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続・CO中毒死の事故

2006年12月18日 12時29分25秒 | 社会全般
前の記事にコメントを頂いたので、お答えをしたいと思います。


まず初めに、死亡事故の原因について、それを「自己責任」ということで済ませるのが正しいといったことを言っているのではありません。もしも誤解を与えてしまったのなら、お詫び致します。死亡された方々はこれまでにも多くおられるので、そうした方々の尊い命が失われたことが「仕方がなかったんだ」ということを言いたいわけではありません。当然責任は追及されてしかるべきであると思います。ただ、事故というものの原因等について、よく考えるべきではないかと思っています。


以前のパロマの問題の時には、あたかも「パロマの製品」そのものに重大な欠陥があり、それが原因で事故が発生したかのようにバッシングされていたように思えます。私が以前記事に書いたのは、パロマ製品以外でも事故があること、事故原因はいくつかあること、「死亡数が異常に多い」かのような印象を与える報道がなされていたので他のリスクと比べたということ、そういうことです。


製品の製造側には事故を防ぐ努力は勿論求められるし、欠陥があれば責任を問われることもあると思います。
CO中毒事故問題は、

①製品そのものの問題
②設置主体の問題
③不正改造の行為者の問題
④使用者の問題

ということで、分けて考えるべきなのではないかと思えました。製造メーカーは製品が自分の手を離れてしまうと、全ての安全対策を行うことが困難であろうと思います。賃貸住宅で古い製品を漫然と設置していることに問題があるのかもしれないし、安全装置の不正改造が行われなければ事故は発生しなかったかもしれないし、使用者が正しい使用法を守っていれば防げたかもしれない。これは原因を究明していかないと、ただ単に「メーカーの責任だ」と言うのは難しいのではないでしょうか。


例えば、購入から20年経過している自動車があって、その間一度も点検整備などを行わず、タイヤが脱輪して事故が起こると、それは製造メーカーの責任となるのでしょうか?自動車には車検があるので、実際にはこのような状況ではないのですが、ストーブや湯沸器の製造メーカーはこの責任を取らねばならない、ということでしょうか。過去のどの時点でも、不完全燃焼の安全装置を持たない製品は販売できなかった、とかいうことでもないと思います。その当時には「判らなかった」ことは多々あったろうと思います。更に、判明した後であっても、「回収」の情報が十分知られていないということもあるかもしれません。そういういくつかの要因が重なって事故が起こるものと思います。


今回はトヨトミというメーカーのストーブのようですけれども、かなり古い機種であると報じられているようです。このストーブの点検整備がどの程度行われていたかは不明ですが、これまで数年間とかは「事故なく」使用されていたのです。いきなり不完全燃焼が起こるということでもないのかもしれません。通常は事前に兆候があるかもしれないですね。フィルター類の目詰まりなどで空気の取り込みが悪くなったりするとか、かなり長い時間をかけて不完全燃焼が起こりやすいような状態になるかもしれず、そうであれば「イヤな臭い」なんかが度々あったのではないかと思います。古いストーブであっても、分解清掃などで燃焼状況は改善されると思われ、そういうことをやっていなかったのであれば、そこに問題がなかったとは言えないのではないでしょうか。昔のダルマストーブみたいな単純構造であれば、数十年使用していても似たような状態で使えるかもしれませんが(しかし、煙突掃除は必要です)、一応機械類ですので、長年使用していれば問題が起こってくるかもしれません。


また、ストーブの設置主体は誰か、というのを私は知りませんが、もしも賃貸住宅業者の設置したものであるなら、その業者に責任はあると思いますが、個人所有である場合はどうでしょうか。寒冷地区の備え付けストーブなどは、ガス式とか共通燃料タンクである場合が多いと思われ(建物全体にその為の配管がしてあるのが普通だろうと思います)、ポータブルの室内ストーブの設置は珍しいのではないでしょうか。発見時にはストーブの燃料タンクがカラになっていた、と報じられていましたので、多分個人所有のストーブだったのではないかと思っています。


こうしたタイプのストーブの使用方法としては、「ストーブを付けたまま寝てはいけない」という注意はごく常識的であり、それは製品の注意書なんかにも書いてあることなのではないかと思います。寝たままだと、室内換気が不十分となる可能性があるので、危険性が増すからであろうと思います。しかし、恐らく事故に遭われたご家族は、付けっぱなしになっていた状態で就寝してしまったのではないかと思います(単なる推測ですけど)。


不完全燃焼の安全装置を組み込むことを義務化する、ストーブ・ボイラー・湯沸器等の法定点検制度を設け義務化する、ガス漏れ検知器同様のCOセンサーの設置を義務化する、といったような手段を取れば事故の発生は今よりも抑制されるかもしれませんが、その為のコストは消費者が負担することになります。今よりもかなり大変になるかもしれませんが、事故防止の為にそういう制度を望むのであれば、それはそれでいいと思います。過去にはそうした制度を「法制化するべし」などと言っている人たちには出会ったことはありませんが、今になって「責任を取れ」とか追及するのであれば、今回の事故やパロマ問題が起こる前に「考えておくべき」事柄のように思えます。少なくとも毎年のCO中毒事故が今年よりもはるかに少なかった、ということはなく、ずっと以前から「起こっていた」ことですので。


要するに、事故というのはいくつかの要因が重なったものであることが多いと思われ、一概に「メーカーが悪い」と結論付けるのは慎重さが必要なのではなかろうか、ということです。警察の捜査が多分あると思いますので、製造側に責任があるのであれば、それはきちんと検証されるべきですし、法的責任についても問われてしかるべきでありましょう。安易に許されてよい、と思っている訳ではありませんので。そこで、感情的な批判だけに終始するのがいいとは思わない、ということを言いたいのです。



CO中毒死の事故

2006年12月16日 23時00分52秒 | 社会全般
また事故です。パロマの器具ではなくても、危険性というのはあるものなのですよ。事故は防がねばならないし、製造側にその責任はあると思いますが、リスクというのがあることを注意していなければならないのです。


Yahooニュース - 毎日新聞 - <苫小牧CO中毒死>名古屋のトヨトミ社に問い合わせ相次ぐ

北海道でポータブル式石油ファンヒーターが不完全燃焼し7人が死亡した事故で、メーカーの「トヨトミ」(名古屋市瑞穂区)には16日朝から、ユーザーからの問い合わせが相次いだ。
 同社によると、電話は午後1時までに約120件で、事故のあった機種名や使用中の製品に問題がないかを尋ねる内容という。今後、問い合わせ専用のフリーダイヤルを設置して応じる予定。【大島有美子】




以前にパロマに対するある種の「バッシング」のようなことがありましたが、その時に書いた記事を一応挙げておきたいと思います。

一酸化炭素中毒死を考える


ところで、全然関係ないですが、最近切込隊長氏が記事更新を連投していますよね。暇になってきた時期ということなのかな、と勝手に推測。どうやら忘年会などの、余り「楽しくもなさそうな」飲み会ばかりらしい(笑)。原稿料ありの記事を書く仕事の入りは、ひょっとして「エアポケット入り」?しているのかもしれませんね。それ故、無料のブログ記事が増えてしまう。「もの書き」の性分なのかもしれませんね。何か書かずにはいられない、と。

でも、毎年クリスマスで苦しむというのも、成長の跡が見られず、持ってるものは持っているんだろうから(笑、要は金だな)、所謂売れ残りセレブ?(三流芸能人あたりかな?)なんかの『パーチィ』にでも行けばいいのではないかと、他人事ながら心配しております。そういった暇な人同士の集まる『パーチィ』とかは、東京にさえないのかな?・・・余計なお世話?こりゃ失礼。親心ですよ、親心。少子化対策推進ということで。



企業イメージのこと

2006年12月16日 21時50分45秒 | 社会全般
この前、シャープのことを書いた(「名声の高い会社」世界ランキング)途端に、国際カルテルの疑いで日米欧韓の捜査が行われている、という記事が出た。


液晶、国際カルテルの疑い…シャープ、サムスンなど 社会 YOMIURI ONLINE(読売新聞)

テレビやパソコンに使われている液晶ディスプレーの販売価格を巡り、日本や韓国、台湾の主要メーカーが国際カルテルを結んでいた独占禁止法違反(不当な取引制限)などの疑いがあるとして、日本と韓国の公正取引委員会が調べていることが分かった。

 また、米司法省はメーカー各社に召喚状を送付、欧州連合(EU)の欧州委員会もメーカーに情報提供を求めるなど、各国の関係当局が一斉に調査に乗り出した。

 関係者によると、調査対象となっているのは、2か国・1地域の10社前後。国内では、業界大手のシャープ(大阪市)やセイコーエプソン(長野県諏訪市)、東芝松下ディスプレイテクノロジー(東京都港区)、NEC液晶テクノロジー(川崎市)など。国外では、国際的に最大級のシェア(占有率)を持つ韓国のサムスン電子やLGフィリップスLCD、台湾の友達光電や奇美電子などが含まれる。




まだ捜査段階だし、どうなのか判らないが、もしも本当で処罰対象となったりすれば、大きなイメージダウンは避けられないだろうな。

あれだな、「reputable company」というのは企業努力もそうだし、長い時間をかけてようやくできてくるものなのだろうが、その本当の価値を知る企業人は多いとも言えないのだろうか。サムスンも痛手だろうな。信用が壊れるのは一瞬ですから。それもたった一度のことでも十分なのですよね。


茶碗のようなものと同じですよね。名器を作るのは大変。どんなに有名な皿だろうが、湯呑だろうが、壊れるのはあっという間です。決して踏み入れてはいけない領域には、立ち寄らない、近づかない、そういうことを銘記しておくべきです。その基本を教えるのも、企業教育の大切なところではないでしょうか。


イカンな、またお説教じみたことを書いてしまった・・・・



ユニセックスのトイレ??

