先の記事で記したように、このドラマの副主人公クク・テホ(国大虎)の人生はサムスンの創業者李秉喆(イ・ビョンチョル)
の経歴をほとんどなぞっています。
ドラマ中にあるように早稲田に留学し、それ以後もたびたび日本に行って、いろんなことを学び取っています。そして日本人の職人気質を高く評価しています。
たとえば第12話。
ククス(蕎麦)に目を向けたテホは製麺に乗り出します。試作品を食べたテホの感想は、「中国のよりはマシだが、日本製には及ばない。」 さらに「イッショーケンメイ(←日本語)。日本の職人はひとつのことに命を懸ける。」
また第19話では、テホたちが日本の街を歩いている場面があります。「サイパンも陥落したそうだ」と話しているので、1944年でしょう。
「本家うばがもちや」という看板が見えます。
テホ「あの店だ。餅を買っていこう。」
「これが日本の大本営を打ち負かした餅か。」
テホ「満洲の関東軍に供給する餅を100万個注文したらさっきの主人が断ったそうだ。」
「相当な利益があるだろうに主人の頭は確かなのか。」
テホ「代々続く誇り高き老舗だ。1度に100万個造っては味が守れないと言って目の前の利益より誇りを選んだ。それが日本人の職人意識だ。・・・我々も日本を知らねばならぬ。敵を知れば百戦百勝だ。」
職人意識については、李秉喆に関する新聞・雑誌の記事にもしばしば記されています。韓国語だと「장인정신(匠人精神)」。
大邱の地方紙「毎日新聞」は今年元日から2月10日、7回に分けて[호암 이병철 탄생 100년(湖巖 李秉喆誕生100年]を連載しました。その中で<장인정신으로 사업하라(匠人精神で事業しろ)>という記事があります。
そこで紹介されているのは、日本の床屋さん。
1950年東京に行った時、李秉喆は、赤坂の街灯もない裏道の理容店に入ります。入口の看板に「森田」とある何ということのない理容店で、彼は40歳前後の主人になんとなく話しかけます。
「理髪の仕事はいつから始めたの?」
「私が3代目で、家業となってからかれこれ60年ばかりになりますね。息子のやつが後を継いでくれたらと思うのですが・・・」
・・・とりたてて意味のない雑談だったが、ふつうの言葉とは聞こえなかったとのことです。敗戦で挫折しているはずの日本で、淡々と代を次いで一筋の道を生きているのです。その職業意識に驚いた、と彼は自叙伝「湖巖自伝」に記しています。
※昨年末赤坂を訪ねた「毎日新聞」の記者は、森田理容店が4代目、創業132年になっていることを確認しています。
李秉喆は1592年創業の菓子店・虎屋や1586年創業の松井建設、そして大阪や京都等にも行って、ずっと昔に創業した企業や老舗を直接見て周っています。
また1964年李秉が韓日国交正常化のための対日請求権会談で訪日した時、予約した時間から「1時間遅れて築地のふぐ料理店に行ったら主人にひどく怒られた」というエピソードが紹介されています。時間に合わせて料理を作ったのに、ずいぶん遅く来たので味が台無しになったというわけです。ここでも李秉喆は日本人の徹底した職業精神に感銘を受けたといいます。
このような経験をふまえて、サムスンでは品質管理に早くから取り組んだ、と記事は続いています。
「英雄時代」の19話で、テホは敗色濃厚の日本の状況を観察して分析します。
「日本は追い込まれている。だが目標に向かって団結する力は日本の国民性といえる。そしてこんな時でも自らの職人意識を守っている。それが憎くもありうらやましくもある。日本は戦争に負けてもすぐに立ち直るだろう。私にはそれが見える。」
テホの言葉ではありませんが、第12話で、テホが満州に仲間のドンホを訪ねた際、「朝鮮物産陳列館 朝鮮商工業者大会」という看板が掛かった建物で、現地の商売人は「朝鮮でも満州でも日本人は정려(精励.よく働く)だ」と語っています。
このように、韓国のドラマにしては、日本人の職業意識をずいぶん高く評価していると思います。ただ、日本人に対する称賛というよりも、現代の韓国人に対する教訓のように聞こえます。
