→ <30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ①映画ではなくドラマ。その原題と原作小説をつきとめる>
→ <30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ②原作の金周榮「外村場紀行」は場末感が漂う短編小説>
金周榮「外村場紀行」のあらすじの続きです。
ある小さな地方都市の安宿で、たまたま別の部屋から聞こえる男女の会話に興味を持ち、聞き入っていた青年セチョル。30分以上経って彼の部屋のドアが開き、顔をのぞかせたのは、その女性客でした。
縁側に座り込んでマッチでタバコに火を点けて深々と吸い、「どこからいらっしゃったの?」などと気安く話しかけてきます。
思わずこわばるセチョルに「かたくなることないわよ。ただ訊いてみただけだから」と、これはもう女のペース。そして「お酒1杯おごってくれる?」とセチョルに断る隙も与えず、「ずうずうしくも自然で、なんの負担感も感じさせなかった」という感じで、セチョルはもう女に言われるがまま。
(女)「心配することないわよ。あの男寝てんだから。一晩中起きないわよ」
(セチョル)「いや、あの人のことじゃなくて・・・」
(女)「わかってるわよ。センセイ(=セチョル)も私もここじゃよそ者でしょ。人目を気にすることはないわよ」
・・・などと言いつつ宿を出る女について、セチョルもテポチプ(대폿집.飲み屋)に向かいます。
その道々、セチョルは「たまに酒場で女と酒を飲むことはあっても日頃堅実に生きてきて、とくに失敗することもなくここまできたのに、こんな成り行きになっちゃってるのは初めてだ・・・」と、そんな自分に驚いてさえいるようです。
テポチプでの2人の会話です。
(セチョル)「アガシはふつうの女性とはちょっと違いますね」
(女)「違うって? もちろんそうでしょ。私6ヵ月前は学校の先生だったんだから」
・・・と、彼の言葉を誤解した上、見え透いたウソをつきます。しかしセチョルはそのウソがいかにも彼女に似つかわしいと思いながら、「ああ、そうだったんですね!」と答えてうなづいたりします。
マッコリを3杯たて続けに飲んだ女は急に立ち上がって・・・。
(女)「出ましょ」。
(セチョル)「あなたは離れようとしているんでしょう、ここから」
(女)「あなた、一緒に行ってくれる?」
(セチョル)「なんで、どこへ行くというのですか? これはとんでもないことじゃないですか? 彼(=テキヤ)を棄てて行くとは」
(女)「関係ないわよ。あの男、私がどこに行っても探し出すんだから。ただアナタが一緒に行くかどうかを決めればいいだけ」
(セチョル)「明日の朝決めますよ」
2人は谷あいの細い道を2時間ほども歩き続けます。その間、女は腕をからませてきて、薄い服に隠された肌にヘンな気分を感じたりして・・・。
その先に見つけたクモンカゲ(구멍가게.よろず屋)に入った2人。店のばあさんが夕食の膳を運んできてセチョルに言います。
(店のばあさん)「花嫁さんがキレイね」
すると女は・・・。
(女)「私、この人の花嫁じゃないわよ」
手を振って否定する女に、セチョルはそんなはっきり言うことかと驚きます。
(ばあさん)「学のない女が口数が多いと町内で舅が9人にもなるっていうよ」(男関係が複雑になるという意味)
どうも女(名はプノク)も店のばあさんも前から知ってるようすです。
部屋の明かりを消してから1時間くらいか。2人は暗がりの中で並んで横になっていますが寝入ってはいません。
セチョルは彼女と別れなくてはならないと考えています。しかし彼女はどうするのだろうか・・・。
ところが、ここから物語は急展開します。そんな夜更けに外で車の音が・・・。男が2人下りてきて店にやってきます。あのテキヤの男と、その仲間です。
(男)「あの女、またコチラに来てますか?」
(ばあさん)「来てることは来てますけど・・・」
(男)「連れがいるということくらいはわかった上ですよ。ちょっと入ってみてもいですよね?」
(ばあさん)「もう明かりを消して寝てるよ」
