ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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定年前退職S氏のソウル・慶熙大学校10週間留学記 (10)

2015-08-11 11:31:21 | S氏の慶熙大学校10週間留学記
 [ヌルボより] 留学のいいところの1つは、韓国語を学ぶだけでなく、その韓国語で韓国人や同クラスの人たちといろんな話ができることですね。今回もそんな場面がいろいろあります。
 慶煕大学校では通常の授業以外に多様な企画を実施しています。他の大学でも同様かもしれませんが・・・。21日に希望者対象ですが1泊2日の慶州旅行「現地授業」という言葉は韓国ではよく使われる言葉のようですね。日本の学校では以前はふつうに「遠足」といっていた行事を「校外学習」と言い換えることが多くなりましたが・・・。 ※ハングルで「現地授業」を検索するとヒット数は79万件。「校外学習」は42万件です。ちなみに「修学旅行」は128万件。

◎5月18日(月)
 今日は学校の創立記念日で学校は休み。8時ごろまでごろごろしている。今日は完全休養日。掃除をした後カラオケに行く。1時間の申込みをしたが昼間で空いていたため1時間追加サービスしてくれた。もたもたしている間に一日が終わってしまう。
 外大で勉強しているチエさんからスンホ氏が知っているカニ料理の店に水曜日に行こうと連絡があった。実はチョモ(점호.点呼)という寄宿舎点検が火曜日の夜8時にあるとの通知がされていた。この火曜日は大学で7時半から音楽学部の学生による室内楽演奏会のある日なのでわざわざ寄宿舎に電話してチョモを水曜日に変更してもらっていた。カニを取るか演奏会を採るかで大いに迷う。結局、火曜日の朝にもう1回電話してチョモを再度変更してもらうことにした。それにしてもチョモの時間をもう少し考えてくれるとありがたいのだが。

◎5月19日(火)
 授業開始前に寄宿舎の担当者に電話してチョモの日程を今日に戻してくれるよう要請した。問題なく応じてくれた。午後はタンソの授業がある。残すところ今回を入れてあと2回。先生のレッスンも熱がこもる。熱がこもるのはいいが、先生から夜に教えている別の教室に参加しろと誘われる。今日はチョモがあるといって断ったが、来週は参加せざるを得ない状況だ。
 夜のチョモは簡単に終了。今日も大学で演奏会があるのでチョモ終了後寄宿舎を飛び出す。演奏会が始まるのは7時半。チョモが終わったのは8時15分。坂道を駆け上がり会場に向かう。息が切れるが、空気は乾燥していて寒いくらいの陽気のため汗はほとんどかかない。着いたら休憩時間だったので後半は聴くことができた。学生の演奏とはいえ、ただで聞けてしまうのがうれしい。9時半に演奏会終了。食事して少し宿題をして今日はおしまい。ビールが一口飲みたくなった。

◎5月20日(水)
 明日の1泊2日の現地授業の説明がある。8時20分学校でバスに乗り慶州(キョンジュ)へ向かう。今回の参加人数は206名。人数が多く何回かに分けたらしい。なかなか規則が厳しい。ホテルからの外出、飲酒は禁止。金曜日の5時過ぎに戻る予定。
 6時に外大のチエさんクラスメートのソンホ氏とで道峰山(トボンサン)駅にあるカニ料理店へ行く。この間の日曜日に来たばかりの駅だ。ケジャンというカニ料理をいただく。これが実に旨い。醤油味とヤンニョン味の2種類を食べたが、1人1万3900ウォンでなんと食べ放題! 皿に盛られたカニが少なくなるとどんどん足してくれる。カニみその入っているカニの頭の中にご飯と半熟状態の目玉焼きを少し入れて箸でかき混ぜて食べると、何ともいえない甘みが増し、舌と半熟卵とご飯とカニみそが渾然一体になる食感は、口の中で美しいハーモニーを奏でるようで幸せを感じずにいられない。ソンホ氏が教えてくれた食べ方だ。新鮮で美味しいカニをこの価格でたらふく食べられるとは。来てよかった! チエさんも感じのいい頭のいい女の子だが、ソンホ氏も優しさがにじみ出ている純情な好青年だ。昨日まで夜遅くまで授業で発表するための打ち合わせが続き、今日その発表が終わったらしい。その解放感からか2人とも食べる食べる。この日は6時過ぎから10時近くまでほとんどの会話が韓国語だった。ソンホ氏は大邱(テグ)出身だが、子供のころの思い出や軍隊での経験をいろいろ話してくれる。やはり聞き取りはむずかしいが、もう少し頑張れば何とかなりそうな気がした。

