小百合さんが佐野から館林にある実家の仏壇にお父さんの遺骨を迎えにゆき、それから榛名山の中腹のお墓まで行って納骨する。
父はどんな風景を毎日をみていくのかな~?
と思い、墓石のうしろにまわり正面をみました。
何もさまたげる物もなく180度いっぱい
大地と空だけでした。
大地なんておおげさで 普段使わない言葉です。
榛名山の裾のように広がる だだっ広い高原です。
子供達も「ここに納骨するの?」と寂しそうでした。
父の好きだった、ビールや どらやき りんご 赤飯
手ずくりしたクッキー、すはま(ピンクのもち)を備えて
しばらく一緒に冷たい風の中にいたのです。
この時、小百合さんが榛名山の中腹に立って、冷たい風の中でだだっ広い裾野を見渡している姿。。。僕はその時の小百合さんのイメージを年上の憧れの女性を慕うような少年の心で思い浮かべているのですよう。
これがデンマンさんのオツムの中の小百合さんのイメージでござ~♪~ますか?
そうですよう。。。うしししし。。。
うしししじゃござ~♪~ませんわ。デンマンさんは、何が何でも小百合さんのことをロマンチックにイメージしようと思っているのでござ~♪~ますわ。
そういう訳ではありませんよう。妄想している訳ではありません。僕はこれまでの小百合さんのメールや投稿。。。それに、小百合さんと会って、いろいろと話したこと。。。そのような事を思い出しながら、“新盆”の意味を考えたときに、また小百合さんの懐かしい姿が僕のオツムのスクリーンに映し出されるのですよう。
それは、どのようなイメージなのでござ~♪~ますか?
僕は“新盆”という意味が分からなかった。だから、次のシーンは取り分け僕の興味を引かなかった。
雷の後 とても 気持ちの良い風が入ってきて、
そう 私が使っていた 2階の部屋はとても
風通しがいいのです。
何だか 帰るのが おっくうになり うたた寝 してしまい、
南の方で花火の音がしていたような、どこだろう?
朝方 下の台所で音が聞こえたけど だれもイナイ。
まだ 父と母が暮らしていて 私たちの為に おにぎりでも
作ってくれてる 錯覚をします。
でも、“新盆”の意味を調べて、改めてこの場面を読むと、映画になるような素晴しいシーンなのですよう。
そうでしょうか?
お父さんが亡くなって初めて迎えたお盆に、小百合さんは実家の自分が使っていた部屋に居るのですよう。うたた寝している。どこかで花火の音がしているようだ。お父さんとお母さんがまだ元気だった頃の映像が心に浮かんでくる。。。どうですか?。。。小百合さんの優しい心。。。小百合さんの子供の頃の、ほのぼのとした両親との心の触れ合い。。。なんだか名画を見るような気持ちになりませんか?
なりませんわ。
ん。。。?卑弥子さんは、名画を見るよな気持ちにならないの?。。。どうして。。。?
どうしても、こうしても、ござ~♪~ませんわ。このような些細な事でも、小百合さんの事となるとデンマンさんはロマンチックにしてしまうのでござ~♪~ますわ。ところが。。。、ところが、あたくしとはロマンチックな気分になるべきなのに、デンマンさんは、そうはならないのでござ~♪~ますう!
ヨガの秘法 - 「鶴の舞」
この「鶴の舞」はスートラ・ヨガの秘法なのでござ~♪~ますわ。
古代インドのヨガ呼吸法の奥義や、宇宙エネルギーとの合一の秘法から編み出された型なのですわ。
呼吸を整えながら10分間、上のように静止した姿勢で居ることは、奥義の域に到達した者でない限りできないものなのでござ~♪~ます。
あたくしは10年間修行を積んで、やっとこの秘法を会得(えとく)したのでござ~♪~ますわ。
しかも、この「鶴の舞」を殿方にご覧に入れれば、その方の心を引き寄せてしまうと、言い伝えがある秘伝の奥義なのですわぁ。
『ルート66のフライと小百合さん』より
(2007年11月28日)
あたくしがせっかく「鶴の舞」をデンマンさんにご覧に入れたのに、デンマンさんは無感動どころか、その後で、あたくしを無視しようとなさったのですわ。
卑弥子さんを僕が無視したと。。。?
そうでござ~♪~ますわア。この「鶴の舞」を好きな殿方にご覧に入れれば、その方の心を引き寄せてしまうという言い伝えのある取って置きの秘法でござ~♪~ますわ。ところが、その晩、あたくしがデンマンさんとお布団を並べて寝物語をしようとしたら、デンマンさんはあたくしのお布団とデンマンさんのお布団の間に“ついたて”を立ててしまったのでござ~♪~ますわ。
また。。。、また、卑弥子さんは、その話を持ち出すのですかぁ~?
だってぇ~、ヨガの秘法も効き目がなかったのでござ~♪~ますわア。。。あたくしは清水(きよみず)の舞台から飛び降りるつもりで。。。決死の覚悟をしてデンマンさんに、あたくしのむき出しの姿をお目にかけたのでござ~♪~ますわア。ところが。。。、ところが、アンナさんのヌードにはデンマンさんが呆れるほどのこだわりを示したのにィ~、あたくしの“おヌード”には拒絶反応を示したのでござ~♪~ますわア。これは。。。これは。。。デンマンさんの上の理論に従うのであれば、あたくしの「鶴の舞」を“はしたない姿”だと見下して目をそむけたのでござ~♪~ますわ。醜い姿、もう二度と見たくない醜態(しゅうたい)だと思ったのでござ~♪~ますわね?
