私ヌルボ、観光地として知られる韓国の地方都市でまだ訪れていない所はたくさんあります。たとえば安東もその1つです。
安東といえば河回村(ハフェマウル)、そして河回村といえば仮面劇は、韓国の伝統民衆芸能として有名です。
以前たまたま鎌倉の鶴岡八幡宮でその仮面劇を見たことがありました。今調べてみたら2009年5月のことです。→コチラのブログ記事に写真入りで詳しく書かれています。(※「鎌倉ーソウル2328キロを歩く」(講談社+α新書.2005)の著者・間宮 武美さんのブログです。)
なんで八幡宮で韓国仮面劇? 「もしかして鎌倉御霊神社の面掛け行列との関連かな?」と思いましたが、そこらへんの経緯については→コチラの記事に記されていました。
さて、この河回村の仮面劇には次のような人物が登場します。
ヤンバン(양반.両班)、ソンビ(선비.学者)、チュン(중.坊主)、ペクチョン(백정.白丁)、チョレンイ(초랭이.召使)、ハルミ(할미.老婆)、イメ(이매.召使)、ブネ(부네.化粧した若い女性)、カクシ(각시.閣氏=新妻)。
これらの仮面(タル.탈)を見てみると、とくに封建時代の支配階層だったヤンバンと被差別民だったペクチョンの仮面がとてもよく似ていることに気づきます。
冒頭に掲げた画像の左がヤンバン、右がペクチョンです。
比べてみて、どこが違うかすぐわかるでしょうか? 鼻の脇のシワの数が違う? それ以外で・・・。
以下は、その答え(一応)です。
鄭棟柱「神の杖」について書いた記事(→コチラ)で少しふれた上原善広「韓国の路地を旅する」の最後に「韓国再訪二〇一四」という章があり、その中で上原さんが安東で仮面劇を見たこと、その中の寸劇のひとつが白丁の話であることが書かれていました。続けて、次のような記述があるのです。
私は取材当時、職人が多く集まり、骨董市場でもあるソウルの仁寺洞で白丁の仮面をもとめたのだが、このとき見せてもらった白丁の仮面は、ちょっと見たところ、貴族階級である両班の仮面とまったく変わらなかった。そこで不思議に思い、仮面を彫っている職人に「どこが違うのですか」と直接訊いたところ、彼は笑いながら「顔のつくりは同じだけど、両班の頭はきれいに丸くなっているでしょう。でも白丁の仮面は、頭が少しだけへこんでいるんですよ」という説明を受けたので、非常に驚いたことを覚えている。
しかしこの日の仮面劇のパンフレットには、白丁の仮面は彫りが深く、普通の仮面よりも狡猾さが出ているとある。確かに実際に仮面劇を見ていると、両班のとは全く違う表情で、道化をさらに強調するように造られていた。
仮面劇は、両班など偉そうにしている人々への風刺が込められている。この風刺がさらにいきるためには、白丁も両班も同じ人間であるのだから、同じ作りの仮面にする必要がある。白丁の仮面が少し歪んで作られているのは、同じ顔だけど人々から差別されているという意味がこめられている。だから仁寺洞の職人の話の方が本当のところだろう。しかし河回村で週四回おこなわれている仮面劇では、観光客にもより違いをわかりやすくするため、ことさら狡猾な表情に作ってあるのだと私は思った。
・・・というわけです。「韓国の路地を旅する」には写真が載っていないので、私ヌルボ「本当かな?」と思い韓国サイトで関連画像をいろいろ探して見てみました。するとたしかに白丁の仮面はアタマのリンカクが左右対称ではないのです。一見してわかるほどの大きなヘコミというほどでもありませんが・・・。冒頭の画像はその1例です。
ただ、韓国ではこの微妙な差異とその理由がどの程度認識されているか、あるいはそのこと自体ホントに正しいのか、と思ってそれなりにネット上を探してみましたが、見つかっていないままです。したがって、上述のような<正解>がホントに正解であるかについては<保留>ということにしておきます。
安東の土産物の中に仮面をかたどった河回タルチョコレート、河回パン、河回ペンダント等がありますが、はたしてこれらがヤンバン面とペクチョン面をどう区別しているのか、ちょっと興味のあるところです。
下の画像は河回タルチョコレートです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます