日本の歴史用語では(あえて書きますが)「」に相当する言葉です。被差別民に対する差別が完全になくなったとは言えない日本と違って、韓国では朝鮮戦争等で白丁の集落は解体し、白丁たちは各地に分散して実体がなくなったとのことで、現在韓国の多くの人々は「白丁差別は過去のことで、今はなくなった」と言うそうです。
こうした店名があること自体そのあらわれなのでしょうか?
朝鮮時代の身分を大別すると、まず支配階級の両班(ヤンバン)。高校の世界史の教科書にもあるので知っている人も相当数いると思います。その下に中人(行政実務担当者等)、そして一般の農民等は常人で、さらにその下がです。
に含まれる人々には官、妓生、僧、芸人等々がいて、一番下が白丁でした。
近現代の韓国の白丁の歴史をテーマにした小説・鄭棟柱「神の杖」(解放研究所.1997)については→コチラの記事で書きました。この記事に関連することもいろいろ書いたので、目を通してみてください。
白丁の生業は屠畜・食肉商・皮革業・骨細工・柳細工(編笠、行李など)でしたが、代表的なものが屠畜で、「神の杖」とは牛をさばく時に用いる牛刀のことをいい、それは白丁自身の誇りを示す道具でもありました。
※백정はexcite翻訳では<白丁>と翻訳されるが、 google翻訳では<肉屋><ブッチャー><白丁>の順に3候補が提示される。
冒頭の「白丁」の案内板を見ると上に「姜虎东」と書かれています。日本式漢字だと「姜虎東강호동(カン・ホドン)」で、韓国の人気TVタレント・MCです。その彼が展開する焼肉チェーン店なのですね。
検索すると、店のメニューの画像(右)がありました。カン・ホドンが牛刀を持っています。
つまり、白丁に対する差別が本当になくなったか否かは別として、「食肉を扱う専門家」というのが現代韓国の白丁のイメージということなのでしょうか。
※この店については→コチラや→コチラの記事参照。ただしどの記事にも被差別民・白丁のことは書かれていません。韓国の記事も同様です。私ヌルボのようにムムッと立ち止まって写真を撮るような人間はまずいないということでしょうね。
まあ、ほとんどの人が「今は白丁差別はない」と言っているからそんなものかも。・・・と言っても疑問は残ります。
私ヌルボ、上記の小説「神の杖」を読んだのが約20年前。その直後ある韓国人の方にその本の感想を語り、白丁について質問したところ、「差別は今もあります」というはっきりとした答えが返ってきました。それは姓氏に関係する差別の話だったのですが、今ひとつ具体的な内容については聞けませんでした。それが「天方地丑馬骨皮」のこととわかったのはその何年か後でした。
この「天方地丑馬骨皮」については<シンシアリーのブログ>の→コチラの記事に詳しく書かれています。
また、韓国の各地を廻って取材したルポ・上原善広「韓国の路地を旅する」(ミリオン出版.2014)を読むと、食肉業者に対する差別等、差別はいまだに残っているようです。
私ヌルボの理解では、時代の変遷とともに差別のネタ(いわばソフト)は徐々に消えていっても、差別を生み出す社会的そして心理的仕組み(いわばハード)は今も厳然とある、ということ。新しいネタが出てくると、また新しい差別が登場する・・・。それは韓国だけの問題ではありません。
私ヌルボ、まだ実際に観てませんが、韓国tvNで7月7日から「ミスター・サンシャイン」というドラマがスタートしました。ハングルではなぜか미스터 션샤인(ミスト・ションシャイン)です。
ドラマの主人公2人と、物語の基本設定は次の通りです。
ユジン(イ・ビョンホン)は、9歳の時少年の時朝鮮からアメリカに来ました。彼はの息子で、両親が主人の両班の横暴で殺された時、命からがら逃げ、辛未洋擾(1871年朝鮮軍とアメリカ軍との交戦事件)に際して(たぶん)江華島あたりに来ていたアメリカ軍に拾われて軍艦に乗りアメリカに降り立ったのです。その後彼はアメリカ軍兵士となって朝鮮に戻り、士大夫の令嬢エシン(キム・エシン)と出会うことになります。
一方、もう1人の主役がドンメ(ユ・ヨンソク)です。彼は白丁の息子で、過酷な差別から逃れるように日本に渡り、国家主義団体の黒龍会に入ってその漢城支部長となり、日本の手先となって朝鮮に戻るのですが・・・。
ニュースによると、このドラマに対しては「親日美化」「歴史歪曲」等の抗議の声が上がり、上記の実在の団体・黒龍会の名を「戊申会」という架空のものに変えたりした上で謝罪文を公表したとのことです。(参照→「中央日報」) ※黒龍会は1901年設立なので年代も合わない。
このドラマでは、白丁とか(下人)とかの出自がたくましく生きる原動力のようなものとして描かれているようですが、日本では同じような事例はあるのでしょうか?