2006年12月15日 17時33分53秒 | 経済関連
時間があまりないので手短に。


世の中はまだまだ謎に満ちています。


macska dot org Blog Archive 書類の性別欄をどう変えるかで悩むより先にするべきこと


このような悩みや問題が存在しているということに、そして、真剣にやっている人たちがいるということに驚きます・・・・


で、大学には男性トイレとか、女性トイレではない、「その他」か「それ以外」の人のトイレを設置するというのが具体的取組なのですか・・・・因みに、表示には、何て書けばいいのでしょう・・・・(笑)


マークとか、どうするのかな??言葉が理解できない人(例えば留学生とか?)でも判るように、シルエットみたいなマークなんかがよく用いられていたりしますが、こういうのも特別なマークを作ったりするのでしょうか?「その他」の人をどう表現すればいいものやら、私の貧しい想像力では思いつきません・・・・


人には、他人からは理解できにくい悩みというものがあるものですね。



要職と腐敗

2006年12月14日 14時35分42秒 | おかしいぞ
週刊ポストはよくやったと褒めてあげたい。
彼らは自分の地位や立場を利用していなかったと言えるのか。福井総裁もそうだが、本間正明阪大教授(政府税調会長)も、似たようなものだ(笑)。偉そうに公務員人件費をGDP比で半減だの、政府資産圧縮だの言っていたが、裏では何をやっているか判らんな。結局行政がコイツらに「食いもの」にされているだけなのではないか、とさえ思える。ポストに就く。デカイ面をする。使える権力や役得は何でもいただく。


ざっとこんな感じだ。

Yahooニュース - 毎日新聞 - 政府税調会長 公務員住宅、入居は適正 本間氏が釈明会見

公務員住宅に国立大学法人教官が入居する場合は、居住者名簿を提出しなくてはならない。本間会長は名簿に妻の名前を記載したのに別の親しい女性と同居していると報じられたが、本間会長は「入居名義は単身。知人は大阪に生活の本拠があり同居はしていない。引っ越しの手伝いなどで来ていた」と釈明した。更に「妻とは離婚協議中で、基本的に合意している。女性とは誠実に交際している」と語った。
 本間会長は01年から06年10月まで経済財政諮問会議の民間メンバーを務めており、「自宅のある大阪と往来が頻繁だ」との理由で03年に公務員住宅に入居。民間メンバーを退任して今年10月に一度は転居したが、政府税調会長に任命されたため11月に再び入居したという。
 政府税調は来年秋以降、財政再建のための増税論議を本格的に始める見通し。「安価な家賃の公務員住宅に住みながら、増税を求めるのは問題」との批判も出ているが、本間会長は「職務を全うしたい」と、会長職を続ける意向を示した。【山本明彦】




Yahooニュース - ロイター - 税制改革実現に向け職務を全うしたい=政府税調会長

[東京 13日 ロイター] 政府税制調査会(首相の諮問機関)の本間正明会長は13日、一部週刊誌が報じた官舎使用などの問題について釈明するとともに、「抜本的な税制改革の実現に向けて、全身全霊を込めて職務を全うしたい」と述べた。財政制度等審議会財政投融資分科会の終了後の記者会見で語った。
 本間会長は、週刊誌報道に関し「私の不徳の致すところで深く反省している」と陳謝。官舎使用の経緯については、経済財政諮問会議の民間議員を務めていた時に「肉体的に非常につらい状況の中で特例的に認められた」とし、政府税調会長に就任してからは「臨時的に更新したと思っており、できるだけ早期に退居することになると判断している」と語った。




やはり私は騙されやすいのかもしれない。人を信じ易く、良い方に解釈してしまったりするからだろう。こんな自分のおマヌケっぷりは、本当にバカだな、と思う。すまない。こんなヤツを庇ったのかと思うと、心底悔しいぜ。


大体、勤務先が大阪大学なのに、何で東京に住まなければならんのだ?旧国立大学の給与はどうなっているのか知らないが、交通費は支給されるのだろうか?もしも東京の住所であったりすれば、交通費はいくら払うのだろう?固定額なのかもしれないけれど。通常のサラリーマンなんかだと実費を支給するのではないかな(上限はあると思うが)。


居住地が東京であるとすれば、住民票も当然移動しているだろうし、「生活実態」として東京に住んでいるはずだろう。住民税も東京で払うはずだよね。実際どうしていたのかね。本間先生に聞いてみてごらん。

大阪大学の内部的(労務管理?)な問題だと思うが、必ず住所変更がなされ、「東京に住み、東京から通ってきます」という書類が提出されているはずであろう。もしも提出されていないとすれば、その理由は何だろうか?


交通費の支給額について、変更がなされるかもしれないだろうが、もしも大阪の住所のままで受け取っていたとすれば、それは合法なのだろうか?大阪大学に勤務する為に受け取る交通費は、正当なのであろうか?東京の「公務員官舎に住んでいる」ことを隠し、不正であることを知りながら大学には虚偽の住所を申告していたのではないか?ひょっとして、違法行為が含まれるのではないか?刑法とか全くわからんが。大阪に生活する住居があるのであれば、東京の公務員官舎を借りて住むことが妥当であるとは思われない。


審議会の出席者というのは、交通費みたいなのは支給されるのですか?本当のボランティアなの?よく知らないけど。だが、大阪から来てるという前提でのお手当てを貰ってたりはしてないんだよね?東京住まいなのだから、当然そうなんだよね?財政審とか諮問会議とか、そういうのからお金を貰えるのであれば、調べた方がいいんじゃないかな、とか思う。


大体、大学に行っていたのか?授業とか、ちゃんとやっていたのか?大学に行きもしないのに、交通費だけ取っていたりするなら、そりゃ、詐欺みたいなものではないのか?大学に出勤しないのに、大学の給料は満額貰ってたのか?大学の勤務状況を確認した方がいいと思うよ。勤務実態があまりなく、東京で仕事をしていたことが多い、ということであるなら、大学教授は辞めて民間議員の仕事一本でやればよかったじゃないか。教授というポストは確保した上で、民間議員の仕事が大変なんだ、とか、そういうのはオカシイと思うよ。


頻繁に東京に行かねばならないとして、肉体的に辛い時期があったのが03年1月頃だったのか?副業の方が「メイン」で大変になって、大学での仕事が出来てないのであれば、大学にはいらない人材だろ。不必要なくせに、大学の給料だけはゴッソリ満額貰っていて、講演会なんかでも偉い先生みたいな顔で金を貰ったりして、他にも行政サイドから貰って、その上「官舎の特権」も利用していたんじゃないのか?そんなやつは大学に要らないだろ。非常勤にするべきだろ。学校に全然出勤してこないような人に、何で給料を払わねばならんのだ?勤務実態がないのに、給料を満額貰っているのはオカシイのではないのか。休職することだってできたんじゃないか?東京から大阪まで毎日のように通っていた、と証明できるなら、やってごらんなさい。


そもそも、頻繁に往復が大変だ、っていうのは、大阪に住んでいても東京に住んでいても「全く同じ」だろ。本当に経済学者ってのは、頭がアレなのか?(笑)仮に、東京に週3日、大阪でも週3日用事があるとして、東京に住んでも大阪に住んでも、何も問題が解消されんだろ。行ったり来たりは同じだろ。出発地が何処か、という違いだけなんじゃないの?アホか、と。


大臣気取りで権限行使をしているんじゃないのか?以前にも指摘したことがあるが(参考記事)、民間議員は国民から選ばれた代表でも何でもない、タダの諮問に答えるだけの人だ。行政の中での権力行使はヤメロ。公務員に対する命令権限もないはずだろう。


今のポストである政府税制調査会の会長職は、「審議会等」の一部門に過ぎず、他の「食品安全委員会」とか「地方制度調査会」とか、そういう組織と「同列」(実質的には強い影響力を持っているにせよ)なんじゃないのか?それで、どうして本間先生だけに「特権」が許されるのだ?まるで賄賂みたいなものなんじゃないのか?収賄側が税制調査会長、贈賄側が「財務省」って、大爆笑だな。だが、構図としては、それに近いんじゃないのか?


やっぱり、長く政府中枢近くにいると、必ず腐敗していくヤツらが出てくる。公私混同を平気でするようになる。自分が強い権力をふるえると勘違いするヤツが生まれる。こういうのは確実に排除するべきだ。他の「審議会等」の会長ポストの人たちの中に、本間先生と同じく特権を認められた人たちがいたのか調べてみて。いなかったのであれば、例外的に本間先生が認められた正当理由を説明するべきだろう。まともに理由などないのであれば、腐敗の温床になるような性根の持ち主には、ポストを外れてもらった方がいいよ。政府税調の会長職は互選だそうだから、最低限他の人たちから会長を選ぶのが本筋だろう。何で本間先生を会長に据えておく必要があるの?


信用や信頼は一度失うと、簡単には取り戻せない、って言っただろ。国民がこんな人の言うことを「信じられる」と思うか?自分の女の為に官舎を個人的に用意させるようなヤツが、「経費削減」なんて謳って、誰が本気で聞くかっての。自分の甲斐性でやりたいなら、自分の懐から金を出してやれ。自分の金で恋愛しようが、「愛の巣」を別宅として持とうが、そんなの自由だ。好きにすればいい。だが税金でやるな。人の金をタカルな。


「職責をまっとうしたい」というセリフも、福井総裁と全く同じだな。そんなつまらんことばかり学習せんでもよろしい。

こういう「年寄り連中」が一番腐っているくせに、若いモンに文句も説教もないだろ。こういう老害の見本みたいなヤツラが蔓延っている限り、日本が美しくなんてならないよ。教育の問題がどうのと説教垂れる前に、彼らみたいな考えを持つ連中に「職責をまっとうさせない」ような組織作りが先決であろう。



フィクションか、ノンフィクションか?

