いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」

オール人力狙撃システム試作機

所得格差が子供を下層階級にするのか・その2

2006年04月18日 17時40分52秒 | 社会全般
先日、大変興味深いコメントを頂戴しました。判りやすくて、ナルホド、と思いますが、一方では疑問もあったりして、何となく釈然としない感じもあります。ですので、記事に書くことにしました。お答えするのが遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

所得格差が子供を下層階級にするのか


(コメントを以下に再掲)




学者によるこの話題の主な論点の概要は以下の通り。

・所得格差・生育環境が教育格差になること
・所得格差・生育環境による文化的な資本の習得の差(言語、知識、マナー、基本的技能、etc)が、各人のスタート地点の格差を生むこと(=公平のなかに隠された不平等競争)
・その階級の人として自明に習得されるべきとする文化資本が階級差別の根源の一つとなること(たとえば、経済的・地位的には上流と認められるが、その身なり、知識、マナーなどが達していないと認められないなど。)

別に学者は上流になるべきとか、下流は愚か者の集団だということを言いたいわけではない。単に、「平等」を謳う社会に潜む不平等を指摘しているだけ。結果的に能力の優劣・知識の多少が、「比較的」、階層分布の特徴としているだけで、その逆、「所属階層は能力の優劣・知識の多少によって決まる」としているわけではない。

至極簡単に言えば、「上流階級における文化資本の独占・寡占状況が、階級固定を促す要因となっている」という、むしろ上流階級批判とも言える。




(以下、「上流階級」「階級(階層)固定」などの言葉を使うこととします。このような言葉は、私にはちょっと受け入れ難い面があり、本意ではありませんけれども、一般的な理解としてその通りに使うこととします。)


初めに思うことは、「格差」を取り立てて社会問題視するほどの事柄であるかどうか、ということです。そして、そのような格差を公的にどの程度是正するべきか、ということです。最近の「格差問題」というのは、社会的に大きな障害というより気分的なものが多いような気がするし、メディアなどでの取り上げられ方も単なる煽りでしかないような面が多いと感じます。


文化資本の格差ですけれども、これは今に始まったことではないですし、昔からのことではないかと思えます。非常に大雑把に言えば、貴族的な特権によって文化資本の寡占状態はあっただろうし、それによって上流階級が身につけるべきマナーなどは下々の者には備わっていなかったということは、いつの時代にも見られたのではないでしょうか。それが、現代社会では「是正すべき大問題」であり、全国民が同じように上流階級のお作法を備えるべき、というのは、無理な話ではないかと思えます。


現在の上流階級と目されるような人々は、主に戦中・戦後における経済的成功者たちが多いのではないかと推測しています。もっと昔からの殿様たちとか華族たちだけが日本の中枢にいて、文化資本を独占したりはしていないと思えます。勿論、国会議員たちは世襲は多いですが、それでも少数派になりつつあります。階級を超えて成功した人たちがいなかったか、と言えば、逆で成り上がっていった人たちはそれなりに存在してきたと思えます。


最近では、所謂「IT長者」などともてはやされた人々がそうではないでしょうか。代表的なのはまさしく「ホリエモン」でしょう。一般的には、その経済的成功に多くの人々の羨望を集めていると思えます。彼らが歴史ある家柄の出身者で多数占められていれば、「文化資本寡占」の申し子と言えるかもしれませんが、おそらく違うと推測しています。また、戦後に成長を遂げた大手企業の多くは-例えばトヨタ、ホンダやソニーなどですね-「成り上がり」で成功したようなものではないでしょうか。それまでの華族や財閥の強力な階級制度によって成功できた訳ではない、と思います。むしろ、名もなき下層階級者として、下から上へと上がっていったのではないかと思えます。


もうちょっと古くは、三菱グループという、ある意味「国家的企業群」がありますが(国の仕事をたくさん受け持ってきたということで)、創業者の岩崎弥太郎氏は名家の大名などではなく、今で言えば公務員の一人みたいなものだと思いますけれども、明治維新に乗じて成り上がっていったようなものではないかと思えます(言葉が悪くてごめんなさい。悪い意味ではないです)。要するにいつの時代にも、成功者たちは存在しており、それらの人々は上流階級の人間たちばかりであったかと言えば、そうとも言えないのではないのかな、ということです。明治維新によって新たに華族となったりして、結局「成り上がった者」だってたくさんいただろうし、それ以後の歴史といってもせいぜいが3代程度に過ぎないと思います。で、全部がその成功を土台にして、現在も貴族みたいな上流階級の生活を楽しんでいるのかと言えば、案外そうでもないこともあると思います。


現代に旧制を打破するような革命的な出来事がどれほどあるかと言えば、これは確かに、あまり期待できそうにないと思います。明治維新や終戦に匹敵するような社会体制の大変革は訪れない、ということです。そうなると、一発逆転で成り上がるということは難しくなるということも有り得ると思いますが、わざわざ破壊をもたらさなくても、現代でも特別な成功を収めている人々は少なくありません。分かり易い例は、スポーツ選手ですね。そういう何かの分野で努力すれば成功を収められる可能性はたくさんあるのです。IT長者だってそうですよね。或いは、株取引もそうかもしれません。そういうことを目指したい人はチャレンジすればよいわけで、この競争に敗れたからと言って、格差のせいであるとは思えないのですね。


そもそも文化資本というものの価値観について言えば、経済的な面ばかりが重要視されて取り上げられがちですが、本当に上流階級の有している文化だけが価値が高いのでしょうか?例えば歌舞伎役者たちは厳しい階級制度が守られており、その階級を乗り越えることはできないでしょう。茶道だって家元は永遠に家元であって、その階級を塗り替えることはできないと思います。伝統文化の多くは、ある種の「頑なさ」によって守られている面があるかもしれないですね。それは、生まれた家で決まってしまうという、特有の文化です。農家に生まれた人が農家を継ぐことは、階級固定なのでしょうか?所謂「上流階級の文化」と呼ばれるような文化は有していないかもしれないが、特有の文化は酪農家にだって存在します。


上流階級では金持ちなので、美術品をよく購入したり、バイオリンを習ったりしているとしましょう。絵画の鑑賞には確かにお金もかかるかもしれないですし、購入などということになればそれはもっと大変ですよね。一般庶民の家では、滅多に絵画鑑賞なんてしないし、美術館に出かけていったり、購入したりもしないとしましょう。そういう「文化資本を有していない」、と。お役人たちは田舎にも「文化資本を整備しよう」という名目で(本当は貪るためだろうと思うけど)、税金を大量投入して美術館を建設したりする訳ですが、実際に誰も来ないような美術館となってしまうわけです。一般庶民には金を払ってまで「美術館に鑑賞に行く」という文化が、あまり根付いていないからなのかもしれませんが、当然の如く不採算事業となってしまう訳ですね(笑)。これを仮に無料化したとしても、やっぱり利用者数は少ないかもしれないですよね。それまでの生育環境が、「美術館へ行く」という環境ではなかったので、そういう文化が身についていないかもしれないですから。

もっと全国民が「上流階級の文化」をマネしていくべきだ、ということであれば、生育環境を全員同じレベルにしなければ、差異が生ずることになると思います。バイオリンにしても、上流階級では習えるが貧乏人は金がないので習えないのはオカシイってことであれば、全員が無料で習えるような体制にしなければならないことになってしまいます。貧乏な家庭では本が買えないので、本を読むという文化が根付いていないと仮定しましょう。そういう本を読まない家庭に育つと、子どもがあまり本を読まなくなる、ということがあるかもしれません。ここに格差がある、ということですね。でも、学校や自治体には図書館があるし、金のない人でも読めることになっています。貧乏人は家庭で教育しないから読まないのだ、ということであれば、そういう学校や自治体の図書館を利用するように教えればよいのではないかと思います。それでも読まないのであれば、単なる個人の自由ではないかと思えます。


親の世代やもっと古い世代からの資本を受け継ぐことで、個人の「出発点」が異なることに問題がある、ということであれば、個人遺産は定額のみの相続に変えて、それ以外は全て没収、ということにせざるを得ないでしょう。もしもそのような相続制度に変われば、寄附が増やせるかもしれませんし。しかし、現実にこのようなことが可能でしょうか?また、そんなことをしたところで、どれほどの意味があるでしょうか?家庭内での文化を放棄して、それぞれが同じ文化となることに果たして意味があるでしょうか?こうした根本的疑問があります。そこまでの「平等」を実現することは、本当に必要なのでしょうか?


所得の多い家庭ではそれなりの文化があると思いますし、教育や習い事などでも貧乏な家庭に比べれば有利なことが多いと思いますね。しかし、貧乏な家庭の子だって、野球が上手になりプロになるかもしれないし、苦学の末、国公立大学に行って弁護士になるかもしれないですよね。「身分制度の為に、オマエは野球選手になってはならん」とか「オマエの生まれが貧しいので、医者にはなれん」とか、そういうルールでもあるのであれば別ですが、全然そんなことはありません。能力があって、努力し、チャンスを掴めるなら、きっと可能であると思います。それでいいのではないか、と思うのです。


貧乏人と金持ちの入れ替わりの映画などが昔からありますが、上流階級の人々が庶民の意外な文化に驚き新鮮に感じることだってあるではありませんか(笑)。金持ちたちの「失っていたもの」に気付くことだってありますよ。貧乏な家庭にはそれなりの不思議な文化があって、ろくでもない場合もありますが、ユニークで味わいのある文化だって存在すると思っています。手打ちソバの店をやっている家に生まれたら、代々その手打ちソバの文化を引き継いでいたりすることもあるかもしれません。ひょっとするとそこの子は学校の勉強はそれほどできないかもしれないし、上流階級のような生活は望むべくもないかもしれないですが、そのソバ職人の家庭が「不幸せ」だなんて、私には思えませんね。上流階級の人々に比べて、そのソバ職人が下層階級だなんてことも、到底考えられませんね。


一般に、世の中で喧伝される「成功者」「上流階級」と目される人々というのは、周囲がそれを大袈裟に羨んだりしているだけではないかと思います(煽り立てているとも言えるかもしれません)。しかも目立つのは単なる「成り上がり」という層が多いのではないでしょうか。社会全体がそういう価値観ばかりを偏重する、ということをやめれば済むことではないかと思えます。まさに「拝金主義」の一派としか思えない面がありますね。また、「差異が存在する」ということは、学問的に指摘するまでもなく、今に始まったことなどではないですよね?学者さんたちが「不平等が存在する」ということを、取り立てて世の中の人々に訴えなくても知られていると思いますけど。改善されるべきは、「不当な」不公平であって、全ての平等の達成なんかではないと思います。むしろ、失敗・敗北した人や現状に不満を抱く人たちの逃げ口上というか、「格差のせいだ」的な理由に使われてしまっているだけなんじゃないか、とも思えます。


金持ち=上流階級=文化資本の独占、という、これもある種の「特定の価値観」に囚われているとしか思えません。別に金持ちなんかじゃなくても、人の羨むような職業なんかではなくても、人にはそれぞれの生き方・幸せがあります。とある小さな島にずーっと暮らして、先祖代々引き継いだ文化を守って生きる人がいてもいいと思います。その文化は、イマドキの「上流階級」なんかよりも価値の高い文化であると思えます。島に残って生活するか、島を出て何かにチャレンジするかは、本人の自由です。「抜け出したい」とひたすら願う人もいるかもしれず、そういう人が「自由意志」で島を出られるような社会であれば、機会は与えられていると思います。島の外の情報が与えられないとか、島を出るという選択ができないような社会環境なのであれば、改善されるべきでありましょう。ただ、今の時代でそのようなことは考え難いと思いますけれども。


希望格差というのは、それこそ大人たちの下らない価値観に毒された子どもたちの成れの果てなんだろうと思います。



「web」は「structure」を超えられるか・その2

2006年04月16日 19時19分23秒 | 俺のそれ
何かの画期的な変革によってもたらされた変化は、それなりに各分野に影響するのであるが、古い時代のものが全て消え去るわけではない。

再び生物の話に戻ろう。進化の過程で生物に神経系の複雑な仕組みが備わった後にも、神経系以外の伝達システムは依然として残されており、全てが「ネットワーク伝達」に切り替わったりしないのである。これはある意味不思議なのだが、脳や神経といった「効率的な」システムが確立されて以後に、それまでの曖昧な伝達システムを残す意味というのがどれほどあるのか、ということでもある。多分、進化の結果、全部をネットワーク型にするよりも、有効だったのかもしれない。それか現在が完全ネットワーク型への移行過程なのかもしれないけれど。それとも、アナログ信号方式の方が有効な分野は、古いシステムを残した方がいいのかもしれない。単に、刺激の「あり・なし」という情報伝達ではよくないということなのかな。


絵の具でいうと、2色で「赤」と「青」という表現形式がネットワーク型で用いられる情報であり、古いタイプの伝達形式では同じ「赤」であっても、水彩画のボカシみたいに薄い赤から濃い赤まで境界なくあって、その全てが「赤」であるということだ。「赤」「青」という情報にはそれぞれ特定の決まりがあるのだが、色の濃淡には「決められない情報」が載せられており、そのことに意味がある、ということだと思う。


