2月11日の記事「韓国の「ピョンシンチュム(病身舞)」のこと等」の続きです。
何日も日が空いてしましましたが、何をどう書き、また自分としてはどう考えるのかわからなかったというのも理由のひとつです。
結局、わからないなりに書くことにしました。
韓国の民俗芸能のひとつのタルチュム(탈춤)については、韓国文化に多少なりとも興味を持っている人はご存知のことでしょう。「탈」は「仮面」、「춤」は踊り。つまり仮面舞のことです。
仮面はよく土産物店でも売られていますね。笑い顔のお爺さんとか、頬や額に丸く紅を塗った若い女性等々。
そんな面の中で、下の画像のように顔全体に斑点のあるものもよく見受けられます。
これがタルチュムの中でよく演じられるムンドゥンイチュム(문둥이춤)の時に用いられる面です。
そしてこのムンドゥンイ(문둥이)とは、ハンセン病患者のことをさす韓国語の固有語です。
<KBS WORLD>の記事には、タルチュムとムンドゥンイについて次のような説明があります。
韓国の伝統仮面劇であるタルチュムの名称は地方によって違った呼び方があり、釜山では古くから「野で遊ぶこと」という意味の純粋な韓国語、「トゥルノルム」と呼ばれてきました。普通、トゥルノルムを漢字で現わした「野遊び」を音読みにすると野遊(ヤユ)となりますが、釜山の東莱区に伝わるタルチュム、東莱野遊びだけは昔から東莱(トンレ)「ヤユ」ではなく、「ヤリュ」と呼ばれています。
韓国の各地に伝わるタルチュムのほとんどにはムンドゥンイの場面があります。こうして疎外されている人々も社会の一員として認めているのです。
一読して、最後の下線をつけた部分が「すっきり書かれすぎている」と思いました。
タルチュムは、韓国各地に伝えられていて、それぞれの特色もありますが、おおよその共通点もあるようです。上記のようにムンドゥンイの場面もそのひとつです。
先の記事で病身舞(ピョンシンチュム)について書きましたが、このムンドゥンイチュムも病身舞のひとつです。
各地のタルチュムに登場するムンドゥンイチュムは、本来の身分が両班(貴族)であり、先祖が重ねた罪業のために不治の病にかかって出世の機会もないというムンドゥンイが自分の境遇を恨み嘆く、という内容ものです。
すでにここまでの説明で、日本人のアナタは疑念あるいは拒否感を抱いたかもしれません。
そのことを考える前に、まずそのムンドゥンイチュムがどのようなものか、見てみてください。
この動画は、慶尚南道の固城五広大(고성 오광대.コソンオグァンデ)です。
【ムンドゥンイチュムは最初(00:25~03:47)に演じられています。】
固城五広大では、連続して演じられる第1~5科場(과장)の最初の第1科場でムンドゥンイチュムが演じられています。
途中、足が利かないというような動作もありますが、滑稽さを強調したようなものではなさそうです。
「固城五広大 重要無形文化財 第7号」の説明記事には「この場面の内容は、両班が権勢を恣にして一般民衆を抑圧し、蔑視する封建社会の痛みを、マルトゥギという庶民の代弁者が、両班の醜悪な姿を赤裸々に明らかにすることで辛辣に批判する」と書かれています。
ウィキペディアの病身舞の説明によると、病身舞は「日韓併合とともに、集会取締令の対象の一つとして禁止され、日本の敗戦後に復活する」とあります。
朝鮮総督府は、はたしてどんな経緯で病身舞を禁止したのか? 興味はありますが、そこまでは私ヌルボの調べ作業は進んでいないので、保留にしておきます。
また「韓国国内においても身体障害者に対する差別的な踊りではないかという批判がある」とも記されています。(韓国ウィキには、この記述はありません。)
調べてみると、たしかに2001年の「国民日報」に関連記事がありました。ただ、これは民俗芸能としての病身舞ではなく、演劇の中で脳性麻痺障碍者をまねて笑いをとっていたことに対して初等学校で障碍児教育を担当している教師が抗議をしたというものでした。しかし一部のネチズンは「孔玉振(コン・オクチン)の病身舞は誰も非難しない」としてその教師の主張を偽善であると攻撃し、一度は公演内容是正を約束した企画会社も「私たちの劇場には障碍者が毎回観覧をしている」と立場を変えたとのことで、さらに障碍者及び関係組織の抗議が続けられたようです。
