<脱北者女性初の博士イ・エラン教授の本「北韓食客」①ハルモニ骨ヘジャングクという店名に驚いた話>
<脱北者女性初の博士イ・エラン教授の本「北韓食客」②奥さんの料理の腕が夫の出世に直結する北朝鮮>
の続きです。
いやー、この「北韓食客」という本はおもしろいわ~! 紹介したいネタがいっぱいなので、あと数回続きます。
11月になりました。韓国では11~12月はキムジャン(김장)つまり冬越し用にキムチを大量に漬け込む季節です。
<ソウルナビ>の記事(→コチラ)によると、そのベストシーズンは、ソウルでは11月末~12月初め、釜山では12月の中旬だそうです。
「北韓食客」によれば北朝鮮のキムジャンは10~11月。その中でも、イ・エランさんが10歳の時に一家が「成分が悪い」という理由で平壌から追放され、移り住んだ両江道(ヤンガンド)の三水甲山という白頭山に近い最北部地方では10月初めからキムジャンが始まります。
そして作ったキムチは翌年4~5月頃まで主菜となるのです。三水甲山のように6~7月でもホウレンソウのような野菜が取れないところだと7月までキムチが必要とされるとのこと。つまり年に10ヵ月はキムチに頼った食生活なんですね。
韓国では、以前は家族たちが大勢故郷の実家に集まって大々的にキムチを漬ける習慣だったのが、近年ではかなり状況が変わってきたようです。伝統的な家族の形も変わり、またスーパーに行けばいろんな食料品を買うことができ、キムチ自体も買えばOKという時代ですから。
一方、北朝鮮では10~11月は「キムジャン戦闘期間」と戦闘に例えられるほどで、国としても各家庭としても大変な時期です。
イ・エランさんが脱北したのは1997年なので、その後配給制が有名無実化して市場が発達して状況は変わりつつあるとはいえ、基本的な問題は今も続いているようです。
本書から、北朝鮮のキムジャンについての具体的な状況と問題点を整理してみます。
①ちゃんとした職場がないと白菜を用意してキムジャンを行うことができない。
キム・エランさんが北朝鮮にいた、配給制がまだ維持されていた頃は、職場がキムジャン供給の基本単位だったようで、世帯主が大学生であったり失業者の場合はキムジャンを放棄することも多かったとか。
キムジャンを放棄せざるをえなかった人はどうするか? キムチ泥棒に入られたという騒ぎがよくあるそうです。キムチを入れた穴蔵に鍵をかけておいても盗られるので倉庫内に入れておいても安全とはいえないそうです。
また、キムチを容れる甕も不足>していて高価なため買えない人もいて、キムチ甕泥棒までいるので、甕の管理もおろそかにしてはならないとか・・・。
②白菜等の分量がその家の財力を示す。
ふだんはアリ1匹も通らないような北朝鮮の道も、キムジャンの期間には白菜を高く積んだ車が数珠つなぎになるそうです。
そうして各家庭に運び込まれる白菜の品質や分量、時期を見ると、その家の夫や妻の「実力(세도)」がわかり、その職業を把握することができ、個人の能力を評価することもできます。トウガラシや桶についても同様。人々の羨望の対象となるような家もあります。
さて、そのキムジャンに必要な量というのがハンパではありません。上記の両江道のような地域の場合、5人家族基準で白菜300㎏、大根100㎏! 余力のある家では1トンにもなるとか!!