◎5月21日(木)
 学校の慶州1日現地授業の日。前から行こうか行くまいか考えていたが、行こうと決定した。8時15分学校に集合。大型バス5台に分乗し出発。スウェーデン人のシャイ男ハンネスはドタキャンした。
 道のりはやはり遠い。バスは他のクラスも一緒だが、途中別のクラスの日本人の若い子女の子が気を利かせてくれて梅干味のお菓子をくれた。やはり梅干の味は懐かしい。この子は極めて社交的で信じられないくらい元気ではつらつとしている。さすがにこの年で参加すると違和感を感じる。
 やはり同じ言語の人間同士がどうしても集まってしまう。特に特徴的なのはアラブ語圏同士だ。ふだんからこの連中は授業の休み時間がでもそうだがとにかく時間があるといつでも一緒にいる。結束力はとにかく強い。今回の旅行でもアラブ国の連中は学校が用意した韓国料理は食べようとしない。コンビニで何か買ってきて食堂の横に集って食べている。宗教上の違いから豚肉を食べないのは理解できるものの、何もそこまでしなくてもいいのにと思うが、次の日理由が分かるようなことをアラブ圏のクラスメートから聞くことなる。
 この日は瞻星台(チョムソンデ)[=大昔の天文台のようなところ]を見学。夕食をシクタン(食堂)ですませた後、ホテルに移動。
 7時半ごろからレクレーションタイム。ゲームや参加者の自慢の歌や踊りの披露がある。ゲームは先生方の努力もあってなかなか盛り上がり、けっこう楽しい。分乗したバスごとにゲームの得点を競い合うのだが、わがバスチームはビリだった。ゲーム終了後景品のお菓子を持ち寄り2次会が始まる。さすがに自分は2次会参加は見送り就寝。部屋は4人部屋。小さな部屋に押し込まれた感じ。

◎5月22日(金)
 朝食後8時前にホテル発。仏国寺(プルグクサ)、石窟庵(ソックラム)見物に向かう。ここは3度目の訪問になる。途中中国人のクラスメートと話すことができた。今、慶熙大学で学んでいるが来年はこの大学で貿易学を学びたいという。ふだんはおとなしいが自分なりに将来を見据えているようだ。
 早めの昼食の時間になるが、このとき中国人の10人ほどのグループに1人だけ入り込むことになった。隣に座っている女の子は微笑んだ顔で挨拶してくれたが、目の前に座った子は挨拶してもあまり相手にしてないような素振りをされた。日本人が嫌いなんだろうと思っているところ、食べているおかずをズボンに落としてしまった。汚れをとろうとウェットテイッシュを探していたら真っ先に差し出してくれたのがその女の子だった。勘違いをして申し訳なかった。ここでもアラブ圏グループは別行動。
 昼食後ソウルへ向かう。バスは相当のスピードを出す上、車間距離をほとんどとらない。事故が起きたら玉突きになるのは当然だが、それでも他の車が急に車線変更して割り込んでくる。実に荒っぽい。
 車中みんな疲れのため寝入っているが、隣に座っているマレーシアの秀才君と話すことができた。パンダのように小太りで、水を大量に飲み何時も間食にお菓子類をパクついてる。笑顔にあどけなさが残っている。やはり彼は奨学金で授業を受けている。道理で出来がいい訳だ。自国語のほか英語、中国語、台湾語、香港語ができるという。現在28歳。将来はプログラマーになりたいらしい。来年からは済州島でコンピュータの勉強をするという。韓国では5年ほど勉強することになるのだが、毎日暑いマレーシアより四季のある韓国が好きで、寒い冬もまったく苦にならないらしい。ちなみに父親はマレーシアで事業をやっているらしい。
 事故もなく無事学校へ到着。帰りにアラブ系のクラスメートと一緒に帰る。彼いわく、日本人は親切で好きだが中国人があまり好きではないと言う。中国人留学生は確かに多く、食事を一緒にしたがらない理由もそのあたりにあるのかと思った。彼は帰りに美味しいハンバーガーがあるからといってチキンバーガーをご馳走してくれた。何時も笑顔でとてもひょうきんな優しいやつだ。お金を払おうとすると次回ご馳走してくれといわれた。
 夕方は明洞まで出向き、カンさんとそのお客さん夫婦と飲むことになった。片道5時間程度の長旅で疲れを感じていたが、感じのいい夫婦だったので美味い夕食を食べることができた。
 この時なぜかお風呂の話になったので、カンさんに韓国の人はなぜ家に浴槽があってもシャワーだけで済ませるのか聞いてみた。カンさんも16年今の家にいて入浴したのは10回ほどだという。「浴槽はあっても体全部を温めようとするとどうしても足を浴槽からださなければならないので、それが嫌だ。入浴するならゆったり入れる銭湯を選ぶ。それに韓国では冬でも室内が暖かいので体を風呂で温める必要がない。そんな理由で家族は誰も入らないし自分ひとりのため風呂を沸かすのはもったいないでしょ」との理由であった。

