→<最近読んだ韓国本いろいろ ①期待外れだった小説3つ>
→<最近読んだ韓国本いろいろ ②唯一感動した小説は、18年ぶりに再読した「神の杖」>
金来成(キム・ネソン)「魔人」(論創社.2014) ★★★★
金来成(キム・ネソン.1909~57)のことは、1年ほど前だったか、本書の訳者・祖田律男さんの執筆による「韓国のミステリー事情 その2 金来成と金聖鐘」→コチラの記事で知りました。また<アジアミステリリーグ>中の「韓国ミステリ史 特別編 - 金来成」(→【1】、→ 【2】)には彼の生涯や作品等々について詳述されています。
金来成の最初の作品は、早稲田大の学生だった1935年に探偵小説専門誌に日本語で書いて投稿し入選した短編「楕円形の鏡」で、以後50年代まで作品を出し続け、「韓国推理小説の創始者」とされています。
さて、この「魔人」ですが、1939年に「朝鮮日報」で連載されて人気を博し、同年に単行本も刊行され版を重ねた探偵小説です。金来成の代表作であるとともに、「韓国推理小説はすべてこの一冊の小説で開始された!」(2009年韓国で刊行された時の出版社のふれこみ)という作品です。
私ヌルボ、半年ほど前にたまたま横浜市立図書館の韓国小説の棚を眺めていたらこの本が目に入ったので、借りてきてイッキ読みしました。
読んでみると、なるほど探偵小説です。ずーっと昔読んだ江戸川乱歩を思い起こしました。たとえば冒頭。京城市内明水臺(ミョンスデ)にある世界的な舞姫・<孔雀夫人>こと朱恩夢(チュ・ウンモン)の邸宅での仮装舞踏会の場面で、朱恩夢は道化師姿(!)の怪しい男に襲われます。彼女は軽傷で済みましたが、その後も海月(ヘウォル)と名乗る謎の人物から脅迫めいた手紙が続けて届けられるのです。
「世界的な舞姫」というと、ピンとくる人もいるのでは? そう、当時人気絶頂だった崔承喜(チェ・スンヒ)がモデルです。祖田さんのあとがきによると、彼女は1937~40年世界各地で公演して賞賛を得ていたとか。37年2月には京都宝塚劇場での公演中ナイフを持った男に襲撃されたりもして(本人は無事)注目度が高かったこともこの小説の人気を高めた一因となったそうです。
探偵小説であるからには当然探偵が登場します。ただ、探偵らしき人物が3人ばかり(?)登場するのは<ヴァン・ダインの二十則>(→コチラ)中の「探偵役は一人が望ましい」に抵触しそう。しかし本物の探偵は名前からも推察がつく(かな?)劉不亂(ユ・ブラン)。もちろん怪盗ルパンの生みの親モーリス・ルブランのもじり。なお、<二十則>には「不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない」という項目がありますが、これにも引っかかるかもしれません。
しかし、ラスト近くなるとアクションシーンもあり、どんでん返しもありでなかなか楽しめました。また、当時の京城の風俗も垣間見られます。
読み終えて、「これは映画にもなりそうだな」と思ったら、何のことはない、実際映画になっていました。
12月6日に京橋のフィルムセンターで韓模(ハン・ヒョンモ)監督の「青春双曲線」(1956)を観たのですが、上映後の梁仁實(ヤン・インシル)岩手大准教授のトークによると、韓模監督が撮った新しいスタイルの映画の例としてこの金来成作品を原作とした「魔人」(1957)があげられていました。
その後<韓国映像資料院>のサイト(→コチラ)を見ると、金来成の「魔人」は韓模監督と林元植(イム・ウォンシク)監督(1969)により2度映画化されたが、現在両作品ともフィルムが失われて観ることができない状況とのことです。ただ前者はスチール写真、後者はシナリオが残っていておよその雰囲気は推察されるそうですが・・・。つまり、韓模監督作品は「自由夫人」のようなモダンな時代感覚を映像化し、林元植監督はアクションに特色があるといったことのようです。
