1つ前の記事に続いてYTNニュースFMラジオ関係。
月~金曜の夜よく聴いている番組が<뉴스 익는 밤, 조현지입니다>。<ニュースが熟する夜、チョ・ヒョンジです>とでも訳すのでしょうか。間に交通情報、天気予報を挟んで22:20~23:55の時間帯で、女性アナのチョ・ヒョンジさんがMCを担当し、さまざまなニュースを織り込みながら、リスナーから寄せられたムンチャ・メシジ(ショートメール)を読み、リクエスト曲を流すといった内容です。
そのニュースも、その日の主要ニュースから、こぼれ話的な雑ニュースまでいろいろあります。いつもはなんとなく聞き流していますが、ときおり聞き耳を立てるようなこともあります。
昨年11月17日の放送。日本のちょっとしたニュースを伝えていました。それは「11月14日、日本の鉄道会社(首都圏新都市鉄道)が定刻より20秒早く出発したことで謝罪した」というニュース。(→コチラ参照。)
その後ネット上では「日本はすごい! 海外の反響」といった(うんざり)記事が続いたりして、けっこう話題にもなったようなので、憶えている方も多いと思います。
さて、このニュースを読み上げた後、チョ・ヒョンジさんがふと漏らした一言に私ヌルボは「う~む・・・」と唸りました。その一言とは・・・。
「慰安婦に対しては謝罪しないんですよね」
私ヌルボ、「アタマにきた!」「カチンときた!」「思わず逆上した!」ということではありません。
思ったことは、「この問題についての日韓のフツーの人の受けとめ方がことほどさように大きなミゾがあるんだなー」といった痛歎です。
たぶん、フツーの日本人(←私ヌルボも含まれる)が韓国で生まれそだっていればフツーの韓国人のような感じ方・考え方になるだろうし、逆もまた同様。
つまり、メディアによる情報の伝え方、教育の内容等の影響力がとても大きいということ。
この慰安婦問題の謝罪については、以前(2016年2月2日)「毎日新聞」で「朝鮮日報」の鮮于鉦(ソヌ・ジョン)論説委員による興味深い記事を読みました。<忍耐と配慮、日韓に必要>と見出しがつけられたこの記事は、→コチラで読むことができます。(あ、会員だけ?) 後の方で上半分の画像を載せておきます。
この記事では、ソウルのある大学で鮮于鉦論説委員が50人ほどの学生たちに日本との歴史問題について講義した時のことを記しています。
初めに「(植民地支配や慰安婦問題などで)日本が謝罪をしてきたと思う人は手を挙げて」と言うと、「誰も手を挙げなかった」とのこと。その後、村山首相談話(1995)、日韓パートナーシップ共同宣言(1998)、小泉首相談話(2005)、菅首相談話(2010)等の資料を読ませた後、再度「日本は謝罪したと思うか」と聞くと、「今度は半分以上の手が挙がった」そうです。
もっとも、「これだけ謝罪してきたから、もうオシマイ」と単純に結論づけられるものでもないし、鮮于鉦氏も「お互いに合意を尊重し、相手に配慮する姿勢が重要だ」と結んでますけどね。
<ニュースが熟する夜・・・>の話に戻ります。
私ヌルボ、チョ・ヒョンジさんの「慰安婦に対しては謝罪しないんですよね」を聴いた時にはとても自然な語り口だったのでその場での個人的な感想だと思いました。
ところが今。この記事のウラを取るためにYTNラジオのサイトを検索したところ、→コチラのページがみつかりました。この番組の11月17日の放送内容の記録です。これによると、この「20秒早く発車したことを謝罪した」というニュースは<이 음악엔 이 뉴스(この音楽にはこのニュース)>というコーナーで紹介されたものだったのですね。今日の音楽として選んだ曲に見合ったニュースを紹介するコーナーです。
そして、この日の<今日の音楽>は何だったのかというと、エルトン・ジョンの「Sorry seems to be the hardest word(悲しみのバラード)」。(→YouTube)
なーるほどねー・・・。
ただ、この記録ページに記されている"日 시도 때도 없는 사죄 문화, 위안부 사죄는?"(日本、四六時中謝罪文化、慰安婦の謝罪は?)という一文は後付けの記録なのか、それとも事前の企画段階から含まれていたものなのか、つまりチョ・ヒョンジさんの「慰安婦云々」発言がアドリブだったのか予定されていた言葉なのかはよくわからず、です。
今回は前回以上にほとんど賞味期限切れの記事。これからもしばらく続きそう?
