北朝鮮を撮ったドキュメンタリーでは、まず「金日成のパレード ~東欧の見た“赤い王朝“~」(1989年/ポーランド)が最初に広く話題を呼んだ作品でした。1988年9月の建国40周年を祝う100万人の大パレードの模様を「そのまま撮った」ものですが、北朝鮮当局の意に反して、そのマスゲームとパレードの映像から外の国の大多数の観客が感じたのは、これほどまでに統制された国家の異様さでした。
近年で注目されたのは「太陽の下で-真実の北朝鮮-」(2015年)です。ロシアのスタッフが平壌で暮らす少女の一家に密着してドキュメンタリーの撮影を進めるうち、その一家(実は本当の家族ではない)が北朝鮮のシナリオに沿って演技をしていることが明白になり、以後はカメラのスイッチをonにしたまま置き去りにして撮り、その虚構の<北朝鮮の平均的家族の日常>を暴き出した作品です。
「北朝鮮もハードルが低くなったのかな?」と思ったが、監督さんの話を聞いたら・・・
これらのある種<異様な>ドキュメンタリーに対し、「ワンダーランド北朝鮮」は内容も雰囲気もまさに対照的です。平壌だけでなく、むしろ地方の都市や農村での撮影が多く、また監督自身が現地の人と1対1で<自然に>話をしています。
将子江(チャンジャガン)人民遊園地のプール監視員の青年とその家族、美谷(ミゴク)共同農場の農場員(農民)は家の中までいろいろ説明してくれてます。元山市の縫製工場の女性労働者とは一緒に元山の松涛園海水浴場(ただしオフシーズン)を一緒に歩きながら、将来の夢などを聞き出しています。(あ、松涛園海水浴場は、私ヌルボ1991年に行ったゾ。)
そういうドキュメンタリーなので、観終わった時点での私ヌルボの印象は、「淡々と、穏やかに北朝鮮の景物をとり話を聞いた映画だな。北朝鮮側は「これはダメ!」というハードルをさげたのかな? 監督としてはもっと聞きたい話もあったのだろうけど、それは「寸止め」にしたんだろうな」といったものでした。
ところが、上映後チョ・ソンヒョン監督のトークを聞いて、この作品についての疑問の多くが氷解するとともに、一方で別の疑念がフツフツとわき起こってきました。その後メモを元に細部を検証してみると、疑念はさらに膨らんでいきました。
「<ふつうの>北韓の人」というだけで韓国人がプラスイメージを持つ理由
シンポジウムでは、チョ・ソンヒョン監督の他、主催団体の立教大学異文化コミュニケーション学部の浜崎桂子学科長、今年2月刊行された「コリアン・シネマ」(みすず書房)という大部の著者イ・ヒャンジン教授、同書の翻訳を担当した武田珂代子教授(司会)、そして通訳の方の計5人がステージに上がりました。このような全員が女性というシンポというのは私ヌルボ、初めてです。
チョ監督が最初に語ったのは、上述のような<異様な>姿ではない、ふつうの北朝鮮を撮りたかったということでした。それにしても、釜山生まれの監督が北朝鮮で映画制作を⾏うため韓国籍を放棄してドイツ国籍を得て北朝鮮に⼊国したとは、たいした情熱です。
「북한에서도 보통 사람이 살고있다.」(北朝鮮でもふつうの人が暮らしている。)
という言葉が監督の口から出てきました。
私ヌルボの個人的な記憶がよみがえります。
1992年夏、最初の韓国旅行。関釜連絡船から降り立った日、釜山の竜頭山公園に行った時、話しかけてきた韓国人と(日本語で)いろいろ話をした中で、ヌルボが「実は私、去年北韓に行ってきたんですよ」と言ったら、彼は別に驚くでもなく「北韓でもふつうの人々が暮らしているということですよ」という言葉を返してきました。なぜか気になったその言葉の背景がわかってきたのはかなり後でした。
つまり、軍事政権の時代、反共教育の中で育った韓国人たちにとっては、北朝鮮の人は「悪魔といったイメージ」(イ・ヒャンジン監督)だったのです。「えっ、そんなお年なの?」と意外に思って後で探索したら1966年生まれでした。
したがって、韓国人たちが、ふつうに話をし笑ったりする北朝鮮の人を見た時の反応も、特別なものがあるように思います。4月27日の南北首脳会談で金正恩委員長が「文大統領が、遠くから運んできた平壌冷麺をゆっくりと・・・。遠くからってのは、言っちゃまずかったか。とにかく美味しく召し上がっていただければ幸いです」などと語ったことだけでも彼の評価が急上昇したのも、そんな過去の反共教育も逆に作用したのではないでしょうか?