2006年12月13日 23時13分28秒 | おかしいぞ
謎解きみたいで申し訳ありませんが、ちょっと気になったもので。
はてなの匿名ダイアリーに次のようなストーリーがあった。タイトルは「公務員」(公務員 - はてな匿名ダイアリー)。


以下に、引用してみる。




どうも世の中には、公務員はどんな部署でも楽な仕事で毎日定時に帰れると思っている人がいるようである。

私が幼いころ、県庁の土木部であった父はまず日が変わる前には帰ってこなかったし、休日出勤もいつものことであった。顔を合わせるのは朝のわずかな時間だけであって、どこかに遊びに連れて行ってもらったことなど一度も無かった。

私が中学に上がるころ、父は出先の介護福祉課に異動になった。職場環境はお世辞にも良好とは言えず、8人いるべき職員のうち二人も病気(後で聞いたが精神的なものだったらしい)で療養の為長期休暇をとっており、その分の負担を父はもろに被っていた。

元々、鬱の気があった父が本格的に鬱病になったのはこの頃のことである。折り悪く、祖父が脳溢血で倒れ母はその介護にかかりっきりとなっていた。父は精神科へ通いはじめたが、それでも病状は日増しに悪化していった。そして、私が中学三年の頃、父は職場で首を吊って死んだ。私は進学を諦め、働きに出ることになった。

今思えば、父は要領の悪い人であった。要らぬ苦労ばかり背負い込んでいた。その上で、無能であったならばまだ良かったものの、下手げに能力があったばかりに、結局は押しつぶされてしまった。

私は、父を(結果的に)殺した国家に対し絶望を感じている。同時に、無責任に脊髄反射的な公務員批判をする人間に対し、憎悪にも似た感情を覚えるのである。




これを読むと、公務員の父をもったばかりに、悲惨な経過を辿った若者の悲しみのように思える。この話が実話かどうかを確かめる術はない。書いた本人にしか判らないだろう。同情的なコメントが寄せられるのも理解できる。しかし・・・ちょっと腑に落ちない気もするので、少し考えてみたい。


まず、第一の疑問。
「何故進学を諦めざるを得なかったのか?」


公務員が死亡して、祖父の介護費用なんかがたくさんかかり、収入が途絶えたので進学費用もなかったのだ、と。そういうことなのだろうか。ということは、中卒で働いた、ということなのだろう。


普通、生命保険に加入している人たちが多いと思うのだが、この家庭では加入していなかったのだろうか?堅実なイメージの公務員であるが、中には加入していない人もいるかもしれない。が、その可能性はかなり少ないと思われる。もしも生命保険に加入していれば、一時金として受け取るのか、分割で受け取るのか違いはあると思うが、少なくない額が受け取れることは多いのではないだろうか。


それに、公務員共済では死亡共済が支払われるはずで、それは死亡退職金のようなものであると思う。それが、百万円とか2百万円というような少額とも思えないので、高校進学費用程度は捻出可能だったのではないかと思える。

条件①:
上記ストーリーから判ることは、仮に一人っ子であると仮定して、とりあえず「彼」と呼ぶことにしよう。彼が中学入学(早生まれでないとして13歳になる)年に、父は職場を移動になった。

条件②:
中学3年(15歳)になる年に、父が自殺した。

ということから、父の勤続年数は大学卒業(22歳)後5年程度独身で、その後(27歳頃)に結婚、子ども誕生であったとすると、約20年の勤続年数である。20年未満かどうかで退職金の計算方法が変わり、額が大きく変わる可能性もあるが、数百万円以上の死亡共済金が支払われていたのではないかと思える。住宅ローンがあっても、団信で支払は消滅するので、借金が大きく残っていた可能性はあまりないと思える。つまり、生命保険金+死亡共済金の合計額は1千万円程度はあっても不思議ではないのでは、と思われます。それでも翌年春の進学を断念せざるを得なかったということでしょうか?


私立高校であると進学は厳しい場合もあるかもしれませんが、公立高校の場合、入学金や授業料はそれ程高くはないし、低所得である場合には、免除や奨学金規定はあるのではないかと思われます。高校の費用が払えないというのは、死亡共済金の支払額の大きさを考えると疑問に思えるのです。


収入が少なく家族が食べていく為には仕事をしなければならなかった、という可能性について考えてみます。この一家の世帯収入ですが、少なくとも2つは考えられます。一つは祖父の年金です。祖母が一緒にいたのかどうか判りませんが、祖父がある程度高齢であったと思われるので、年金給付を受けていたと思います。母親が介護にかかりっきりであった、という記述から、同居かかなり近い住所であったのではないかと思います。もう一つは、遺族年金です。共済の制度では何と言う制度なのか知らないのですが、遺族年金と同じような制度は多分あると思われ、多額ではなかったにせよ、年額では約80万円以上は受給できたのではなかろうかと思います。生活保護制度から見ても、母親が介護の為に勤務できない状況であるとしても、母子家庭への支援は可能であったのではないかと思われます。



第二の疑問は、「介護福祉課」勤務です。

実態についてはよく知らないので間違いかもしれませんが、通常「介護」に関する事務は基本的に市町村単位ではないかと思われます。県庁職員であった父親は、県庁(土木部)から(出先の)市役所とか町村役場へ出向したということになると思われます。このような出向制度があるのでしょうか?都道府県から国への出向とか、その逆は多分あると思いますが、市町村への出向というのは知りません(あるかもしれませんけれども)。それと、生活保護に関することは社会福祉課、福祉事務所(ひょっとして保健福祉課?というような名称もあるかもしれません)などが担当であると思われ、介護福祉課というのは生活保護に関する業務は行わないと思います。書いた方の思い違いとか、正確な名称を知らなかっただけ、という可能性もあると思うので、一概には言えないかもしれません。


それから、行政に「介護」に関する事務ができたのは、介護保険導入に伴っていると思いますので、2000年の導入前後であろうかと思います。今年で6年に過ぎません。つまり、書いた方の推定年齢は、中1(13歳)の年が導入年度であれば、今年で19歳です。父親が亡くなったのは02年ということになります。もしくはそれ以下の年齢の方が書いたということになります。文章から感じ取れるのは、もう少し年齢が上、という印象がありますが、これは何とも言えないかもしれません(若くても、しっかりした文を書く人はいると思いますので)。母親が介護にかかりっきりというのも、介護保険導入後であるので、障害程度が重度であれば(かかりきり、ということから重度障害なのだろうと思います)施設入所とか介護保険の介護サービスは受けられます(所得が少なく払えない場合には自己負担減免はあります)。


書き方で「?」と思ったのは、「今思えば、父は要領の悪い人であった。」という記述です。こうした表現をするのは、死んでから長い年月が経ち、自分が父親と近い年齢になった頃とかなんじゃないのかな、と思ったりします。他には、夫婦とかカップルとかでパートナーが死亡した場合なんかでしょうか。でも、若い世代では使うのかもしれません。自分のことを言う時に、「私って、ケーキ食べない人だから~」のような感じで言ったりすると思いますし。


因みに、県庁の土木部の部長クラスは中央省庁あたりから出向してくる人が慣例的に多いのではなかろうか(最近は違うのかもしれませんけれども)。バブル期頃までは、土木部への接待攻勢というのは凄くて、毎日のように高級クラブだ何だで飲んでいたとか噂を聞いた記憶があります。休日は勿論ゴルフ三昧でして、そうなれば「その日のうちには帰ってこない」とか「休日も家にいない」といったことも普通に起こりそうな気がします。大手業者だけでも数社はあるので、日替わりで接待のお約束だの、日曜祝日毎にゴルフ接待だのが組まれる訳で、そりゃ忙しかったことだろうと思います。大手ゼネコンには、そういう接待専門部隊が専属でいたらしい(あくまで噂です)ですので。銀行にも「MOF担」専属がいたのですし、日銀への接待(「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいなやつですね、笑)も勿論欠かさず行われていたような時代でしょうから、大手ゼネコンにそうした人が置かれていたとしても不思議ではないでしょうね。これは私の印象論に過ぎませんので、上記ストーリーと関係は特にありません。


要するに、文章から受ける印象で言えば、(父親が死亡してから)最長で4年弱程度、最短では1年程度前の出来事を回想したという感じはしないのですね。ただ、若い人にとっては、1年の重みというのが年長者に比べると長いのかもしれません(年をとってくると、一年が直ぐに終わってしまう感じがしますので)。


最後に私の推測を言えば、出来すぎストーリーのような気がして、これを事実のこととして考えるのには疑問点が多いかな、ということです。情感に訴えるようなことを書く時には、あまり詳細が分り過ぎていると、かえって疑わしく思えてくるものです。下手に真実味を出そうと小細工をしてしまうので、ミスを犯しやすくなるからなのではないかな、とか思ったりします。事実と混ぜて使おうとするからなのではないのかな、と。「県庁」「土木部」「出先(出向)」というのは真実に基づくキーワードなのではないかと思います。でも、脚色が含まれているのではなかろうか、と感じます。


公務員の問題については、制度として検討するべき事柄ですから、それはきちんと考えれば良いと思います。でも、扇情的なことが必要とされているとは思えないのです。信じる、信じないというのは個人の自由ですので、同情を集めるのも方法論の一つではあるかもしれません。



