川崎に映画を観に行った時など、たいてい立ち寄るのが古書店・近代書房。
昨日行った時目にとまったのが『植民地時代の古本屋たち』という本。中をみると、樺太・朝鮮・台湾・満洲・中華民国の往時の日本古書店のことが実にくわしく書かれているではないですか。
さっそく購入し、帰宅後あらためて読むと、著者の沖田信悦さんは船橋で鷹山堂という古書店を経営している方。それにしても、よくこういう本を出したものだと思います。
【表紙は樺太の豊原市街(高野書店提供とあります)】
驚いたのは、記事本文でそれぞれの地の代表的な古書店や売れ筋等の状況を当時の資料を用いて記述しているばかりでなく、各地の古書店のリストや地図まで載せていること。
【朝鮮各地の古書店リストの一部。京城には60以上もの古書店があった。】
【京城の古書店所在図。『全國主要都市古本店分布圖集』(1939年版)より。】
【釜山の古書店所在図。】
朝鮮では、他に平壌・新義州・大邱の地図が掲載されています。
著者の沖田さんは、昭和前期の『全國書籍商組合員名簿』『東京古書籍商組合月報』『日本古書通信』等々、業界関係の資料を丹念に当たっているばかりか、満洲の章を見ると、当時新京(現・長春)にあった満洲巌松堂で働いていた大野幸雄さんの聞き書き等もしています。
このようなテーマでこのような本を構想し、実際にまとめあげるとは、ホントにオドロキ。また70~80年も前に細かな資料をまとめ、それが今までちゃんと残っているのは先人の功績ですね。
また、次のような写真も、よくあったものです。
【京城の本町(現・忠武路)にあった一誠堂。】
当時の京城で最も古書店が多かったのが本町(現・忠武路)でした。ただ、ここは他の店も多い繁華街で、神保町のような古書店街といった趣きの街ではなかったそうです。その点では寛勲町方面(現・寛勲洞~仁寺洞洞)の方が古書店が軒を並べている街だったとか。今の仁寺洞通りにも、通文館のような歴史のある古書店がありますね。(参考→通文館についての過去記事。)
その他、明治町(現・明洞)、黄金町(現・乙支路)、鍾路などにも古書店がありました。
ただ、ここのあげられている古書店はすべて日本人経営の店で、本町・明治町・黄金町等もいわゆる日本人街でした。
それに対し、「鍾路通りには、朝鮮史?の堂々たる商店が数多く出店していた」とのことです。
それら現地人の古本屋のことが本書では抜けている点については、総集編冒頭で沖田さん自身書かれていることですが、「(「全古書連ニュース」での)連載時のタイトル(「外地に渡った古本屋たち」)に違和感をいだきながら筆を進めてきたことを白状しなければならない」と記しています。
しかし、それはどこまで調査が可能なのでしょうか?
この本については、<岩戸の中>や<電子書肆 さえ房>の記事、<大阪商業大学>のサイト中の記事でも詳しくとりあげられています。
上記リンク先の記事と重ならない部分で、私ヌルボがとくに朝鮮の古書店についての本書の記事中「なるほど」と思って読んだのは、1939年頃の状況を一古書店主が記した文の次の2ヵ所です。
・京城のる本店は本格的商売としては考へ物で遅々たる発展を示し、今でも古本屋と云へば学術書と研究資料よりも中古教科書を想い・・・・
・兎角学生のお客は僅少、一般の人は部門が限られて居り、又趣味として小説類や常識を豊かにする實際書だけで体験の修養書は歓迎される傾向がある。
今も東大門市場近くの清渓川沿いに並ぶ古本店街(→関係過去記事)には学参や教科書が多く積まれ、またベストセラー本の内訳を見ると日本に比べて人生哲学や生活実用書が多いのですが、70年前もそうだったとみてよさそうだと思いました。
なお、満洲・朝鮮・台湾に進出していた古書店は、敗戦を迎えて店舗は例外なく当局に接収され、引揚げに際してももちろん他の引揚げ者同様苦労を味わうこととなりました。
本書の総集編ではそれらのことも記されています。朝鮮に関する部分を1ヵ所紹介します。
たとえば、京城では、朝鮮人が経営する古本屋たちは接収されなかった。逆にかれらは、引き揚げ者の境遇に落とされたあまたの日本人コレクターから、あふれるほどの処分図書を捨て値同然で買い取り、急ごしらえの倉庫をいくつも持ったという。(『図書館雑誌』第五九巻第八号所収、桜井義之著「終戦前の朝鮮の図書館事情」より)。
私ヌルボ、この本を定価より少し安く購入したのですが、今ネット通販を見ると、中古本だと送料込で1000円以下で出ています。ま、定価に十分以上相当する本だからいいですけど。
