デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

愛@軽井沢 PART 1

2008-08-18 09:11:07 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽


  
愛@軽井沢






矢ケ崎公園の花火




軽井沢で

矢ケ崎公園の花火

を充分に楽しんできてね。





投稿日時: 2008/8/15 8:36 (ロンドン時間)
日本時間: 8月15日 午後4時36分
バンクーバー時間: 8月15日 午前0時36分





はい デンマンさん アツイよー
ここは タイ か バンコクか!
新盆で叔母さんが来るというので、実家にいったまま
結局 泊まってしまいました。


ん。。。?新盆?
聞いたことはあるけれど、意味が良く分からないなぁ~
“新しい盆”って、どういうこと?
辞書を引けば分かるよね。
調べてみますゥ。



雷の後 とても 気持ちの良い風が入ってきて、
そう 私が使っていた 2階の部屋はとても
風通しがいいのです。 

何だか 帰るのが おっくうになり うたた寝 してしまい、
南の方で花火の音がしていたような、どこだろう?

朝方 下の台所で音が聞こえたけど だれもイナイ。
まだ 父と母が暮らしていて 私たちの為に おにぎりでも
作ってくれてる 錯覚をします。


うん、うん、うん。。。
実家は懐かしいでしょうね。
小さい頃の思い出が一杯詰まっているからね。。。
小百合さんは、優しかった“ばー(おばあさん)”の事も
思い出すのでしょう?





今夜から また 軽井沢にいきます。
明日は矢ケ崎公園の花火です。





時間をつくりCAFE にいってみるね。
そこから、できたら返信します。



では また。。。

小百合より




それにしても、佐野から館林、館林から佐野。。。
そして夜になってから軽井沢。。。

うわあああぁ~。。。

めまぐるしいねえええぇ~~




行動派の小百合さんらしいですよう。
その行動力には感心させられますう!



花火を見て
楽しんだあとで
翌朝は“森林浴@軽井沢”を楽しんでねぇ~。





そして時間があったら、ネットカフェで返信を書いてね。
楽しみにしていますよう。
 


僕はこれから小百合さんのために
『ロマンポルノ 第3部』を書き続けますよう!



小百合さんがワクワク感動しながら読めるように
一生懸命書いているのですよう。

ヤ~らしいところがたくさんあるのだけれど、
ただ、ヤ~らしい事を書いているわけじゃないのですよう!
夢とロマンを込めながら書いていますからね。
エマニエル夫人が読んでも喜んじゃいますよう!
 





デンマンさんって、ヤ~らしい事を

たくさん書いているけれど、

本当は、私のことを一杯愛しているのね!

これほど愛されているなんて、

めちゃ、感動しちゃうわぁ~


小百合さんが、そう思ってくれたらいいなあぁ~
感動で胸がジ~ンときて、
嬉し涙が出てきて。。。

でも、たぶん、ムカつくかもしれないなあぁ~
うしししし。。。

いろいろ考えながら、一生懸命に書いているのですよう。
とにかく、期待して待っててね。

堀辰雄の『美しい村』を読むよりも、
小百合さんが、もっと感動するように、
もっとワクワクしながら読めるように書いていますう。

では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしましょうね!









投稿日時: 2008/08/15 09:53 (ロンドン時間)
日本時間: 8月15日 午後5時53分
バンクーバー時間: 8月15日 午前1時53分

『美しい村』スレッドより
ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』




デンマンさんは歯の浮くようなセリフを恥ずかしげもなく書いてしまうのでござ~♪~ますわね?



ん。。。? 歯の浮くようなセリフ。。。?

そうでござ~♪~ますわ。次のようなセリフは平均的な日本男児には世界のネット市民の皆様を前にして書けないのでござ~♪~ますわ。




デンマンさんって、ヤ~らしい事を

たくさん書いているけれど、

本当は、私のことを一杯愛しているのね!

これほど愛されているなんて、

めちゃ、感動しちゃうわぁ~


これは小百合さんが書いたのではござ~♪~ませんわ。

うしししし。。。卑弥子さんにも分かりますか?

その辺で遊んでいるオツムの足りないミーちゃんハーちゃんだって読めば分かりますわよう。

そうでしょうか?うへへへへ。。。

うへへへじゃござ~♪~ませんわア。愚かな笑いを浮かべて、ごまかさないでくださいましなぁ~。デンマンさんが妄想して小百合さんに言わせているような体裁(ていさい)を繕(つくろ)いながら、本当はデンマンさんが小百合さんをメチャ愛している事を小百合さんに知ってもらおうと思って、こうして手の込んだ事をしているのでござ~♪~ますわ。

ほおォ~。。。さすがに「日本文化と源氏物語」を京都の女子大学で講義しているだけあって、卑弥子さんは読みが深いのですね?

あたくしでなくとも、その辺で遊んでいる知能指数が70ぐらいのミーちゃんハーちゃんにだって、読めば分かりますわよう。

そうですかねぇ~

そう言うものなのでござ~♪~ますわ。でも、いけませんわ。

ん。。。?何がいけないのですか?

そんな常識的な事ぐらいデンマンさんにだって分かりそうなものでござ~♪~ますわ。

分からないから卑弥子さんに、こうして尋ねているのですよう。

マジで。。。?

もちろんですよう。余計な事を僕は口にしませんよう。無駄にこの記事が長くなるだけですからね。。。

分かりましたわ。それならばデンマンさんが書いた『レンゲ物語』の中の次の記事を読んでくださいな。


愛の正体


残り香
 
 

 

ひとり寝る

夜の長さよ

寂しさよ

枕に残り香

涙をさそう

 
 
by めれんげ

2008.08.13 Wednesday 00:21




『即興の詩 残り香』より


う~~ん。。。

実にめれちゃんらしい短歌

だと思いながら。。。

振り返ってめれちゃんとの

ネットの5年間を

回想してみましたよう。

\(^_^)/キャハハハ。。。

“社会派”のめれちゃんも

居たけれど、

“愛の正体”を追い求める

めれちゃんの存在が

一番大きかったように思います。

そうなんだよね~。

そう思いながらデンマンが詠める返歌三首。


愛の長さ



一人寝に

夜の長さを

恨むとも

きみは知らずや

愛の長さを




肌のぬくもり



身も心

一つになりて

結ばれぬ

きみは忘れじ

肌のぬくもり




変わらぬ愛



残り香に

昔をしのぶ

きみなれど

変わらぬ愛は

永久(とわ)に宿(やど)りて



体育会系の“硬派”のめれちゃんが

あえて“軟派”になって

“愛の正体”を求めて

ネットの旅に出たのでした。

2004年7月15日の事でした。

それから、まもなくめれちゃんと

ボクちゃんの出会いがあったのでした。

\(^o^)/ うしししし。。。

めれちゃんは上の短歌を詠みながら

“ネットの愛の旅”の原点を

振り返ったのではないのか?

“愛の正体”を探す。。。

そうして「残り香」を詠んだのですよね。




『肉体の悪魔 (2008年8月15日)』より
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愛@軽井沢 PART 2

2008-08-18 09:10:12 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽


デンマンさんは、こうして返歌の体裁(ていさい)をとりながらも、めれんげさんに対して変わらぬ愛を告白しているのでござ~♪~ますわ。

ほおォ~。。。卑弥子さんは、そのように受け止めるのですか?

それ以外に解釈の仕方がござ~♪~ませんわ。

分かりました。それが真実だとして。。。それで、それが何か大きな問題だとでも言うのですか?

そうですわ。二人の女性に変わらぬ愛を告白する事はいけないことなのでござ~♪~ますわ。

どうして。。。?

あたくしが言わなくても、そのような常識的な事はデンマンさんも分かっているはずでござ~♪~ますう。

分からないから、こうして尋ねているのですよう。

それならば、はっきりと申し上げますわ。小百合さんには3人の子供が居るのですう。しかも、旦那さんも、ちゃんと居るのでござ~♪~ますわ。それなのに、デンマンさんは人妻にちょっかいを出して小百合さんにまで愛の告白をなさっているのでござ~♪~ますわ。

ほおォ~

フクロウでもあるまいし。。。そのような愚かなため息はお止めになってくださいましなぁ~。

分かりました。なぜ僕がめれんげさんと小百合さんに愛の告白をするのか?

なぜでござ~♪~ますか?

その理由を話す前に、卑弥呼さんに、ぜひ読んでもらいたいものがあるのですよう。

何を読め、とおっしゃるのでござ~♪~ますか?

ついさっき、催(もよお)してトイレに入りながら読んだ本の中に次のような興味深いエピソードがありましたよう。卑弥子さんも、ちょっと読んでみてくださいよう。


車中の女性



学生のころ、毎日、市電のなかで乗りあわせる女性がいた。いつも和服で、黒い折カバンをひざの上におき、濃いみどりのハカマをはいていた。その当時、女学校には専攻科というものがあったから、このひとは、そういう種類の学校に通っていたのだろう。

とくに美人というわけではなかったが、なんとなく、声のうつくしい人に相違ないと想像していた。むろん声をきいたこともなく、その顔でさえ、動揺のはずみに、かろうじて盗み見する程度だった。しかし、そのひとに会えない日があると、私はひどく気落ちがした。会った日は、かつて経験したことのない、ふしぎな疲れをおぼえた。

一年たった。私どもは、第一次学徒出陣というあれで、兵営に入れられることになった。そのころの戦局では、兵隊にとられることは死を意味していた。人生二十五年、ということばがはやっていた。ところが、私はまだ二十一歳だった。二十五歳にさえ達しない前に、私は死ぬかもしれない。死ぬまでに、一度でも異性とことばを交わしてみたかった。それには、あのひとをおいて、ほかになかった。

そのころ、私と同窓で、海軍予備学生を志願した男があった。彼の先輩が、この男の青春をあわれんで、カフェに連れて行ってやった。女給さんが、その男の手をにぎってくれた。かれはしばらく手のひらの温かみに堪え、やがておずおずと自分から、手を女給さんの手のひらにかさねて、これが女のひとの手か、とふるえ声でいったという。ばかばかしいが、その程度が、私どもの許容された青春だった。

