ドラマ「英雄時代」。日帝時代のヒロインは何といってもソソンですね。
テサンの幼なじみで将来を誓った女性。しかし父親と死に別れ、京城に行って妓生になります。
第6話では、<妓房(기방)>という言葉を字幕では遊郭と訳していました。
かと思えば、第9話では<検番(검번)>を育成所と訳しています。
ソソンが筆を持って「無汗不成」と書いていますが、会話の中で「京城には、ここ(朝鮮検番)以外にも4箇所(←3箇所の誤りでは?)の育成所がある」、「数百人の妓生にも等級がある」という説明がありました。
第11話では「朝鮮検番」という看板が映し出されていました。
さらに第13話では会話の中で「(妓生は)大同検番、漢城検番、朝鮮検番、漢南検番、87人もいますよ」という説明もありました。
私ヌルボがひっかかったのは検番を育成所と訳していたこと。
たしかに、訳しにくいジャンルでもあるし、時代も変わって、日本人でも検番を全く知らないか、聞いた言葉であっても意味を正確には知らない人がほとんどでしょう。
実はヌルボも後者で、なんとなく置屋のことだろうと思っていたのですが、必ずしもそうともいえないようです。置屋を統括する所、というケースもあるそうです。
日本統治の時代の朝鮮の検番はどういうものだったか、韓国のサイトを探すと、<草麗의 역사사랑>というサイト中に詳しい説明がありました。長文ですが、翻訳してみました。
日帝強占期(일제강점기←よく使われる言葉)に、妓生たちが妓籍を置いていた組合で、朝鮮時代の妓生庁の後身である券番(권번)があった。検番(검번)または券班(권반)とも書かれたが、ソウルには漢城券番•大東(大同?)券番•漢南券番•朝鮮券番、平壌には箕城券番などがあり、その他釜山、大邱、光州、南原、開城、咸興、晋州等にも各々券番があった。
この券番では童妓に歌や踊りを教えて妓生を養成する一方、妓生たちの料亭への出入りを指揮し、彼女たちの花代(화대←そのまんま)を受け渡す役割も担当した。当時妓生たちは許可制になっていて、券番に籍を置いて税金を納めるようになっていた。これらの券番妓生は他の妓女たちとは厳格に区別されていた。
1941年まで平壌には妓生学校があった。妓籍に籍を置いて歌を歌って人気を集めた人物としては鮮于一扇(선우일선.ソヌイルソン)、왕수복(王壽福.ワン・スボク)がとくに有名だった。彼女たちが歌を吹き込むために平壌からソウルに来る時は、レコード会社幹部たちは人力車をソウル駅に待機させておいて勅使のような接待をした。日本にある録音室で吹き込みをして帰ってくる時までは、歓待は並大抵のものではなかった。
また1940年代大衆歌謡界を牛耳った李花子(이화자)は券番所属の妓生ではなく、一般遊興街の酒場出身で、天賦の資質と大きな影響力をもった1936年に登場した歌手だ。
わが国の初期大衆音楽界に妓生たちの活躍が目立った理由は、いわゆる「タンタラ(딴따라.音楽関係の芸人に対する蔑称)」という賤視意識によって一般人たちは歌手になるという考えを最初から退けていたので、レコード会社も自然に芸能に素質がある妓生に関心を持つ外なかったのである。
・・・やはり、たしかに歌や踊りを教えたりして妓生を育成する所ではあるわけですが、それを<育成所>と訳してしまうと、なにか重要なもろもろがあらいざらい振り落とされてしまうような感じがしますねー。意味が今ひとつ(それ以上?)わからなくても、検番は検番のままの方がいいような気がします。
さて、(日本の)視聴者のおそらく皆が感じたであろうことが、相思相愛のテサンとソソンの結婚を認めようとしないテサンの父親の頑迷さに対する憤り、そしてソソンがかわいそう、という同情心ではないでしょうか?