懲りもせず・・・・

2006年12月12日 14時17分12秒 | 俺のそれ
ゴメンナサイ。またやってしまいました。
「オマエは本当にアホか?」と思われるでしょう。

ええ、ええ、そうでございます。
自分でも、そうだな、と思います。しかし、現実世界で何かの結果を出せなければ、やっぱりダメなのではないかと思ったもので。


実は、日曜日にとある面接を受けて参りました。自由民主党の某都道府県連で行っていた公募に応募した所、面接と相成りましたもので、行ってきました。

またかよ、というご批判は甘受致します。「懲りねーヤツだな」ということも、そうだろうと思います。でも、いつまでも愚痴を言っていてもしょうがないし、やはり「ルールを作る側」に回らねばならないと思ったものですから。行動せねばならない、と思って、応募致しました。別に「高円寺ニート組合」の真似をしたわけではありません(笑)。


で、面接の具合ですが、簡単に書いておきます。

面接会場はとあるホテルの会議室で、当日は10分前までには到着するように、とのことでした。一応、それよりも更に10分程度早く会場に行ったのですが、控え室に荷物を置くと、「もう宜しいですか?」と言われ、到着直後にいきなり面接となってしまいました。ちょっと「予想外」(笑)。


部屋には地元選出の国会議員の先生方が5名ほどおられまして、党職員の方の案内で入るように促されました。
正面には都道府県連の会長の議員、その両脇に各2名の議員、部屋の壁際には党職員の方がおられました。

早速、応募の動機等とか、前回の公募(郵政解散の時)のことなどを質問されました。それから、小泉政権時代の改革路線とか、市場原理主義的な話、大きな政府と小さな政府などのことについて質問されました。それなりにお答えした積もりですが、どうでしたでしょうか。自分ではよく判りませんが、自分の考えはある程度述べたように思います。


一番困った質問がありました。政治活動にはお金がかかるが、どう考えているか、ということであった。私は反感を買うだろうな、とは思ったが、おおよそ次のように答えた(要旨ですので)。

選挙にお金がかかってしまうというのは、その通りだろうと思う。けれども、お金があるから政治活動ができて、貧乏でお金がないからといって政治活動ができないというのは、そもそも選挙のあり方としては、それが妥当なのかどうか、という問題がある。お金がなくても政治活動がある程度できるように考えるのが望ましいのではなかろうか。貧乏だから政治に参加できない、ということの方が問題なのではないか。

大体こんな感じだったと思う。


すると、ベテラン議員の方はややムッとした様子で、コイツは現実を知らないし政治の世界を判ってないのだな、という感じで、次のようなことを話した。

「あなたの言うのは理想論的にはそうなんだが、不正をするとか悪い事をするとか、そういうことではないけれども、政治活動はお金がかかるし、ないとできない。実際、後援会組織するとか、事務所を借りなけりゃならないし、事務所に誰か雇わねばならない。そういうの全部自分でやってもらうのだが、色々とたくさんお金がかかる。そういうのをどう考えているのか」


それはそうだろうな、と思ってはいたが、あまりお金がないのであれば、やり方を変えるとか別な方法を考えればいいのではないかと考えていた。なぜ公募を実施しているかと言えば、旧来通りに選挙をやってきて尚且つ幾度も負けているからで、今後も従来どおりにやって勝てるかどうかなんて判らないと思う。事務所には、必ず常勤で誰か置かねばならないものなのだろうか。無名新人なのだから、選挙がそれなりに近くなるまで、自分だけである程度やるしかないように思う。秘書みたいな人を雇える程の身分でもないと思えるのだが。それではいけないのだろうか?選ばれてもいないうちから、そんなことを心配してみても始まらないのだし。


恐らく国会議員の方々の心象を悪くしてしまったであろう。まあ、仕方がない。自分の考えを述べたまでだ。

きっと事務所とか、人員なんかの費用はたくさんかかるのだろう。でも、立派なポスターだの、各種パンフレットや名刺とか、そういうのにお金をかけても仕方がないようにも思うのだが。興味のない人々にとってはあまり意味はなく、ただ捨てられてしまうようにも思う。お金がなければないなりに、町内会館とか町村民会館みたいなところとか安く借りて、集会を開いてもいいように思うのだけれど。それではダメなのかな。選挙前には事務所が必要だろうが、長期間絶対に必要とも思えないし、議員になった後でなら事務所が必要ってことなのだろうと思うのだが。それとも自分の政治団体の登録みたいなのに、事務所が絶対条件なんだろうか。自分の家ではダメなのかな(そりゃ流石にダメか、笑)。ネットだってあるのだし。


でも、ベテラン議員の方の質問には、「不正だとか、そういうことは考えていない。お金がかかるというのは国会議員の先生方が皆さん同じようにお話されているのは承知しているので、実際にそうだろうと思う。必要なのであれば、自分で考えるし、そのつもりでいる」というような感じで答えた。

そうは言っても、私のような平凡な暮らししかしていない人間にとっては、やはり怖さもある。仮に選挙に出ると言ったって、金がなければどうしようもない、というのは事実であるし。負ければ、全て無駄になる。金持ちの道楽みたいな感じでできる人じゃなければ無理なのかもしれない。それか、パトロンみたいに誰か有力なバックが付いていないと、政治活動というのは無理なのかもしれない。

やっぱり、世の中金が大事なのですよね。復党問題で言われていたが、政党を外れた国会議員の方々は、既に現職の議員になっているにも関わらず、とても苦しい、ということらしいですし。落選したら、もっと悲惨で、仕事もなくなる、給料は入ってこない、借金だけは残る、敗北感は募る、という何重苦も味わうことになります。選挙破産(笑)で一家共倒れになんてなってしまったら・・・・となれば、どうしても金持ちとか、強力なバックが付いているとか、そういう人以外には無理だもんね。


それと、公募候補が多く、大量に誕生することとなった新人議員、すなわち「小泉チルドレン」たちのことを「苦々しく」思っているということも、ひょっとするとあるのかなあ、と思った。


まあ、いずれにしても、まだ結果は判らないので、どうなることやら。



私の「こころ」は有限世界なのか?~最終回

2006年12月11日 21時07分55秒 | 俺のそれ
随分と間が空いてしまいましたが、今回で終わりにします。自分でもよく分らないし、まとめも思いつかないので。

私の「こころ」は有限世界なのか?~その1
その2
その3
その4
その5
その6
その7


いままで、主に2つのこと、「融合」と「洗練」について書いてきました。洗練について、もう少し書いてみたいと思います。

情報や知識というのは、自分だけの世界では限界というのが訪れやすいと思います。個人の能力がどれ程高くても、新たな知識を生み出すのには限りがあるでしょう。価値創造もそうだと思います。有能な人であればたった1人であっても、その他の多くの人たちよりもたくさん知識や価値を生み出せるということがよくあると思うのですが、それでも人生は短いので(人類の歴史の中で見てみると)、ある程度限られた仕事・業績しか残せないのです。なので、いくら1人で頑張ってみても、世界規模の「データベース」ほど賢くはならないでしょうし、ありとあらゆるものを生み出せはしないのです。もっと大多数の人々の参加が必要なのです。


自分の脳みその中にあった情報や知識を外部に置くことで、他の人々のアクセスを受けたりして、そこで品定めが行われることになると思います。或いは、外部からの色々な刺激を受けたり、逆に刺激を与えることになると思います。センセーショナルな言説なんかもそうですね。非常に刺激的なものもあったり、場合によっては「取扱い注意」のような(笑)危険なものもあるかもしれませんね。


「これは無駄な情報だな」、「あまり役に立ちそうにない」、「面白味が少ない」、などという他人からの評価を受けたりすることによって、情報や知識の強さのようなものができてくるのではないかと思います。「洗練」というのは、そうした情報や知識を「研ぎ澄ます」ような過程ではないかと思えます。昔は、ごく少数の人たちにしか触れられなかった情報が多く、こうした「洗練」という過程を経ること事態が大変だったろうと思います。たとえて言えば、少数の専門的な研究者くらいしか見る機会がないような情報なんかがそうだろうと思います。でも、研究の参加者が増加したりして、もっと大量の人々に触れられることになれば、違った活用方法なんかが出てくるかもしれないし、別な融合反応を引き起こしたりすることになるかもしれません。福沢諭吉の『学問のススメ』がベストセラーになったように、世間一般に広まることで違う形の反応が起こってくるかもしれません。


ですので、できるだけ多くの人々の情報が伝わり、評価を受ける方がよいと思います。「洗練」の過程は、日本刀を作り上げていくようなものではないかと感じます(特に、銃刀なんかの趣味はないです、そういうイメージということで)。何度も打たれて鍛えられていく。そうやって、強く、しなやかで、切れ味鋭いものができていく。この過程を通過できない程度であれば、「ナマクラ」刀ということにしかなれないのではないかな、と。


個人が「凄く小さなハンマー」で「トン」と叩く。普通の人々の持っているハンマーは、刀鍛冶のような力は持っていないのですが、効率が悪くても弱くてもとりあえず「トン」と叩く。少数の人たちだけがトンと叩いても、あんまり大して鍛えられない。でも、本格的な人(その道の専門家とか、セミプロとか?)が「ガン」と叩くと刀鍛冶と似たように叩けるでしょう。そんな感じで、弱小個人が何万回も「トントン」叩いていくうちに、それはやっぱり鍛えられる。そのうちに、素晴らしい何かが出てくるかもしれない。専門家同士でなら、もっと激しく打たれて、より完成度の高いものが生み出されていく。刀鍛冶はその鍛え方を知っているからだ。


