デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

あなたも世界に羽ばたいてみませんか?

2006-04-24 17:35:21 | 海外留学・国際化・グローバル化



あなたも世界に

羽ばたいてみませんか?

 




よっぽど獅子狩文錦が気に入っているんですね!?
確かにあの図柄にはロマンがありますよ!

僕の場合は聖徳太子ーその魅力的なお母さんーペルシャ文明ー古代オリエントというロマンですよ!

ロマンを持てない人間は死んでいるのと同じですからね。
動物と人間の違い!それはロマンを持っているか?いないか?

それほどロマンは重要なことだと僕は思っていますよ!
(*^_^*)キャハハハ。。。

デザインの勉強と言うのは、ロマンを追い求める勉強でしょう???
アミサさんがブリスベンでデザインを勉強している。。。

このことだけをとってみても、多くの“病める日本”に居る無気力な若者にとっては、絶対に手の届かない大ロマンのはずなんですよ!

それを、今、アミサさんは実現している。
もちろん、現在のアミサさんはそれ程の大ロマンとは思っていないに違いない!
でも、多くの教育ママに育てられて自分を見失ってしまったNEETの若者たちには今、アミサさんが夢物語の人生を送っていると思う人はかなり居るはずですよ。

そう言う事を考えると、アミサさんはちょっぴり変わった女の子でしょうねェ~。
もちろん、僕にとってはいい意味でね。

> あ、はは・・・変わってますね。自覚済みです♪ だからハッキリ言って、同年代の
> 友達と話があまり合いません。。。というか人付き合いがめんどくさいです。
> がんばらないといけないのはわかってるんですけどねぇ、
> 今またこじれちゃってちょっとまいってます(≧Д≦)ノ彡
> そうそう。その親友もその1人です。私が日本を離れてるあいだにちょっとした
> トラブルに巻き込まれてるみたいで・・・
> 私は中学で反動が起きちゃって、勉強を大嫌いになったんです。

「今またこじれちゃってちょっとまいってます(≧Д≦)ノ彡」かも知れないけれど、
多くの人にとって「夢物語の人生」を、たった今、アミサさんが歩んでいるという事を考えてみなさいね。
そうすれば、そんなことは小さなことなんですよ!
大ロマンに向けてやっていると言う気概と実感を持てば、苦労は苦労ではなく、悩みは悩みではなく、すべてが人生の肥やしになるもんですよ!

可愛い子には旅をさせろ

昔の人はいい事を言ったものです。
アミサさんのお父さんもお母さんもそのつもりでオーストラリアに出したんでしょうね。

教育ママに育てられたら、自分を見失なっちゃうかからね。

> 教育ママでしたよ。厳しい塾に入れられて、ムリヤリ長時間勉強されて、
> それで反発してしまったわけですが、別にぐれたわけでもなく
> いい方向に自分を進めることができたんです☆
> (↑そのせいで変わりものに・・・?笑)
> 自分のやりたいことを自分の意志で思うようにやっていこうって思うようになりました。

とにかく、It turns out okay!でよかったね。
そうですよ、そうですよ!
多くの人にとって、それは、ロマンと夢の人生なんですよ!
「ロマンと夢の人生」を歩いているんだと、改めて味わってくださいね。
そうすれば、頑張る気持ちがますます湧いて来ますよ!(^Д^)ギャハハハハ。。。。

ブリスベンでデザインの勉強をしているアミサさんとのやり取りは
次のリンクをクリックすると面白い記事を読むことが出来ますよ。

『ブリスベン と バンクーバー』

あなたもロマンを求めて世界に羽ばたいてみませんか?
ええっ?留学なんてとても無理です。
そういう風にやる前から投げ出してはいけませんね。

「したいんだけどなああ~~~できないわ」

どうして?

「だってね、TOEFLの点なんて恥ずかしくて人に言えないもの。。。」

TOEFLなしで入学出来るとしたら?

「ウッソお~~~~???」

ウソじゃありませんよ。マジですよ。

「わたし、大学を中退して、海外の大学へ留学したいと考えているのですけれど。。。」

やっぱり語学力が心配ですか?

「英語力をつけたいのですけれど、現地の語学学校で学んだほうが良いですか?」

行ってしまえばなんとかなる。。。と思っているでしょう? 基礎的な英語力がないと、同じ授業を何回受けてもレベルアップせず、余計な時間を費やしたり、場合によっては生活もできずに帰国…といったケースもあるのですよ。

「やっぱり、留学する前に語学力をつけたほうがいいのでしょう?」

全く英会話が出来ないよりは、ある程度意思疎通ができるようになって、生活面、学校面で支障がない程度まで上達してから現地に行く方が、留学生活が充実したものになりますよ。とにかくそう言う悩みなど何でもいいから相談してみたら?

「どこで?」

次のリンクをクリックすると、あなたをサポートしてくれるエージェントに出会うことができますよ。

『あなたの留学やワーホリをサポートしてくれる留学エージェント』

まず、無料資料を取り寄せて読んでみるといいよ。もし、たくさん質問があったら、留学やワーホリについてカウンセラーと会って話を聞く事もできますよ。

何事も一歩を踏み出すことが大切ですよ。
あなたも知っているでしょう?
“万里の道も一歩から”
じゃあ、頑張ってくださいね。
応援していますよ。

Good luck!
バ~♪~イ



あなたが絶対、

見たいと思っていた

面白くて実にためになるリンク



■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』

■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

■ 『見て楽しい、読んで面白い 私版・対訳ことわざ辞典』

■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』




おほほほほ。。。

卑弥子でござ~♪~ます。

くどいようですけれど、また現れました。

ええっ、何で留学とワーホリの記事に

顔を出すのかって?

あたしも、留学かワーホリしたい

ざ~♪~ますのよ。

やっぱり、世の中って

グローバル化しているでしょう?

こういう十二単(じゅうにひとえ)なんか

着ている場合じゃないですよね?

これって、ダサイでしょう?

そういうわけですから、あなたも、

ぜひ留学かワーホリやってみてくださいね。

それから、『新しい古代日本史』サイトも

よろしくね。

あたくしがマスコットギャルをやってるので

ござ~♪~ますのよ。

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。


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良妻賢母はどこへ行ってしまったの?PART 1

2006-04-23 20:09:06 | 病める日本・高齢化社会



良妻賢母は

どこへ行ってしまったの?

 


女大学

江戸時代中期から明治時代にかけて流布した女子の日常生活における教訓書。
著者・成立年代については不詳であるが、1729年(享保14年)に初版本がある。

貝原益軒が1710年(宝永7年)にあらわした『和俗童子訓』の中の巻之五「女子を教ゆる法」をもとに後人が作成した者とする説が有力である。

19か条を箇条書き形式により、女子教育の必要と理念(3か条)および婚家での婦人としての心得(16か条)について諭(さと)している。

これは、両親・舅・姑・夫への絶対服従をはじめ、近世における社会・家族制度のもとでの家を存続し強化するのに必須の女子教訓を簡潔な形で示したものである。

SOURCE: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


デンマンさん、今日は定さんのことではないのですね?

いや、全く関係ないわけじゃありませんよ。定さんの事もそのうち出てきますよ。ところでレンゲさんはどう思いますか?

どう思うって、定さんの事ですか?

そうじゃなくて、“良妻賢母”のことですよ。

なんとなく古めかしい言葉として聞こえますわ。それも、デンマンさんが引用した女大学の“教え”なんでしょう?

そのように考えている人が結構多いんですよ。でもね、僕自身は“良妻賢母”と“女大学”とが関係しているとは全く考えても居なかったんですよ。

デンマンさんは、どう思って居たのですか?

僕は、読んで字のごとく、単純に“良い妻であり賢い母である”と理解していたんですよ。つまり、“good wife, clever mother”だと、素直に思っていた。要するに僕のオツムの中の辞書には“良妻賢母”と“女大学”との関連は全くなかった。

でも、実際には“良妻賢母”というのは封建的な考え方なんでしょう?

そう考えている人が居る事が僕も分かったんですよ。僕は次のような記事を書いたことがあるんですよ。
『日本から失われつつある良妻・賢母』

それで。。。?

この記事にコメントを書いてくれた人が居るんですよ。nakamuraさんという人です。去年(2005年)の7月6日にWABLOGのブログで書いた記事に次のようなコメントを書いてくれました。


懐古主義に過ぎないのでは。。。?

はじめまして。

私はむしろ良妻賢母という考え自体がおかしいのではないかと思います。良き妻、良き母はこうあるべきである、という考えは女性を抑圧し、そういった型にはめてしまう思想であると考えるからです。

戦前の軍国教育の成果としてデルマンさんたちの母君方が良妻賢母になったという考えは、失礼ですが懐古主義に過ぎないのではないでしょうか。

あの時代、父権は絶対視されており、子供時代は親に、嫁げば夫に、老いては子に従えといった当時の「女の教育」は絶対に評価されるべきものではないでしょう。

また、近年の母親による子供への虐待の原因を現在の日本の教育のみに帰するのはあまりに短絡的ではないでしょうか。虐待をする親は幼年期に同様の虐待を受けているケースが多いと聞きます。

そういった様々な要因が重なって怒った事件によってなぜ軍国教育うんぬんを持ち出されるのか、理解に苦しみます。

nakamura 2005年8月3日 06:43

『はじめまして』より


nakamuraさんは“「良妻賢母」という考え自体がおかしいのではないかと思います。良き妻、良き母はこうあるべきである、という考えは女性を抑圧し、そういった型にはめてしまう思想”と書いているんですよ。僕は、前にも書いたように、“良妻賢母”を単純に good wide, clever motherと考えている。

デンマンさんは、“良妻賢母”を軍国主義教育と結びつけて考えているわけではない、とおっしゃりたいのですね?

そうですよ。

でも、そのように考えている人は多いと思いますわ。

僕も、nakamuraさんのコメントを読みながら、説明不足だったと思いました。詳しい事は次のスレッドで書いていますので、関心のある人はクリックして読んでみてください。
『日本から失われつつある良妻・賢母』 (スレッド)

それで、良妻賢母というのは軍国主義とは関係ないのですか?

僕も、この言葉がどのように生まれたのか調べてみようと思って、検索エンジンに当たってみました。

それで。。。?

GOO国語辞典で調べたら次のように出ていましたよ。


夫にとってはよい妻であり、子にとっては賢い母であること。
日本の女子教育の中心的理念の一つとされてきた。


でも、出典までは書いてない。中国から伝わった考え方だと思ったから、四字熟語辞典で調べてみたんです。そしたら、中国では“良妻賢母”と言わないことが分かった。

なんと言うのですか?

“賢妻良母”と言うんですよ。

うっそォ~~

中国の四字熟語が日本に伝わる際に、内容や順序が変わってしまうことが良くあるけれど、これもそのひとつですよ。韓国では、“賢母良妻”と言って、妻よりも母が先らしいですよ。ところで、中国製の洗濯機に“閑妻良母”というのがあるんですよ。もちろん、これは“賢妻良母”をもじってつけたわけですよ。要するに“「賢妻良母」のあなたなら、「閑妻良母」洗濯機を使ってね”と言うわけですよ。中国読みにすると、“閑妻良母”と“賢妻良母”は全く同じ読み方なんですよ。

日本語読みだと “カンサイリョウボ” と “ケンサイリョウボ” になりますよね。

そうです。でも、中国語読みだと、賢(xian)と閑(xian)が同音なんですよ。だから、全く同じ読みなんですよ。家事の中でも大変なのが洗濯ですよね。中国でも変わりません。それが機械でできるようになったことで女性たちは“解放”された。つまり、中国の女性たちも洗濯機を使うことによって“閑”(時間)を作れるようになった。洗濯機であなた自身を解放してくださいね、と言う宣伝文句がこめられている名前ですよ。

面白い名前ですね。

そうでしょう?女性解放のための洗濯機と言うわけですよ。四字熟語辞典を調べていたら、出典を書いてあるものがあったんですよ。次のように書いていた。


出典 「史記」魏世家・・・良妻  「戦国策」趙策・・・賢母


でも、これは間違いですよね。なぜなら、中国では“賢妻良母”なんだから、“賢妻” と “良母”の出典でなければならないと僕は思いますよ。

中国から渡ってきた言葉だから古い熟語なんでしょうね?

「史記」が成立したのは紀元前91年頃だと言われていますよ。だから、その頃には“賢妻良母”があったかも知れませんよ。この言葉の起源を知っている人がいたら、ぜひコメントに書いてくださいね。

デンマンさんにも、この言葉の起源が判らなかったのですか?

調べたのだけれど、見つけることが出来ませんでした。でもね、古い言葉には違いないと思いますよ。僕が中国の“賢妻良母”で思い出すのは孟子のお母さんですよ。

孟子のお母さんは“賢妻良母”と呼ばれたのですか?

そう呼ばれたのは聞いたことがないけれど、有名な“孟母三遷”と“孟母断機”と言う故事がありますよ。


孟母三遷(もうぼさんせん)

幼児の教育には、環境が大切であるという教え。

戦国時代の儒家である孟子(もうし)の母に関する話です。

孟子の母は、孟子を生んだ後、まず墓地の近くに住みましたが、孟子が墓堀人夫の真似ばかりしているので、これはいけないと思い、市場の近くに引っ越しました。

すると今度は商人のまねばかりするようになったので、これもいけないと思い、三度目、塾のそばに引っ越しました。

すると孟子は祭祀(さいし)の道具を並べ、礼のまねごとをするようになったので、「こういうところこそ、我が子を育てるのにふさわしい」と言って喜んだそうです。

出典:列女伝


孟母断機(もうぼだんき)

孟子が学問を怠って家に帰ってくると、機織りをしていた母親が、織っていた織物を断ち切って、

「学問を中途でやめるのは、私が織りかけの織物を断ち切るようなものだ」

。。。ときつく戒めたという。


つまり、孟子のお母さんは賢い母親だったんですよ。要するに、“賢母”だった。でも、“良妻”である事は書いてありません。孟子は紀元前372年頃生まれ、紀元前288年頃亡くなったと言われています。2200年以上も前の話ですよ。だから、この頃から賢いお母さんの話が伝えられてきたというわけですよね。僕が言いたいのは、“良妻賢母”は日本の軍国教育の中で作り出された言葉ではないと言う事ですよ。

日本では、いつ頃から使われたのですか?

その事も調べたんですよ。でも検索エンジンで調べても出ていませんでしたよ。しかし、日本の良妻賢母で有名なのは、なんと言っても山之内一豊の妻でしょうね。


山之内一豊の妻

天下へ華々しく進む織田信長軍の中に、「ぼろぼろ伊右衛門」と呼ばれる山内伊右衛門一豊という男がいた。
そんな彼のもとに、千代という美しい女子が嫁いできた。伊右衛門は千代に上手く励まされ、少しずつではあるが立身していく。
千代の夢は伊右衛門が一国一城の主となること。

千代は伊右衛門をべた褒めして、やる気を出させたり、ひそかに蓄えた金(10両)で馬を買わせるなどして、夫を盛り立てていく。
こうして一豊は一国一城の主になってゆく。

『功名が辻』(こうみょうがつじ)は、司馬遼太郎さんが山之内一豊と彼の妻を取り上げて書いた歴史小説。
千代(見性院。初代土佐藩主山内一豊の妻)という、司馬作品には珍しく女性を主人公にした作品。
「良妻賢母」などを主題にしているといわれている。

1966年には日本教育テレビ=NETで、1997年にはテレビ朝日の連続ドラマになる。
2006年にはNHK大河ドラマの原作として使用される。

SOURCE: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


“賢妻”である事は良く分かるけれども、“良母”の具体例は書いてありませんよね。あるのかもしれないけれど、僕は読んだことがありません。レンゲさんはどうですか?

