辻原登「韃靼の馬」を読了しました。
この小説の時代設定は18世紀初め。将軍の侍講として幕政を担当していた新井白石が<正徳の治>とよばれる幕政の改革を進めていた時期です。
【600ページを超える大部ですが、読み始めたら一気!】
主人公は対馬藩士の青年・阿比留克人。雨森芳洲の薫陶を受けて朝鮮語に通じている彼は、朝鮮の倭館にあって、朝鮮側の役人等と直接交渉にあたる任務を担当しています。また彼は薩南示現流の使い手として武芸にも秀でています。
物語は大きく第一部と第二部に分かれています。
第一部では、1711年(正徳元年)朝鮮通信使を迎え入れ、その一行の対馬を経て江戸まで往復する間の物語で、幕府と朝鮮、そして対馬藩のせめぎ合いと、その中での阿比留克人の活躍が描かれています。
読んでいて思うのは、この作家が史実をディテールまで詳しく書き込むとともに、そこに巧みにフィクションを織り交ぜてのびやかにストーリーを展開しているということ。
日本史の教科書にも書かれている<朝鮮使節の待遇簡素化>という新井白石の基本施策とその背景もきちんと説明されているし、また朝鮮側からの将軍の呼称を<日本大君>というから<日本国王>に改めさせるという史実については、そのまま物語のひとつの動因にもなっています。
読み進むうち、書名がなんで「韃靼の馬」なの?という疑問が起こりました。
それが解けるのはやっと第二部に入ってからです。第一部から十数年後。将軍吉宗所望の「韃靼の馬」を求めて主人公たちがモンゴルまで冒険の旅に出るというのが物語の主軸です。
辻原登の言によれば「馬将軍と言われる吉宗が『清馬より、いい馬はないか』と望んだのは史実」で、「この小説はまずタイトルが浮かんだ」のだそうです。(→コチラ参照。)
第一部が日朝間の貿易や文化交流や通信使をめぐる挿話等の史実に密着したオーソドックスな歴史小説であるのに対して、第二部は朝鮮~モンゴルを主舞台にした冒険小説的な要素が色濃くなっています。
※ラスト近くには鬱陵島まで出てきます。そしてこんな会話もちゃっかり入れています。
「やあ、きょうはよくみえるぞ、あそこからはもう日本だと先生が教えてくれた。松島(現・竹島)というらしいが、岩だらけのちっぽけな島だ」。
私ヌルボの10段階評価では(←よくないクセかも)、第一部が9、第二部が7.5で、全体としては8.5といったところ。
第一部の緻密な描写の魅力が第二部では薄れてやや大味で、展開もほぼ予定調和的になっている印象を受けました。
ただ、近年の芥川賞作品では心を病んだ主人公の身辺雑記的なものが多く、読んでいる自分まで鬱々とした気分になってしまうのに対して、この芥川賞作家・辻原登の小説は「おもしろくてためになる」ストーリーテリングの魅力は十分。また別の作品を読んでみようという気になりました。
なお、純文学系の歴史小説では、以前よく読んだ井上靖の歴史小説(「蒼き狼」等)を思い出しました。アクション度(←こんな言葉ある?)では「韃靼の馬」に軍配が上がりますが、抒情性という点では井上靖が優っていると思います。)
上記のように、史実と虚構が巧みに組み合わされているため、そこにこだわる私ヌルボとしてはその判別にかなり手間取りました。まだわからない点も多々あります。
以下、それら「ためになった」箇所のメモを列挙しておきします。
・阿比留文字・・・トンデモ本ぽい神代文字の1つかな? ハングルと共通点多し。→ウィキペディア。
・広大(クァンデ)=旅芸人の演じるチュルタギ(綱渡り)は次の4つの基本芸の組み合わせからなる。以下は本書の引き写し。辻原さん、どこで調べたんだろ?(その1)
①トゥイサンホンジァビ=綱の真ん中に立ち、1回宙返りのあと、綱を両足で挟んですわる。②トゥムルプクルキ=すわった状態から跳び上がり、降りる瞬間身体を45度ひねって両膝で綱にすわる。③トゥムルカセトゥルム=両膝ついた姿勢から跳び上がり、左に180度ひねって両爪先で綱に乗る。④ホゴンチャビ=宙返りの連続技。
