私ヌルボのこれまでの韓国旅行と比べると、今回の旅は泊まった所といい食べたモノといい、ちょいと、いや、かなりゼイタクでしたねー。時にはこういうこともあっていいでしょう。いつもだとそれが当たり前になって感動が薄れるし、何よりも先立つものの問題もあるので・・・。今回のタイトルの「安倍首相云々」は、こう書くと少し訪問者が増えるかな?という魂胆でつけたもので、さほど大した意味はありません。乞御期待の反対。
○11月25日(金) 後半
昼食も食べず午後3時近くまでデジタルメディアシティ辺りを歩き回った私ヌルボと畏友Y氏の2人。あまり腹が減っていないということで機内食がブランチだったと後付けで解釈し、そのままホテルへ。
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今回3連泊したホテルは乙支路4街(ウルチロサガ)のベストウェスタンプレミアホテル国都(ククト)という長い名前。しかし行ってみると表示はホテル国都だけでした。(上左) ここは以前は国都劇場という映画館(1999年閉館.上中)で、建物の横(南側)にある碑石(上右)には「1936年黄金座として開館した」とありました。 チェックインの時、「国都劇場の頃のものが何か残ってませんか?」と尋ねたら「残ってません」とのこと。ちょっと何か残しておいてほしかったなー。
・・・と、ここまで書いてボンヤリと思い出したのが初めての韓国旅行の時のこと。1992年8月です。
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で、その時持って行ったのが左の本。中野茂樹「植民地朝鮮の残影を撮る」(岩波ブックレット.1990)でした。この本に昔からの映画館の写真(右)があり、それを頼りに現地まで歩いて行って正面から写真を撮りました。映画館の人(?)だかに「何をしてるのか?」と問われましたが、そのページを見せてわけを話すと穏やかな表情になって何やら説明してくれました。今図書館でその本を確認すると「旧・黄金座 現・国都劇場」とあり、まさにここ。つまり24年前にも来ていたというわけです。しかし、その時の写真ははたしてわが家のどこに埋もれているのか?(笑)
閑話休題。部屋で少し休んで午後4時30分頃再び外出。小さな電飾関係の店が集まっている大林商街を抜けて清渓川まで北に約5分。そして川に沿って西にどんどん歩いて行きます。
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振り返ると、何やら高く尖ったモノが見えます(上左)。→コチラの記事(韓国語)によると、2008年(?)に世運橋の上に建てられた<ソッテ>というモニュメントなのだそうですが、私ヌルボは今回初めて気づきました。三一橋近辺はこの頃何度も来た所。上右はベルリンの壁です。(→コチラの過去記事参照。この写真もその時(2015年4月)撮影。)
当面の目的地は清渓川の起点のすぐ横、世宗大路に面した新聞博物Presseum。
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私ヌルボ、10年以上前に1度来た時には東亜日報の社屋内にありましたが、今見るとビル自体が立て替えられていて全然様変わり。上右はいい写真が撮れなかったのでNAVER地図をチャッカリ加工したもの。中央の大きな東亜日報のビルの左の方に系列のTV局チャネルAがあり、その左手の古い建物が以前の東亜日報社屋=現イルミン美術館で、その5・6Fが新聞博物館になっています。(後で→ソウルナビの記事を見ると2012年にイルミン美術館に移転したとのこと。) なんとか入口は見つけ、何やら催し物があって若い人たちが群れている中、博物館があるフロアへ。ソウルナビには午後6時までとなっているのに、受付のおねーさんに確認すると5時30分。ということはあと10分! アララ、ということで早足で回りながら写真撮りまくり。まあたぶんこれからも何度も来そうな所なので、いずれゆっくり見ることにしませう。とりあえず展示のごく一部を紹介しておきます。
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韓国の近代的新聞の歴史(上左)の展示。1883年10月30日の「漢城旬報」から始まっています。そのちょっと後に10月の修学能力試験の「韓国史」の出題ミスでニュースのネタになった「皇城新聞」と「大韓毎日申報」(上右)も展示されていました。時間があったら記事も読めたのに・・・。
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新聞に載った第事件あるいは新聞自体の事件。上左は1936年ベルリン五輪のマラソン優勝者・孫基禎選手の胸の日章旗抹消事件。「東亜日報」が無期停刊を受けたことは(一部の?)日本の高校教科書にも載っていますが、「朝鮮中央日報」も日章旗を抹消した写真を掲載したのですね。(→参考記事。) 上左は1979年の朴正熙大統領逝去を伝える記事。逝去だけでなく、映画のタイトルにも使われた「有故(ユゴ)」という言葉が見出しに用いられています。上右は1986年の「金日成死亡」という大誤報事件。画像は11月17日付の「ソウル新聞」ですが、→コチラの「ハンギョレ」の記事によると16日付の「朝鮮日報」をはじめ各紙が国防部報道官の発表のままに一斉に報じたとのことです。日本でも17日夕刊で「金日成主席 死亡説流れる」から18日夕刊の「金日成主席 姿見せる」まで大きく報道されましたが、事実として報道された韓国紙とは違って距離を置いた書き方でした。(・・・が、どれだけ今の日本人の記憶に残っているのかな?) 誤報の原因とその背景等、今も興味深いネタですが、私ヌルボはそこまで深入りしてません。