 [ヌルボより] カンさんの「なぜ自宅の風呂に入らないか」についての話はとてもおもしろいですね。それにしても「16年今の家にいて入浴したのは10回ほど」とは!(笑) しかし、韓国人の標準はどの程度なのでしょうか? 韓国はわりとふつうのホテル(中の下ランクくらい?)でもシャワーだけの所があったりします。一方、街には沐浴湯(モギョクタン.風呂屋)があって朝から開いていていろんなサービスがあるし・・・。日韓の風呂文化も比べてみるとおもしろそうです。
 ※9日の「毎日新聞」に、台湾の留学生が「日本の「裸の文化」に感動」という投書を寄せていました。(→コチラ。) 銭湯に行った感想で、「どうしてみんな恥ずかしくないのだろうと驚きました」とか「裸の文化は日本にしかないように思います」とか書いていますが、韓国の沐浴湯に行ったらもっと驚いたのではと思います。

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風呂のことなど (前川健一)
2015-08-11 14:59:42
 その昔、アメリカのCBSテレビの報道番組のコラムで、「無用の長物」をテーマに取り上げていました。具体的には、ニューヨークの路上で、「浴槽を使った最後はいつですか?」というインタビューで、つまり、「無用の長物」とは浴槽のことです。インタビューに答える人々は、「3,4か月前かなあ」とか「さあて、いつだったか」とか「つかわないなあ」といったもので、まさに無用の長物でした。もしかして、浴槽なしでは暮らせないというのは、日本人だけかもしれませんね。
 アジアの高級マンションというのは、アメリカの高級アパートの設計図をそのまま借用したような間取りで、当然、あの長い浴槽がありますが、やはり当然、使いません。熱帯では外国人用でない限り、給湯の設備はありませんし、あったとしてもシャワー用で、浴槽を満たすほどの熱湯はあまり期待できません。
 韓国では、日本の敗戦後(解放後)の日本住宅を、韓国人がどう利用したかという建築学&居住学の研究書があって、風呂場はなくしています。詳しくは、『韓国現代住居学』(高い本ですが、傑作。風呂など、興味深い記述が満載)や『異文化の葛藤と同化』などをご覧ください。こういう本のおもしろいところは、日本人は朝鮮の伝統など無視して、日本人が使いやすいように家を建て(例えば、便所を屋内に作るなど)、解放後には、そういう家を韓国人が使いやすいように改造するという例が写真で示されていることです。このあたり、台湾との比較で見ていくと、いっそう興味深いですね。なお、アジアの入浴事情に関しては、アジア雑語林の19,20話で少し書いています。
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追伸 銭湯 (前川健一)
2015-08-11 15:49:34
 ご存知だとは思いますが、『韓国人が知日家になるとき』(金昌國、平凡社、2000年)に、植民地時代のソウルの料亭「龍鳳亭」にあった銭湯について書いた部分があります。
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風呂の文化 (ヌルボ)
2015-08-12 22:42:38
 いろんな興味深い情報を教えてくださってありがとうございました。
 横浜市立図書館には『韓国現代住居学』はありませんでしたが『異文化の葛藤と同化』はあったので今度読んでみます。金昌國『韓国人が知日家になるとき』は以前読みましたが「龍鳳亭」のこと等は記憶に残っていなかったので読み直してみます。

 アジア雑語林の19,20話拝読しました。イギリスの銭湯のことは初めて知りました。
 風呂の文化も食文化等々と同様に国や民族の違いというヨコ軸と、時代の変化というタテ軸の両面から見る必要がありそうですね。日本だけでも古代からずいぶん変わってきているし・・・。
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