(男)「明かりを消して寝ててもかまわないさ。あいつの彼氏がやって来たんだから、真っ暗な夜ならとか真っ昼間だからとか関係ないよ」
(ばあさん)「とにかくちょっと騒ぎ立てないで行ってみな、あの部屋だから」
男たちは2人が寝ている部屋に入ってきます。
(男)「遠くまで行ったと思ったら、こんな近くか」
もう1人の男がふとんを1枚1枚はいでゆき、男は明かりを点け、部屋の隅に座り込みます。
(男)「あんた、誰なの? 自信ある?」
(セチョル)「・・・・」
(男)「あんた、自信があるならこの女を譲るよ。棄てないで最後まで連れ添って暮らすか?」
(セチョル)「私はそんな自信はありません・・・。
(男)「どこの馬の骨だ? 恥をかきたくなかったらはっきり言って見ろよ」
(セチョル)「プノクさんがここまで来たのは自分の意志で、私が誘惑をしたとか拉致したとかじゃありません。だから私と結婚するとか棄てるとかいう問題とは関係ないんですよ」
(男)「こいつがどんな女かわかるか? うっかり関わったら身を亡ぼすのが常だぞ。俺はその日暮らしの流れ者だから、こんな女を連れて回っても大丈夫だが、あんたのようなキレイにやられる。どうだ、わかったか?」
こんな最中に、彼女はいきなり手を打って言うには・・・
(女)「みんな、一杯やろうよ」
(男)「うるさい。一晩中飲むなどとどこの馬鹿が言うんだ?」
(女)「じゃあどうするのよ?」
(男)「どうするって、帰らなくちゃ」
(女)「帰る? どこに帰るのよ」
(男)「俺らが泊まった宿だよ」
(女)「まるで貸し間でも借りたみたいな話ね。貸し間ひとつも借りられないのに」
(男)「俺がおまえの本心を知らないとでも思ってるのか? 貸し間を借りてもおまえは10日も落ち着いていられない女じゃないか」
(女)「見てよ、ミンさん、どうしましょ。私こう見えても昔学校の先生だったのよ」
(男)「そんな真っ赤な嘘をこの人が信じると思うか?」
少なくとも、男女が示し合わせてセチョルをわなにかけた(つまりツツモタセ)ではなく、また男も女の習い性をよく心得ているようす。この店にすぐやってきたのも、こんな彼女をすっすりお見通しだったからか。
ところが、ひとしきり女と口争いをしていた男が、いきなりセチョルに手を出してきます。
(男)「おい、とっとと失せろ! シゴル(=仲間の男)、こいつをつまみ出せ」
セチョルは庭に放り出されてしまいます。やってきた男2人と女はそのまま部屋で寝ることになります。(セチョルは庭で夜を明かすのかな?)
翌朝3人はセチョルには何の関心も示さず、見知らぬ人を眺めるように見るだけ。井戸端で、私が使い終えた洗面器もそのまま男、さらにシゴルへと順々に受け渡されます。
その日はたまたま市の立つ日でした。私はすぐ出立しようという当初の予定を変更して、彼らを観察してみようという気になります。
店で2時間ほど待つと、市場の方からスピーカーで歌声が聞こえてきます。
♪동해나 울산은 잣나무 그늘 뱃길을 찾노라 석 달도 열흘
(♪東海や蔚山は朝鮮松の木陰 船路を求めて三月と十日 ※「蔚山アガシ」
明らかにプノクの歌声です。
つまり、市で人寄せで歌っているのです。そういえば映画「風の丘を越えて 西便制」でも、パンソリが市で人寄せとして唄われる場面がありましたね。
歌が終わった後、見物人たちの前に男(香具師)が登場して薬売りの口上を述べ始めます。セチョルが見物人たちの間に交じって見ているとプオクが見つけて近づいてきます。
(女)「なんで来たのよ?」
(セチョル)「プオクさんを見に」
(女)「あなた、ヘンな人ね」
・・・などとやりとりしていると今度はテキヤの男が近づいてきていきなりセチョルの胸ぐらをつかみます。
(男)「なんだよ、てめえ」
(セチョル)「あなたこそなんですか?」
(男)「俺か? 俺はこの女の同業者だよ。そして保護者だ。住民登録証を見せてやろうか?」
と険悪な状況に。
(セチョル)「静かに話をしましょうよ」
(男)「静かに話しましょうだと? てまえが他人の女をたぶらかして連れ回してるから俺が出てきたんじゃないか」
そこに見物人のひとりが割り込みます。「もしもし、薬は売らないでケンカばっかりやってるの?」
