世界規模で起こってしまった信用収縮は、想像を絶する被害額となったであろう。これが金融システムの脆弱性ということである。資本主義の根源的な弱点と言ってもいいかもしれない。capitalism は自律能を有しているし、autoregulationも備えてはいるけれども、時として誤作動や調節能を超えた危機的状況を生み出すようなネガティブ・フィードバックが働いてしまうことがある、ということだ。
だが、先人の知恵と経験が「経済学」という体系をもたらし、知識の集積によって弱点克服の為の知見を得てきた。今あるcapitalism とは、完全自律型のシステムではないのである。どちらかと言えば、「Controlled Capitalism」と呼ぶべき、半調節型であると思われる。少なくとも、「神の見えざる手」が差配するというよりかは、平凡な人間でしかない中央銀行総裁やその他経済閣僚などの影響力の方が断然大きいであろう。control という側面は、中央銀行の金利調節や為替介入などの所謂「金融調節」的な手法があるということである。それがないと、システムが暴走したり破綻危機の直面することを止められない、ということが幾度も起こってきたからであろう。自由放任の経済システムだけでは、adverse event による甚大な被害を防げないことがあるのではないか。それは自由放任である自然によって、大規模災害が起こってしまい被害を受けるのと似たようなものだ。
過去に多くの経済学者たちが「laisser-faire」的な放置を求めてきたのは、殆どが「間違った手出しをするくらいなら、放っておいてくれ」ということであり、大抵の場合には良くない結果を招いてきたからだろう。チェスの対戦をしている時に、脇で見ていたおじさんが余計なお節介で、「ここはこの一手だ」と勝手に駒を動かすようなものだ。チェスをしている2人からは、「やめて!余計なことしないで!」と反発を食らうであろう。それと同じようなものだ。
しかしながら、対戦している2人よりもこのおじさんの方がはるかに賢くてチェスが強ければ、2人が勝手に指しているよりも「よりよい一手」を指せるのだ。これまで判ってきたことは、経済システムは「よりよい1手」を指せる人の数は限られているだろう、ということだ。おじさんがいないより、いた方がいい、ということが判ったので、中央銀行総裁とかを作った。ただ「ダメなおじさん」を選んではいけない、ということは言えると思う。ダメなおじさんの場合には、「余計なことしないで」という結果となるのが目に見えているからだ。まあ、人類の歴史の中では、資本主義のシステムは発展を遂げてきて、その過程の中においては「酷い間違い」を減らす為の努力や試みは続けられてきたであろう。今回の金融危機には、まだ不十分にしか作動しなかったのは確かであるけれども。だからといって、control が一切必要のないものだ、ということにはならないだろう。
これまで幾度か取り上げたが、また触れておきたい。
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世界に拡散する伝染病、「不安」
この中で、次のように書いた。
『「自分は損失を蒙らないように」と思って、売りに出す(キャッシュに換えたり安全な国債を買ったり)為に価格は値下がりを続けることになる。日本の土地はそうして坂道を転げ落ちていき、デフレの長いトンネルに突入したのだ。今は金融市場でこれと同じことが起こっている。「オレも売らないから、お前も売るな」と、全員が恐怖に耐えることができれば価格下落は止まるのだが、みんな「我が身可愛さ」で売り続けるし、自分自身が大量売り(投資資金は莫大でレバレッジもデカイから)の主体となっているから、下落の流れが判っているので「ベア」に張っている連中もいるだろう。この流れを堰き止めない限り、深刻な経済収縮が起こるだろう。』
元々はというと、サブプライムローンの借り手が払えなくなるとデフォルトになる、というのが発端であった。たとえ世界中にサブプライムローンの一部が債券に組み込まれていたとしても、「その部分は全部債務保証します」と宣言するだけで、ありとあらゆる債券価格下落にはつながることはなかったのかもしれない。それは米国内でどうにか処理してもらうことが可能だった。返済困難者には元金のみ返済してもらい、金利部分は一部又は全部をプレゼントしたとしても、せいぜい数十兆円程度で済んでいたであろう(勿論元金が払えないような人たちは差し押さえるしかないでしょうけど)。日本だけではなく、欧州やアジアの多くの国々の経済状況は、大崩落を起こす前の状態のままで助かっていたであろう。世界経済の損失は多くても100兆円程度でしかなかったであろう。
