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朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の呼称 ①「北朝鮮」と「韓国」以外にあるの?

2018-05-14 23:53:27 | 韓国・朝鮮関係の知識教養(歴史・地理・社会等)
 この記事の日付は5月14日になっていますが、6月1日にいろいろ書き足したら長くなりすぎたので2分割することにしました。さらにその後にも続いて、全部で4回くらいになりそうです。

 朝鮮民主主義人民共和国大韓民国のことをふつうどう呼ぶか?
 かつての日本の統治下では「北鮮」「南鮮」と言っていました。 
 右画像は1930年代末頃の大阪商船の<北鮮・大阪急航航路>のパンフ(部分)。このように、ごくふつうに使われていました。
 この「北鮮」「南鮮」は、戦後は「差別語だ!」との抗議もあって用いられなくなっていきました。といっても1948年の両国の建国までは終戦以前と同じだし、その後も50年代はこの「北鮮」「南鮮」という呼称はけっこう使われていたようです。私ヌルボの記憶では、60年代にもそう言ってた年配者はいましたね。

 「北鮮」「南鮮」が本当に差別語かどうかについては、辻本武氏によるなかなか鋭い批判があります。(→コチラ。)
 右画像は、そこに挙げられていた1920年代白丁(ペクチョン)差別撤廃を訴えて結成された衡平社のポスター。なるほど、最上段に全朝鮮ではなく<全鮮定期大会>と記されています。
 ただ、私ヌルボとしては、戦後これらの言葉が「チョーセン人」同様差別語として<記憶>されたということを重視するしかないと思います。「バカチョン」の語源が朝鮮人とは無関係だとしても使わないのがよいのと同様。

 あ、最初から話が本筋から離れてる! 元に戻します。

 今では言うまでもなく「北朝鮮」「韓国」ですね。
 ところが、私ヌルボの高校時代の頃(60年代!)、親しかった級友U君は韓国のことを「南朝鮮」と言ってました。彼は民青(民主青年同盟=日本共産党系の青年組織)の同盟員で、当時は共産党の方針がそうだったわけです。同党が「韓国」という呼称に改めたのは1997年のことで、その経緯・理由については→コチラに党の公式見解が述べられています。内容的には疑問もありますが、今は深入りしません。
 しかし、現在でも「南朝鮮」と呼んでいる人はいないではないと思います。・・・と書いてふと頭に浮かんだのは、中核派の機関紙「前進」ではどう書いてるのだろう?ということ。おー、検索したら公式サイトがあった! →コチラです。サイト内の記事をいくつか見た中で、たとえば、

 「足元での戦争の最大の火点は東アジアであり、米帝トランプが日帝・安倍などとともに強行しようとしている朝鮮侵略戦争だ。それは北朝鮮スターリン主義の体制転覆と、民主労総を先頭とする韓国労働者人民の革命的なゼネスト決起の圧殺を狙った戦争である。」

 ・・・といった記述があるゾ。
 中核派を出したら、革マル派も出さずばなるまいて。機関紙「解放」のサイト(→コチラ)にはこんな記事が・・・。

 「南北の権力者どもによって朝鮮半島の「民族的和解」などとおしだされているこの瞞着は、だがしかし、「平和への激動」(日共委員長・志位)などというものでは断じてない。独占ブルジョアジーに支えられた権力の支配下で貧困と失業苦に突き落とされている韓国の労働者・人民。そして金一族によるネポティズム専制支配のもとで圧政に組み敷かれている北朝鮮の人民。現下の瞞着は、六十五年の永きにわたって南北に引き裂かれてきたこの南北朝鮮人民の悲劇を現在的に固定化する以外のなにものでもない。」

 いやあ、ドチラも久しぶりに見ましたが、ユニークというか、刺激的というか、あいかわらず(難解)というか・・・。現在の状況についての両者の違いはなんとなくわかりましたが、これも今は(今後も?)深入りしません。まあドチラも北朝鮮・韓国の呼称など、どーでもいいといったフンイキです。(ところで、今の学生たちにおける中核とか革マルの認知度なんてどんなレベルなんだろ??)

 私ヌルボ、ここで日常の世界に帰還したところで、次回に続きます。

 → 朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の呼称 ②ホントに厄介な「北」の呼び方

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