・・・と、事態がややこしくなったどさくさまぎれにセチョルはその場から抜け出て店の部屋に戻ります。
しかし邑の方に行くバスの時間は5時間後。いつしかそのまま寝込んでしまい、しばらくして壁を隔ててひそひそ話を始めた男女の声で眠りからさめます。
(女)「あんた、ほんとに私を裏切ったらダメよ、わかった?」
(男)「何だ、口を開いたと思えばぎゃあぎゃあと」
(女)「そうね、声を落とすわ。裏切るの? 裏切らない?」
(男)「裏切りがそんなに恐いか? 嫌いになったら別れて嫌気がさしたらおしまいだろ。前世でどんな怨みがあってもくっついて回らねばならんか? 俺と会うとすぐ裏切り節を語り出すがおまえこそ大勢の男を裏切ってきたことは考えないのか? 他人のアラは見えても自分のでかいキズには気がつかないとはよく言うわな」
またもや例の2人。こんな会話がまた延々と繰り返されています。
バスの時間までまだ約1時間。セチョルはバスが来たら乗ることにして、とりあえずは歩いてこの市場町から出ることにします。
5、6キロほど未舗装の道を歩き、あと1時間も歩けば到着するだろうと思った時、後ろからトラックがほこりを立てて走ってきます。セチョルが手をあげると少し先で止まりました。
セチョルが「邑内まで乗せてってください」と頼むと、サングラスの運転手は「途中で3、4時間休んでいくからまっすぐには行かないよ」となぜかにやついている運転手の向こうの座席に目をやると、無表情で自分を眺めているあの女(プオク)が座っています。
あのテキヤが疲れて昼寝をしている時間に、女はまた部屋を出てこのトラックを捕まえたのです。
(セチョル)「3、4時間休むんですか?」
(運転手)「そう、3、4時間」
3、4時間経つと、やはりテキヤも目が覚めることだろう。
・・・という一文がこの小説のオチ。
つまりは、女が男が昼寝をしている間に抜け出して別の男に声をかけてどこかに消えるのは「いつものこと」なんですね。また男が即座にその場所に乗り込んで連れ戻すのも。2人がいろいろ言い争いはしていても、ある意味「似た者同士」ということ。まあ腐れ縁というか・・・。
ところで、上掲の作品の概要に「堕落した若い男女の姿を通して1970年代の産業化過程で現れた性倫理の問題を批判的に見せてくれてもいます」とあるのは当たっていないんじゃないですかねー。作品は主人公セチョルの一人称で書かれていますが、「ひっかかっちゃった感」「自分の倫理観はどうなっちゃったんだろ?感」はあるにしても、彼らの倫理観に対する憤りや嫌悪はないみたいだし・・・。
しか~し。こうまとめておかなければ、というワケはわからないでもありません。
この小説は教科書に載っている(!)作品だから。
つまり、私ヌルボが読んだ本は휴이넘(Houyhnhnm)という出版社の<教科書 韓国文学>というシリーズ中の1冊なのです。(表題作を含めて4編の短編小説が収められています。) すでに読む前から「えっ、こういう内容の小説が教科書に!?」と驚きましたが、実際に読んでみてもやっぱり疑問のまま。上記の、部屋の明かりを消して並んで横になった云々のくだりなど、生徒にどう教えるでしょうね? 「具体的に説明してください」と質問されたら困っちゃいそう(笑)。そんなわけで授業の場ではあくまでも倫理重視というタテマエで教えるのかな?(もしかしてホンネ?) としたら誤読だと思いますけど・・・。
はてさて。この記事を書いている間にたまたま雑誌「旅」2000年12月号になんと金周榮さんのインタビュー記事が載っているのを見つけました。それも、「作家になりたては韓国内の市の立つ町を歩いていたね」と、本作に直接関係することも語っています。ということは、かなり自身の体験が素材になっているのかもしれませんね。(下の画像は冒頭部分)
★この小説と、TVドラマ「男と女の青空市場」の相違点