やだなあああぁ~。。。もうずいぶん前の事ですよう。
アンナさんの事は20年も前の事ですわ。それから比べれば箱根の事は、つい最近の出来事でござ~♪~ますう。。。んもお~~ あたくしは、女として。。。アンナさんと変わらぬ女としてデンマンさんに侮辱されたような気がいたしますわ。
あのねぇ~、卑弥子さんは、かなりオーバーに反応してしまっていますよう。。。。それも。。。それも。。。卑弥子さんの誤解ですよう。
誤解ではありませんってばあああぁ~。。。んもお~♪~!
『衝撃の角度 (2008年6月1日)』より
卑弥子さんは。。。、卑弥子さんは、また箱根の出来事を持ち出すのですか?
だって、そうでしょう!あたくしと、とってもロマンチックな夜になるという時に、デンマンさんはあたくしのロマンをぶち壊してしまったのでござ~♪~ますわ。繊細な女心をズタズタに切り裂いてしまったのでござ~♪~ますわア。
あのねぇ~。。。卑弥子さんはロマンと言うけれど、そのロマンも過激なものになったら、ロマンではなくなってしまうのですよう。
つまり。。。、つまり。。。、あたくしがあまりにも過激だったとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?
そうですよう。これ以上過激なロマンは無いと言うほどに、衝撃的で過激だったのですよう。
そうでしょうか?
そうですよう。卑弥子さんは清水の舞台から飛び降りるつもりで。。。決死の覚悟をして僕にむき出しの姿を見せたのですよう。。。そうでしょう?。。。僕は度肝を抜かれてしまったのですよう。。。本当にびっくりしましたよう。
それで、もう、あたくしを愛しては下さらないのでござ~♪~ますわね?
愛していますよう。だからこうして『小百合物語』を卑弥子さんと二人で進めているのではないですかぁ~。もし。。。、もし、あの箱根の夜、僕の愛が冷めたなら、現在こうして卑弥子さんと一緒にやってませんよう。
そうでしょうか?
今日のタイトルをじっくりと読んでみてくださいよう。
さまざまな愛
このタイトルがどうだとおっしゃるのでござ~♪~ますか?
つまり、愛にはさまざまな愛があるのですよう。小百合さんとお父さんのほのぼのとした父と娘の愛。小百合さんが子供たちに示す、さりげない愛。そんな小百合さんに寄せる僕の少年のような憧れの愛。。。
。。。んで、んで。。。あのォ~。。。デンマンさんのあたくしに寄せる愛も、まだ冷めてないとォ~。。。?
そうですよう。。。もちろんですよう。。。“ついたて”を立てるのも、間違いなく一つの愛の表現なのですよう。
そのような事をあたくしに信じろ、とデンマンさんはおっしゃるのですか?
あのねぇ~、衝撃的で過激なロマンはロマンとは言えないのですよう。。。それは狂気ですゥ。。。だから、僕は“ついたて”を立てて、卑弥子さんが冷静で繊細な心を取り戻して欲しいと願ったのですよう。。。分かるでしょう?
そうだったのでござ~♪~ますか?
もちろんですよう。うへへへへ。。。
【卑弥子の独り言】
ですってぇ~。。。
もちろん、あたくしはデンマンさんの言うことを信じておりませんわ。
ここであたくしが反発すると、長い記事がまた長くなるだけなので、一応このような形で終わらせたのでござ~♪~ますわ。
あさって、デンマンさんに突込みを入れたいと思います。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。
ィ~ハァ~♪~!
メチャ面白い、
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こんにちは。ジューンです。
堀辰雄の『美しい村』を読みました。
今度、軽井沢へ行く機会があったら
ぜひ「ささやきの小径」を歩いてみたいと思います。
アカシアの花が印象的に残っています。
次の美しい描写が忘れられません。
あのサナトリウムの裏の生墻(いけがき)の前は何遍(なんべん)も行ったり来たりしたけれど、その方にばかり気を奪(と)られていた私は、其処から先きの、その生墻に代ってその川べりの道を縁(ふち)どりだしているアカシアの並木(なみき)には、ついぞ注意をしたことがなかった。ところが或る日のこと、サナトリウムの前まで来かかった時、私の行く手の小径(こみち)がひどく何時(いつ)もと変っているように見えた。私はちょっとの間、それから受けた異様な印象に戸惑(とまど)いした。私はそれまでアカシアの花をつけているところを見たことがなかったので、それが私の知らないうちにそんなにも沢山(たくさん)の花を一どに咲かしているからだとは容易に信じられなかったのであった。
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『美しい村』 (青空文庫) より
あなたも、軽井沢へ行ったら
『美しい村』を思い出しながら、
散策すると、また格別な味わいがあると思いますわ。
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。
暑さを笑って吹き飛ばしたかったら
ぜひ読んでみてくださいね。
■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』
では、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょうね。
じゃあね。