更に、生物の伝達物質には非常に古典的なものが未だに残されており、それは逆に普遍的であることに意味があるのかもしれない。代表的なものは、カルシウム(Ca)だ。骨の構成成分であるし、体内では割とよく観察される普通の成分である。何処にでもある、と言ってもいいくらいだ。細胞内でも普通に見られる物質(多分ナトリウムよりは多いだろう)なのである。酵素のような大型のタンパク質分子でもなく、極めて単純な物質である。カルシウムがなければ各種の反応カスケードが作動しない、ということはよくあるはずであり、重要な反応過程に深く関与していることが多い。出血すると血が固まる(血液凝固)反応があるが、カルシウムがなければ固まらないのだ。それに、筋肉の収縮だって起こせないのである。いくら脳から右腕を動かせ、という指令(電気的信号)が来ても、ピクリとも動かすことができないのだ(社長室から社長が「売上実績を上げろ」といくら命令しても、現場の営業マンがその通りには売れないのと同じ?笑)。


誰しも知っているような「カルシウム」(生体内で機能するのは陽イオンの形だろう)という単純かつ古典的な物質は、多数の重要な反応を担っている。伝達形式も、神経ネットワークのような情報伝達システムとは違った形で機能しているのである。生物において、神経ネットワークを獲得しても、カルシウムの伝達物質としての機能や関与する反応は消滅しなかった。ネットワークとは違った伝達形式を有し、アナログ的な振る舞いを見せるとしても、進化の過程で排除されずに残されてきたということは、大変興味深いのである。


現在のインターネット世界の更なる隆盛があったとしても、古いタイプの伝達形式は維持されると思う。その情報伝達の重要度が大幅に低下する、ということもないと思える。ネットワーク伝達が万能ではない、ということでもある。むしろ、組み合わせによって効率化が進むのだと思う。具体的なビジネスモデルはわからないけれど、個々の企業には成功や敗北はあるかもしれないし、それで「巨人企業」が誕生したとしても、その地位はいずれ脅かされるだろう。それはネットワーク世界の宿命でもあると思う。マクロ的な趨勢としては、今後web世界の経済的価値はある程度までは上がると思うが、この商売であっても過去の経験則からは逃れられず(笑)、次第に成長率が落ちていくので、低コストでも仕事を取りにくる国・個人に大方はシフトしていくだろう。今のインド人みたいなものですね。


既にITバブル期を経ることで、興亡の傾向は見られており、何でもかんでも「IT」で成功できた黎明期から、選別が進み生き延びたものたちだけが果実を手に入れられるようになってきただろう。その中で、もっと生き残りをかけた選別が進み、多くのプロバイダ業者たちが整理されて消滅していったように、ネット企業の整理統合は進むだろう。多くは大企業に集約されていき、新たな創造性を持つものたちだけが生き延びられるだろう。利益水準が大きいかどうかは別だとは思うけれども。


生物の体に占める脳神経系のエネルギー消費は、一つ一つで見れば割合としては多い(例えば細胞一つ当たりで見たりすれば)が、全体からすれば大半を占めたりはしない。なので、webの生み出す価値が、それを取り巻く(或いは支える)現実世界における実体を伴うstructure部門を凌駕したりはできないだろう、というのが私の感想です。どんなに優れた脳(=ネットワークシステム)であってもそれ単独の存在(=何も出力できない)では無価値であるし(そもそもスタンド・アローンは不可能ですけど)、構造担当の細胞・組織群は必須であり、出力系(筋肉などの、一般に脳よりも程度が低い(笑)と目されがちな細胞・組織群ですね)や代謝・維持システムの方が多くを占有するのである。それ故、webというネットワークシステムはどんなに価値が高まっていったとしても、古くから普通に存在し、古典的とか進化の程度が低いとかバカにされるような部門の価値を超えて行くことはできない、ということです。


グーグルという企業は凄いらしいのだが、神経ネットワークのような仕組みから考えると、まだ初歩的段階に到達しただけではないかと思える。今後検索エンジンの凄さ、というのは、初めの頃に比べれば重要度が相対的に低下していくだろう。従ってエンジンを支配するグーグルの現在の地位というのは、別なビジネス手段を見つけ出すか他の分野にシフトしない限り、持続するとは思えない。アップルが独創的なMacという「パソコン」で成功を収めたけれど、その成功は長くは続かなかったし、新たなiPodというビジネスで稼げるように変わっていった。そういう創造性がなければ、後進の低コストで耐え抜ける連中がヒタヒタと追いすがってくるから、いつまでも成長を続けることはできないのである。偉大なる巨人IBM(笑、本当にそういう評価かどうかは各人の判断にお任せします)といえども、すでに「果実」を食べ終えてしまったパソコン事業を「レノボ」に売却せざるを得なかった。とっくに成長を終えた低成長分野(プラトー期に入ってしまっている分野)の少ないエサに食いついて、世界各地から事業をひたすら集めている中国であるが、貧乏であるからこそ、そういう戦術が可能と言える。日本や米国企業では、利益率が低すぎて「合理的ではない」ということなんだろう。


検索エンジンがどれほど強力で、「今まで知らなかった」効果を持ち、新たな発見に繋がることがあったとしても、それはいっときの変化だと思う。そこには次なる価値が生まれてこなくなるだろう。グーグルのエンジンは、ネット世界の「何かのルール」の一つを提示したに過ぎないのではないか。多数の(無数の?)可能性の中から、抽出パターンの一つを例示しただけだ。神経組織で言えば、たまたま「一つの刺激物質による刺激伝達」というルールを獲得しただけだろう。そうだな、例えばカプサイシン(この前、韓国人スリ集団が逃げる時に使った催涙スプレーの成分として発表されてたよね?)による刺激電流発生、という一つのルールを作ったようなものだ。


これは残念ながら求心路(受容器からの信号入力で、刺激を脳に伝える)に過ぎないのではないかと思う。バラバラに存在する刺激物質の検出、という求心経路の入力パターンの見本を作っただけのように思える。本当に価値が高いのは、遠心経路(命令・出力系統)にこそあると思う。それは、「ゴルフができる」「自転車に乗れる」「文字が書ける」というような複雑な総合的制御を必要とすることとか、「小説が書ける」「絵が描ける」「作曲ができる」というような「ないところから、何かを生み出す」という創造性こそが、価値が高いと思うからである。


現在のwebではそこまで期待するのは難しいだろう。当面の間は、アニメ世界の中かSFだけに留めておくべきなのかもしれない。



「web」は「structure」を超えられるか

2006年04月16日 14時06分51秒 | 俺のそれ
今ハヤリの「web2.0」関連話はきっと優れモノだと思うけど、この現実世界への影響がどの程度なのかは、私にはよく判らない。きっと新たなビジネス、サービスやライフスタイルを確立することに違いないと思うが、人間の本質を大きく変えることはないと思う。他の多くの人々がどう思っているかはよく判らないのだが。

しつこいようですが、過去の記事を参考までに。

参考記事:

マスコミの存在意義
ネット言論の試練1
ネット言論の試練2
サイバー・デモクラシーは醸成できるか~2
情報とは何か?
続・情報とは何か?(追記後)



以前の記事のように、生物で考えてみようと思う。私には学者のような正確な知識はないですが、知っている範囲で色々と考えてみることにします。



生物進化の過程で神経組織を獲得したことは画期的なことだったろう。それが現在の人間のような中枢神経系を持つようになって、脳が色々なことを考え出せるようにもなった。脳のような極めて複雑精緻で巨大な神経ネットワークが作られたことで、さまざまな創造性を獲得できた。こうした脳の神経ネットワークに似ているのが、サイバー・スペースにおけるネットワークだ。


原始的な生物は、神経組織も複雑なネットワークも持たないから、「脳の発達」というものがない。そこでの情報交換の形は限られたものしかない。だが、人間は脳という神経ネットワークを持つことで、さまざまな発達・成功を獲得した。創造性もそうなのだが、極めて特異な想像・空想という「仮想空間」を自己に内在させられるようになった。この空想とか想像といった脳の働きによって、実際には存在しないのにあたかもそれが目の前に実在するかのように考えることが可能なのである。到達したことのないような深海や、登ることなどできないであろう山の頂にさえも、自分がそこに立っているかの如くに想像することができるのである。このことは、サイバー・スペースと似たところがあると感じている。


しかし、この仮想空間を内在させられる脳という器官が、人体の全てではない。全体から見れば少数派の存在でしかない。圧倒的大多数はもっと別の組織や細胞である。勿論脳のエネルギー消費量はかなりの部分を占めていることは確かである。脳重量は高々1.6kg前後(体重の3~4%程度)でしかないが、酸素消費量は全体の2~3割などといわれる。重要度の高いシステムではあるが、生体の根幹ではない。高度で複雑な思考などが可能な大脳皮質などよりも、むしろ生命維持のための脳幹部分の方が実は重要なのである。高度な部分を担う組織よりも、原始的で単純な組織の方が、生存には不可欠なのである。


これを人間社会に置き換えると、どういったことが考えられるだろうか。ネットワークのエネルギー消費はい今後も増大傾向だろう。簡単に言うと、ネット世界では「お金をたくさん使うようになる」ということだと思う。経済的価値はそれなりに高くなり、そこでの経済活動(人体でいうところの代謝かな)によってたくさんのお金が消費されるようになるだろう。その為利益も増えるだろう。だが、いずれそのビジネスモデルも頭打ちに近づいていくだろう。脳が現在のところ体重の1割にも達していないことからも、それは容易に想像がつく(笑)。ある化学反応の反応速度のように、急速に立ち上がっていったグラフの傾きは、次第にプラトーへと向かうだろう。何かの革命的な変革が起こった当初は、大抵そうだろう。


例えばそれまでの人力による「機織」でやっていた時には生産量が少なかったが、紡績機械が発達して何百とか何千倍もの量の生産が可能になれば、経済的価値は凄く増えただろうし、その経済活動によって莫大な利益はもたらされただろうが、いずれその価値上昇にも限界点が近づいてくるのだろうな、と。初めのうちは成長率が数百%とかの上昇だったが、段々と成長率は小さくなっていき、数%とかコンマいくつとかのごくごく低い成長率へと落ちていってしまうのであろう。経済価値の小さな部門(国や個人)ではその極々僅かな伸び率でさえ意味のある成長であるので、そこに飛びついてくるだろう。先進国ではそんなカスみたいな経済価値上昇では割に合わないので、別の成長率の高い分野へと移っていくだろう。


そのような構造変化が起こったとしても、誰も裸で歩いてはいないし、線維産業自体が消えることもない。オールドな産業ではあるが、今までと同じく何処かには残されることが多いだろう。中には消える産業もあるが、それは大抵代替されてしまったものであろう。公衆電話は次第に消滅していくが、これは携帯電話に代替されたようなものだ。しかし、電話産業が登場した時には、それは画期的な変化であったことに違いはないだろうし、経済価値・規模も高まったけれども、そこから生み出されるエネルギー(収益)は成長限界が近づき、成長率は著しく鈍化するのだ。それでも、電話そのものが消え去った訳ではない。


ネット世界での大きな変革が起こったとしても、現実世界での大幅な変更がどれほど起こってくるか、というのは未知であろう。ただ、「不要」という認定を受けた産業は、他のもので代替されるか、いずれ消滅するだろう。その認定は利用者・消費者たちの態度によって行われる。「チチキトク スグカエレ」という電報が、今ではどこにも配達されてはいないだろうな、と。それでも祝電は何故か慣例として存続しているのだけれど。


(つづく)


恩給等の減額問題

2006年04月15日 03時39分29秒 | 社会保障問題
恩給・追加費用について色々と議論があるようです。TB頂いた「飯大蔵の言いたい事」さんの記事で知りました(こちらからTBしようと思ったのですが、できなかったので・・・スミマセン)。

asahicom:文官の恩給もカットへ、年金一元化に連動-政治


重要なことは、本当に「年金」としての意味合いがどれほどあるか、ということですね。恩給は共済ができる以前の制度であったので、社会保障としての意義は確かにあるでしょう。ただ、これには注意が必要です。共済制度に切り替わったのは、昭和34(1959)年ということです。

参考記事:
恩給・職域加算の減額は憲法違反か?その2



場合分けをして考えることにしましょう。

①S34年以前に退職した人
②現在受給権があり、S34年以後に退職した人


①の人は追加費用とは別の、「恩給」ということになります。共済には未加入ですので、共済年金の受給は受けていないハズです。②の人は恩給相当部分が「追加費用」で賄われ、34年以後に掛金を払った部分に対応するのが共済年金(プラス職域加算部分も)ということになります。


①の場合:

昭和34年(1959年)までに退職している人とはどんな人か?1959年に退職し、定年が55歳だったとすれば(ちょっと正確に判りません。いつから60歳定年になったのか知らないです)、1904年生まれということです。つまり現在102歳ということですね。ご本人の受給者というのは、殆ど存在しないか、いたとしてもごく僅かです。仮に配偶者がご存命であり、本人が他界している場合は遺族年金の形(正確な名称は違うかもしれないです)で受け取ることになると思います。夫が102歳で、妻が一回りの12歳下であるとしても既に90歳ということになります。この場合にも、受給を受けている人の数はそれほど多くないと思われます。「約3万人が平均約112万円を受けている」という記事の通りだとしても、3万円×112万円=336億円程度の支出にしかならず、全然少ないのですよ。


しかし実際には、恩給は9千億円とか1兆円とかの水準で給付されているんですよ。これは誰が受けているのか?結構謎ですよね。旧軍人以外にも誰かいるのか?

