いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

米韓共同声明で確実となった米国の及び腰

2010年07月21日 23時10分08秒 | 外交問題
米韓の「慰めあいまショー」の幕が上がったようである。
悲しいまでの、負け惜しみ全開。つまらない一人芝居というか、不細工な「二人羽織」とでも言えばいいのか。兎も角酷いシナリオであることは間違いない。

米韓からすると、本来「真の主演」であるはずの北朝鮮の姿かたちは、全くない。そっちのけ。米韓が勝手に大騒ぎして、勝手に演出をやって、ネタバレコントを延々と繰り広げるという、醜悪なショーとなっている。


筋悪の、脚本は日本にも及んでいる。
日本の外務省には使える頭もないわけで、そうすると使い古されたネタしか出すものがないわけである。それは、拉致問題、ということだ。韓国と日本の外務省が連携して、キム元工作員を日本に招聘。狙いは、拉致問題=悪の北朝鮮、という図式である。それくらいしか思いつかなかったのであろう。アホだな(笑)。

よくイジメなんかでも、誰かの評判低下を狙う為に、悪評を流す、というのがドラマなんかでもよくあるでしょう?外務省官僚程度であると、そのくらいしか思いつかない、ってことなんでしょうな。だから、筋悪だって言ってるの。低級シナリオライターくらいの脳みそしか持ち合わせていない、ってことだろうね。

このタイミングで呼ぶというのは、そういうことだから。韓国が協力するのは当然だしね。北朝鮮に目を向けさせるための宣伝工作なんだものね。これは本題じゃないから、まあいい。



聯合ニュース

公式発表を見てませんけれども、ニュースからは見つけることができませんでした。
それは、何かって?(笑)

もうお分かりでしょう。幾度も取り上げたので。

それは、ヒラリーも、ゲーツも、「”天安”は、北朝鮮の行った魚雷攻撃で沈没した」という発言を、一切行っていないということですよ。

新たな言い草を教えて頂きました。非常に参考になる言い回しなんですね。政治家というのは、こうでなくちゃいけない。奥歯にものの挟まったような、慎重な発言というヤツです。

具体的に書けば、

「再度の直接攻撃」

とか、

「北朝鮮は、天安沈没の責任を認めよ」

みたいな言い方ですな。

因みに、2番目の言い方は、仮に法的に決着がついたような場合であっても(裁判で判決が確定したような場合とか)、永遠に言い続けることは可能。しかも言う側には、あまり傷がつかないという言い回しなんですよ。

例えば「国は、~の責任を認めよ」とか、よくあるでしょう?この「○○は、~の責任を認めよ(負え)」という言い方は、どんなものでも大体は使えますな。なんて便利な言い回しなんだ(笑)。


戻りますけれども、1番目の「再度の攻撃」という表現は、共同声明だけじゃなく、次期情報長官の人の議会証言でも使われたものです。

「北朝鮮は、再び韓国に直接攻撃を仕掛ける恐れがある」

こう言われると、『再び』なんだから当然1回目があった、というわけで、それはいつのどんな攻撃ですか、というのは「受け手側」の判断に委ねられる、ということになるわけです。つまり、発言者が例えば「1回目は天安攻撃だったから、次の攻撃は再度ということになる」とか宣言しなくていい、というものなんですよ。

こうなると、1回目は朝鮮戦争まで遡れる可能性さえあるので、「再度の直接攻撃」と言った場合には、いくらでも解釈の余地があるということになります。天安沈没事件のことを強く思っている人にとっては、それが1回目というふうに受け止める、ということになるわけです。発言者はその説明を省けるのが利点なんです。「再度韓国に攻撃を仕掛けたら、深刻な結果を招くだろう」とか、脅し文句としては使えますけれども、1回目の攻撃はどのことですか、と問われたら、答えに窮するという程度のものですよ。09年11月の直接攻撃(韓国哨戒艦沈没事故についての疑問~6)のことかな、とか言うことだってできるんですよ。


