毎年恒例のプレゼントだけれども、今年はそれなりに苦労した。
妻は希望の服があったので、それで即決だったが、ウチの子には何を贈るか頭を悩ませた。小さかった頃ならどんなものでも喜んだに違いないが、今はある程度大人だし、しかも女の子だから「おやじのセンス」でいいものかどうか不安になるのだな。過去のプレゼントは毎年それなりに好評を得てきたので、今回大きくはずしてしまったらどうしよう、という恐れのようなものが芽生えるのである。いうなれば、「過去の栄光」(笑)といいますか、うまくいっていた時の評判を失いたくない心境、みたいなものなのだ。
メインのモノ(これは内緒)をまず選び、他にはこれも毎年恒例の本を選んだ。
本については、「スゴ本」の人のブログをじっくり読ませてもらっていたので、それを参考に一つの作品を選択した。が、ここでアクシデントが発生。普通、一つの作品が上、中、下、みたいに分かれている時、3冊だけが並んでいれば「上、中、下」かな、とか思うじゃありませんか。しかし、何故か「上、下、下」みたいにあるわけなんですよ。これって、発注のミスとか入荷時のミスなんじゃないのかな、とかちょっと思いましたよ。在庫がなくて取り寄せということになったんですが、「中」だけを取り寄せると、多分1冊だけ「下」が残り、永遠に売れない状況となるのではなかろうか、などといらぬ心配などをしてしまった。
他にも、自分の為に本を買ったのだが、上下2巻本なのに「上」だけしかなくて、「下」を取り寄せようと思ったら、既に絶版ですね、とレジで言われてしまい、仕方なく「上」だけを買う破目になってしまった。「じゃあ、いらないです、買うのやめます」とか言えばよかったのかもしれないが、気弱なため断れなかった…。だって、本屋の店員さんに悪いかな、とか思ってしまうので…。
話が逸れたが、購入したこれらのプレゼントをラッピングすることにした。
100円ショップに行き、リボンや包み紙を慎重に選び、自分でラッピングをした。
私は妻と結婚するまでの間でさえ、プレゼントを自分で包装したことなどなかった。デパートなどでプレゼント用の包装を頼んだだけだった。というか、そもそも女性にプレゼントをするのはほぼ無駄である、という信念を持っていた。結婚前に、妻に贈り物をした経験というと多分1度くらいしかない。なんたって婚約指輪さえもナシ、だったから(笑、逆に結婚したからといって何もプレゼントしない、ということはない。毎年何か贈ってる)。
そういうわけで、プレゼントのセンスを養う機会が殆どなかったにも関わらず、どういうわけかウチの子へのプレゼントでは想定外の頑張りをしてしまうのだ。愛って、凄い!(笑)
結論を言えば、今年もまずまずの評価を得ることができたわけですよ。
何?ただの自慢じゃないかって?
