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おもしろくてためになる<歴史共和国 韓国史法廷>シリーズ 6月抗争・禁乱廛権等(その1)

2016-08-29 23:47:56 | 韓国・朝鮮関係の知識教養(歴史・地理・社会等)
      

 2015年6月の記事(→コチラ)で「なぜ4.19革命が起こったのか?」という本を紹介しました。자음과모음(子音と母音)という出版社から発行されている全60巻の<歴史共和国 韓国史法廷(역사공화국 한극사법정)>というシリーズ中の1冊です。
 小学校高学年~中学生程度の生徒を対象とした歴史教養書シリーズで、読んでみると私ヌルボとしては知っていることもあり、知らないことはもっとたくさんありで、何よりも平易に書かれていて内容的にも文章のレベルもちょうどよく、気に入りました。

 それで今年3月韓国に行った時に同シリーズの本を2冊買ってきました。
 上の画像の左は「왜 6월항쟁이 일어났을까?」で、右は「왜 금난전권이 폐지되었을까?」。値段は定価1万1千ウォンですが、右の方はアラディン中古書店で半額以下の古本を購入しました。
 で、左の方の書名は「なぜ6月抗争は起こったか?」はすぐにわかりましたが、右は「なぜ금난전권が廃止されたか?」の、肝心の<금난전권(クムナンジョンクォン)>がわからず。数ページ読むと、日本史で言えば<楽市楽座>に相当する朝鮮王朝時代の施策らしい、と見当はつきますが・・・。帰ってからネット検索してそれが<禁乱廛権(きんらんてんけん)>という歴史用語であることがわかりました。

 案の定、どちらの本も期待通りのおもしろくてためになる本でした。以下、その内容と、私ヌルボが仕入れた知識等をかいつまんで紹介します。このところ1つの記事が長くなりすぎる傾向があるので、今回は1冊ずつに分けることにします。まず「なぜ6月抗争は起こったか?」の方から。

 <6月抗争>とは、全斗煥大統領の軍事政権下の1987年、6月10日から「6・29宣言」が発表されるまでの約20日間にわたって繰り広げられた学生を主体とする民主化運動のことです。
 ※今<6月抗争>で検索すると、ウィキペディア(→コチラ)の次、つまり2番目<60年安保闘争、韓国の6月民主抗争等、6月はデモの季節?>と題した本ブログの過去記事(→コチラ)がヒットしたのでちょっと驚きました。

 さて、この<歴史共和国 韓国史法廷>はどんな構成になっているかというと、舞台は>。登場人物も皆故人です。歴史上の出来事について、対立する2つの側の人物の一方が他の側の人物を訴え、韓国史法廷で原告と被告の主張とそれぞれの側の証人たちの証言等を経て、最後に裁判官が判決を下すというものになっています。なお、傍聴席の雰囲気も描写され、そこに重要人物が現れたりすることもあります。
 ※「過去のことを現代の価値観で裁く」というのは、まさに韓国らしいところですね(笑)。
 主役というべき原告・被告をみると、「なぜ4.19革命が起こったのか?」では原告は張勉(チャン・ミョン)、被告は李承晩(イ・スンマン)でしたが、必ずしもこのような実在の人物と限ったわけではありません。この本も、原告は元軍人の최애국(チェ・エグク)、被告はデモに参加していた元女子学生の나뮌주(ナ・ミンジュ)という架空の人物になっています。ふつうの名前らしい漢字をだと崔愛国と羅民珠あたりでしょうが、<最愛国>、<わたし民主>とも読めるのがミソ。
 ところで、ふつうに考えるとひどい弾圧を被ったデモ学生の方が原告で、権力側の軍人や警察の方が被告になるのでは?と思うところですが、逆に軍人が原告、学生が被告に設定されている点が構成の巧みなところ。では、原告の軍人が何に対して訴訟を起こしたか、その請求内容を簡単に言えば次のようなことです。