受給資格が本人又は配偶者ではなくて、既にその子供とか孫に移っていることも考えられますか?公務員は年金の受給資格が孫や祖父母まであるらしいからね(恩給がそうかどうかは知りませんが)。もしも、子又は孫が受給している場合には、労働対価としての評価は全く観念できないのであり、国からの贈与に他ならないし、別な年金や仕事からの賃金収入などがあるかもしれず、親や祖父母からタダでもらった受給資格によって自分の生活基盤(主たる収入)となす、というのは見当ハズレでしょう。「自助努力でお願いします」ということで、何ら問題ないですね。出自で国民に格差があるのと一緒ではありませんか。親父又は爺さんとかが「公務員」だったからといって、孫が金を貰わねばならない理由なんて、何もないと思いますが。このようなケースでは、はっきり言えば、限りなくゼロに近くても(できれば廃止でも)問題ないと思います。


他には、勲章を受けたような人たちが受給しているのでしょうか?勲何等みたいなやつですね。勲章授与と年金は全くの別ものであり、労働対価としての賃金でも何でもなく、掛金を払ったわけでもないのですから、単なる贈与なのではないですか?もしもそうであれば、恩給の大幅減額で何ら問題ないですね。名誉があれば十分ではありませんか(笑)。通常は社会的成功者にしか勲章は与えられないようにも思うので、そういう人たちは十分蓄財も成功しているだろうと思いますね。大方は一財産築いているでしょう。ということで、勲章に係る受給資格取得者は、別な生活手段でガンバレ。ある程度の資産や他の年金制度が全くない人に限っては、減額幅の検討をしておけばよい。


②の場合:

まず、組合員本人が現在年金受給者であるとすれば、既に65歳に到達しているはずです。しかも1959年には勤務していなければなりません。1959年に大卒22歳で勤務開始の人であれば、1937年生まれです(今年で69歳)。恩給対応期間が僅か1年、60歳定年まで勤務したとすると、1997年退職ということになります。当時の初任給がどれ位か知らないですが、多分1万円とか2万円という世界でしょう。であれば、仮に平均給与2万円、うち10%が年金部分(労使併せた額)としても、掛金は1000円にしか過ぎません。38年前に払った1年で12000円分の元金の運用収益は1997年時点でどれくらいに増えているでしょうか?例えば年利7%の1年複利で38年間運用したとしても(現実には無理だと思うけど)、38年後時点で年金原資となるのは約157000円に過ぎません。これを元金として年利5%で給付できたとしても毎月約654円の増額にしかなりません。年利3%なら約393円です。年金への上乗せ額はたかが知れています。


もっと高齢の人を考えてみましょうか。今年80歳の人(1926年生まれ)は恩給期間が先の人よりも長く、加入期間が12年になります。この場合には、平均年12000円を12年間払い続けるとしたら(恐らく初任給がずっと安かったのと昇給とがバランスしたと考えて)、34(1959)年までに元本144000円が恩給対応部分となります。これを年利7%で38年間運用したとすれば、38年後時点では約188.3万円となります。この場合、5%給付であれば月に約7848円、3%給付ならば約4709円の上乗せとなります。

これも本人又は配偶者以外が受給している場合には、「年金」としての意味合いなどありません。他の収入で生活するように頑張ってもらえばよいでしょう。また、元々掛金など払っておらず、贈与的な部分でしかないのだから減額は問題ないと思いますけど。



上記の計算は全くのいい加減な仮定なので、普通の公的年金制度からはかなり離れていると思いますが、言いたいのは「(まるで給料みたいに)生活できる程多い額がもらえるというのは、そもそも間違いなんじゃないのか」ということです。短い加入期間の部分でそんなに多く給付されることがどう考えてもオカシイのですよ。
(勿論、年金制度がなかった時代の社会保障という部分は、通常の年金制度同様に生活資金提供は認められていいと思いますが。それが本来の恩給の意味であったのではないかと思いますけどね。それってS34年以前の退職者の話でしか有り得ないだろうな、と。)


与党にも野党にも、法曹出身者もいれば官僚出身者たちも大勢いるわけですが、今までどうして誰も何も言わなかったのですか?公務員共済の問題というのは、ずーっと昔から判っていたはずだ。でも、完全に隠し続けてきたのでしょうか?要するに、カゲの部分には触れないようにするだけなんじゃないのか?官僚だったのに、内部事情が判らないわけがないのだぞ?法的解釈や評価だって、法曹出身ならば専門なのだから判りそうなものだろ?


結局こうした議員たちも官僚と同じであり、自分のことしか考えていないとしか思えんね。それかよっぽど頭が悪いのか?卑怯なだけか?何の為の国会議員なんだ。知ってて黙ってるのは、もっと悪いと思うね。



消費者金融の曲がり角?

2006年04月14日 22時07分14秒 | 社会全般
銀行の子会社化が進んだりして、まともな商売のように装っていた面もあるかもしれんね。消費者金融自体が「絶対ダメ」とは言わんが、何だかな~、って思っていた。前にもちょっと書いたけれど、広告も多すぎだしね。

で、自分たち自身が「どうする?アイフル」ってな事態が起こっている、ということらしい(多くの人がこのネタを使うかも。私の発想が平凡なので許してね)。

Yahooニュース - 毎日新聞 - <アイフル>全店舗対象に業務停止命令 金融庁


実際、どうすんだろうね(笑)。
取立て屋が別な関連会社にあったりするんじゃないの?間違いだったら、ゴメンナサイ、ですけど。
名誉毀損とかで訴えられるかな・・・?


全くの仮定で考えてみよう。マンガか映画とかで、似たような筋書きは昔からあったと思うけど。
もしも「クリーンな消費者金融会社」を表向き保つとすれば、焦げ付き債権を何処かの会社にまとめて売る、とかですね。債権を何分の一かの値段で買い取った会社は、社員に取り立てさせるんですね(笑)。
債務者は結構逃げていったりしていて、そういう人間を探し出すのは普通の上場企業社員には難しいでしょ?なので、そういうのを専門にやっている人たちを使う、ということになるのではないかと思いますけど。


一般には、電話などで「払って下さいよ~」といくらお願いしたところで、払えないから焦げ付いてる訳で、どうせ払えないんですよ、きっと。そうなると所謂「若いもん」の出番となって、「直どり」ですかね。「ご対面~」ということです。きっと凄くコワイのではないでしょうか。でも、そういう取立て屋は大手消費者金融の社員ではないんじゃないのかな、と思ったりします。だって、社員がそんな取立てをやっていたってことになったら、社会的に大問題になってしまうと普通は考えますね。でも、別会社のやってることならば、直接的には影響ないように思いますけど。そういう意味では、取立て屋というのは案外といい商売なのかもしれんね。実際に存在するかどうかは知らないんですが。『ナニワ金融道』のような世界がきっと繰り広げられるのだろうと思いますね(笑)。


因みに、よく出てくる宣伝文句が、

「ご利用は計画的に」

なんていうやつがありますよね。もしも本当に「計画的」にできるならば、誰も借りんのですよ(笑)。
我が家では、「絶対に無理だよね」といつも言っています。借りるのは「計画的」にできない人だからこそであって、本当に計画的な人ならば予備費程度は常に銀行に入れておくだろう、と。イマドキ、コンビニATMさえある時代なんだし。たとえ持ち合わせの現金で払えないことがあったとしても、普通はカード決済か、お財布携帯みたいなのとかsuica等電子マネーだってあるし、Jデビット(orデビッド?最近も残ってるのかな)もあるし、本当にキャッシュ以外で払えない場面ってどんな時なのか想像がつかないけど(実は、私自身は痛恨の失敗をした(=お金が払えなかった)ことが幾度かあって、その爆笑失敗談はまた後日ということで、笑)。


なので、計画的に利用できるような人は、最初から消費者金融からなんか借りんのですよ。何か特別な突発的出来事があるかもしれないが、クレジットカードのローン(カードに大抵くっついてくるヤツ)の方が利率は低いことが多いから、そちらでも調達可能だよね?何で消費者金融から借りねばならんのか不思議なのですよ。


グレーゾーン金利問題もあったり、将来的には政策金利引き上げもあるだろうから、きっと資金調達コストがアップするので、消費者金融の収益構造は大きく変わると思うね。今までのデフレ時代のようには儲けられなくなる、ってことですよ。

日本企業の収益ベストテンに消費者金融が何社も名を連ねる、っていうのがちょっと前まであったように思うが、これを見ていた私としては、非常に忸怩たる思いがありましたよ(あくまで個人的感想ですからね)。日本企業は一体全体何をやっているんだ、こんなに借りる方も借りる方だ、ってね。世界に誇れるハズの日本を代表する企業は、どこに行ってしまったのか、って。消費者金融会社(何も会社自体が悪いとはいっていませんよ)が日本を代表する企業のランキング上位です、って、これはある意味非常にショックですよ。本当に。それも「何社も」ですから。昔のことを言って申し訳ないのですけど。


話が大きく逸れましたが、要するに、
消費者金融業界はマジで「どうする?アイフル」ってことで。



昨日のお詫び

2006年04月14日 20時57分26秒 | 俺のそれ
昨日のわんこのお話が途中で切れてしまっていました。スミマセンでした。・・・お詫びいたします。


随分と変な記事だな(いつもそうじゃないか、というツッコミは御容赦ということで)と思われたでしょう。なので、残りの部分を載せておきます。一応興味ある方は、お読み下されば幸いです。


迎えに行った先で、犬がもの凄い勢いで玄関に飛んで来ました。
思いのほかデカイと思いました。体重でいうと、10kgくらいはあるようでした。
「これって、室内犬なのか・・・?」
真っ先にそう思いました。聞いてた話と全然違うじゃねーか(笑)。
でも、割とカッコイイ犬だな、とも思いました。

まあ、体は思っていたよりも大きいけれど、そのまま連れて帰ることになりました。
車には飼い主の方が載せてくれて、犬が騒がないうちにすばやくお別れをしました。

妻や子どもには既に何度か会っていて馴れていたらしく、初めはじゃれていましたが、車がどんどん進んで行くにつれてただならぬ雰囲気を感じ取っていたようです。辺りをキョロキョロと見渡して、不安げな様子です。次第にピッタリと動かなくなり、悲しげな目でじっと周りを見ているだけになりました。ワンとも吼えずに、ただ車に揺られているだけでした。ふと、「ドナドナ」の歌を思い出しました(本当のタイトルは何ていうのだったか忘れた)。

「かわいーい子牛
売られてゆくよー
悲しそうな瞳で見ているよ
ドナドナドナドナー」

(著作権許諾何とか~は関係ありますか?ちょっとよく判らんけど)

車に載せられたわんこはまさにこの子牛状態。
そりゃ、そうだわな。
人間だって急に拉致されて、見ず知らずの場所に連れていかれりゃ、悲しくなるよね。
ましてや自分の知らない連中というか、得体の知れない連中(私及び家族)が一緒だし。


それから暫くしてウチに着くと、何だかパニック状態になってましたが、段々と落ち着いていきました。

こうして我が家の一員となったのです。


私の役割としては、犬の散歩ですね。
時にはサボってしまい、子どもに頼むこともありますが、大体私が行っています。
ウチに来る前には、妻や子どもが面倒を見ると言っていたのに、今では私が一番熱心かもしれないです(笑)。


部屋の中では悪戯をしないし、トイレも散歩に出た時にしかしないので、大変楽です。
かなりの「孝行わんこ」です(笑)。
でも、一度だけかじられたことがあって、そのせいでネットに接続不能となってしまったことがありました。

悪戯はその一度きりですね。大変お行儀が良いのです。
以前の飼い主さんが良い教育をしたのでしょう。
わんこの教育も大事なのですね。勉強になりました。



ちょっとウレシイ「ご報告」・・・

2006年04月13日 21時59分44秒 | 俺のそれ
そんな大袈裟に報告というほどでもないんですが、書きたい、という己の欲望を抑え切れませんでした(笑)。なので、書いてみます。


実は、先月から大きく生活環境が変わったことがあるのです。
それは・・・秘密です!(かなり昔にこんな番組がありましたね。御存知ですか?って、「ざけんなよ、コノヤロ」と非難が目に浮かぶようですので、素直に白状します。
犬を飼い始めたんですよ。ワンちゃん、ですよー!
決して王監督を飼い始めたのではないですけど(うわ、オヤジだ~)。


こんなオヤジが言うのも何ですが、すっごいカワイイわんこなんですよ、これが(笑)。
我が家にやって来て、大体1ヶ月ちょっと経った位です。

数年前まで犬を飼っていたのですが、高齢の為病死してしまったのです。16歳くらいでした。
その後、しばらく犬は飼わない、と思っていたから、今回の犬を飼うというのは全くの想定外でした。
妻が知人に頼まれて、ワケあってもらうことになったらしい。
全くの子犬ではなくて既に1歳を過ぎてるらしい、と事前に聞いていましたが、
「ねえ、飼ってもいい?面倒は私と子どもで見るから。お願い」
とマジメに頼まれたので、許可することにしたのです。
「今までウチの中で飼ってたんですって」とか言うから、多分小型犬だろうと思いました。


で、その知人宅までお迎えに行くことになったのです。車で家族とともに行きました。


恩給・職域加算の減額は憲法違反か?その2

2006年04月12日 15時52分57秒 | 法関係
公務員共済の問題ですけれども、「最大で10%減額」みたいな見出しで出てましたが、これって根本的な解決策を考えているとは思われませんね。それと、「財産権を侵害する」って、誰が言ったのか未だに不明のままですね。財務省は論拠を示せよ。野党ももっと厳しく追及しろよ。何をやってんだか、全く。

公務員OBの年金、最大1割カット…政府・与党が方針 政治 YOMIURI ONLINE(読売新聞)


恩給・職域加算の減額は憲法違反か?