ええ、ええ、そうですね。
だって、はずしてガッカリされたらどうしよう、という恐怖に打ち克たねばならないし、どうせ贈るなら喜んでもらいたいじゃないですか。あれですよ、包み紙がカワイイとか、リボンがセンスいいねとか言ってもらえると、嬉しいわけですよ、父親として。ああ、頑張った甲斐があったな、と、心の奥底で思うわけですよ(笑)。
こういうのって、何かの循環みたいなものかもしれない。
一度褒められる→嬉しいので次も頑張る→また褒められる→良い評判・評価を守りたいと思うようになりまた頑張る→また好評→期待に応えようとしてまた頑張る(けど、プレッシャーも芽生える)→???……
いずれ破綻が訪れるかもしれないし、どこかで「残念なプレゼント」が発生するかもしれない。が、そういうのもあと僅かだろう、たぶん。父親からのプレゼントを必要としなくなる時は、もうすぐやってくるだろう(涙)。それまで頑張ればよいのだから。
でも、その時が訪れることを考えると、寂しくなるね。せめてプレゼントをしている間は、やっぱり楽しみたい。緊張感や恐怖心も、それなりにあるんだけどさ。
妻は希望の服があったので、それで即決だったが、ウチの子には何を贈るか頭を悩ませた。小さかった頃ならどんなものでも喜んだに違いないが、今はある程度大人だし、しかも女の子だから「おやじのセンス」でいいものかどうか不安になるのだな。過去のプレゼントは毎年それなりに好評を得てきたので、今回大きくはずしてしまったらどうしよう、という恐れのようなものが芽生えるのである。いうなれば、「過去の栄光」(笑)といいますか、うまくいっていた時の評判を失いたくない心境、みたいなものなのだ。
メインのモノ(これは内緒)をまず選び、他にはこれも毎年恒例の本を選んだ。
本については、「スゴ本」の人のブログをじっくり読ませてもらっていたので、それを参考に一つの作品を選択した。が、ここでアクシデントが発生。普通、一つの作品が上、中、下、みたいに分かれている時、3冊だけが並んでいれば「上、中、下」かな、とか思うじゃありませんか。しかし、何故か「上、下、下」みたいにあるわけなんですよ。これって、発注のミスとか入荷時のミスなんじゃないのかな、とかちょっと思いましたよ。在庫がなくて取り寄せということになったんですが、「中」だけを取り寄せると、多分1冊だけ「下」が残り、永遠に売れない状況となるのではなかろうか、などといらぬ心配などをしてしまった。
他にも、自分の為に本を買ったのだが、上下2巻本なのに「上」だけしかなくて、「下」を取り寄せようと思ったら、既に絶版ですね、とレジで言われてしまい、仕方なく「上」だけを買う破目になってしまった。「じゃあ、いらないです、買うのやめます」とか言えばよかったのかもしれないが、気弱なため断れなかった…。だって、本屋の店員さんに悪いかな、とか思ってしまうので…。
話が逸れたが、購入したこれらのプレゼントをラッピングすることにした。
100円ショップに行き、リボンや包み紙を慎重に選び、自分でラッピングをした。
私は妻と結婚するまでの間でさえ、プレゼントを自分で包装したことなどなかった。デパートなどでプレゼント用の包装を頼んだだけだった。というか、そもそも女性にプレゼントをするのはほぼ無駄である、という信念を持っていた。結婚前に、妻に贈り物をした経験というと多分1度くらいしかない。なんたって婚約指輪さえもナシ、だったから(笑、逆に結婚したからといって何もプレゼントしない、ということはない。毎年何か贈ってる)。
そういうわけで、プレゼントのセンスを養う機会が殆どなかったにも関わらず、どういうわけかウチの子へのプレゼントでは想定外の頑張りをしてしまうのだ。愛って、凄い!(笑)
結論を言えば、今年もまずまずの評価を得ることができたわけですよ。
何?ただの自慢じゃないかって?
ええ、ええ、そうですね。
だって、はずしてガッカリされたらどうしよう、という恐怖に打ち克たねばならないし、どうせ贈るなら喜んでもらいたいじゃないですか。あれですよ、包み紙がカワイイとか、リボンがセンスいいねとか言ってもらえると、嬉しいわけですよ、父親として。ああ、頑張った甲斐があったな、と、心の奥底で思うわけですよ(笑)。
こういうのって、何かの循環みたいなものかもしれない。
一度褒められる→嬉しいので次も頑張る→また褒められる→良い評判・評価を守りたいと思うようになりまた頑張る→また好評→期待に応えようとしてまた頑張る(けど、プレッシャーも芽生える)→???……
いずれ破綻が訪れるかもしれないし、どこかで「残念なプレゼント」が発生するかもしれない。が、そういうのもあと僅かだろう、たぶん。父親からのプレゼントを必要としなくなる時は、もうすぐやってくるだろう(涙)。それまで頑張ればよいのだから。
でも、その時が訪れることを考えると、寂しくなるね。せめてプレゼントをしている間は、やっぱり楽しみたい。緊張感や恐怖心も、それなりにあるんだけどさ。