あのね、アメリカが、事実とか証拠を掴んでいる時、はっきりそう言わないなんてことがあると思いますか?(笑)
ここぞとばかりに、鬼の首を獲ったが如く、「○○がやった」とか言うに決まってるじゃないですか。
例えば、「わが国の全情報機関の情報を総合すると、北朝鮮が実施した攻撃であったことが確実となりました。北朝鮮潜水艦の魚雷攻撃と判明しました。」とか言うに決まってるでしょ。大体、合同調査団の主要メンバーは米国の専門家(笑)だったわけで、彼らがそう断定しているのに、その通り肯定しないということは調査団メンバーを信頼していないということですか?


嘘の上にウソをいくら塗り固めたって、綻びが明らかになるだけ。
米韓の共同声明ですら、「北朝鮮がやった」という直接表現ができなくなっちゃったじゃないの(笑)。どこまで後退すれば気が済むんだ、ってことだわな。これが恥ではなくて、何なのよ、ということですな。


ああ、それから、板門店を視察したっていうことでしたよね?
異例の、国務長官&国防長官の視察ってやつね。

これは何を意味するか?
「北朝鮮への圧力」ってのが、米韓の言い分らしいんですが、自作自演なんだからどうだっていいわな。
そうじゃない。
北朝鮮は割りと「大人しい」ってことを意味するわけですよ。

つまり朝鮮半島情勢は、緊張の高まりなんてのは真っ赤なウソ。平穏ってことなんだわ。
何故かといえば、本当に危険度が高いなら、そんな重要な閣僚が揃ってノコノコ出かけてゆくと思うか?ここぞとばかりに狙われたらどうするの?

つまり、危険性は乏しいってことが分かっているからこそ、のんびり視察もできるわけ。
いつ弾が飛んでくるか分からない、攻撃されるかもしれない、ということなら、行くわけないんだっての。行くとしても、完全隠密で電撃訪問くらいだろ。事前に視察予定、とか、明かされてるわけないじゃない。バカかっての。


だから、北朝鮮が危険だ危険だと喧伝するのも、嘘っぱちですな。
多分、北朝鮮にはそんな元気はないんですよ。事を構える程の、金もなけりゃ余裕もない、というのが現実でしょうな。


ま、無駄な外交戦術、ご苦労さんです。
改めて米国のボロが補強されただけ、ということでしたな。



映画『幸せはシャンソニア劇場から』

2010年07月21日 09時01分11秒 | 俺のそれ
いかにもフランス映画っぽい映画、という感じがした。
こういう登場人物の描写の仕方は、結構好き。


同時代の日本と比べて、圧倒的に豊かなフランスの、テンポがよく華やかな感じがよく出ている。大恐慌後の冷え込んだ世界経済の中で、フランスにも失業者が溢れていた―これは現在でもまるで鏡像のように同じではある。


登場人物の役割とか立場が、象徴的にくっきりと設定されているのがいい。

うだつの上がらない劇場の支配人。
女房に逃げられ、同居していた息子は引き取られてしまった。

左派闘士の若者。
政治利用されてしまう、モノマネ王子(笑)。
無名の歌姫。
アコーディオンを教えた引きこもりの、ラジオ男。
金貸しゴロツキのボス。

などなど。


貧乏で金のない中でも、街の人々には希望や連帯がある。


それと、キーになるフランス語の歌が、とても感じが良い。

途中ミュージカル風に仕立てられているので、見せ場ということではあると思うが、ちょっとやりすぎな部分は、ご愛嬌(海に行くという、あの場面)。


アコーディオンの伴奏に乗って、「あの懐かしい歌」が真夜中の窓の外から聞こえてくるシーンは、どんなセリフよりもまさる。思わず涙してしまう。


ただ、エピソードをかなり数多く盛り込んであるので、途中散漫な感じを若干は受けるかもしれない。

全体としては、十分楽しめます。