昨年の秋に判決が出た年金減額訴訟ですけれども、参考になりますので挙げておきます。ちょっと長いのですが、部分的に引用します(事件名・番号とか出てなかったので自分でタイトルを付けた。PDFだったから、写すのが凄い面倒だった・・・何でコピペができるようにしてくれないんだろう・・・と思いました)。

松下電器年金減額裁判―大阪地裁判決


本件基本年金の利息相当分のうち、一般に運用可能な利率による利息相当額ないしそれをある程度超える利率による利息相当額を上回る部分(以下「超過利息分」という。)については、その対価を具体的に観念できないものというべきであり、超過利息分相当額の年金給付は、被告が主張するところの恩恵的給付、法律的には贈与の性質を有する給付であるというべきである。
(中略)

本件改廃規定(「将来、経済情勢もしくは社会保障制度に大幅な変動があった場合、あるいは法制面での規制措置により必要が生じた場合は、この規程の全般的な改定または廃止を行う。」)が、将来締結される本件契約の内容を従来締結されていた本件契約の内容から変更するだけでなく、既受給者との間においても既に締結された本件契約の内容を変更できる旨を定めた規定であると解するとしても、その内容には合理性が認められるというべきである。
(中略)

経済情勢等の大幅な変動があった場合に、本件制度の改定又は廃止という全面的な改定は行うが、既受給者を含む本件制度の対象者との間での部分的な契約内容の改変も一切行わないということは、本件制度のように長期間にわたって存続することが予定されている制度においてはおよそ考えられないところであって、
(中略)

また、本件規程は、前記のとおり、本件契約の内容となることが予定されたものであるから、本件契約を締結するより前の未受給者との間では、将来の期待し得る内容という以上の意味を有しないものであり、そのような者との間において、松下労組等との協議が必要になるとしても、経済情勢等の大幅な変更という厳密な要件で限定することなく、被告が本件制度を全面的に改定又は廃止することができることは当然であり、まして、部分的な改定であれば、松下労組等との協議なくして被告がこれをすることができる場合もあることは当然であって、特に後者については、本件改廃規程のような規程をおく必要があるとは到底考えられないものである。
(中略)

本件契約締結後に本件改廃規定による本件規程の改定がされた場合には、改定後の本件規程がその契約内容になるというべきである。
(中略)

退職時に締結された本件契約によって、その総額につき少なくとも抽象的には年金請求権が発生すると解されるが、本件改廃規定は、既に退職者に発生した権利についても、一定の事情変更が生じた場合にその権利内容を変更することができることを定めたものと解するのが相当である。
(中略)

本件福祉年金のうちその余の部分については、それが退職金の分割払いの性質を有するとはいえないものであることからすると、経済情勢等の変動の程度との関係においてその必要性があり、その事情変更の程度との関係で合理性を有すると判断される範囲内であれば、本件給付利率を変更して給付額を減額することも許され、特に対価性を観念できない部分については、前記のとおり、法律的には贈与の性質を有すると解されることも勘案すると、その余の部分と比較して、本件給付利率の改定につき、その必要性と相当性の判断には、厳格性は要求されないと解するのが相当である。
(中略)

①(著者注:既発生の権利である本件福祉年金請求権を侵害する)については、前記のとおり、本件改廃規定が本件契約内容となっていることからすると、本件改廃規定によって既受給者に対する本件福祉年金の給付利率を引き下げることが信義則等に反するということはできない。
(中略)

ここでいう経済情勢の大幅な変動とは、市場金利よりも有利な給付利率による本件福祉年金の長期的・継続的支給を維持することが困難となるような経済情勢の大幅な変動を指すと解される。そして、市場金利よりも有利な給付利率による本件福祉年金を長期間に渡って継続的に支給し続けることが困難と考えられるような経済情勢の大幅な変動があったかということにを判断するということになると、被告を取り巻く客観的な経済情勢について考慮するだけでなく、本件福祉年金を支給する主体である被告の経済状態をも考慮しなければならないことは、その性質上当然のことというべきである。また、社会保障制度の大幅な変動により本件給付利率を維持することが困難になる場合とは、例えば、そのような給付利率による本件福祉年金の長期的・継続的支給をすることが被告の未だ退職していない従業員に対する社会保障制度との関係で著しい不均衡を生じることになる場合を指し、
(中略)

既受給者もかつては老後の生活保障も励みにして労務を提供し、被告らの利潤蓄積に貢献したところ、本件基本年金の利息相当分の受給は、その労務の提供の成果に対する還元という側面も有していること等を理由として、現役従業員との格差を問題とするのは不合理であると主張する。しかし、本件利率改定により利率が低下する部分は、超過利息分であって、その対価を具体的に観念できないものであり、原告らの労働の対価とは評価できないのであるから、この点に関する原告らの主張には理由がないというべきである。


こんな感じでした。できれば原文をお読み下さいね。


私の拙い理解の範囲で判決の要点をまとめますと、大体次のようなことです。

・(賃金としての)対価性を観念できない部分は贈与的なもの
・一般的な運用成績を上回る給付(判決では「超過利息分」)は、贈与的なもの
・改廃規定に基づく改廃は認められる
・既受給者にも改廃規定の効力は及ぶ
・制度の長期的・継続的維持が困難である場合は改廃規定を適用可
・運営主体の経済状況等も考慮される
・現役従業員との著しい不均衡も判断材料となる
・一般に長期間存続する年金制度で、変更がないと考える方が不思議(笑)


公務員共済の「職域加算」や「追加費用」部分というのが、これらから外れているかと言えば、多分違うと思うね。それでも、「憲法の財産権を侵害する」と主張するのであれば、どのような理屈なのか教えてもらいたいもんですね。特に「超過利息分」に該当するのは減額することは可能であると思われますが。今まで十分貪ってきたはずですので、そういう人たちの分こそ多く減額してくれって思うけど。これまで国に大きな損害を与えてきたのに、老後まで国民が何で面倒を見てやらなけりゃならんのだ?



労働保険行政は根本から変えよ

2006年04月10日 21時49分38秒 | 社会保障問題
もう何度も書いてきたが、雇用保険事業に関する「悪行三昧」は枚挙に暇がありません。労働局の裏金という刑事事件までありました。更に雇用・能力開発機構のような「無駄飯食い」が未だに温存されており、労働族の利権とともに抵抗勢力と化しているだろうと思う。独立行政法人とは言ってみても、運営交付金なしでは自分たちの給料さえままならず、いつまで経っても自立できないんですから。全然独立なんかじゃないんですよ。

一応、無駄の見本を。

建設に4406億、127億で売却…勤労者福祉施設 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

以下に、一部抜粋。




雇用保険料で建設された勤労者福祉施設の売却処分が3月末に終了し、買い手のついた1976施設の売却総額は約127億円で、全施設の建設費の2・9%にとどまったことが8日、厚生労働省のまとめで分かった。

 92施設については、買い手がつかずに取り壊され、新たに約20億円の解体費用がかかったことも判明。勤労者福祉施設については、体育館を1050円で売却するなどの「投げ売り」が指摘されていたが、取り壊しのために雇用保険料がさらに投入される矛盾が表面化した。

 勤労者福祉施設の建設は、サラリーマンの福利厚生のためとして、当時の雇用促進事業団により1961年にスタート。計4406億円を投じ、体育館や保養・宿泊施設など2070施設が2001年までに建てられた。

 特殊法人の整理合理化の一環として、99年に全施設の売却方針が決まり、同事業団を引き継いだ厚労省所管の独立行政法人「雇用・能力開発機構」(横浜市)が処分を進めてきた。

 厚労省によると、買い手がついた1976施設の売却先は、主に市町村や財団法人など。売却総額の約127億円は、2070施設の建設費総額の2・9%だった。不動産鑑定評価の総額721億円に対しても17・6%にとどまった。




本当にアホじゃ。いいんですか?財務省。いくら金貨オークションで数億円を回収しても、こんな風にアッサリ数百億円規模で「回収失敗」ですから(笑)。評価額が700億円超いっていても、半分どころか3割も回収できないんですよ?不良債権みたいなもんですか?(爆)

少なくとも、雇用・能力開発機構の予算を100億円毎年減額しておけ。運営交付金の予算を認めないで、はじけばいいんだよ、財務省は。自分たちの失敗は自分たちでケツを拭けって言ってやれ。6年後には700億円以上回収したのと同じ効果が出るから。せめてそれくらいはやれ。財務省がガーンと怒っておけば、いいんだよ。「何でもっと回収しなかったんだ!」って。国の資産売却云々で財務省がえらく責められてるってのに、一方では「これっぽちしか回収できませんでした」って、暢気なんですから。その罰は受けるべきでしょうな。

参考記事:

特殊法人の不良債権額の推測?2



そもそも社会保障番号を導入すれば、雇用保険料徴収等の業務なんかなくせるんですよ。保険料ではなくて、税方式でも何にも変わらないのです。未加入企業があることで労働者の権利を守れていないという側面もありますから、キッチリ税として徴収してしまえばそれも防げるし、国税庁が多分頑張るでしょう。それに、社会保険労務士等の「利権」もちょっとはあるかもしれんね。ハッキリ言うと、労働保険の手続き関係は、「労働保険事務組合」と旧労働省関連の天下りとかの温床になっているのではありませんか?事務組合というのは、労働保険から手数料みたいなのをかなり引っ張ってきているんでしょ?数百億円規模なのではありませんか?そういえば、厚労省の何かの入札に1円入札を入れてたのが、社労士団体だったような気がするね。やっぱり何かの利権を守りたいのではないでしょうか?


社労士は今のところ主に労働保険に関する手続き等をメインに稼いでいるのではないかと思うが(事実誤認かもしれません、全くの推測です)、もっと労務管理の監視・監督の強化の方向の方が求められる業務になるべきだと考えています。労働保険のないフリーター・パートたちは、企業側が不当に労働保険を逃れていることで権利を侵害されていることも少なくないのではないでしょうか。あるいは、休暇も取れないとか、産休もないとか、労働条件の大きな不利益を強いられているかもしれず、そういう企業の是正や指導・監督の方が重要な仕事であると思うのです。勿論正社員たちもサービス残業を暗黙のうちに求められたり、無理な休日出勤をさせられたり等々、労働条件の劣悪な企業(主に中小企業の場合が多いと思うが)もきっとあるでしょう。企業への適正な指導こそ、労務管理のプロのやるべき仕事ではないでしょうか。多分、条件のよい企業(主に大・中堅企業)はそうした労務管理が行われていることが多いと思いますけれど、大多数の零細・中小企業では不足がちではないかと思います。


規制強化によって、時間外労働の上限(例えば「月に50時間以内」とか)を設け、労働者の健康・家庭生活などに配慮させるようにする、ということはできると思う。これは特定の労働者に労働・責任が集中するのを防ぐことができるし、社会全体で見れば、(過労が減少することで)健康な人の相対割合が増えれば医療費等支出が抑制され、自殺や過労死などが減少させられるかもしれません(効果の程は研究してみないとわからないだろうけど)。結果的には、不利な部分ばかり(企業にとっては雇用者数が増えるので総賃金が増加する可能性が高い)ではなくなるかもしれません(公的支出減少に繋がれば、他の税が軽減される可能性が出てくる)。また、はやく家に帰れるようになるので、少子化対策という点でも意味があるかもしれないです。


そして、最大の効果としては、労働者の需要が増す、ということです。それと同時に、仮に一人が欠けても仕事は進むようにできるかもしれない、ということです。これは比較的長期間に渡る「育児休暇」を取り易くなる、とか、長期有給休暇も取り易くなる、というような効果が生まれるかもしれないです。なので、できれば年間総労働時間の上限制にしたり、月間の時間外労働時間の上限を設けたりする方がいいと思っています。しかし、多くの企業がこうした「規制強化」には反対するでしょう。人件費が増加するからですね。そこで、前から何度も言っているように、社会保障関連の費用を適正に負担する仕組みに変えれば済むのですよ。今までは労働保険のうち数千億円規模で「労働族」のタカリに遭っていたのを、スッパリなくせば済むのですね。変な労働族の巣窟である公益法人などに予算を付けないようにすればよいのです。そうすれば、労働保険の料率を間違いなく下げることができるんですよ。それに、今までは不当に負担を回避していたような企業が、税として納めるようになれば社会全体で見れば納付率が上がるというか、労働保険関連費用としては従来よりもはるかに多く回収できるはずです。となれば、企業にとって人件費が増えた分、そのままを増大させることにはならないだろうと思います。