「洗練」の過程を経なければ、「ニセモノ」とか「ナマクラ」というものが増えていってしまうかもしれない。できるだけ名刀をたくさん作っていく方がいいので、広く知られること、多くの人たちが鍛え上げ(評価)に参加すること、それを目指すのが望ましいのではないかな。普通の個人が持ってるハンマーは本当に小さいものですが(ハンターチャンス!ではないですよ、笑)、専門外でも色々と叩いておくことを繰り返していくうちに、どこかで本物の名刀が生み出されているかもしれません。その人自身は、何万回か何十万回か叩かれた内の、たった1回しか叩いていないかもしれないけれど、そういうことの積み重ねなのではないかな、とも思う。


激しく熱を加えたり急冷したり(焼入れ、焼き戻し)、そうやって「外部からの刺激」を与え、鍛え上げていくというのが、知識の洗練に繋がるだろと思います。これらは決して「炎上」とか「バッシング」といったことではありません。叩くというのは、あくまで何かの反応を示したり、評価するという作業を行うことです。炎上は確かに「激しい熱」にも似ていますが、むしろ有害反応に近いかと思います。加熱処理の時に起こるオーバーヒートのようなものかもしれません。オーバーヒートになってしまうと、構造欠陥を生じ脆くなってしまいます。「熱くなり過ぎてもよくない」のです。


<寄り道:
日本刀で思い出したのですが、私の好きな剣士は塚原ト伝です。史上最強剣士としても、宮本武蔵より強かったのではなかろうか、と思っています。昔(今から25年以上前頃?)、NHKのラジオドラマに登場していたように記憶しています。>


過去の大変古い情報にもかかわらず、現在までの間、幾度となく繰り返し登場してくる情報があります。あたかも伝説の名刀のようです。それが何故時代を超えて情報の先端に舞い戻ってくるのか、とても不思議なのですが、中々忘れ去られることはないのですね。本当に不思議です。例えば、万葉集とかに出てくる歌なんかは、今の時代には「あまり役立たない」ようにしか見えませんが(ゴメンナサイ、歌心がないもので・・・決して「古典(文系)バッシング」とかではありません(笑)。技術革新だの、新たな経営手法だの、新製品開発だの、そういう今どきの情報に結びつくのが難しそうかな、と)、何かの拍子にわざわざ登場してきますよね。百人一首の大会とかではなくても。普通の文章の中にも、その存在を見かけることは多々ありますよね。こういう、とても古びているが風化しにくいもの、という情報や知識があって、やはり遠い時間の壁を乗り越えてきた「名刀」なのだ、ということでしょう。「洗練」の度合いというのが、かなり進んでいるのだろうな、と思うのですね。それ故、強いし、廃れないし、登場回数が多い、といったことになるんでしょう。この理由というのが全く判らないのですけどね。


知識の融合や洗練が行われるには、できるだけ情報や知識同士が出会う必要があります。その営みを行うのは各個人で、この組み合わせは天文学的に膨大な数になると思います。その中で、本当に役に立つとか、意味のあるものというのは、余り多くはないでしょう。それだけ今の状態で知識が相当多い量になっているからだろうと思います。でも、最前線に立っている人たち―主に科学研究者たち―は、「何も判っていない」「知らないことだらけだ」のように感じているのではなかろうかと思います。それくらい、未知の領域は大きいのでしょう。


未知の領域を目指して誰かが情報の「融合」を試みたりするというのは、無限の組み合わせの中から選択されていくのです。「洗練」の対象となる情報や知識との出会いも、誰が何に出会うのか、ハンマーで叩く対象は何か、無限の組み合わせがある中から行われていくのです。同じように個人の脳みその中で生み出される情報には、おそらく限りがないでしょう。具体的な1人だけを見れば「有限」のようにも見えるかもしれませんが、将来の可能性だけを考えるときっと「無限の可能性」を持っているのだと思います。それは脳細胞ネットワークの組み合わせとか、信号の通過経路、パターンなどの「無数の組み合わせ」の可能性を反映したもの、ということなのかもしれません。


本当かどうかは判りませんが、昔、「碁盤は宇宙と同じだ」というようなことが言われていたそうで、それも組み合わせの数が数え切れない程無限にあるように感じたからだと思う。1局たりとも「同一の碁」がなかったからであろう。天体望遠鏡もなく宇宙を知る科学的知識が何も無かった時代に、天空に広がる星や宇宙というものが「恐らく無限なのだろう」という直観を与えていたとすれば、過去の人々の深い洞察力は凄いと思う。碁盤の中に「無限の組み合わせ」を見出す直観力も侮れない。「無限世界」があると考える、その思考には驚嘆させられる。自分で体験し認識できる身近な世界は、全て有限世界でしかないのに。


ちっぽけな普通の人であっても、脳みそには無限の組み合わせを生み出す世界が広がっているのです。それは、宇宙のようでもあり、未来の可能性を生み出す原動力です。その点では、ネット世界も同じように無限の組み合わせを生み出せる空間であることは間違いないでしょう。



「ソツロン」って何ですか?

2006年12月09日 23時21分02秒 | 俺のそれ
昨日、飯田泰之著『ダメな議論』を購入し、読了。著者の写真があったので、「随分とお若い」という印象を受けました。悪い意味ではなく。


感想:オレに喧嘩売ってんのか?と思った(笑、冗談です)。


だが、あまりに当てはまることが多く、この「ダメモデル」はひょっとして「オレのことか?」と思わず勘繰る(笑、得意技です)程であった。まあ、そんなわけないのだが。拙ブログを読みに来るほど物好きでもアルマーニ。

でも、文中に出てた「シカゴ大学の××教授の▲▲理論」とか、読まれたのかと思ったよ、マジで(爆、単なる偶然でしょうけど)。


これ、モロだね→少子化と労働問題9

「格言」とか、「寓話」あたりも、私にピッタリ当てはまりますね。
本文中に出てくる「人の行く 裏に道あり 花の山」は、落合先生が以前ブログに載せておられて(今は確かガラシャの歌になっていたはず)、私は下の句をコメント欄に書き込んでしまったくらいでして。「いずれを行くも 散らぬ間に行け」だったと思います。因みに、暫くしたら、変えられてしまいました(笑)。


これは別にいいのだが、経済学信奉者たちがいかに「トンデモ」を蔓延させているかは感じ取れましたよ、十分。ダメ議論の典型例であるわたくしと致しましては、特に中身について評価を下せる立場でもありませんが、内輪受けしたいのであれば永遠に内輪でやっていればいいのではないかと、ちょっと思いました。


ちょっと話題は変わりますが、上記本にも登場していたsvnseedsさんのブログですが、そこでのコメントには「卒論」の話題というのが出ておりました。


svnseeds’ ghoti


『脇道な話題ですが,いま4年生で上限金利規制問題で卒論を書いているコがいるんですが,bewaadさんとsvnseedsさんからの引用ばかりです.……そしてそれが適切だから文句も言えない(本や新聞から引用したらそれこそ㌧でもになりかねないですしw).』


人的ネットワークも大事だろうし、ある程度のお褒めの言葉も必要なのでしょうが、中々味わい深いコメントでした。


卒論というのは、論文の一種なのでしょうか?私は一度も書いた経験などないのでよく知らないのですが、「経済学分野」ではブログからの引用もよくて、それを referenceに入れておける、ということなんですか。もしもそうであれば、「へえ~」です。今の指導教官というのは、まず「ググれ」とか(笑)教えるのでしょうか。そういう時代に来たんですかね、遂に。日本の大学教育の、しかも卒論を書く時の引用文献が「ブログ」というのも驚きました。指導教官が「文句も言えない」程、『ダメな議論メソッド』?で有用なものという認定を受けているとは、さぞ正確なのでしょう。


卒論とは「論文」の仲間ではないのかもしれません。単なる卒業文集のようなもので、論文の体裁を持たせる必要性はないのかもしれないですね。であれば、何から引用してもOKだし、そういうレベルのものですか、とは思います。これって初めて知ったので新鮮です。

Bishopだの、Ellisだののペーパーくらい(単なる例示ですので適当です)探させたり、読ませることは可能なのではないかと思うが、今の大学生はそういうのも求められたりはしないということなんだろう。それよりも、ブログ記事の方がもっと役立つのだ、ということですか。ナルホド。そうして、自分で中身を考えずに鵜呑みにする人々が誕生するのかもしれないですね(暴論ですけど=ダメ論決定)。


<寄り道:論文にグラントを書くのが当たり前なんじゃなかろうか、とか、そういうことにさえ頭の回らない経済学信奉者たちが見られた(私だけの特異な経験に過ぎないかもしれませんが)というのも、何となく理解できました。指導教官が指導しないから、ということなのではないかと思えてきました。これも『ダメな議論』の典型で申し訳ないんですけど(笑)。文献を読むことの教育がなされていない為に、トンデモが量産されているんじゃなかろうか、と。指導者が悪けりゃ、教わる学生も推して知るべし、ということですかね。>


で、問題のsvnseedsさんの以前書いておられた上限金利に関する記事について、いくつか疑問点もあるのですが、飯田先生は指導教官としては「文句も言えない」ほどに「妥当である」と考えているということなのでしょう。

また貸金業関係を書いてしまった


「完全失業率」と「自己破産申請件数」の高い相関が示されていて、とても素晴らしい業績なわけですが、これについて「多重債務者を減少させるには失業率を改善させる政策が有効である、と言えそうです。」と記されています。私も部分的には同意できないわけではないのですが、自己破産の要因というものが「失業」ということで多くが説明できるなどとは到底考えていません。


「失業」が一番重要な要因なのであれば、自己破産原因は相当数が「失業」であるはずだろう。果たして自己破産の理由として、「失業」というのはどの程度存在しているのか?正確な資料がないので、何ともいえないですが、以前の弁護士の資料では2割弱程度だったはずです。アンケート等のいくつかの資料でも、失業というのが半分以上などという資料は目にした記憶はないです。米英でも同じですね。