韓模監督「魔人」のポスターです。(女性探偵は登場しないのですが・・・。)
下の画像は1957年2月27日付「京郷新聞」掲載の広告。(→コチラの記事より。)
金来成の小説については、1つ前の記事の最後に書いた、目下読んでいる途中の安素玲「詩人/東柱」にも出てきました。1938年延禧専門学校(現・延世大学校)1年生だった尹東柱が中国・龍井の実家に帰省した時、弟の一柱は、東柱が毎月送っていた雑誌「少年」中の連載小説・金来成の「白仮面」を夢中になって読んでいたというくだりがあるのです。「詩人/東柱」は小説ですが、宋友恵「尹東柱評伝」(藤原書店)等をふまえた史実に則った伝記です。
「少年」は朝鮮日報社発行で、東柱は翌1939年からその学生欄に散文や詩を投稿し、掲載もされています。
上の画像は雑誌「少年」掲載の「白仮面」。(→「京郷新聞」の記事。) 「いかにも」という挿絵ですね。
内容は、初登場の探偵ユ・ブランが盗賊白仮面と対決する物語とのことですが詳細は不明。尹一柱のみならず当時の子どもたちを熱狂させたそうです。
1937年盧溝橋事件により日中戦争が始まり、38年は国家総動員法制定、39年はヨーロッパで第二次世界大戦が勃発します。こうした時代で、植民地朝鮮でもさまざまな統制が進む中、世相風俗の面ではこうした小説や映画のように<モダン>な要素も存続していたというわけです。
「魔人」のことから派生していろいろ探っていくと、いろんな人物や作品等が交錯していることがパノラマのように見えてきて、一人感懐に耽ってしまいました。
次は「あの」韓国版「風と共に去りぬ」とも言われる国民的な大河小説朴景利「土地」を無謀にも(笑)取り上げるつもりですが、どうなることか・・・。
→<最近読んだ韓国本いろいろ ②唯一感動した小説は、18年ぶりに再読した「神の杖」>
金来成(キム・ネソン)「魔人」(論創社.2014) ★★★★
金来成(キム・ネソン.1909~57)のことは、1年ほど前だったか、本書の訳者・祖田律男さんの執筆による「韓国のミステリー事情 その2 金来成と金聖鐘」→コチラの記事で知りました。また<アジアミステリリーグ>中の「韓国ミステリ史 特別編 - 金来成」(→【1】、→ 【2】)には彼の生涯や作品等々について詳述されています。
金来成の最初の作品は、早稲田大の学生だった1935年に探偵小説専門誌に日本語で書いて投稿し入選した短編「楕円形の鏡」で、以後50年代まで作品を出し続け、「韓国推理小説の創始者」とされています。
さて、この「魔人」ですが、1939年に「朝鮮日報」で連載されて人気を博し、同年に単行本も刊行され版を重ねた探偵小説です。金来成の代表作であるとともに、「韓国推理小説はすべてこの一冊の小説で開始された!」(2009年韓国で刊行された時の出版社のふれこみ)という作品です。
私ヌルボ、半年ほど前にたまたま横浜市立図書館の韓国小説の棚を眺めていたらこの本が目に入ったので、借りてきてイッキ読みしました。
読んでみると、なるほど探偵小説です。ずーっと昔読んだ江戸川乱歩を思い起こしました。たとえば冒頭。京城市内明水臺(ミョンスデ)にある世界的な舞姫・<孔雀夫人>こと朱恩夢(チュ・ウンモン)の邸宅での仮装舞踏会の場面で、朱恩夢は道化師姿(!)の怪しい男に襲われます。彼女は軽傷で済みましたが、その後も海月(ヘウォル)と名乗る謎の人物から脅迫めいた手紙が続けて届けられるのです。
「世界的な舞姫」というと、ピンとくる人もいるのでは? そう、当時人気絶頂だった崔承喜(チェ・スンヒ)がモデルです。祖田さんのあとがきによると、彼女は1937~40年世界各地で公演して賞賛を得ていたとか。37年2月には京都宝塚劇場での公演中ナイフを持った男に襲撃されたりもして(本人は無事)注目度が高かったこともこの小説の人気を高めた一因となったそうです。