現在でも労働基準監督署が多少の立入検査などをやったりしていると思いますが、きっと「タレコミ」があったような場合にしか個々の事業所の監督なんてできないだろうし、全国の事業所の数と労基署の数・人員とではあまりに開きが大きいでしょう。なので、実際の労働環境がどうなっているか、なんてことは、「野放し」状態に近いのかもしれません。企業側の「自助努力」というか「倫理」に大きく依存しているだろうと思います。全部の管理監督というのは確かに難しいでしょうけれども、社労士が大勢いるんでしょうから、そちらで労基署の不足分をある程度カバーしてむらうことでいいのではないかと思います。


企業にとって考えてみると、はるかに割高な休日・時間外労働賃金を特定の同じ人に支払うのではなくて、別な労働者にその分を振り向けると考えれば、それほど大きな損ばかりではないはずです。しかも、休暇を取られても急には困らなくないようになるかもしれないですし。

例で考えてみましょう。
従来の労働者の陣容をとりあえず次の通りとします。
①正規職員で週60時間(40+時間外20):10人
②パート労働で
週35時間:20人(P1と呼ぶことにします)
週25時間:10人(P2と呼ぶことにします)

この時、①の労働量(仮に、人数×時間と定義することにします)は600人・時間、②は(35×20+25×10)=950人・時間ですので、合計1550人・時間の労働量を投入している、ということですね。合計でこの労働量がカバーされればよいのです。賃金水準は、次の通りにしましょう。
①の人は正規賃金を2a、②のP1の人はa、P2の人は0.6aであるとします(実際の数字で言うと、例えば月給(ボーナスを含む平均)が正規が30万円であれば、P1は15万円、P2は9万円ということです)。ここで、正規の人は時間外賃金が25%増しとなるとすれば、時間外賃金分は1.25aとなり、合計では3.25a の賃金を支払うことになります。すると賃金合計はそれぞれ次のようになります。

①の分:3.25a×10人=32.5a
②のP1の分:a×20人=20a
②のP2の分:0.6a×10人=6a

となります。全部の合計は58.5a です。企業は従来社会保障負担を逃れていたのが、26a に該当する部分ですね(今後はこれを負担してもらうようにするべきです)。今の制度では、社会保障負担は32.5a に対してかかり、年金・医療・介護・労働保険の負担率が計16%であるとしますと、事業主負担分は32.5a×0.16=5.2a となります。


これからは、社会保障負担を給与総額に対して行うものとしましょう。
また、労働時間の改善を図り、時間外勤務を減らすこととし、職員を次のようにしました。
①正規職員:週40時間を12人、労働量は480人・時間
②のP1:週35時間を22人、労働量は770人・時間
②のP2:週25時間を12人、労働量は300人・時間

これで、上と同じく合計労働量は1550人・時間となっていますが、実人数が6人増加しています(40人→46人)。つまり、雇用者数は増加して、雇用促進政策としては有利になります。次に、この賃金を見てみましょう。

①:2a×12=24a
②のP1:a×22=22a
②のP2:0.6a×12=7.2a

合計では53.2a となります。
すなわち、正規職員に時間外労働を多くさせるよりも、時間内で終了できるような人員配分を考える方が有利であると思われます。そこまで教育・成長させるのに先行投資が必要、という考え方もあるかもしれないですが(その分、企業負担が重くなる)。ですが、長時間の時間外勤務を継続することは、労働者個人にとっても相当の負担となりますので、雇用人員を減らすことばかりではなく、いくつかの労働力の組み合わせで調整可能な部分は調整した方が有利となるのではないかと思えます。それに、誰かが休む場合(産休育児休暇とか有給休暇とか)には、他の人たちに負担がかかるかもしれませんが、人数が多い方が一人当たりの分担する仕事量は軽減されますよね。


社会保障の事業主負担は賃金総額53.2a の16%であるとすれば約8.5a となり、最初の5.2a よりも増えますが、人件費トータルでは、それほど大きく違いが出る訳ではありません。最初が58.5a+5.2a=63.7aで、下の場合では53.2a+8.5a=61.7a となって、人数が増加し社会保障負担も増加するのですが、全体では逆に減少しています。差額分は企業利益とするよりも、パート職員の給与アップなどで、正規との差を小さくすることに使えばいいと思います。これであれば、正規職員の個人的負担は軽減され(但し、一人当たりの給料は減少している、時間外賃金分が減ることになります)、労働環境としては好ましいでしょう。通常時間外賃金がたくさん出る(=時間外労働時間が長い)ことを前提として求職することは少なく、労働条件の提示でも時間外賃金が含まれない正規の賃金額だと思います。なので、変更する場合には、今まで働いていた人たちの給与が少なくなる為にちょっと不満が出るかもしれませんが、新たな人たちを雇う分には問題ないでしょう。


労働条件を工夫すれば、雇用人員の需要は増加し、パート職員にも雇用保険もあれば、年金もある、という風にできるのではないでしょうか。労働保険料率が少なくできるのであれば、もうちょっと企業負担は減るかもしれないですし。この方式は、従来の正規職員たちの給与水準を相対的に低くすること(=正規・非正規の格差を縮小)で達成されることになります。初めは10人だけが3.25a という高い賃金を得ていたものを、広く他の人々にも均等化するということに他なりません。それまで収入がゼロだったのが2a へと増加した人、a へと増加した人、0.6a へと増加した人、という風に、各2名が増加しています。この分は全て最初の10名が占めていたのであり、仕事も賃金も少ない人数で分けるよりも、16名で分けた方が望ましい、ということです。この方法にすんなりと賛成する既得権者たちは多くはないと思われ、それを緩和する意味ではインフレ率というのが大変役立つのです。


インフレ率よりも既得権者たちの賃金上昇を抑制し、新規参入労働者たちの雇用増効果を狙う方が社会的・政策的には望ましいはずなのです。同様に、旧来の高額な年金受給者たちの受給額も同様にインフレ率より低く抑制する(むしろ据え置きでもいいと思う)だけで、給付削減効果とともに現役世代(今の若い世代)との世代間格差を縮小させることが可能になります。これまでは、ちょっと少ない人数で分配していた分を、分配される人の数を増やし、高い水準であった人たちとの格差を相対的に縮小させることが必要だろうと思います。そして、既得権者たちの受け入れがたさを緩和させるのが、インフレ率ということです。給料が減っていくわけではなく、数字自体が増えている(or 減ってない)のならば、大きな不満は出にくいのではなかろうかな、と。


それから、従来は書類などの「ご職業」欄には、「パート」とか「フリーター」とついつい書かざるを得ず、社会的評価も「それなり」の扱われ方であったのですが、今後はそういう労働者の区別が必要なくせるかもしれないです。もうちょっと「労働の柔軟性」というのがあってもいいと思います。労働者の「組み合わせ」による調節効果を狙うのが望ましいと思います。その前提としては、やはり社会保障負担の均一化であると思いますね。まともに払っている企業は、こっそり脱退している企業の分も肩代わりしていることになり、結局損するんですから。それに各種保険財政悪化は事業主負担率の上昇を確実に招くだけであり、いくら歳出削減だとか言っても限界がありますよ。



話題シリーズ23

2006年04月10日 00時46分03秒 | 社会全般
1)大手銀行の寄付講座

読売新聞の4月8日付朝刊に小さく出てた記事ですが、ネット上では見かけなかったので、その記事を以下に記しておきます。



みずほFG、3大学で寄付講座

みずほファイナンシャルグループは今年度、早稲田、慶応、一橋の3大学で、グループの銀行や証券会社の担当者が学生に最先端の金融手法などを講義する「寄付講座」を開設する。大手金融グループがグループを挙げて寄付講座を開設するのは初めてという。いずれも全学部の学生が対象。




大手銀行がこうした教育分野への協力をするようになったことは、評価していいと思います。前に、「役員報酬の半分くらいは寄付しろ」と厳しいことを書いた(参考記事)のですが、お詫びしますね。企業が積極的に社会に貢献することこそ、その企業の価値を高めるものだと思います。ちょっと見直しました。


2)金融政策のこと

日経の記事より。

NIKKEI NET:経済 ニュース


クルーグマン教授「金融政策は物価のため」

米プリンストン大学の記念行事で来日中の同大のポール・クルーグマン教授は8日、日本経済新聞社のインタビューで、名目成長率を政策目標として政府・日銀が共有する案について「中央銀行の使命は物価安定。金融政策は財政を助けるためにある訳ではない」と指摘。中銀の独立性の観点から問題があるとの考えを強調した。

クルーグマン教授は量的緩和解除後の日本の金融政策について「日本はデフレ脱却が見えつつあるが、早すぎる利上げでデフレの長期化に苦しんだ1930年代の米国の教訓もある。2%程度の物価上昇率の定着などを確認してから利上げすべきだ」と語った。その一方で、高い名目成長率を実現するために、日銀に超低金利の維持を求める声があることに対しては否定的な見方を示した。


一応、普通の答えが書かれていますが、ちょっと気になることがありましたのでピックアップしました。
「2%程度の物価上昇率の定着などを確認してから利上げすべき」というのは、多くの指摘の通りですね(笑)。気になるのは次の部分です。「高い名目成長率を実現するために、日銀に超低金利の維持を求める」というのは、「?」と思いました。これって違うんではないのかな、と。


名目成長率=実質成長率+物価上昇率で示されますから、金利政策に依存する部分というのは、「物価上昇率」ということになります。つまりは、実質(潜在)成長率が同じでも、物価上昇率(インフレ率)が高ければ名目成長率が高くなるのですね。

名目金利=実質金利+期待インフレ率ですので、物価変動を小さくしようと思えば(デフレとはならない範囲で)、数字だけ見るとすれば(”理屈”の上では)期待インフレ率がゼロ、物価上昇率もゼロ、ということでしょうか。その場合には、名目成長率=実質成長率であり、名目金利=実質金利となって、「低い名目成長率」と「低金利」が達成されるのです。経済全体が定常(変化が一定)状態に近くなっていて、物価変動が全くないような状態ということですね(あくまで理論世界の中だけの仮定でしかないと思いますけど)。


ところが、高い名目成長率を実現しようと思えば、物価上昇率(インフレ率)を高くする必要があり、この場合には、金利も「超低金利」などということは有り得ない話ではないかと思いますが。インフレ・ターゲットの話しは、「期待インフレ率」の部分が中央銀行の考えている「レンジ」に概ね拘束される(ということでもないかもしれないが、各経済主体はそういう「レンジ」に合わせて行動決定をしがちだろう、ということかと思います)だろう、ということですよね。なので、金利水準がべら棒に上がっていったりすることを抑制することができる、という意味合いでしょう。「hyper」を防ぎつつ、中央銀行が示す物価上昇率が例えば「1~2%」程度であると、(今までに比して)高い名目成長率(=実質成長率+1~2%)となるでしょうね、ということですよね?(「hypo」に陥りそうになる事態に対しても調節性が増すかもね、と)


記者氏は「超低金利維持を求める声」ということを、何か勘違いをしているのではないかと思えます。「量的緩和解除」については、明確な金融政策の枠組みがない状態で、「何の考えもなしに、ただ解除なんかするな」(解除反対)ということであって、これは「デフレ」を終わらせる為に必要なのだ、ということです。日銀がデフレを終息させる「強い決意」を示すことが重要なのであり、量的緩和解除は「物価上昇率をマイナスかゼロに抑え込もう」(=結果的に低い名目成長率)という意思表示のシグナルになってしまうということです。クルーグマン教授が「2%程度の物価上昇率を確認しろ」と答えているのと、意味合い的には同じでしょう。「利上げ」(量的緩和解除も)をするなら、CPI上昇を確認してからにしてくれ、ということを言っているのであって、単に「超低金利を続けてくれ」ということとは全然違うことですよ。


経済素人の私がこんなことを書くのも問題あるかもしれませんが(よく勘違いとかもあるし)、経済紙であるのに、オカシナ取材をしたもんだなー、と感じました。しかも、記事にする前にチェックはかからなかったのでしょうか?少なくとも「高い名目成長率を実現するために、日銀に超低金利の維持を求める声がある」という記述は誤りだろうな、と思いますよ。ライジングチームも勿論そんなことを求めている訳ではないでしょう。まず何より優先されるのは、「デフレ脱却」なのだ、ということです。


3)ところで、日米の長期金利が爆騰中みたい


いつの間にか、日本の長期金利は1.9%乗せでした。米国でも5%目前という、いきなりの金利上昇に驚きました。少し前に、「米国長期金利はせいぜい5%程度だろう」と思いっきり書いてしまった(参考記事)訳ですが、これもひょっとすると突き抜けられるかもしれないです。日米金利差は約3%くらいで、これは大きくは変わっていないようですね。



