシアといえばロマノフ朝エカテリーナ2世を思い出すが(*3)、18世紀以降大国として大きく飛躍した。その後も黒海、カスピ海沿岸や中央アジアなどへの勢力拡大と、相応の軍事力を持つ列強の一つとなっていった。
その為、英国のインド支配という権益を守るには、アフガンという地が重要な場所になっていた。インドまでの経路を考えると、北側の山脈地帯であるチベットを「越える」ことはできないので、インドに出る為にはアフガン~パキスタンを通ってくる必要があり、要地としての重要性は当たり前ということになる。

(*3):対オスマン帝国との戦争、ポーランド、ウクライナ獲得など。個人的には、「味方になって欲しい軍人」の第一シードとして、アレクサンドル・スヴォーロフを挙げたい(エカテリーナ2世から爵位授与さる)。まさかヒマラヤ越えはできないだろうが、アルプス越えは達成したのだった。さすがロシア人(寒冷耐久力がハンパじゃないのかな。ロシアのイメージを漢字一文字で表すとすれば「耐」で間違いなし。仏軍は寒さに耐えられなかったけど。ラテン系w)。部下にはなりたくないね。「上司にいたらいいな」という軍人なら、断然シャルンホルストを推す。


その後の英国の地位低下(世界に対する軍事力、経済力の影響力低下)などもあって、第二次大戦前の1930年代にはドイツが積極的に関与していた。これも対ロシア戦略の一環ということであり、ドイツにしてみると英露(インド圏とロシア圏)の中間地帯ということで、戦略的価値のある国ということだったのだろう。ルフトハンザがカブールに定期便を就航させていた、とのことだ。しかし、ドイツが敗戦国となってかつての後ろ盾を失い、インドやパキスタンが独立していくと、昔の英露のハザマから、今度は冷戦下の米露のハザマに置かれることとなったのだ。アフガンにしてみると「誰が付くか」ということが変わるだけで、本質的にはこうした強国の論理や都合に振り回されてしまう、ということがあるのではないかと思われる。

ソ連の影響下ということもあったかもしれないが、70年代からは政情不安定となりクーデターが勃発するようになる。
73年に無血クーデターで国王追放し共和制、78年には軍事クーデター、翌79年にソ連侵攻で親ソ政権樹立、ということになる。ロシアにしてみると、「100年の計」といった感があるかもしれない。かつて英国が恐れていた事態が、100年を経て実現されてしまった、ということか。

こうなると、今度は米国が「反政府ゲリラを支援」して親ソ政権の打倒工作をする、ということが行われていった、ということだ。映画「ランボー」にあった通り、ということだなw。このソ連影響下という時代も長くは続かず、10年で撤退ということになってしまった。そして今は、ロシアの影響という問題以上に、イスラム過激派勢力の方がもっと大きな問題に育ってしまった、ということだ。米国がかつて支援したゲリラ勢力とは、今で言うタリバンのような勢力だったのに。
メアリーの宗教弾圧に苦しめられていたイングランドの新教徒たちを支援したり保護したのはカトリックのスコットランドであったが、反イングランド勢力であれば味方する、というのと同じようなものなのだ(メアリー死後には、新教徒弾圧に切り替えた)。

90年代にはタリバンが勢力を拡大し、遂には全土をほぼ掌握するようになっていった。


3)イスラム勢力の関与

ソ連に対抗する為にムジャーヒディーンと呼ばれる聖戦を戦う人間たちが、イスラム国の盟主とも言うべきサウジアラビアをはじめとするイスラム諸国から参加していったことが、アフガンの事情をより一層複雑にしているだろう。これに加えて、カトリックvs新教徒に類する、宗派的対立がある。

アフガンの内部問題として、スンニ派のパシュトゥン人(45%)と、シーア派のタジク人(32%)やハザラ人(モンゴル系、12%)という対立軸がある。スンニ派が主にタリバン勢力で、これに対抗したのが北部同盟のような勢力であった。
隣国のパキスタンにはパシュトゥン人が数千万人規模で住んでおり、同じスンニ派のパシュトゥン人に対する支援を続けてきた。これには、シーア派勢力が強いイランとの争いなども若干影響しているかもしれないが、反シーア派の立場をとっているのだろうと思われる。対インド抗争という点においても、「後顧の憂い」を消すという意味では、アフガンが重要ということになる。
また、サウジアラビアもスンニ派への支援を行ってきたので、米国と立場を同じくしていたのである。つまり、元々アフガンのゲリラ勢力に支援をしていたのは、米国、パキスタン、サウジ、だったのである。


これはオスマン帝国がキリスト教国のどこと同盟したり共闘するか、というようなもので、カトリックと新教徒の争いなどあまり関係がないのと同じなのだ。米国やNATO諸国の事情ということでしかない。また、周辺国にとっても、パキスタンにはパキスタンの事情というものがあるのであり、サウジにはイスラム世界での立場や事情というものがある。


4)何故「反米」なのか?