失業は日本だけの現象ではないし、諸外国でも破産はあるのですから、この相関が「日本特有の現象」ということなのか、それとも例えば「米英」でも同じく「高い相関関係」となっていて、破産の大多数は「失業」で説明できるのか、という問題があるかと思います。私の意見としては、失業は主な要因の一部ではあるが、それが大多数を占めるわけではない、というものです。破産理由における失業の割合が半分以上を占める、などということはないと思いますけど(詳しい全数調査は見たことが無いので、部分的な資料からの推測に過ぎませんけれど)。


失業との相関を示すことで、「上限金利」への判断材料として、何を想定しているのでしょうか。上限金利の水準の妥当性とか、「上限引下げよりも失業対策の方が有効」などといった判断材料を与えるものなのでしょうか?もしも、そう言えるなら、あの分析のどこから引っ張ってきたのか是非知りたいですね。


上限規制の検討の為に業者数の推移を取り上げ説明していた内容についても、未だに整合的な説明はないので、svnseedsさんの考え方は全くの不明なのですけどね。まあ、都合の悪いことは無視が一番お得らしいですからね。これが流行の「スルー力」ってやつですか。一線級の研究者であれば、分析者の考えなど楽勝で「お見通し」ではありましょう。そうであればこそ、「文句も言えない」という評価なのでしょうからね。


こういう結論を見た時に、『ダメな議論メソッド』で判定した結果、「素晴らしい!」ということであるなら、それはそれでいいと思います。「そういう世界」の内側で、批評に耐性のない意見を最も大切にし、それが正当であると考えていると、理解することにしたいと思います。それが、大学の経済学の教官で、『ダメな議論』を著している人の「理解のレベル」なのだな、と判断するよりないでしょう。

同時に、日本の経済学研究とか、大学教育レベルというのは、「ああ、ナルホドな」とは思いますね。そういう土壌や環境で「何が育つか」というのは―「ダメな議論」で言えば確実に「ダメ認定」されるけど―容易に想像がつくというものです(笑)。



「高円寺ニート組合」を応援しよう(笑)

2006年12月08日 15時23分34秒 | 経済関連
ちょっと立ち寄ってみた。脇道に逸れたら、たまたま発見。


OhmyNewsニートたちの「3人デモ」!


ホラ、こういう「良いローカルニュース」がちゃんとあるんじゃないか。
オーマイの記者なのであれば、やっぱりこういうのを大事にしないと。


彼ら3人は、いいよ。凄くいい。
兎も角「できること」を実際に行動してみた、というのがとてもいい。

「3人デモ」に何の意味があるのか、というのは、他人から見れば「無意味」とか思われることもあるかもしれないが、いいんだよ、そんなこと。


今後も応援してみますよ、「高円寺ニート組合」。



続・アマチュアらしさ?

2006年12月07日 20時45分24秒 | 俺のそれ
正式版が出た模様。
変わっている部分もたくさんあるね。

OhmyNews佐々木俊尚さん、本当にそれでいいんですか?

『だいたいにして、佐々木さんのエントリを支持する声が、まず「オーマイニュースなんて始めからみてないけど」と前置きするような人たちから多く出ていることを佐々木さんはどう考えているのか。オーマイニュースをよく知る人々からではなく、あまり興味を持っていない人が主に佐々木さんのエントリを支持していることに。』

と音羽氏はリンク先の記事に書いている(校正前の記事はなかったと思う)のですけれど、前置きしてるのは私もですが、何か?(笑)
(参考までに、上記引用部分の『始めから』というのは『初めから』の誤変換と思う)

「私には全く無縁であったオーマイニュースであるが、ふとした記事を発見したので、感想を書いておこう。」
って、書いちゃったので。

まあ単なる偶然だろうと思うけど。ウチは所詮「寂れブログ」ですので。
読まれてはいないと思うし、きっと他のたくさんの人々が「前置き」していたのでしょう。


アマチュアらしさ?


一応言っておきますと、私は佐々木氏のエントリの支持なんて表明していないし、前の記事の何処にも「佐々木氏が正しい」みたいなことは言ってない(佐々木氏の記事も同じく興味の対象というほどのものでない。そういうことがあったのか、くらいにしか読んでいなかった)。音羽氏の「書いた内容」だけで判断しているし、「腐った内輪」の人々のことの評価もあまり関係がない。純粋に書き手(=音羽氏)の訴えている中身について、疑問を述べたまでである。音羽氏が有名かどうか、どこの「腐った内輪」とバトルを繰り広げてきたのか、そういったことは一切関係なく、書かれている中身について私自身の評価というか、感じたことを率直に書いたに過ぎない。


音羽氏は「オーマイニュース」を読むのが「初めて」という読者なんかがやってくるかもしれない、とか、全く想定していないのですね。それまでの細かい「バトル」の経緯を全部熟知していて、誰が何て言ったとか、書いたとか、いちいち正確に経過を辿ってバトルの核心に迫ったりするものである、という思い込みか、勘違いをしているのではなかろうか。彼にとっての「対戦相手」は「腐った内輪」とか「佐々木氏」とかなのかもしれないが、彼が守ろうとしているのは何だろうか?彼は何処に向かって記事を書いているのであろうか?それは、いつ訪れるか分らない、普通の読者ではないのか?


熱烈な音羽信者ばかりがやってくるとか、「腐った内輪」の手先の「匿名工作員たち」ばかりとか、そういうのをメインにしてニュースを展開したければ、そうすればいいだけの話であって、通りすがりの私があれこれ口出しするようなことでもないですから、ご自由にどうぞ、とは思う。

別に誰が悪いとか正しいとか、間違ってるとか、そういうことではなくて、普通に考えれば「ニュース記者」という役割をやっていこうというのであれば、「それなりの心構え・態度」というのは求められて然るべきではないですか、その為には「質を高めること」「意図を正確に伝える努力」というのが最重要課題ではないですか、と書いただけである。


批判という段階にさえも行かないとは思うが、「アマの同好会」というのは、読者を見ていない、ということなんですよ。相手を見ていない。自分(たち)の為に、或いは自分たちが「属する組織=オーマイニュース」の為に記事を書いているのですよ。それが、アマらしいって言ってるのです。プロは違うと思いますよ。相手の為に、良い仕事をしようとする。顧客の為に仕事をする。書き手であれば、読者に向かって書くのではないか。

そういう部分に「違和感」を感じるからこそ、記事にしたまで。


もう一度前の記事に書いたことを再掲する。



ただ単に「基地反対というのは間違っている!反対のシュプレヒコールは不快だ、そういう腐った活動グループは排除され、消えればいい」と言うだけでは、あまり理解は得られないのではないでしょうか。説明しない、ということを選択するのは自由ですので、それでもいいでしょうが、双方ともに前進はなく、紛争はただ続いていくだけのような気がします。

この様子を黙って見ている人たちは、どのような評価をして、どのように考えるでしょうか。




まずは、自分たちの記事をわざわざ読みに来て下さる大勢の読者の方々に、「自分たちが何ができるか」「今まで何をしてきたか」、よく考えてみた方がいいと思うよ。考え方や精神をプロに近づけるように、「真似」から入ってみるのも一つかもしれないし、泥沼の中で這いずり回りながら独自のものを築いてもいいけど、時間が間に合わなければ「独自で会得」する前に消滅するのみだろうね。どの選択をするのも、オーマイ記者さんたちの自由です。



やっぱり美味いビールが飲みたいのさ

2006年12月07日 19時18分35秒 | 社会全般
本当はビール好きが多いんだよ、やっぱり。
古くからご愛読頂いている皆様ならば、私がビール好きであることも、告白した通り「エビス」が好きであることもご存知かと思います(笑)。

参考:暑くて・・・


ですが、飲めるのであれば、他のビールでもOKですよ、勿論。発泡酒や第三のビールはご法度ですけど。
私にプレゼントしてくれる場合には、即座に申し出て下さいね。
特に、>ビールメーカーの方々どの(本気で超期待!)


Yahooニュース - 毎日新聞 - <高級ビール>なぜ今「プレミアム」?お歳暮商戦の目玉に

記事より一部抜粋。

「プレミアム」の冠が付いた高級ビールが売れている。国内の大手ビール会社が相次いで新製品を投入し、お歳暮商戦の目玉に。なぜ今、プレミアムビールが注目を集めるのだろうか。【野島康祐、高橋昌紀】

 ◆大手4社出そろい
 先月22日、キリンの「ブラウマイスター」とサッポロの「琥珀(こはく)ヱビス」が同時に発売された。大手4社の新プレミアムビールが出そろった。
 プレミアムとは、英語で「高級な、高価な」の意。従来のビールより値段が1、2割高く、小売価格で240~250円台(350ミリリットル)。第3のビールの2倍近い。原料の麦芽、ホップはドイツ、チェコなどから最高級品を厳選。各社各様に味わい深く、缶入りでも「高級感」が味わえる。
 人気の先駆けとなったのはサントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」(01年発売)。世界的な酒類コンテストの「モンドセレクション」ビール部門で昨年、日本初の最高金賞を受賞した。生産が追いつかず、今月から生産工場を1カ所増やし、4工場体制とした。
 続いたのがアサヒビールの「プライムタイム」(今年6月発売)。同社は「ゆとりのある極上の時間を提供したい」。キリンの「ブラウマイスター」は、ドイツに留学経験のある醸造職人7人が手がける。13年前から業務用と一部の缶でも限定販売していたが、「いつでも自宅で飲みたい」との要望に応えた。
 「琥珀ヱビス」は来年初めまでの限定販売(40万ケース)で、赤みがかった色とこくが特徴。そもそも金色の缶の従来型ヱビス自体が国産高級ビールの代表格。担当者は「ヱビスというブランドで、新しいビール文化を発信したい」と話す。