あたしも一豊の妻が“孟母三遷”のような教えを子供に話していたという故事を聞いた事がありませんわ。

日本で“良妻賢母”と言う言葉がいつ頃から使われたのかと調べたけれど、残念ながら、はっきりとは分かりませんでした。江戸時代には、どうやら使われたことがなく、明治になってから中国の“賢妻良母”を受け入れて“良妻賢母”として使い始めたのではないか。。。僕はそう思っていますよ。
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良妻賢母はどこへ行ってしまったの?PART 2

2006-04-23 20:07:49 | 病める日本・高齢化社会



戦国時代の良妻賢母とは?

戦国時代というのは、大名同士の争いもあれば、一族間の争いもあって、一時も気をゆるめられない時代。
夫婦二人が協力しなければ、世の中を渡っていけないという状況下でしたので、血縁関係よりも、婚姻関係に比重が置かれていた。
妻はいくつもの危機を共に乗り越えてきた盟友であり、いちばん信頼できるパートナー。
それが、この時代の特徴。その最も象徴的な例が、山内一豊と千代です。

山内一豊は実直さが取り柄の凡庸な武将。彼が功名を上げ、土佐藩24万石の国主になった陰には、聡明な妻、千代の存在があったと言われる。
江戸時代になって、新井白石が『藩翰譜』(はんかんふ)で、千代のことを「さかしき人」(賢い人)と呼んで賞賛しますが、これを「内助の功」と言いかえるのには、いささか疑問が残ります。
内助とは、「夫が外で働き、妻は家にいて、社会的に評価されない家事や育児だけを行っていること」を意味する言葉。
夫婦がほぼ対等で、二人の協力でやっと家を存続させている戦国期の武士の夫婦の姿とは、似て非なるもの。

ところで、戦国大名には普通、正妻のほかに側室という妻がいる場合が多いのですが、山内一豊は千代以外に妻を娶ることはありませんでした。
待望の長女「与彌」を地震で亡くす、関ヶ原の合戦で危機的状況を間一髪で脱するなど、その後二人が歩んだ道はけして平坦なものではないのですが、困難を乗り越えていくことで、二人の絆はよりいっそう深いものに変わっていったようです。

千代は、良妻賢母の象徴であり、「内助の功」で夫を立身出世させた妻、と捉えられがちですが、実際にはその範疇だけには収まらない聡明で多才な女性だったようです。
戦国大名の妻は、時に武器を持って戦い、日頃は家内の仕事を一手に担うため、多岐にわたる高い能力を要求されていました。
千代は裁縫が上手かったという記述もあります。夫が馬に鞍をつけるあいだに、裃(かみしも)一着を縫い上げるのが普通だと言われるくらい、裁縫は武将の妻としての立派な才覚とみなされていました。

また、二人は12歳も年が離れていたのですが、千代には年齢差を越えた豊かな知識が備わっていたようです。
それは天性のものというよりは、経験で培った部分が大きいようです。
自分自身が経験したことに限らず、ほかのひとの経験を聞くことによっても、ひとは追体験をすることができます。
ひとの良いところ、優れた部分を自分の人生に積極的に取り入れていく、そのような能力が千代にはあったのではないでしょうか。

『山内一豊と千代』より


どうしてかと言うと、新井白石の『藩翰譜』の中にも“良妻賢母”は使われてないんですよ。でもね、良妻賢母と言ったら、おそらくたいていの人が山之内一豊の名を上げると思います。

あたしもそう思いますわ。

ただ、同じ良妻賢母でも、戦国時代の良妻賢母と、江戸時代、明治時代以降の良妻賢母では全く意味合いが違うんですよ。戦国時代の良妻賢母は、上の文章からも分かるように、夫と妻は対等ですよ。むしろ、現在の夫と妻の立場に似ている。でも、江戸時代以降の良妻賢母はそうではないんですよ。nakamuraさんが書いていたように、良妻賢母でありながらも女性は封建的な「家」の中で抑圧を受けていた。次の文章を読むと良く分かりますよ。


国策の良妻賢母

明治初期まで、女性は政治の世界から遠ざけられ、国家とは関係のないものとして位置付けられていた。女性自身もそのような自体を当然と受け止めていた。これに、変化をもたらしたのが、明治政府による戸籍制度の創出と近代的性役割分業を特徴とする新しい家族形態の出現である。

富国強兵を掲げ、上からの近代化政策を進める明治政府は、明治4年、国民総人口の把握、脱籍者の取り締まりを目的として戸籍制度を創出した。これにより、家族は国家の基礎単位として把握される存在となり、家庭は私的存在として把握されるようになった。

近世の「いえ」は、主君に対する家臣の忠誠奉公を条件として存続し、家名・家禄・家業が三位一体となっており、職業や財産も「いえ」もついたものであったという意味で、公共領域と家内領域の区別が存在していなかった。つまり、近世社会においては、子どもも家名・家禄・家業を体現した「いえ」を存続させていくための公的存在であり、出産や育児なども私事ではなかったのである。

しかし、明治政府成立により、「いえ」とそれら共同体の関係性が希薄化し、公共領域と私的領域の区別が存在するようになり、家庭は私的な存在として把握されるようになったのである。

日清・日露戦争を経ると日本の資本主義が発達し、近代的職業が成立する。この近代的職業が登場してきたことにより、「家内領域は女、公共領域は男」という近代的な性別役割分業が成立したのである。こうして、「女性は家を守り、家事・育児を担当し、男性は外で働く」という新しい家族の形が出現することとなった。

また、国家は、国家の発展のためには、次世代を担う子供の教育が重要であるとし、国策の一つとして次世代の「国家の子供」を育てようとする学校教育制度を成立させる。これにより、それまでは男性が担当していた子供の教育を学校が担うようになる。しかし、家庭内で子供の教育を行うのは、家内領域を担当する女性である。そのため、開明派知識人たちを中心に、この「国家の子供」を育てるために、国家の基礎単位である家族の家内領域を担当し、家庭内での子供の教育を担当する女性にも啓蒙が必要であると考え始めたのである。こうして、家庭を守る妻として、子供を教育する母として女性に良妻賢母が求められるようになり、それまで、国家とは関りのないものとして位置づけられていた女性の位置づけに変化が起こったのである。

SOURCE:小山静子・著『家庭の生成と女性の国民化』 頸草書房、1999年


つまり、“良妻賢母”と言っても、時代とともにその意味する事が微妙に違ってきている、と言うわけですのね?

そうですよ。だから、良妻賢母を軍国主義だけに結びつけるのは、やはり可笑しいと僕は思いますよ。

結局、デンマンさんは、長々と話してきましたけれど、その事がおっしゃりたかったのですね?つまり、デンマンさんは、ご自分の言った事を正当化するために、こうしていろいろと引用して、やはりnakamuraさんの言った事は間違っていると指摘したかった訳ですのね?

レンゲさんにそう言われると、。。。ウ~ン、なるほど、僕は無意識のうちに自分の書いた事を正当化しているんだと思えてきましたよ。

なんですかぁ~。。。意識の上では、そのようなつもりではなかったとおっしゃるのですか?

そうですよ。僕は自分の書いたことを正当化するために、こうして長々と話してきたわけではないんですよ。

では、一体何のために。。。?

僕は、あくまでもレンゲさんのために長々と話を進めてきたんですよ。

あたしのために。。。?

そうですよ。

どういうことですか?

レンゲさんも、そろそろ良妻賢母になったらどうですか、と言いたかったわけですよ。うへへへへ。。。。

それって、マジですの?

もちろんですよ。これだけ長々と話を進めてきて、これがすべて冗談でした、なんて言えませんよ。この記事は、あくまでもレンゲさんのために書いている記事なんですよ。

今日は、格調高く終わるのではないかと、あたしは期待していたのですけれど、デンマンさんは、またあたしをコケにするつもりなのですね?

そういう予感がするのですかアアア?

そうですわぁ~。。。いや~♪~な予感がいたしますわぁ~。

じゃあ、はっきりと言わせてもらいますけれどね、いつまでも、清水君とファンディーをはいて夜桜見物している場合じゃないでしょう?

どうして、。。。どうして、またファンディー(fundies)を持ち出すのですか?

いけませんか?

だって、これまでの話の中で、ファンディーなんて全く出てきませんでしたわ。

でも、夕べレンゲさんは、またファンディーをはいて清水君とつながったでしょう?

どうして。。。どうして。。。そんな事までデンマンさんに分かるのですか?

ほらね、。。。ほらね。。。やっぱり、ファンディーを愛用しているのでしょう?

。。。つうことわあああ。。。あてずっぽうで言ったまでの事ですかぁ~~?

うへへへへ。。。

デンマンさん、。。。デンマンさんは、あたしを一体何度コケにすれば気が済むのですか?あたしは。。。あたしは。。。

レンゲさん、落ち着いてくださいよ。僕は何度も言うように、レンゲさんを馬鹿にしていませんよ。心配しているんですよ。そろそろ家庭を持ってレンゲさんが良妻賢母になろうと思えば、山之内一豊の妻のように、ファンディーをはいて高速道路に出て80キロで飛ばしながらエッチに夢中になるなんて。。。絶対にしないんですよ。

それって、。。。それって。。。デンマンさんは、あたしを絶対にコケにしていますわあああ。。。。

だから、落ち着いてくださいよ。

落ち着けって言われたって。。。山之内一豊の妻が、なぜファンディーをはくのですの?

だから、それは、たとえですよ。山之内一豊の妻がファンディーをはくわけがないじゃないですか!でも、たとえ話にしても、バ.カらしいでしょう?そう思いませんか?

それは。。。それは。。。

だから、レンゲさんも、そういう馬鹿らしい事はやめて、そろそろ良妻賢母になる準備をしたらどうですか?そうすれば、レンゲさんから清水君に、きっと注意する決心がつきますよ。いつまでも、ファンディーをはいて遊んでいる場合じゃないとね。

あたしたち、。。。あたしたち。。。遊んでいるのではありませんてばああああ。。。。愛し合っているのですわ。

だから、愛し合っているのなら、山之内一豊の妻のように愛し合ってくださいよ。

つまり、。。。つまり。。。ファンディーを使ってはダメだと。。。。

そうですよ。。。。ファンディーをはいて、つながったまま高速道路に出るのは絶対に危ないですよ。 

だから、。。。あたしは言ったではありませんかぁ~~。。。あたしたち、ドライブしている最中はしませんでした。

しませんでしたって、。。。パンツの中でつながっているんですよ。しているじゃありませんか。

“パンツの中で

 つながったまま、

 カップルが

 80キロで走行中に

 エッチに夢中になって

 ガードレールに激突、

 そのまま昇天!”


こんな事になったら目も当てられませんよ!

だから、ドライブしている時には、夢中にはならないようにしているんです。

つまり、なんですか。。。つながってはいるけれども、荒川の堤に着くまで我慢していた、と言うわけですね?

(聞こえないくらいの小さな声で)。。。そうです。

それで、また夕べも夜桜を眺めてから、花咲く桜の木の下でゆっくりと愛し合ったわけですか?

(うつむくようにしてレンゲさんはうなづきました。)



夜桜の下で愛し合うなんて風流で、うらやましいと思うけれどさぁ~、ドライブ中につながっているのは、やっぱりエログロナンセンスだと思うなあ~~。

いけませんか?

ファンディーをはいてドライブする必要はないでしょう?山之内一豊の妻だって、絶対にそんなことはしませんよ!

時代が違いますってばああああ。。。。デンマンさんはあたしたちの気持ちを、ちっとも理解していないんですわ。あたしも洋ちゃんも、いつでも愛し合っていたいんです。

たとえそうだとしても、ドライブしている時ぐらい離れていたっていいじゃないですかぁ~?人生は長いんだから。。。交通事故を起こして死んでは元も子もないんですよ。どうしてアパートのベッドの中でゆっくりと楽しまないのですか?高速道路に出て80キロで突っ走らないと、スリルがなくてつまらないのですか?

それって、。。。それって、絶対にあたしたちをコケにしていますよねぇ?

違いますよ。レンゲさんのことを僕は心配しているんですよ。

いいえ、。。。デンマンさんは、またこの記事の中であたしを可笑しな女にしているんですわああああああああ~~

【ここだけの話しですけれどね、今日もダメだったですよね。。。格調高く終わらせようとしたのですけれど。。。へへへへ。。。でもね、レンゲさんの話の続きは、ますます面白くなりますよ。どうか期待して待っていてくださいね。もっとレンゲさんのことが知りたいのなら、下にリンクを貼っておきましたからぜひ読んでくださいね。】

       
レンゲさんの愉快で面白い、そして悩み多い日々は
次のリンクをクリックして読んでください。

■ 『レンゲさんのこれまでの話を読みたい人のために。。。』

■ 『レンゲさんの愛と心のエデン』



レンゲさんをもっと知りたい人は。。。。

■ 『女探偵ふじこが試みたレンゲさんの素行調査』

■ 『“愛の正体” と “レンゲのテーマ”』

■ 『不倫の悦びと苦悩』

■ 『レンゲさんのように苦境から立ち上がった女 ー グロリア・スタイナム』

レンゲさんの写真を見たい人は。。。

■ 『レンゲさん、あなたは実はメチャ美人なんですよ!』

 
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たまには露天風呂にでも入って日頃の疲れを癒してみませんか?

2006-04-23 20:06:07 | 海・河のスポーツ・旅行・車



たまには露天風呂にでも入って

日頃の疲れを癒してみませんか?




露天風呂の良さは、なんと言っても

1に、ゆったりとした気分で入浴を楽しむ事が出来る。
2に、すばらしい景観を眺めながら心を癒す事が出来る。
3に、日本人の昔ながらの伝統を感じる事が出来る。
4に、なんともいえない情緒、旅情の中で疲れを取ることが出来る。
5に、自然により親しむ事が出来る。

あなたはどう思いますか?

でもね、混浴だと女性の場合は、なかなか思うように楽しむ事が出来ないのですよ。
なぜだかお分かりですか?

エロオヤジが居るからなんですよ。
わたしたちのような若い女性が混浴の露天風呂にやって来ようものなら、
もう鼻の下を伸ばして、じろじろ見つめるのですよ。

若い男性は、あたしたち二人が入ってゆくと、こそこそと出て行ってしまう事が多いのです。
でも、50代60代のエロオヤジは、寄ってきますわ。うふふふふ。。。

今年の1月、ジュンコさんと二人で男女混浴の「ヒバ千人風呂」で知られる青森市の「酸ケ湯(すかゆ)温泉」へ行ったのです。
そしたら、エロオヤジが居たのです。
もちろんすべての男性がジロジロ見るわけではありません。
一部男性客が遠慮のない視線を女性客にむけるのです。

たまたま、中年の威勢の良い地元のおばさんが居て、
“あんた、見ればまいね”、と怒鳴ったほどでした。
“あなた、見たらいけませんよ”という意味だそうです。

地元の湯治客の人たちは、「混浴を守る会」を立ち上げて“エロオヤジ撲滅作戦”に乗り出したほどでした。
“女性入浴者を好奇の目で見てはいけません”というマナーを記した「心得三ケ条」の看板を設置する活動が功を奏して、最近では女性客からの苦情も激減しているそうです。

年間約15万人が訪れる酸ケ湯温泉はこの数年、湯治客や観光客が増える一方で、
女性客から「男性客にじろじろ見られた」という苦情が後を絶たなかったのですが、
最近、エロオヤジが減っているそうですよ。

でも、中には女性の裸が目当ての男性も少なくないということです。
「たまに5時間も6時間も浴場に入ったままの男性がいる」と、その威勢の良いおばさんが話してくれました。
「でも、そんなに長くお風呂に浸かっていたら、のぼせてしまうでしょう」
「そうで、ねえづら、ちょくちょく脱衣所に戻るべ。おなごが現れると同時に温泉に入りきよる。あきれちゃうべ」

“見ればまいね、見せればまいね”、というのがマナーだそうです。

つまり、見たらいけません、見せたらいけません、と言うことだそうです。

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リンゴの唄、思い出しました?PART 1

2006-04-22 14:58:33 | 病める日本・高齢化社会



リンゴの唄、思い出しました?