私は、そのひとと言葉をかわさねばならなかった。言葉の内容は、何度も考えて、すでにセリフのように頭の中に入っていた。その言葉は、練りに練った狡猾な知恵から出ていた。「あの」と、まず、口ごもるのだ。「わたくしに、慰問文をくださいませんか」。相手の安価な同情に訴える、なんといううすぎたない言葉だろう、とやや自分をさげすんではみたが、私には、これ以外に他に策はないとも思った。

何日かすぎた。私に勇気がないために、何度かむなしく機会を逸した。入営の日は、せまっていた。私は、あせった。ある日の午後帰りの電車のなかで彼女の姿をみた。私は、きょうこそ、と思った。私の降りる停留所は彼女よりも近い。それを、非常な勇気と忍耐で通りすごした。

やがて、彼女は降りた。私は、夢中であとにつづいた。うしろから追いすがるようにして、「あの」といった。

彼女は、ふりむいた。私は、帽子をとり、頭をさげ、どうしたことか、それっきりだまった。おぼえたはずのセリフが出なかったのだ。みるみる背中に汗が流れた。そのとき、一瞬、彼女の表情に怖れが走った。

それを見たときは、すでに、私の視野から彼女の姿が見えなくなっていた。どうしたことか、私は夢中でもときた道を走ってしまっていたからだ。ふと、途中で立ちどまってうしろをふりむいた。彼女の背がみえた。彼女も、前かがみになって、懸命に逃げていた。

ばかな話さ、といまでもときどき、この光景をおもいだす。しかしあのころは、ついに彼女と口をきけなかったことを、外地で、なんどか悔恨のほぞを噛んだ。なんのためにおれの青春は存在したか、とさえ、大まじめに考えた。それから二十年ちかくなる。いまでも、ときどき、思いだすことがある。が、いまだに私は、この話を、私自身でわらう気にはなりきれない。

1961(昭和36)年5月




221-223ページ
『司馬遼太郎が考えたこと』 エッセイ 1953.10 - 1961.10
新潮社 2001年9月25日発行


このお話を。。。デンマンさんは。。。デンマンさんは、こともあろうに、おトイレでウンチをしながらお読みになったのでござ~♪~ますか?

そうですよう。僕は、この記事を書き始めたのですよう。お茶漬けで昼食を済ませて、しばらくパソコンに向かって、この記事を書き進めていたら、出たくなったのですよう。

それでデンマンさんは、おトイレに入って司馬さんの本を手にとって読み始めたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。いけませんでしたか?うへへへへ。。。

週刊誌ならば、まだしも、司馬遼太郎さんの本をおトイレで読んだら、天国にいる遼太郎さんがクシャミをして、つでにオナラまでが出てしまいますわよう。

やっぱり、司馬さんには迷惑をかけたかなあああぁ~

それで、上のエピソードを持ち出してきて、デンマンさんは一体何がおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?

僕もちょうど同じような経験をしているのですよう。

デンマンさんも学徒で出陣なさったのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。僕は戦後生まれですよう!

日露戦争後でござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。白けるような事を言わないでくださいよう。もちろん太平洋戦争後ですよう。

それで、デンマンさんが車中で出会った女性もハカマをはいていたのでござ~♪~ますか?

あのねぇ~。。。ハカマをはいた女学生って、明治、大正、それに昭和の初めまでですよう。太平洋戦争後にハカマをはいて通学する女学生なんて見たこともなければ、話に聞いたこともありませんよう。せいぜい、運動会の仮装行列に出てきたぐらいのものですよう。

でも、あたくしは今でも十二単を着ていますわよう。

卑弥子さんは例外中の例外ですよう。そのうちギネスブックに載りますよう。

それで。。。デンマンさんは何がおっしゃりたいのでござ~♪~ますか?

僕は、上の司馬さんのエッセーを読んで、時代にかかわらず程度の差こそあれ、男心に共通するものを見たと思いました。

どういう事でござ~♪~ますか?

司馬さんの場合には兵隊として戦場に行くことが分かっている。死ぬ事が半(なか)ば当然の事として予測される。だからこそ自分の青春って、なんなんだろう。そう考えた時に、車中で毎日のように出会っている女性が突然司馬さんの青春の中で大きな存在になって見えてきた。どうしても声をかけなければならないほど司馬さんの青春にとって意味のある女性になったのですよう。

つまり、デンマンさんもそのような青春を考えて、由香さんに近づき“筆おろし”をしていただいたのでござ~♪~ますか?

ん。。。? 由香さん。。。筆おろし。。。卑弥子さんは。。。卑弥子さんは。。。どうしてそのような事まで知っているのですか?

デンマンさん!白々しいですわよう。次の記事の中で、デンマンさんとレンゲさんが由香さんの事に付いて話していましたわ。あたくしも読ませていただきましたわ。

■ 『肉体の悪魔 (2008年8月15日)』

そうですか。。。それならば、話しやすいですよう。司馬さんは戦場に赴(おもむ)く前に自分の青春について考えさせられたけれど、男なら、青春時代の一時期に、司馬さんが体験したような“決断の時”を持つだろうと僕は思うのですよう。少なくとも僕は司馬さんの上のエッセーを読んで、しみじみと同じような体験を持ったことを思い出したのですよう。

つまり、司馬さんの場合には「わたくしに、慰問文をくださいませんか」と女性に言おうとしたのでござ~♪~ますよね。。。んで、デンマンさんの場合には由香さんに「僕の筆おろしをしてくださいませんか」とお願いしたのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。そんな直接的な事を初めから言うはずがないでしょう!僕はそれ程あつかましい男ではありませんよう。

でも、デンマンさんならば言いそうでござ~♪~ますわ。

僕が言いたいのは、人生の“その時”には男は決断の時を持つと言うことですよう。司馬さんも“決断の時”を持った。でも、思い通りには行かなかった。しかし、幸いにして司馬さんは戦争で死ななかった。その後、職場でみどりさんと巡り会って、やがてプロポーズして結婚し、家庭を持った。

つまり、司馬さんは車中の女性と人生を共に歩む事はなかったけれど、戦後、みどりさんという女性に巡り会って人生の伴侶を得た。。。そう言う事でござますか?

そうですよう。。。それにもかかわらず司馬さんは次のように書いている。


ばかな話さ、といまでもときどき、この光景をおもいだす。
しかしあのころは、ついに彼女と口をきけなかったことを、外地で、なんどか悔恨のほぞを噛んだ。
なんのためにおれの青春は存在したか、とさえ、大まじめに考えた。
それから二十年ちかくなる。いまでも、ときどき、思いだすことがある。
が、いまだに私は、この話を、私自身でわらう気にはなりきれない。


なんで、司馬さんは笑う気になれないのか?卑弥子さんに分かりますか?

どうしてでしょうか?

人生のその時に、決断の時を迎えて、司馬さんはその行動に出たのですよう。しかし、満足に行動を完結することができなかった。その事を悔いているからだと僕には思えるのですよう。もし、あの戦争で司馬さんが亡くなっていたら、それこそ天国に行ってから、司馬さんは、こう思うでしょうね。「俺は自分の青春を自分で切り開く事もできなかったんや。戦争で死んでしまうのは当然やろなぁ」 だから、笑う気になれないのですよう。

。。。んで、先ほどのお話に戻りますけれど、どうしてデンマンさんは小百合さんと、めれんげさんに接近しているのでござ~♪~ますか?

僕は人生の“その時”を迎えているからですよう。今、めれんげさんに返歌を書かないと僕は司馬さんのように後悔すると思うからですよう。もし、小百合さんに遺書のつもりで僕のロマンポルノを読んでもらわないと、あとで取り返しのつかない後悔をすると思うからですよう。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
めれんげさんの短歌に対して、“返歌”だと独断と偏見で思い込みながら、デンマンさんが短歌を詠む気持ちは判るような気がするのでござ~♪~ますわ。
でも、小百合さんに対して書くロマンポルノが、どうして遺書程に重要なのでござ~♪~ましょうか?

あのロマンポルノ『エマニエル夫人』と似たりよったりの事をデンマンさんは書くのだと思うのですわ。
それを、さも、人生の一大事のように思い込んでいるデンマンさんの考え方が納得できないのでござ~♪~ますう。

あなたは、どう思いますか?
とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』




こんにちは。ジューンです。

堀辰雄の『美しい村』を読み進んでゆきました。

「ささやきの小径」が出てくるだろうと

期待していたのですが、

考えてみたら、堀辰雄があの小道

を小説に書いたので

「ささやきの小径」と呼ばれるように

なったのですよね。(微笑)



そう思いながら読み進んでいったら、

次のような美しい描写に出くわしました。


あのサナトリウムの裏の生墻(いけがき)の前は何遍(なんべん)も行ったり来たりしたけれど、その方にばかり気を奪(と)られていた私は、其処から先きの、その生墻に代ってその川べりの道を縁(ふち)どりだしているアカシアの並木(なみき)には、ついぞ注意をしたことがなかった。ところが或る日のこと、サナトリウムの前まで来かかった時、私の行く手の小径(こみち)がひどく何時(いつ)もと変っているように見えた。私はちょっとの間、それから受けた異様な印象に戸惑(とまど)いした。私はそれまでアカシアの花をつけているところを見たことがなかったので、それが私の知らないうちにそんなにも沢山(たくさん)の花を一どに咲かしているからだとは容易に信じられなかったのであった。



あのかよわそうな枝(えだ)ぶりや、繊細(せんさい)な楕円形(だえんけい)の軟(やわら)かな葉などからして私の無意識の裡に想像していた花と、それらが似てもつかない花だったからであったかも知れない。そしてそれらの花を見たばかりの時は、誰かが悪戯(いらずら)をして、その枝々に夥(おびただ)しい小さな真っ白な提灯(ちょうちん)のようなものをぶらさげたのではないかと言うような、いかにも唐突(とうとつ)な印象を受けたのだった。やっとそれらがアカシアの花であることを知った私は、その日はその小径をずっと先きの方まで行ってみることにした。




『美しい村』 (青空文庫) より


ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

暑さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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ん?じょんば?

2008-08-18 09:08:17 | 日本人・日本文化・文学論・日本語



ん?じょんば?



おほほほほ。。。。

卑弥子でござ~♪~ますわよゥ~

あなたにお会いしたくて

また出てきてしまったのよォ~。

ええっ?あたくしと、

そう度々会いたくないのォ~?

んも~~

そんな、冷たいことを

言わないで頂戴よ!

あたくしは、あなたに

お会いしたいので

ござ~♪~ますのよォ~

ええっ?そんなことよりも

じょんばって何か?早く説明しろ!

そう、おっしゃるのですかぁ~?

冷たいお方ぁ~~

分かりましたわ。うふふふふ。。。

そのために出て参りましたのですから

説明しますわよう。


実は“じょんば”って小樽方言なんでござ~♪~ますのよ。
あなた、聞いた事が無いでしょう?
もちろん、あたくしだって耳にした事が無いのでござ~♪~ますわぁ。

だから、分かり易く説明するために、
あなたにクイズを作りましたのよ。

次の中から使い方が最もふさわしいと思うものを選んでくださいましね。


1) じょんばに追いかけられちゃったわ。

2) このじょんば、軽くて使いやすいのよ。

3) じょんばすると、お巡りさんに捕まるわよ。

4) じょんば言って笑わせないでね。

5) じょんばしないで。。。恥ずかしいわぁ~。




分かりましたか?

実は「じょんば」とは「雪かきに使うスコップ」という意味なんですのよ。
小樽以外でも、北海道の日本海側で使われるそうです。
じょんばも昔は重たいものが多かったそうですが、最近は軽いプラスチック製のものが多いと言うことでござ~♪~ますわ。



そう言う訳で、このように楽々と雪かきができるようになったのですわ。
ええっ?雪が白くないって。。。?
スモッグで汚れているのですわよ。
おほほほほ。。。

あたくしは“じょんば”という語感というか、響きから“冗談”の事だと思って、4番を選んでしまいましたわ。
あなたは、どうでしたか?

ところで、この冬の小樽は、年末年始にほとんど雪の無い奇妙な日々だったそうですわね。
これも、暖冬異変の影響でしょうか?
でも、こういう時って、思わぬときに“どか雪”が降る事がありますわよね。
小樽地方の人、気をつけてくださいましね。

小樽と言えば、文学少女だったあたくしは小林多喜二を思い出すのでござ~♪~ますのよ。
あなたは、あの名作『蟹工船』を読みましたか?


小林 多喜二



1903年10月13日 - 1933年2月20日

日本のプロレタリア文学の代表的な作家・小説家。
秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)生まれ。

4歳の時に小樽に移住。
生活は豊かではなかったが、
伯父からの学資を受け小樽商業学校から小樽高等商業学校へ進学。
在学中から創作に親しみ、文芸誌への投稿や、校友会誌の編集委員となってみずからも作品を発表するなど、文学活動に積極的にとりくんだ。

小樽高商の下級生に伊藤整がおり、また同校教授であった大熊信行の教えを受ける。
この前後から、自家の窮迫した境遇や、当時の深刻な不況から来る社会不安などの影響で労働運動への参加を始めている。

卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に勤務。
この頃、悲惨な境遇にあった恋人田口タキを救う。
1928年の総選挙のときに、北海道1区から立候補した山本懸蔵の選挙運動を手伝い、羊蹄山のふもとの村に応援演説に行く。
この経験がのちの作品「東倶知安行」に生かされている。
同年に起きた三・一五事件を題材に「一九二八年三月十五日」を『戦旗』に発表。
作品中の特別高等警察による拷問の描写が特高の憤激を買う。
後年の拷問へとつながる。

翌1929年に「蟹工船」を『戦旗』に発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集めたが、同時に警察からも要注意人物としてマークされ始める。
同年、『中央公論』に発表した「不在地主」が原因で銀行を解職され、翌年春に上京。
日本プロレタリア作家同盟書記長となる。

1930年5月23日、大阪で日本共産党へ財政援助の嫌疑で逮捕され、額に傷が残るほどの激しい拷問を受けたが、 6月7日、いったん釈放された。
しかし、24日に帰京後、作家の立野信之方でふたたび逮捕され、7月、「蟹工船」の件で不敬罪の追起訴をうける。
8月、治安維持法で起訴、豊多摩刑務所に収容された。

1931年1月22日、保釈出獄。そのあと神奈川県七沢温泉にこもり、英気を養う。
1931年10月、非合法の日本共産党に入党し、11月上旬、奈良の志賀直哉邸を訪ねる。
1932年春の文化分野への大弾圧を機会に、地下活動に追いやられる。
8月下旬、みずからの地下生活の体験を元に「党生活者」を執筆。

1933年2月20日、内通者により赤坂の連絡場所で特高に逮捕される。
同日築地署内において凄惨な拷問を受け皮膚呼吸が不可能となるまでに全身が殴打されて腫れ上がり、獄中死した。
この拷問では縄で縛り上げて宙にぶら下げる「飛行機モノ」もされている。
中央公論編集部は、多喜二から預かったまま掲載をためらっていた「党生活者」の原稿を「転換時代」という仮題で『中央公論』(1933年4-5月号)に、遺作として発表した。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


ひどいことをして、有能な人物を殺してしまったものでござ~♪~ますわね。
このことだけを考えてみても、太平洋戦争に突き進んでいた1930年代と言うのは
自由のない悲惨な時代でござ~♪~ましたわよね。



あの“特高”という化け物は、泣く子も黙ると言われたほどのすさまじい事をしたのでござ~♪~ますわ。
あたくしは女性の身なので、その当時、共産党の活動家とみなされて拷問を受けた女性の事を調べた事があったのですけれど、
たいていの女性が、拷問を受けて精神に異常をきたして廃人のようになって余生をすごしたと言う事例を何例も見ました。
あのような時代が再び来ないことを祈りたいものでござ~♪~ますわ。
あなただって、そう思うでござ~♪~ますでしょう?

蟹工船(かにこうせん)は、1929年に小林多喜二が発表した小説ですわ。
もちろんあなたは読んだ事が無いわよね?うふふふふ。。。
あたくしですか?
読みましたわよ。
読まずに、このような事を書く気になりませんわよ。

ワリィ~事ぁ~言わないから、あなたも一生に一度ぐらい『蟹工船』をじっくり読んでみてくださいましね。
いわゆるプロレタリア文学の代表的佳作と言われているのですわよ。
国際的にも評価されて各国語に翻訳されていますわ。

分かるでしょう?
あなたも、自分が国際人だと思っていたら、これは must-read book でござ~♪~ますわよ。

ええっ? どんな内容なのかって。。。?

この小説には特定の主人公が居ないのですわよ。
蟹工船で酷使される貧しい労働者達が群像として描かれているのですわ。
カムチャツカの沖で蟹を獲りそれを缶詰にまで加工する蟹工船「博光丸」が舞台ですのよ。
そこは、出稼ぎ労働者を安い賃金で酷使し、高価な蟹の缶詰を生産する海上の閉鎖空間です。
彼らは自分達の労働の結果、高価な製品を生み出しているにも関わらず、蟹工船の持ち主である大会社の資本家達に不当に搾取される、というお話ですわ。
情け知らずの監督者・浅川は労働者たちを人間扱いせず、彼らを酷使するのですわよ。
そう言う訳で、労働者たちは過労や病気で倒れてゆくのでござ~♪~ますわ。

初めのうちは仕方がないとあきらめる者もあったのです。
でも、やがて労働者たちは、人間的な待遇を求めて指導者のもとに団結して、ストライキに踏み切るのでござ~♪~ますわ。
しかし、経営者側の浅川たちがこの事態を容認するはずもなく、帝国海軍が介入して指導者達は検挙されるのです。
国民を守ってくれるものと信じていた軍が資本家の側についた事で目覚めた労働者たちは再び闘争に立ち上がってゆくのですわよ。

このような事を書いたものですから、小林多喜二は“特高”に目の敵にされたのですわ。
それで、過酷な拷問を受けて獄死したのでござ~♪~ますのよ。
お分かりになりましたでしょうか?



狂ったような時代でしたわよね。
あなただって、そう思うでしょう?
でも、現在の日本だって、50歩100歩のようなところがございますわよね。
おほほほほ。。。
でも、拷問死がないだけマシですわ。

それだけはあたくしも認めておりますわ。

このような悲惨でいやな事は、あたくしもあまり書きたくないのですわよ。
でもね、小樽方言を書いていたら、ついつい小林多喜二のことを思い出してしまいましたわ。

ところで、あたくしも、なんだか古(いにしえ)の平安言葉が懐かしくなりましたわぁ~~

あなたも、久しぶりにふるさとに戻ってみては。。。?

日本で旅をするのは高くつくんですのよねぇ~。
旅館やホテル代が高いのござ~♪~ますわ。
もちろん、デンマンさんが、そうおっしゃっていたのですのよ。

でもね、日本にだって、安いところもあるのですわよ。
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おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ~♪~ますけれど。。。

あたくしも平安の昔に戻って

懐かしい京都に行ってみたいので

ござ~♪~ますのよ。

京都の訛りが懐かしいわあああ~~

でもね、デンマンさんが生まれ育った

行田にも行きたいのですわよ。

ええっ?どうしてかって?

それはね、デンマンさんは

もちろんですけれど、

あたくしにとって行田とは

切っても切れない縁が

あるのでござ~♪~ますのよ。

どうしてだか、お分かりになりますか?

行田は古代ハスの

ふるさとなのでござ~♪~ますのよ。



きれいでしょう?

あたくしの初恋の花でござ~♪~ますのよ。

ええっ?そんな事はどうでもいいから、

何か面白い話をしろ!

あなたは、そのような事をあたくしに

強要するのでござ~♪~ますか?

まるで“特高”のようでござ~♪~ますわねぇ。

分かりましたわぁ~。

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あなたも、暑い暑いと、ぼやいてないで、

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とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。

ああああ~~~

初恋の人と会いたいわあああ~~!






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肉体の誘惑 PART 1 OF 3

2008-08-17 11:41:44 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ


 
肉体の誘惑


 
レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』を

読もうと思っている人は

ネタバレに注意!




きみ知らぬ頃
 
 

 

きみ知らぬ

頃の我が身を

忘れ去り

生まれ変わりて

愛と言いたし

 
 
by めれんげ

2008.08.08 Friday 14:44




『即興の詩 きみ知らぬ頃』より



回想



う~~ん

実に味わい深い短歌ですよう。

奥が深~♪~い。

めれちゃんが到達できた深さに

達することができるだろうか?

