1つ前の記事で近頃新刊書店にあまり行かなくなっていたと書きましたが、古書店についても同様です。
団塊世代もいよいよ70歳前後。健康面や経済面の不安を日常的に抱えていて趣味にお金をつぎ込めない人はきっと多いのでは? そんな悩みは私ヌルボにとっても決して他人事ではなく、そんな心理的圧迫も働いているかもしれません。
ま、それはそれとして、2日はすずらん通りの古書店<古書かんたんむ>に行ってきました。
店の名は、→<日本の古本屋>のサイト等で以前から知っていて、通販を利用したこともありましたが、店舗を訪れたのは今回が初めてです。
店の場所は、三省堂のすずらん通り側の出入り口の左隣の建物の5階。
しかし、目立つ看板があるわけでもなく、ちょっと怪しげ(?)なエレベーターで上がるのですが、敷居が高い感じは否めません。まあ、「敷居が高い」といえば内山書店2階のアジア書房も同様だし、チェッコリの場合は蕎麦屋(嵯峨谷)の入口横の小さな階段を3階まで歩いて上がるのだから、それを思えばまだマシか。
で、古書かんたんむですが、なるほど期待通りの品揃え。いわゆる「黒っぽい」本がずら~っとそろっています。全部の棚をじっくり見るのは無理。4分の1くらい丹念に見て、あとは後日ということに。
とくに気に入ったのは、絶版文庫がずいぶん低価格で売られていること。あ、文庫以外も全体的にお手頃値段。私ヌルボ、ずいぶん前にどこかで読んでてっきり史実に基づいた話かとだまされた井伏鱒二「鞆ノ津茶会記」(講談社文芸文庫)等数冊を購入しました。
その2日後。ある古書店の入口で古書展のお知らせポスターを見ました。(下左) そこで思い出したのが駿河台下の東京古書会館(→地図等)のこと。
おりしも、今日は金曜日。もしかして古書展が開かれているのでは?と思い、行ってみると、案の定「古本市 開催中」の立て看板が出ています。(上右)
(旧)東京古書会館が落成したのが1967年5月。してみると、私ヌルボが初めて行ったのはその1年後くらいだったのか? また、一番足繁くそこでの古書展に足を運んだのも学生時代でした。
当時は神保町だけでなく、都内各地の古書店に「古書店地図帖」(右画像)を持って行ったものです。とくにヌルボだけの趣味ということでもなく、同好の士も仲間内にいました。
新東京古書会館の竣工が2003年ということで、こちらの建物にはあまり馴染みはありません。この15年で5回くらい来たかな?
地階の会場内を見渡すと、若い人はほとんどいないような・・・。あ、中学生くらいの少年が鉄道関係の本を漁ってるゾ。
この4・5日は城北古書展。古書かんたんむ同様、この古書展でも設定価格がずいぶん安いなーと思いました。500円を超える本の方が少ないのでは、というくらい。
私ヌルボが購入した本も200円か300円のものばかりで、全8冊(上右)でちょうど2千円でした。
8冊中一番うれしかったのは「日本残酷物語 現代篇2」。1960~61年に刊行された第1~5部と現代篇1・2の全7冊のシリーズですが、古書店で購入したものには現代篇2だけ抜けていました。また1995年刊行された平凡社ライブラリー版には現代篇はナシ。その1冊のためだけに全揃を買うのもアホラシイし、・・・ということで今に至っていたのです。
今、その内容を見ると、「若きテロリストたち」というタイトルで→コチラの過去記事でも書いた大正末期のテロリスト集団ギロチン社のメンバーのことがなかなか⑨詳しく書かれています。とくに、あまりよく知らなかった田中勇之進のこととか、「鉄窓の俳人」和田久太郎のこととか。ギロチン社の他に、本ブログでこの数ヵ月何度か書いた(朴烈事件の)金子ふみ子についても、約5ページにわたって記されています。ということで、この本は200円で買えたはことも含めて3重にラッキーでした。
※「日本残酷物語」の書名は、なんとなく映画「ヤコペッティの世界残酷物語」(1962)からとったものかなと思っていましたが、「世界残酷物語」からして原題とは関係なく配給会社が「青春残酷物語」(1960)を意識して考案した、とウィキペディアには書かれています。
「季刊三千里 15号」は1978年8月発行。特集のテーマが「8・15と朝鮮人」だったので買いました。というのは、という以前から疑問に思っていたことがわかるかも・・・と思って。
その疑問というのは・・・
1945年8月15日。つまり韓国では<光復>の日。韓国各地で「独立万歳!」と太極旗を振って喜んだ人たちは、どんな政体、どんな指導者または政治団体をイメージしていたのか?