 


 
  リンゴの唄

赤いリンゴに くちびるよせて

だまってみている 青い空

リンゴはなんにも いわないけれど

リンゴの気持ちは よくわかる

リンゴ可愛や 可愛やリンゴ


こういう歌詞なんですよね。
これが1番です。
歌詞は4番まであり、
歌詞の最後に
“リンゴ可愛や 可愛やリンゴ”というリフレイン(繰り返し)がついています。
 
4月18日にQLEPで書いた記事(『日本を繁栄の道に導いたリンゴの唄』)にメンバーの“ケムシ”さんから次のようなコメントをもらいました。


りんごの唄にはその時代背景がありながらも明るさが存在しているんですね。
りんごの唄、大好きでよく口ずさんでしまいますが、そこまで考えたことなかったです。

りんごの唄と
鐘のなる丘 

2大ハナウタとして、私の大好きなメロディーです。

by ケムシ at 2006-04-18 16:55(火) / URL


僕は早々、次のような返信を書きました。


コメントありがとうございます。

>りんごの唄と
>鐘のなる丘 2大ハナウタとして、
>私の大好きなメロディーです。



ケムシさんはキビシー時代を知っているようですね。

リンゴの唄に忘れがたい思い出を持っている人はたくさん居るようですよ。

検索エンジンで探しても結構たくさんのエピソードを見つけることが出来ます。

日本人の心にしみこんだ唄の一つでしょうね。

僕自身はキビシー時代をじかには知りませんが、
リンゴの唄のエピソードを聞くと日本人の誇りを感じますね。

たくさんの人が、あの歌を聞きながら頑張ったんですね。
中には、軽い気持ちで聞き流した人もいたでしょうけれどね。。。
へへへへ。。。。

とにかく、コメントありがとうございました。
また気が向いたら、書いてください。
じゃあね。

by バークレー(デンマン) at 2006-04-19 18:51(水) / URL

『日本を繁栄の道に導いたリンゴの唄』のコメント欄より


この“リンゴの唄”は太平洋戦争後、大ヒットしたんですね。
もちろん、あなたも僕もまだ生まれていません。
並木路子(みちこ)さんが肉声で歌ったのをマジで聞いた人は、この記事を読む人の中には、まず居ないはずです。

この歌のどこがすばらしいのか?
一言で言えば、“明るさ”でしょうね。

リンゴが嫌いな人はまず居ません。
並木さんが歌っていた昭和20年10月当時は若手女優の月給が100円から300円だったそうです。
リンゴは1個5円!
高かった!
食料のない時代でした。

並木さんはコンサートで歌いながらリンゴを投げたそうです。
聴衆は、まるで幸福に手を伸ばすようにリンゴに手を伸ばし、それを掴み取ろうとしました。

食べ物が無い時代でした。
政府の配給だけでは生きて行けなかった。
だから、“闇市”が日本全国に広がった。

厳格な裁判官がいて、政府の配給だけで生きてゆこうとしたら、餓死してしまったという笑えないマジな話があります。
この人は34歳で亡くなった判事の山口良忠さんです。
1947年11月の事です。
この人については、別の記事で書きたいと思います。

こういう暗い、惨(みじ)めで、殺伐とした時代だったから、“リンゴの唄”が大ヒットした。
とにかく、食べ物が無かったから、リンゴについて“明るく”繰り返し繰り返し歌う事が、
戦後の人々の気分を高めたとしても、うなづけます。

でも、この歌の良さは、食べ物を歌っていたからだけではなかった。
歌詞が軽くて気取りがなく、
赤いリンゴと青い空のイメージが、戦後の人々の心の中の灰色の気分に
赤い鮮やかな色彩を加えてくれたからです。
 
“リンゴの唄”が、戦争という厳しい時代を生き抜いてきて、くたびれて、ひもじい思いをしていた日本人に“生きる希望”を与えてくれた!

この並木路子さんも、苦労して戦中・戦後を生き抜いてきた人です。
この当時、若手の女優さんでした。
“リンゴの唄”とともに1本の映画が封切られたのですが、この映画の内容はすっかり忘れ去られてしまった。
でも、この唄は、その当時の人の心を捉えて歌い続けられた。

並木さんの人生も戦争で狂わされてしまった人たちの1人でした。
お母さんは1945年3月10日の東京大空襲で亡くなってしまった。
並木さん自身も空襲後、隅田川から助け出された。
お父さんとお兄さんは戦争に行って、帰らぬままだった。



空襲で焼け野原になってしまった江東区
当時は、深川区・城東区と呼ばれた。
昭和22年(1947年)、両区が合併して江東区が誕生した。


並木さんは松竹のニューフェースの1人でした。
撮影現場で食べたリンゴの味が忘れられなかったと述べています。

並木路子さんと彼女の作品について、もっと知りたい人は次のリンクをクリックして読んでみてください。
『リンゴの唄 --- 並木路子』

僕がなぜ、この“リンゴの唄”を、今さら持ち出したのか?
実は、僕の母親もこの唄から元気をもらった人だった。
僕の叔父も、この歌を聞いて、何とかしなければ。。。と、改めて生きる事を考えたと言います。

こういう人たちによって戦後の復興がもたらされた。
日本人は戦後の焼け野原から復興を遂げて、
経済大国にまでのし上がった。



“日本人はすばらしい!”

僕も心のどこかで、日本人としてこの事を心の支えにしています。
僕自身は、すでに海外生活が日本で生活していた期間を越えている。
つまり、僕は人生の半分以上を海外で生活してきました。

青春時代をあの“大学紛争”で過ごしたのです。

  

経済大国の道をまっしぐらに進んでいた日本は、“大きな教育問題”を抱えながらも、
さらに経済大国の道を突き進んでいった。
(しかし、問題は見えないところで膨らんでいった!)

“本当の人間教育”は忘れ去られ“産業兵士を育てる教育”だけが推し進められた。
各都道府県に、“高等工業専門学校”(いわゆる工専)が竹の子のように作られた。
“産業兵士”が生み出されていった。

この兵士たちが、次のような大企業にどんどん吸収されていった。

ソニー
パイオニア
ヤマハ
トヨタ
ホンダ
トーシバ
ヒタチ
パナソニック
ミツビシ
セガ
キョーセラ
ニンテンドー
。。。
。。。

日本はますます経済大国の道を突き進んでいった。
人間教育は忘れられたまま。。。
そして、この繁栄の影で家庭崩壊は着々と進んでいった。

そして、“バブルがはじけた!”

バブルがはじけて、これまでの見えなかった社会問題が一挙に日本全国に広がっていった!
テレビニュースを見ると、

“息子が親を殺した!”
“親が息子を殺した!”
“実の母親が8歳の長男と5歳の長女をダムに突き落として殺した!”
“娘が内縁の夫にそそのかされて、両親と妹夫婦、合計7人を殺して、死体をミキサーにかけてジュースにして捨てるという死体なき殺人事件を起こした!”
“子供が友達の弟の首を切り取って門柱の上に飾る!”
。。。
。。。


常識では考えられないようなニュースが日常茶飯事のように起きている!

“日本はどこかが狂ってしまった!”

あなたも、そう思う事がありませんか?

ところで、ケムシさんから、さっそく2度目のコメントをもらいました。



ん?Realog??と思いながら、、、

一応 たまにバークレーさんのblogをのぞいては、
"コメントを書くときは"URLを記入すること(HPアドレスあるいはブログアドレスを書くこと)"
をネチケットとして話されていましたので、それは書くようにしました。
おそらく、私の場合 不正なトラックバックやコメントとして記入しているわけではないので、
バークレーさんから こわいこわい攻撃を受けることはないだろうと思いつつも、
バークレーさんの主張されているネチケットは守るようにしました。

だって感じたことをそのままコメントしているだけなのに、
URLのことで お話が滞ってしまうのはもったいないと思ったからです。

私はネットもブログも初心者ですので、率直な感想をお伝えさせていただくと、
URLを書くと、なんだか宣伝しているような気がしてしまっていたんです。
なんとなく書くのがおこがましいような気がしていたんです。
でも、書いても全く問題ないようですね♪ホッ

私、Qblogのブログ仲間の皆さんのコメント欄には 
名前とコメントしか記入しないことが多く・・・すみません!
(ほとんどが、記事を読んだ感想をサラサラと書くだけでURLまで書いていません。苦笑)

さてさて、本題。
りんごの唄 について。

私は今26歳です。
当然、当時の時代背景を実際経験しているわけでもありません^^
仕事が介護関係のため、専門学校時代に"(私たちが学生時代だった当時で→)70~80代のお年寄りの方々"の時代背景を教わる授業がありました。
特に、唄は私の中でも印象的でした。
先生から教わり、また自分が実習時代にお年寄りの方々と関わっていて りんごの唄 によって、自然と口が動く利用者の方々が多く、本当にびっくりしました。

おこがましい言い方かもしれませんが、昔とったキネヅカ?のような・・・
たとえ今現在、認知症だとしても 昔うたっていた歌が流れると自然と口元が動き出す、そこに感銘を受けました。

りんごの唄はすごい力をもっている!
そんな感じを受けたんです。

そこから、ついつい普段も口ずさんでいます>^_^<

日本の古きよき伝統である、すばらしい唄・メロディーはいつまでも引き継いでいきたいです。
唱歌や童謡ももちろんです。
情景を思い出させたり、目に涙を浮かばせるような そんな豊かな歌。大切にしたいです。

もしかしたら、私がおばあちゃんになって支援を受けるときは、若い介護者たちに ユーミンやウルフルズなど歌ってもらうことになるのかな?なんて想像しています。

by ケムシ at 2006-04-21 00:46(金) / URL

『リンゴの唄を忘れた日本人』のコメント欄より


“現在、認知症だとしても 昔うたっていた歌が流れると自然と口元が動き出す、
りんごの唄はすごい力をもっている!
そんな感じを受けたんです。”

興味深いエピソードでした。
確かにすごいですよね。
認知症の人の記憶の中にも、消し去ることが出来ないほど強烈に刷り込まれている唄ーーそれが“リンゴの唄”なんですよね。
なぜ?
やはり、その人の忘れがたい思い出の中で“リンゴの唄”がバックグラウンド・ミュージックになっているんでしょうね。

僕は初めてケムシさんからコメントをもらった時、
60代の男性かと思ったんですよ。へへへ。。。
理由は2つあります。

一つはハンドル名ですよ。
“ケムシ”というハンドル名から男だと思ったわけです。
女性が好んでつけるような名前ではないと思ったからです。
おそらく、この“ケムシ”にも、どうしてそう名づけたのか?ケムシさんらしいエピソードがあるのだろうと思います。

2つ目の理由は“リンゴの唄”と並んで“鐘のなる丘”が好きな鼻歌として挙げられていたことです。

僕もこの歌を子供の頃ラジオで聞いたことがありますよ。
。。。といってもこの歌が作られたのは、調べてみたら、1947年ですよ。
僕はまだ生まれていません。

緑の丘の赤い屋根、
とんがり帽子の時計台、
鐘が鳴りますキンコンカン。。。

と歌われたんですよね。
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リンゴの唄、思い出しました?PART 2

2006-04-22 14:57:17 | 病める日本・高齢化社会


実は、唄の題名は“とんがり帽子”で、川田正子さんが歌っていました。
作詞は、菊田一夫さん、作曲が古関裕而さんです。1947年の7月に発売になったと書いてありました。
この“とんがり帽子”はNHKラジオドラマ「鐘のなる丘」の主題歌だったんですよね。

そういう訳で、ケムシさんは、歌の題名としてラジオドラマのタイトルを書いたのだと思います。
僕自身も、“鐘のなる丘”と聞いて、間違わずに“とんがり帽子”を連想しました。

この“鐘のなる丘”が、実際に穂高にあったそうです。
戦後の暗い世相に、人間愛という希望の灯をかかげた少年たちのドラマ『鐘のなる丘』の原作の地です。
モデルとなった施設は、現在では、少年たちの更生を目的とした『有明高原寮』となっているそうです。

つまり、“リンゴの唄”も“鐘のなる丘”の主題歌も、戦後まもなく歌われたんですね。
だから、この2つの歌を知っているということなので、僕はケムシさんが、1950年代に小学生ではなかったのか?
そうだとすれば、現在、60代の人ではないのか?そう思ったわけです。

でも、コメントをもらった中に書いてある通り、介護の仕事を通じてこの唄を知ったようですね。
“とんがり帽子”も、おそらく、仕事の関係で知ったのでしょうね。

それとも、この“鐘のなる丘”というラジオ番組が、戦後の暗い世相に人間愛という希望の灯をかかげた少年たちのドラマを扱っていたために、その主題歌がケムシさんの心に残っていたのかもしれませんね。
たぶん、この唄についても、ケムシさんはエピソードを持っているのでしょう。


“ん?Realog??と思いながら、、、”


QLEPだと思いつつ、うっかりしてRealogと書いてしまったんですよ。
その証拠に、参照用のURLには、間違いなくQLEPのURLを書いています。


"コメントを書くときは"URLを記入すること(HPアドレスあるいはブログアドレスを書くこと)"
をネチケットとして話されていましたので、それは書くようにしました。
おそらく、私の場合 不正なトラックバックやコメントとして記入しているわけではないので、
バークレーさんから こわいこわい攻撃を受けることはないだろうと思いつつも、
バークレーさんの主張されているネチケットは守るようにしました。


ケムシさんのようなコメントを書いてくれるのなら、僕はURLが書いてなくても、噛み付くことはないですよ。
僕がなぜURLにこだわるかと言うと2ちゃんねるのような、いい加減で無責任なコメントを書く人が多いからです。

最近は特にそうですよ。

僕の記事は、もともとコメントが少なかったのです。
なぜなら、僕が噛み付くからです。
“いい加減な事が書けない”と思う人が多いようです。

最近もらったコメントで、読み応えのあるコメントはほとんどありません。
そういうわけで、ケムシさんのコメントはありがたいですよ。

僕がもらうのは、もっぱら宣伝のためのコメントとトラックバックばかりです。
EXCITE!の僕のブログには、宣伝のためのトラックバックが毎日のように飛ばされています。
それに対して、僕が盛んに“人間のクズ!”というコメントを書いて喚(わめ)いていますが、一向に効き目がありません。
『EXCITEで僕が喚いているコメント!--サイドバーメニューをクリックして読んでみてください』
  
とにかく、最近日本のネットに菜々子のような愚民が多くなって居るのが目に付きますよ。
ヒトラーの気持ちが良く分かりますよ。うへへへへ。。。
でも、たとえ菜々子が馬鹿なことをしていようとも抹殺するのはいけませんよね。

ところで、この愚かで恥知らずな菜々子のことは次のリンクをクリックして読んでください。
『菜々子と名乗る愚かで恥知らずなスパマー』

菜々子のような人間のクズを

抹殺してしまわないのはなぜか?


なぜなら、世界のネット市民には“知る権利”があります!
この知る権利を持つ世界のネット市民の基本的人権が“言論の自由・表現の自由”です。

そして民主主義というものは国民が本当の意味で主役になる社会理念ですよね。
つまり、民主主義の社会にあっては、政府や権力が国民の耳をふさぎ、口をふさぐという事は許されない。
国民が主役なんですから。。。
それが民主主義です。

そして、グローバル化した現在の世界では、ネット市民が主役です。
あなたや僕のようなネット市民が主役なんですよ。
そう思いませんか?

多少誤った言論であろうとも、
ちょっと下品な言論であっても、
それは民主主義という名のもとに許されるべきなんですよね。

だから、菜々子のような人間のクズでも抹殺する事は間違っているわけです。
“一寸の虫にも五分の魂”
。。。と、言いますからね。

愚かな菜々子にも生きる権利があります。
下らないコメントでも書く権利があります。

だから、デンマンにも、愚かな人間のクズの菜々子が書いたコメントを十二分に活用し利用する権利があります。
うへへへへ。。。。
この記事も、世界のネットの発展と幸福と進歩のために、ノーベル賞がもらえるほどの大馬鹿者の菜々子を活用して書いたと言うわけです。
うひひひひ。。。。

分かるでしょう?
愚かでゴキブリちゃんよりも劣るような人間のクズの菜々子でも、こうして僕が前向きに建設的に書く事によって、利用の道が用意されると言うわけです。

だから、菜々子をガス室に送って殺してしまう事は間違っているのです。
(もちろん、僕にも、そうしたい気持ちがありますよ。うへへへへ。。。。)

でも、人間のクズの菜々子のような愚か者を日本からできるだけ少なくする必要があります。
どうして菜々子のような愚か者が日本には多いのか?

“リンゴの唄”を知らないからです。
“リンゴの唄”が歌われた時代を知りません。

ケムシさんは26才にもかかわらず、“リンゴの唄”を知っています。
介護の勉強をする過程でお年寄りと接する機会があり、その関係で“リンゴの唄”のすばらしさを、しみじみと感じたようですよね。

菜々子に、ケムシさんのツメの垢をせんじて飲ませたいですよ!
せめて、ケムシさんのコメントを読ませたいですよ。
菜々子は、この記事をもしかすると読むかもしれません。
でも、トラックバックを飛ばすのが忙しくって、僕の長い記事を読む暇がないかもしれません。

そういうところも、菜々子が馬鹿なところです。
無駄なトラックバックなど飛ばしても、宣伝にならないのが全く分かっていないんですよね。

菜々子は、さらに馬鹿だから、歴史を真面目に勉強した事もない!
学生であった頃は、悪い点ばかりとって先生に怒られてばかりいた。
出来の悪い試験用紙を家に持って帰ると教育ママゴンにしかられるので、
歴史の答案は、すべて破り捨てていた!

菜々子は馬鹿だから、歴史というのは学校を卒業したら無縁のものだと思っている。
歴史を学んで、人生を豊かにしようなんて考えは全く持つことが出来ない!

とにかく、菜々子は馬鹿だから、学校の成績も悪かった!
歴史に学んで“過ちを繰り返さない”なんて気持ちは全くない!

優秀で勤勉な日本人が“リンゴの唄”から元気をもらって、一生懸命働いたという戦後の日本を学んだ事もない!
でも、愚かな菜々子は、あれほど学校の成績が悪かったのにもかかわらず、自分では平均以上の日本人だと思い込んでいる!
こういうところが、歴史を学んでいない菜々子の馬鹿なところです!
うへへへへ。。。

体だけは大人のようになっているけれど、オツムは小学生とあまり変わりがない!
へへへ。。。

しかも悪い事には、日本には2ちゃんねるがある!
菜々子のような愚か者の遊園地が2ちゃんねるですよ!

2ちゃんねるが菜々子のような、迷惑を振りまく無責任でいい加減な人間を作り出している!
2ちゃんねるが“病める日本”の足を引っ張っている愚か者を育てていると言う事を、次のスレッドの中で実証的に説明しています。
次のスレッドを読めば、嫌と言うほど2ちゃんねるで“生まれ育っ”た愚か者たちに会うことができますよ。

■ 『2ちゃんねるは世界のネットのために貢献できるか?』

僕は個人的には、愚かな菜々子に対して悪感情はこれっぽっちも持っていませんよ!

“罪を憎んで人を憎まず”

“菜々子の愚かさを哀れんで、愚かな菜々子を憎まず”
へへへへ。。。。。

菜々子は、“旅の恥は書き捨て!”と言う、いい加減な気持ちでコメントを書いています!

ブロガーの中には、僕のようにライフワークだと思ってブログを書いている人もけっこう居ると思いますよ!
ブログの記事に書かれたことを逆恨みして、キチガイがその記事を書いたブロガーを殺した、というニュースは今のところないけれど、
僕はそういうことがあることを覚悟して書いていますよ。うへへへへ。。。。

分かるでしょう?

“キチガイデンマン”と書いた人も居るけれど、実際、日本にはキチガイじみた人が居ますからね、
ブログを書いたことで殺される人がそのうちきっと出てきますよ!
僕がその第一号にならないように気をつけます。

うへへへへ。。。。

でもね、だからと言って、怖くなって書かなくなる、という事もありません。
なぜなら、僕は覚悟を決めて書いていますからね。へへへへ。。。。

オツムの足りない人間的に未熟な菜々子よ!
オマエのような奴が、馬鹿だから真っ先に殺されてしまうんだよ!
これからは、気を付けた方がいいよ!
だから、愚かな菜々子よ!
オマエも覚悟してコメントを書くようにね。
コメントを書いたことにより、命を捨てなければならないことだってある!
うへへへへ。。。。。

ちょっと、キチガイじみちゃったかな?うひひひひ。。。。
何度も言うようにね、ボクちゃんの心は寅さんのように優しいんですよ。
だから、口は悪いけれど、僕の言ったことを根に持って、
あとでボクちゃんのドテッパラに風穴を開けないようにしてよね。うへへへへ。。。



じゃあね。
バイバ~♪~イ。。。。

じゃあ、今日も楽しくネットサーフィンしましょうね。



ィ~ハァ~♪~!

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■ 『国際化・グローバル化とはあなたにとってどのようなものですか?』

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じゃあ、今日も元気に

楽しくお過ごしくださいね。

あなたの心に

“リンゴの唄”をもう一度!



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中国で上海蟹食べました?

2006-04-22 14:55:55 | 海・河のスポーツ・旅行・車



中国で上海蟹食べました?



最近、僕は中国に行っていませんが、
7,8年前に上海、北京、香港、マカオ。。。と旅したことがあります。
僕が中国で一番気に入った町は上海ですね。
なぜ上海?

僕は歴史馬鹿なんですよ。
上海というのは、とりわけ欧米の影響が強かったところです。
現在でも町並みには20世紀の初頭に建てられた欧米風の建物がたくさん残っています。



ブンドを歩けば、中国に居ると言うよりも、ロンドンか、パリか、シカゴあたりを歩いているような錯覚に陥(おちい)りますよね。
でも、歩いている人を見ると、圧倒的に東洋人が多いです。
それも、よく見ると、ファッションという点では、ちょっとダサい格好をした人がたくさん歩いています。
東京を歩いていて、北海道の田舎から出てきた修学旅行の一団を見ているような。。。。

こういうことを書くと人種差別と言われそうですから、断っておきますが、印象を書いているだけですよ。
歴史馬鹿の僕は、中国人のバイタリティーには、すごいものがあるということを知っています。
現に、中国人は、どこにでも出かけてゆくという、平均的な日本人には真似の出来ない野心と冒険心を持っている人がかなり居ます。

僕はカナダの北極圏に近いイエローナイフというところで2年ほど政府の財務省で働いた事があります。
ノースウェスト・テリトリーズ準州の首都がイエローナイフなのですが、当時の人口が1万人でした。
もちろん日本人は僕ただ一人。
しかし、中国人は居ましたよ。

僕は日本食にはこだわらないほうですが、
やはり日本食が恋しくなるときがありますよね。
イエローナイフには、もちろん日本料理店なんてありません。
でも、中国料理の店がありました。
ご飯が食べられました。
ほっとしますよね。



僕はこれまで30カ国近い国を放浪したことがありますが、
どこへ行っても中国料理店がありましたね。
だから、僕が海外を旅行するとき、最初にすることは中国料理店へ行って腹ごしらえをすることです。

日本の中国料理店というのは結構高級料理店というイメージがあるんですよね。
横浜の中華街などがその良い例です。
探せば安くてうまい中華料理の店もあるのでしょうが、僕は日本で安くてうまい中国料理の店で食べたことがありません。

でも、海外へ行くと、安くてうまい中国料理店がたくさんあります。
そういうわけで、どこへ行っても中国人に出会います。
絶対数が中国人の方が多いのだから、これはある意味で当然の事です。

しかし、歴史的に考えてみれば、われわれ日本人の血の中には50%近い中国人の血が流れていると僕は考えています。
だからこそ中国料理は日本人の口にも合うはずだと。。。。

それほど日本人の中には中国人の血が流れているの?
関心がある人は次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。
『今、日本に住んでいる人は日本人でないの?』
これを読めば、僕がなぜ歴史馬鹿なのか?うへへへ。。。あなたにも分かるはずですよ!



ところで、上海といえば、「上海蟹」ですよね。
でも、上海ガニは冬食べるのが“通”らしいですよね。
僕は香港で食べましたが、冬の香港といえば「上海蟹」だそうです。

冬になると、(でも香港の冬は春みたいな陽気です)、街の蛍光灯に照らされたウインドーには、縄で無造作にくくられた緑色の物体がひしめいています。
「これは一体?」と近づいてみると、それはカニなのです。
あの有名な上海蟹が香港でもお目にかかれます。
上海蟹の季節は9月から1月です。

上海蟹は、陽澄湖という湖が原産の淡水蟹です。
銀色のふたを、ぱかっと取ると、ドドーン!
うーん、思っていたより小さいものです。
店のおじさんが目の前でジャキジャキと、はさみで食べやすいようにカニを切ってくれました。



目の前に、たっぷりと現れたミソを一口舐めてみると。。。
うーん、何となく“上海”という味がします。
やがてテーブル全員にカニが行き渡り、全員がカニに没頭し始めます。
身が小さいので一口で終わってしまうけど、黒酢のタレとマッチして、とても美味しいのですよ。

足は、あと10本くらい食べたいなあ、と惜しみつつ、再びミソにとりかかります。
甲羅の裏側をほじくっては口に少しずつ運ぶと。。。
おやっ? さっきとは違った濃厚な味が口に広がるではありませんか! 
さっきのはどうも「上澄み」だったのかも知れません。

芳醇な香りが鼻に残り、かすかな甘味が舌に記憶され、その感覚を取り戻したくて、再び無心に甲羅をかきむしりました。
僕はミソ中毒!
「小さい!」
「食べるところがない!」
。。。と言っていたくせに、気がつくと、周りの人が食べ終わって次のお皿に移っているのに、いつまでも僕は甲羅を離せないのでした。

あなたもね、中国に行ったら、ぜひ上海ガニを試してくださいね。
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またお会いしましたわね。

『新しい古代日本史』の

マスコット・ギャル

卑弥子でござ~♪~ますよ。

桜の中に迷い出てきてしまいました。

おほほほほほ。。。。

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

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完全なる結婚 PART 1

2006-04-21 18:04:33 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ



完全なる結婚
 




定さんの結婚
 

刑務所長などの配慮で、阿部定さんは「吉井昌子(まさこ)」と名前を変えて、誰にも過去を知られず暮らすことになった。
定さんは「吉井」という姓が気に入っていたようだ。
予審調書によると26才の頃、丹波の篠山の「大正楼」で娼妓をしていたが、待遇がひどいので逃げて神戸に住み始めた。
その当時、吉井信子と名乗って二週間ばかりカフェーの女給をしていたことがある。
29才の時には東京の三の輪で吉井昌子と名乗って高等淫売をしていたことがある。
現代風に言えば“コールガール”という事になる。

定さんは、なぜこの名前が気に入っていたのか?

それは、この名前を名乗っていた頃知り合った中川朝次郎(37歳)氏が気に入っていた事と関係があるようだ。中川氏は日本橋区室町で袋物商を営んでいた。定さんは昭和8年10月頃、中川氏の妾になっている。

昭和9年9月頃、中川氏が病気になり定さんの面倒が見られなくなったので相談の上別れている。

その後、定さんは横浜市中区富士見町の「山田」という店でコールガールを始めた。昭和9年の暮に、この仕事で知り合った政友会の院外団という笠原喜之助氏の妾になる。ところが笠原氏は放埒で、まともな手当ても定さんにやらなかったらしい。

“愛情もなく私を獣扱いにし別れようとすると平身低頭して哀願するという品性下劣な男でした。直ぐ嫌になりました。”と定さんは予審調書の中で述べている。

中川朝次郎氏は定さんが関係した男の中では余程気に入ったらしく、“馴染の中川さん”が恋しくなり昭和10年1月、電話で中川氏を呼出し浅草の上州屋で同宿したこともある。
その後も、この中川氏と定さんは会っている。
そのようなわけで、中川氏と“吉井昌子”という名前が定さんの頭の中でしっかりと結びついていたようだ。

いづれにしても、定さんは出所後その名前で(中川氏とは別人と)結婚をし、戦時中は埼玉県に疎開していた。
だが、終戦後、定さんとその夫が平和に暮らしているところに、新聞記者が取材で訪れた。
これによって、夫は妻が世間を騒がせた定さんであることを知り、それまで平和であった暮らしが崩壊した。

『阿部定事件の波紋と後半生』より


デンマンさん、今日も定さんのことを話すのですか?

レンゲさんは、もう定さんの事は飽き飽きしたのですか?

いいえ、別にそういうわけではありませんけれど、たまには他の話題にしたらどうですの?

だから、他の話題にするつもりですよ。

だって、この上に引用した文章は定さんの事ですわ。

でも、上の文章は、話のきっかけのつもりですよ。定さんの結婚は可哀想にも破綻してしまったのだけれど、当時の結婚について考えてみようと思うのですよ。レンゲさん、どう思いますか?

どうですかって。。。デンマンさんが、決めてしまっているのだから、その話になるのでしょう?あたしが、嫌だといっても、デンマンさんは、その話をしますわ。

僕の事をだいぶ理解してきましたね。

デンマンさんとのお付き合いも長くなりましたから。。。それで、結婚を持ち出したということは、またあたしに対する当て付けのような気もしますが。。。どうなんですの?

やっぱり分かりますか?レンゲさんの年なら、すでに結婚して子供が居てもおかしくないんですよ。いつまでも清水君と夜桜見物にうつつを抜かしていないで、そろそろ結婚したらどうなんですか?

また、お説教ですか?

僕はアドバイスのつもりなんだけれど、レンゲさんは結婚だとか、家庭の話題には拒絶反応を示すようだから、レンゲさんの結婚ということではなく、一般論として話をしますよ。

それで、何をおっしゃりたいのですか?

戦後、1946年から1年以上も売れ行きがベストテンに入ったという本があるんですよ。その本の題名に結婚が含まれているんです。レンゲさんは、結構、本を読んでいるから、もしかして知っているかも知れませんよね。どうですか?

それって、カストリ雑誌ですか?

いや、違いますよ。真面目な本です。

分かりませんわ。どういう題名の本なのですか?

『完全なる結婚』というタイトルです。

つまり、今日の記事のタイトルは、その本の題名をつけた訳ですの?

そういうわけですよ。

どういう内容の本なのですか?

