ちょうど1週間前の5月28日、初めて府中市美術館に行ってきました。
目当ては5月14日~6月8日開かれている<市制施行60周年記念 東京・ソウル・台北・長春-官展にみる-それぞれの近代美術>と題したテーマ展です。
官展とは、国主催の美術展のことで、1907年創設の文部省美術展覧会(文展=「初期文展」)が最初の官展です。
これは1919年帝国美術院展覧会(帝展)に改組されましたが、帝国美術院の廃止(帝国芸術院への改組)にともなって1936年文展(=「新文展」)が復活しました。
この官展の流れは戦後(1946年~)日本美術展覧会(日展)に受け継がれています。
【入口前の立看板。美術愛好家だけでなく、歴史に関心のある人をも引きつけるのでは?】
この官展という公的な文化イベントは、上の看板の文にもあるように、日本統治下の朝鮮、台湾、満洲にも広がりました。
朝鮮では1922~44年に朝鮮美術展覧会(鮮展)が23回開かれ、台湾では1927~36年台湾教育会の主催で台湾美術展覧会(台展)が10回、日中戦争勃発のため中止となった1937年の翌年1938年から主催が台湾総督府文教局に変わって台湾総督府美術展覧会(府展)と改称され、43年まで6回開催されました。
関東軍の主導で1932年建国された「満洲国」でも1937~44年満洲国美術展(満展)が7回開かれました。
※1945年8月に予定されていた第8回満展は、会場設営を終えていたが、直前にソ連の侵攻があり、一般公開はされなかった。
他の文化ジャンル同様、朝鮮や台湾では欧米の近代美術が統治国日本を通じて入ってきました。
つまり、西洋近代美術との「出会い方」が日本とは大きく異なるのです。そのことはまた、戦後のそれぞれの美術のありようにも影響しています。
そんな日本・韓国・台湾の近代美術の共通点や差異点、それぞれの特色といったものを直接見てみようという意図で足を運んだというわけです。
行く前に読んだ5月21日「毎日新聞 夕刊」の<目は語る・アート逍遥>で高階秀爾大原美術館館長は次のようなことを書いていました。(原文→コチラ.会員制)
官展制度の導入は一面においては日本の文化政策の「押しつけ」であり、入選や受賞を決める審査員もほとんど日本人で占められていたこともあって、時には現地の強い反発も招いた。
しかしその一方で、これらの官展を通じて多くの作家が西欧の正統的写実主義やモダニスムを受け入れ、伝統的感性を生かしながら優れた作品を生み出し、それぞれの国の近代美術史において大きな役割を果たしたこともまた事実である。(中略)
現在、東京の府中市美術館で開催されている「東京・ソウル・台北・長春-官展に見る近代美術」展は、日本も含めた各地の「近代美術」の様相を、官展を通じて検証しようとした文字通り画期的試みである。
・・・実は私ヌルボ、この記事に触発されて見に行ったわけですけどね。
展示作品は93作家129点。
日本の画家たちが朝鮮や台湾等を描いた作品も多く展示されていました。竹内栖鳳・前田青邨・土田麦僊・黒田清輝・藤島武二・岡田三郎助・石井伯亭・梅原龍三郎・安井曾太郎・伊原宇三郎等々。
展示室に入ってすぐ、いきなり目に入ったのが和田三造の「朝鮮総督府壁画画稿(三幅対)」。(次の画像)
【上の画像は<InternetMuseum>より。】
朝鮮総督府の中央ホールに、和田三造の描いた壁画「羽衣」があったことは知っていましたが、その「画稿」が兵庫県立美術館にあり、それが今回ここで展示されているとは知りませんでした。
彼は兵庫県生野町(現・朝来市)の生まれなんですね。またこの壁画の画題に「羽衣」を選んだのは、彼が羽衣伝説が日本と朝鮮共通の伝説であることに着目したからだそうです。
私ヌルボはその壁画を1992年最初の韓国旅行の時に当時は中央博物館になっていた旧朝鮮総督府で見ました。1995年その建物が解体・撤去された後どうなったのかと気になっていましたが、国立中央博物館が所蔵しているそうです。しかし公開展示されているされているようでもなく、今後はたして日の目を見るのはいつのことか・・・。
その他の日本の画家が描いた絵も興味深いものですが、ヌルボとしては日本の統治期の朝鮮人画家を誰一人として知らないばかりか、現代に至るまでの韓国の近代美術史についてほとんど無知だったことに気づきました。
これを機会に戻ってきてからにわかベンキョー中なのですが、大いに重宝なのが美術館で購入した図録です。
いやー、この図録はすごい! 高階秀爾先生も次のように書いていました。
担当学芸員をはじめ、日・韓・台の研究者による、さまざまな視点からの示唆に富む論文を多く収録し、入念な調査に基づく各地の官展に関する基礎的資料をも収めたカタログも、今回の企画の重要な成果として高く評価されよう。
2千円が「安い!」と思えたのはヌルボにとって非常にめずらしいことでした。
・・・ということで、次回(いつになるか?)は朝鮮の近代美術について、です。
私が行った時も閑散としていました。若い女性2人連れが韓国人留学生ということを帰りのバスの中で知りましたが、時間がなくてほとんど話を聞けなかったのが残念でした。
私もたまたま高階秀爾さんの新聞記事を目にしたのがラッキーでした。
いろいろ情報は仕入れているつもりでも、漏れはたくさんありますね。
<日韓文化交流カレンダー> →
http://www.jkcf.or.jp/calendar/index.php
は便利ですが、これに載ってないものもたくさんあるし・・・。