 ◆なぜプレミアムか
 少子高齢化や焼酎ブームの影響で従来型ビールや発泡酒の売れ行きが鈍る一方、景気回復もあってプレミアムは年々伸びている。市場調査会社、富士経済の調べでは、今年の従来型ビールの予想出荷額は前年比0.6ポイント減の1兆4134億円なのに対し、プレミアムは同23.5ポイント増の783億円。総売り上げは従来型に及ばないが、同社は「平日は安いビールや発泡酒ですますが、週末は少しリッチな気分でプレミアムを飲む人が徐々に増えている」と分析する。
 サントリーのテレビCMがきっかけで誕生したプロ野球OB球団を率いる大沢啓二さん(元日本ハムファイターズ監督)は義理堅く、チーム名にもなった「ザ・プレミアム・モルツ」一筋。「現役時代ほど飲めなくなったけどね。だからこそ高品質のビール。少量でも、うまいビールが飲みたいんだよ」と語る。
 百貨店の日本橋タカシマヤ(東京都中央区)のお歳暮売り場でも、プレミアムの箱詰めセット(3000~5000円)が好調で、お中元商戦と比べても5割増という。




ほらね、ほらね、プレミアムビールは好調だってさ。

これは誰のお陰だと思っているの?
過去2年以上に渡って、こんだけ「ビールを飲もう広報」活動したのに、何の恩恵にもあやかれないとは・・・・トホホ(嘘です)


まあ、冗談はさておき、各人好みというものがございますので、お好きなものを飲むのが一番かと存じます。でも、時にはちょっとお高目のビールなども試してみるといいかもしれません。ワインなどの高級品と比べますと、僅かな出費でちょっぴり贅沢な気分に浸れますよ、きっと。

参考までに、私はワインの味については、全くの音痴でございます。何を飲んでも全く判りません。白、赤くらいの区別なつきますけど(笑)。


安酒は翌日が辛いので、大抵わかります。種類に関係なく。ワインも日本酒もウイスキーも。残る。所謂「宿酔い」の感じになるね。頭痛というか、頭が重いのね。脳ミソの「芯」の辺りが、ズーンと重たくなったみたいな。


でも、いい日本酒だとあたかも水を飲むようで、スイスイ入っていくし、結構飲んでも翌日まで残ることはほぼありません。頭痛などが全くないのですよね。これは不思議なんですが。まあ単なる経験から見た、個人的印象なのですけどね。

元々酒が好きという程でもないので、利き酒もできないし、のんべえ(注意!:似たような人名と見間違えなきようにお願い致します)ではないのですけどね。家ではビール以外殆ど飲まないし。そうは言っても、季節的に飲み会の機会が増加している為、あれこれと飲んではいるのですが(笑)。



道路で未来は拓けるのか

2006年12月07日 13時51分20秒 | 政治って?
道路特定財源問題の目鼻はついたようだが、依然として反対派の強硬姿勢は残っている。
道路、道路、道路・・・・前と同じだな。

「地方切り捨てだー!」
「道路がなければ物流が云々~だー!」

未だにバカバカしいことしか言わない連中がいることが不思議だ。

安倍総理の指示はまともだぞ。


日本自動車工業会等の「正論」をぶつけてくるのは分るが、そういうことを数十年続けてきて、まだ目が覚めないのか?そうやって、談合なんかの温床やら、あれこれと利権を温存してきたのではなかったか。そういうシステムを子孫に残しておきたいと本当に心の底から願っているのか。もしもそうだとすれば、そういう年長者の方々たちが残した大きな負債で、日本の未来を潰しかねない、ということを肝に銘じるべきだろう。自動車会社のお偉いさんたちが総出で「反対」運動をやっていれば、そりゃ、「反対派」も勢いづくわな。

社会の為にどのように考えていくべきなのか、経済界のお偉いさんたちこそ、よく意見交換なんかをやった方がいいよ。御手洗さんとか、関連業界団体の方々と、一般財源化への論客なんかを集めて、徹底的にディベートなんかをやってみたら?まず、政治抜きで、「本当にどうしていったらいいか」ってことを考えてみるべきだ。公開討論会を開催せよ。国民にそれを見せるべきだ。誰が「道路があれば、皆さんの生活がこんなに良くなる」とか言っているのか、それはどこの会社の人か、ハッキリと示した方がいいよ。


地方で生活していると、都市のような便利な公共交通が発達していない。なので、自然と自家用車の依存度は高くなる。それはそうだろう。一家に一台どころか、複数所有者もいることもあるし。なので、道路網というのは「必要」だ。これはそうだろう。

だが、郵便配達の人たちが到達できないとか、宅配便も届かないとか、陸運が途絶えているような地域はどれくらいあるのか?離島等の特殊な場所は除いて、陸続きになっているのに、「陸の孤島」みたいな場所はどれくらいあるのか?まず、そういう所をきちんとピックアップしてみた方がいいよ。そんな場所が本当に日本全国に多数あるのか?私の個人的推測ですが、そういう場所は殆どないと思う。

続いて、国道・県道程度の幹線道路のうち、未舗装区間は何kmくらいあるでしょうか?砂利道で年間に度々通行止めになり、通過障害となっているような地域はどれくらいありますか?これも、そんなには多くないと思う。人口数千人規模の村落があるような場所へ通じる道路で、そこが閉鎖されると交通路が遮断されてしまうような地域はどれほどあるでしょうか?これも、無いとは言えないかもしれないが、滅多に存在しないと思う。


道路が悪くて、生活や経済活動に大きな支障を来たすような状況であれば、「優先的に整備」するというのは考え方として有り得ると思う。拡幅工事にしても、車がすれ違えないような「1車線」であれば意味はあるかもしれないが(ただその交通量がどの程度なのか、ということもある、1日に一回すれ違うかどうか、という道路もあるだろう)、上下1車線あるのを「片側2車線」にすることの重要性というのはあまり多くはないだろう。それを「中央分離帯付きで、立派な街灯も付けて、両脇には花壇なんかの植え込みや街路樹も付けて、両側2車線にしてくれ」というのをどんどんやっていく、ということは難しいだろう。混雑や渋滞緩和というのを考える必要がある場所もあるかもしれないが、優先度はどの程度あるか考えものであろう。

もしも道路の整備を行うことで渋滞が大幅に緩和されて、投資効果が極めて高いのであれば、やる意味はある。だが、田舎に立派な道路を作ることで、「輸送時間短縮」とかが達成できたとして、その投資効果がどれ程期待できるであろうか。制限速度はあるのだから、それで走行可能なのであれば、「道路が拡幅されたお陰で、従来1時間かかってたのが57分になった」という程度の改善で終わるかもしれず、そうであれば、あまり意味のあることとは思えない。道路の拡幅を行ったからといって、人々の往来が増えたり産業活動が活発になったりして、通行量が数倍に増えたりする訳でもないので、「道路整備すれば地方が豊かになる」なんてことはないのだ。


道路という公共投資を広く行うことで、国民生活はどの程度改善され豊かになるのか。そういう部分をよく考えた方がいいと思う。過去には土建屋だとか建設関連で潤う面もあったし、雇用面でも意味はあったろう。だが、これを長く続けると、より生産性の高い仕事へのシフトは起こりにくくなっていくのではなかろうか。昔の炭鉱みたいなものだ。炭鉱を維持せよ、というのは無意味ではないが、それを長くやり続ければ、いずれは行き詰まるだろう。そういうようなものだ。需要が多くないのに、土木・建設部門に多くの人員や資源などが投入されてしまう。それを無理にでも維持しようと思えば、談合みたいな分配システムが生まれ、優先順位の低いようなものであっても公共事業が必要だ、みたいなことになってしまう。所謂「ハコモノ」とか「道路」なんかに予算が集まってしまう。いつまでそういう体質を維持するのか、ということが問題にされているのである。


これといった産業のない地方だと、産業や雇用を新たに生み出そう、ということのハードルが高いことは確かだ。だが、斜陽産業に多数の人々がしがみついて、少ない利益を多数で分配するよりも、数は減っていくことを覚悟して、もっと別な分野に移行していく方が望ましいであろう。田舎に立派な橋や道路を作ってもらえば、そのいっときは「工事関連」で金が入ってくるが、長くは続かないだろう。いずれまた同じように行き詰まるのだ。そうであるなら、もっと「継続的に」金を生み出し、利益が入ってくるような仕組みを真剣に考え、作っていくしかないだろう。もっとソフト分野に目を向けるべきだ。


いつものことなのだが、また変な喩えで申し訳ないが、「道路、道路」といい続けることのオカシサを表現してみよう。

今、カブトムシを飼うことにしたとする。まず「立派な飼育箱」を用意する。できるだけ数をたくさん飼えるようなヤツがいい、ってことで、予算をしっかりかける。次に、一等品のオガクズみたいなのとか、止まり木もカブトムシの一番好きな天然木で一流の彫刻師に用意させ、蜜も最上級品を大量に買い、1年分は用意する。「さあ、カブトムシを飼って下さいな」ということで、「出来上がり」なのです。

◎じゃあ、カブトムシは何処に?・・・・

と、なってしまうのですよ。
初めから、カブトムシなんて何処にもいなかったのですよ。想像の中にしか存在しないカブトムシを飼う為に、ゴージャスな飼育箱一式を整備してるようなもんですね。その飼育箱一式を与えられた地方の人々は、費用の一部の請求書なんかがコッソリ回されたりしているかもしれない(妄想だけど)。