「男と女の青空市場」を見たサークル仲間の話を聞くと、この原作小説とはかなり違いがあるようです。とくに大きな点は、小説では「사나이(サナイ.男)」とあるだけのテキヤがニックネームながらも<ボンゴ>と呼ばれてキム・ヒラ演じる主人公になっていること。仕事もテキヤではなくボンゴ車に乗って各地を廻って商売をしている行商人です。またラストシーンにはトラック運転手は登場せず、イ・ジョンナムが演じる女(プノク)がボンゴに乗って去るとのこと。彼女は水商売だかの女で、ボンゴに借金があって逃げられない状態にあるのを、イ・ソンホ演じるインテリ青年が救い出そうとして・・・という設定だったそうです。
なぜ原作を変えたか? 私ヌルボ思うに、小説の読者は(少なくとも当時は)主にインテリであるのに対して、TVドラマはより広汎な層の人たちが視て楽しむものだから。主人公のインテリだと、共感を覚える人はとても大多数とは思えません。あくまでも推測ですけど・・・。
このあと、オマケ的な記事があります。・・・が、(例によっていつになるやら・・・。)
→ <30年前<アジア映画劇場>で放映された「男と女の青空市場」をめぐって ②原作の金周榮「外村場紀行」は場末感が漂う短編小説>
金周榮「外村場紀行」のあらすじの続きです。
ある小さな地方都市の安宿で、たまたま別の部屋から聞こえる男女の会話に興味を持ち、聞き入っていた青年セチョル。30分以上経って彼の部屋のドアが開き、顔をのぞかせたのは、その女性客でした。
縁側に座り込んでマッチでタバコに火を点けて深々と吸い、「どこからいらっしゃったの?」などと気安く話しかけてきます。
(女)「心配することないわよ。あの男寝てんだから。一晩中起きないわよ」
(セチョル)「いや、あの人のことじゃなくて・・・」
(女)「わかってるわよ。センセイ(=セチョル)も私もここじゃよそ者でしょ。人目を気にすることはないわよ」
・・・などと言いつつ宿を出る女について、セチョルもテポチプ(대폿집.飲み屋)に向かいます。
その道々、セチョルは「たまに酒場で女と酒を飲むことはあっても日頃堅実に生きてきて、とくに失敗することもなくここまできたのに、こんな成り行きになっちゃってるのは初めてだ・・・」と、そんな自分に驚いてさえいるようです。
テポチプでの2人の会話です。
(セチョル)「アガシはふつうの女性とはちょっと違いますね」
(女)「違うって? もちろんそうでしょ。私6ヵ月前は学校の先生だったんだから」
・・・と、彼の言葉を誤解した上、見え透いたウソをつきます。しかしセチョルはそのウソがいかにも彼女に似つかわしいと思いながら、「ああ、そうだったんですね!」と答えてうなづいたりします。
マッコリを3杯たて続けに飲んだ女は急に立ち上がって・・・。
(女)「出ましょ」。
(セチョル)「あなたは離れようとしているんでしょう、ここから」
(女)「あなた、一緒に行ってくれる?」
(セチョル)「なんで、どこへ行くというのですか? これはとんでもないことじゃないですか? 彼(=テキヤ)を棄てて行くとは」
(女)「関係ないわよ。あの男、私がどこに行っても探し出すんだから。ただアナタが一緒に行くかどうかを決めればいいだけ」
(セチョル)「明日の朝決めますよ」
2人は谷あいの細い道を2時間ほども歩き続けます。その間、女は腕をからませてきて、薄い服に隠された肌にヘンな気分を感じたりして・・・。
その先に見つけたクモンカゲ(구멍가게.よろず屋)に入った2人。店のばあさんが夕食の膳を運んできてセチョルに言います。
(店のばあさん)「花嫁さんがキレイね」
すると女は・・・。
(女)「私、この人の花嫁じゃないわよ」
手を振って否定する女に、セチョルはそんなはっきり言うことかと驚きます。
(ばあさん)「学のない女が口数が多いと町内で舅が9人にもなるっていうよ」(男関係が複雑になるという意味)
どうも女(名はプノク)も店のばあさんも前から知ってるようすです。
部屋の明かりを消してから1時間くらいか。2人は暗がりの中で並んで横になっていますが寝入ってはいません。
セチョルは彼女と別れなくてはならないと考えています。しかし彼女はどうするのだろうか・・・。
ところが、ここから物語は急展開します。そんな夜更けに外で車の音が・・・。男が2人下りてきて店にやってきます。あのテキヤの男と、その仲間です。
(男)「あの女、またコチラに来てますか?」
(ばあさん)「来てることは来てますけど・・・」