※関連過去記事 →<韓国歴史博物館で見た往時の反共展示物>
撮影地や取材相手の大枠は北朝鮮側が提示
監督によると、事前にまず海外で作られた北朝鮮を撮った映画をすべて観た上、撮影に入る前に4回北朝鮮を訪れて打合せをしたとのことです。
その際、「先手を打って提案した」という条件は次のようなことでした。
①「若い人」を主な取材対象とする。
②平壌ではない、地方の農家を取材する。
③港町の工場労働者に取材する。
これらの提案は「細かいところまで同意された」そうです。
取材対象者の「青年」については、当初金日成総合大学の教員や平壌国際サッカー学校の先生等が北朝鮮側から提示されましたが、結局大規模な遊園地のプール監視員の青年を監督が現地で選びました。基準はイケメン(!)とのこと。感じのいい独身青年です。
元山の縫製工場の女性労働者の場合も、北朝鮮側推薦の女性はとても恥ずかしがり屋さんだったのでダメ出しをし、現地で「イメージに合う人」を2人推薦してもらって、うち1人を選んだとのことでした。
こうした「作為」に対して、ドイツでは「個人的な尺度で撮るとはフェアではない!」との批判も出たとか。
北朝鮮当局が<見せたい所>はちゃんと入っている
次に、地方の農家や、港町の工場その他、撮影地となった施設等について具体的に見てみましょう。
・将子江(チャンジャガン.장자강)人民遊園地(江界市)
・平壌国際サッカー学校
・金正淑平壌紡織工場
これらは共に金正恩の時代になって建設された施設です。
将子江((장자강.チャンジャガン)人民遊園地(江界市)は、韓国でもまだ大きくは報じられていないようです。韓国の脱北者新聞ニュー・フォーカス(代表:チャン・ジンソン)の2014年1月の記事(→コチラ)によると、前年(2013年)6月に江界市を訪問した金正恩が将子江の河畔に憩いの場を造るようにとの「貴重な教え」と、必要な建設資材を優先的に確保するように「温情深い措置」により、短い期間で完成したこと、金正恩がその報告を受けて喜びび、遊園地の名前までつけたことを「労働新聞」の記事に拠って伝えています。敷地面積は1万8千㎡で、ローラースケートリンク、バスやバレーボールのコート等々の施設などが整っているとも。
「ワンダーランド北朝鮮」では、大規模なプールが大勢の人でにぎわっているようすが映されていました。個人的には、いろんな動物の人形(造形物)が韓国のものとよく似ていて興味を持ちましたが、それらは画像検索しても見つからないのが残念です。
しかし、上記のイケメン青年が「1日に2万人が来場する」と説明していたのはホンマカイナ?といったところ。その彼がパソコンで仕事をしていたり、監督の「電気は?」との質問に待ってましたとばかり(?)「地熱を利用しています」と答え、「軍人たちが苦労して掘ったんですよ」等説明を加えていました。また「ある時、夜3時(!)に元帥様(金正恩)がいらっしゃったのですよ!」と弾む声でエピソードを話しています。「ここは、元帥様の愛と情熱(だったかな?)が感じられる場です」という言葉も、たしかに丸暗記などではない「自然さ」で発せられていたと思います。
平壌国際サッカー学校は2013年5月に設立されました。日刊SPAの記事(→コチラ)によると、スカウト制で全国から選抜された(その時点で)8~15歳の男女生徒120人が在籍しているそうです。全員が全寮制で、最終目的は国家代表の選出だとのことです。この学校については、共同ニュースの動画(2013.→コチラ)や、ANNnewsの動画(→コチラ)でうかがい見ることができます。
「地方の農村」として撮影地とされたのは平壌と板門店の中間にある美谷(미곡.ミゴク)共同農場(沙里院市)です。これも日本語のネット情報はほとんどありませんが2010年の時事ドットコムニュースの中に→コチラなど4枚の写真が見つかりました。
そのキャプションには、この農場は「機械化農業のモデル農場」で、「今年(2010年)から有機農法を導入。除草剤代わりになる朝鮮タニシの養殖を始めた」こと、「昨年目標にしていた1ヘクタール当たり10トンの米の収穫を実現した」こと、「集合住宅から2LDKか3DKの戸建て住宅に変更が進んでいる」ことが記されています。
「ワンダーランド北朝鮮」では、農場員が1人だけでコンバインで一気に収穫作業を終えるようすが撮られていました。
監督はその中で「大勢でにぎやかに作業するものと思っていました」と驚いたように話していましたが、上記のような予備知識はなかってのでしょうか?
なお、監督の「余ったお米はどうするのですか?」という問いに、「<愛国米>として国に捧げます」という答えが返ってきました。この<愛国米>ですが、監督はもしかして初耳だったのでしょうか? 北朝鮮ではすでに1970年代から食料不足に直面し、その中で一部の農民が自発的に国に収めた<愛国米>がその後積極的に奨励され、さらには人民に供与すべき規定の配給米まで最初から差し引かれるいていました。
こうして見てみると、撮影場所はほとんど例外なく北朝鮮側が今=金正恩時代に宣伝したいことに直結した所だということがわかります。ということは、これらの施設や農場は北朝鮮の中で決して<ふつう>の場所ではないと言えます。
そうした点で、プロパガンダ臭が感じられるのはむしろ当然です。ただ、そうしたことを監督自身がどう意識していたか(orしていなかったか)はわかりません。
この先まだまだ続きそうなので、続きは[その2]で、ということにします。もしかして、いつものヌルボと違って(?)ハッキリとした主張を書くかもしれません。(・・・という書き方自体ハッキリしてないですね。)
中休みとして作中でも流されていた北朝鮮歌謡「이 땅에 밤이 깊어갈 때(この地に夜が更けゆく時)」の動画を貼っておきます。金正恩の賛揚歌ですが、軍歌調ではなく、美しいメロディのうたで、私ヌルボも気に入りました。もちろん歌詞を除いてです。※歌詞と日本語訳は→コチラ。