③すべての職場が仕事を中断し、「野菜戦闘」によって畑に出て白菜や大根を収穫
「キムジャン戦闘」期間は、企業所・工場ごとに割り当てられた畑に出て白菜や大根を収穫し、運搬します。そして家族数にしたがってキムチの材料が配給されます。この「キムジャン戦闘」の動員に参加しないと、量も少なく質もよくない物しかもらえません。
収穫からキムチを漬け終わるまですべて自分たちでやるとは・・・。いろんな分野で分業化がすすんでいないことがうかがわれます。
④アパートの上層階の場合はとくに大変・・・断水と停電が日常化しているため
ホントに大変だろうな~と私ヌルボが思ったのがコレ。
遠くから撮影した平壌の街を見ると高層アパートが立ち並んでいます。しかし北朝鮮では水道の水と照明用の電気は「名節供給用」という言葉さえあるほどで、元日や指導者の誕生日くらいしか満足に供給されず、ふだんの日は限られた時間しか送られません。
・・・ということは、エレベーターも使えない!ということです。外目には良く見えるアパート生活も、むしろ苦労が多いようです。
イ・エランさん一家が平壌にいた時、親戚が30階建アパートの25階に住んでいたそうです。キムチの材料数百㎏がアパートの前に届いても、それを背負って上まで何度も往復して運ばなければならないとは・・・。
そればかりではありません。白菜を洗う水も大量に必要なので下の井戸まで汲みに行かなければならず、おまけにその行列に長時間並ばなければならず、時間を節約するためにできるだけたくさんの容器をもって汲みいれるのだとは・・・。白菜等を切った後の野菜屑も下のゴミ捨て場まで持って行かなければならないし・・・。
読むだけでも、それも他人事ながらも気が滅入るような話です。
上記のような北朝鮮のキムジャン事情を考えると、暖かい家で、水道の水がジャージャー出てくる韓国でのキムチ漬けのようすは「まるで宮殿のようだ」とイ・エランさんは書いています。「さもありなん」と思うばかりです。
[11月5日の追記]
ハーチャンさんのコメントを見て、蓮池薫「半島へ、ふたたび」を読んでみました。たしかに北朝鮮でのキムチ作りのことがとても詳しく書かれています。
蓮池さん一家(4人)の場合、白菜は1人当たり300㎏で計1200㎏、大根は1人当たり50㎏で計200㎏。で、総計1.4トンもの野菜が一度に運ばれてきたとか・・・。
上述の「北韓食客」の内容と照らし合わせてみると、分量的にはかなり恵まれた家族だったといえそうです。
野菜の分量以外にも「半島へ、ふたたび」にはキムチ作りの作り方が非常に具体的に書かれています。10㎏支給されるトウガラシを機械で製粉してもらうと10%の手間賃を取られるので自分で搗いてみた時の悪戦苦闘や、甕のヒビの有無を丹念に点検すること等も・・・。また30㎏入りの塩袋1つが供給される等々、細かな数字まで本当によく記憶しているのは驚くほどです。
キムチ以外では納豆作りにも挑戦した話とか、いろいろ。やはりこの本もとても中身の濃い本ですね。
<脱北者女性初の博士イ・エラン教授の本「北韓食客」②奥さんの料理の腕が夫の出世に直結する北朝鮮>
の続きです。
いやー、この「北韓食客」という本はおもしろいわ~! 紹介したいネタがいっぱいなので、あと数回続きます。
11月になりました。韓国では11~12月はキムジャン(김장)つまり冬越し用にキムチを大量に漬け込む季節です。
<ソウルナビ>の記事(→コチラ)によると、そのベストシーズンは、ソウルでは11月末~12月初め、釜山では12月の中旬だそうです。
「北韓食客」によれば北朝鮮のキムジャンは10~11月。その中でも、イ・エランさんが10歳の時に一家が「成分が悪い」という理由で平壌から追放され、移り住んだ両江道(ヤンガンド)の三水甲山という白頭山に近い最北部地方では10月初めからキムジャンが始まります。
そして作ったキムチは翌年4~5月頃まで主菜となるのです。三水甲山のように6~7月でもホウレンソウのような野菜が取れないところだと7月までキムチが必要とされるとのこと。つまり年に10ヵ月はキムチに頼った食生活なんですね。
韓国では、以前は家族たちが大勢故郷の実家に集まって大々的にキムチを漬ける習慣だったのが、近年ではかなり状況が変わってきたようです。伝統的な家族の形も変わり、またスーパーに行けばいろんな食料品を買うことができ、キムチ自体も買えばOKという時代ですから。
一方、北朝鮮では10~11月は「キムジャン戦闘期間」と戦闘に例えられるほどで、国としても各家庭としても大変な時期です。
イ・エランさんが脱北したのは1997年なので、その後配給制が有名無実化して市場が発達して状況は変わりつつあるとはいえ、基本的な問題は今も続いているようです。
本書から、北朝鮮のキムジャンについての具体的な状況と問題点を整理してみます。
①ちゃんとした職場がないと白菜を用意してキムジャンを行うことができない。
キム・エランさんが北朝鮮にいた、配給制がまだ維持されていた頃は、職場がキムジャン供給の基本単位だったようで、世帯主が大学生であったり失業者の場合はキムジャンを放棄することも多かったとか。
キムジャンを放棄せざるをえなかった人はどうするか? キムチ泥棒に入られたという騒ぎがよくあるそうです。キムチを入れた穴蔵に鍵をかけておいても盗られるので倉庫内に入れておいても安全とはいえないそうです。
また、キムチを容れる甕も不足>していて高価なため買えない人もいて、キムチ甕泥棒までいるので、甕の管理もおろそかにしてはならないとか・・・。
②白菜等の分量がその家の財力を示す。
ふだんはアリ1匹も通らないような北朝鮮の道も、キムジャンの期間には白菜を高く積んだ車が数珠つなぎになるそうです。
そうして各家庭に運び込まれる白菜の品質や分量、時期を見ると、その家の夫や妻の「実力(세도)」がわかり、その職業を把握することができ、個人の能力を評価することもできます。トウガラシや桶についても同様。人々の羨望の対象となるような家もあります。
さて、そのキムジャンに必要な量というのがハンパではありません。上記の両江道のような地域の場合、5人家族基準で白菜300㎏、大根100㎏! 余力のある家では1トンにもなるとか!!