話すと長くなるので、僕がまとめましたよ。ちょっと読んでみてください。


『完全なる結婚』



オランダの婦人科医のヴァン・デ・ヴェルデ 【Theodoor Hendrik van de Velde (1873-1937)】 が1926年にドイツ語で出版した診療用マニュアルを翻訳したもの。
この大作は一部分が1930年に『完全なる夫婦』という題名で一度日本語に翻訳された。
その時の翻訳者は共産主義者で、出版社は好色本を乱造していた会社だったので不健全という理由で直ぐに発禁処分にされた。

しかし、発禁にもかかわらず『完全なる夫婦』は“性の解放”のバイブルとして左翼のインテリの間では名前が知られた。
ドイツ語版と英語版は19030年代と1940年代の初期には医学生や若い医者によく読まれた。

戦後、この本を全訳したのは東京帝国大学医学部の学生グループで、こういう本に興味のある人が居るかどうか「朝日新聞」に質問記事を出したところ、1日で100通を越す反応があった。
それで出版する事になったという逸話がある。
この全訳本が出てから直ぐに学術性の低い安い抄訳本が出版され、これがたちまちベストセラーの3位になった。

『完全なる結婚』が戦前、発禁処分になっており、エロチックだという評判が高かった事が多くの読者を惹きつけた。
この本はヴァン・デ・ヴェルデの初めての著作で、執筆当時彼は50代の初めであり、20年間医者としての経験を持っていた。
彼が読者に想定していたのは、主に医療関係者や学歴の高い男性既婚者であり、本の前提となっていた考え方は、
“性交は結婚の基本”というものだった。当時としては非常に進んだ考えだった。

日本人の性意識に対するこの本の最大の貢献は、女性の“性感曲線”に注意を呼び起こし、前戯、後戯、オーガズムといった考え方や実践を強調した事であった。
性交において“男性は教師である”という彼の考え方は、今日では古めかしいが、結婚生活における女性の性交時の感覚や女性の性欲にこれだけの理解を示したことは当時、驚くべき事と思われた。

夫婦の性行為を正々堂々と論じる事が大衆にアピールしたため、これを真似して1949年に『夫婦生活』という雑誌が創刊された。
『夫婦生活』はたちまち月刊3万部を越えた。この雑誌があまりに評判となったため、カストリ雑誌の時代はこれで終わったと言われる。

『夫婦生活』が、それまでのカストリ雑誌と根本的に違うのは、結婚を性交に結びつける事によって、性交は恥ずべき行為ではなく正当な行為であって、男女が互いを分かち合い、互いに楽しむ事を両性の平等の象徴とした事である。

『完全な結婚』についてさらに知りたい人は次のリンクをクリックして読んでみてください。
“『完全な結婚』--本とビデオ紹介サイト”

SOURCE: “Embracing Defeat (Japan in the Wake of World War II)”
         published in 1999 by John W. Dower


この『完全なる結婚』の本の“経歴”を見ても“歴史は繰り返す”ということを物語っていますよ。

どういうことですか?

この本は1926年に書かれ、日本に初めて紹介されたのは1930年ですよ。“阿部定事件”が起きたのが1936(昭和11)年5月18日です。この年に“二・二六事件(軍事クーデター未遂)”が起きている。要するに、定さんが事件を起こしたのは、大正デモクラシーが終わりを告げて、軍国主義が始まろうとしていた時なんですよ。

定さんが大正デモクラシーに終止符を打ったわけですか?

僕はそのように見ていますよ。定さん自身が大正デモクラシーの“落とし子”だった。定さんはレンゲさんのように結構、本を読んでいるんですよ。定さんの事件にも、その影響が実に良く現れていますよ。定さんは吉蔵さんを殺害したあとで、傷口の血を手指につけ、吉蔵さんの左大腿部に「定吉二人」という文字を書き、敷布にも「定吉二人キリ」という文字を書き残した。

その事はデンマンさんが、おととい書きましたわ。

定さんが大正デモクラシーの落とし子だということを説明するために、もう一度書きますよ。その定さんは、原作も読んでいたというのだけれど、昭和11年5月5日に明治座で“つや物語”を見たと言う。これは泉鏡花が書いた新派の名作「通夜物語」のことですよ。小きんと言う芸者が出刃庖丁で可愛いい男の田之助を殺して、その血で襖に字を書くのだけれど、定さんは、そこにとても感動したと言うんだ。


“つや物語”

明治の新派全盛時代に書かれた名作狂言。 
原作は泉鏡花が明治32年(1899)9月、「大阪毎日新聞」に発表した小説。

明治39年(1906)8月大阪朝日座にて、岩崎舜花の脚色で初めて演じられた。
配役は、花魁(おいらん)・丁山に河合武雄、貧乏な画家・清に秋月桂太郎が扮した。



昭和11年(1936)5月明治座にて、昭和新派のエース川口松太郎の新脚色で「新版つや物語」として上演された。
配役は丁山にあたる芸者小今に花柳章太郎、清に柳永二郎が扮した。

演者、脚色者とも若い世代で、古くなった新派の定番狂言をリニューアルしようとした。
しかし、当時まだ原作者の泉鏡花が影響力を持っていたことから失敗した。評判もあがらなかった。

丁山が出刃包丁で宿敵ともいうべき笹山を倒し、自分の乳房をえぐった血で恋人・清に襖に絵を描かせ、息絶えていく血まみれの凄惨な場面が見ものだった。


この演劇の世界は、言ってみれば、大正デモクラシーのエログロナンセンスの世界ですよ。愛憎の果てに花魁・丁山が出刃包丁で宿敵ともいうべき笹山を殺し、それから自分の乳房をえぐって自殺する。その血で恋人・清に襖に絵を描かせながら息絶えていくわけですよ。この血まみれの凄惨なシーンは、どう考えても、純情な神経で見られるものではない。芸術に陶酔してエログロナンセンスの世界にどっぷり浸(つ)かった定さんだからこそ感銘を受けるんですよ。普通の女性なら、怖いもの見たさで見ることは出来るかもしれないけれど、感銘するよりも“おぞましさ”を感じますよ。僕だって、この演劇を見たことはないけれど、荒筋を読んだだけで感銘よりも、狂気の世界を覗いたような気がしましたよ。

でも、定さんは感銘を受けたのでしょう?

そうです。その凄惨な場面に感動を覚えたと裁判官に述べているんですよ。「定吉二人キリ」の血書のヒントは、この泉鏡花の原作品から得たというわけです。定さんが太平洋戦争中に青春を過ごしていたら、このような作品を読むことも見ることもなかったでしょうね。

そういう証拠でもあるのですか?

ありますよ。戦争中は、そういう文学作品は“退廃した、不健全な”モノとして発禁処分になった。谷崎純一郎や川端康成のような有名な作家も、戦争中は厳しい検閲を受けたために思うように書けなかった。この二人の作家が“性愛と官能の世界”を書いた作品が世に出たのは戦後になってからですよ。

定さんが読んだ作品も軍国主義の世の中では陽(ひ)の目が見れなかったと言うわけですか?

そうですよ。1930年に『完全なる夫婦』が翻訳されて出版された時も、まだ大正デモクラシーの余熱はあったけれども、この頃から検閲が厳しくなってきた。1925年に制定された、あの悪名高い「治安維持法(大正14年4月22日法律46号)」が出来てから、“特高”の目が光っていた。
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完全なる結婚 PART 2

2006-04-21 18:02:20 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ



特高

特別高等警察は、大日本帝国憲法下の日本で、治安維持の名の下に社会主義・共産主義など反体制思想の活動を弾圧した秘密警察。
俗に「特高警察」や「特高」(とっこう)と略される。
天皇制維持(国体護持)が他の活動より特別に高等(重要)であるとする思想から命名された。

白色テロの実行部隊として悪名を馳せ、「民主主義殺戮法」と呼ばれた治安維持法の実行部隊でもあった。
「票読み一つ誤らない」と恐れられた緻密さを持っていた。
殊に戦時中は、銭湯の冗談も筒抜けになるとまで言われた。

SOURCE: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


『完全なる夫婦』も翻訳者が共産主義者であったために“不健全”だと言われて発禁処分になったわけですよ。

定さんが見たと言う“つや物語”は許可されたのですか?

安全弁ですよ。何もかも禁止するわけには行かなかった。現在だって“風俗”が営業を許可されている。やっている事は、ぶちあけた話が売春行為ですよ。しかし、何もかもが禁止してしまうと、民衆の不満エネルギーが政府批判に向けられる。だから“特高”がやっていたような厳しい殲滅作戦はしない。“風俗”業界の金が悪徳政治家の政治資金にもなっている。そういうカラクリになっているわけですよ。

本当にそうなっているのですか?

この記事は風俗撤廃のための記事ではないから、これ以上突っ込みませんよ。でもね、“つや物語”の脚色家が共産主義者だったら、間違いなく上演停止になっていましたよ。当時、資本家を危機に晒すような主義は絶対に許されなかった。つまり、資本家と軍部の上層部と政治家がしっかりと手を握っていたんですよ。戦争中なら許されなかった“つや物語”も古い時代の話だということで、お目こぼしにあずかり、安全弁にされたわけですよ。

そういうわけで、定さんが“つや物語”を見てヒントを得たわけですの?

定さんが、そう言ってます。彼女は芸術的に感化を受けやすい性格だったと思いますよ。つまり、定さんもエログロナンセンス時代の落とし子なんですよ。

それで、『完全なる結婚』ですけれど、それほど読まれたものなんですの?

とにかく、抄訳版がベストセラーの3位になったんですよ。1946年から1年以上も売れ行きがベストテンに入るほど読まれたんです。 

どうしてそれほど読まれたのでしょうか?

戦争中は検閲が厳しくて、“性愛と官能の世界”に関するものは“退廃した、不健全な”モノだったんですよ。読みたくても読めなかった。でも戦後は「治安維持法」も撤廃されたし“特高”も居なくなった。すべてが解禁になったわけですよ。だから、“性愛と官能の世界”を扱ったカストリ雑誌が“雨後の竹の子”のように大発生したわけですよ。


カストリ雑誌

     



すぐ上の『猟奇』の創刊号に発行者は次のように書いていた。


読者諸賢を啓蒙しようとか、教育しようとかという大それた気持ちは全然ありません

読者諸賢が、平和国家建設のために心身ともに疲れきった午睡の一刻に興味本位に読み捨て下されば幸いです


発行者自身がこのように言っていた。つまり、読み捨てにしてトイレで落し紙にするような、どうでもいい低級な雑誌だった。
一口で言うと“低級桃色風俗雑誌”でした。

カストリ雑誌のカストリは“カストリ”という焼酎から取った言葉。このカストリという酒は、とにかく悪い酒だった。
“カストリ”とは、酒粕(サケカス)から採(と)った焼酎だった。つまり、カスからトッた酒で、カストリ。

この酒は匂いがひどくって、鼻をつまんで飲むものだったらしい。質が悪くて3合(0.54 リットル)飲むと酔いつぶれて意識が無くなると言われた。
どうして、カストリと呼ばれたかと言うと、語呂合わせだった。
“3合で酔いつぶれる” と “3号で雑誌社がつぶれる” とをかけた。
つまり、低級で低俗な雑誌の事を意味するようになった。
だから、長くは続かなかった。
そういうわけで、カストリ雑誌の発行者たちは、立派な目的など何もないと、上のように書いていたほどです。


ずいぶんケバケバしい表紙のものもあったんですね。

でも、上でも書いたように『夫婦生活』と言う月刊雑誌が出来てからは、カストリ雑誌は姿を消していきました。

どうしてですか?

要するに、カストリ焼酎のような悪い酒だったんですよ。現在の2ちゃんねるのようなものですよ。2ちゃんねるは“カストリ掲示板”です。カストリ雑誌は匿名で書いたわけじゃなかったけれど、この“カストリ掲示板”は、匿名をいいことに無責任でいい加減な事を書く。やがては質の良い掲示板やブログに取って代わられますよ。まず間違いなく2ちゃんねるは、カストリ雑誌のような運命をたどりますよ。

つまり、2ちゃんねるもカストリ雑誌のように消えてゆく運命にあると、デンマンさんは思っているのですか?

そうですよ。馬鹿馬鹿しくて、僕はあのカストリ掲示板の95%の投稿を読む気になれないですよ。

『完全なる結婚』も『夫婦生活』もカストリ文化の中から生まれた真面目なものだった。だから、ベストセラーになったと言う事ですか?

少なくとも読み応えのあるものだったんですよ。しかし、戦後のカストリ文化と言うのは“健全さ”を馬鹿にするものだった。つまり、カストリ雑誌がそれを代表するものだった。まさに、“低級桃色風俗雑誌”だった。今でも、カストリ雑誌のようなものがネットにありますよ。僕は“カストリ・サイト”と呼んでいますがね。。。

どのようなサイトですの?

恥知らずで愚かな菜々子がやっているサイトがカストリ・サイトですよ。やがて、カストリ雑誌のように消えてゆく運命です。菜々子とカストリ・サイトについて関心のある人は次のリンクをクリックして読んでみてください。
『菜々子と名乗る愚かで恥知らずなスパマー』

つまり、この菜々子さんがやっているのは、カストリ雑誌のように“低級桃色風俗サイト”ということですか?

そうです。トイレの落とし紙にもならない下らないサイトです。跡形もなく消滅してゆくサイトですよ。見ていてください、来年の今頃には、きれいになくなっているはずですよ。うへへへへ。。。。

デンマンさんに、けなされたら、たまったものではないですわね。うふふふ。。。

まあ、カストリサイトのことを話しても無駄ですからね、本題に戻って。。。カストリ文化と言うのは、現在のネットで言うなら、2ちゃんねる文化や“低級桃色風俗サイト”のようなものだった。もちろん、その中からもすばらしい文化が生まれました。

たとえば。。。?

たとえば、作家の坂口安吾さんですよ。彼は、退廃こそは本当の正直さであり信頼できるものだと書いています。日本は戦争に負けた。武士道は滅びた。でも、堕落と言う真実の母胎によって初めて人間が誕生したのだ、と言ってますね。同じく作家の田村泰次郎さんは色情的肉体こそは崇拝に値する唯一の“肉体”であると主張して、暗にかつての“国体”をこき下ろしていますよ。

つまり、抽象的な“国体”とか国家は無意味であり、愛欲に満ちた孤独な肉体を持つ個人こそ実体のある、信じるに足るものだと言う事ですか?

そうですよ。田村さんの書いた小説『肉体の門』は社会的自我が目覚めた個人主義に基づく“近代への門”だと言うわけですよ。さらに、心中した作家の太宰治さんは、セックス・退廃・愛は革命に等しいとも言ってますよ。

デンマンさんは、むしろカストリ文化に好感を持っているのではありませんか?

そうですよ。軍国主義と比べたら、まだ健全ですからね。戦後の人たちにとって、戦争中はあれだけ嫌な思いをさせられたのだから、カストリ文化が盛んになるのも分かる気がしますよ。でも、2ちゃんねる文化や“低級桃色風俗サイト”のように、いい加減で無責任なものはダメですよ。カストリ文化が廃(すた)れたのは、“健全さ”を馬鹿にして“退廃”にのめり込んでいった。それで自滅していった。2ちゃんねる文化や“低級桃色風俗サイト”も、結局自滅してゆきますよ。

それで、『完全なる結婚』や『夫婦生活』が戦後の人々に歓迎されたのはどういうわけですか?

カストリ雑誌の“性の退廃”に飽き飽きしてしまった。性の退廃にのめり込んでゆくと、結局は定さんと吉蔵さんのような情痴の世界に迷い込んでゆく。そして挙句の果てに情死だとか、変態死だとか、心中だとか、。。。そういう“おぞましい”ところに行き着く。戦後の人は退廃趣味のカストリ文化にあきあきして、やがて結婚相手との、あるいは人生のパートナーとの“健全な”肉体関係とはどうあるべきなのか?。。。そのような方向へと考えるようになったんですよ。だからこそ、真面目に性生活を扱う『完全なる結婚』や『夫婦生活』が歓迎された。

封建的な夫婦生活から近代的な夫婦生活に目覚めたと言うわけですか?