そう思いながら

デンマンが詠める歌三首。


肌のぬくもり



まごころは

月日を越えて

伝わりぬ

肌のぬくもり

永久(とわ)に変わらじ




ネットの良さ



きみゆえに

ネットの良さを

知りぬれば

共に見出す

とこしえの愛




とわに…



いつまでも

手を取り合って

歩み行く

いつに変わらぬ

愛あればこそ



てれてれてれぇ~~

またしても

デレデレと

詠んでしまいましたぁ~

深くはあっても

その方向がちょっと違うかも。。。

\(^_^)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/08/08 3:50 PM



『即興の詩 きみ知らぬ頃』のコメント欄より




心とろけて
 
 

 

やわらかく

甘き時間は

きみゆえに

心とろけて

ひとつになりて

 
 
by めれんげ

2008.08.08 Friday 15:04




『即興の詩 心とろけて』より



癒されて…



う~~ん。。。

めれちゃんは癒されているんだよね。

うん、うん、うん。。。

んだ。。。んだぁ~。。。

心とろけて

癒されているのですよう。

では、デンマンも癒されながら

詠める歌三首。


きみと僕



やわらかく

甘き時間に

きみと僕

心とろけて

一つになりぬ




甘くとろけて



癒されて

癒されながら

愛に萌え

心とろけて

デレデレになり




愛を知って…



いつまでも

心とろけて

癒されて

ひとつになりて

愛を知りぬる



ボクちゃんも

完全に

心がとろけてしまいました。

めれちゃんと

ネットで、もっと

とろけたいと思いま~♪~す。

よろしくゥ~。

うしししし。。。

\(*^_^*)/キャハハハ。。。

by デンマン

2008/08/08 4:33 PM




『即興の詩 心とろけて』のコメント欄より
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肉体の誘惑 PART 2 OF 3

2008-08-17 11:40:11 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ




今日はレイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」の事についてお話しするのでしょう?



そうですよう。

でも、めれんげさんの短歌を持ち出してきて、それに対してデンマンさんが詠んだ返歌を並べただけですよね?

そもそも、レイモン・ラディゲの「肉体の悪魔」を持ち出したのは、めれんげさんなのですよう。

それで、めれんげさんを紹介する意味で、このページのトップにめれんげさんが詠んだ短歌を載せたのですか?

そればかりではないのですよう。「肉体の悪魔」を書いたレイモン・ラディゲは早熟だったのですよう。14才の頃、「肉体の悪魔」のモデルとされる年上の女性と出会い、勉強しなくなって、不登校!そのために学校を放校処分になってしまう。。。で、その頃から「肉体の悪魔」を書き始めたと言うのですよう。

その事とめれんげさんが何か関係あるのですか?

あるのですよう。実は、めれんげさんも早熟だったのですよう。

どのように。。。?

めれんげさんは、小学生の頃から「チャタレー夫人の恋人」を読んでいた。そう言う訳で、年少の頃から愛や性について、いろいろと考えるところがあった。。。ちょうど、レイモン・ラディゲのように愛と性の対象を求めるようになったのでしょうね。

それで、めれんげさんの場合には。。。どうなったのですか?

16才でボーイフレンドと愛し合い、桜の花びらを散らしてしまったのですよう。

つまり、16才で初体験ですか?

そうですよう。レンゲさんと同じですよう。うへへへへ。。。

デンマンさん!。。。そういうヤ~らしい笑いだけは止めてくださいな。

とにかく、めれんげさんは文学少女だったのですよう。それは今でも、めれんげさんが書いた詩や短歌を読むと、文学的な才能を垣間見る事ができるのですよう。だから、めれんげさんが本格的に詩や小説を書くならば、必ず日本文学に新風を吹き込むだろうと僕は信じているほどですよう。

それ程デンマンさんは、めれんげさんの文学的な才能を素晴しいと思っているのですか?

そうですよう。そうでなければ、僕はめれんげさんの短歌や詩をこのブログで取り上げないですよう。

分かりましたわ。。。で、今日はデンマンさんがレイモン・ラディゲが年上の女性に惹かれた理由を話してくれるのですよね?

レンゲさんは忘れずに覚えていましたか?

もちろんですわ。楽しみにしていたのですもの。。。

僕もその事について、大いに関心があるのですよう。じっくりとレンゲさんと語ろうと思っているのですよう。ところでねぇ、僕は昨日の『小百合物語』を読んで驚いた。

どうしてですか?

ジューンさんが次のように書いていたのですよう。


マダム・ド・ラファイエットの

「クレエヴ公爵夫人」




こんにちは。ジューンです。

わたしもデンマンさんに言われたので

さっそく上のリンクをクリックして

(堀辰雄が書いた)『美しい村』を読み始めたのですわ。

ビックリしました。

なんと、デンマンさんが上の記事の中で書いている

レイモン・ラディゲの事が1ページに出てくるのです。

その部分を書き出してみますわ。


僕の机の上には、マダム・ド・ラファイエットの「クレエヴ公爵(こうしゃく)夫人」が読みかけのまんま頁(ページ)をひらいています。



はじめてこのフランスの古い小説をしみじみ読んでいますが、そのお蔭(かげ)でだいぶ僕も今日このごろの自分の妙(みょう)に切迫(せっぱく)した気持から救われているような気がしています。この小説についてはあなたに一番その読後感をお書きしたいし、また黙ってもいたい。二三年前、あなたに無理矢理にお読ませした、ラジイゲの「舞踏会(ぶとうかい)」は、この小説をお手本にしたと言われている位ですから、まあ、あれに大へん似ています。


このラジイゲの「舞踏会(ぶとうかい)」と言うのは

レイモン・ラディゲの遺作となった

『ドルジュル伯の舞踏会』のことです。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

暑さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。









『森林浴@軽井沢 (2008年8月16日)』より


ジューンさんが引用した文章は堀辰雄が書いた小説『美しい村』の最初のページからコピペしたものでしょう?

そうですよう。僕が驚いたのは、堀辰雄が『美しい村』を書いて出版したのが1933(昭和8)年ですよう。レイモン・ラディゲの『ドルジュル伯の舞踏会』が出版されたのはラディゲが亡くなった1年後。つまり1924年だった。僕はこの事実を知った時に、パリで1924年に出版された小説が1933年に東京で出版された『美しい村』の中で紹介されるのが早すぎるのではないか?

9年後ですよね?

そうですよう。でも、堀辰雄が読んだのは、当然それよりも3,4年前でしょう。。。と言うことは堀辰雄が『ドルジュル伯の舞踏会』を読んだのは1930年頃ですよう。日本ではまだ翻訳されて出版されていなかったのではないか?

それでデンマンさんは調べてみたのですか?

そうですよう。僕がネットで調べた一番古い本が次の新潮文庫本ですよ。すでに絶版になっているようです。


ドルジュル伯の舞踏会=新潮文庫=
著者名 ラディゲ著/生島遼一訳
出版社 新潮社
発行年 昭和28 (1953)
詳細 初版 帯 元パラ有 ※送料無料
大分類 絶版文庫
中分類 翻訳




【古本・古書 (販売/買取)】より


堀辰雄は原本をフランス語で読んだのでしょうか?

その可能性が大いにありますよう。堀辰雄はドイツ語を主に学校で勉強したようだけれど、フランス語と英語も読めた。僕が調べた限りでは、堀辰雄が『ドルジュル伯の舞踏会』を読んだ当時、堀自身も小説の書き方について、ずいぶんと考えていたようですよう。

どうして、そのような事がデンマンさんに分かるのですか?

ネットで調べていたら、たまたま次のような素晴しい評論に出くわしたのですよう。


堀辰雄、「文化翻訳者」



堀辰雄は早くから西欧現代文芸を「伝統」の上に花開いたものとして見ようとしていた。

〈伝統はいつも思ひがけないところに、みづみづしい姿をして、生き返つているのだから、用心したまへ〉(「フランス文学を如何に観るか」、四-175)と。

彼はコクトーの詩句にも「伝統」を〈蘇らせるに充分な新しさ〉(四-173)を見ている。〈コクトオの新しさを理解すること。彼のクラシシズムを理解すること〉(同前)。

それは彼に、あるひとつの系譜を読みとらせる。

「アルテユル・ランボオ」(一九二六)では、アルテュール・ランボー(J. N. Artur Rimbaud) の詩に強烈な「非欧化」の精神を読み取り、絵画におけるセザンヌ (Paul Cézanne)と同様の[5]、当時は世に容られることのなかった革命家の位置を与え、その詩句について、ほとんど「新感覚派」について解説するような言葉を与えながら、その系譜にダダや現代詩人たちを並べる。

いわば反伝統の伝統を見ているのだ。

「小説のことなど」(一九三四)では、モーリアックが〈われわれの民族の天性に従つて、構成し、秩序づけること〉(三-231)を尊重しつつも、イギリス文学やロシア文学、とくにドストエフスキー(F. M. Dostoevskii)の書く人間の不合理、不確実さ、複雑さを取り入れて、文芸をより豊富にする道を提案していることを紹介しながら、〈丁度、今日のわが文壇はその当時に似てはいないか〉、〈モオリアックの出した問題は私達にもたいへん有益に思へる〉(三-252)という。

これは、日本では明治末に次ぐ第二のドストエフスキー受容の季節にあたる時期の到来を的確に言い当てている。

そして実際、室生犀星の「神々のへど」について、〈ドストエフスキー的な人物を描こうと努力してゐるにせよ〉、モーリアック的に合理的方法ではなく、もっと野蛮で、混沌とした、「ずぼら」な行き方をとっているところに、〈日本人らしい、最も独創的な点がある〉(三-355)と評価している。

そして、この「ずぼら」の認識はプルースト評価と結びついてもいて、彼はそれを〈無構成の構成〉(三-379)と名づけたこともあった。

このように堀辰雄はフランス当代の文芸の背後にある「伝統」と反「伝統」意識、異文化受容の欲求をよく知り、それを自らの同時代の日本文芸の問題として考えていたのである。

堀辰雄は、このような態度を、同世代でいえば石川淳と同様、森鴎外にはじまる西欧文芸翻訳者の系譜に連なる者として身につけていたと想われる。

それゆえ、当代の日本に対しては戦闘的な啓蒙家として振舞わずにはいられなくなることもあった。

他者の作品に温厚柔和な態度で接する堀辰雄の評言が、〈僕らの欲するのは、現在の僕らの作品を一遍に時代遅れにしてしまふやうな、一箇の傑作でしかない〉(四-612)など、思いのほか過激であるのも、そのせいだろう。

また、時として、〈現代の新しい傑作は何等のモダアニズムなしに生まれ得るのであります〉(四-17)というような鋭い警句が発せられるのも、そのためといえよう。

これはレイモン・ラディゲの「ドルジュル伯の舞踏会」(Raymond Radiguet, Le Bal de conte d’Orgel, 1924)をめぐるエッセイ(一九二九)の結びの一句だが、このジャン・コクトーが見出した天才による心理分析小説への礼賛は、堀辰雄のコクトーに対する親しみだけではなく、芥川龍之介への敬愛と結びついて生まれたものといえよう。




『堀辰雄、「文化翻訳者」としての』より


これを読むと、なんと堀辰雄は1929年にレイモン・ラディゲの「ドルジュル伯の舞踏会」について、すでに書いている。つまり、それ以前に読んでいるのですよう。要するに、「ドルジュル伯の舞踏会」がパリで1924年に出版されて評判になると、堀辰雄は、おそらく同人の誰かから聞きつけて原本をフランス語で読んでいる。その心理分析の素晴しさに心を打たれて、自分の小説『美しき村』の中にも本の事を書いたのですよう。

それほどレイモン・ラディゲが書いた「ドルジュル伯の舞踏会」に堀辰雄は感銘を受けたのでしょうか?

