ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録④ 4日目(後半)=広大なソウル顕忠院を散策(??)

2016-04-15 23:15:17 | 韓国旅行の記録
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録① 1~2日目=国立外交院、徳寿宮周辺等
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録② 3日目=「あの」島と、仁寺洞の有名なマッコリ酒場
 → 韓国オタク、7泊8日のクイズ形式旅行記録③ 4日目(前半)=ソウル大学校を散策(?)

○3月28日(月) 午後3~5時

 朝から昼頃までソウル大学校内の奎章閣にいて、学食での昼食後キャンパス内を散策。といっても、143万㎡という広大なキャンパスのごく一部を歩いただけでした。といってもけつこう疲れましたが・・・。
 ところが、ソウル大を出て次に向かった所は、なんと同じ143万㎡という面積の顕忠院(현충원.ヒョンチュンウォン)。そして、そこではソウル大よりもはるかに長い距離を歩くことになってしまいました。トホホ。

 そもそも顕忠院とは何かというと、早い話が国立墓地です。
 朝鮮戦争後の1955年この地に国軍墓地として創設され、軍人・軍務員が対象だったのが、その後1965年に国立墓地と改称するとともに殉国者や愛国者・国家功労者・警察等も追加され、そして1996年に現在の国立顕忠院に改名されました。
 [問1] この地が国立墓地の場所として定められた理由は?(漢字2字で。) [答]→風水 交通の便・広い敷地の確保・近隣の環境(集落がない等)・排水関係等々の諸条件もありますが・・・。冠岳山の麓の孔雀峰を背景に、北は漢江を見渡せる、「背山臨水」の良い地形=明堂(명당.ミョンダン)>というわけです。

     
 地下鉄・銅雀(トンジャク)駅のすぐ近く。門を入ると正面に噴水と大きな群像が・・・。(上左。) 忠誠噴水台・忠魂昇天像です。そのずっと奥に顕忠門が見えますが、案内図(上右)を見ればわかるように、そこまで行っても一番奥までの4分の1くらいです。
     

 顕忠門まで到達。この建物をメインに、毎年大統領以下政府要人と、多数の遺族が参列して顕忠日追念式が開かれます。[問2] その顕忠日は何月何日? ヒント:ゾロ目の日。 [答]→6月6日 関連過去記事は→コチラヨ・ジング等も参列して朴槿恵大統領からバッジをもらったりした2014年の式典についての記事です。

 この顕忠門の右に、大きな塔がありました。何かと思って見てみると・・・。
       
 おお、肉弾十勇士顕忠碑ではないですか! 説明板を読むと、1949年5月3日未明、(当時は韓国の領域だった)開城の松岳山地域の高地を北朝鮮軍が奇襲・占領したのだが、その翌日に陸軍第1師団11連隊所属の10人の勇士がそこを奪還するため爆弾を抱いて敵陣に向かって突進し壮烈に散華した・・・ということなのだそうです。朝鮮戦争勃発(1950年6月)以前にもそういうことがあったのですね。[問3] 私ヌルボ、以前同じソウルの別の場所で「肉弾三勇士像」を見たことがあります。その場所(施設)はどこ? [答]→戦争紀念館 これについても、以前記事にしたことがあります。→コチラ(画像あり。)
 周囲を見渡すと、何か儀式を終えて顕忠門あたりで解散式(?)のようなものをやっていた数十人の団体の他は、子どもを遊ばせている母親、散歩の(?)おばさん、写真を撮ってるおじさん等数えるほどしかいません。人口密度がヒジョーに低い所です。
 さて、ここからさらに奥へ。

     
上左の道標には臨時政府要人墓域・愛国志士墓域・警察墓域が↑で示されていますが、とくに前の2つははるか彼方。道のずっと無効に小さく見えている塔は大韓独立軍無名勇士慰霊塔です。上右は、その少し手前の独立有功者(独立運動に命を捧げた殉国先烈・臨時政府要人等)の墓域にある忠烈碑です。
 距離が長い上に最後の方はだんだん登り坂になってきて、もう十分疲れてしまいました。あとはとりあえず当初の予定通りエライ人たちの墓を見て回ることに・・・。

     

 入口すぐ右の建物でもらったパンフに載っている案内図。左はその全体図で、その最上部が国家元首墓域です。赤い点線の〇印が元大統領の墓地です。最初この地図を見た時、上が北かと思いましたが、全然方向違い。上は南西の方角になります。
 とはいっても、誰が見てもこの広大な国立墓地の中央の一番奥、つまり最上位の場所に位置しているのがもちろん「あの」元大統領の墓です。
     
 向かって左が朴正煕元大統領、右が夫人の陸英修女史の墓です。私ヌルボが訪れた時は、1人、次は2人といったように、少し間をおきながらも墓参りの人等が来ていました。右の画像は、墓の反対方向の眺めです。