探偵小説であるからには当然探偵が登場します。ただ、探偵らしき人物が3人ばかり(?)登場するのは<ヴァン・ダインの二十則>(→コチラ)中の「探偵役は一人が望ましい」に抵触しそう。しかし本物の探偵は名前からも推察がつく(かな?)劉不亂(ユ・ブラン)。もちろん怪盗ルパンの生みの親モーリス・ルブランのもじり。なお、<二十則>には「不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない」という項目がありますが、これにも引っかかるかもしれません。
しかし、ラスト近くなるとアクションシーンもあり、どんでん返しもありでなかなか楽しめました。また、当時の京城の風俗も垣間見られます。
読み終えて、「これは映画にもなりそうだな」と思ったら、何のことはない、実際映画になっていました。
12月6日に京橋のフィルムセンターで韓模(ハン・ヒョンモ)監督の「青春双曲線」(1956)を観たのですが、上映後の梁仁實(ヤン・インシル)岩手大准教授のトークによると、韓模監督が撮った新しいスタイルの映画の例としてこの金来成作品を原作とした「魔人」(1957)があげられていました。
その後<韓国映像資料院>のサイト(→コチラ)を見ると、金来成の「魔人」は韓模監督と林元植(イム・ウォンシク)監督(1969)により2度映画化されたが、現在両作品ともフィルムが失われて観ることができない状況とのことです。ただ前者はスチール写真、後者はシナリオが残っていておよその雰囲気は推察されるそうですが・・・。つまり、韓模監督作品は「自由夫人」のようなモダンな時代感覚を映像化し、林元植監督はアクションに特色があるといったことのようです。
韓模監督「魔人」のポスターです。(女性探偵は登場しないのですが・・・。)
下の画像は1957年2月27日付「京郷新聞」掲載の広告。(→コチラの記事より。)
金来成の小説については、1つ前の記事の最後に書いた、目下読んでいる途中の安素玲「詩人/東柱」にも出てきました。1938年延禧専門学校(現・延世大学校)1年生だった尹東柱が中国・龍井の実家に帰省した時、弟の一柱は、東柱が毎月送っていた雑誌「少年」中の連載小説・金来成の「白仮面」を夢中になって読んでいたというくだりがあるのです。「詩人/東柱」は小説ですが、宋友恵「尹東柱評伝」(藤原書店)等をふまえた史実に則った伝記です。
「少年」は朝鮮日報社発行で、東柱は翌1939年からその学生欄に散文や詩を投稿し、掲載もされています。
上の画像は雑誌「少年」掲載の「白仮面」。(→「京郷新聞」の記事。) 「いかにも」という挿絵ですね。
内容は、初登場の探偵ユ・ブランが盗賊白仮面と対決する物語とのことですが詳細は不明。尹一柱のみならず当時の子どもたちを熱狂させたそうです。
1937年盧溝橋事件により日中戦争が始まり、38年は国家総動員法制定、39年はヨーロッパで第二次世界大戦が勃発します。こうした時代で、植民地朝鮮でもさまざまな統制が進む中、世相風俗の面ではこうした小説や映画のように<モダン>な要素も存続していたというわけです。
「魔人」のことから派生していろいろ探っていくと、いろんな人物や作品等が交錯していることがパノラマのように見えてきて、一人感懐に耽ってしまいました。
次は「あの」韓国版「風と共に去りぬ」とも言われる国民的な大河小説朴景利「土地」を無謀にも(笑)取り上げるつもりですが、どうなることか・・・。
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