・雲南白葯(うんなんびゃく(はく)やく)・・・漢方の秘薬。ネット通販だと10ml×30本で1万5千円とあるのを見たなー、うーむ・・・。
・ヒトツバタゴ・・・対馬には3千本を越える自生木があり、5月初旬にいっせいに花をつける。「この木が雪を被ったように一面に白い花をつけ、散った花で海が真っ白になる」とか。その時期に対馬に行ってみたいなー。姉妹都市の岐阜県中津川市もヒトツバタゴの自生地。
・保命酒・・・福山の健康酒、かな? 東京駅近くの<TAU-広島ブランドショップ->でも売っているようです。
・アストロラーベ・・・天体観測機器。これも知らなかったなー。→ウィキペディア。
・通信使メンバーによる鶏泥棒・・・ネット上でも話題(議論)になっていますが、その<事件>は1748年の通信使のことで場所も大坂(本書では福山)です。
・伝書鳩・・・この時代の日本で用いられることがあったのか。伝書鳩で堂島の米相場の情報を伝えたかどで罰せられた大坂の相場師もいたことは→ウィキペディアで知りました。
・通信使一行は大坂の浪華江(淀川)の河口の九条の港で朝鮮船から航川用の平底船に乗り換える。これを「船改め」という。(数万の群衆が見物に押しかける。←ホンマかいな?)
西進すると川は堂島川と土佐堀川に分かれるが、船は土佐堀からに入り、天神橋で上陸。行列は土佐堀通り→北浜→堺筋→道修町→御堂筋を進んで・・・。
・北御堂(西本願寺津村別院)客館・・・大阪駅からほど近い(地下鉄本町駅から至近)のここが朝鮮通信使の迎賓館だったのか。参考→コチラと→コチラ。
・通信使の一員(従事官)が案内されて行った堂島米会所のようすは興味深い。米会所といっても米俵等はなく、つまりは「たてり」(先物取引)が行われていたのです。登場人物の言葉で、読者にもわかりやすく説明されています。(それでもフクザツ。)
※西鶴の「日本永代蔵」に唐金屋という大坂人がたてり商いで大もうけする話がある、と本書中の登場人物の唐金屋が語っています。
※その従事官の心中の描写。これはフィクションでしょう。「口外しないでおこう」とあるし・・・。
「きょう、米会所で体験したこと、・・・垣間見た奇妙な世界については決して口外しないでおこう。・・・わが朝鮮は、儒教の教えで国を支え律しているが、それとは全く異質の思想がこの国で生まれ、深く根付いている。数字にもとづいて符牒を操り、巨額の金銭を動かすという方法が発明され、それを体現した人間が商品経済の中心にいる。このことは、我が国や大陸の将来に暗い影を投げかけてくるような気がしてならない・・・・。」
・李礥(イヒョン)・・・通信使の製述官という重要なポストにある彼は実在の人物なんですね。「野牛村の領主であった新井白石が李礥に書いてもらった」という扁額が埼玉県白岡市野牛の久伊豆神社にあるそうです。(→コチラ参照。)
「科挙でトップ合格」したが「庶子の生まれ」ということが大きな「泣きどころ」とは(事実だとすると)、どこで調べたんだろ?(その2) しかし「極端に原則を振りかざす性格」とか、さらには彼のもう1つの「泣きどころ」というのが痔疾というのはどこまでホントなんだか・・・。
・「<恵比須堂>の不思議膏」が痔疾に効果、とあるのは<大黒堂>のことかな?虎斑
・虎斑(とらふ)ヤマネコ・・・・と本書にあるのはツシマヤマネコのことと思われます。日本国内のネコは、イエネコ以外では対馬のツシマヤマネコと西表島のイリオモテヤマネコの2種のヤマネコのみ、だそうです。ともに絶滅が危惧される希少動物です。→ウィキペディア。
・諱(いみな)法・・・将軍から朝鮮国王への返書の文中に、16世紀の国王・中宗の諱の「懌(エキ)」の字があることを正使・趙泰億が強く抗議。幕府側はこれに対して朝鮮の国書中に3代将軍家光の諱「光」があることを指摘。結局双方が改めることとなった。←これも史実に基づいているのでしょうか?