(男)「連れがいるということくらいはわかった上ですよ。ちょっと入ってみてもいですよね?」
(ばあさん)「もう明かりを消して寝てるよ」
(男)「明かりを消して寝ててもかまわないさ。あいつの彼氏がやって来たんだから、真っ暗な夜ならとか真っ昼間だからとか関係ないよ」
(ばあさん)「とにかくちょっと騒ぎ立てないで行ってみな、あの部屋だから」
男たちは2人が寝ている部屋に入ってきます。
(男)「遠くまで行ったと思ったら、こんな近くか」
もう1人の男がふとんを1枚1枚はいでゆき、男は明かりを点け、部屋の隅に座り込みます。
(男)「あんた、誰なの? 自信ある?」
(セチョル)「・・・・」
(男)「あんた、自信があるならこの女を譲るよ。棄てないで最後まで連れ添って暮らすか?」
(セチョル)「私はそんな自信はありません・・・。
(男)「どこの馬の骨だ? 恥をかきたくなかったらはっきり言って見ろよ」
(セチョル)「プノクさんがここまで来たのは自分の意志で、私が誘惑をしたとか拉致したとかじゃありません。だから私と結婚するとか棄てるとかいう問題とは関係ないんですよ」
(男)「こいつがどんな女かわかるか? うっかり関わったら身を亡ぼすのが常だぞ。俺はその日暮らしの流れ者だから、こんな女を連れて回っても大丈夫だが、あんたのようなキレイにやられる。どうだ、わかったか?」
こんな最中に、彼女はいきなり手を打って言うには・・・
(女)「みんな、一杯やろうよ」
(男)「うるさい。一晩中飲むなどとどこの馬鹿が言うんだ?」
(女)「じゃあどうするのよ?」
(男)「どうするって、帰らなくちゃ」
(女)「帰る? どこに帰るのよ」
(男)「俺らが泊まった宿だよ」
(女)「まるで貸し間でも借りたみたいな話ね。貸し間ひとつも借りられないのに」
(男)「俺がおまえの本心を知らないとでも思ってるのか? 貸し間を借りてもおまえは10日も落ち着いていられない女じゃないか」
(女)「見てよ、ミンさん、どうしましょ。私こう見えても昔学校の先生だったのよ」
(男)「そんな真っ赤な嘘をこの人が信じると思うか?」
ところが、ひとしきり女と口争いをしていた男が、いきなりセチョルに手を出してきます。
(男)「おい、とっとと失せろ! シゴル(=仲間の男)、こいつをつまみ出せ」
セチョルは庭に放り出されてしまいます。やってきた男2人と女はそのまま部屋で寝ることになります。(セチョルは庭で夜を明かすのかな?)
翌朝3人はセチョルには何の関心も示さず、見知らぬ人を眺めるように見るだけ。井戸端で、私が使い終えた洗面器もそのまま男、さらにシゴルへと順々に受け渡されます。
その日はたまたま市の立つ日でした。私はすぐ出立しようという当初の予定を変更して、彼らを観察してみようという気になります。
店で2時間ほど待つと、市場の方からスピーカーで歌声が聞こえてきます。
♪동해나 울산은 잣나무 그늘 뱃길을 찾노라 석 달도 열흘
(♪東海や蔚山は朝鮮松の木陰 船路を求めて三月と十日 ※「蔚山アガシ」
明らかにプノクの歌声です。
つまり、市で人寄せで歌っているのです。そういえば映画「風の丘を越えて 西便制」でも、パンソリが市で人寄せとして唄われる場面がありましたね。
歌が終わった後、見物人たちの前に男(香具師)が登場して薬売りの口上を述べ始めます。セチョルが見物人たちの間に交じって見ているとプオクが見つけて近づいてきます。
(女)「なんで来たのよ?」
(セチョル)「プオクさんを見に」
(女)「あなた、ヘンな人ね」
・・・などとやりとりしていると今度はテキヤの男が近づいてきていきなりセチョルの胸ぐらをつかみます。
(男)「なんだよ、てめえ」
(セチョル)「あなたこそなんですか?」
(男)「俺か? 俺はこの女の同業者だよ。そして保護者だ。住民登録証を見せてやろうか?」
と険悪な状況に。
(セチョル)「静かに話をしましょうよ」
(男)「静かに話しましょうだと? てまえが他人の女をたぶらかして連れ回してるから俺が出てきたんじゃないか」
そこに見物人のひとりが割り込みます。「もしもし、薬は売らないでケンカばっかりやってるの?」