そうですよう。自分が求めていた小説の書き方に出会ったようなものでしょうね。

でも、レイモン・ラディゲの遺作となった『ドルジュル伯の舞踏会』と、彼が年上の女性に惹かれるようになった事が何か関連があるのですか?

当然ですよう。関係あるのですよう。

どのように。。。ですか?

僕はレイモン・ラディゲの生い立ちをもう一度読み直しました。


レイモン・ラディゲ (Raymond Radiguet)



1903年6月18日にフランスはパリの郊外、サンモール・デ・フォッセで生まれる。
1923年12月12日に、まだ20才なのに腸チフスで亡くなる。
フランスで生まれた小説家、詩人。

生涯

幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、
学業そっちのけで風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。
そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。

14才の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。
その後、自宅で父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。

15才の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。
コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。
数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかる。

途中、詩集『燃ゆる頬』、『休暇中の宿題』の出版や、いくつかの評論の執筆を行ないつつ、「肉体の悪魔」の執筆を続行。
数度のコクトーを介した出版社とのやりとりと改稿の末に、ベルナール・グラッセ書店から刊行される。
このとき出版社は新人作家対象としては異例の一大プロモーションを敢行したため文壇から批判を浴びるが、作品は反道徳的ともとれる内容が逆に評判を呼びベストセラーとなり、ラディゲは一躍サロンの寵児としてもてはやされることになる。

「肉体の悪魔」で得た印税を元手に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながらも、
ラディゲはすでに取りかかっていた次の作品『ドルジュル伯の舞踏会』の執筆を続行。
同時に自分がこれまで書いた評論などの原稿や詩作を整理しはじめる。

1923年11月末頃に突如、体調を崩し腸チフスと診断され入院。
病床で「ドルジュル伯」の校正をしながら治療に専念するが、快方には向かわずそのまま20才の短い生涯を閉じる。

遺作の「ドルジュル伯の舞踏会」は、死後出版された。
コクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けた。

フランス文学界での位置づけ

ラディゲのフランス文学史全体における位置づけは、作家としての活動期間が短かく、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはない。
しかし処女小説「肉体の悪魔」は、題材のセンセーショナルさに溺れることなく、
年上の既婚者との不倫に溺れる自らの心の推移を冷徹無比の観察眼でとらえ、
虚飾を排した簡潔な表現で書きつづったことで、
今日もなお批評に耐えうる完成度に達している。

「ドルジュル伯の舞踏会」に至っては、
ラディゲ自らが参考にしたとしているラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を、
高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、
別の次元の「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げていることからも、
「夭折の天才」の名にふさわしい文学的実力の持ち主であったことが容易に推察される。





出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


つまり、『クレーヴの奥方』を書いたラファイエット夫人にレイモン・ラディゲは傾倒したのですか?

その通りですよう。

。。。で、ラファイエット夫人って、どんな人だったのですか?

ウィキペディアからコピペしました。読んでみてください。


ラファイエット夫人



ラファイエット夫人マリー=マドレーヌ・ピオシュ・ド・ラ・ヴェルニュ=ラファイエット夫人
(Marie-Madeleine Pioche de La Vergne, comtesse de La Fayette、
1634年3月18日(洗礼日) - 1693年5月25日)、
いわゆる、ラファイエット夫人(Madame de La Fayette)は、フランスの女流作家。

生涯

1634年にパリに下級貴族の家庭で生まれ、若くしてギリシャ語、ラテン語、イタリア語などを学んだ。
少女時代から摂政母后アンヌ・ドートリッシュに仕え、サロンの花形となった。
1655年、ラファイエット伯爵と結婚。
オーヴェルニュの領地に暮らすが、1660年ごろには夫婦仲は疎遠になっていた。

シャイヨのサント・マリー修道院にいる2人の妹達を度々訪ねるうちに、
亡命中のチャールズ1世の未亡人であったヘンリエッタ・マリアと末娘の王女ヘンリエッタ・アンの知遇を得た。
ラファイエット夫人は下級貴族の出身に過ぎなかったが、10才年下のへンリエッタと深い友情で結ばれ、
その友情は生涯変わらず、へンリエッタ・アンの最期も看取った。

義兄ルイ14世とへンリエッタの不倫を擁護するために、小説を刊行する。
『クレーヴの奥方』などの作品を残し、1693年に死去。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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肉体の誘惑 PART 3 OF 3

2008-08-17 11:38:18 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ



クレーヴの奥方



『クレーヴの奥方』(クレーヴのおくがた、La Princesse de Clèves)は、ラファイエット夫人が書いたフランスの小説。
フランス文学史においては最初期の小説の一つで、また恋愛心理小説の祖とも言われる。1678年3月、匿名で出版された。
1世紀前のアンリ2世の王宮が舞台で、その時代をきわめて緻密に再現している。ヒロイン他数人を除く登場人物は実在の人物で、
そこで起きる事件も歴史に忠実に展開される。

あらすじ

シャルトル嬢は16才の美しい女相続人。
父親は早くに死に、母親の手で厳格に育てられてきた。
その母親に連れられて宮中に行った時、クレーヴ公が彼女を見そめ、結婚を申し込む。
シャルトル嬢はあまり乗り気でなかったが、母親の薦めもあり、クレーヴ公と結婚し、「クレーヴの奥方」となる。

結婚してまもなくして、奥方はルーヴル宮で催された舞踏会でヌムール公と出会う。
2人はたちまち恋に落ちるが、お互いの思いを打ち明けることはない。
そんな時、母親が危篤に陥る。
母親は奥方がヌムール公を好きなのに気付いていたが、夫に尽くす義務を忘れてはいけないと言い残して死んでゆく。
奥方はヌムール公を避けるようになる。

奥方の肖像画が盗まれる。犯人はヌムール公で、
奥方はその現場を目撃するが見逃す。ヌムール公は奥方の好意に感謝する。

ヌムール公にスキャンダルが持ち上がる。ヌムール公がある女性に宛てたらしい手紙が見つかったのだ。
それを聞いた奥方は激しい胸の痛みをおぼえるが、それが嫉妬だということには気付かない。
しかし、実はその手紙は奥方の叔父であるシャルトル侯のものだとわかり安堵する。
ヌムール公は叔父の窮地を救ってもくれ、2人はこれまでになく親密な関係になる。

夫のクレーヴ公が奥方の挙動を不審に思い、問い詰める。
奥方は身の潔白を証明するために、相手の名を伏せて、好きな男がいることを正直に打ち明ける。
夫は激しい嫉妬におそわれる。
相手はきっとヌムール公に違いないとあたりをつけ、近侍に探らせると、
はたしてヌムール公が夜中に奥方の元に忍んで行ったことがわかる。
この時、奥方はヌムール公と会うことを拒んだのだが、夫はそう思わず、絶望のあまり病に倒れる。
死の床で夫は奥方の不義を責める。身に覚えのないことを言われ、奥方は深い悲しみを味わう。

クレーヴ公の死で障害がなくなったヌムール公は、あらためて奥方に告白する。
奥方もヌムール公をこれからも愛していくだろうことは認めるが、
それ以上のことはできないとヌムール公の元から去ってゆく。
奥方はその後、修道院に入って、若くして亡くなった。

評価

『クレーヴの奥方』は出版当時、商業的に大変な成功をおさめた。
「パリの外側」ではこの本を手に入れるのに、何ヵ月も待たなければならなかったほどである。
この本の著者が誰なのか、奥方はどうして夫に不倫感情を告白する気になったのかなど、さまざまな論争も起こった。

影響

最初の心理小説の一つであるだけでなく、
最初のroman d'analyse(分析小説)として、
『クレーヴの奥方』は、文学史の大きなターニング・ポイントとなった。

それまで、広くロマン(小説)と呼ばれていたものは、
主人公が困難に打ち勝って幸せな結婚をするという信じがたい話で、
しかも、本筋とは関係ないサブプロットが無数にあり、
長さも10巻〜12巻もあるものだった。

『クレーヴの奥方』が小説の歴史を変えたのは、何よりも、現実的なプロットとキャラクターの内面心理を表す内省的な言葉によってであった。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


レイモン・ラディゲがフランスの古典に親しみ、ラファイエット夫人に傾倒した事が、彼が年上の女性に憧れを持つ直接の原因になったと。。。デンマンさんは、そう考えるのですか?

その通りですよう。

。。。で、その相手が『肉体の悪魔』の中に登場する「マルト」のモデルになった女性だと。。。?

そうですよう。

それで、実際にレイモン・ラディゲが愛したと言う年上の女性は、どのような人だったのですか?『肉体の悪魔』の中で描かれている「マルト」はその女性をそのまま描き出したのですか?




ミシュリーヌ・プレールと

ジェラール・フィリップ

■ 『肉体の悪魔』 (映画紹介)



僕は違うと思うのですよう。

どうして。。。?

