大した話じゃないんですが。
>http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20111104#p1
最後のイチゴの話ね。
なんか、ムカっと来る。別にいいじゃん、と思ったりもするが、あくまで個人的感想を書いておくことにするよ。
いや、別に本を否定したいというわけでもないし、中身がどうという評価もできないが、アタマで考えろ、という割りには、不適切な例であると疑問には思わなかったのだろうか。
生存コストが高すぎるんじゃないか、という例なのかもしれないが、だったら、イチゴなんか食うな。そんな高級食材を、たっぷりと食べられる人なんて、世界の一握りなんじゃないですかね。生存コストの安い国に行けばいいだけ。何も、日本をそういう国と同じに改造する必要なんかないんだよ。
これも、まあいい。
イチゴの話だったな。
キレイに並べてないイチゴなんて、スーパーで買って食う必要なんかないですよ。そういうのは「自分の狭い範囲の感覚」でしかないんじゃないですか?
安いイチゴなんて、いくらでも存在してるし、端的な例であるとイチゴは地面にあるもの、だ。東京の大都会モンが、偉そうな口を叩きたいが為に、キレイに並んだイチゴを腐しているに過ぎない。地面にあるイチゴを食ったことはないのか?安いイチゴが食いたけりゃ、地べたに生えてるのでも十分だろ。生存コストを下げたいなら、そうすりゃいい(笑)。それが答えだ。
オレはイチゴ農家なんか知らないし、イチゴを作ったこともない。イチゴ狩りだってしたことがない。偶然生えてたイチゴを見つけて、食ったことがある、というだけだ。誰かが栽培して、その後に廃墟となったせいなのか、偶然生えてた野生のイチゴか知らない。が、獲れたてイチゴを食べた実感は、甘酸っぱかった。現代イチゴのような、甘さはなかった。どちらかといえば、酸っぱい、という代物だった。
日々の生活実感だけで言えば、あのパックには意味があると思う。
イチゴは傷みやすい。机の上に置いておくだけで、重量のかかる下面は先に「ブヨッ」とした感じになって、変色して傷むだろう。非常にデリケートなのだよ。
いいか、あれを海外の露天市場みたいに、山積みにしておくということを、想像できるか?(笑)
大きさのまちまちな、雑多な石ころをランダムに箱に入れて置く時、軽く箱を振ってやると、隙間がかなり埋まって、体積が小さくなるよね?それは、どういうことかというと、密度が増している、ということなのだよ。もし、箱に最大限に石ころを入れようとするなら、隙間を最小限の体積にすることになるのだ。
イチゴで考えてみよう。
雑多に箱に放り込むと、動かすたびに、隙間が最小化されるように働くだろう。石ころの入った箱を、ザッザと振る動作に似ている、ということなのだよ。すると、「イチゴの山」は高密度化され、最下層にあるイチゴの受ける圧力は、より高まってゆくであろう、ということが予想されるのである。
これは、何を意味すると思うか?
イチゴは早くダメになる、ということだ。特に、最下層にあるイチゴほど、傷みが激しくなるであろう。
では、傷んだイチゴを排除して、売れるものだけを残すとしよう。そうすると、結局は、最下層にいくイチゴが同じ程度で生じるので、やっぱり売り物にならなくなるだろう、ということが想像できるのだ。つまり、廃棄率が高まるかもしれないな、ということが予想できる。
では、傷みを減らすには、どうしたらいいか?
下面になるイチゴを減らし、かかる重量とか圧力を軽減するよりない、ということなのだ。これは、イチゴが空中に浮いた状態に保存されると、最も傷みが少なく日持ちするだろう、ということ。あのキレイにパックされたイチゴには、空間が無駄に空いているでしょう?あれこそが、上の石ころの入った箱の例でみた、空隙が少ないと密度が高まる、というのを防げる方法になっているのではないのかな、ということですよ。
要するに、廃棄率を最小化する為、ということが、最も考えられる理由ではないかな、ということです。山盛りになったイチゴの最下層の傷んだイチゴの廃棄作業をやるとするなら、それは誰が、どうやってやると思う?
アボカドやオレンジとか、そういう果物なんかと同じように、手間のかからない山積みにしておくと、どうなってしまうか、ということの想像力が足りねえんじゃないんですか、ってな気分だな。廃棄するのも、大きな労力だし、無駄な手間なんだよ。
じゃあ、別な方法で、小さいカゴみたいなのに、10個程度の山盛りにして、ひと籠いくら、で売ってみるとするか。何も、キレイに揃えてパックなんかする必要がないわな。けど、この方法だと、今日売れる自信、みたいなのがあって、目の前で売って行ければいいけど、そんなのは、小さな八百屋さんみたいな所じゃないと難しいんじゃないですかね?