竹中大臣は死地に赴くつもりなのか

2006年04月08日 17時43分19秒 | 政治って?
昨年末頃からの諮問会議内での議論は、どうにも平ちゃんに分が悪いですね。というか、ライジングチームがある程度の成功を収める為には、主要な人々の協力が必要なことは言うまでもありません。今のところ、小泉さんのご威光→中川政調会長の地力アップ→平ちゃんに傘をさす、というような構図ですので、小泉さんの退任後には中川さんのパワーがどの程度保たれるか、微妙なところだと思いますね。ライジングチームの場合、中川さん抜きでは支えきれないでしょうから、次の総裁が誰になるとしても、中川さんがそれなりのポジションに留まることが必要です。


そうだとしても、平ちゃんの場合には「軍師(学者)あがり」であることは変わらず、党内での反発は昔から残ったままであると思いますね。特に、彼に煮え湯を飲まされた人々は、「来るべき時」が到来するのをひたすら耐えて待っているでしょう。

今までにも、平ちゃんが生き残れたのは小泉さんという強力なバックがあったこともそうですが、何よりも諮問会議という後ろ盾が常にあったからこそ、他の誰かが庇ってくれたに過ぎません。庇護の下であればこそ、麻生親分や谷垣くんとの「神学論争」(笑)でもそれなりにやってこれたし、郵政民営化の時に吊るし上げをくって火ダルマとなっても、与謝野さんが救ってくれたのだと思います。


しかし、それはあくまで目標が一致していたからであって、特に平ちゃんを我が身を差し置いても守るべき存在と思っていたからではありません。平ちゃんがやってこれた理由というのは、彼の政治的手腕が優れていたことなどではありません。単に「庇護の下に置かれていた」というだけですね。今後、自分の政治力で同じ効果を狙おうと思っているとしたら、それは大きな誤りでありましょう。錯覚にすぎませんね。というか、”過信”と取られるかもしれないですね。与謝野さんはその痛烈な批判を、「神の啓示でもあったんでしょうかね」という言葉で表していると思います(こんなような感じの発言だった)。


現状では、諮問会議の主なメンバー(特に民間議員たち)は、既に平ちゃんから離れていますね。政府系金融機関の民営化等検討の時から、あれほど注意するべき、と言ったのに。無駄な論争を仕掛けて、火種を自ら抱えてしまったようなものです。いくら中川さんのパワーが強力であるとしても、いつまでも庇い続けられるとは限りません。このまま行けば、平ちゃんは間違いなく表舞台から消されると思いますね。主要なポストからは外されるでしょう。というか、小泉さん退任後にも本人がやる気があるのかどうかも知らないのですけれども。


唯一残れる可能性としては、安倍ちゃんが総裁になって、幹事長あたりに中川さん、財務(か経済関連の)大臣に平ちゃん、みたいな感じでしょうかね。でも、この場合には、党内での「強硬」路線(他からの反発が常に多い、反竹中ムードとか)が強まるために、相当の犠牲を覚悟せねばならないと思いますけど。それに、諮問会議内では民間議員のメンバー総入れ替え(奥田さんは辞めるから当然かもしれんけど、次は御手洗さんでしたね)、という大技となってしまうと思いますね。そこまで犠牲を払って平ちゃんを守る意味というのが、あんまりないと思われますので、であれば、無難に外す、という選択が優先されるのではなかろうか、と思います。何かと天秤にかける、ということになると思います。


今のやり方を続ける限り、平ちゃんはマズイと思いますよ。少なくとも、協力者を増やそう、という意図も工作も全くなさそうですからね。内閣府+諮問会議で一緒に辛抱したからこそ、自民党内で猛烈反対論が出されても乗り切ってこれたと思うよ。それが現在は、衝突しか生み出してないからね。これは「一緒にはやっていけない」と民間議員たちも、いずれ考えると思うね(既にそうなっているかもしれないな)。なので、竹中包囲網が完全に形成されてしまえば、もう後戻りはできませんよ。


安倍ちゃんが総裁にならない場合には、誰がなっても平ちゃんは外されるね。麻生親分ならば―間違いなし、犬猿の仲だからね。谷垣くんならば―財政一派として神学論争に疲れすぎたからね。福田さんならば―党内運営・融和を重視だと思うからね。安倍ちゃんがなった場合で、諮問会議での民間議員メンバーが大きく変わらないとすれば、その後の諮問会議は結構困ると思うけど。


ということで、ライジング・チームとしては、安倍・中川路線を堅持したいのであれば、次の総裁選は待つ方がいい。安倍ちゃんは竹中氏と他の何かとの選択を迫られることになるでしょう。その時に、平ちゃんを切れればそれでもいいですけど。竹中氏を外すのを、他の誰かがやるんならば、安部ちゃんは傷つかずに済みます。敢えて、安倍ちゃん自身が選ぶというのも酷かもね、と思ったりします。少し短期で誰かが登板して、次の総裁を獲る方がいいと思うけど。森派としても、仮に福田-安倍と続けば、これはオイシイですからね。森-小泉-福田-安倍となってしまえば、「森派にあらずば、人にあらず」ということですな(笑)。さすがにこれはやり過ぎかも、ということも考えられるかな。どうなんでしょうね。


まあ、総裁選びは別として、平ちゃんは敢えて死地に赴くということで、最後の花道?を探しているのかもしれんな。

ライジングチームがイニシアチブをとるためには、周りの協力を仰がないと難しいと思うよ。もっと、協調・交渉戦術を得ながら進めるべきではないでしょうか。回り道でも、結果的にはその方が失敗が少ないと思いますね。



「蓄財しない社会」とは

2006年04月07日 20時46分02秒 | 社会全般
finalventさんの記事で知りました。
あまりにあまりの社説に目を疑ったのですが、日銀派であるところの毎日新聞が一体全体どうしたのでしょう(笑)。終了してしまったらしい、某番組風に言えば、ズバリ、「まあ、なんということでしょう!」


まず、元の文章を見てみましょう(改行は一部変えてあります、引用部は『』で示してあります)。社説は児玉平生氏という方が書いておられます(以下、単に児玉氏と呼ぶ場合があります)。

MSN-Mainichi INTERACTIVE 社説


『不景気になった場合には、公共事業などで政府が仕事を増やすという対策がある。しかし、これがすこぶる評判が悪い。期待したほど効果があがらず、無駄遣いの弊害が目立つからだ。そこで、逆に仕事の中身を点検し、非効率・不採算の分野を整理して、仕事の質や効率を高めることにより経済を改革するという考え方が出てきた。』


確かに従来の公共事業というのは、談合や不正や無駄の温床となっていたわけで、よくないことはたくさんあります。しかし、中には図書館を作ってくれ、とか、介護施設を建設してくれ、といったものも含まれており、全部がダメということではないでしょう。事業(計画)の中身には問題も含まれる場合も多いですが(建設請負業者がガッポリ、とか、用地取得に係るモロモロとか・・・)、目的としては住民の利益になるものもあります。事業のやり方に問題があれば改めることは必要ですが、全ての公共投資が不要、ということではありません。


因みに、「非効率・不採算分野の整理」とは、リストラに他ならないのではないでしょうか?このような効率化努力は多くが民間が行ってきたもので、政府とは直接的には関係ないようにも思えます(規制緩和要因は多少あるかもしれませんけれども)。また、「経済の改革」は甚だ困難なのではないでしょうか?もしできるという人がいたら、結構凄いぞ、と思いますけど。細かいことを言って申し訳ございませんが。どういう意味で書いているのか、ちょっとよく判らないんですが・・・・。


『仕事が効率的に行われているのかをちゃんと判定しないと困ったことになる。しかし、そんなことができる人は、政治家にも官僚にもいそうもない。そこで、判定は市場の役割ということになった。』


ここに書かれる「仕事」とは何を指すのか不明なのですが、文脈から判断するに「行政の行う業務」であろうかと思います。行政では一応政策評価(とりあえず10億円以上の事業についてだったか)を行うようになってきており、今後は予算・決算と併せて評価するということに改めるようになったはずです(確かそうでしたよね?総務省・財務省?最近両省に呼びかけが多いな、笑)。特に財政投融資資金を使うような分野では、昔に比べればちょっとは真面目な「事業計画案」を作成し評価しないと予算を取れないんではないでしょうか?まあ、計画段階では都合よく書けるだろうけれど。で、その評価は公開文書になっており、各事業ごとに専門家が目を皿のようにして「よーく点検」すれば、「オカシイんじゃないか?」とか「杜撰な計画だな」とかは判りそうなものだろうと思いますけど(私には残念ながら評価できるような力量がないですが)。

分かり易い例で言うと、新規の空港や滑走路の建設計画などでは、一応の計画が記されています。いくら借金して、毎年返済がいくら、黒字水準はどれくらい、みたいな数字ですよ。私の場合には、そういうのを見ると非常に疲れるから、飛ばしてしまうことが殆どなんですが(笑)。きっと帳簿に馴れてる人(会計士?)とか、事業に詳しい人とかが見れば、ある程度は評価可能だろうと思えます(メディアは行政の監視の役割云々とかいつも言ってるんだから、そういうのを独自に調査依頼を専門家に出したりして、特集でも組めばいいんだよ。そうすりゃ、無駄な事業はここにありましたー、ってお手柄なんだから)。クドクドと書いてしまって申し訳ありませんが、つまり何が言いたいのかというと、行政の仕事については、評価は一応存在しており、また会計検査院による検査もたまにあったりして、それは全て公務員によって行われるものであり、市場が評価している訳では全然ない、ということです。児玉氏が何について言おうとしているのか、全く判りません。「ちゃんと判定しないと困ったことになる」って、そりゃそうかもしれませんけど、「判定は市場の役割ということになった」って、本当なんですか?それは何を判定しているんでしょうか?そんな判定を”市場”がしているなんて、あんまり聞いたことがないのですが。”仕事”の全部なんて市場が判定できないと思うけど。


『小さな政府、官から民へといったスローガンが目立つ小泉改革もこの流れをくんでいるようだ。効率的に仕事をしている会社の株価は上昇し、それによって高収入を得た人たちが経済を刺激し、その効果が広がって社会全体が恩恵にあずかることができるという。ただ、市場の判定と言っても、詰まるところ株価であり、株で大もうけをした人たちがいて、その他の人はそのおこぼれにすがるという仕組みとも言える。』


行政が行ってきた”仕事”に無駄や非効率なものが多く含まれるので、改めるべきところは改め、民間にできることは民間に仕事を任せよう、というのが小泉さんの言う改革ということです。或いは、規制によって新規参入障壁となっているとか、既得権者たちが固定化されて競争の少ない分野となっている(代表例はテレビなどのメディアですね)というところは、自由競争を促進すること(=概ね効率化に繋がる)で、資源(ヒト・モノ・カネ)配分の最適化を図ろう、ということもそうですね。

「小泉改革もこの流れをくんでいる」って「市場が判定」ということがですか?何を言っているのか全く判りません。「ただ、市場の判定と言っても、詰まるところ株価」って、大きな勘違いか激しい思い込みとしか思えないですね。企業の株価が上昇することは大変よいことです。また、それによって恩恵に浴する人々が生まれることもよいことですよ。「市場の評価」というのは、また別のものであり、株価とは直結する訳ではありません。更に、政府の仕事を判定するのに、株価ってことはないのですし。通常、業務が効率的に行えるようになったかどうかの判定は、株価だけではないに決まっていると思います。例えば、従来はAという作業を3人でやっていたものが、同じ作業量なのだが2人でできるようになった、というのも効率的になったことの判定です。まずいラーメン屋が潰れるのもある意味「市場の判定」と言えるでしょう。イマドキ風に言えば、人気のスウィーツの店が大繁盛するのも「市場の判定」でしょう。


児玉氏は、どうも「市場の判定」に何か恨みでもあるかのような社説ですね。市場=株式市場という決めつけとしか受け取れないですね。それが、「株で大儲けした人たちがいて、~おこぼれにすがる」って、卑屈な感じにそれが出ていると思います。


『しかし、金持ちほどお金をためるのが好きだから、お金が滞留しがちだ。その結果、消費が増えず不景気の原因をつくりやすい。株式市場が経済の中心となるため経済のカジノ化の問題も起こる。景気の変動を小さくし、投機によって経済が大きく揺さぶられるような事態が起こらないようにするには、お金をため込まない社会という考え方もありうる。お金をためなくてもやっていける社会にすれば、消費不足による不景気や、投機が引き起こすバブルも発生しにくくなるはずだ。』


金持ちを憎めと?(笑)まるで、資金の滞留が金持ちの貯蓄にあると言わんばかりです。私自身、経済学というのは全くわかりにくいものだなー、と思ってきたわけですが、いくらなんでもこれほどスゴイのは見たことがありません。世の中のお金持ちはみんな、金倉建てて、カメの中にお金をたっぷり退蔵しているんだそうですよ。その為に世の中の資金還流が悪くなり、消費を冷え込ませ、不景気の原因になっているんですと(爆)。天下の「新聞社説」に書くには、あまりにひどいのではありませんか?絶対、ありえねー、でしょ?