ラディゲは自伝的な要素が含まれていることは否定しなかったけれど、登場人物も事件もすべてフィクションであると強調したのですよう。

つまり、ラディゲが実際に愛した年上の女性は「マルト」とは、かなり違うとおっしゃるのですか?

僕はそう思うのですよう。

どうしてですか?

マルトと言う女性は19才と言うことになっているけれど、現実にはラディゲが愛した女性は10才年上の25才だったらしい。

つまり、小説の中では実際の女性よりもずいぶんと若く描き出されているのですか?

そうですよう。その辺が虚構なんでしょうね。だから、ラディゲは登場人物も事件もすべてフィクションであると強調したのですよう。実際、読んでみると、この女性がどことなく子供っぽく感じられますよう。

例えば、どのようなところですか?

主人公の内心が語られているだけで、マルトの心情は何も書かれてないに等しい。でも、女の目で読めばマルトが15才の少年に素直に従うだけだろうか?もっと年上らしく振舞うのではないか?しかも、小説では少年の子供を宿すような書き方になっているけれど、少年の子供だけは産まないようにと考えるのが年上の女性の分別だと僕には思えるのですよう。レンゲさんはどう思いますか?

そうですね。でも、避妊に失敗する事だってあるでしょう?うふふふふ。。。

確かに、人間だから、失敗する事はありますよう。でも、もう一つ子供っぽさを感じたのはマルトに言わせている次の言葉ですよう。

「わたし、あの人と幸福であるよりは、あんたと不幸なほうがましだわ」

これは思慮と分別のある年上の女性の言葉ではありませんよう。

でも、かっこいいですわね。あたしも言ってみたいようなセリフですわ。うふふふふ。。。

レンゲさんにも不幸に耐える事の中にロマンを感じることもあるのですか?

もちろん、そういう状況ってイヤですけれど、でも、現実に不幸になるならば、好きな人と不幸になる事を望みますわ。

でもねぇ、不幸が続けば、その好きな人も嫌いになってゆくのですよう。うへへへへ。。。そう思いませんか?

そうですわね。。。それで、実際にラディゲが愛した年上の女性は、どのような人だったのですか?

もちろん、僕はその女性に会った事がないから何とも言えないけれど、僕がこれまで調べた事に基づいて推測するならば、その25才の女性が15才のラディゲにラファイエット夫人が書いた『クレーヴの奥方』を読むように薦めたのですよう。その女性は文学的にも、人生的にも15才のラディゲを大人に導いてあげるだけの知性と文学的素質のあった女性のように思えますね。
 

【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
あなたはどう思いますか?

ところで年上の男性、年上の女性にあこがれた事はありますか?
少女や少年の頃って、多分、誰にでも早く大人になりたいと言う思いがあるのではないでしょうか?

そう思っても、すぐには大人になれないので、憧れの年上の人を見つけるのだと、あたしは勝手に解釈しているのです。

とにかく、面白い話がまだ続きます。
どうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では、また。。。




メチャ面白い、

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■ 『きれいになったと感じさせる

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■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に別荘を持つことを

夢見る小百合さんの物語』


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■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』




こんにちはジューンです。

堀辰雄は1930(昭和5)年に

『聖家族』で文壇にデビューしました。

でも、その頃から肺を病み、

軽井沢に療養することも多く、

そのために軽井沢を舞台にした作品を

多くのこしたのです。

当時、多くの人が肺結核にかかっていますよね。

今では、肺結核は決して不治の病ではありませんが、

当時は、不治の病と考える人が多かったようです。

1934年、堀辰雄は矢野綾子と婚約するのですが、

彼女も肺を病んでいたのです。

そのため、翌年、八ヶ岳山麓の富士見高原療養所に

二人で入院しました。

しかし、綾子はその冬に亡くなります。

この体験が、堀の代表作として知られる

『風立ちぬ』の題材となったのでした。



ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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ん?金髪の女?

2008-08-17 11:35:54 | 英語・英会話



ん?金髪の女?



こんにちは。。。
金髪のジューンです。
暑いですねぇ~ いかがお過ごしですか?
暑さにめげず、張り切ってネットサーフィンしてくださいね。

ところで、次のような日本語があります。

「お留守の間に、金髪の女性が

2度お見えになりました。」


この文を英語に訳してみてください。

下の2つの英訳の内どちらが正しいでしょうか?


1) A girl of blonde hair came to see

  you twice while you were away.

2) A girl with blonde hair came to see
  
  you twice while you were away.




できましたか?
正解は2番です。

でもね、実際には1番を使って言う人も居ます。
ただし学校の英語の試験に出たら、やっぱり2番を選んでくださいね。
圧倒的に2番を使って言う人が多いのです。

GOOGLEで調べてみるとすぐに分かりますよ。

"girl of blonde"
"girl with blonde"

この2つを入れて検索してみると、どちらが多く使われているか?一目瞭然です。
クオーテンションマークを忘れずに入れて検索してくださいね。

「金髪の女性」は「金髪をもった女性」と考えて、
a girl with blonde hair のように with を使って表します。
しかし、これは英語の授業の時の説明です。
実際には a girl with blonde hair なんていう人はめったに居ません。

では、なんと言うのでしょうか?

a blonde girl、あるいは a blonde と言います。

これだけで充分です。
私自身、a girl with blonde hair と言う長たらしい言い回しをめったに聞いたことがありません。
やはり、すぐ上のように短い言い回しが圧倒的に多いですよ。

学校で教える英語と実際に使われている英語は多少違います。
英語を勉強する時には、そのような事を考えてみるのも面白いですよね。

ところで、金髪の女性は blonde、男性なら blond と書きますよ。
覚えておいてくださいね。

英語は国際語ですよね。
あなたも英語をもっと勉強したいと思いませんか?

ええっ?
暇も無いしお金も無いの?
だったらね、暇もかからずお金もかからない方法がありますよ。

どうするのかって。。。?
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では、暑さにめげず、頑張ってくださいね。



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■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』

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■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』

■ 『辞書にのってない英語スラング』

■ 『オンライン自動翻訳利用法』




おほほほほ。。。卑弥子でござ~♪~ますよ。

くどいようですけれど、また現れましたわ。

ええっ、何で英語の記事に

顔を出すのかって?

あたくしも、英語を勉強して

レンゲさんのようにバンクーバーに行こうと思うので

ござ~♪~ますのよ。

あたくしだけこのようなダサい

十二単(じゅうにひとえ)なんか

着せられて、こうしてブログに顔を出すのって

少し飽きてきましたわ。



あたしもレンゲさんのようにレオタードを身に着けて

かっこよく登場したいのでござ~♪~ますのよ。

でも、あまりグチを言うと

デンマンさんに叱られてしまうので、

これぐらいにしますわ。

ところでね、あたしが顔を出す

次のサイトもよろしくね。

■ 『笑って暑さを吹き飛ばしませんか?』

暑い、暑い、とぼやいてないで

大いに笑って暑さを吹き飛ばしてね。

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあ、バ~♪~イ。








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森林浴@軽井沢 PART 1

2008-08-16 12:43:58 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


  
森林浴@軽井沢






ささやきの小径





。。。んで、「幸福の谷」のあと、どこへ行くのでござ~♪~ますか?



小百合さんの別荘がある近くに「ささやきの小径(こみち)」と呼ばれている散歩道があるのですよう。





これがその小径でござ~♪~ますか?

そうですよう。中央を流れている“せせらぎ”は矢ケ崎川です。堀辰雄の小説「美しい村」にも登場する小径ですよ。

ずいぶん狭い散歩道ですわね?

左右には別荘や木立が続き、小鳥のさえずりが聞こえてきます。なんとなくロマンチックな感じがするでしょう?ここを小百合さんと二人で散歩したいのですよう。うしししし。。。

あたくしとは。。。?

来年の秋ですよ。だから、今年の秋には邪魔をしないでくださいね?

どうして「ささやきの小径」なのでござ~♪~ますか?

実は、他にも呼び名があるのですよう。「アカシアの小径」、「恋人たちの小径」。。。なんとなく分かるでしょう?愛する人と甘くささやき合いながら散歩する小道ですよう。

つまりデンマンさんは、この小径を小百合さんと夢とロマンをささやきながら散歩するのでござ~♪~ますか?

そうですよう。いけませんか?

。。。んで、あたくしとは。。。?

来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。

んも~~、いちいち余計な事を言わないでくださいましなァ。。。んで、どうしてこの小径が特別なのでござ~♪~ますか?

実は、この小径にも英語の名前があるのですよう。サナトリウム・レーンと言うのですよう。

なぜ、そういう名前が付いているのでござ~♪~ますか?

大正10年に軽井沢避暑団、現在の軽井沢会、の要請で療養所が造られた。この療養所が「軽井沢サナトリウム」と呼ばれるようになったのですよう。

その療養所が「ささやきの小径」のそばにあったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。イギリス人のニール・ゴードン・マンロー博士が病院長だった。だから、この人の名前を取って「マンロー病院」とも呼ばれたのです。このマンロー博士は、人類学者としても有名で、アイヌ研究の第一人者として日本では良く知られていた。

日本人もその療養所で治療を受けたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。特に肺結核治療が得意と言われ、堀辰雄や土井晩翠なども通院して治療を受けたのです。堀辰雄の小説「美しい村」でも、このサナトリウムはたびたび登場しています。小説の中で「レイノルズ先生」として登場するのが、実はこのマンロー博士なのですよう。

。。。んで、今でもその療養所はあるのでござ~♪~ますか?

残念ながら建物は取り壊されてしまった。だから、もう見ることはできません。雲場池(くもばいけ、別名、スワンレイク)の近くにある外人墓地ではマンロー博士が今も静かに眠っていますよう。

「ささやきの小径」には、何かロマンチックなエピソードでもあるのでござ~♪~ますか?

堀辰雄の小説「美しい村」では、実際の婚約者だった矢野綾子との想い出が綴られているのですよう。なかでも、サナトリウムのあった道を2人で腕を組んで散歩するシーンは幻想的に書かれています。堀辰雄はこの道に沿って並ぶアカシア並木を愛したと言うことですよ。

それで別名「アカシアの小径」でござ~♪~ますか?