 少し下った所に、次の元大統領の墓。
     
 2009年に亡くなった金大中元大統領の中。かつての仇敵・朴正煕とこんなに近い所に墓があるとは・・・。いろんなことを考えさせられます。
 この墓の近くにあるのが金大中元大統領への献詩「당신은 우리입니다(あなたは私たちです)」の詩碑。いやー、これはさすがノーベル文学賞候補に名前が挙がる詩人だけのことはあります。[問4] この詩人の名は? [答]→高銀(コ・ウン) 詩の原文は→コチラ、日本語訳は→コチラ参照。また、この詩には曲がつけられ、葬儀の場で歌われました。YouTubeで聴くことができます。(→コチラ。) この詩人は1980年金大中等とともに国家保安法違反で逮捕・投獄されたりもし、また2000年金大中大統領が訪北した時には詩人も同行し、現地で「大同江のほとりで」と題した詩を創作して大統領と金正日総書記の前で朗読したこともあります。(その詩は→コチラ参照。) それだけ縁の深かった詩人ということです。

 また少し下って3人目の大統領の墓。
     
 李承晩の墓。1965年ハワイで世を去り、ソウルでの家族葬儀の後、ほどなくしてこの地に安葬されたようですね。右画像はチェ・ヨンオクという女性による献詩碑。2012年の報道(→コチラ.韓国語)によると李承晩の47回目の追慕式に今88歳になるこの女性も参席したとのことです。ただ、詩の内容としてはあまりにフツーすぎるというか・・・。それよりも何よりも、李承晩を称える詩といえばごく最近(4月4日)「ハンギョレ」に掲載されていた→コチラの詩(韓国語・英語)の方がケタ違いにオモシロイ!です。日本語版は→コチラ

 ここまで3人の元大統領の墓を見て、国家元首の墓めぐりはオシマイ・・・と思ったら実はそうではありませんでした。後になって気づきました。韓国オタクとしては大変ドジな話です。[問5] とばしてしまった元大統領の名は? [答]→金泳三 上掲の案内図に載ってなかったしなー。亡くなって半年も経ってないから載ってなくて当然なのですが・・・。墓は3月に完成しているようです。場所は、案内図(拡大)の右の方の、<장군제3묘역(将軍第3墓域)>とあるあたり。ソウル大学校は見落としがいろいろあるだろうことは想定内でしたが、コチラのドジの方はショックでした。しかし、国家功労者墓域に国務総理だった許政や張澤相、国歌の作曲者・安益泰の墓があること等々も後から知ったし、その他にもいろいろあるようなので、そのうちここもまた行ってみるしかないかも・・・。
 ※このソウル顕忠院はもう墓を造る余地がなくなっているので、元大統領といえども場所が容易されている大田の顕忠院に墓を設けるのが原則のようになっているそうですか、金大中・金泳三の場合は家族の強い要望を容れて特例として認められたそうです。なお元大統領では朴正煕暗殺後に大統領になった崔圭夏(2006念逝去)が大田顕忠院に埋葬されています。

     
 そにしてもたくさんの、というよりおびただしい数の墓が360度広がっています。約6~7万(?)の墓の8割は朝鮮戦争の戦死者。そしてベトナム戦争の戦死者も多数あります。右のような視点で見ると、遠くに見える生きている者たちの街に対し、この一帯は死者たちの世界といった感じがします。
 愛国心涵養のためここに連れて来られた子供たちは、こういう景色を見て高揚した気持ちになるのでしょうか?
 ※①将官・兵士の墓域はそれぞれの地位に応じて割り当てられています。また墓の大きさも国家有功者・将軍=91㎝高、将校=76㎝高、兵士=60㎝高と規定されています。つまり、墓地もまた軍隊と同じ序列社会なのです。
 ※②それぞれの墓に供えられている花は造花です。(参拝の人はもちろん本物を供えるのでしょうが・・・。)

 もう夕方になったし、ぼちぼち帰るか、という時に目に留まったのが下左の青い掲示板。
       

 「護国兄弟の墓」という文字と、その説明が記されたいます。案内板にしたがって墓を探すと、すぐ近くに上右の2つ並んだ墓が見つかりました。
     
 墓の裏面を見ると、朝鮮戦争の時、兄は1951年5月高陽(コヤン)で22歳で戦死。弟は同年9月楊口(ヤング)で19歳で戦死。私ヌルボの感想としてはなんとも無惨な話。とくに母親の悲しみは察するにあまりあります。しかし、そういった心情も国立墓地に埋葬されるということが多少なりとも癒しになるのか・・・。
 あるいは、光州民主化運動のような闘いの正しさを国に認めさせ、そして国により犠牲者の名誉回復が実現した結果、戦い合った双方の犠牲者が国立墓地に埋葬されていることを「和解」と理解してはたしていものかどうか? 常に「犠牲」を求める「国」のフトコロにそこまで抱かれ続けたいの?という疑問が、ヌルボとしてはぬぐいきれないのですけどねー・・・。

 この日の夜はまた3人が合流。ヌルボの知り合いの韓国サラムの案内で世宗文化会館の裏手あたりの北朝鮮式マンドゥの店で晩飯。→コチラの店だったかな?

 3月25日(金)からこの日までの4日間で毎日約2万5千歩、計10万歩も歩いてしまいました。ふー。翌29日はKTXに乗ってソウルを離れます。

※顕忠院について、→コチラの記事はいろいろ勉強になるなー、と思って読んでいたら、いつもツイッターを愛読している神戸大の木村幹先生のホームページでした。
※たまにコメントを下さる青さんは<顕忠院ウォッチャー>と言っても過言ではない(?)方で、→コチラや→コチラ等々いくつもの興味深いブログ記事を公開されています。私ヌルボは今回初めて現地を歩いてみて、ウォッチャーになるには体力(脚力)が不可欠であることを実感しました。


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