さっきまでは、カネを株に投資して儲けた連中にすがっているとか言っていたんではないですか。金を溜め込むんですか、株に投資ですか、どっちなんですか?金持ちが持ってるカネを株に投資し、その大儲けで消費が拡大するから、一般庶民はそのおこぼれにあずかっていたんではなかったですか?「経済のカジノ化」ってどういう意味合いなのでしょう。デイトレーダーのことですか?(笑)それとも土地不動産バブルとか?何が言いたいのか全く意味不明。景気変動は国内カジノ(笑)だけの話でもないでしょう?投機を防ぐ為、個人が金を持つな、って、それは大昔の共産主義の一派か何かですか?よく知らんけど。お金を貯めない=消費不足の不景気・投機によるバブルの両方が防げる、ってそんな理論聞いたこともないです。何を言っているんでしょう?ああ、物資は配給制で恒常的な消費、とかってことですか?欲しいとか不要とかに無関係に定量供給される、と?それならばバブルは起きないかもね、確かに。


『経済面での将来への不安がなくなれば、貯蓄の必要も薄れる。そのためには高福祉高負担の社会を目指すべきだということになる。しかし、これも機会の平等、自己責任という言葉に重きが置かれる今の日本では、官の非効率の問題もあり評判がよくない。』


「貯蓄ゼロ社会」ですね。ナルホド、ここは分かり易いですね。それならば、誰も借金もできんようになるので、住宅ローンもなくなりますな。個人は住宅をキャッシュで買え、と。でも、金を貯めちゃいけないから、結局、公営住宅しかなくなるってことですよね。ああ、共産主義か何からしいから、それは当然でしたか。あんまり共産主義の生活ってものに、なじみがないもので・・・想像つかないんですよね。スゴイ社会を目指しているんだね!官の非効率は大丈夫ですよ、きっと。全員が公務員なら。


大変意味不明なことが多かった訳ですが、多分共産主義社会を目指そう、ということになるかと思います。例えば経済効率よりも情緒を大切にする社会を目指そう(某F氏のような感じ?)とかって言うならば、まだ理解は可能だが、これほどまでに「経済」に対して独自見解を多数ちりばめてある上に、「貯蓄ゼロ社会」と言われても無理なんじゃないかと思うんですけど。スゴイね、この社説は。日銀擁護の金利云々&国民の失われた利息収入云々はどこにいっちゃったんだろうね(笑)。しまいにゃ、「貯金するな!」ですから。



代表選らしいが・・・

2006年04月06日 19時43分50秒 | 政治って?
もう民主党について書くのを止めようかと思っていたけれど、一応書くことにします。


代表候補が小沢さんと菅さんという、いわば「本命・対抗」が来たのですから、民主党支持層にとっては「毎度おなじみ」という顔ぶれですね。まあ、それでもいいと思うのだが、3度目の正直とか言われても、国民の信頼を回復した上に、選挙で勝たねばならんのですから、難しいわな。前にも書いたのだが(民主党と小沢氏)、小沢さんがなぜ泥をかぶり、党内で執行部への求心力を高めたりしなかったのか。中堅や若手を叱咤激励し、代表を守るべきであったろう。次の代表を睨んで、ということであれば、民主党の内部抗争は根が深いように思える。結局誰が代表に就任しても「挙党体制」は築くことができないだろう。


昨年の選挙以前から「反岡田」路線という「小鳩(小沢・鳩山)グループ」があれこれ画策しているあたりを見ても、各々が「小さく」まとまって「チャンスがあれば藩主(=代表)を狙ってやる」という、ショボイ群雄割拠を繰り返しているだけのように見える。これが単に何度も起こっているだけだ。しかも、ちょっと以前のこととかは覚えているから、「あの時の恨みは忘れてないぞ~」みたいな感じで、代表が入れ替わる度にどこかのグループは面白くなくなり、その恨みを晴らせる機会が到来するのを待っているのです。だから、ピンチになった時にも、結束できずに、バラバラのままなんですよ。心の中では「いい気味だ」くらい思っているかもしれんな。それか、「失脚せよ、失脚せよ」と呪文でも唱えているのかもしれない(笑)。誰の呪詛かは知らないが、思いのほか効果があったのかもしれない。細木カズコよりは霊力が強いかもしれないですね(笑、勿論冗談ですよ!)。


こうした小競り合いという程度の内部抗争に明け暮れているうちは、天下国家の話は遠いのは当然ですね。昨年の選挙前に言ったように、政権奪取というのは「甲子園初出場、初優勝」くらいの驚異的な結束力と勢いがなければ無理ですよ。党内も満足に統率できんものが、国の運営などという重責を果たせるわけがないのです。党の代表というのは、言ってみれば殿様です。殿様が危険な事態になれば、当然側近は立往生となろうが矢襖にされようが、殿に代わって敵の攻撃を受け止めねばなりません。党内での不満だって、誰かが調整したり、説得したりしなけりゃ、うまくいかないでしょうが。代表の身代わりに、恨まれ役を引き受けるような人がいたのですか?そういう人材もいないんでしょ?本来であれば、小沢さんがそういった恨まれ役を買ってでもやるべきだったんですよ。ニラミを効かせられる人が、頑張るべきなんですよ。鳩山幹事長は自分が「殿様気分」だから、そういう力は発揮されないでしょ?(笑)内憂外患では、誰が代表でも身が持たんぞ?内からも外からも攻撃されてしまってるんだから。


結局、民主党というのは小グループ間の小競り合いの中でしか、自分の存在意義を確認することができないのです(笑)。執行部が面白くない、自分の主義・言い分と見解が違う、自分の意見は党に聞いてもらえない、等々、幻滅することばかりなんですよ、多分。その為に、「謀反が起こらないかな~」「殿様が倒れないかな~」と、トップ入れ替わりを密かに願い、交代が起これば自分が陽の目を見られるチャンスが巡ってくるやもしれず、そういうのを虎視眈々と狙っているようなもんです(笑、でも、これは本当かどうかは判りませんよ)。これは、政権を担当してない為に、「ネットの情報(例えば「きっこ」とか)を漁ってみる」とか以外には大して何もやっていないことによるのかもしれませんね。みんな表舞台に立ちたい、と思っているだけで、全体のことなんてどうだっていいんですよ。そういう集まりだから、同じような内部抗争が繰り返されて、同じように「反~」グループが生まれ、仲違いを続けるんですよ。


今回の代表選は、そういう意味では、毎度おなじみの「抗争の構図」です。反小沢というのも、永遠のテーマでもありますし、民主党のいわば宿命でしょう。だからこそ、小沢さんは影の方がいいと思うのですけど。でも、一度やってみて、いっそ「反小沢」の膿を出し切った方がいいかもしれんね。壊れる寸前まで行った方が、案外と結束できるようになれるかも?



恩給・職域加算の減額は憲法違反か?

2006年04月04日 22時58分48秒 | 法関係
官僚というのは、自分たちに都合のいいことばかりを言うんですよ。公務員共済の年金に含まれる職域加算を廃止したら「裁判で訴えられる可能性がある」んだそうだ。実際そうなのかも?しれんけど。よく判らんし。法解釈を誰がしたのか、是非発表してくれよ。報道では全く判らんので。きっと立派な官僚が、「憲法に規定する財産権を侵害する可能性がある」って、御高説をぶったんだろ?


参考記事:

「官民格差」とは? 上乗せ支給や保険料優遇 マネー・経済 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

年金一元化後の職域加算、公務員OBなどに給付継続へ 政治 YOMIURI ONLINE(読売新聞)


まず疑問に思うのは、年金というのは契約時点での法律に書かれていることが、その後永遠に継続されるのか、ということ。もしもそうならば、年金改革で(いわゆる)「物価スライド」にできないと思うけど。年金保険加入時点での契約が、永続されるわけではないんでしょ?ということは、保険料を払う(共済ならば”組合員”だから「組合費」か?)時点では将来の給付というのは「未知数」ということなんでないの?途中で法令が改正されれば、その通りにしか給付されんだろ?違うの?


国民年金も厚生年金も減額できるじゃないか。法改正でいわゆる「物価スライド」に出来たのに、何で共済年金の減額はできんのよ?恩給や職域加算部分だって、減額してもいいんじゃないかと思うけど。ゼロにするわけでないならできるだろ?しかも、受給資格が孫や祖父母まであるんだぞ?なんで、配偶者や子以外に多額の年金を給付せねばならんのだ?他と全然違うだろ?これは、国民が知らないから、そうやってきただけだろ?普通は、国民がどんなに行政裁判を提訴しようが、頑として「オレたちゃ、正しいんだよ!」と常に突っぱねるくせに(笑)。

いちいち、「国民が裁判に訴えてくるかもしれん」と考えて政策決定をしているんなら、もうちょっと違った感じになってても良さそうですけどね。自分達の「利益だけ」は守りたいからだろ?「受給者に訴えられるかもしれないから」なんて理由で法改正ができないのだとしたら、他の法律だって全然進まないんじゃないの?


共済年金は料率が0.35%上乗せされていれば、将来月額2万円くらい年金額が多いんですと。こりゃ、おいしすぎるな。まさに「公的年金」ですよ。国のサイフから金を引っ張ってくりゃいいんですから。こんなの簡単。自分達が払った額よりも、何倍にも「おいしく」なって返ってくるわけだから、こりゃ止められませんわな。そういうことでしょ?「財産権の侵害」って、本当にそうなんですか?仮に払込保険料(共済だから組合費か)を毎年数%程度の運用であった場合と同じだけ上乗せしたりとかでいいんじゃないの?一般的な年金保険料の水準で十分だろ?それ以上を増額する意味って何?大量の税金を投入してまで守る権利ってナニ?


国家公務員共済組合法には次の条文がある。

(年金額の改定)
第一条の二  この法律による年金である給付の額は、国民の生活水準、賃金その他の諸事情に著しい変動が生じた場合には、変動後の諸事情に応ずるため、速やかに改定の措置が講じられなければならない。


とあります。なので、別に減額することは何ら問題ないんではないですか?

仮に生涯年俸が変わらずに毎年700万円(38年間働けば生涯賃金は2億6600万円、現実がもっと多いか少ないかは判りませんが、大体こんな感じかな、ということで)として職域加算部分を払うとすると、月額約2000円(年額24500円=700万円×0.35%)です。これを払っていれば、年金受取時には月額2万円になって返ってくるんですよ!!何と10倍ですな。おいしいでしょ?こんな民間の年金保険が存在したならば、全員公的年金への加入を止めて、そちらに入ると思いますね。だって、毎月13000円払えば、将来は13万円の年金が貰えるんですよ。どうです?国民年金なんかアホらしくてやってられないでしょ?でもね、残~念~なんだけど、公務員だけの特権なんだよね。


加算部分を全部奪い取る訳でないのに、10倍の年金給付額を約束する意味って何ですか?10倍を約束しないと、「財産権の侵害」に該当すると?どうせ、国民はバカだし、難しい法律用語も知らないし、放置すれば大丈夫さ、とか思っているのではないですか?加算部分については、民間の年金保険と同程度でも十分だろ(多分3倍もいかないと思うけど)。それでも財産権が侵害されるから、裁判に訴えられるのがコワイと?確かにどんな法的判断なのかは私には判らないけど、「給付額の減額が憲法違反だ」とか言うなら、一般国民の年金だって減額できんだろ?