たぶんね。。。堀が「美しい村」を書いた当時、そのアカシアは背丈ほどだったらしい。現在は、上の写真でも分かるようにアカシアが成長してアーチのようになっていますよう。

。。。んで、デンマンさんも堀辰雄と矢野綾子の真似をして、恋人同士のように小百合さんと「ささやきの小径」を甘くささやきながら散歩するのでござ~♪~ますか?

そうですよう。いけませんか?

。。。んで、あたくしとは。。。?

来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。




『ロマン@幸福の谷 (2008年8月14日)』より




やっぱりデンマンさんは、あたくしを仲間はずれにするのですわね?



やだなあああぁ~。。。誤解しないでくださいよう。来年の秋には卑弥子さんと一緒に行くと言ってるではありませんかぁ~

これって、大人のイジメですわよね?イジメでないのならば、嫌がらせですわよう。。。デンマンさんは、何が何でも小百合さんと二人きりで、ロマンチックな気分に浸ろうと妄想しているのでござ~♪~ますわ。いけすかないこと。

モノには順序と言うものがあるのですよう。卑弥子さんだって知っているでしょう?

つまり、小百合さんとは今年の秋で、あたくしとは来年の秋と言うことですか?

そうですよう。

どうして小百合さんが先であたくしが後なのでござ~♪~ますか?

やだなあああぁ~。。。そのような些細な事で、京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授がムキになって、ムカつく事はないと思うのですよう。

あたくしは別にムカついている訳ではござ~♪~ませんわア。



鏡を見てくださいよう。卑弥子さんの目の周りの血管が浮き出て、とっても怖い顔をしているのですよう。僕は、そのようなムカついている人と一緒にロマンチックな「ささやきの小径」を歩きたくはないのですよう。

ムカついてませんてばああああああああああ~~ んも~~

分かりましたよう。もう少し小さな声で話してくれませんかア~。。。僕の耳の鼓膜が破れてしまいそうですよう。じゃあねぇ、卑弥子さんの気持ちが静まるように僕と小百合の返信のやり取りをお目にかけますから、どうかじっくりと読んでみてくださいね。


夕べ書くつもりが

Windows Updates のダウンロードが

始まったのですよう。んも~~!

『ネットカフェ』スレッドの返信を書き終わって

すぐですよう。

あのダウンロードが始まると

パソコンのスピードが最低でも5倍遅くなる。

つまり、5分で書き終わるのが

30分近くかかってしまう。

午前4時を過ぎていたので、

んも~~! やってられねぇ~よう!

そう言う訳で、ベッドに潜り込んでしまいました。

うしししし。。。




今日も素晴しい天気ですよう!
現在、お昼を過ぎたところです。
気温は22度ですよう。
さっぱりして、雲がほとんどない快晴です。
パラダイス!
めちゃ気持ちイイ!!









バンクーバーは僕にとって夢とロマンの避暑地ですよう。
小百合さんが居れば、天国ですう!
うしししし。。。





小百合さん、バンザ~♪~イ!

夢とロマンの女神!万歳!

そう言う訳で、感謝の気持ちを込めて
おもむろに返信を書こうと思います。

小百合さんが4時間前にログアウトしたと記録されているのを見てちょっぴり驚いていますよう。
。。。つう事わぁ~、日本時間では真夜中ですよね。
うん、うん、うん。。。
遅くまで起きていたんだよね。
お盆のパーティーの後片付けをすませてからパソコンに向かったのかな。。。?


投稿日時: 2008/08/12 23:24 (ロンドン時間)
日本時間: 8月13日 午前7時24分
バンクーバー時間: 8月12日 午後3時24分





堀 辰雄 の小説にでてくるの?
その 道はサイクリングで通りますよ。


出てきます。出てきます。
堀辰雄は結核にかかって、あの小道にあった療養所に通院していたから、
とりわけ「ささやきの小径」には思い出があるのでしょうね。





それに昔の恋人と歩いた懐かしい小道なのですよう。
その恋人は亡くなってしまった。
堀辰雄は、よほど軽井沢が気に入ったようですよう。
。。。てか、おそらく軽井沢は堀辰雄の人生の一部のようになっているのですよう。

小百合さんにとって軽井沢は“聖地”だけれど、
堀辰雄にとって、軽井沢は“人生の一部”なのでしょうね。

堀が書いた小説には軽井沢の場所がたくさん出てきますよう。




幸福の谷 は三男坊と行きました。
どうして谷というと 思う?
私は幸福の道 と思ってましたが
どうして 谷とつけたのか 不思議でした。
歩いてみて 分かりました。


ほおォ~。。。。
ぜひ、その理由を聞きたいですね。
僕も、ちょっと不思議に思っていましたよう。

“谷”にもいろいろあるんでしょうね。
山深い黒部峡谷のような人を近づけない谷もあれば、
幸福の谷のように谷と言うよりも“平坦な窪地(くぼち)”のような谷もあるのでしょうね。


ごめん 急いでいて 文がまとまらない
主人が 戻ってきた。
また 後で。。。


家庭の主婦はいろいろと大変だよね。
妻の役もあるし、母親の役もあるし、
それに、夢とロマンを持った女になってパソコンに向かう時もある。

でも、旦那をほっぽり出して夢とロマンに浸っていたらバツイチになってしまうもんね。
一人3役は大変でしょう!

しかし、自由な心を持った夢とロマンの女である“小百合”も失わないでね。


投稿日時: 2008/8/13 11:53 (ロンドン時間)
日本時間: 8月13日 午後7時53分
バンクーバー時間: 8月13日 午前3時53分





『ロマン@幸福の谷 (2008年8月14日)』をさっき 読みました。
デンマンさんの方が詳しく知っているね。


ほおォ~。。。
読んでくれましたか!?
ありがとう!

小百合さんのおかげで軽井沢についてずいぶんと調べましたよう。
僕も、これまでに何度か軽井沢に行ったことがありますが、
それ程いろいろな所を見ていないのですよう。

ネットで旅行する方が実際に歩くよりも、いろんなことが分かって面白いですよう。


地理的にも デンマンさんは良く調べてあって
デンマンさんの1番行きたい所は
どこですか?


1番行きたいところ。。。?

それは、小百合さんのところですよう。
小百合さんと一緒に居れば、どこに居ても幸せな気分になれますよう!
                   
なにしろ、小百合さんは僕にとって“夢とロマンの女神”なのだから。。。


今夜は迎え盆 今たくさんの人が来て
お墓に 行ってきて 食事というか 飲み会になってます。
昼間から 用意していたから
やっと 一息 
デンマンさんは お盆は 無いか。
もう寝ましたね。


バンクーバーにはお盆はありません。
僕には無関係ですよう!



今年の秋、機会があったら、「ささやきの小径」を一緒に歩こうね。
僕と小百合さんにとって、その小道は“夢とロマンの小径”ですよう。
そう言う訳で、『小百合物語』のことでも話しながら一緒に散歩してみたいですね。



小百合さんも、たまには『エマニエル夫人』を思い出して
夢見る乙女の頃を懐かしんでね。








“ハイ、分かりました。

デンマンさんのロマンポルノ第3部は

たぶん、とってもヤ~らしいと思うけれど、

私のために一生懸命に

書いてくれているのだから

楽しみにしていますう。

でも、あんまり、ヤ~らしくしないでね。

うふふふふ。。。”


はい、はい、はい。。。
小百合さんのために一生懸命に書いていますよう。
マジで僕の“遺書”のつもりですよう。

何度も何度も読み返して推敲(すいこう)を重ねて
小百合さんが読んで良かった、と思うような「ロマンポルノ」に仕上げたいと思っていますよう。
あと1週間ほどかかるでしょう。

期待して待っててね。



夕べも小百合さんと愛し合う夢を見てしまいました。
うしししし。。。

では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしてね。
デンマンでした。








投稿日時: 2008/08/13 21:48 (ロンドン時間)
日本時間: 8月14日 午前5時48分
バンクーバー時間: 8月13日 午後1時48分

『ささやきの小径』スレッドより
ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』
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森林浴@軽井沢 PART 2

2008-08-16 12:43:06 | 日本人・日本文化・文学論・日本語




バンクーバーってやっぱり素敵ですわ。気温が22度なのでござ~♪~ますか?写真を見ただけでも素晴しいですわぁ~。あたくし、やっぱり今年の夏バンクーバーに立ち寄ろうと思いますわ。



ちょっと待ってくださいよう。今日はバンクーバーの話題ではないのですよう。軽井沢で森林浴をしようという話なのですよう。

でも、あたくしは今年、軽井沢に行くことができないのでござ~♪~ますわ。

なぜですか?誰も卑弥子さんに軽井沢に行ってはダメだと言ってませんよう。

でも、デンマンさんは、あたくしに“邪魔しないで!”と、しつこく言っているのでござ~♪~ますわ。

もちろん、僕と小百合さんの間に割り込んで来て欲しくないのだけれど、夏ならば卑弥子さんの好きな時に、いつでも軽井沢に行ってもいいのですよう。

夏の軽井沢って、何か面白い事でもあるのでござ~♪~ますか?

あるのですよう。さっきロンドンのビーバーランドを覗いたら小百合さんが返信を書いていましたよう。その中で卑弥子さんも絶対に興味を惹かれる“蚤の市”について書いていましたよう。ちょっと読んでみてください。


蚤の市@軽井沢



8月16日の記事を書いているところですよう。



題して『森林浴@軽井沢』です。

小百合さんが返信を書いた時刻を

確かめるために

『ささやきの小径』スレッドを覗いたら、

あれぇ~、新しい返信が書いてあるよう!