しかし、市場というのは、自由にさせておくと、今のような事態を招いてしまう、ということなのだよ。
参考記事に書いた如くに「オレも売らないから、お前も売るな」というのをもしも完璧に実行できていたなら、世界の株式市場で数千兆円もの収縮になることはなかった。
投資家のバランスシート上では、資産側だけが急速に萎んでゆくので、それに見合う負債でなければならないはずが、負債だけは「縮むことなく」残り続けてしまう。なので、投資の一部を清算するとか、追加資金を入れて値下がり分を補填し続けなければならなくなってしまうのだ。でも、急激に資産価格下落が起こってしまうと、バランスシートの著しい不均衡が起こる為、追証とか追加担保とかを出せということになるし、その為に誰かが大規模に売ってしまうので資産価格下落を招くという、悪循環に陥るのである。これが今回の被害規模を大きくした理由だ。
どうにかサブプライムローン関連の処理をつけておけば、高々100兆円の被害金額で済んだものを、その100兆円を出し惜しんだことによって、世界中の富の数千兆円を失った、ということさ。個々のプレイヤーは、それぞれが「損をしないように」と思って、売り逃げて資金退避などをしたりしてしまったでしょ?「サブプライムな方々の為に100兆円も税金を使うことなど絶対にできない」と考えていたのだろうと思うが、正しい意見かもしれないのだけれども、そのせいで何十倍かの損失を食らう結果をもたらすのだよ。ベア・スターンズも、リーマンもAIGやフレディ&ファニーなんかも、みんな助かっていただろう。GMだって、今頃にはまだジェットで飛び回っていることができたかもしれない。
言うなれば、「自分だけは損したくない」と思って行動する結果が、「オレも売らないからお前も売るな」の強固な輪を崩してしまうということです。この信頼関係にヒビが入り、互いが取引相手に対して疑心暗鬼が強まっていく、ということになりますかね。すると、資金を回さないようになる。資金に窮すると、仕方なしにレバレッジを外して株や債券などの資産売却などを生む。特に、毒のような債券は流動性が枯渇してしまっていると、株式のような流動性の高いものから売ってしまうのですよ。そうすると、売らずに耐えていた人たちの資産価値まで下落させてしまう、という、玉突き現象のようなことになってしまうのですよ。
これまで考えてきたのと、あまり違いはなかったような気がする。日本の土地や株式市場がどのようにして「下落スパイラルにハマっていったか」、というのを考えた時の印象と、大体同じなんですよ。
約3年前に書いた>
デフレ期待は何故形成されたのか・3
誰かが抜け駆けして売却に回ると、資産の価値下落をもたらし、それは次々と割と健全だった人たちの資産にまで波及してゆくのだ。値下がりするから、たとえ損であっても処分せざるを得なくなり、投売りを誘う。それがまた資産価格下落となる。以下、繰り返しのループですね。上がってきた時の逆経路を堕ちていくわけですよ。
この記事中で説明した通りですね。これを防いでいたなら、全世界でこれほどのダメージを受けることはなかっただろう。この経済危機によって仕事を失う人たちが数百万人にのぼるだろうが、幻想に支えられていた富が萎んでゆく時には、greedな方々(笑)だけを痛めつけるのではなく、多くの普通の労働者たちなのである。富が大きくなることは、新たな仕事を生み出す力もあるのだが、急激な収縮時期には仕事を失わせてしまうのだ。「見えざる手」はavaritia だけを戒めてはくれない。ちょっと理不尽ではある(だからこそ、大銀行や大企業だけ救って、一般労働者たちを救ってくれない、という不満が出されるものと思う)。神はgreedを許しはしなかったかもしれないが、同時に厳しい試練を与えられた。
この急激な収縮を防ぐ唯一の方法は、何度も書くが「オレも売らないからお前も売るな」ということで、損失の恐怖に耐える以外にはないのである。直接のサブプライムローンの借り手や貸し手が、世界中の株式市場で強欲な取引をしていたということではないのである。大規模な収縮が起こると、原因がサブプライムローンであるにも関わらず、直接的にはあまり関係のない他国にまで波及し、ありとあらゆる資産価値が下落し富を失ってしまうのである。sapientia が欠けていたせいかどうかは、私には判らないが。
