自分の思っていることを素直に表現する事がですよう。やはり、レンゲさんは表現者なのですよね。
それで、デンマンさんが持ち出してきたあたしの手記と、あたしが感銘を受けた上の言葉と何か関連があるとおっしゃるのですか?
その通りですよう。レンゲさんの死にたいと言う衝動的な言葉と、愛への渇望が次の言葉の中で一つに結びついていると思えたのですよう。
恋愛がわれわれの生命であるときは、
一緒に生きていることと、
一緒に死ぬこととのあいだに、
どんな相違があろう?
つまり、寂しくて死にたい、死にたいと漏らしていたレンゲさんのオツムの中では“恋愛”はレンゲさんの命だった。
つまり、その“愛と恋”を肌身で感じていない以上、生きていないのと同じことで、それであたしが死んでしまいたい、と口癖のように言っていたと。。。?
そうですよう。僕にはそう思えた。
でも、上の言葉は愛し合っている男と女が命がけで愛し合っているとき、一緒に生きていようと、二人で死のうと、その間に違いが無いと言う事ですよね?
そう言う事ですよう。恋愛至上主義の行き着くところでしょうね。この世で愛し合いながら一緒に生きられないなら、二人の愛を胸に秘めて一緒に死ぬ。恋愛が二人にとって命ならば、この世で引き裂かれるよりは一緒に死ぬ事で愛に生きる事になると。。。
デンマンさんも、そういう考え方に共鳴するのですか?
いや。。。、僕は理屈では分かっているつもりだけれど、恋愛と死をそれ程までに結びつけ美化する気持ちにはなれません。
レイモン・ラディゲは『肉体の悪魔』の中で恋愛と死を美化する気持ちになっていたのでしょうか?
なっていたのですよう。
どうして、デンマンさんは、そう断言するのですか?
ラディゲは、次のように書いていますよう。
ガラスが割れれば、
猫はその隙に付け入ってチーズをいただくだろう、
たとえ、自分の飼い主がガラスを割り、
指を切って苦しんでいたとしても
つまり、ガラスが割れている状態と言うのが戦争に他ならないのですよう。戦争が始まり人々の暮らしに様々な影を与えている、その不安な時代が『肉体の悪魔』の背景なのですよう。
要するに、戦争が始まって、マルトの婚約者は戦場に赴く。その間に泥棒猫のように15歳の少年がマルトに近づいて“チーズ”をいただく。。。そういう事ですか?
簡単に言えば、この“不倫物語”は、そう言う事なんですよう。でも見逃してはならないのは、間接的に戦争の悲劇とやるせなさを嘆いている。この物語は戦争が終結する前に始まっている。
第一次世界大戦
ロマンチックな戦争
1914年の開戦時、普仏戦争以来ヨーロッパで40年振りの戦争は、騎士道精神に彩られたロマンチックな姿で描写され、両陣営の国民はその発表を大熱狂で歓迎した。
この戦争は、少数の戦闘からなる短いものとなるだろう。
そして敵国の首都へ入城して終わり、「クリスマスまでには」凱旋して普段の生活に戻れるだろう。
多くの若者たちが、戦争の興奮によって想像力を掻きたてられ、国家宣伝と愛国心の熱情に押されて軍隊へと志願した。
塹壕戦の始まり
第一次マルヌ会戦の後、両軍はフランス北東部に塹壕を構築し持久戦へと移行した。
両軍が築き始めた塹壕線は、やがてスイス国境からベルギーのフラマン海岸まで続く線として繋がった。
いわゆる「海へのレース」である。西部戦線での戦闘は、1914年のクリスマスを過ぎても終わらなかった。
陰鬱な塹壕戦はその後4年間続けられた。
数百万の兵士が塹壕に貼りつき、いずれの側も敵軍に決定的な打撃を与えることはできなかった。
大量殺戮の場と化す
ドイツ軍が占領地を防御しようとする一方で、英仏軍は攻勢をとろうと努めた。
英仏軍の塹壕は、ドイツ軍の防御線を突破するまでの一時的なものとしか考えられておらず、ドイツ軍の塹壕は英仏軍の塹壕よりも堅固に構築されていた。
1915年から1917年を通じて、両軍は何百万という死傷者を出したが、英仏軍の損害はドイツ軍の損害を上回った。
1916年のヴェルダンの戦い、そして1916年夏のソンムの戦いにおける英仏軍の失敗により、フランス陸軍は一時は崩壊の瀬戸際まで追い詰められた。
1917年春のニヴェル攻勢では、無益な正面攻撃でフランス歩兵部隊が大損害を受けたために、戦闘後に抗命事件が発生した。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
最初の期待とは裏腹に戦争は長引いてフランス軍は戦意消失した。もちろん銃後のフランス市民も耐乏生活を余儀なくされた。それで、『肉体の悪魔』の主人公も嘆いている。
僕はさまざまな非難を受けることになるだろう。
でも、どうすればいい?