・・・ということ。それとも、それまでの支配者・日本が敗北し撤退すること=独立と思っていたのか? あるいは呂運亨を中心とする建国準備委員会が一定程度認知されていたのか?
私ヌルボ、タイムマシンがあればその時太極旗を振っていた1人1人にぜひ訊いてみたいです。
そんな意味で、この雑誌掲載の高峻石「ソウルで迎えた八・一五」は<正解>には至らないものの、けっこう当時の具体的な状況がわかりました。
「朝鮮の女」の著者・角圭子は、以前→コチラの記事で詳しく紹介した<自伝小説>「鄭雨沢の妻」を書いた人です。
柳舜夏(ユ・スンハ)「韓国人の癇癪 日本人の微笑み」は、会場でパラパラッと見て衝動買い。帯には「韓国で大論争を読んだ衝撃の「日韓比較論」」とか、「韓国人は、日本への「劣等感」で病んでいる!」といった、<嫌韓>の人たちにうけそうなキャッチコピーが書かれ、ページを開くと「福沢諭吉の脱亜論は妥当だった」といった見出しも目に飛び込んできます。しかし、なかなか説得力のある文章が冷静な筆致で書かれていて、元の韓国版(書名は「당신들의 일본(あなた方の日本)」)を読んだ韓国人読者にも★5つをつけた人は何人もいます。(→<YES24>参照) この本も200円とは安い買い物。(・・・って、こんな安価でないと売れない時代になっているということ??)
あー、あと10分で1日の終わり。今日は2つ、あわよくば3つ記事が書けるかも、と思ったのに・・・。まあ毎日1つずつでも書いていけばだんだん在庫は減っていくでしょう・・・と、捕らぬタヌキだな、これは。
団塊世代もいよいよ70歳前後。健康面や経済面の不安を日常的に抱えていて趣味にお金をつぎ込めない人はきっと多いのでは? そんな悩みは私ヌルボにとっても決して他人事ではなく、そんな心理的圧迫も働いているかもしれません。
ま、それはそれとして、2日はすずらん通りの古書店<古書かんたんむ>に行ってきました。
店の名は、→<日本の古本屋>のサイト等で以前から知っていて、通販を利用したこともありましたが、店舗を訪れたのは今回が初めてです。
店の場所は、三省堂のすずらん通り側の出入り口の左隣の建物の5階。
しかし、目立つ看板があるわけでもなく、ちょっと怪しげ(?)なエレベーターで上がるのですが、敷居が高い感じは否めません。まあ、「敷居が高い」といえば内山書店2階のアジア書房も同様だし、チェッコリの場合は蕎麦屋(嵯峨谷)の入口横の小さな階段を3階まで歩いて上がるのだから、それを思えばまだマシか。
で、古書かんたんむですが、なるほど期待通りの品揃え。いわゆる「黒っぽい」本がずら~っとそろっています。全部の棚をじっくり見るのは無理。4分の1くらい丹念に見て、あとは後日ということに。
とくに気に入ったのは、絶版文庫がずいぶん低価格で売られていること。あ、文庫以外も全体的にお手頃値段。私ヌルボ、ずいぶん前にどこかで読んでてっきり史実に基づいた話かとだまされた井伏鱒二「鞆ノ津茶会記」(講談社文芸文庫)等数冊を購入しました。
その2日後。ある古書店の入口で古書展のお知らせポスターを見ました。(下左) そこで思い出したのが駿河台下の東京古書会館(→地図等)のこと。
おりしも、今日は金曜日。もしかして古書展が開かれているのでは?と思い、行ってみると、案の定「古本市 開催中」の立て看板が出ています。(上右)
(旧)東京古書会館が落成したのが1967年5月。してみると、私ヌルボが初めて行ったのはその1年後くらいだったのか? また、一番足繁くそこでの古書展に足を運んだのも学生時代でした。
当時は神保町だけでなく、都内各地の古書店に「古書店地図帖」(右画像)を持って行ったものです。とくにヌルボだけの趣味ということでもなく、同好の士も仲間内にいました。
新東京古書会館の竣工が2003年ということで、こちらの建物にはあまり馴染みはありません。この15年で5回くらい来たかな?