・キタタキ・・・キツツキ科の鳥。もともと朝鮮半島と日本の対馬で確認されていたが、対馬では森林伐採で生息地が失われたり、博物館の標本用等のため乱獲されてほとんど姿を消してしまった。1920年に対馬で1つがいの標本が発見され、1923年には天然記念物に指定されたが、50年間確認がされなかったため1972年に指定が解除された。
韓国でも森林伐採の拡大により希少種となり、1952年に保護動物に指定されたが、1978年までにほとんど姿を見ることができなくなった。1993年に南北間の非武装中立地帯で1つがいが発見されている。現在は京畿道の国立樹木園の森林に数つがいが生息しているとされる。今日、この亜種が最も多く生息するのは北朝鮮である。→ウィキペディア。
・哥老会・・・中国近代の反体制秘密結社。哥弟会などともいう。その起源はアヘン戦争以前にさかのぼるようだが、太平天国滅亡後の湘軍解散にともない長江流域一帯に広く勢力を分布するにいたった。もともと<反清復明>の伝統をもつ下層民衆の相互扶助的組織だったが、排外暴動の組織者として著名である。のち辛亥革命の際にも重要な役割をはたした。→コトバンク。
・大宛(フェルガーナ)の汗血馬・・・世界史でちょっと出てきたな。→ウィキペディア。本書では、張騫のこと等けっこう詳しく書かれています。
・「♪サケサオ サケサオ オラムバエトルリ サケオサ」・・・鞦韆(ぶらんこ.クネ)に乗って歌う歌の歌詞。意味不明。→그네뛰기(ぶらんこ遊び)の風俗等について記した→コチラの韓国サイトに海州(ヘジュ)地方のぶらんこ関係の民謡が紹介されていますが、その歌詞中に「사게사오 사게 사오/오람배 뚤리 사게사오(サゲサオ サゲサオ/オラムベトゥルリ サゲサオ)」という一節があります。しかし、こんな歌について辻原さん、どこで調べたんだろ?(その3)
・海参・・・いりこ(干しナマコ)のこと。その効果が高麗人参に匹敵し、かついりこの形状が人参に似ているところから海参と名付けられた。・・・って、ナマコのことを韓国語ではふつうに해삼(ヘサム)というのですが、その漢字表記がこれで、こういう意味だったとは知らなかったわー!
・会寧の市・・・公市→私市→馬市の順に開かれ・・・とか、とか、街のようすとか、史実と作者の想像との境目がわかりません。会寧窯は昔から知られた陶器の産地で、唐津焼にも影響を及ぼした(?)とか・・・。→参考。
・主人公夫婦が吐含山(トハムサン)の樹木と藪に埋もれてしまった石窟に行き、御堂の中央に安置されている高さ十六尺余(4.84m)の釈迦如来像の前に立つ場面があります。つまり、あの石窟庵。ホントにサービス満点、というか・・・。しかしウィキペディアによると像の高さは3.4mとなってるんですけど。まあいいですけど。
・最後の方でロシア人まで登場。「(ピョートル)大帝は只今、御不例・・・」なんて言葉も・・・。
また「ネルチンスク条約はロシア語と満語、それに羅甸語で書かれている。おそらくこのたびのキャフタでもそうなるだろう」とも。
※キャフタを漢字で「怡古图」と書いてあって、「そーか、知らなかったなー」と思いつつ、一応確認したら「恰克图」が正しいみたいですよ。
※この小説にハマった<かぶとん>さんのブログ記事は→コチラ。いろいろ詳しく書かれているので、参考にさせていただきました。
この小説の時代設定は18世紀初め。将軍の侍講として幕政を担当していた新井白石が<正徳の治>とよばれる幕政の改革を進めていた時期です。
【600ページを超える大部ですが、読み始めたら一気!】
主人公は対馬藩士の青年・阿比留克人。雨森芳洲の薫陶を受けて朝鮮語に通じている彼は、朝鮮の倭館にあって、朝鮮側の役人等と直接交渉にあたる任務を担当しています。また彼は薩南示現流の使い手として武芸にも秀でています。