そうですよ。レンゲさんも、なかなか気の利(き)いた事を言いますね。実際、古い封建的な「家」に縛り付けられていた多くの女性たちが『夫婦生活』を購読していたらしいですよ。

どうしてそれほどまでに?

儒教的な男尊女卑の弊風が江戸時代から明治、大正、昭和と続いていましたからね。江戸時代の儒学者・貝原益軒(1630-1714)が『女大学』の中で言ってますよ。「女は三界に家なし 生じては親に従い 嫁しては夫に従い、老いては子に従う」とね。。。


女大学

江戸時代中期から明治時代にかけて流布した女子の日常生活における教訓書。
著者・成立年代については不詳であるが、1729年(享保14年)に初版本がある。

貝原益軒が1710年(宝永7年)にあらわした『和俗童子訓』の中の巻之五「女子を教ゆる法」をもとに後人が作成した者とする説が有力である。

19か条を箇条書き形式により、女子教育の必要と理念(3か条)および婚家での婦人としての心得(16か条)について諭(さと)している。

これは、両親・舅・姑・夫への絶対服従をはじめ、近世における社会・家族制度のもとでの家を存続し強化するのに必須の女子教訓を簡潔な形で示したものである。

SOURCE: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つまり、良い女は生まれつき男の下にあると言う教えですよ。さらに、性生活でも、男は性欲に溺れても自然だけれど、育ちの良い女は絶対にそうであってはならないと教え込まれた。要するに、育ちの良い女は、寝床で男に抱かれても冷凍されたマグロのように、じっとして横たわっているように、と言う教えですよ。

いややわあああ。。。。

レンゲさんが嫌だと言っても、昔はそういう教えが当たり前だったんですよ。女は「良妻賢母」となる運命にあるとされ、男が支配する「家」に身をささげる事が女の最大の義務とされた。軍国主義の戦中では、そのような「家」が果たすべき義務が、天皇の国家に奉仕する事だった。男の子は長じて皇軍の兵士になったし、女の子は挺身隊の一員となって軍需工場で働かされた。ところが、戦争に負けて、大日本帝国は幻になって消え去った。それとともに「女大学」も消え去った。

それで、どうなったのですか?

アメリカからナイロンストッキングがもたらされたけれど、そのストッキングのように戦後は、日本の女も強くなった。アメリカの民主主義もストッキングとパンティーと一緒にもたらされた。女は男の支配下にじっとしている必要がないことが分かった。

男女平等と言うわけですね。

そうですよ。男女平等は「愛情」だけにとどまらなかった。性的満足でも女は男と同様に快楽を共有したいと思った。こういう風潮の中で、『完全なる結婚』と『夫婦生活』が迎えられたわけですよ。

なるほど。。。それで『完全なる結婚』がベストセラーになたわけですね。

そうですよ。性的快楽と結婚が男女平等の下にしっかりと結び合ったんですよ。女性は、もう冷凍されたマグロのように、じっとして横たわっている必要はなくなったんです。夫婦がお互いにセックスを楽しむ事が両性の平等の象徴にまでなったと言うわけですよ。そうして、戦後半世紀がたちました。日本は経済大国にもなったし、長寿国にもなったんですよ。ところが、結婚生活で男女が平等に性生活を楽しむはずだったのに、最近の国際的な調査では、日本人が性生活満足度では最下位という結果がでていますよ。
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完全なる結婚 PART 3

2006-04-21 18:01:01 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ


うっそおォ~~

ウソじゃないですよ。次の記事を読んでくださいよ。


性生活満足度ランキング最下位は日本

AP通信によると、米シカゴ大学の研究グループが29カ国・地域を対象に実施した性行動・態度に関する調査の結果が、学術誌アーカイブス・オブ・セクシャル・ビヘイビアー4月号に発表された。
それによると、性生活に満足している人の割合が最も高かったのはオーストリアだった。
71.4%が「満足している」と答えた。
一方、最も低かったのが日本で25.7%だった。

上位5カ国は、オーストリア71.4%、スペイン69.0%、カナダ66.1%、ベルギー64.6%、米国64.2%。
下位5カ国は、タイ35.9%、中国34.8%、インドネシア33.9%、台湾28.6%、日本25.7%

ただし、この研究の対象者は40歳から80歳まで。

SOURCE: AP通信 (2006年4月19日)



結論(Conclusion)

A number of sexual problems were found to be frequent in this large sample of women and men aged 40-80. Physical, social/emotional, and relationship factors were all found to have a significant impact on the prevalence of one or more sexual problems. In addition, we observed an important gender difference: increasing age was more consistently associated with sexual problems among men. Thus, sexual problems among women and men appear to share similar correlates, but physical factors may play a larger role among men. However, as men age, there may be more psychological and relationship issues as well that influence their sexual satisfaction and performance.

性的問題で肉体的要素が占める割合は、年を重ねるにつれて男性の方に大きく影響する。
しかし、心理的な要素、パートナーとの人間関係が、肉体的要素と同様に性的満足感とパーフォーマンスに大きな影響を与えているようだ。

SOURCE: “Sexual Problems Among Women and Men Aged 40-80”


一体何のために日本は経済大国を目指したのか?日本人は考えてみる必要があるようですよ。

デンマンさんは、どう思っているのですか?

つまりね、経済大国にはなったけれども、本当の人間教育がすっかり忘れ去られてしまったんですよ。だから、本当に文化的な心豊かな人間が育たなかった。それで、家庭崩壊が日本では進んでいるんですよ。

家庭的に問題を抱えているから、性生活で満足感を得るような心のゆとりがないと言う事ですか?

そうですよ。先進国の中では日本が最も家庭崩壊が進んでいると僕は見ていますよ。今夜のテレビニュースを見てください。そのような不幸な家庭に育った人が常識では考えられないような事件を起こしていますよ。親殺しや、子殺しが、日本では珍しい事ではなくなってしまった。アメリカやカナダでも、そういう事件がないわけじゃないけれど、日本ほど頻繁に起こっていませんよ。

つまり、このような荒(すさ)んだ生活の中では、性生活に悦びを見出す気持ちのゆとりがない。だから、満足感など得られるはずもないとおっしゃるのですね。

そのとおりですよ。

デンマンさんは、そう言いながら、あたしに当て付けするために、この『完全なる結婚』を持ち出したのではありませんか?

レンゲさんだけじゃありませんよ。崩壊した家庭に育った人が、現在の日本には相当数居ますよ。ネットを見渡したって、すぐに僕は名指しでそういう者たちを挙げる事が出来ますよ。えっけん君だとか、DEMPA55、上で紹介した菜々子などが崩壊家庭で育った者たちです。この人たちの書いている事、やっている事を見ていると境界性人格障害を患っていることが実に良く分かりますよ。この人格障害は家庭崩壊に起因している場合が多いんですよ。

デンマンさんは、あたしもそうだとおっしゃるのですね?

レンゲさんは、自分でそう言ったんですよ。。。忘れてしまったのですか?

でも、。。。でも、。。。

でも、ナンですか?

あたしは、DEMPA55さんと一緒にされたくないんです。

けれど、家庭崩壊が元で人格障害になっているんですよ。DEMPA55もレンゲさんも。。。 

だけれど、DEMPA55さんのように、あたしはネットストーカーではありませんわ。

レンゲさんは、ネットストーカーではありませんよ。でも、考え方によったら、もっと危険なことをしていますよ。

もっと危険な事。。。?

そうですよ。。。ファンディーをはいて、清水君とパンツの中でつながったままドライブして夜桜見物に出かけたでしょう?

だから、。。。あたしは言ったではありませんかぁ~~。。。あたしたち、ドライブしている最中はしませんでした。

しませんでしたって、。。。パンツの中でつながっているんですよ。しているじゃありませんか。

“パンツの中で

 つながったまま、

 カップルが

 80キロで走行中に

 エッチに夢中になって

 ガードレールに激突、

 そのまま昇天!”


こんな事になったら目も当てられませんよ!

だから、ドライブしている時には、夢中にはならないようにしているんです。

つまり、なんですか。。。つながってはいるけれども、荒川の堤に着くまで我慢していた、と言うわけですか?

(聞こえないくらいの小さな声で)。。。そうです。

それで、夜桜を眺めてから、花咲く桜の木の下でゆっくりと愛し合ったわけですか?

(うつむくようにしてレンゲさんはうなづきました。)



夜桜の下で愛し合うなんて風流で、うらやましいと思うけれどさぁ~、ドライブ中につながっているのは、やっぱりエログロナンセンスだと思うなあ~~。

いけませんか?

ファンディーをはいてドライブする必要はないでしょう?荒川の堤に着いてからゆっくりとつながればいいじゃないですか?

デンマンさんはあたしたちの気持ちを、ちっとも理解していないんですわ。あたしも洋ちゃんも、いつでも愛し合っていたいんです。

でも、ドライブしている時ぐらい離れていたっていいじゃないですかぁ~?人生は長いんだから。。。交通事故を起こして死んでは元も子もないんですよ。どうしてアパートのベッドの中でゆっくりと楽しまないのですか?高速道路に出て80キロで突っ走りながらじゃないとスリルがなくてつまらないのですか?

それって、。。。それって、絶対にあたしたちをコケにしていますよねぇ?

違いますよ。レンゲさんのことを僕は心配しているんですよ。

いいえ、。。。デンマンさんは、またこの記事の中であたしを可笑しな女にしているんですわああああああああ~~

【ここだけの話しですけれどね、今日もダメだったですね。。。格調高く終わらせようとしたのですけれど。。。へへへへ。。。でもね、レンゲさんの話の続きは、ますます面白くなりますよ。どうか期待して待っていてくださいね。もっとレンゲさんのことが知りたいのなら、下にリンクを貼っておきましたからぜひ読んでくださいね。】

       
レンゲさんの愉快で面白い、そして悩み多い日々は
次のリンクをクリックして読んでください。

■ 『レンゲさんのこれまでの話を読みたい人のために。。。』

■ 『レンゲさんの愛と心のエデン』



レンゲさんをもっと知りたい人は。。。。

■ 『女探偵ふじこが試みたレンゲさんの素行調査』

■ 『“愛の正体” と “レンゲのテーマ”』

■ 『不倫の悦びと苦悩』

■ 『レンゲさんのように苦境から立ち上がった女 ー グロリア・スタイナム』

レンゲさんの写真を見たい人は。。。

■ 『レンゲさん、あなたは実はメチャ美人なんですよ!』

 
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ローンの選び方、あなたは知っていますよね?

2006-04-21 17:59:15 | 役立つ生活情報




ローンの選び方、

あなたは知っていますよね?




知っているつもりになっていて、結構知らない人が居るのですよね。

もちろん、ローンの選び方の基本は、最も金利の低いものを選択することです。
でも、この他にも考えておかねばならないことがありますよ。

今日は、そのことについてちょっとお話しようと思います。

融資額が多いか少ないかということも決め手になりますよね。
50万円のところもあれば、300万円のところもあります。

借りるのにどれくらいかかるかも決め手になりますよね。
出来ればその日のうちに借りたいですよね。
1週間も待たされるのではたまりません。

申し込み時の手続きが決め手になることもあります。
つまり、金融機関の窓口まで出かけてゆくのは、ダサいですよね。
ナウい方法というの、すべてネットで手続きが完了する事がベストです。
出来るだけ簡単に借りたいですよね。

でも、簡単に借りられるローンほど金利は高くなる傾向にあります。
この辺が、考えどころですよね。
いろいろなローンを手続きの簡単さと金利という点で見比べてみる必要がありますよ。

また、借り入れをする時は便利で簡単でも、返済が面倒だという場合もあります。
そういうわけで、申し込むローンの種類を選ぶ時には、借入の際の利便性のみならず、返済の利便性もチェックする必要があります。

銀行、銀行系消費者金融、クレジットカードのカードローンは原則として、指定口座(銀行、銀行系はその銀行)からの自動引き落としになります。
給与口座から引き落とせるようなローンを選べば、返済の煩雑さはかなり回避されます。


一方、消費者金融はATMでの入金が必要です。
つまり毎月返済の入金をしに行かなくてはならないので、近くに利用できるATMがあるか、なども確認しておく必要があります。

ええっ?
いろいろなローンの種類を調べるのは手間、暇がかかるから、いいのがあったら教えて欲しいのですか?

では、次のようなものはいかがですか?
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自動審査で、すぐに利用可能額が分かります。
ネットで申込むと「いくら借りられる」のかがすぐに分かります。
初めての方でも安心です。結果がすぐに分かるから。。。

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つまり、銀行の窓口まで出かけてゆく必要がありません。

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このローンなら、全国の三井住友銀行ATMからも出金OKでさらに便利。
返済はコンビニでもOK!
その他6つの方法から選べます。

50万円以上必要な場合には、審査で最大300万円までご融資!

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とにかく、クリック一つで回答がもらえるから安心ですよ。
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じゃあね、
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では、今日も一日

楽しく愉快に

ネットサーフィン

しましょうね。


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リンゴの唄を忘れた日本人

2006-04-20 09:11:07 | ネットストカー・荒らし・インターネット

リンゴの唄を忘れた日本人
 


 
おほほほほ。。。。

今日は、初めに出てきてしまいましたわ。

ごめんあそばせえ~~

ところで、あなたは“リンゴの唄”を

歌ったことがありますか?

ちょっと思い出してくださいね。

 
4月18日にRealogで書いた記事(『日本を繁栄の道に導いたリンゴの唄』)にメンバーの“ケムシ”さんから次のようなコメントをもらいました。


りんごの唄にはその時代背景がありながらも明るさが存在しているんですね。
りんごの唄、大好きでよく口ずさんでしまいますが、そこまで考えたことなかったです。

りんごの唄と
鐘のなる丘 

2大ハナウタとして、私の大好きなメロディーです。

by ケムシ at 2006-04-18 16:55(火) / URL


僕は早々、次のような返信を書きました。


コメントありがとうございます。

>りんごの唄と
>鐘のなる丘 2大ハナウタとして、
>私の大好きなメロディーです。



ケムシさんはキビシー時代を知っているようですね。

リンゴの唄に忘れがたい思い出を持っている人はたくさん居るようですよ。

検索エンジンで探しても結構たくさんのエピソードを見つけることが出来ます。

日本人の心にしみこんだ唄の一つでしょうね。

僕自身はキビシー時代をじかには知りませんが、
リンゴの唄のエピソードを聞くと日本人の誇りを感じますね。

たくさんの人が、あの歌を聞きながら頑張ったんですね。
中には、軽い気持ちで聞き流した人もいたでしょうけれどね。。。
へへへへ。。。。

とにかく、コメントありがとうございました。
また気が向いたら、書いてください。
じゃあね。

by バークレー(デンマン) at 2006-04-19 18:51(水) / URL

『日本を繁栄の道に導いたリンゴの唄』のコメント欄より


  リンゴの唄

赤いリンゴに くちびるよせて

だまってみている 青い空

リンゴはなんにも いわないけれど

リンゴの気持ちは よくわかる

リンゴ可愛や 可愛やリンゴ




こういう歌詞なんですよね。
これが1番です。
歌詞は4番まであり、
歌詞の最後に
“リンゴ可愛や 可愛やリンゴ”というリフレイン(繰り返し)がついています。

この歌が太平洋戦争後、大ヒットしたんですね。
もちろん、あなたも僕もまだ生まれていません。
並木路子(みちこ)さんが肉声で歌ったのをマジで聞いた人は、この記事を読む人の中には、まず居ないはずです。

この歌のどこがすばらしいのか?
一言で言えば、“明るさ”でしょうね。

リンゴが嫌いな人はまず居ません。
並木さんが歌っていた昭和20年10月当時は若手女優の月給が100円から300円だったそうです。
リンゴは1個5円!
高かった!
食料のない時代でした。

並木さんはコンサートで歌いながらリンゴを投げたそうです。
聴衆は、まるで幸福に手を伸ばすようにリンゴに手を伸ばし、それを掴み取ろうとしました。

食べ物が無い時代でした。
政府の配給だけでは生きて行けなかった。
だから、“闇市”が日本全国に広がった。

厳格な裁判官がいて、政府の配給だけで生きてゆこうとしたら、餓死してしまったという笑えないマジな話があります。
この人は34歳で亡くなった判事の山口良忠さんです。
1947年11月の事です。
この人については、別の記事で書きたいと思います。

こういう暗い、惨(みじ)めで、殺伐とした時代だったから、“リンゴの唄”が大ヒットした。
とにかく、食べ物が無かったから、リンゴについて“明るく”繰り返し繰り返し歌う事が、
戦後の人々の気分を高めたとしても、うなづけます。

でも、この歌の良さは、食べ物を歌っていたからだけではなかった。
歌詞が軽くて気取りがなく、
赤いリンゴと青い空のイメージが、戦後の人々の心の中の灰色の気分に
赤い鮮やかな色彩を加えてくれたからです。

“リンゴの唄”が、戦争という厳しい時代を生き抜いてきて、くたびれて、ひもじい思いをしていた日本人に“生きる希望”を与えてくれた!