地階の会場内を見渡すと、若い人はほとんどいないような・・・。あ、中学生くらいの少年が鉄道関係の本を漁ってるゾ。
この4・5日は城北古書展。古書かんたんむ同様、この古書展でも設定価格がずいぶん安いなーと思いました。500円を超える本の方が少ないのでは、というくらい。
私ヌルボが購入した本も200円か300円のものばかりで、全8冊(上右)でちょうど2千円でした。
8冊中一番うれしかったのは「日本残酷物語 現代篇2」。1960~61年に刊行された第1~5部と現代篇1・2の全7冊のシリーズですが、古書店で購入したものには現代篇2だけ抜けていました。また1995年刊行された平凡社ライブラリー版には現代篇はナシ。その1冊のためだけに全揃を買うのもアホラシイし、・・・ということで今に至っていたのです。
今、その内容を見ると、「若きテロリストたち」というタイトルで→コチラの過去記事でも書いた大正末期のテロリスト集団ギロチン社のメンバーのことがなかなか⑨詳しく書かれています。とくに、あまりよく知らなかった田中勇之進のこととか、「鉄窓の俳人」和田久太郎のこととか。ギロチン社の他に、本ブログでこの数ヵ月何度か書いた(朴烈事件の)金子ふみ子についても、約5ページにわたって記されています。ということで、この本は200円で買えたはことも含めて3重にラッキーでした。
※「日本残酷物語」の書名は、なんとなく映画「ヤコペッティの世界残酷物語」(1962)からとったものかなと思っていましたが、「世界残酷物語」からして原題とは関係なく配給会社が「青春残酷物語」(1960)を意識して考案した、とウィキペディアには書かれています。
「季刊三千里 15号」は1978年8月発行。特集のテーマが「8・15と朝鮮人」だったので買いました。というのは、という以前から疑問に思っていたことがわかるかも・・・と思って。
その疑問というのは・・・
1945年8月15日。つまり韓国では<光復>の日。韓国各地で「独立万歳!」と太極旗を振って喜んだ人たちは、どんな政体、どんな指導者または政治団体をイメージしていたのか?
・・・ということ。それとも、それまでの支配者・日本が敗北し撤退すること=独立と思っていたのか? あるいは呂運亨を中心とする建国準備委員会が一定程度認知されていたのか?
私ヌルボ、タイムマシンがあればその時太極旗を振っていた1人1人にぜひ訊いてみたいです。
そんな意味で、この雑誌掲載の高峻石「ソウルで迎えた八・一五」は<正解>には至らないものの、けっこう当時の具体的な状況がわかりました。
「朝鮮の女」の著者・角圭子は、以前→コチラの記事で詳しく紹介した<自伝小説>「鄭雨沢の妻」を書いた人です。
柳舜夏(ユ・スンハ)「韓国人の癇癪 日本人の微笑み」は、会場でパラパラッと見て衝動買い。帯には「韓国で大論争を読んだ衝撃の「日韓比較論」」とか、「韓国人は、日本への「劣等感」で病んでいる!」といった、<嫌韓>の人たちにうけそうなキャッチコピーが書かれ、ページを開くと「福沢諭吉の脱亜論は妥当だった」といった見出しも目に飛び込んできます。しかし、なかなか説得力のある文章が冷静な筆致で書かれていて、元の韓国版(書名は「당신들의 일본(あなた方の日本)」)を読んだ韓国人読者にも★5つをつけた人は何人もいます。(→<YES24>参照) この本も200円とは安い買い物。(・・・って、こんな安価でないと売れない時代になっているということ??)
あー、あと10分で1日の終わり。今日は2つ、あわよくば3つ記事が書けるかも、と思ったのに・・・。まあ毎日1つずつでも書いていけばだんだん在庫は減っていくでしょう・・・と、捕らぬタヌキだな、これは。
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