その一方で、韓国人としての自尊心を示すテホのセリフもちゃんと入っています。
第17話、テホ親子の会話です。
息子「アボジ、緑茶は日本のお茶だと聞きました。」
テホ「それは誤解だよ。我々は三国時代から緑茶を飲んでいた。それが日本に伝来したんだ。統一新羅時代はもちろん三国時代にも日本は百済の影響を強く受けたのだ。実際百済の人々は日本に渡っているんだ。」
息子「なのになぜ今は属国になったのですか?」
テホ「朝鮮後期に鎖国政策を敷いたのが決定的な間違いだった。西洋の文物を排斥した。1000年以上日本に影響を与えながら、最後の100年を誤ったために国を奪われたのだ。」
※第20話で、大富豪のオルシン(カン・ユングン)もテホと碁を打ちながら「囲碁は三国時代に百済が日本に伝えてやったそうだ」と言ってました。
※「朝鮮後期に鎖国政策を敷いたのが決定的な間違いだった」というのは私ヌルボも同感。具体的には1800年の正祖の突然の死(老論派による毒殺説もある)の後、彼と対立していた貞純王后が政局をリードし、1801年辛酉教難といわれる天主教弾圧事件で清国人宜教師の周文謨をはじめ300余名を処刑した。姜在彦「歴史物語 朝鮮半島」(朝日選書)には「以後80年間西洋研究は欠落したままだった」とある。
テホ=李秉は上記のように知日家であり、克日(日本に打ち克つ)を目指した人物ですが、植民地時代に事業を展開するにあたっては当然総督府等とのコミュニケーションが必要だっただろうし、親日的な面も否定できないでしょう。
第20話、戦争が終わり、韓国では光復を迎えて、日帝時代に儲けた店や工場が打ちこわしの対象になります。大邱の三星商会の製麺工場にも暴徒が乱入します。このあたりは、ドラマでは第三者的にサラッと流しています。「親日派」を擁護するわけにもいかず、またテホを批判するわけにもいかず、ということでしょうか。
の経歴をほとんどなぞっています。
ドラマ中にあるように早稲田に留学し、それ以後もたびたび日本に行って、いろんなことを学び取っています。そして日本人の職人気質を高く評価しています。
たとえば第12話。
ククス(蕎麦)に目を向けたテホは製麺に乗り出します。試作品を食べたテホの感想は、「中国のよりはマシだが、日本製には及ばない。」 さらに「イッショーケンメイ(←日本語)。日本の職人はひとつのことに命を懸ける。」
また第19話では、テホたちが日本の街を歩いている場面があります。「サイパンも陥落したそうだ」と話しているので、1944年でしょう。
「本家うばがもちや」という看板が見えます。
テホ「あの店だ。餅を買っていこう。」
「これが日本の大本営を打ち負かした餅か。」
テホ「満洲の関東軍に供給する餅を100万個注文したらさっきの主人が断ったそうだ。」
「相当な利益があるだろうに主人の頭は確かなのか。」
テホ「代々続く誇り高き老舗だ。1度に100万個造っては味が守れないと言って目の前の利益より誇りを選んだ。それが日本人の職人意識だ。・・・我々も日本を知らねばならぬ。敵を知れば百戦百勝だ。」
職人意識については、李秉喆に関する新聞・雑誌の記事にもしばしば記されています。韓国語だと「장인정신(匠人精神)」。
大邱の地方紙「毎日新聞」は今年元日から2月10日、7回に分けて[호암 이병철 탄생 100년(湖巖 李秉喆誕生100年]を連載しました。その中で<장인정신으로 사업하라(匠人精神で事業しろ)>という記事があります。
そこで紹介されているのは、日本の床屋さん。
1950年東京に行った時、李秉喆は、赤坂の街灯もない裏道の理容店に入ります。入口の看板に「森田」とある何ということのない理容店で、彼は40歳前後の主人になんとなく話しかけます。
「理髪の仕事はいつから始めたの?」
「私が3代目で、家業となってからかれこれ60年ばかりになりますね。息子のやつが後を継いでくれたらと思うのですが・・・」