この並木路子さんも、苦労して戦中・戦後を生き抜いてきた人です。
この当時、若手の女優さんでした。
“リンゴの唄”とともに1本の映画が封切られたのですが、この映画の内容はすっかり忘れ去られてしまった。
でも、この唄は、その当時の人の心を捉えて歌い続けられた。

並木さんの人生も戦争で狂わされてしまった人たちの1人でした。
お母さんは1945年3月10日の東京大空襲で亡くなってしまった。
並木さん自身も空襲後、隅田川から助け出された。
お父さんとお兄さんは戦争に行って、帰らぬままだった。

並木さんは松竹のニューフェースの1人でした。
撮影現場で食べたリンゴの味が忘れられなかったと述べています。

並木路子さんと彼女の作品について、もっと知りたい人は次のリンクをクリックして読んでみてください。
『リンゴの唄 --- 並木路子』

僕がなぜ、この“リンゴの唄”を、今さら持ち出したのか?
実は、僕の母親もこの唄から元気をもらった人だった。
僕の叔父も、この歌を聞いて、何とかしなければ。。。と、改めて生きる事を考えたと言います。

こういう人たちによって戦後の復興がもたらされた。
日本人は戦後の焼け野原から復興を遂げて、
経済大国にまでのし上がった。

“日本人はすばらしい!”

僕も心のどこかで、日本人としてこの事を心の支えにしています。
僕自身は、すでに海外生活が日本で生活していた期間を越えている。
つまり、僕は人生の半分以上を海外で生活してきました。

青春時代をあの“大学紛争”で過ごしたのです。
経済大国の道をまっしぐらに進んでいた日本は、“大きな教育問題”を抱えながらも、
さらに経済大国の道を突き進んでいった。
(しかし、問題は見えないところで膨らんでいった!)

“本当の人間教育”は忘れ去られ“産業兵士を育てる教育”だけが推し進められた。
各都道府県に、“高等工業専門学校”(いわゆる工専)が竹の子のように作られた。
“産業兵士”が生み出されていった。

この兵士たちが、次のような大企業にどんどん吸収されていった。

ソニー
パイオニア
ヤマハ
トヨタ
ホンダ
トーシバ
ヒタチ
パナソニック
ミツビシ
セガ
キョーセラ
ニンテンドー
。。。
。。。

日本はますます経済大国の道を突き進んでいった。
人間教育は忘れられたまま。。。
そして、この繁栄の影で家庭崩壊は着々と進んでいった。

そして、“バブルがはじけた!”

バブルがはじけて、これまでの見えなかった社会問題が一挙に日本全国に広がっていった!
テレビニュースを見ると、

“息子が親を殺した!”
“親が息子を殺した!”
“実の母親が8歳の長男と5歳の長女をダムに突き落として殺した!”
“娘が内縁の夫にそそのかされて、両親と妹夫婦、合計7人を殺して、死体をミキサーにかけてジュースにして捨てるという死体なき殺人事件を起こした!”
“子供が友達の弟の首を切り取って門柱の上に飾る!”
。。。
。。。

常識では考えられないようなニュースが日常茶飯事のように起きている!

“日本はどこかが狂ってしまった!”

あなたも、そう思う事がありませんか?

だから、菜々子のような人間のクズがネットをやっていても不思議ではありませんよね。
この愚かな菜々子が僕のSO-NETのブログに次のようなコメントを書きました。




ここ数日、記事を投稿するのに出来ない事がありますよね。
今日も、何度か試みましたが、うまく行かず
PART 2 が投稿できません。

全文は次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。

SO-NETで読む全文
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リンゴの唄を忘れた日本人 PART 3

2006-04-20 09:03:19 | 病める日本・高齢化社会



僕がヒトラーなら、この愚かな菜々子をガス室には送りません。
ガスがもったいない!うへへへ。。。。
ゴキブリホイホイでこの馬鹿野郎を捕まえて懲らしめてやりますよ。うヒヒヒヒ。。。。
馬鹿だからすぐに引っかかります。

馬鹿だから、僕に利用されるために、わざわざコメントを書いているわけですよ。

つまり僕が何が言いたいか?と言うと次のような事ですよ。

菜々子のような人間のクズを

抹殺してしまわないのはなぜか?


なぜなら、世界のネット市民には“知る権利”があります!
この知る権利を持つ世界のネット市民の基本的人権が“言論の自由・表現の自由”です。

そして民主主義というものは国民が本当の意味で主役になる社会理念ですよね。
つまり、民主主義の社会にあっては、政府や権力が国民の耳をふさぎ、口をふさぐという事は許されない。
国民が主役なんですから。。。
それが民主主義です。

そして、グローバル化した現在の世界では、ネット市民が主役です。
あなたや僕のようなネット市民が主役なんですよ。
そう思いませんか?

多少誤った言論であろうとも、
ちょっと下品な言論であっても、
それは民主主義という名のもとに許されるべきなんですよね。

だから、菜々子のような人間のクズでも抹殺する事は間違っているわけです。
“一寸の虫にも五分の魂”
。。。と、言いますからね。

愚かな菜々子にも生きる権利があります。
下らないコメントでも書く権利があります。

だから、デンマンにも、愚かな人間のクズの菜々子が書いたコメントを十二分に活用し利用する権利があります。
うへへへへ。。。。
この記事も、世界のネットの発展と幸福と進歩のために、ノーベル賞がもらえるほどの大馬鹿者の菜々子を活用して書いたと言うわけです。
うひひひひ。。。。

分かるでしょう?
愚かでゴキブリちゃんよりも劣るような人間のクズの菜々子でも、こうして僕が前向きに建設的に書く事によって、利用の道が用意されると言うわけです。

だから、菜々子をガス室に送って殺してしまう事は間違っているのです。
(もちろん、僕にも、そうしたい気持ちがありますよ。うへへへへ。。。。)

でも、人間のクズの菜々子のような愚か者を日本からできるだけ少なくする必要があります。
どうして菜々子のような愚か者が日本には多いのか?

“リンゴの唄”を知らないからです。
“リンゴの唄”が歌われた時代を知りません。
菜々子は馬鹿だから、歴史を真面目に勉強した事もない!
悪い点ばかりとって、先生に怒られてばかりいた。

家に持って帰ると教育ママゴンにしかられるので、
歴史の答案は、すべて破り捨てていた!

菜々子は馬鹿だから、歴史というのは学校を卒業したら無縁のものだと思っている。
歴史を学んで、人生を豊かにしようなんて考えは全く持つことが出来ない!

とにかく、菜々子は馬鹿だから、学校の成績も悪かった!
歴史に学んで“過ちを繰り返さない”なんて気持ちは全くない!

優秀で勤勉な日本人が“リンゴの唄”から元気をもらって、一生懸命働いたという戦後の日本を学んだ事もない!
でも、愚かな菜々子は、あれほど学校の成績が悪かったのにもかかわらず、自分では平均以上の日本人だと思い込んでいる!
こういうところが、歴史を学んでいない菜々子の馬鹿なところです!
うへへへへ。。。

体だけは大人のようになっているけれど、オツムは小学生とあまり変わりがない!
へへへ。。。

しかも悪い事には、日本には2ちゃんねるがある!
菜々子のような愚か者の遊園地が2ちゃんねるですよ!

2ちゃんねるが菜々子のような、迷惑を振りまく無責任でいい加減な人間を作り出している!
2ちゃんねるが“病める日本”の足を引っ張っている愚か者を育てていると言う事を、次のスレッドの中で実証的に説明しています。
次のスレッドを読めば、嫌と言うほど2ちゃんねるで“生まれ育っ”た愚か者たちに会うことができますよ。

■ 『2ちゃんねるは世界のネットのために貢献できるか?』

僕は個人的には、愚かな菜々子に対して悪感情はこれっぽっちも持っていませんよ!

“罪を憎んで人を憎まず”

“菜々子の愚かさを哀れんで、愚かな菜々子を憎まず”
へへへへ。。。。。

菜々子は、“旅の恥は書き捨て!”と言う、いい加減な気持ちでコメントを書いています!

ブロガーの中には、僕のようにライフワークだと思ってブログを書いている人もけっこう居ると思いますよ!
ブログの記事に書かれたことを逆恨みして、キチガイがその記事を書いたブロガーを殺した、というニュースは今のところないけれど、
僕はそういうことがあることを覚悟して書いていますよ。うへへへへ。。。。

分かるでしょう?

“キチガイデンマン”と書いた人も居るけれど、実際、日本にはキチガイじみた人が居ますからね、
ブログを書いたことで殺される人がそのうちきっと出てきますよ!
僕がその第一号にならないように気をつけます。

うへへへへ。。。。

でもね、だからと言って、怖くなって書かなくなる、という事もありません。
なぜなら、僕は覚悟を決めて書いていますからね。へへへへ。。。。

オツムの足りない人間的に未熟な菜々子よ!
オマエのような奴が、馬鹿だから真っ先に殺されてしまうんだよ!
これからは、気を付けた方がいいよ!
だから、愚かな菜々子よ!
オマエも覚悟してコメントを書くようにね。
コメントを書いたことにより、命を捨てなければならないことだってある!
うへへへへ。。。。。

ちょっと、キチガイじみちゃったかな?うひひひひ。。。。
何度も言うようにね、ボクちゃんの心は寅さんのように優しいんですよ。
だから、口は悪いけれど、僕の言ったことを根に持って、
あとでボクちゃんのドテッパラに風穴を開けないようにしてよね。うへへへへ。。。



じゃあね。
バイバ~♪~イ。。。。

じゃあ、今日も楽しくネットサーフィンしましょうね。



ィ~ハァ~♪~!

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■ 『デンマンのブログを削除した管理人に対する公開抗議文とその面白い顛末』

■ 『日本は軍国主義への道を歩んでいるのでしょうか?』

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■ 『どうして、こうも犯罪が増えている?警察はホントに駄目になったの?』

■ 『日本人に欠けているものは?』

■ 『日本のネットで迷惑を振りまいているウツケ者たち』

■ 『国際化・グローバル化とはあなたにとってどのようなものですか?』

■ 『日本 ☆ 日本人 ☆ 日本社会 ☆ 比較文化論』




じゃあ、今日も元気に

楽しくお過ごしくださいね。

あなたの心に

“リンゴの唄”をもう一度!

 
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ゴルフをすると頭が良くなるの?

2006-04-20 08:57:48 | 能力開発・頭を良くする



ゴルフをすると頭が良くなるの?



古代ギリシャの医師で「医学の父」と呼ばれたヒポクラテスは「歩くことで頭が軽くなる」と説いたと言われています。
頭が軽いとはどういうことなのでしょうか?

あなたは“今日は私の頭は軽いわよ”と言ったことがありますか?
まずないでしょうね。

でも、“今日は頭が重いのよ”とは言った事があるかも知れませんよね。
頭が重いということは、頭がすっきりしないとか、気が重いとか、寝不足で頭の中に鉛が詰まっているような感じとか。。。
いろいろ言い方があるかもしれませんが、要するに、頭の働きが悪いということですよね。

頭が重いから頭の働きが悪い。
頭が軽いと頭の働きが良い、つまり、頭が良くなると言う訳です。

適度に運動をすることは、脳の活性化に大きな効用をもたらします。
だから、ゴルフをすると間違いなく脳の活性化になるのですよ。

ゴルフをすることの効用を、大脳生理学で説明すると、どうなるのでしょうか?
ちょっと試みてみようと思います。

筋肉の中に“筋紡錘(きんぼうすい)”と呼ばれる知覚神経の末端があります。
ゴルフをすると、歩きますよね。
歩くと筋肉を動かすことになりますから、当然この知覚神経にも影響を与えます。
つまり、歩き始めると、この知覚神経の末端が刺激されます。
この刺激が脳に送られれます。
脳に送られると、脳が活発に働き始めます。
頭の働きが良くなると言う訳です。

「歩いている時は、寝ている時よりも脳細胞の働きが10%も活発になっている」と説く学者もいるくらいです。

人間は、約400万年前に二本足で立ち上がり、歩くようになりました。



      


そして直立二本足歩行をするようになってから約200万年のあいだに、
脳の重さはおよそ2倍に増えたのです。歩くことが脳に重大な影響を与えることを示す好例と言えるでしょう。

歩く事には、もう一つの長所があります。
歩く事は走るような激しい運動と違って、足腰への負担が少なくてすみます。
高齢者には、もってこいの運動ですよね。
公園などの安全な場所を選べば、危険なことはまずありません。
移動で目に見える風景が、刻々と変わります。
これも脳にいい刺激を与えてくれます。



サクラや菜の花を見て、胸いっぱいに春の香りを吸い込みます。
道端にタンポポが咲いていたり、ツクシが生えているのを発見します。
風がそよぎ、ポカポカと暖かな日差しが降り注いできます。
五感を適度に刺激し、歩きながらさまざまな発見できるのが、散歩の長所ですよね。



あなたも改めて歩く事をもう一度考え直してみてはいかがですか?
そうしてコンピューターの前で座ってばかりいないで、ちょっと一休みして近くの公園へ散歩にでかけませんか?

ええっ?あとで散歩するつもりだけれど、もっと積極的に頭を良くする方法はないのか?
あなたは、そう私に尋ねるのですか?