図書館にあった上原善広「路地 被差別をめぐる文学」(皓星社)は、岩野泡鳴「の娘」(1919)からオールロマンス事件(→ウィキペディア)の発端となった杉山清一「特殊」までの小説7作品と、「問題と文学」についての松本清張・開高健等5人の座談会を収録した興味深い本ですが、編者の上原善広さんは解説の末尾で次のように記しています。
やはり路地をテーマにした文学なりエンタメ作品がもっと出てくるまでは、路地は解放されたといえないだろう。逆に路地を舞台にした小説がもっと出てくるようになり、それが映画のテーマになり、テレビ番組になれば、路地の解放は進んだと見ていいだろう。
上述の「ミスター・サンシャイン」の主人公は、白丁や下人出身であることが大きな意味を持っています。しかし、それをテーマと言うには疑問のあるところです。(上原さんはどう考えるのかな?)
ここまで読んで、もしかして「韓国人は差別語に対して無神経だな」と思った人もいるかもしれません。たしかに、無頓着だなと思ったことはよくあります。「미친놈(狂った奴)」などはごくふつうに使うし、映画「シークレット・ミッション」(原題:隠密に偉大に)で北朝鮮の工作員ドングに与えられた指示は「町のパボ(馬鹿)に偽装しろ」というものでした。
そのように、日本と韓国では差別語に対するモノサシにかなり大きな落差があると思っています。ただ、そのことが差別意識の有無のレベルとは必ずしも一致していないようです。簡単に言えば、放送禁止用語等をいくら増やしてもそれが差別意識の解消に直結するものではないということです。(放送禁止用語の規定も、差別をなくすことよりも、視聴者や各種団体の抗議に対するTV局側の事前予防措置といった感じ。)
韓国では、今済州島のイエメン人難民申請者の処遇が問題になっています。その背景に、イスラム教やムスリムに対する偏見・差別意識があるのでは、という声もあります。差別を許さないはず(?)の文在寅政権がそんな難民排除の意見に迎合(妥協?)しているとか?
日本では韓国のようなひどい差別はなく、「世界一差別の少ない国」と思っている人もいるようです。比較的にはそう言えるかもしれませんが・・・。
しかし今、「白丁」&「朝鮮人」で検索すると、最初の方で「在日朝鮮人の反日は白丁の出身を隠すため」とか「白丁(ペクチョン)に支配された国家、日本」とか「在日韓国人のご先祖様がヤバすぎる件!!」等々といった記事がずらっと出てきます。まったく根も葉もない・・・でもない点が厄介ですが、在日朝鮮人に対する差別の上に白丁に対する差別を上塗りしている感があり、非常に問題があります。その他もろもろ、ネット社会はあいかわらず差別と偏見に満ち溢れています。
白丁という言葉については、もう1つ大変驚いたことがありました。それについては次の記事で。
[追記] 19世紀末~20世紀初の頃の白丁出身の医師を主人公にした「済衆院(チェジュンウォン)」というTVドラマが2010年SBSで放映され、その後日本でも放映されました。ライバルの医師は両班出身、そしてヒロインは通訳官の娘ということは中人、という設定になっています。主人公のモデルとなったのは朴瑞陽(パク・ソヤン.1885-1940)という実在の人物。→コチラの山下英愛さんの記事参照。短編ドラマ「白丁の娘」の紹介とともに非常に詳しく書かれています。
→ 「白丁(ペクチョン)」という言葉に抵抗感がない韓国・北朝鮮に驚く ②北朝鮮が30年以上公的に使ってきた「人間白丁」という罵倒語