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「お金LOVE」を打ち砕け!

2008年12月10日 13時20分13秒 | 経済関連
世界的な金融緩和の実施によって、目下のところ日本だけが大きく取り残されている。財政出動のアナウンスメントについても、欧米諸国、中国や豪州までもが「景気対策、やります、断固たる決意を持ってやります!」と、国民だけではなく内外に向けて頑張っているのに、何故か日本は「一応やるよ、来年あたりにやろうかなあ~」ということで、尻切れトンボ状態。景気対策をやると言って、バブル後最低だった株価はどうにか反転したが、その効果は長くは続かなかった。市場は期待ハズレだった、と投資意欲が萎んでしまい、再び日経平均は8000円割れという事態に逆戻りした。これは明らかに市場が「ああ、これはダメだな」という評価をしたものと思われ、みんな嫌気が差したのだ。Economist誌には、日本の統治能力について重大な懸念を表明されてしまったが、それは世界共通の認識なのではないかと思われる。日本国民の心境としては、いっそのこと政治家たちを総入れ替えでもしてもらって、外国人のリーダーに来てもらった方がマシなのではないかとさえ思える。それが無理な相談なのだ、ということは重々承知してはいるのだが。


チェスはあまりよく知らないけれども、将棋や囲碁といった伝統的ゲームにおいては、「最善手」を的確に指せれば(囲碁では「指す」のではなく「打つ」だけど)よいが、必ずしも全部を間違えずに指せるかというと、難しい局面だってある。そういう時には、「次善手」であろうとも、敗着となるような「悪手」を回避することが必要なのであり、敗着でない限りは挽回可能なことは多いのである。火急の事態で、「一手30秒以内にお願いします」ということが判っているのに、30秒以内に指さなければ「時間切れ負け」になってしまうのは当たり前なのである。「今が大事なのだ」ということの意味がまるで判っていない。最善手かどうかなんて、その時にはすぐに判らないかもしれないのだ。局後の検討で並べ直して検討すればいい話なのに、最善手じゃないからダメだ、というような割と瑣末な部分にやたらと拘る政治家たちが多すぎるのである。


金融政策を司る日銀にしても、「しょうがなく」利下げに踏み切ったものの、彼らの失敗は年内に明らかとなってしまっただろう。企業の資金需要逼迫には対応できなくなっている。資金調達がかなり厳しい環境となっているだろう。心筋の酸素需要と同じようなもので、「血流をこっちにも下さい」と細胞があちこちで求めているのに、血流を「絞っている」からこそ需要のある場所に血液が回っていっていないのである。資金需要があるのにも関わらず、日銀がそれに見合う必要な金を供給しないので、金融機関を通じて企業に資金が回っていっていないのだ。まことに愚かとしか思えない。


そもそも日銀は、経済学の基本的な原理さえも無視しているかのようにしか見えないのである。
デフレで何か良い事があったか?10年どころか、「Next Lost Decade」に突入しているだけではないか。あと少しでバブル崩壊から20年が訪れようとしているのに、デフレ期間が10年以上も続いた責任をどう考えているのか?ここまで継続していても、何も変えられないのは異常だ。米国のFRB議長をよく見てごらんよ。かつては賞賛の的であった、あのグリーンスパン元議長でさえ「これが良くなかったかもしれない」と反省の弁を述べ、素直に認めているではないか。バーナンキ議長にしても、対応が遅れたかもしれない、認識が甘かったかもしれない、と、自らの非を否定することなどせずに、「次の1手」に賭けてやるべきことをやってきたではないか。それが当たり前なのではないのか。少なくとも日銀には、こうした姿勢は全くない。

失敗してしまったことは、既に過ぎたことなのだから、しょうがないでしょう?局面を戻して指し直せるようなものではないでしょう?過去の失敗は失敗として、次に活かす為にこそ失敗から学び同じ轍を踏まないようにするのが当たり前でしょう?別に、国民に100兆円を返せ、とか言っているわけではないですよ。誰も、日銀総裁の退職金を返せ、とは言いませんよ。ただあるのは、今、ベストを尽くせ、ということだけです。できないことをやれ、と言っているのではない。できることの中から、最善を目指せ、ということですよ。これは野球でも同じだ。160kmの剛速球を投げて抑えろ、なんて言ってない。投げられない球を投げろ、ではなく、球速は遅くてもいいから、持ち球のカーブ、スライダー、チェンジアップ、ストレートを駆使して、抑える方法を考えろ、ということだ。前の打席にションベンカーブを投げてホームランを打たれたのに、また同じくカーブを投げて勝負するというその愚かな考えがオカシイと言ってるのだよ。1打席どころか、その前の打席も、その前も…と、毎回毎回同じようにミスを繰り返し、「ここはカーブしかない」という考えに凝り固まっているのが、誰がどう考えてもオカシイ、と言っているのだ。普通、「さっきのカーブは失投でした」って認めるだろう?それができずに、「いや、ここはカーブで絶対間違ってないんだ」と、同じ球を投げて再びホームランを打たれているのだよ。これを愚かと言わずして何と言う?