実は、ありますよ。
知りたいですか?
関心があったら次のリンクをクリックしてくださいね。
あなたのために無料のDVDが用意してありますよ。

『DVDで見るもっと知りたい頭を良くする脳のはなし』

無料ですよ。
取り寄せたからって、後で教材を買わせられると言うようなことはありません。
義務は一切ありません。
安心して無料でもらうことができます。

とにかく、得ることはあれ、あなたが失うことは何もありませんよ。
ぜひ、取り寄せて貴重な脳の話をDVDで見てくださいね。

じゃあね。
あなたの頭がもっともっと良くなることを祈っています。



あなたが絶対、

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■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

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楽しく愉快に

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愛は野バラのように PART 1

2006-04-19 17:16:33 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ



愛は野バラのように
 




定さんの後半生
 

刑務所長などの配慮で、阿部定さんは「吉井昌子(まさこ)」と名前を変えて、誰にも過去を知られず暮らすことになった。
定さんは「吉井」という姓が気に入っていたようだ。
予審調書によると26才の頃、丹波の篠山の「大正楼」で娼妓をしていたが、待遇がひどいので逃げて神戸に住み始めた。
その当時、吉井信子と名乗って二週間ばかりカフェーの女給をしていたことがある。
29才の時には東京の三の輪で吉井昌子と名乗って高等淫売をしていたことがある。
現代風に言えば“コールガール”という事になる。

定さんは、なぜこの名前が気に入っていたのか?
それは、この名前を名乗っていた頃知り合った中川朝次郎(37歳)氏が気に入っていた事と関係があるようだ。
中川氏は日本橋区室町で袋物商を営んでいた。
定さんは昭和8年10月頃、中川氏の妾になっている。
昭和9年9月頃、中川氏が病気になり定さんの面倒が見られなくなったので相談の上別れている。
その後、定さんは横浜市中区富士見町の「山田」という店でコールガールを始めた。
昭和9年の暮に、この仕事で知り合った政友会の院外団という笠原喜之助氏の妾になる。
ところが笠原氏は放埒で、まともな手当ても定さんにやらなかったらしい。

“愛情もなく私を獣扱いにし別れようとすると平身低頭して哀願するという品性下劣な男でした。直ぐ嫌になりました。”と定さんは予審調書の中で述べている。

中川朝次郎氏は定さんが関係した男の中では余程気に入ったらしく、“馴染の中川さん”が恋しくなり昭和10年1月、電話で中川氏を呼出し浅草の上州屋で同宿したこともある。
その後も、この中川氏と定さんは会っている。
そのようなわけで、中川氏と“吉井昌子”という名前が定さんの頭の中でしっかりと結びついていたようだ。

いづれにしても、定さんは出所後その名前で(中川氏とは別人と)結婚をし、戦時中は埼玉県に疎開していた。
だが、終戦後、定さんとその夫が平和に暮らしているところに、新聞記者が取材で訪れた。
これによって、夫は妻が世間を騒がせた定さんであることを知り、それまで平和であった暮らしが崩壊した。

また、カストリ雑誌ブームの中で再び、阿部定事件が脚光を浴び、興味本位の『昭和一代女お定色ざんげ』などいろいろ書かれた。
そのため、1947年(昭和22年)9月、定さんはその著者と出版社を名誉毀損で東京地検に告訴している。
その後、作家の長田幹彦主催の劇団で、自ら「阿部定劇」のヒロインを演じて全国を巡業した。

その後、温泉地の旅館の女中、料理屋の女中、バーやおにぎり屋の経営者になったりして、あちこちを転々とする。
自分の知名度を利用し、逆にそれを利用されたりした。
1959年(昭和34年)、某料理屋の女中頭として、東京料飲店同志会から優良従業員として表彰されている。

1969年(昭和44年)に石井輝男・監督で『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』という名の映画が作られた。
実際に起きた異常ともいえる五大愛憎事件を、スキャンダラスに描いて話題を集めた。

昭和35年に起きた“東洋閣事件”を皮切りに、“阿部定事件”、それに引き続いて各地でおこった“象徴切り事件”、敗戦の年に七人の女を強姦・殺害した“小平義雄強姦殺人事件”、明治の代表的毒婦“高橋お伝事件”まで猟奇犯罪を実録タッチでショッキングに描いた。

“阿部定事件”の当事者である定さんが特別出演するというので、公開当時大きな話題を呼んだ。数分だが定さん本人(当時64歳)が橋の上でインタビューに答えて事件を語る部分がある。

1971年(昭和46年)、千葉県市原市のホテルで、「こう」という名前で働いていた。
ここでは、66歳という高齢にもめげず、若い男に金品を貢いでは気を引いていたそうであるが、置手紙を残したまま、姿を消した。
以後、消息を断った。
その後、ある老人ホームに入っているらしいという噂が立った。
現在は生死不明。

『阿部定事件の波紋と後半生』より


ところでデンマンさん、カストリ雑誌ブームって、何ですの?

いいところに目をつけてくれましたね。実は、今日、何を書こうか?と考えていたところですよ。カストリって聞いた事がないですか?

名前だけは聞いた覚えがありますけれど、深く考えてみた事なんてありませんでした。読み流していましたわ。

そうですか。カストリというのは太平洋戦争後の食料のない時代に作られた低級な焼酎(しょうちゅう)の事ですよ。酒粕(サケカス)から作られたんですよ。サケカスって知っているでしょう?

名前だけは聞いた事がありますけれど、実物は見たことがありしませんねん。

見たことがありませんか?

デンマンさんは?

僕の家は大きな酒造屋の近くにあったんですよ。子供の頃は僕は少年ギャング団に入っていましたからね。自慢するわけではないですが、10人ぐらいの仲間と良く盗みに出かけましたよ。

デンマンさんは子供の頃、不良だったのですか?

不良だと思って不良になっている人はいませんよ。僕は、それが当たり前だと思って、その仲間の中で遊んでいたんですよ。盗むことだって、それが悪いと思ってやっているわけじゃない。遊びの一種だと思ってやっているわけですよ。

それで、サケカスを盗んだわけですの?

そうなんですよ。僕はまだ小学校の低学年だったから、見ていたんですが、中学生のボスが塀を乗り越えて酒造屋の倉庫に入り、ごっそり盗んできましたよ。

それをどうやって食べるのですか?

それを鍋に入れて溶かして砂糖を入れ、甘酒にするんですよ。これが結構うまいんですよ。当時サケカスなんて盗まなくても、その酒造屋で酒や醤油(しょうゆ)を買うと只でもらえたものですよ。

なぜ盗むのですか?

面白いからですよ。つまり遊びなんですよ。僕も見ていて面白かったですよ。中学生になったら、ぜひやってみたいとワクワクしながら見ていたですよ。

それで中学生になったら盗みに入ったのですか?

僕は仲間から抜けましたよ。。。というか、ボスが少年院送りになりましたからね、親たちがビックリして監視が厳しくなったんですよ。僕も母親から説教されました。そういうわけで、少年ギャング団は自然消滅しましたよ。

それで、そのカストリ雑誌とは。。。?

そうです。そのことですよね。ちょっと脱線してしまいましたね。そのカストリという酒は、とにかく悪い酒だった。“カストリ”とは、まさにサケカスから採(と)った焼酎という意味ですからね。つまり、カスからトッた酒で、カストリですよ。

そういう意味なんですの?

そうです。この酒は匂いがひどくって、鼻をつまんで飲むものだったらしいですよ。質が悪くて3合(0.54 リットル)飲むと酔いつぶれて意識が無くなると言われたんですよ。

それがどういう理由で雑誌と関係あるのですか?

語呂合わせですよ。“3合で酔いつぶれる” と “3号で雑誌社がつぶれる” とをかけたものですよ。つまりね、低級で低俗な雑誌の事ですよ。だから、長くは続かないんですよ。実際、カストリ雑誌の発行者たち本人が立派な目的など何もないと、次のように書いていたほどですよ。




読者諸賢を啓蒙しようとか、教育しようとかという大それた気持ちは全然ありません

読者諸賢が、平和国家建設のために心身ともに疲れきった午睡の一刻に興味本位に読み捨て下されば幸いです


カストリ雑誌の中では有名な『猟奇』の創刊号に、このように書いてあるんですよ。発行者自身がこのように言っているわけです。つまり、読み捨てにしてトイレで落し紙にするような、どうでもいい低級な雑誌だったわけですよ。一口で言うと“低級桃色風俗雑誌”ですね。

このブームの中で定さんがまたスポットライトを浴びたわけですの?

そうですよ。昭和一代女『お定色ざんげ』という本に興味本位でいい加減な事を書かれたというので定さんは頭にきて告訴したわけです。

セックス志向の娯楽読み物の話の種にされたわけですね?

そういうことですよ。定さんが頭にきたのも分かるけれど、でもね、定さん一人が頭にきても、この時代の趨勢(すうせい)が低俗なセックス志向の読み物を要求していた。この傾向は1950年代になっても続いて“カストリ文化”と呼ばれるようになった。

どうしてそうなったのでしょうか?

軍国主義時代の息が詰まる思いの反動ですよ。カストリ文化は古い権威や根拠のない軍部の締め付けからの開放を人々に強く印象付けるような熱気と活力を持っていた。

つまり、古い因習と軍国主義の締め付けに対する反逆ですね?

そうですよ。このカストリ文化を謳歌した人たちのことを“カストリゲンチャ”と言ったんですよ。

インテリゲンチャをもじったのですね。


インテリまたはその原語となっているインテリゲンチャ(露:интеллигенция, Intelligentsiya)とは、知識階級を指す言葉。

なおそのような立場にある個人を知識人ともいう。対比語は大抵の場合において大衆(または民衆)である。


その通りですよ。カストリゲンチャが書いたモノの特徴は道徳を無視した生活の中にも意義や哲学めいた理論があると主張している事なんですよ。

たとえば。。。?

たとえば、作家の坂口安吾さんは退廃こそは本当の正直さであり信頼できるものだと書いていますよ。日本は戦争に負けた。武士道は滅びた。でも、堕落と言う真実の母胎によって初めて人間が誕生したのだ、と言ってますね。同じく作家の田村泰次郎さんは色情的肉体こそは崇拝に値する唯一の“肉体”であると主張して、暗にかつての“国体”をこき下ろしていますよ。

つまり、抽象的な“国体”とか国家は無意味であり、愛欲に満ちた孤独な肉体を持つ個人こそ実体のある、信じるに足るものだと言う事ですか?

そうですよ。田村さんの書いた小説『肉体の門』は社会的自我が目覚めた個人主義に基づく“近代への門”だと言うわけですよ。さらに、心中した作家の太宰治さんは、セックス・退廃・愛は革命に等しいとも言ってますよ。

デンマンさんは、むしろカストリ文化に好感を持っているのではありませんか?

そうですよ。軍国主義と比べたら、まだ健全ですからね。戦後の人たちにとって、戦争中はあれだけ嫌な思いをさせられたのだから、カストリ文化が盛んになるのも分かる気がしますよ。でも、考えてみれば、戦前の大正デモクラシーに戻ったようなものですよ。戻ったと言うより、“歴史は繰り返す”ということでしょうね。

そうでしょうか?

上で引用した『猟奇』と言うカストリ雑誌がありますけれどね、これだって、大正デモクラシーのエログロナンセンスの“焼き増し”ですよ。


大正デモクラシー

大正時代におこった民主主義を要求する思想と運動。

皇室を憚(はばか)って、大正民主主義とは言わなかった。

都市中間層の政治的自覚、世界的なデモクラシーの発展、ロシア革命などを背景に、明治以来の藩閥・官僚政治に反対して、護憲運動・普通選挙運動が展開された。

第1次護憲運動(1912年)から始まり、政党内閣制と普通選挙の実現を主張する吉野作造の民本主義理論に代表される。

広くは、この時期の労働運動・農民運動・社会主義運動などもふくめるが、第2次護憲運動(1924年)で普選運動の政治目標が達成されてからはおとろえた。



大正デモクラシーの風潮の中、享楽的な都市文化が発達し、エロ・グロ・ナンセンスと呼ばれる風俗も見られた。

「エロ・グロ・ナンセンス」こそが、人間の想像力を豊かにして、困難な現実にも道を間違わずに生きてゆく力を養ってくれるのではないか、と考える人たちも出てきた。

「エロ・グロ・ナンセンス」を「闇」ととらえ、「闇」があるから「光」があるのであって、「闇」をなくしてしまえば「光」もまた消えてしまう、という考え方が受け入れられた。


大正デモクラシーの中でも“カストリ雑誌”が出版されていたんですよ。上で紹介した『猟奇』と言うカストリ雑誌も次の雑誌からヒントを得たようなものですよ。




猟奇画報 全9冊

昭和4年(1929年)12月~昭和5年10月
日本風俗研究會により出版された。

国内外の珍奇風俗、性的風俗などの写真版図譜と資料読み物を取り上げて編集したもの。
9月号から編集方針が変わったため発禁処分にあう。


やはり、“歴史は繰り返す”というわけですの?

そういうことですよ。定んは、自分のことが面白おかしく取り上げられて頭に来て訴えたのだけれど、考え方によれば定さんも時代の落とし子なんですよ。大正デモクラシーの中で定さんは青春期を送った。だから、定さんの事件にもその影響が色濃く出ている。

どういうところがですか?

定さんはレンゲさんのように結構、本を読んでいるんですよ。

そのようなことが予審調書の中に書いてありました?

調書の中には出てこないけれど、『昭和史全記録』という本の中に出ている。それによると定さんは吉蔵さんを殺害したあとで、傷口の血を手指につけ、吉蔵さんの左大腿部に「定吉二人」という文字を書き、敷布にも「定吉二人キリ」という文字を書き残したんですよ。

どうしてそのようなことをしたのですか?

レンゲさんもそのように不思議に思うでしょう?実は、裁判でもそれが問題になって、裁判官が定さんに尋ねたそうだ。

定さんは何と言ったのですか?

昭和11年5月5日に明治座で“つや物語”を見たというんだ。これは泉鏡花が書いた新派の名作「通夜物語」のことですよ。この原作品を読んでいたと言う。

どういうお話なんですの?

小きんと言う芸者が出刃庖丁で可愛いい男の田之助を殺して、その血で襖に字を書くのだけれど、定さんは、そこにとても感動したと言うんだ。


明治の新派全盛時代に書かれた名作狂言。 
原作は泉鏡花が明治32年(1899)9月、「大阪毎日新聞」に発表した小説。

明治39年(1906)8月大阪朝日座にて、岩崎舜花の脚色で初めて演じられた。
配役は、花魁(おいらん)・丁山に河合武雄、貧乏な画家・清に秋月桂太郎が扮した。

昭和11年(1936)5月明治座にて、昭和新派のエース川口松太郎の新脚色で「新版つや物語」として上演された。
配役は丁山にあたる芸者小今に花柳章太郎、清に柳永二郎が扮した。

演者、脚色者とも若い世代で、古くなった新派の定番狂言をリニューアルしようとした。
しかし、当時まだ原作者の泉鏡花が影響力を持っていたことから失敗した。評判もあがらなかった。

丁山が出刃包丁で宿敵ともいうべき笹山を倒し、自分の乳房をえぐった血で恋人・清に襖に絵を描かせ、息絶えていく血まみれの凄惨な場面が見ものだった。


この演劇の世界は、言ってみれば、エログロナンセンスの世界ですよ。愛憎の果てに花魁・丁山が出刃包丁で宿敵ともいうべき笹山を殺し、それから自分の乳房をえぐって自殺する。その血で恋人・清に襖に絵を描かせながら息絶えていくわけですよ。この血まみれの凄惨なシーンは、どう考えても、純情な神経で見られるものではない。芸術に陶酔してエログロナンセンスの世界にどっぷり浸(つ)かった定さんだからこそ感銘を受けるんですよ。普通の女性なら、怖いもの見たさで見ることは出来るかもしれないけれど、感銘するよりもおぞましさを感じますよ。僕だって、この演劇を見たことはないけれど、荒筋を読んだだけで感銘よりも、狂気の世界を覗いたような気がしましたよ。

でも、定さんは感銘を受けたのでしょう?

そうです。その凄惨な場面に感動を覚えたと裁判官に述べているんです。「定吉二人キリ」の血書のヒントは、この泉鏡花の原作品から得たというわけです。定さんは芸術的に感化を受けやすい性格なんだと思いますよ。つまり、定さんもエログロナンセンス時代の落とし子なんですよ。
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