では、このムンドゥンイチュムについて韓国の人たちはどう見ているのでしょうか? 「문둥이춤」と「차별(差別)」の2語で検索すると、興味深い記事がいくつかヒットした中で、たとえば忠北大学校の民俗研究会の掲示板で、学生たちの演じたムンドゥンイチュムについて次のような(先輩の?)コメントが載っていました。
・・・人間臭さのある良い公演でした。病・身・舞をみるまでは。そんな公演に一体何を考えて病身舞を入れたのですか? タルチュムに入っている病身舞は、両班の心がよじれて腐っていることを風刺したものです。・・・皆さんが見せてくれた病身舞は何ですか? ・・・皆さんは障碍者の不便な身体を公式の場で笑い物にしました。皆さんは平気で笑って病身舞を踊りました。・・・民俗研究会は、それらの人々(障碍者とその家族)の心をえぐる公演をしました。皆さんは、皆さんと民俗研究会全体の人格を地に落としました。病身舞を見た後にもうその公演を見て笑うことができませんでした。
この厳しい批判を受けとめたコメントがさらに続いています。
また日本の「嫌韓流」の本であげられているネタ45項目を律儀にも紹介した記事(→コチラ)がありました。そこで筆者自身がコメントの中で、「韓国人の障碍者差別はひどい」と題して「障害者福祉施設を住宅価格が下がると言って近所に作らないようにしたり、パラリンピックを放送中止させたり、障碍者をまねる病身舞があったり、障碍児という理由で毎年約1000人を海外に捨てる」と記している29番目の項目について、「私はこの批判が本当に考えてみる余地が多いようです」と書いています。
これらを見ると、韓国の障碍者差別についての「ハードル」は日本に比べてかなり低いのは事実ですが、徐々に高くなりつつあることがうかがわれます。
ただ、このテーマは柳美里の「石に泳ぐ魚」をめぐる裁判のように、「表現の自由」などとも関わる難しい問題も内包しているように思われるので、「ハードル」が高いことがはたしてどこまで「良いこと」と言えるのかどうか? これまた「保留」にしておきます。(ずるい!)
今回の記事に関連して、韓国で民族舞踊を仕事としている方の「極私的ふれあい音楽探訪」というブログ(日本語)はおおいに参考になりました。2006年に4回にわたってムンドゥンイチュムについての記事があります。(→1・2・3・4)
その記事の中で、次のようなくだりには速断ばかりか遅断も避けがちな私ヌルボも「なるほど・・・」と思った次第です。
伝統芸能の文脈の中でムンドゥンイチュムが踊られる時、そういったらい病患者に対する過去・現在の差別の眼差しに対する反省とか、ある種の考察のようなものがなされているのをついぞ目にしたことがないし、そういった議論がされているのも聞いたことがありません。
・・・でも、例えその発祥が障害者をバカにしてコケにするものであってもわたしはムンドゥンイチュムが好きだ。五広大が好きだ。継承したい。
このようなハンセン病等の病者や障碍者に関わる表現活動をめぐる問題は、文学の分野でもあるのは日本も韓国も同じです。それらについては、さらに続くということにいします。
(知れば知るほど、次なる問題が見えてくる、ということで、延々と続くなー・・・。)
※野村伸一「巫と芸能者のアジア」(中公新書)には、「苦汁に満ちた生を生きながら、道にさすらい、滑稽におどり、うたった朝鮮の芸能者広大(クァンデ)とその芸能」について、非常に詳しく書かれています。しかしなぜかムンドゥンイチュムという言葉は載っていません。その代わりに「疥癬僧(オムジュン.옴중)」という言葉が用いられています。ネット検索すると、たしかに楊州の別山台ノリ(양주 별산대놀이)ではそう呼ばれるそうですが・・・。何か考えがあってのことなのか・・・。
※<ハンセン病と韓国文学①>に続きます。
[韓国とハンセン病関連記事]
→ <ハンセン病の元患者、歌人・金夏日さんと、舌読と、ハングル点字のこと>
→ <2005年毎日新聞・萩尾信也記者が連載記事「人の証し」で金夏日さんの軌跡を記す>
→ <ハングル点字のしくみを見て思ったこと>
→ <韓国の「ピョンシンチュム(病身舞)」のこと等>
→ <ハンセン病と韓国文学①>
→ <ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと>