 歴史は公明正大でなければならず、またすべての時代や人物についても明るい面と暗い面がある。したがって全斗煥の時代(第5共和国)の評価に対する現今のような全否定的な評価は一方的で不公平だ。その歴史的不可避性と、業績を後世に正しく伝えることを請求する

 いよいよ開廷です。いや、その前に傍聴席方面がただならぬ雰囲気。というのは、傍聴席が軍人グループと学生グループに二分され、それぞれ原告と被告を支援して気勢を上げているのです。
 なんと、軍人グループは軍歌を歌い始めます。
 「전선을 간다(前線を行く)」という歌。(→動画。) 代表的な軍歌の1つで、「최후의 5분(最後の5分)」とともにとくに人気があるとのことですが、ヌルボは初めて知りました。歌う前に原告自身が반동 준비!(反動準備!)」、「반동 시작!(反動始め!)」と号令をかけていますが、반동(反動)というのは上画像のように腰の横に手を置いて体を左右に揺らす動作のことだそうで、別に彼らが反動的な連中だという意味でしありません。
 これに対抗して被告ナ・ミンジュのリードで傍聴席の学生たちも「임을 위한 행진곡(イムのための行進曲)」 (→動画)を歌います。この歌は知っていました。アン・チファン等が歌っている代表的な運動圏歌謡の1つです。(上のリンク先は<労働歌手>チェ・ドウンの歌。)

 原告・被告双方の証人には、日本人にもよく知られている人もいれば、それほどでもない人も・・・、って自分を基準にするのもよくないですが・・・。ヌルボが知らなかったのが下画像の人。原告側の証人です。
 
 全斗煥大統領の経済首席秘書官だった金在益(キム・ジェイク)。世界の主要国と比較した歴代政権の経済成長率をグラフで説明しています。それによると朴正煕政権=3.3%、全斗煥政権=5.7%、金大中政権=4.8%で、全斗煥政権の時が最も高いというわけです。
 この金在益は第5共和国の主要人物中の中で例外的によく知られているそうで、その理由①=経済について全く知らない全斗煥を補助して80年代に経済成長と物価安定を達成したということ、そして理由②=1983年10月のアウンサン廟爆破事件(ラングーン事件)つまり北朝鮮による爆破テロ事件の犠牲となって44歳で世を去ったこと。(ふーむ、そうだったのか。ドラマ「第5共和国」は未見。やっぱり見なくちゃ・・・。)
 ※金在益については「中央日報」のコラム(→コチラ)と→コチラのブログ記事参照。「韓国の隠れたる英雄」と賞揚しています。
 本書では、金在益の他に、「大学の本考査廃止・内申成績重視・課外禁止・大学の卒業定員制」を内容とする<7.30教育改革>を発表した李奎浩(イ・ギュホ)文教部長官も原告側証人として登場しています。
 彼等以外の証人は次のような人たちです。
            
 左から金日成・金大中・李韓烈(イ・ハニョル)・金槿泰(キム・グンテ)
 金日成と金大中については説明するまでもないですね。李韓烈は、1987年6月9日の集会で戦闘警察による催涙弾を後頭部に受け、翌月5日死亡したた延世大の学生です。金槿泰のことはたまたま→1つ前の記事でも書いたように、2013年暮れ大統領選挙前に朴槿恵候補だけが観なかった映画「南営洞1985」の元となった体験記で、1985年治安警察に連行されて南営洞の治安本部対共分室で受けた残酷な拷問のことを書いた人です。
 ところで、この4人が皆被告つまり学生側の証人かというとそうではなく、1人は原告側の証人として出廷・証言しています。それはなんと金日成! 北朝鮮人らしく「안녕하십까? 반갑습다.」と挨拶しながら登場します。
 原告側が彼を呼んだのは、「北朝鮮の脅威があったから」という軍部独裁政権による国民の自由や権利等の制限の1つの理由が根拠のない言い逃れではないことを明らかにするためでした。原告側弁護士が光州民主化運動について金日成に「この闘争が南朝鮮全域に拡散すれば<対南事業>の決定的な機会にできる」と党幹部たちに強調しなかったか問うと、彼はそれを肯定しています。また金日成が「誤解を受けるかもしれないが、南朝鮮の人民は軍部独裁に堪えられないと思ったよ。4.19革命を凌ぐ大きな抵抗が起こるかと・・・。で政府がなくなったらわが共和国が秩序を回復して民族統一を達成しなければならないだろう? われわれが裏で工作しているなどという誤解はやめなさいよ」と言うと、弁護士はすかさず「裏で工作はしない? ではアウンサン事件は?」と追及。金日成は「何山(サン)だって?」と問い返し、説明されると「うーむ、そうだったっけなー」などとシラを切ったりします。弁護士はさらに1982年の学生たちによる釜山のアメリカ文化院放火事件(→ウィキペディア)についても金日成に訊こうとしますがこれは無理筋。