物語は大きく第一部と第二部に分かれています。
第一部では、1711年(正徳元年)朝鮮通信使を迎え入れ、その一行の対馬を経て江戸まで往復する間の物語で、幕府と朝鮮、そして対馬藩のせめぎ合いと、その中での阿比留克人の活躍が描かれています。
読んでいて思うのは、この作家が史実をディテールまで詳しく書き込むとともに、そこに巧みにフィクションを織り交ぜてのびやかにストーリーを展開しているということ。
日本史の教科書にも書かれている<朝鮮使節の待遇簡素化>という新井白石の基本施策とその背景もきちんと説明されているし、また朝鮮側からの将軍の呼称を<日本大君>というから<日本国王>に改めさせるという史実については、そのまま物語のひとつの動因にもなっています。
読み進むうち、書名がなんで「韃靼の馬」なの?という疑問が起こりました。
それが解けるのはやっと第二部に入ってからです。第一部から十数年後。将軍吉宗所望の「韃靼の馬」を求めて主人公たちがモンゴルまで冒険の旅に出るというのが物語の主軸です。
辻原登の言によれば「馬将軍と言われる吉宗が『清馬より、いい馬はないか』と望んだのは史実」で、「この小説はまずタイトルが浮かんだ」のだそうです。(→コチラ参照。)
第一部が日朝間の貿易や文化交流や通信使をめぐる挿話等の史実に密着したオーソドックスな歴史小説であるのに対して、第二部は朝鮮~モンゴルを主舞台にした冒険小説的な要素が色濃くなっています。
※ラスト近くには鬱陵島まで出てきます。そしてこんな会話もちゃっかり入れています。
「やあ、きょうはよくみえるぞ、あそこからはもう日本だと先生が教えてくれた。松島(現・竹島)というらしいが、岩だらけのちっぽけな島だ」。
私ヌルボの10段階評価では(←よくないクセかも)、第一部が9、第二部が7.5で、全体としては8.5といったところ。
第一部の緻密な描写の魅力が第二部では薄れてやや大味で、展開もほぼ予定調和的になっている印象を受けました。
ただ、近年の芥川賞作品では心を病んだ主人公の身辺雑記的なものが多く、読んでいる自分まで鬱々とした気分になってしまうのに対して、この芥川賞作家・辻原登の小説は「おもしろくてためになる」ストーリーテリングの魅力は十分。また別の作品を読んでみようという気になりました。
なお、純文学系の歴史小説では、以前よく読んだ井上靖の歴史小説(「蒼き狼」等)を思い出しました。アクション度(←こんな言葉ある?)では「韃靼の馬」に軍配が上がりますが、抒情性という点では井上靖が優っていると思います。)
上記のように、史実と虚構が巧みに組み合わされているため、そこにこだわる私ヌルボとしてはその判別にかなり手間取りました。まだわからない点も多々あります。
以下、それら「ためになった」箇所のメモを列挙しておきします。
・阿比留文字・・・トンデモ本ぽい神代文字の1つかな? ハングルと共通点多し。→ウィキペディア。
・広大(クァンデ)=旅芸人の演じるチュルタギ(綱渡り)は次の4つの基本芸の組み合わせからなる。以下は本書の引き写し。辻原さん、どこで調べたんだろ?(その1)
①トゥイサンホンジァビ=綱の真ん中に立ち、1回宙返りのあと、綱を両足で挟んですわる。②トゥムルプクルキ=すわった状態から跳び上がり、降りる瞬間身体を45度ひねって両膝で綱にすわる。③トゥムルカセトゥルム=両膝ついた姿勢から跳び上がり、左に180度ひねって両爪先で綱に乗る。④ホゴンチャビ=宙返りの連続技。
・雲南白葯(うんなんびゃく(はく)やく)・・・漢方の秘薬。ネット通販だと10ml×30本で1万5千円とあるのを見たなー、うーむ・・・。