外に出るともう夕闇というかほとんど夜。次の目的地は畏友Y氏が見てみたいという日本大使館前の慰安婦少女像。
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少女像はニットの帽子にマフラーとすっかり冬の装い。横のビニールテントは、昨年12月28日の日韓慰安婦合意の2日後(30日)から「合意廃棄、少女像撤去反対」を叫んで籠城を続けている学生たちのテント。暗くて適当な写真が撮れなかったので、その学生組織のFACEBOOK(→コチラ)から1週間ほど前の画像を拝借しました。掲示物(右画像)を見るとこの日で籠城332日目。彼らに話しかけたい気持ちを抑えて(??)そのまま次へ。
・・・と鍾閣駅の方向に向かいます。目指すは中央地図。各種地図の販売と、制作もしている地図の専門店です。3月に一緒に旅行した歴史研究者N氏に教わった店ですが、その時は入らずじまいで気になっていました。すでに6時を過ぎていましたが開いていました。
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上左の画像はDAUM地図から加工。パンのチェーン店トゥレジュールの横の階段を上って2F。階段の両側に大きな地図が何枚も貼ってあります。入ってみると、オフィスの一角に店があるという感じ。なるほど、山岳地図その他いろんな地図があります。歴史的なものでは金正浩(キム・ジョンホ)作と伝えられる朝鮮時代の漢城地図「首善全図」、これは中央地図刊行で1万5千ウォン(だったかな?)。この店の紹介記事(→コチラ)には午後6時30分までとありましたが、訊いてみると午後9時までとのことでした。
中央地図から出て、20mほど東に行くと、交差点の角に人だかり。信号待ちの人だけでなく、行列のできる店があるのです。
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看板に「공평동꼼장어(公平洞コムジャンオ)」とあります。コムジャンオとはヌタウナギのこと。日本ではあまりなじみがありませんが、ふつうのウナギとはかなり違っていて→ウィキペディアには「厳密な意味での魚類ではない」と書かれています。目もないみたいだし(皮膚に埋もれている)、ちょっと以上にオゾマシイ姿。しかし→ソウルナビコチラの記事でも→コネストの記事でも口コミは至極好評。店の前で下焼きしていた店員さんに「今日は時間がないけど今度きっと来るから」と言って写真を撮らせてもらいました。(上右) ホントに今度行ってみようと思います。あ、コムジャンオのオゾマシイ画像は次の次くらいの記事で載せます。
さあ、いよいよこの日のメインイベントだぞっ!・・・と向かったのはコムジャンオの店から近いセンターマークホテル地下の高級焼肉店・景福宮 寛勲店。
あ、気が急いて外観の写真を撮り忘れちゃった!(笑) 畏友Y氏の職場の後輩(ソウル勤務)という方との会食です。
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まず刺身が出てきて、次に焼肉。サルチサル(살치살)というのかな? つまり霜降りロース。気がついたら大方食べてしまった後で、写真(上右)は撮ったもののこれじゃよくわかりませんね。なお、ここでKloudビールというビールを初めて飲みました。最近人気とのことですが、たしかにこれまでの韓国ビールにはないコクがあります。後で→コチラの記事を見ると2014年4月ロッテ酒類から発売されて以来人気沸騰でその年のヒット商品にランクインしたとか。なんで今まで知らなかったんだろ? 盲点は数限りなくあるということです。
このいつになくゴーセイなディナーをいただいた(ワリカン)のはけっこうなことでしたが、反省点としてはちょっと話にのめり込みすぎて料理をゆったりと味わう余裕を欠いていたことです。
あ、ここで本記事の見出し「安倍首相云々」を思い出しました。つまり、1年前の11月2日安倍首相が来韓した折にここで別所大使等と昼食を共にしたということ。帰り際に店の人にそのことを話すと、その席に案内してくれました。
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日本語で「安倍首相の部屋」とあるのは、(ヌルボみたいな)日本人客を見込んでのこと? 上のリンク先の記事を見ると座椅子の背もたれにも「安倍首相の椅子」という金色のプレートが貼られているんですね。(笑)
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午後10時前に店を出て、長かった1日もあとはホテルに戻って寝るだけ。酔い覚ましに歩いて帰る途中、屋台の玉子パンに関心を示した畏友Y氏、1個買って食べ、発した「美味いよ!」の声に触発されてヌルボも1個購入。たしかに! 高級焼肉のお値段の数十分の1の1000ウォンの玉子パン1個でも十分シアワセになれるという真実を実感した次第であります。
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