◎誰もカブトムシの飼い方を知らない・・・・

運良くカブトムシを手に入れたとしても、誰も飼い方を知らないのです。立派な飼育箱一式とかはある。蜜もある。でも、「どうやってそれを使ったらよいか」「どうすれば継続的にカブトムシを飼育できるか」ということを知らないんですよ。それなのに、「まず飼育箱一式を用意しないと」と信じ込んでいるようなものです。


頭を切り替えて、同じ費用をかけるのであれば、昔コオロギを飼うのに使った「ボロい」飼育箱で代用してみるとか、蜜も高級品は飼えないので、食べ残したスイカの皮の部分を与えるとか、止まり木は雑木林に行って拾ってくるとか、いくらでも可能なのですよ。で、カブトムシの飼育方法を知らないのであれば、「飼育・観察法」の本を買って「知恵を付ける」ことに一番お金を使った方がいいのです。本命の「カブトムシ」は、何処で獲れるか調査したり、実際に「カブトムシ捕獲」に出かけたりして獲ってきたりすることにお金をかけた方がいいのですよ。もしも捕獲できないのであれば、「ツガイ」で購入するかもしれないが、カブトムシ本体にお金を使う方がいいのです。ところが、「立派な飼育箱を購入しなければカブトムシを飼育できないんだー!」と強硬に主張するのは、本末転倒なのです。


いつまで経っても「カブトムシの飼育方法」というソフトの方向に目を向けられないのです。飼育箱購入に関連する予算割当てを期待してしまって、目先の利益の囚われているのです。飼育箱からは「大した利益は生み出されない」のですよ。それよりも、カブトムシのツガイを上手く育てて、数を増やしたりすれば、もっと利益を生み出すかもしれない。大事なのは、カブトムシや飼育方法なのです。入れ物とか、飼育キットではない。飼育する為に絶対必要なものであれば、確かに「いいオガクズ」とかあった方がよいが、それはまずカブトムシがいることが先決だ。なのに、カブトムシは何処にもいないにも関わらず、入れ物だの蜜だのに、大金をかけるのですよ。そんなものに金をたくさん使うくらいなら、「どうやったらカブトムシをうまく飼育でき、数を増やせるか」ということを「教える」ことにお金を使った方がいいのです。人的資源に投資した方がいいと思うのですよ。それには「未来」や「可能性」があるのだから。


更に言えば、人間が最低限(ひょっとしてそれ以下?とか)の生活を強いられているというのに、カブトムシの飼育箱にお金をかけるという感覚がそもそも外れていると思うのですよ。まず人間の最低水準はきっちり確保するべきで、その財源すら困っているのに、なんでカブトムシに「最上級の蜜」なのか、ということですよ。


インフラ整備は必要だし、(賃金水準や工事費が)安くできる時期にやっておくことに意味はあるかもしれないが、それをいつまでも当てにしていてはどこかで行き詰まるだろう。公共投資は必要だが、過剰に行うのが問題なのだ。利用可能で、既にあるものについては、投資の優先順位は下がっていくハズである。


真に困っている人々は、アスファルトよりも、まず米や電気や医療を求めているのである。



存在する意味がない?

2006年12月05日 21時12分42秒 | 俺のそれ
記事が消滅したので、手短に。


ある床屋があるとしよう。


そこに来てた客が、床屋にあれこれと注文を付けた。

「そこはもっと短く刈り込んでくれた方がいいな。それに最近流行ってる髪形みたいな感じでやってもらえないかな。ほら、タレントみたいな感じで」

すると、床屋は言った。

「流行ってる髪形って、どんなの?」

客は

「よく分らないんだけど、キムタクとかもこみちとか色々いるじゃない。ああいう感じがいいなー、と思って」

と答えた。


こんな時、床屋が「そんなこと言うなら、自分でやったら?」と言ったりしないと思うな。もしも「わけのわからん注文をするな」と思って、客に自分でやれと言ってしまって、客が自分で出来ちゃうなら、床屋はいらないもんね。


そうであるなら、プロの床屋はいらなくなってしまう。素人衆は正確に分らなくたって色々と注文をするに決まっている。自分でできるかどうかなんて関係がない。

「自分でやれ」と言うのは、プロじゃないのよ。アマは言うかもしれんよ、そういうことを。でも、本物のプロは言わないと思う。自分の存在価値を無くすようなもんではないですか。他の人にでも代替可能、ということだし。


ひょっとして、反語的に「できるもんなら、やってみな。でも、できないだろう?」という風に言うことがあるのかもしれないが、それもプロっぽくないな。ただの素人イジメにしか思えんな。

ごちゃごちゃ注文つけるなら、やらん、とか言うのも大人気ないし、オレのやり方で我慢しろ、ということを強要しているかのような印象を受けるような気がする。



「名声の高い会社」世界ランキング

2006年12月04日 21時38分52秒 | 社会全般
偶然発見。フォーブス記事からだそうだ。

「企業の評判」、世界ランキング第1位は? - ビジネススタイル - nikkei BPnet


原文タイトルには「most respected companies」とあり、「最も尊敬される会社」ということなのかな、と思ったが、中身を見ると、若干違っていたので、敢えて違う表現とした。


信頼のある、尊敬に値する会社を調べようということで、Reputation Institute が1999年から米国調査会社Harris Interative と共同で米国企業の評判格付けをしてきたのだそうだが、今回の調査結果は前者が単独で調査結果を出したようだ。世界の企業に対象を広げ、600社のランキングを報告している。点数化されていて、その指標は「REPTRAK PULSE 2006」だ。調査会社名(Reputation Institute)の影響もあるだろうが、「Reputable companies」のランキング、ということで、元が respected companies じゃないんですよね。

The World\'s Most Reputable Companies - Forbes.com


結果を見ると、トップ5は次の通り。

1位 Barilla Holding (Italy/ Food & Tobacco)
2位 LEGO Holding A/S (Denmark/ Consumer Products)
3位 Deutsche Lufthansa AG (Germany/ Airline & Aerospace)
4位 IKEA International A/S (Sweden/ Retail - General )
5位 Compagnie Generale des Etablissements Michelin (France/ Automotive)


「LEGO」というのは確かに意外性がある。メルヘンなデンマークらしいな。
ブロックは興味ないが。

イケアはこんなところでも「良いイメージ」を売り物にしている。大富豪ランキングでも3位だか4位くらいだった、確か。

ルフトハンザは結構儲けてるし、いいよね、信頼されていて。
羨ましいよね>JALどの

「ミシュラン」という語はどこで用いても問題ないのかな?「Michelin」じゃなければ。

でも、1位のBarilla って、殆ど知らんな。スーパーのパスタ安売りの時、売ってたような気がするが、日本のメーカー品よりも随分と安かったような気がするが・・・定かではない。妻のお付き合いでスーパーに買い物に行く程度なので、よく知らない。


で、日本企業でのトップはやっぱりトヨタ。6位ですって。中々だと思う。で、100位以内の日本企業を見てみたら、次の8社だった。

6位 トヨタ
19位 ホンダ
38位 キヤノン
47位 シャープ
54位 松下電器
56位 ブリヂストン
64位 ソニー
81位 富士フィルム


以下、600社まであるから、お暇な方は調べてみて下さい。私は面倒なので、止めました。記事にもあった通り、ワースト3にも日本企業が入っていた。これも想定の範囲内ですね>三菱自動車どの

うーむ、三菱重工を中核とした三菱グループは、日本の代表選手みたい思っていたが、これほど評判が悪い、というのも困ったものだ。何とか考えた方がいいかもしれない。大幅に傷ついたブランドイメージは中々取り戻せないですから。「信用・信頼」というのは作るのが難しいが、壊れるのはアッという間、というのは昔の人がよく言ってたはずだ。本当にその通りだと思う。


ソニーは多分イメージを悪化させたであろう。韓国のサムスンがトップ10入りしているのを見ると、日本の「電気製品神話」の牙城が崩されたのではないかな、と思う。そんな中、予想外に大健闘(ゴメンね、悪い意味ではないですから)だったのがシャープ。液晶の信頼度が余程高いのか、悪印象が少ないんですね。強みを生かす、というのはやっぱり大事なのかもね。


私のイメージでは、昔から家電製品なんかの大安売りをされてるのは、大抵が「シャープ」とか「NEC」とかで、冷蔵庫、洗濯機、掃除機なんかが安かったような気がする。デジタルビデオカメラとかも。やや高いのは松下とかソニーとか日立とか、かな?昔シャープの冷蔵庫を15年くらい使っていたように思う。特価品のイメージがあって、高級感は殆どないのだが、掃除機なんかを購入する時になると、ついつい「シャープでいいか」と思ってしてしまう(ゴメンね、これも悪気はないですから、実際買ってるのだからいいんですよね?)。ノートパソコンでも、ちょっと安いから「シャープでいいか」ということで、2度購入したことがある、メビウス(最近の値段とか知らないです、買ったのは数年前なので)。

つまるところ、私の購入動機は、本当はシャープが好きな訳ではなく、むしろ「ちょっと値段の落ちる商品」という印象があり、そこでまんまと「釣られて」買ってしまっている、ということでしょうか。これって、ネガティブな固定客ということなんでしょうか?(笑)実はシャープの戦略に引っ掛かって購入させられていた、とかでしょうか。今後液晶テレビを購入しようかなと思う時にも、ついついシャープを選択してしまったりするのかもしれない(笑)。ああ、液晶テレビは、シャープ製は高級品でしたか?近年ブランドイメージが向上してきたのであれば、値段が高いかもね。そうであるなら、選ばないかも(笑、冗談です)。


日本企業は、今後尊敬されるような会社を目指して、世界の信頼獲得に努めて頂ければ。長い目で見れば、ブランドイメージは大事ですからね、やっぱり。