戦争の始まる何か月か前に十二歳だったことが、
僕の落ち度だとでもいうのだろうか?
戦争にうんざりして、耐乏生活に苦しみながら、これから青春を迎える少年の心理がどういうものか?レンゲさんに想像がつきますか?
なんとなく分かりますわ。
すでに『小百合物語』の中で取り上げたけれど、司馬遼太郎さんのエッセーを読むと実に良く分かりますよう。
車中の女性
学生のころ、毎日、市電のなかで乗りあわせる女性がいた。いつも和服で、黒い折カバンをひざの上におき、濃いみどりのハカマをはいていた。その当時、女学校には専攻科というものがあったから、このひとは、そういう種類の学校に通っていたのだろう。
とくに美人というわけではなかったが、なんとなく、声のうつくしい人に相違ないと想像していた。むろん声をきいたこともなく、その顔でさえ、動揺のはずみに、かろうじて盗み見する程度だった。しかし、そのひとに会えない日があると、私はひどく気落ちがした。会った日は、かつて経験したことのない、ふしぎな疲れをおぼえた。
一年たった。私どもは、第一次学徒出陣というあれで、兵営に入れられることになった。そのころの戦局では、兵隊にとられることは死を意味していた。人生二十五年、ということばがはやっていた。ところが、私はまだ二十一歳だった。二十五歳にさえ達しない前に、私は死ぬかもしれない。死ぬまでに、一度でも異性とことばを交わしてみたかった。それには、あのひとをおいて、ほかになかった。
そのころ、私と同窓で、海軍予備学生を志願した男があった。彼の先輩が、この男の青春をあわれんで、カフェに連れて行ってやった。女給さんが、その男の手をにぎってくれた。かれはしばらく手のひらの温かみに堪え、やがておずおずと自分から、手を女給さんの手のひらにかさねて、これが女のひとの手か、とふるえ声でいったという。ばかばかしいが、その程度が、私どもの許容された青春だった。
私は、そのひとと言葉をかわさねばならなかった。言葉の内容は、何度も考えて、すでにセリフのように頭の中に入っていた。その言葉は、練りに練った狡猾な知恵から出ていた。「あの」と、まず、口ごもるのだ。「わたくしに、慰問文をくださいませんか」。相手の安価な同情に訴える、なんといううすぎたない言葉だろう、とやや自分をさげすんではみたが、私には、これ以外に他に策はないとも思った。
何日かすぎた。私に勇気がないために、何度かむなしく機会を逸した。入営の日は、せまっていた。私は、あせった。ある日の午後帰りの電車のなかで彼女の姿をみた。私は、きょうこそ、と思った。私の降りる停留所は彼女よりも近い。それを、非常な勇気と忍耐で通りすごした。
やがて、彼女は降りた。私は、夢中であとにつづいた。うしろから追いすがるようにして、「あの」といった。
彼女は、ふりむいた。私は、帽子をとり、頭をさげ、どうしたことか、それっきりだまった。おぼえたはずのセリフが出なかったのだ。みるみる背中に汗が流れた。そのとき、一瞬、彼女の表情に怖れが走った。
それを見たときは、すでに、私の視野から彼女の姿が見えなくなっていた。どうしたことか、私は夢中でもときた道を走ってしまっていたからだ。ふと、途中で立ちどまってうしろをふりむいた。彼女の背がみえた。彼女も、前かがみになって、懸命に逃げていた。
ばかな話さ、といまでもときどき、この光景をおもいだす。しかしあのころは、ついに彼女と口をきけなかったことを、外地で、なんどか悔恨のほぞを噛んだ。なんのためにおれの青春は存在したか、とさえ、大まじめに考えた。それから二十年ちかくなる。いまでも、ときどき、思いだすことがある。が、いまだに私は、この話を、私自身でわらう気にはなりきれない。
1961(昭和36)年5月
221-223ページ
『司馬遼太郎が考えたこと』 エッセイ 1953.10 - 1961.10
新潮社 2001年9月25日発行
『愛@軽井沢』 (2008年8月18日)より
15歳の少年も司馬さんのように自分の青春を考えさせられたのでしょうか?