法律の解釈というのは、本当にどうにだってできるんですよ、行政側にその権限があるから。「速やかに改定の措置が講じられなければならない」って条文に書いてあっても、全然改定しなくてもいいんですよ。「速やかに」というのが、如何に速やかでなくてよいか、ということはお分かりになるでしょ?これも前に書いたけど。行政側に自由勝手な決定権限があるのと一緒。手前らが思う判断が、「正しい」って言えるんだから。国民には、この決定を覆す方法はありません。通常は提訴しかなく、裁判で勝たなければ、官僚の判断した内容については、変更させることができないんですよ。


官僚たちが生み出す「錬金術システム」の基本(根拠法ってやつですかい?)は、条文に「~を行うことができる」って書いてあれば、これは貪り組織の結成が「必須」という意味です(笑)。「必ずやる」っていう解釈をして、自分たちに都合のいい組織と業務を作り出すだけです。

法律っていうのは、普通の日本語じゃ通じないんですと。「~できる」というのは、一般人にとっては「やってもいいけど、必要ないなら別にやらなくていい」ということかと思えるでしょ?違うんですよ。公務員というのは、「~できる」って書いてあれば、必ず「錬金術システム」を組み上げる、ということにしているんですよ。でもね、上の国家公務員共済組合法には「~講じられなければならない」って書いてあっても、これは「しなくて」いいんですよ。だって、「著しい変動が生じた場合」だけですから、って言えばいいので。「著しい」というのがクセモノで、どうとでも解釈可能なんですよ。「著しい変動なんて生じてないじゃないか」と言い張ればいいのです。これを覆せる権限は国民にはありません。公務員が言い張り続ける場合には、国民はどうにもできないんですよ。裁判しかない。政治家がどうにかできるかといえば、そうとも言えず、共済年金の問題でこれほどこじれたり、官僚が抵抗したりしないんですよ(笑)。政治家が考えた通りの案を出せば済むんですから。


元々のブログを書き始めた頃に、この共済組合の問題をずっと書いてたけど、財務省が途中から無視して返事を書かなくなったので、頓挫してたんですよね。初めの頃を思い出しましたよ。


また疑問を書いてみる。前述の共済組合法には次の条文があるんですよ。


国家公務員共済組合法

第九十七条
 組合員若しくは組合員であつた者が禁錮以上の刑に処せられたとき又は組合員が懲戒処分(国家公務員法第八十二条の規定による減給若しくは戒告又はこれらに相当する処分を除く。)を受けたときは、政令で定めるところにより、その者には、その組合員期間に係る退職共済年金の額のうち退職共済年金の職域加算額又は障害共済年金の額のうち障害共済年金の職域加算額に相当する金額の全部又は一部を支給しないことができる。

2 遺族共済年金の受給権者が禁錮以上の刑に処せられたときは、政令で定めるところにより、その者には、遺族共済年金の額のうち遺族共済年金の職域加算額に相当する金額の一部を支給しないことができる。

3 禁錮以上の刑に処せられてその刑の執行を受ける者に支給すべきその組合員期間に係る退職共済年金の額のうち退職共済年金の職域加算額又は障害共済年金の額のうち障害共済年金の職域加算額に相当する金額は、その刑の執行を受ける間、その支給を停止する。


この条文は刑法犯等での罰則的なものですね。要するに、職域加算分は「減額」とか不支給の決定ができることになっています。つまり、払い込んだ組合費云々とかの問題なんかじゃないんですよ。受給者の権利には関係なく、減額することができるんではないですか?ということは、この法律が憲法違反なのですか?(笑)違憲立法なんですか?私には判断できないけど。


「それから、追加費用」についてですけれども、04年10月に財務省にメールした時には次のように回答してきました。

『昭和34年以前に就職してそれ以後に退職したこと等により支給される国家公務員共済年金について、昭和34年以前の恩給期間に対応する部分を追加費用として負担しているものです。なお、平成6年をピークにその額は減少しております。』


昭和34年以前の恩給期間に対応している給付額が5千億円という水準なんですよ?現役職員の負担額と同じくらいの額なのですよ?オカシイと思いませんか?国の負担を減額して、公務員たちが自分たちの先祖(OBだね)の面倒を見てやればいいんじゃないの?現役世代が支えきれないような給付額ならば、減額するべきでしょ?それか、現役職員の組合費負担を2倍の水準にすればいいんだよ。


追加費用は「国が払う」ってことで処理してるけどね、法律にはそんなことは書いてないんですよ。官僚たちは自分達の都合のいいように勝手に決めてるだけだろ。要するに法律に何て書いてあろうが、「無関係に」自分たちの解釈を決めて、それを出してくるんだろ?

法律には次のように書いてあります。


国家公務員共済組合法の長期給付に関する施行法

(経過措置に伴う費用の負担)
第五十四条
 第二章から第六章まで及び第二十八条の規定により職員である組合員について生ずる組合の追加費用は、第三項の規定により同項に規定する法人が負担すべき金額を除き、政令で定めるところにより、国等が負担する。

2 新法附則第十八条第一項の規定により組合職員又は連合会役職員である組合員について生ずる組合又は連合会組合の追加費用は、政令で定めるところにより、組合又は連合会が負担する。

3 日本住宅公団、愛知用水公団、農地開発機械公団、日本道路公団、首都高速道路公団、森林開発公団、原子燃料公社、公営企業金融公庫、中小企業信用保険公庫及び労働福祉事業団は、政令で定めるところにより、第七条(第二十二条第一項又は第二十三条第一項において準用する場合を含む。)の規定によりこれらの法人に勤務していた期間を組合員期間に算入される者に係る長期給付で当該勤務していた期間に係るものの支払に充てる金額を負担し、これを連合会に払い込むものとする。


これによれば、「政令で定めるところにより、国等が負担する」とありますから、政令を見てみると次のように書いてあります。


国家公務員共済組合法施行令

(経過措置に伴う追加費用の負担)
第二十八条
 施行法第五十四条第一項の規定により国が毎年度において負担すべき金額は、当分の間、国の当該年度の予算をもつて定める。

2 施行法第五十四条第一項の規定により独立行政法人造幣局、独立行政法人国立印刷局若しくは独立行政法人国立病院機構又は公社が毎年度において負担すべき金額は、当分の間、連合会が当該事業年度においてその予算に当該負担すべき金額として計上した額とする。

3 施行法第五十四条第二項の規定により組合又は連合会が毎事業年度において負担すべき金額は、当分の間、それぞれ組合又は連合会の当該事業年度の予算をもつて定める。


この初めの部分には、「当分の間、国の当該年度の予算をもつて定める」と書いてます。これはどういうことか?つまりは、「国の予算で決めてくれればいいです」ということですよ。「相手の言い値」ってことと同じですね。国が「いくら」と言えば、それで決まるのですよ。しかし、現実には国が全部出してるんですな。要するにぼったくられているんです。国庫から。


なぜこうなのかというと、昔の大蔵省が予算決定権限が強力で、この追加費用負担分は自分たちで予算貼り付けができるので、誰も気づかないし、やりたい放題で良かったんですよ。共済は大蔵管掌ですからね。国が「これしか出せない」と言えば、後の分は組合・連合会が負担するだけのことなんです。ところが、自分たちの懐を潤わせるには、そんなことをするはずがないんですよ。結局、法律に何て書いてあろうが、やりたい放題なんですよ。誰かが気付くまで、止めないんですよ。


予算決定の国会が気付かないのが悪い、という考えもあるでしょうね。確かに一部責任はあると思うね。しかし、隠してあるものが見つけられるかというと、難しいだろうし、官僚と政治家の関係もあったろうし。



恩給は次のようになっています。これも、国家公務員共済組合法の長期給付に関する施行法です。

(長期給付の決定に関する事務の特例)
第五十五条
 連合会による長期給付の決定は、当分の間、政令で定めるところにより、恩給法第十二条に規定する局長の審理を経て行うものとする。


で、恩給法を見ると、

恩給法

第十二条  恩給ヲ受クルノ権利ハ総務省ノ内部部局トシテ置カルル局ニシテ恩給ニ関スル事務ヲ所掌スルモノノ局長之ヲ裁定ス


となっています。総務省の管轄で、こちらも官僚に権限があるんですよ。自分達の取り分を自分達の裁量で決められる、ってことです。


財務省と総務省はいい加減に抵抗するのをよせよ。

特に財務省。事務次官会見でもいいから、何か答えろよ。お前らを信じることは永遠にできんな。必ず騙そうとするからな。国民を欺こうとする根性が許せん、ってことですよ。これで、よくも増税なんて言えたもんだな!!



公務員の労働問題など

2006年04月04日 22時02分07秒 | 社会全般
読売新聞に出ていて気になっていたので、書いてみようと思います。

まずはこちらの記事から。

天下り先へ、国費支払い6兆円超…延べ1078法人 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

以下に一部抜粋。



 中央省庁などの幹部OBを天下りとして受け入れた法人のうち、契約事業の受注や補助金などにより国から2004年度に1000万円以上の支払いを受けたのは延べ1078法人にのぼり、支払総額は6兆円を超えていたことが、読売新聞などの調べでわかった。また、契約事業の9割以上が随意契約だった。

 これら法人の天下り受け入れ数は計3441人。防衛施設庁を舞台にした官製談合事件では、天下りOBの受け入れ企業に工事が重点的に配分されていたことが判明したが、中央省庁全体でも、天下りと契約や補助金交付との間に密接なつながりがあることをうかがわせている。

 調査対象は、全府省庁と公正取引委員会や最高裁判所などを含めた計17の機関。民主党の要求を受け、各機関が、OBが役員に就任している公益法人と独立行政法人や、課長・企画官相当職以上で退職した幹部OBを受け入れた民間企業など各種法人のうち、公共工事などの事業受注、物品調達、補助金などで、年間1000万円以上の支払いを国から受けた法人について出した資料を調べた。

 それによると、法人数は延べ1078で、これらの法人に在籍している天下り幹部OBは、役員2604人、職員や社員が837人だった。また、支払件数は計5万2054件で、総額6兆1686億円。このうち、業務などが随意契約で発注されたケースが4万9320件で全体の95%を占めた。支払総額は、国の今年度一般会計予算規模の約8%に達している。

 金額について見ると、最も多いのが補助金・交付金などの支払いで、4兆1015億円。契約事業1兆7970億円分については、随意契約が1兆6601億円で92%を占めていた。指名競争入札は935億円(5・2%)、一般競争入札は434億円(2・4%)で、競争入札による契約はごくわずかだった。




このような実態が浮かび上がったわけですが、これって前から言ってた通りですね。まずは自前で「粛清してくれ」って思いますけど(笑)。

特別会計は抜本改革せよ

不正と不公平と「小さな政府」

大きな政府とは・・・

選挙と政治3



金を既に貰ってしまった人たちは「ウハウハ」だわな。その上、現職の人たちよりもはるかに多い年金も貰えるらしいし。なので、ちょっと前に退職したような人たちは、公務員だからといって余り責められることもなく、退職金もハシゴで引っこ抜いて一財産築いた上に共済年金の上乗せも貰うという、何重もの得をするのですね(笑)。まさに「やり得」なんですよ。彼らが残した巨大な負の遺産によって、国民も現役職員も苦しむが、OBは何も痛まないという理不尽さがあるな。今残っている人たちは、天下り先も整理されるし、昔ほど退職金をハシゴで引っこ抜いたりできないし、公務員叩きの最前線に立たされるので、かなり損ですね。


何度も書いたが、自分たちがオカシナ予算貼り付けを止めれば頭数を減らされないと思うけど。でも、退職した連中にひたすらカネを供給する為に予算獲得を続けるのさ。それを止める事が、公務員たち自身ではいつまで経ってもできないんだって。そうして、タダの公務員たちは「忙しい、忙しい」となってしまうだけで、何も良くなることなんかないのさ。自業自得ではあるな。非効率な業務への予算を取らなければいいんだよ。それを本当に必要な部分に回せば、多少は職員数だって確保できるはずだと思うが。特に給与水準の高くない人たち(普通の一般職員)を切ることは、何のメリットもないと思うが。


一方では、次のような判決が出たとの記事です。

【解説】パート公務員の解雇 ニュース ジョブサーチ YOMIURI ONLINE(読売新聞)

以下に、一部抜粋。




訴えていたのは、国立情報学研究所に14年間勤めていたパート公務員の女性(39)。女性は、非常勤の事務補佐員として採用され、学術論文などのデータベース作成が主な仕事だった。週5日、1日6時間の勤務に加えて残業もするなど、常勤の職員と変わらない働き方だった。だが、2003年3月に一方的に解雇された。

 判決は、この解雇について「著しく正義に反し社会通念上是認しえない」と断じた上で、現在も雇用関係が続いているとして未払い賃金約190万円などの支払いを命じた。さらに、「非常勤職員にも明日からの生活がある。道具を取りかえるのとは訳が違う」と、安易な解雇を戒めた。

 同じようなパート公務員からの訴えは過去にも多いが、雇用関係の継続まで認められたのは初めてという。

 問題の背景には、公務員職場特有の事情がある。労働基準法は「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」は解雇できないと定めるが、公務員のパートの場合は行政の裁量権が大きいとされ、「任期満了」を理由とする解雇が許容されてきた。

 国の行政機関や地方自治体では、研究助手や事務員、相談員、図書館の司書など幅広い分野で非常勤の職員が働いている。その数は、国の機関だけでも一般職のパートは約13万5000人にのぼる。

 今回、原告の女性を支援した女性ユニオン東京の伊藤みどり書記長は「パート公務員の給料は『研究費』『物品費』で処理されることが多く、人件費として扱われない」と指摘している。

 総務省は、国・地方の公務員定数の削減を掲げ、国家公務員の場合は5年間で10%以上の削減を目標に設定している。このため、パート職員はこれまで以上に、正規職員に代わる「安い労働力」「雇用の調整弁」として都合良く使われかねない。




人数を減らすことが重要なのではなくて、効率的な運営を行う環境を整えることが必要だ。雇用関係の権利の弱い層にばかりしわ寄せがいくのは、大きな問題だろう。むしろ、変な公益法人などへの資金供給を停止して、本当に必要な部分に資金投入すれば、かなりの雇用を確保できるはずだ。通常の業務では、第一線で働いているのがこうした非常勤職員であるとするならば、むしろこちらの雇用確保を優先するべきだ。公益法人の多くは消えてもらってもいいし、無駄な高給取りも全員無くしたとしても、業務には全く支障ないと思うね。特に国のやるべきことが全然できなくなる、ってこともあんまりないと思うけど。


公務員の削減問題はいくつか慎重に考えるべきことがありますが、決して味方しているのではありませんからね(笑)。無駄な人員や予算は本当にやめてくれ。特に、天下り先への垂れ流し、だ!既に辞めた連中に、現職が「首根っこ」を押さえられてる必要なんかないじゃないか。何で資金供給を断てないのかなー!