何故これほど世界中に損失が及んだかといえば、大規模な投資主体が主に欧米金融機関だったからで、ごく限られた数しかいない彼らが世界中のどこにでも投資をしていたことで、アメリカでの多大な損失が全世界中に輸出されてしまったのである。
こうして「連環の計」にハマってしまった世界経済は、資産価格の同時下落と同時不況に見舞われたのだった。
幻想から醒めてゆくと、無残な姿が露わになってしまうということなのかもしれない。
が、私自身は、あることに気づいたような気がするのである。
それは、資本主義体制を維持するという限り、幻想は必ず必要なものなのではないだろうか、ということだ。
貨幣にしても国債にしても、「それが何故通用するのか」というのは、確実な裏付けがあるわけではないのと同じようなものだ。誰もが信じているというだけ。そういう幻想が必要なのが、経済というシステムなのであり、capitalismなのではないかな。世界経済は、ここ数年続いた幻想のおかげで、多くの人々に仕事が生まれ、経済的余裕ができ、かつてないほどに順調と言われていた。十年ほど前までは途上国と思われていた、中国、インド、ロシア、ブラジルなどが経済発展を遂げ、国際会議でも存在感を強めていった。これらの変化が果たして「悪いことであったのか?」というと、それに同意する人たちは多くはないのではないかと思う。
greed な人々を生み出してしまったのかもしれないが、一方では貧しい人々に対しても多くの仕事を生み出したという効果があったことは確かではないかな。そして、幻想が崩れていったことで人々から仕事を奪い失業させたともいえる。この結果が、果たして人々の幸せをもたらしたのだろうか?この結果に満足している人たちは、どれほどいるのだろう?
浪費が世界環境を破壊するから、止めておいて正解だったとか?それもどうなんだろう。確かに強欲なアレっぽい人たちは存在していたかもしれないが、それは全体から見ればごく一部に過ぎないし、そういう業界の人々は大体吸収合併されたり転職できたりしてかなり助かっているのでは。でも、一般の工場労働者たちとか、時間給で働くような人たちは、そうはいかない。切られたら、切られっぱなし。行き先が見つからないのだ。今回の金融危機で、大金持ちの人たち―たとえばリーマンの人とかGMの人とか―から、高級自動車やプライベート・ジェットを取り上げることに成功したのかもしれないが、ダメージがその比ではないのが、労働者たちから仕事を奪うということなのだ。
資本主義が人々に競争を強いて限りなく効率化を追及してゆくことによって、多くの場合には人々から仕事を奪ってゆくだろう。工場労働者を思い浮かべれば、判り易いだろう。昔100人の人力でやっていたのと同じ生産量が、1人とかゼロとかでできてしまう。仕事を奪われた99人か100人には、新たな仕事を常に見つけ出してあげないと資本主義社会というのはうまく回っていかない。いつも失業の淵にいる人々に何らかの仕事を供給し続けないと、みんなの大嫌いな言葉でいうと―「効率化」「合理化」や近頃は「リストラ」「契約打ち切り」などが産業界の後ろからいつもヒタヒタと迫ってこられるので、追いつかれてしまった人たちから順に失業に転落していってしまうのだ。鬼ごっこでひたすら逃げ続けるようなもので、能力を高める・効率を良くする、みたいなことが日々行われていけば、かなり多くの仕事が10人がかりだったものを8人に、5人に…そしていずれ1人に…と極限に近づいていくから、鬼から逃げ続けるというのは、基本的に難しいのである。そうならないのは、割と特殊な領域の仕事だけだ。
そういうことを考えると、「幻想によって100万人分の仕事を作れるなら、それのどこが悪いことなんだ?」と私に問われたら、何と答えるかはまだ見つけられない。
恐らく人々に最も必要なのは、尊厳なのだろうと思う。お金も大事なんだけれど、仕事をするということを通じて得られる本人の尊厳なのだと思う。それが失われる時、人は不幸に落ちるのだろう。それを減らす為に、幻想で仕事を生み出すか、非効率でもいいから仕事を割り当てるか、ということが、過去に試されてきたのではないかと思う。前者が資本主義経済的なアプローチであり、後者は社会主義経済的なアプローチではないかな、と。
続きを書く予定ですが、長くなったので、とりあえず。