③すべての職場が仕事を中断し、「野菜戦闘」によって畑に出て白菜や大根を収穫
「キムジャン戦闘」期間は、企業所・工場ごとに割り当てられた畑に出て白菜や大根を収穫し、運搬します。そして家族数にしたがってキムチの材料が配給されます。この「キムジャン戦闘」の動員に参加しないと、量も少なく質もよくない物しかもらえません。
収穫からキムチを漬け終わるまですべて自分たちでやるとは・・・。いろんな分野で分業化がすすんでいないことがうかがわれます。
④アパートの上層階の場合はとくに大変・・・断水と停電が日常化しているため
ホントに大変だろうな~と私ヌルボが思ったのがコレ。
遠くから撮影した平壌の街を見ると高層アパートが立ち並んでいます。しかし北朝鮮では水道の水と照明用の電気は「名節供給用」という言葉さえあるほどで、元日や指導者の誕生日くらいしか満足に供給されず、ふだんの日は限られた時間しか送られません。
・・・ということは、エレベーターも使えない!ということです。外目には良く見えるアパート生活も、むしろ苦労が多いようです。
イ・エランさん一家が平壌にいた時、親戚が30階建アパートの25階に住んでいたそうです。キムチの材料数百㎏がアパートの前に届いても、それを背負って上まで何度も往復して運ばなければならないとは・・・。
そればかりではありません。白菜を洗う水も大量に必要なので下の井戸まで汲みに行かなければならず、おまけにその行列に長時間並ばなければならず、時間を節約するためにできるだけたくさんの容器をもって汲みいれるのだとは・・・。白菜等を切った後の野菜屑も下のゴミ捨て場まで持って行かなければならないし・・・。
読むだけでも、それも他人事ながらも気が滅入るような話です。
上記のような北朝鮮のキムジャン事情を考えると、暖かい家で、水道の水がジャージャー出てくる韓国でのキムチ漬けのようすは「まるで宮殿のようだ」とイ・エランさんは書いています。「さもありなん」と思うばかりです。
[11月5日の追記]
ハーチャンさんのコメントを見て、蓮池薫「半島へ、ふたたび」を読んでみました。たしかに北朝鮮でのキムチ作りのことがとても詳しく書かれています。
蓮池さん一家(4人)の場合、白菜は1人当たり300㎏で計1200㎏、大根は1人当たり50㎏で計200㎏。で、総計1.4トンもの野菜が一度に運ばれてきたとか・・・。
上述の「北韓食客」の内容と照らし合わせてみると、分量的にはかなり恵まれた家族だったといえそうです。
野菜の分量以外にも「半島へ、ふたたび」にはキムチ作りの作り方が非常に具体的に書かれています。10㎏支給されるトウガラシを機械で製粉してもらうと10%の手間賃を取られるので自分で搗いてみた時の悪戦苦闘や、甕のヒビの有無を丹念に点検すること等も・・・。また30㎏入りの塩袋1つが供給される等々、細かな数字まで本当によく記憶しているのは驚くほどです。
キムチ以外では納豆作りにも挑戦した話とか、いろいろ。やはりこの本もとても中身の濃い本ですね。