たった今、売れる、今日売りきれる、ということなら、できるだろうね、多分。だけど、お客は、それを、どうやって持ち帰ると思う?
籠から、イチゴをバラバラと袋に移して、他の野菜とかと一緒に持って帰るのかな?家まで無事にイチゴは生き延びているかな?潰れませんか?理不尽な客が、「お宅で買ったイチゴは、傷んで酷かった」とか、難癖をつけられたり、そこまでいかないまでも次からは購入しないと思われて、イチゴ購入の客が離れていったりしませんかね?
あのキレイに並べられたイチゴには、それ相応の工夫と知恵が隠されているのではありませんか?
箱に入れて運送する時、でこぼこがあって、上の箱に押しつぶされたりしないように、箱の深さを越えないように並んでいるわけで、それなりの意味があると思うわけですよ。
俺はね、野生イチゴを食ったことがあるから、店頭に並ぶ、あのうまいイチゴが、どうしてこれほど安く食べられるようになったのか、と、本当に感動するわけですよ。昔ね、イチゴなんて、超高級品で、ひとパック800円とか900円とか、ザラだった。貧乏庶民には、中々手の届かない、憧れの高級品だったんです。メロンもそうだけどね。
でもね、イチゴは、今じゃ、そこそこ安くて、甘くて、美味しいんですよ。品種改良の進歩のお陰だな。時季も選ばなくなった。
昔は、練乳なしだと、酸っぱい感じだったが、今じゃ、何もいらないもの。
桃とか、イチゴなんて、本当にデリケートな扱いじゃないと、直ぐに傷むからね。
それでも、美味しく食べられるように、傷みが減らせるように、色々な工夫はされてきたのだと思うわけです。あれは、何も「無駄な人件費を負荷せんが為の低生産性な人々の策略」とかではないんですよ。きっと、「美味しく食べてもらえるように」と思って、丹精込めた結果なのだとしか、俺には思えないわけです。
大都会の自分基準しか脳みそにない連中に何が判るのか、頭で考えた結果がそれかよ、そんな考えしか浮かばねえのかよ、と。
実際のところはどうなのか、というのは、本物のイチゴ農家の人たちとか、イチゴ業者の人たちに尋ねてみないと分からないんじゃないかな、と思うので、誰か取材でもしてみて下さい。
要するに、「考えろ」というのは、「オマエモナー」に行きつく(笑)。実際、俺自身もそうなんだけどさ。人のことは言えない。
>http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20111104#p1
最後のイチゴの話ね。
なんか、ムカっと来る。別にいいじゃん、と思ったりもするが、あくまで個人的感想を書いておくことにするよ。
いや、別に本を否定したいというわけでもないし、中身がどうという評価もできないが、アタマで考えろ、という割りには、不適切な例であると疑問には思わなかったのだろうか。
生存コストが高すぎるんじゃないか、という例なのかもしれないが、だったら、イチゴなんか食うな。そんな高級食材を、たっぷりと食べられる人なんて、世界の一握りなんじゃないですかね。生存コストの安い国に行けばいいだけ。何も、日本をそういう国と同じに改造する必要なんかないんだよ。
これも、まあいい。
イチゴの話だったな。
キレイに並べてないイチゴなんて、スーパーで買って食う必要なんかないですよ。そういうのは「自分の狭い範囲の感覚」でしかないんじゃないですか?
安いイチゴなんて、いくらでも存在してるし、端的な例であるとイチゴは地面にあるもの、だ。東京の大都会モンが、偉そうな口を叩きたいが為に、キレイに並んだイチゴを腐しているに過ぎない。地面にあるイチゴを食ったことはないのか?安いイチゴが食いたけりゃ、地べたに生えてるのでも十分だろ。生存コストを下げたいなら、そうすりゃいい(笑)。それが答えだ。
オレはイチゴ農家なんか知らないし、イチゴを作ったこともない。イチゴ狩りだってしたことがない。偶然生えてたイチゴを見つけて、食ったことがある、というだけだ。誰かが栽培して、その後に廃墟となったせいなのか、偶然生えてた野生のイチゴか知らない。が、獲れたてイチゴを食べた実感は、甘酸っぱかった。現代イチゴのような、甘さはなかった。どちらかといえば、酸っぱい、という代物だった。
日々の生活実感だけで言えば、あのパックには意味があると思う。
イチゴは傷みやすい。机の上に置いておくだけで、重量のかかる下面は先に「ブヨッ」とした感じになって、変色して傷むだろう。非常にデリケートなのだよ。
いいか、あれを海外の露天市場みたいに、山積みにしておくということを、想像できるか?(笑)
大きさのまちまちな、雑多な石ころをランダムに箱に入れて置く時、軽く箱を振ってやると、隙間がかなり埋まって、体積が小さくなるよね?それは、どういうことかというと、密度が増している、ということなのだよ。もし、箱に最大限に石ころを入れようとするなら、隙間を最小限の体積にすることになるのだ。
イチゴで考えてみよう。
雑多に箱に放り込むと、動かすたびに、隙間が最小化されるように働くだろう。石ころの入った箱を、ザッザと振る動作に似ている、ということなのだよ。すると、「イチゴの山」は高密度化され、最下層にあるイチゴの受ける圧力は、より高まってゆくであろう、ということが予想されるのである。
これは、何を意味すると思うか?
