まずは上の画像をご覧あれ。「これは知ってるゾ」と思った人は多いのではないでしょうか?
また同時に、「あれ!? だけどちょっと違うなー」と思った人も・・・。
そうです。この紙人形はあの「金色夜叉」の名場面の韓国版なのです。
これは熱海海岸にある<貫一お宮之像>。
紙人形は同じ構図で、男性が学生帽&学生服にマントというほとんど同じいでたちですが、女性の方はチマチョゴリです。
この人形は2013年9月南山韓屋マウル伝統工芸館で開かれた紙人形展で展示された物です。(→コチラ参照。)
つまり、ごく最近のものです。
今の日本で、「金色夜叉」のこの熱海海岸の場面を見て若い人たちの何割がそれとわかるか、私ヌルボは見当がつきません。しかし、韓国版の方はもしかすると日本以上に韓国の人々に現在も親しまれているように思われます。もちろん、この名場面とともに。ただし韓国版の方は舞台が熱海の海岸ではなく平壌の大同江のほとりの浮壁楼あたりなのですが・・・。
また、芝居のタイトルも「金色夜叉」ではなく、主人公2人の名をとって「李守一(イ・スイル)と沈順愛(シム・スネ)」になっています。1913年趙重桓(チョ・ジュンファン)が著した尾崎紅葉「金色夜叉」の翻案小説の書名は「長恨夢(장한몽.チャンハンモン)」でしたが、演劇は「李守一と沈順愛」のタイトルで上演されてきたため、こちらの方がよく知られています。
・・・と、こういったことを私ヌルボが知った契機は、元在福岡・横浜韓国総領事・徐賢燮(ソ・ヒョンソプ)さんの「日韓あわせ鏡」(西日本新聞社.2001)という本。
※徐賢燮さんは1990年盧泰愚大統領が来日した時、雨森芳洲に言及したスピーチを<入れ知恵>した人。1993年の田麗玉のベストセラー「日本はない」に対抗して翌年「日本はある」を刊行し話題となった人でもある。
で、この本によると、徐賢燮さんは少年時代(1950年代?)「何度もその新派劇を観て、哀切な男性主人公の運命に胸が引き裂かれるような思いをしたものだ」とのことです。そして「小学校の学芸会で主人公の李秀一(ママ)を演じた」ことがあり、例の「来年の今月今夜・・・」の台詞の絶叫演技はなかなかの評判だったそうです。
日本では、「金色夜叉」を学芸会で児童に演じさせるとはちょっと考えられませんね。しかし韓国では半世紀以上前どころか現在でも(アレンジして)けっこうやっているみたいで、初等学校低学年等によるお遊戯の動画はYouTubeでいくつも見ることができます。
さて、現在日本での「金色夜叉」の公演状況はと見ると、本家の劇団新派が2013年「新釈 金色夜叉」を上演したり(→コチラ参照)、こんにゃく座によるオペラがあったり(→コチラ参照)と、いろんな形で演じられているようです。
韓国でも、たとえば次のようなものがあります。
そして2013年には・・・。
<「李守一と沈順愛」100周年記念公演>が催されました。第1部は1913年版、第2部は2013年版となっています。(※ポスター上段に「韓国演劇100年再発見シリーズ4」とあります。他の作品も気になるところです。)
私ヌルボ、先に(この作品は)「日本以上に韓国の人々に現在も親しまれているように思われます」と書いたのは、さまざまな形での<再生産>に加えて、ネット上や新聞等にも次のような形で登場しているからです。
どちらも「李守一と沈順愛」の例の場面がよく知られているからこそのカリカチュアです。
では、韓国の人たちはこの「李守一と沈順愛」が日本の「金色夜叉」の翻案であることをどれほど知っているのでしょうか?
→コチラのブログ主さんは今まで何度も日本に旅行に来ている韓国人ですが、2009年に熱海を訪れて貫一お宮の像を見て、「「李守一と沈順愛」の原作が日本の作品だったとは・・・初めて知った -_-;;」と記しています。最後の-_-;; に気持ちが表われていますね。上記の徐賢燮さんの記事の抜粋画像も参照してください。つまり、モトが日本の「金色夜叉」であることは知らない人の方がずっと多そうです。
さて、このような事実を知ると多くの日本人は「韓国人はここでも日本のものを勝手に剽窃しているな」と思うのではないでしょうか? しかし近年明らかになったところでは尾崎紅葉の「金色夜叉」にも英米両国で爆発的にヒットしたアメリカ人作家バーサ・M.クレー著「女より弱き者(Weaker than a woman)」というタネ本があったそうです。(私ヌルボも読んでみました。) また韓国の「李守一と沈順愛」にも独自性と、1世紀の間親しまれてきた理由もあります。(韓国人も日本人もいろんな<思い込み>はあるということです。)
実はこの記事は、一応は7月14日の記事<「この映画、シンパ的だな」とはどんな意味?>の続きです。
その記事を書く時に韓国の新派劇と新派映画の歴史を概観し、とくにこの韓国版「金色夜叉」が長く人々の間に浸透していることを知りました。現代に至るまでの1世紀間に演劇だけでなく映画も何度か作られてきましたが、今回はとくに今の状況から書きました。
続きでは韓国に「新派」が入ってきた最初の時期から、また他の作品についても書く予定です。
※韓国版「金色夜叉」については姜信子「日韓音楽ノート」(岩波新書)についてもいろいろ詳しく記されています。
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