何日も日が空いてしましましたが、何をどう書き、また自分としてはどう考えるのかわからなかったというのも理由のひとつです。
結局、わからないなりに書くことにしました。
韓国の民俗芸能のひとつのタルチュム(탈춤)については、韓国文化に多少なりとも興味を持っている人はご存知のことでしょう。「탈」は「仮面」、「춤」は踊り。つまり仮面舞のことです。
仮面はよく土産物店でも売られていますね。笑い顔のお爺さんとか、頬や額に丸く紅を塗った若い女性等々。
そんな面の中で、下の画像のように顔全体に斑点のあるものもよく見受けられます。
これがタルチュムの中でよく演じられるムンドゥンイチュム(문둥이춤)の時に用いられる面です。
そしてこのムンドゥンイ(문둥이)とは、ハンセン病患者のことをさす韓国語の固有語です。
<KBS WORLD>の記事には、タルチュムとムンドゥンイについて次のような説明があります。
韓国の伝統仮面劇であるタルチュムの名称は地方によって違った呼び方があり、釜山では古くから「野で遊ぶこと」という意味の純粋な韓国語、「トゥルノルム」と呼ばれてきました。普通、トゥルノルムを漢字で現わした「野遊び」を音読みにすると野遊(ヤユ)となりますが、釜山の東莱区に伝わるタルチュム、東莱野遊びだけは昔から東莱(トンレ)「ヤユ」ではなく、「ヤリュ」と呼ばれています。
韓国の各地に伝わるタルチュムのほとんどにはムンドゥンイの場面があります。こうして疎外されている人々も社会の一員として認めているのです。
一読して、最後の下線をつけた部分が「すっきり書かれすぎている」と思いました。
タルチュムは、韓国各地に伝えられていて、それぞれの特色もありますが、おおよその共通点もあるようです。上記のようにムンドゥンイの場面もそのひとつです。
先の記事で病身舞(ピョンシンチュム)について書きましたが、このムンドゥンイチュムも病身舞のひとつです。
各地のタルチュムに登場するムンドゥンイチュムは、本来の身分が両班(貴族)であり、先祖が重ねた罪業のために不治の病にかかって出世の機会もないというムンドゥンイが自分の境遇を恨み嘆く、という内容ものです。
すでにここまでの説明で、日本人のアナタは疑念あるいは拒否感を抱いたかもしれません。
そのことを考える前に、まずそのムンドゥンイチュムがどのようなものか、見てみてください。
この動画は、慶尚南道の固城五広大(고성 오광대.コソンオグァンデ)です。
【ムンドゥンイチュムは最初(00:25~03:47)に演じられています。】
固城五広大では、連続して演じられる第1~5科場(과장)の最初の第1科場でムンドゥンイチュムが演じられています。
途中、足が利かないというような動作もありますが、滑稽さを強調したようなものではなさそうです。
「固城五広大 重要無形文化財 第7号」の説明記事には「この場面の内容は、両班が権勢を恣にして一般民衆を抑圧し、蔑視する封建社会の痛みを、マルトゥギという庶民の代弁者が、両班の醜悪な姿を赤裸々に明らかにすることで辛辣に批判する」と書かれています。
ウィキペディアの病身舞の説明によると、病身舞は「日韓併合とともに、集会取締令の対象の一つとして禁止され、日本の敗戦後に復活する」とあります。
朝鮮総督府は、はたしてどんな経緯で病身舞を禁止したのか? 興味はありますが、そこまでは私ヌルボの調べ作業は進んでいないので、保留にしておきます。
また「韓国国内においても身体障害者に対する差別的な踊りではないかという批判がある」とも記されています。(韓国ウィキには、この記述はありません。)
調べてみると、たしかに2001年の「国民日報」に関連記事がありました。ただ、これは民俗芸能としての病身舞ではなく、演劇の中で脳性麻痺障碍者をまねて笑いをとっていたことに対して初等学校で障碍児教育を担当している教師が抗議をしたというものでした。しかし一部のネチズンは「孔玉振(コン・オクチン)の病身舞は誰も非難しない」としてその教師の主張を偽善であると攻撃し、一度は公演内容是正を約束した企画会社も「私たちの劇場には障碍者が毎回観覧をしている」と立場を変えたとのことで、さらに障碍者及び関係組織の抗議が続けられたようです。
では、このムンドゥンイチュムについて韓国の人たちはどう見ているのでしょうか? 「문둥이춤」と「차별(差別)」の2語で検索すると、興味深い記事がいくつかヒットした中で、たとえば忠北大学校の民俗研究会の掲示板で、学生たちの演じたムンドゥンイチュムについて次のような(先輩の?)コメントが載っていました。
・・・人間臭さのある良い公演でした。病・身・舞をみるまでは。そんな公演に一体何を考えて病身舞を入れたのですか? タルチュムに入っている病身舞は、両班の心がよじれて腐っていることを風刺したものです。・・・皆さんが見せてくれた病身舞は何ですか? ・・・皆さんは障碍者の不便な身体を公式の場で笑い物にしました。皆さんは平気で笑って病身舞を踊りました。・・・民俗研究会は、それらの人々(障碍者とその家族)の心をえぐる公演をしました。皆さんは、皆さんと民俗研究会全体の人格を地に落としました。病身舞を見た後にもうその公演を見て笑うことができませんでした。
この厳しい批判を受けとめたコメントがさらに続いています。
また日本の「嫌韓流」の本であげられているネタ45項目を律儀にも紹介した記事(→コチラ)がありました。そこで筆者自身がコメントの中で、「韓国人の障碍者差別はひどい」と題して「障害者福祉施設を住宅価格が下がると言って近所に作らないようにしたり、パラリンピックを放送中止させたり、障碍者をまねる病身舞があったり、障碍児という理由で毎年約1000人を海外に捨てる」と記している29番目の項目について、「私はこの批判が本当に考えてみる余地が多いようです」と書いています。
これらを見ると、韓国の障碍者差別についての「ハードル」は日本に比べてかなり低いのは事実ですが、徐々に高くなりつつあることがうかがわれます。
ただ、このテーマは柳美里の「石に泳ぐ魚」をめぐる裁判のように、「表現の自由」などとも関わる難しい問題も内包しているように思われるので、「ハードル」が高いことがはたしてどこまで「良いこと」と言えるのかどうか? これまた「保留」にしておきます。(ずるい!)
今回の記事に関連して、韓国で民族舞踊を仕事としている方の「極私的ふれあい音楽探訪」というブログ(日本語)はおおいに参考になりました。2006年に4回にわたってムンドゥンイチュムについての記事があります。(→1・2・3・4)
その記事の中で、次のようなくだりには速断ばかりか遅断も避けがちな私ヌルボも「なるほど・・・」と思った次第です。
伝統芸能の文脈の中でムンドゥンイチュムが踊られる時、そういったらい病患者に対する過去・現在の差別の眼差しに対する反省とか、ある種の考察のようなものがなされているのをついぞ目にしたことがないし、そういった議論がされているのも聞いたことがありません。
・・・でも、例えその発祥が障害者をバカにしてコケにするものであってもわたしはムンドゥンイチュムが好きだ。五広大が好きだ。継承したい。
このようなハンセン病等の病者や障碍者に関わる表現活動をめぐる問題は、文学の分野でもあるのは日本も韓国も同じです。それらについては、さらに続くということにいします。
(知れば知るほど、次なる問題が見えてくる、ということで、延々と続くなー・・・。)
※野村伸一「巫と芸能者のアジア」(中公新書)には、「苦汁に満ちた生を生きながら、道にさすらい、滑稽におどり、うたった朝鮮の芸能者広大(クァンデ)とその芸能」について、非常に詳しく書かれています。しかしなぜかムンドゥンイチュムという言葉は載っていません。その代わりに「疥癬僧(オムジュン.옴중)」という言葉が用いられています。ネット検索すると、たしかに楊州の別山台ノリ(양주 별산대놀이)ではそう呼ばれるそうですが・・・。何か考えがあってのことなのか・・・。
※<ハンセン病と韓国文学①>に続きます。
[韓国とハンセン病関連記事]
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→ <2005年毎日新聞・萩尾信也記者が連載記事「人の証し」で金夏日さんの軌跡を記す>
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→ <ハンセン病と韓国文学①>
→ <ハンセン病と韓国文学② 高銀・韓何雲・徐廷柱・・・、韓国の著名詩人とハンセン病のこと>