・・・と、事態がややこしくなったどさくさまぎれにセチョルはその場から抜け出て店の部屋に戻ります。
しかし邑の方に行くバスの時間は5時間後。いつしかそのまま寝込んでしまい、しばらくして壁を隔ててひそひそ話を始めた男女の声で眠りからさめます。
(女)「あんた、ほんとに私を裏切ったらダメよ、わかった?」
(男)「何だ、口を開いたと思えばぎゃあぎゃあと」
(女)「そうね、声を落とすわ。裏切るの? 裏切らない?」
(男)「裏切りがそんなに恐いか? 嫌いになったら別れて嫌気がさしたらおしまいだろ。前世でどんな怨みがあってもくっついて回らねばならんか? 俺と会うとすぐ裏切り節を語り出すがおまえこそ大勢の男を裏切ってきたことは考えないのか? 他人のアラは見えても自分のでかいキズには気がつかないとはよく言うわな」
またもや例の2人。こんな会話がまた延々と繰り返されています。
バスの時間までまだ約1時間。セチョルはバスが来たら乗ることにして、とりあえずは歩いてこの市場町から出ることにします。
セチョルが「邑内まで乗せてってください」と頼むと、サングラスの運転手は「途中で3、4時間休んでいくからまっすぐには行かないよ」となぜかにやついている運転手の向こうの座席に目をやると、無表情で自分を眺めているあの女(プオク)が座っています。
あのテキヤが疲れて昼寝をしている時間に、女はまた部屋を出てこのトラックを捕まえたのです。
(セチョル)「3、4時間休むんですか?」
(運転手)「そう、3、4時間」
3、4時間経つと、やはりテキヤも目が覚めることだろう。
・・・という一文がこの小説のオチ。
つまりは、女が男が昼寝をしている間に抜け出して別の男に声をかけてどこかに消えるのは「いつものこと」なんですね。また男が即座にその場所に乗り込んで連れ戻すのも。2人がいろいろ言い争いはしていても、ある意味「似た者同士」ということ。まあ腐れ縁というか・・・。
ところで、上掲の作品の概要に「堕落した若い男女の姿を通して1970年代の産業化過程で現れた性倫理の問題を批判的に見せてくれてもいます」とあるのは当たっていないんじゃないですかねー。作品は主人公セチョルの一人称で書かれていますが、「ひっかかっちゃった感」「自分の倫理観はどうなっちゃったんだろ?感」はあるにしても、彼らの倫理観に対する憤りや嫌悪はないみたいだし・・・。
しか~し。こうまとめておかなければ、というワケはわからないでもありません。
この小説は教科書に載っている(!)作品だから。
はてさて。この記事を書いている間にたまたま雑誌「旅」2000年12月号になんと金周榮さんのインタビュー記事が載っているのを見つけました。それも、「作家になりたては韓国内の市の立つ町を歩いていたね」と、本作に直接関係することも語っています。ということは、かなり自身の体験が素材になっているのかもしれませんね。(下の画像は冒頭部分)
★この小説と、TVドラマ「男と女の青空市場」の相違点
「男と女の青空市場」を見たサークル仲間の話を聞くと、この原作小説とはかなり違いがあるようです。とくに大きな点は、小説では「사나이(サナイ.男)」とあるだけのテキヤがニックネームながらも<ボンゴ>と呼ばれてキム・ヒラ演じる主人公になっていること。仕事もテキヤではなくボンゴ車に乗って各地を廻って商売をしている行商人です。またラストシーンにはトラック運転手は登場せず、イ・ジョンナムが演じる女(プノク)がボンゴに乗って去るとのこと。彼女は水商売だかの女で、ボンゴに借金があって逃げられない状態にあるのを、イ・ソンホ演じるインテリ青年が救い出そうとして・・・という設定だったそうです。
なぜ原作を変えたか? 私ヌルボ思うに、小説の読者は(少なくとも当時は)主にインテリであるのに対して、TVドラマはより広汎な層の人たちが視て楽しむものだから。主人公のインテリだと、共感を覚える人はとても大多数とは思えません。あくまでも推測ですけど・・・。
このあと、オマケ的な記事があります。・・・が、(例によっていつになるやら・・・。)
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