デフレというのは、簡単に言えば、みんなが「貨幣を最も愛してしまう」という気持ちになってしまっているようなものだ。どうして、そんなことになってしまうのかというと、みんなが「お金が一番価値が高い」と信じてしまうからだ。今持っている1万円が、来年とか再来年になると、1万円以上の価値を生むと信じているからだ。そうなるにはいくつかの要因があるのだろうと思うが、将来時点の不確実性が怖いとか、モノの値段が下がっているだろう、という見通しが定着しているといったようなことではないだろうか。以前にも書いたが、デフレとの親和性が高くなってしまっている、ということなのだ。

かつての物価上昇がある水準にあった時代というのは、現金や預貯金以上に実物資産の価値上昇の方が高いと信じられていたので、着実に上がっていったものと思う。例えば100万円の土地を買うことを考えるとしよう。預貯金の金利が4%であっても、10年後に土地の値段の方が高くなっているだろう、という見通しがあれば、100万円を貯金して10年分の利息を受取るよりも現時点で土地を購入しておく方がよい、ということになる。4%の金利であっても、インフレ率が2%とか3%とかであると、実質金利は1~2%にしかならないので、実物資産の成長速度の方が速い、ということが多かったからだ。だから、現預金で持つよりも現時点で実物資産に移し変えた方がいい、と考える人たちが大勢いたのだよ。それは大体経済合理性があって、その通りになっていたのだ。

土地の値段が上がるというのはどういうことかというと、土地そのものに新たな価値が生まれるということはあまりない。そこの土地に油田や金鉱でも発見されれば別だが、普通はそんなことは滅多にないからだ。けれども、香港の土地の単価とテキサスの何もない土地の単価では、値段が違う。それは住んでいる人々とか経済環境が違うからだ。ルクセンブルクは国民1人当たりの平均所得が高いことで知られるが、そういう高収入の人が住むというだけで土地の単価は高くなる。デパートや商店街の単価が異なるのと同じだ。売上の多い土地は、それだけ多くの価値を生み出せる場所になるので、高い値段で取引される。銀座と地方の片田舎にある「銀座通り」とでは、当然売上高が圧倒的に違うので、それに見合う単価となるに決まっているのである。勿論、インフラ整備の進み具合とか、安全度とか、便利さとか、周辺環境とか、そういう様々な要因があるとは思うが、基本的にはその土地の上で繰り広げられる経済活動の価値の大きさによって、単価は変わってくるだろう。年収1万円の人が住む土地と、年収1億円の人が住む土地では、後者の方が圧倒的に高いであろう、ということだ。時間価値が異なるというのと同じ。経済価値(経済規模)の違いは、基礎的条件に影響するのである。

年収の多い人がその土地の上に存在している、というだけで、土地の価値は上がるということだ。国ごとで見れば、経済規模に応じた単価というものがでてくるだろう、ということになると思う。そこの土地から生み出される経済規模が大きい国ほど、単価は上がるだろう。これはデパートのテナント料が、売上の多くなる場所が単価は高く、不利な場所は単価が低いという設定になるのとほぼ同じだろう。経済規模の大きい国ほど、生きていく為の最低限必要になるお金が高くなるのと同じようなものだ。中国では年間5000ドルあれば生きていけるかもしれないが、日本ではほぼ無理だ。また、面積が大きいほど安くなるのも当然だ。日本みたいに狭ければ単価は上がるし、ロシアみたいにだだっ広ければ安いに決まってる。需給で決まる、という面があるのだから。面積当たりの売上が100万円の場所と、それが10万円の場所では、場所代が後者ではかなり安くなるということと一緒。

結局、経済規模と経済成長が土地の価値を高めることになるだろう、ということだ。そうなると、長期的な名目成長率と金利水準との比較で、現金で持つか実物資産として持つかという選択が行われることになるだろう。かつての日本では、名目成長率が高かったので、実物資産である土地の方が好まれた、ということだろうと思われる。株式の価値増大、ということについても大体同じようなもので、企業の成長率が長期的な金利水準よりも高ければ、株に投資した方がよいと考えるだろう。

多くの人々は、銀行の利息が高くなるといっても、せいぜい10%以下程度にしかならないはずで5%以上の利息が付くことはあまり期待していなかったのではないだろうか。利息を10%も付けてくれるくらいなら、預金者には5%の利息にしておいて、残り5%分は金融機関が丸々頂戴した方が得になるのだから、金融機関がそんなに高い利息を払うはずはない、というような「常識的なこと」も考慮していたかもしれない。そうすると、期待する金利水準にはおのずと「頭打ち」の見えない上限のようなものが、判断の中にはあったのではないか。けれど、インフレ率が高く4%くらいもあるとすれば実質金利水準は僅か1%に過ぎず、そうなると土地を買っておく方が実質成長率が上回れる、というような見通しをしていた、というようなことだ。経済規模や経済成長率の実感を通じて、土地の価値成長を予想していたのであろうと思われるのだ。