・・・とりたてて意味のない雑談だったが、ふつうの言葉とは聞こえなかったとのことです。敗戦で挫折しているはずの日本で、淡々と代を次いで一筋の道を生きているのです。その職業意識に驚いた、と彼は自叙伝「湖巖自伝」に記しています。
※昨年末赤坂を訪ねた「毎日新聞」の記者は、森田理容店が4代目、創業132年になっていることを確認しています。
李秉喆は1592年創業の菓子店・虎屋や1586年創業の松井建設、そして大阪や京都等にも行って、ずっと昔に創業した企業や老舗を直接見て周っています。
また1964年李秉が韓日国交正常化のための対日請求権会談で訪日した時、予約した時間から「1時間遅れて築地のふぐ料理店に行ったら主人にひどく怒られた」というエピソードが紹介されています。時間に合わせて料理を作ったのに、ずいぶん遅く来たので味が台無しになったというわけです。ここでも李秉喆は日本人の徹底した職業精神に感銘を受けたといいます。
このような経験をふまえて、サムスンでは品質管理に早くから取り組んだ、と記事は続いています。
「英雄時代」の19話で、テホは敗色濃厚の日本の状況を観察して分析します。
「日本は追い込まれている。だが目標に向かって団結する力は日本の国民性といえる。そしてこんな時でも自らの職人意識を守っている。それが憎くもありうらやましくもある。日本は戦争に負けてもすぐに立ち直るだろう。私にはそれが見える。」
テホの言葉ではありませんが、第12話で、テホが満州に仲間のドンホを訪ねた際、「朝鮮物産陳列館 朝鮮商工業者大会」という看板が掛かった建物で、現地の商売人は「朝鮮でも満州でも日本人は정려(精励.よく働く)だ」と語っています。
このように、韓国のドラマにしては、日本人の職業意識をずいぶん高く評価していると思います。ただ、日本人に対する称賛というよりも、現代の韓国人に対する教訓のように聞こえます。
その一方で、韓国人としての自尊心を示すテホのセリフもちゃんと入っています。
第17話、テホ親子の会話です。
息子「アボジ、緑茶は日本のお茶だと聞きました。」
テホ「それは誤解だよ。我々は三国時代から緑茶を飲んでいた。それが日本に伝来したんだ。統一新羅時代はもちろん三国時代にも日本は百済の影響を強く受けたのだ。実際百済の人々は日本に渡っているんだ。」
息子「なのになぜ今は属国になったのですか?」
テホ「朝鮮後期に鎖国政策を敷いたのが決定的な間違いだった。西洋の文物を排斥した。1000年以上日本に影響を与えながら、最後の100年を誤ったために国を奪われたのだ。」
※第20話で、大富豪のオルシン(カン・ユングン)もテホと碁を打ちながら「囲碁は三国時代に百済が日本に伝えてやったそうだ」と言ってました。
※「朝鮮後期に鎖国政策を敷いたのが決定的な間違いだった」というのは私ヌルボも同感。具体的には1800年の正祖の突然の死(老論派による毒殺説もある)の後、彼と対立していた貞純王后が政局をリードし、1801年辛酉教難といわれる天主教弾圧事件で清国人宜教師の周文謨をはじめ300余名を処刑した。姜在彦「歴史物語 朝鮮半島」(朝日選書)には「以後80年間西洋研究は欠落したままだった」とある。
テホ=李秉は上記のように知日家であり、克日(日本に打ち克つ)を目指した人物ですが、植民地時代に事業を展開するにあたっては当然総督府等とのコミュニケーションが必要だっただろうし、親日的な面も否定できないでしょう。
第20話、戦争が終わり、韓国では光復を迎えて、日帝時代に儲けた店や工場が打ちこわしの対象になります。大邱の三星商会の製麺工場にも暴徒が乱入します。このあたりは、ドラマでは第三者的にサラッと流しています。「親日派」を擁護するわけにもいかず、またテホを批判するわけにもいかず、ということでしょうか。
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