イチゴは早くダメになる、ということだ。特に、最下層にあるイチゴほど、傷みが激しくなるであろう。
では、傷んだイチゴを排除して、売れるものだけを残すとしよう。そうすると、結局は、最下層にいくイチゴが同じ程度で生じるので、やっぱり売り物にならなくなるだろう、ということが想像できるのだ。つまり、廃棄率が高まるかもしれないな、ということが予想できる。
では、傷みを減らすには、どうしたらいいか?
下面になるイチゴを減らし、かかる重量とか圧力を軽減するよりない、ということなのだ。これは、イチゴが空中に浮いた状態に保存されると、最も傷みが少なく日持ちするだろう、ということ。あのキレイにパックされたイチゴには、空間が無駄に空いているでしょう?あれこそが、上の石ころの入った箱の例でみた、空隙が少ないと密度が高まる、というのを防げる方法になっているのではないのかな、ということですよ。
要するに、廃棄率を最小化する為、ということが、最も考えられる理由ではないかな、ということです。山盛りになったイチゴの最下層の傷んだイチゴの廃棄作業をやるとするなら、それは誰が、どうやってやると思う?
アボカドやオレンジとか、そういう果物なんかと同じように、手間のかからない山積みにしておくと、どうなってしまうか、ということの想像力が足りねえんじゃないんですか、ってな気分だな。廃棄するのも、大きな労力だし、無駄な手間なんだよ。
じゃあ、別な方法で、小さいカゴみたいなのに、10個程度の山盛りにして、ひと籠いくら、で売ってみるとするか。何も、キレイに揃えてパックなんかする必要がないわな。けど、この方法だと、今日売れる自信、みたいなのがあって、目の前で売って行ければいいけど、そんなのは、小さな八百屋さんみたいな所じゃないと難しいんじゃないですかね?
たった今、売れる、今日売りきれる、ということなら、できるだろうね、多分。だけど、お客は、それを、どうやって持ち帰ると思う?
籠から、イチゴをバラバラと袋に移して、他の野菜とかと一緒に持って帰るのかな?家まで無事にイチゴは生き延びているかな?潰れませんか?理不尽な客が、「お宅で買ったイチゴは、傷んで酷かった」とか、難癖をつけられたり、そこまでいかないまでも次からは購入しないと思われて、イチゴ購入の客が離れていったりしませんかね?
あのキレイに並べられたイチゴには、それ相応の工夫と知恵が隠されているのではありませんか?
箱に入れて運送する時、でこぼこがあって、上の箱に押しつぶされたりしないように、箱の深さを越えないように並んでいるわけで、それなりの意味があると思うわけですよ。
俺はね、野生イチゴを食ったことがあるから、店頭に並ぶ、あのうまいイチゴが、どうしてこれほど安く食べられるようになったのか、と、本当に感動するわけですよ。昔ね、イチゴなんて、超高級品で、ひとパック800円とか900円とか、ザラだった。貧乏庶民には、中々手の届かない、憧れの高級品だったんです。メロンもそうだけどね。
でもね、イチゴは、今じゃ、そこそこ安くて、甘くて、美味しいんですよ。品種改良の進歩のお陰だな。時季も選ばなくなった。
昔は、練乳なしだと、酸っぱい感じだったが、今じゃ、何もいらないもの。
桃とか、イチゴなんて、本当にデリケートな扱いじゃないと、直ぐに傷むからね。
それでも、美味しく食べられるように、傷みが減らせるように、色々な工夫はされてきたのだと思うわけです。あれは、何も「無駄な人件費を負荷せんが為の低生産性な人々の策略」とかではないんですよ。きっと、「美味しく食べてもらえるように」と思って、丹精込めた結果なのだとしか、俺には思えないわけです。
大都会の自分基準しか脳みそにない連中に何が判るのか、頭で考えた結果がそれかよ、そんな考えしか浮かばねえのかよ、と。
実際のところはどうなのか、というのは、本物のイチゴ農家の人たちとか、イチゴ業者の人たちに尋ねてみないと分からないんじゃないかな、と思うので、誰か取材でもしてみて下さい。
要するに、「考えろ」というのは、「オマエモナー」に行きつく(笑)。実際、俺自身もそうなんだけどさ。人のことは言えない。