同じような状況に置かれたら、僕だって死ぬ前に青春らしい青春を味わってから死にたいと思うでしょうね。
それで、少年はマルトに接近して行ったのですか?
当然のことながら少年が生きていた時代を無視する事ができませんよう。レイモン・ラディゲが早熟だったのは、おそらく早熟にならねばならない時代的背景があったのですよう。
それが、第一次世界大戦下のフランスですか?
僕は、そう思っているのです。
でも、それだったら、あの時代に生きた少年はすべてが早熟だという事になるでしょう?
もちろん、個人差がありますよう。レイモン・ラディゲは、ちょうど司馬さんのように“青春”を突き詰めて考えるような少年だったのですよう。司馬さんは、決断して“車中の女性”に声をかけたのですよう。
。。。で、“肉体の悪魔”の少年はマルトを追いかけようと決めたのですか?
そうですよう。
ちょうど、デンマンさんが由香さんを追いかけたようにですか?
ん。。。?由香さん。。。?
とぼけないでくださいな。んも~~
【レンゲの独り言】
ですってぇ~。。。
デンマンさんも少年の頃、年上の女性に憧れを持ったことがあるのですよね。
あなたはどうでした?
ところで、『肉体の悪魔』の主人公は、若いくせにけっこうひねくれ者です。
人妻・マルトの買い物に付き合って、家具についてあれこれ口出しをするのです。
それで、家に帰って、「マルトと夫の新婚の夜」が自分が選んだ家具で埋め尽くされた中で行われるっていうことを想像して喜ぶのですわ。
ちょっと気持ちが悪いですよね。
それから、マルトの夫が可哀想になりました。
自分の子供だと信じながら、実の父親の名前がつけられた子供を育てていく。
ちょっと残酷ですよね。
考えてみれば第一次世界大戦のフランスと言う、狂気の中で繰り広げられた物語です。
平和な時代に生きている私達には、ちょっと考えられない事が起こっているのもうなずけます。
とにかく、面白い話がまだ続きます。
どうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。
メチャ面白い、
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こんにちはジューンです。
ヨーロッパでは第一次大戦の前までは、
戦争は騎士道精神に則(のっと)ってなされていたそうです。
開戦時にイギリス海軍大臣だった
ウィンストン・チャーチルは、次のように言っています。
「第一次世界大戦以降、戦場から騎士道精神が失われ、
戦場は単なる大量殺戮の場と化した」
また、職業軍人に限らない膨大な死者が発生したのも
この大戦が初めてでした。
さらに、戦時統制による一般市民の生活に
大きな影響が出たのです。
皮肉にも、現在、私たちの旅行には
欠かすことのできない飛行機は
この大戦のときに新兵器として投入されたのでした。
第一次、第二次大戦がなかったら、
飛行機は現在のような便利な乗り物には
なっていなかったのかもしれません。
ところで、英語の面白いお話を集めました。
時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。
■ 『あなたのための 楽しい英語』
とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。