月~金曜の夜よく聴いている番組が<뉴스 익는 밤, 조현지입니다>。<ニュースが熟する夜、チョ・ヒョンジです>とでも訳すのでしょうか。間に交通情報、天気予報を挟んで22:20~23:55の時間帯で、女性アナのチョ・ヒョンジさんがMCを担当し、さまざまなニュースを織り込みながら、リスナーから寄せられたムンチャ・メシジ(ショートメール)を読み、リクエスト曲を流すといった内容です。
そのニュースも、その日の主要ニュースから、こぼれ話的な雑ニュースまでいろいろあります。いつもはなんとなく聞き流していますが、ときおり聞き耳を立てるようなこともあります。
昨年11月17日の放送。日本のちょっとしたニュースを伝えていました。それは「11月14日、日本の鉄道会社(首都圏新都市鉄道)が定刻より20秒早く出発したことで謝罪した」というニュース。(→コチラ参照。)
その後ネット上では「日本はすごい! 海外の反響」といった(うんざり)記事が続いたりして、けっこう話題にもなったようなので、憶えている方も多いと思います。
さて、このニュースを読み上げた後、チョ・ヒョンジさんがふと漏らした一言に私ヌルボは「う~む・・・」と唸りました。その一言とは・・・。
「慰安婦に対しては謝罪しないんですよね」
私ヌルボ、「アタマにきた!」「カチンときた!」「思わず逆上した!」ということではありません。
思ったことは、「この問題についての日韓のフツーの人の受けとめ方がことほどさように大きなミゾがあるんだなー」といった痛歎です。
たぶん、フツーの日本人(←私ヌルボも含まれる)が韓国で生まれそだっていればフツーの韓国人のような感じ方・考え方になるだろうし、逆もまた同様。
つまり、メディアによる情報の伝え方、教育の内容等の影響力がとても大きいということ。
この慰安婦問題の謝罪については、以前(2016年2月2日)「毎日新聞」で「朝鮮日報」の鮮于鉦(ソヌ・ジョン)論説委員による興味深い記事を読みました。<忍耐と配慮、日韓に必要>と見出しがつけられたこの記事は、→コチラで読むことができます。(あ、会員だけ?) 後の方で上半分の画像を載せておきます。
この記事では、ソウルのある大学で鮮于鉦論説委員が50人ほどの学生たちに日本との歴史問題について講義した時のことを記しています。
初めに「(植民地支配や慰安婦問題などで)日本が謝罪をしてきたと思う人は手を挙げて」と言うと、「誰も手を挙げなかった」とのこと。その後、村山首相談話(1995)、日韓パートナーシップ共同宣言(1998)、小泉首相談話(2005)、菅首相談話(2010)等の資料を読ませた後、再度「日本は謝罪したと思うか」と聞くと、「今度は半分以上の手が挙がった」そうです。
もっとも、「これだけ謝罪してきたから、もうオシマイ」と単純に結論づけられるものでもないし、鮮于鉦氏も「お互いに合意を尊重し、相手に配慮する姿勢が重要だ」と結んでますけどね。
<ニュースが熟する夜・・・>の話に戻ります。
私ヌルボ、チョ・ヒョンジさんの「慰安婦に対しては謝罪しないんですよね」を聴いた時にはとても自然な語り口だったのでその場での個人的な感想だと思いました。
ところが今。この記事のウラを取るためにYTNラジオのサイトを検索したところ、→コチラのページがみつかりました。この番組の11月17日の放送内容の記録です。これによると、この「20秒早く発車したことを謝罪した」というニュースは<이 음악엔 이 뉴스(この音楽にはこのニュース)>というコーナーで紹介されたものだったのですね。今日の音楽として選んだ曲に見合ったニュースを紹介するコーナーです。
そして、この日の<今日の音楽>は何だったのかというと、エルトン・ジョンの「Sorry seems to be the hardest word(悲しみのバラード)」。(→YouTube)
なーるほどねー・・・。
ただ、この記録ページに記されている"日 시도 때도 없는 사죄 문화, 위안부 사죄는?"(日本、四六時中謝罪文化、慰安婦の謝罪は?)という一文は後付けの記録なのか、それとも事前の企画段階から含まれていたものなのか、つまりチョ・ヒョンジさんの「慰安婦云々」発言がアドリブだったのか予定されていた言葉なのかはよくわからず、です。
今回は前回以上にほとんど賞味期限切れの記事。これからもしばらく続きそう?
韓国で暮らしていると、上気のような発言はテレビやラジオでも(時にはニュース報道などですらも)日常茶飯時で、いちいち気にしてい6たら高血圧になるか胃に穴が空いてしまいます(笑)。いつもの韓国メディアにる一種のプロパガンダでもあり、それが韓国人の「普通」の感覚かどうかも正直微妙だと思います。
先日などはあるテレビ番組で韓国を訪れたドイツ人たちに「日本は過去の歴史について謝罪してこなかったし、教育もしていないので若者は何も知らない」と言わせて、いつもながらの過去を反省するドイツと反省しない日本という対立イメージを前面に押し出し、それを見て出演者たちもドイツのことを褒めるというものがあり、呆れてしまいました。
ユダヤ人虐殺に対してはともかく、過去の植民地政策に対してドイツが謝罪や反省の意を表明した話など聞いたことがありませんし、自分たちはちゃんと反省してきたと自慢しているドイツ人たちと、それを利用して得意がっているだろう韓国人制作陣のことが哀れになったものです。だからと言って、日本が過去を反省しなくていいという訳ではもちろんありませんけれども。
謝罪について、日本とドイツを対比させて・・・というのはことあるごとに目にしますね。それほどあの膝を屈して謝罪したブラント首相の姿が強く印象付けられているということでしょう。しかし韓国人の皆さんは彼が何を謝ったのかどれほど正確に知っているのか・・・。この件だけでなく、韓国人の歴史理解は図式的・画一的だなあと何かにつけ痛感します。例の「親日派」批判など、かつての赤狩りと通底するところがあるのでは?ということは考えないのでしょうか?(とくに進歩系の人たち。)