 裁判の後半は、逆に被告(学生側)の証言が続きます。
 上記の金槿泰と、李韓烈です。長くなるので彼等の証言は略しますが、李韓烈が7月9日行われた<李韓烈烈士民主国民葬>(下画像)について語っています。そして「皆が私の死に涙を流し、民主主義を望む歌を歌いました」と言いながら・・・
 ・・・彼が低い声で歌い始めると、ナ・ミンジュと傍聴席のあちこちからも歌声が上がり、悲愴ながらも勇壮な合唱が法廷に響き渡ります・・・。
 「타는 목마름으로  민주주의여, 만세!」という歌詞が絵の中に書かれています。金芝河の詩による「타는 목마름으로(灼けつく喉の渇きに)」ではないですか。この歌については→コチラの過去記事に歌詞&訳詞、そして金光石(キム・グァンソク)の動画付きで紹介しました。ご存知なかった方はぜひ聴いてみてください。

 いよいよ裁判は終幕を迎えます。勝訴はどちらか? 私ヌルボ、ふつうに考えて軍人側の勝訴はどうみてもないだろうとは思いました。では学生側の全面勝訴は?・・・等々考えながら読み進んでいくと、思わぬところでいきなり裁判が終わってしまいました
 歌の後、李韓烈が心に沁みる話で証言を終えると、傍聴席から拍手が起こります。その時原告チェ・エグクは叫びます。「もう止め! この裁判はこれでおしまいにしてください!」。皆が驚いて彼の方に目をやります。
 ・・・ほとんどの方はこの本を読まないでしょうからネタバレOKですね。一応黄色にしておきます。「私はこの訴訟を取り下げます」。
 おー、こういう持っていき方があったのか。「知りませんでした。それほどまで若者たちがつらい日々を送っていたことを・・・。非民主もクーデターも国のためと思っていましたが、間違っていました」というのが彼が語ったその理由。
 裁判はこれで終わり。後日談が5、6ページ分ありますが・・・。

 さらにその後、<出かけよう、体験探訪>という記事が2ページ分付いています。見出しは「6月民主抗争の歴史が息づいている警察庁人権センター」。下画像はそこに掲載されている写真です。 
     
 警察庁人権センターは6月抗争当時(1987年)は南営洞対共分室と呼ばれていました。上述の金槿泰等が拷問を受けた所です。説明文によると「○○海洋研究所」という看板がかかっていたそうです。今、そこの別館(写真左)は児童・女性・障碍者警察支援センターになっており、本館1階は(人権センターの)歴史館、2~3階は人権相談室等、4階は対共分室で拷問により死亡したソウル大学生・朴鐘哲(パク・ジョンチョル)関係の展示室(写真中)、5階は朴鐘哲を死に追いやった調査室(写真右)が原型のまま保存されています。
 ※新村には李韓烈博物館があります。これらについては、青さんのブログに3つ関連記事があります。→コチラと→コチラと→コチラ。毎度のことながら、ヌルボが1度行ってみようかな?と思った所はとっくにほとんど(全部?)行っている、なんとも大した方です。

 忘れてしまいそうなことをタラタラ書いていったらまたまた長くなってしまいました。考えてみれば読んだ内容や調べたことの大半は「忘れてしまいそう」なことなので、必然的に長くなってしまうということのようです。

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