イスラム教徒だから、という理由には、簡単に納得がいかない。過激思想があるとして、それが「反米」となるという理由があまり明確には判らないのである。サウジをはじめとする湾岸諸国は、反西欧でもなければ反米でもなさそうに見える。イスラム教徒なのに、だ。サウジはかなり厳格な教義ということらしいのだが、反米とは思われない。
過激派はかつて日本や西側諸国でも多数見られていたが、必ずしも反米という旗印のようなものが明確ではなかったし、標的となるのは米国というわけでもなかった。なのに、現在のテロたちは、何故米国だけを特別に狙うのだろうか?あの「9.11」テロというのは、酷いものであったのは間違いないが、テログループが米国にテロを行うことで「世界中をイスラム世界にできる」というような目的が達成されると考えていたとも思われないのである。革命を志向するというだけなら今に始まったことではなく、共産主義のような思想や活動の方がはるかに革命主義的だったのでは。

過激派ということでいえば、「テロ銀座」みたいな巣窟は、シリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナなど、事欠かない。なのに、米国だけを標的としているなんてことは、あんまり聞いたことがない。シリアやリビアだって、反米国家の代表格みたいに言われてきたけれど、攻め込まれてないしw。交戦したり、空爆したり、幾度もやりあってきたのにね。

例えば、イランやベネズエラなんかだと、元々米国がチョッカイを出してきた国ということであって、それ故に反米なのではないかとさえ思えるのだが。聞いたわけじゃないから判らんけど。フセイン政権のイラクだって、対イランという策略で米国が肩入れして、イラン・イラク戦争に発展したようなものだ。これもスンニ派のフセイン政権と対抗するシーア派という構図ではあった。これはアフガン国内のシーア派とスンニ派に争わせているのと、あまり違いがないように思える。うまくいかなくなったイラクについては、イラク戦争という強硬手段でフセイン政権を終わらせて、今度はシーア派メインのマリキ暫定政権を誕生させた。アフガンのスンニ派に支援してきて、これが思わしくなくなると、今度はシーア派のカルザイ政権を誕生させたのも似たようなものではないだろうか。

要するに、介入を繰り返し、散々利用するだけ利用した挙句に裏切る、騙す、始末する、武力で殺戮する、といった、悪逆非道があるからこそ「反米」を招いているのではないか。政治的目的があって、革命だのクーデターだのといった政権転覆を目論むことなどは世界中のどこにでもあったし、民族間の紛争や虐殺もあったけれども、そうしたテロは「倒すべき相手側」(=通常は政権側だ)に向けられるものの、基本的に無関係な国外の特定国には向けられないのでは。無関係な相手ではないからこそ、テロの標的となるのではないか。「やられたら、やり返す」という論理はテロ側にこそあるもので、米国が殴ったから殴り返されたということだったのでは。反体制側勢力が、無関係な国外の米英をいくら殴ろうとも体制転覆はできないのだから。

日本の明治維新もそういう意味では似ていて、英国のバックアップがあって軍事力を強化した薩長が倒幕に成功したが、これも反体制勢力が政権転覆のクーデターに成功したようなものだ。ここで薩長が英国まで出かけて行って、テロをいくら頑張ってやろうとも徳川幕府は倒せませんよ。英国くんだりまでテロをしに行く意味がないのだ。


5)日本はどうするのか

これまでのアフガンの歴史的経緯を見る限り、今後もどこかの国々の利害衝突の場として、紛争が続くであろう。それが解消されていくとすれば、アフガン国内の勢力が安定的かつ長期間に渡り継続できるような政治体制が必要であろう。宗教的抗争についても、どうにかカタを付けてもらうよりない。が、その見通しは全く立たない。

仮に今のカルザイ政権がどうにか維持され、その後にも継続的にシーア派が国内を統治でき、スンニ派の抵抗勢力を欧米戦力が排除できたとしよう。それは何をもたらすか?
民族浄化のようなことと何が違うのだろうか?
体制側が反体制側を殲滅排除するか、外部の軍事組織が行うか、という違いくらいしかないのでは。日本がこれに介入していく利益というのは、何もない。

以前にも触れたが、アフガンに直接アプローチするのは、かなり難しいのではないかと考える。パキスタンとの関係をまず構築し、イスラムの中で安定化を図る道筋を目指してもらうくらいしかないのではないか。

日本が果たす役割とは


キリスト教徒同士の戦争にイスラム教の軍事大国が介入していっても、問題を解決させることなど難しい、ということだ。もっと言えば、イングランドとスコットランドの争いに、フランスやスペインやバチカンなどがいくら介入したとしても、内部的にどうにかしてもらえない限り、問題解消になど至らなかったのではありませんか、ということだ。

それとも、英国が統一されたのは、軍事大国の軍事介入のお陰であった、ということでしょうか?(笑)
まさか、そうだとは言いますまい。