日本でも昔から芸能に携わる人々に対する差別は長く続いてきましたが、朝鮮でも同様、あるいはそれ以上だったかもしれません。
日本の場合木戸孝允、伊藤博文、陸奥宗光等々芸妓を妻にした政治家の例は何人もいましたが、朝鮮の身分の高い男性が妓生と結婚するということはとても考えられないことだったようです。また、このドラマのように、いくら貧乏暮らしをしているとはいえ両班の家柄の跡取りが妓生と結婚するということも、1940年頃でもありえなかったということで、テサンの父親がとくに頑迷だったということではないと理解すべきでしょう。
なお、川村湊「妓生-もの言う花の文化誌」(作品社.2001年)によれば、「私が「妓生」の歴史を調べてみたところ、参考になる先行文献は李能和の「朝鮮解語花史」という本しかなかった」とのことです。
つまり、久しく朝鮮・韓国では、妓生を学問の対象に設定すること自体が忌避されてきたということのようです。
それはちょうど、日本で芸者についての本格的な学術書が書かれなかったということと同様の背景があった、ということと相通じるものがある、ということです。
※この件については、<犬鍋のヨロナラ漫談>を参照のこと。
→(1)(2)(3)(4)(5)(6)
テサンの幼なじみで将来を誓った女性。しかし父親と死に別れ、京城に行って妓生になります。
第6話では、<妓房(기방)>という言葉を字幕では遊郭と訳していました。
かと思えば、第9話では<検番(검번)>を育成所と訳しています。
ソソンが筆を持って「無汗不成」と書いていますが、会話の中で「京城には、ここ(朝鮮検番)以外にも4箇所(←3箇所の誤りでは?)の育成所がある」、「数百人の妓生にも等級がある」という説明がありました。
第11話では「朝鮮検番」という看板が映し出されていました。
さらに第13話では会話の中で「(妓生は)大同検番、漢城検番、朝鮮検番、漢南検番、87人もいますよ」という説明もありました。
私ヌルボがひっかかったのは検番を育成所と訳していたこと。
たしかに、訳しにくいジャンルでもあるし、時代も変わって、日本人でも検番を全く知らないか、聞いた言葉であっても意味を正確には知らない人がほとんどでしょう。
実はヌルボも後者で、なんとなく置屋のことだろうと思っていたのですが、必ずしもそうともいえないようです。置屋を統括する所、というケースもあるそうです。
日本統治の時代の朝鮮の検番はどういうものだったか、韓国のサイトを探すと、<草麗의 역사사랑>というサイト中に詳しい説明がありました。長文ですが、翻訳してみました。
日帝強占期(일제강점기←よく使われる言葉)に、妓生たちが妓籍を置いていた組合で、朝鮮時代の妓生庁の後身である券番(권번)があった。検番(검번)または券班(권반)とも書かれたが、ソウルには漢城券番•大東(大同?)券番•漢南券番•朝鮮券番、平壌には箕城券番などがあり、その他釜山、大邱、光州、南原、開城、咸興、晋州等にも各々券番があった。
この券番では童妓に歌や踊りを教えて妓生を養成する一方、妓生たちの料亭への出入りを指揮し、彼女たちの花代(화대←そのまんま)を受け渡す役割も担当した。当時妓生たちは許可制になっていて、券番に籍を置いて税金を納めるようになっていた。これらの券番妓生は他の妓女たちとは厳格に区別されていた。
1941年まで平壌には妓生学校があった。妓籍に籍を置いて歌を歌って人気を集めた人物としては鮮于一扇(선우일선.ソヌイルソン)、왕수복(王壽福.ワン・スボク)がとくに有名だった。彼女たちが歌を吹き込むために平壌からソウルに来る時は、レコード会社幹部たちは人力車をソウル駅に待機させておいて勅使のような接待をした。日本にある録音室で吹き込みをして帰ってくる時までは、歓待は並大抵のものではなかった。
また1940年代大衆歌謡界を牛耳った李花子(이화자)は券番所属の妓生ではなく、一般遊興街の酒場出身で、天賦の資質と大きな影響力をもった1936年に登場した歌手だ。
わが国の初期大衆音楽界に妓生たちの活躍が目立った理由は、いわゆる「タンタラ(딴따라.音楽関係の芸人に対する蔑称)」という賤視意識によって一般人たちは歌手になるという考えを最初から退けていたので、レコード会社も自然に芸能に素質がある妓生に関心を持つ外なかったのである。
・・・やはり、たしかに歌や踊りを教えたりして妓生を育成する所ではあるわけですが、それを<育成所>と訳してしまうと、なにか重要なもろもろがあらいざらい振り落とされてしまうような感じがしますねー。意味が今ひとつ(それ以上?)わからなくても、検番は検番のままの方がいいような気がします。
さて、(日本の)視聴者のおそらく皆が感じたであろうことが、相思相愛のテサンとソソンの結婚を認めようとしないテサンの父親の頑迷さに対する憤り、そしてソソンがかわいそう、という同情心ではないでしょうか?
日本でも昔から芸能に携わる人々に対する差別は長く続いてきましたが、朝鮮でも同様、あるいはそれ以上だったかもしれません。
日本の場合木戸孝允、伊藤博文、陸奥宗光等々芸妓を妻にした政治家の例は何人もいましたが、朝鮮の身分の高い男性が妓生と結婚するということはとても考えられないことだったようです。また、このドラマのように、いくら貧乏暮らしをしているとはいえ両班の家柄の跡取りが妓生と結婚するということも、1940年頃でもありえなかったということで、テサンの父親がとくに頑迷だったということではないと理解すべきでしょう。
なお、川村湊「妓生-もの言う花の文化誌」(作品社.2001年)によれば、「私が「妓生」の歴史を調べてみたところ、参考になる先行文献は李能和の「朝鮮解語花史」という本しかなかった」とのことです。
つまり、久しく朝鮮・韓国では、妓生を学問の対象に設定すること自体が忌避されてきたということのようです。
それはちょうど、日本で芸者についての本格的な学術書が書かれなかったということと同様の背景があった、ということと相通じるものがある、ということです。
※この件については、<犬鍋のヨロナラ漫談>を参照のこと。
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