・ヒトツバタゴ・・・対馬には3千本を越える自生木があり、5月初旬にいっせいに花をつける。「この木が雪を被ったように一面に白い花をつけ、散った花で海が真っ白になる」とか。その時期に対馬に行ってみたいなー。姉妹都市の岐阜県中津川市もヒトツバタゴの自生地。
・保命酒・・・福山の健康酒、かな? 東京駅近くの<TAU-広島ブランドショップ->でも売っているようです。
・アストロラーベ・・・天体観測機器。これも知らなかったなー。→ウィキペディア。
・通信使メンバーによる鶏泥棒・・・ネット上でも話題(議論)になっていますが、その<事件>は1748年の通信使のことで場所も大坂(本書では福山)です。
・伝書鳩・・・この時代の日本で用いられることがあったのか。伝書鳩で堂島の米相場の情報を伝えたかどで罰せられた大坂の相場師もいたことは→ウィキペディアで知りました。
・通信使一行は大坂の浪華江(淀川)の河口の九条の港で朝鮮船から航川用の平底船に乗り換える。これを「船改め」という。(数万の群衆が見物に押しかける。←ホンマかいな?)
西進すると川は堂島川と土佐堀川に分かれるが、船は土佐堀からに入り、天神橋で上陸。行列は土佐堀通り→北浜→堺筋→道修町→御堂筋を進んで・・・。
・北御堂(西本願寺津村別院)客館・・・大阪駅からほど近い(地下鉄本町駅から至近)のここが朝鮮通信使の迎賓館だったのか。参考→コチラと→コチラ。
・通信使の一員(従事官)が案内されて行った堂島米会所のようすは興味深い。米会所といっても米俵等はなく、つまりは「たてり」(先物取引)が行われていたのです。登場人物の言葉で、読者にもわかりやすく説明されています。(それでもフクザツ。)
※西鶴の「日本永代蔵」に唐金屋という大坂人がたてり商いで大もうけする話がある、と本書中の登場人物の唐金屋が語っています。
※その従事官の心中の描写。これはフィクションでしょう。「口外しないでおこう」とあるし・・・。
「きょう、米会所で体験したこと、・・・垣間見た奇妙な世界については決して口外しないでおこう。・・・わが朝鮮は、儒教の教えで国を支え律しているが、それとは全く異質の思想がこの国で生まれ、深く根付いている。数字にもとづいて符牒を操り、巨額の金銭を動かすという方法が発明され、それを体現した人間が商品経済の中心にいる。このことは、我が国や大陸の将来に暗い影を投げかけてくるような気がしてならない・・・・。」
・李礥(イヒョン)・・・通信使の製述官という重要なポストにある彼は実在の人物なんですね。「野牛村の領主であった新井白石が李礥に書いてもらった」という扁額が埼玉県白岡市野牛の久伊豆神社にあるそうです。(→コチラ参照。)
「科挙でトップ合格」したが「庶子の生まれ」ということが大きな「泣きどころ」とは(事実だとすると)、どこで調べたんだろ?(その2) しかし「極端に原則を振りかざす性格」とか、さらには彼のもう1つの「泣きどころ」というのが痔疾というのはどこまでホントなんだか・・・。
・「<恵比須堂>の不思議膏」が痔疾に効果、とあるのは<大黒堂>のことかな?虎斑
・虎斑(とらふ)ヤマネコ・・・・と本書にあるのはツシマヤマネコのことと思われます。日本国内のネコは、イエネコ以外では対馬のツシマヤマネコと西表島のイリオモテヤマネコの2種のヤマネコのみ、だそうです。ともに絶滅が危惧される希少動物です。→ウィキペディア。
・諱(いみな)法・・・将軍から朝鮮国王への返書の文中に、16世紀の国王・中宗の諱の「懌(エキ)」の字があることを正使・趙泰億が強く抗議。幕府側はこれに対して朝鮮の国書中に3代将軍家光の諱「光」があることを指摘。結局双方が改めることとなった。←これも史実に基づいているのでしょうか?