しかし、バブル崩壊を通じて、過去の判断基準が通じない部分が増えてしまい、将来予測をする為の「過去の経験則」みたいなものが壊れてしまったのだろうと思う。これに加えて、デフレだった。デフレになると、給料もモノの値段も下がっていくのを目の当たりにしてしまい、そうなると実物資産が「将来どれくらい上がるか」ということが考えられなくなっていったかもしれない。これまで公的に所有されていた土地や企業の保有する土地などが一斉に売りに出され、供給過剰となって価格は下落を続けてきたわけだし。こうした過程を通じて、実物資産よりも「お金」の方が信じられる対象となってしまったのだ。「貨幣愛」とも言うべき、信じられるのはキャッシュだけ、「お金LOVE」ということになってしまったというわけだ。


このような強力な「お金LOVE」から考えを変えさせる為にはどうするかというと、「お金の価値」を下げるよりほかないのである。日銀は土地の資産価値を上げることはできないが、お金の価値は変えることができるのだ。それは資金供給を通じて、お金の需給を変更できるということだ。交換取引で、バナナ10本とカボチャ1玉が等価であるとしよう。ある時、バナナが大量に取れすぎてしまい、バナナの供給が増大すると、カボチャの価値はバナナ15本分になる、というようなことだ。これは両者の需給で変動するものだろう。交換のやりやすさの為に、バナナ10本が200円、カボチャ1玉が200円というふうに貨幣で換算されているのと同じだから、バナナの供給が増大すると価格が下がるのでバナナ15本で200円という具合になるということだ。これと同じで、カボチャ1玉と200円を交換できる、という需給関係から、カボチャ1玉を300円と交換させるようにすると、相対的にカボチャの価値が上がったように見えるのである。何もしないと300円にはならない。が、貨幣をこれまでよりも多く供給すれば、「貨幣そのものの価値」が相対的に下がるのだから、300円にできるのだ。これは土地であろうと、何であろうと、貨幣との交換が可能なものは全部だ。

デフレを止めさせる為には、貨幣供給を増大させ、貨幣との需給関係を強制的に変えさせることによって、物価下落を止めることはでき得るはずなのである。日銀はこれをやろうとはしないのだ。人々に将来の貨幣価値は下落してゆくでしょう、実物資産価値は上がってゆくでしょう、という見通しを復活させることが、デフレ脱却には必要なことなのだ。ジンバブエのようなことになると、現実に貨幣よりもバナナの方を信じるようになっているではありませんか。明日になれば貨幣価値の方が大幅に下落してゆくだろう、という見通しが定着してしまっているからこそ、金を持っているよりも今すぐバナナという実物に置き換えた方が得だ、ということで、お金を溜め込む人なんて誰もいなくなってしまうのですよ。人間というのは、こうした実感や実体験によって判断を行っている、ということだろうと思いますよ。


日銀の資金循環統計(08年6月末)を見ると、預金983兆円のうち、貸出に回っているのは僅か493兆円でしかない。国債等債券が490兆円もあるのに、だ。家計の借入が322兆円だが、非金融法人(企業などだ)は379兆円と、かつて500兆円以上あった借入残高と比べるべくもない。負債が少ないと、今回のような危機には強いということは言えるかもしれないけれどもね。95年以降のデフレ期間になってから、非金融法人の金融負債残高が減少していっている傾向は出ているのではないかと思う。

マネーストック統計では、広義流動性(平残前年比伸び率)を見ると、07年第2Q3.4%、同3Q3.1%、同4Q2.8%、08年第1Q2.4%、同2Q1.1%、同3Q0.7%と、昨年末以降の低下傾向が明確に出ているのである(07年8月には既にサブプライムショックが明らかとなっていたのだから)。月別で見ても、ずっとプラスだったものが10月には-0.1%、11月には-0.4%と、明らかに変調を来たしているのだ。季節調整済前期比では、08年第2Qに-2.3%と落ち込み、同3Qは0.7%とやや小康状態を保ったものの、月別で見れば今年3月には0.3%と急落し、以後マイナスが軒並み続いていたのだ。月別では4月や10月というのが特に酷いということが判るが、これは株価急落局面と一致するだろう。流動性を絞って、一体全体どうする気なのかが全く理解できない。データを見れば、明らかに兆候が出ているではないか。利下げせずに冬まで引っ張ったせいで、ダメージが深刻化したようなものだ。需要が逼迫しているというのに、供給を絞ればそりゃ「価格が上がる」というのは経済学の教えるところで、貨幣の方を高めてどうすんだよ。


日銀が預金金利を上げたいという願望があるのであれば、名目金利が上がるようになっていないとダメに決まってるでしょう。インフレ率3%+実質金利1%であれば、4%の利息がもらえますって。実質金利がゼロか-1%であっても、今よりは高い利息となるでしょうね。そういう経済の原則というものを無視しているのは日銀なのだよ。インフレ率を上げない限り、金利水準は永遠にゼロに張り付いたままだ。人々の将来見通しを元に戻してあげない限り、デフレの罠からは逃れられない。それには、日銀と政府が協調し、かなり強力な手を用いない限り、「お金LOVE」を変えさせることなどできないだろう。