昨日行った時目にとまったのが『植民地時代の古本屋たち』という本。中をみると、樺太・朝鮮・台湾・満洲・中華民国の往時の日本古書店のことが実にくわしく書かれているではないですか。
さっそく購入し、帰宅後あらためて読むと、著者の沖田信悦さんは船橋で鷹山堂という古書店を経営している方。それにしても、よくこういう本を出したものだと思います。
【表紙は樺太の豊原市街(高野書店提供とあります)】
驚いたのは、記事本文でそれぞれの地の代表的な古書店や売れ筋等の状況を当時の資料を用いて記述しているばかりでなく、各地の古書店のリストや地図まで載せていること。
【朝鮮各地の古書店リストの一部。京城には60以上もの古書店があった。】
【京城の古書店所在図。『全國主要都市古本店分布圖集』(1939年版)より。】
【釜山の古書店所在図。】
朝鮮では、他に平壌・新義州・大邱の地図が掲載されています。
著者の沖田さんは、昭和前期の『全國書籍商組合員名簿』『東京古書籍商組合月報』『日本古書通信』等々、業界関係の資料を丹念に当たっているばかりか、満洲の章を見ると、当時新京(現・長春)にあった満洲巌松堂で働いていた大野幸雄さんの聞き書き等もしています。
このようなテーマでこのような本を構想し、実際にまとめあげるとは、ホントにオドロキ。また70~80年も前に細かな資料をまとめ、それが今までちゃんと残っているのは先人の功績ですね。
また、次のような写真も、よくあったものです。
【京城の本町(現・忠武路)にあった一誠堂。】
当時の京城で最も古書店が多かったのが本町(現・忠武路)でした。ただ、ここは他の店も多い繁華街で、神保町のような古書店街といった趣きの街ではなかったそうです。その点では寛勲町方面(現・寛勲洞~仁寺洞洞)の方が古書店が軒を並べている街だったとか。今の仁寺洞通りにも、通文館のような歴史のある古書店がありますね。(参考→通文館についての過去記事。)
その他、明治町(現・明洞)、黄金町(現・乙支路)、鍾路などにも古書店がありました。
ただ、ここのあげられている古書店はすべて日本人経営の店で、本町・明治町・黄金町等もいわゆる日本人街でした。
それに対し、「鍾路通りには、朝鮮史?の堂々たる商店が数多く出店していた」とのことです。
それら現地人の古本屋のことが本書では抜けている点については、総集編冒頭で沖田さん自身書かれていることですが、「(「全古書連ニュース」での)連載時のタイトル(「外地に渡った古本屋たち」)に違和感をいだきながら筆を進めてきたことを白状しなければならない」と記しています。
しかし、それはどこまで調査が可能なのでしょうか?
この本については、<岩戸の中>や<電子書肆 さえ房>の記事、<大阪商業大学>のサイト中の記事でも詳しくとりあげられています。
上記リンク先の記事と重ならない部分で、私ヌルボがとくに朝鮮の古書店についての本書の記事中「なるほど」と思って読んだのは、1939年頃の状況を一古書店主が記した文の次の2ヵ所です。
・京城のる本店は本格的商売としては考へ物で遅々たる発展を示し、今でも古本屋と云へば学術書と研究資料よりも中古教科書を想い・・・・
・兎角学生のお客は僅少、一般の人は部門が限られて居り、又趣味として小説類や常識を豊かにする實際書だけで体験の修養書は歓迎される傾向がある。
今も東大門市場近くの清渓川沿いに並ぶ古本店街(→関係過去記事)には学参や教科書が多く積まれ、またベストセラー本の内訳を見ると日本に比べて人生哲学や生活実用書が多いのですが、70年前もそうだったとみてよさそうだと思いました。
なお、満洲・朝鮮・台湾に進出していた古書店は、敗戦を迎えて店舗は例外なく当局に接収され、引揚げに際してももちろん他の引揚げ者同様苦労を味わうこととなりました。
本書の総集編ではそれらのことも記されています。朝鮮に関する部分を1ヵ所紹介します。
たとえば、京城では、朝鮮人が経営する古本屋たちは接収されなかった。逆にかれらは、引き揚げ者の境遇に落とされたあまたの日本人コレクターから、あふれるほどの処分図書を捨て値同然で買い取り、急ごしらえの倉庫をいくつも持ったという。(『図書館雑誌』第五九巻第八号所収、桜井義之著「終戦前の朝鮮の図書館事情」より)。
私ヌルボ、この本を定価より少し安く購入したのですが、今ネット通販を見ると、中古本だと送料込で1000円以下で出ています。ま、定価に十分以上相当する本だからいいですけど。
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