・キタタキ・・・キツツキ科の鳥。もともと朝鮮半島と日本の対馬で確認されていたが、対馬では森林伐採で生息地が失われたり、博物館の標本用等のため乱獲されてほとんど姿を消してしまった。1920年に対馬で1つがいの標本が発見され、1923年には天然記念物に指定されたが、50年間確認がされなかったため1972年に指定が解除された。
韓国でも森林伐採の拡大により希少種となり、1952年に保護動物に指定されたが、1978年までにほとんど姿を見ることができなくなった。1993年に南北間の非武装中立地帯で1つがいが発見されている。現在は京畿道の国立樹木園の森林に数つがいが生息しているとされる。今日、この亜種が最も多く生息するのは北朝鮮である。→ウィキペディア。
・哥老会・・・中国近代の反体制秘密結社。哥弟会などともいう。その起源はアヘン戦争以前にさかのぼるようだが、太平天国滅亡後の湘軍解散にともない長江流域一帯に広く勢力を分布するにいたった。もともと<反清復明>の伝統をもつ下層民衆の相互扶助的組織だったが、排外暴動の組織者として著名である。のち辛亥革命の際にも重要な役割をはたした。→コトバンク。
・大宛(フェルガーナ)の汗血馬・・・世界史でちょっと出てきたな。→ウィキペディア。本書では、張騫のこと等けっこう詳しく書かれています。
・「♪サケサオ サケサオ オラムバエトルリ サケオサ」・・・鞦韆(ぶらんこ.クネ)に乗って歌う歌の歌詞。意味不明。→그네뛰기(ぶらんこ遊び)の風俗等について記した→コチラの韓国サイトに海州(ヘジュ)地方のぶらんこ関係の民謡が紹介されていますが、その歌詞中に「사게사오 사게 사오/오람배 뚤리 사게사오(サゲサオ サゲサオ/オラムベトゥルリ サゲサオ)」という一節があります。しかし、こんな歌について辻原さん、どこで調べたんだろ?(その3)
・海参・・・いりこ(干しナマコ)のこと。その効果が高麗人参に匹敵し、かついりこの形状が人参に似ているところから海参と名付けられた。・・・って、ナマコのことを韓国語ではふつうに해삼(ヘサム)というのですが、その漢字表記がこれで、こういう意味だったとは知らなかったわー!
・会寧の市・・・公市→私市→馬市の順に開かれ・・・とか、とか、街のようすとか、史実と作者の想像との境目がわかりません。会寧窯は昔から知られた陶器の産地で、唐津焼にも影響を及ぼした(?)とか・・・。→参考。
・主人公夫婦が吐含山(トハムサン)の樹木と藪に埋もれてしまった石窟に行き、御堂の中央に安置されている高さ十六尺余(4.84m)の釈迦如来像の前に立つ場面があります。つまり、あの石窟庵。ホントにサービス満点、というか・・・。しかしウィキペディアによると像の高さは3.4mとなってるんですけど。まあいいですけど。
・最後の方でロシア人まで登場。「(ピョートル)大帝は只今、御不例・・・」なんて言葉も・・・。
また「ネルチンスク条約はロシア語と満語、それに羅甸語で書かれている。おそらくこのたびのキャフタでもそうなるだろう」とも。
※キャフタを漢字で「怡古图」と書いてあって、「そーか、知らなかったなー」と思いつつ、一応確認したら「恰克图」が正しいみたいですよ。
※この小説にハマった<かぶとん>さんのブログ記事は→コチラ。いろいろ詳しく書かれているので、参考にさせていただきました。
「トンデモ」系の分野といえそうですが、そのわりには長い歴史があるのですね。つまり、後世の創作・捏造だったとしてもそれ自体なんらかの意味があるということ。
ぜひブログ記事にまとめて下さることを期待しています。