夕べ寝るのが遅かった小百合さんが、

もう起きてパソコンに向かっているので

ちょっとびっくりしましたよう。

そういえば東向きの窓から

朝日が差し込むので

暑くて寝てられないよう!と言ってたねぇ~



あと、2,3時間で書きあがると思うけれど、

いつものようにライブドアで予約投稿したら

新しいスレッドを立てて小百合さんのために

記事をコピペしておきますね。

読んでみてね。



投稿日時: 2008/8/14 0:30 (ロンドン時間)
日本時間: 8月14日 午前8時30分
バンクーバー時間: 8月13日 午後4時30分





暑くて 寝てられない。 6時頃 目がさめてしまい、
夕べのゴミを出してきたところ です。


うん、うん、うん。。。
分かりますよう。
僕のマンションも朝の6時ごろに朝日が差し込みますよう。
でも、東向きというよりは北向きだから、ほんの1時間ぐらいのものです。
眠っていられないほど暑くなる事はありません。


夕べ もう寝たね。 と送った時 あれ~ デンマンさん
さっき 返信してきて まだ 寝てないな~
っと 思いました。


Windows Updates のダウンロードが始まったので、
急にパソコンのスピードが落ちてしまい、それで時間がかかって
午前4時を過ぎてしまったのですよう。

8月15日の『レンゲ物語』を熱中して書いていたので時間が経つのも忘れてしまうほどでした。
それで夕べは小百合さんに返信を書くのが遅くなったのですよう。

8月15日の記事は、題して『肉体の悪魔』です。

■ 『肉体の悪魔 (2008年8月15日)』



■ 『肉体の悪魔』 映画紹介コーナー

そうです。腸チフスが原因で、まだ20才なのに亡くなってしまったフランス人の作家 レイモン・ラディゲが書いたチョー問題作の『肉体の悪魔』について書いたのです。
この作品をラディゲは15才の時に書き始めたと言うのですよう。
めちゃ早熟な作家だったのです。

それと比べれば僕が小百合さんのために書く『ロマンポルノ』など、かわゆいものですよう。うししししし。。。

小百合さんも時間があったらぜひ読んでね。


小さい子達 もいっぱい 来るので うどん や 果物の
用意を始め また夜遅く ビーバーランドを
見てました。

ホントに Beaverland e-XOOPS を開くと デンマンさん
に会えるという気持ちになります。




■ ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』

うん、うん、うん。。。
うれしいねぇ~
僕も、Beaverland e-XOOPS を開くと小百合さんに会えるという気持ちになりますよう!


そうそう 堀辰雄の作品は どうですか?
いまいち?  結核だったのですか?
時間をつくり 図書館で本を見つけてみます。


記事の中で堀辰雄の作品についてちょっと書こうと思っていますよう。
小百合さんも読んでみてね。




軽井沢の図書館は大好きです。 涼しくて
ちょっと 高い位置にあります。自転車では
途中 登れず 降りて 歩きます。
三男坊が静かに 絵本でも見て おりこうさん
にしてくれれば ちょこちょこ 行きたい場所なのですが


小百合さんがどういう本を読むのか?興味がありますよう。
何か面白そうな作品があったら、ぜひその本の感想でも書いてね。
期待して待ってますよう。




軽井沢公民館(古い木造)で夏1か月ぐらい
蚤の市 が開かれ この前 のぞきました。
楽しかったよ~、でも高い値段。
昔の白人が使って、 払下げか 処分したのか
分からないけど、今ではみられないほどの
コーヒーカップ、 グラス、照明器具、ネックレス
三男坊がいると 絶対 壊すから 外の日陰で
お菓子を食べさせて 座らせて おきましたが
食べ終わると 入ってきた~。
もっと 落ち着いて見たかったです。この次にします。


うん、うん、うん。。。面白くて、楽しそうだね。
僕も機会があったらぜひ覗いてみたいですよう。
珍しいものがたくさんありそうだね!?


今日も暑そう、 でも実家に 親戚のおばさんが新盆で
お線香をあげに 来ます。
芝刈り もしないと。
では 返信ゆっくりでOKです。


確かに、『正月と盆が一緒に来たようだ』という言い回しもあるくらいだから、
お盆と言うのは家庭の主婦にとっては大変なんだよね。
小百合さんも大忙しなんだろうね。

でも、こういう忙しい時こそ、心に余裕を持ってパソコンに向かい
夢とロマンを語ってね。

では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしようね。








投稿日時: 2008/08/14 01:37 (ロンドン時間)
日本時間: 8月14日 午前9時37分
バンクーバー時間: 8月13日 午後5時37分

『ささやきの小径』スレッドより
ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』




あたくしが“蚤の市”覗くのが趣味だと言うことをどうしてデンマンさんはご存知なのですか?



十二単を着ようという卑弥子さんですよう。そういうオタク趣味があるならば、まず間違いなく蚤の市でガラクタを見て回るのが好きに違いない。。。そう思ったのですよう。うへへへへ。。。

ガラクタだけ余計でござ~♪~ますわ。軽井沢で蚤の市があるなんてちょっと意外でござ~♪~ますわ。

なぜ意外なのですか?

だってぇ~。。。別荘族という人種は、ガラクタをあさるミーちゃんハーちゃんを見下げるものでござ~♪~ますわ。

それは卑弥子さんの独断と偏見ですよう。小百合さんも軽井沢に別荘を持ったのだから、卑弥子さんが言う別荘族の一人なのかもしれないけれど、小百合さんはガラクタをあさるからと言う理由だけでミーちゃんハーちゃんを見下げたりしませんよう。

デンマンさんは小百合さんを理想化し、美化しているから、何でもかんでも良い方向に考えてしまうのでござ~♪~ますわ。

つまり、僕が小百合さんをアイドルにしているので目がくらんでしまっていると言うのですか?

そうでござ~♪~ますわ。

10代の少年ならば、いざ知らず、僕は卑弥子さんのようにビートルズにも熱狂しないのですよう。





キャー。。。ビートルズ!素敵ィ~♪~



卑弥子さん。。。いい加減にしてくださいよう。僕がビートルズを持ち出したからって、そのように熱狂しなくてもいいのですよう。わざとらしいのですよう。この記事を読んでいるミーちゃんハーちゃんまでがすっかり白けてしまうのですよう。

デンマンさんが、写真を貼り付けるからいけないのでござ~♪~ますわ。

あのねぇ~。。。いつまでも、バカやってる場合じゃないのですよう。この記事がまた無駄に長くなるだけですからね。

分かりましたわ。あたくしも『小百合物語』のホステス役でござ~♪~ますから、無駄な事はしたくござ~♪~ませんわ。それで、デンマンさんは何が言いたいのでござ~♪~ますか?

せっかく小百合さんが堀辰雄の小説の事を書いているのですよう。

それで。。。?

だから、この際、小百合さんに軽井沢の風物がたくさん出てくる小説を読んでもらって、感想を書いてもらおうかな。。。そう思って居るのですよう。

小百合さんも図書館で堀辰雄の本を探してみるとおっしゃっておりますわ。

別に図書館に行かなくても読めるのですよう。

どのように。。。?

ネットで堀辰雄の小説『美しい村』が読めるのですよう。

どのようにすれば読めるのでござ~♪~ますか?

次のリンクをクリックして、卑弥子さんも読んでくださいね。

■ 堀辰雄 『美しい村』 (青空文庫)


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
あたくしも、ぜひ読んでみようと思いますわ。
あなたも、時間があったら読んでみてくださいませ。
そしてできれば、この記事に感想を書いてくださると、とってもうれしいですわ。

とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

ためになる関連記事





■ 『きれいになったと感じさせる

下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』

■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に

別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』

■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』




こんにちは。ジューンです。

わたしもデンマンさんに言われたので

さっそく上のリンクをクリックして

『美しい村』を読み始めたのですわ。

ビックリしました。

なんと、デンマンさんが上の記事の中で書いている

レイモン・ラディゲの事が1ページに出てくるのです。

その部分を書き出してみますわ。


僕の机の上には、マダム・ド・ラファイエットの「クレエヴ公爵(こうしゃく)夫人」が読みかけのまんま頁(ページ)をひらいています。



はじめてこのフランスの古い小説をしみじみ読んでいますが、そのお蔭(かげ)でだいぶ僕も今日このごろの自分の妙(みょう)に切迫(せっぱく)した気持から救われているような気がしています。この小説についてはあなたに一番その読後感をお書きしたいし、また黙ってもいたい。二三年前、あなたに無理矢理にお読ませした、ラジイゲの「舞踏会(ぶとうかい)」は、この小説をお手本にしたと言われている位ですから、まあ、あれに大へん似ています。


このラジイゲの「舞踏会(ぶとうかい)」と言うのは

レイモン・ラディゲの遺作となった

『ドルジュル伯の舞踏会』のことです。

ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

暑さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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興信所を使ってみたら?

2008-08-16 12:40:51 | ネットストカー・荒らし・インターネット



 
興信所を使ってみたら?



おほほほほ。。。。

卑弥子でござ~♪~ますわよゥ~

あなたにお会いしたくて

また出てきてしまったのよォ~。

ええっ?あたくしと、

そう度々会いたくないのォ~?

んも~~

そんな、冷たいことを

言わないで頂戴よゥ!

あたくしは、あなたに

お会いしたいので

ござ~♪~ますのよォ~

ええっ?そんなことよりも

興信所の話を早くしろ!

そう、おっしゃるのですかぁ~?

あたくしよりも興信所の方がいいのですかぁ~?

冷たいお方ぁ~~

分かりましたわァ。

そのために出て参りましたのですから

うふふふふ。。。。

説明しますわよう。


あなた、これまでに探偵・興信所を利用するメリットを考えたことがありますか?

ええっ?探偵を使うような、そんなヤバイ事は無いの?

そうかしら。。。?

いいえ、あたくしはあなたにヤバイ事があると言っているのではないのですよ。

ただね、こう言う事にも探偵・興信所を使う事が出来るのか?
そういう発見があるのではないかと思って、あたくし、お話しするのでござ~♪~ますのよ。

例えば、誰にでも悩みがあります。
悩みのない人ってありません。

ええっ??あなたには悩みが無いの?

そんな事はありませんわよ。
諺にもありますでしょう。

“無くて七癖、あって四十八癖”

分かるでしょう?無いようでいて、人には七癖あるのですよ。
クセがあると思っている人には48クセもあるわけですよね。

悩みも同じなんですのよ。
無いと思っている人にも悩みは7つぐらいあるものなのです。

あたくしのお話を聞けば、きっとあなただって興信所を使ってみたくなるはずですわ。
おほほほほ。。。

では、前置きはこのぐらいにして。。。

真実を知ることで、これまでモヤモヤしていた悩みが解決されるこてってありますよね。
確かな「証拠」や「資料」を収集することで、より多くのメリットが発生します。



例えば、誰もが考え付く事ですが、

浮気調査

調査資料が有効な証拠となり、その後の離婚等の交渉を有利に進めることができます。
慰謝料や親権等の示談や裁判において有利に展開することができます。
また、離婚が裁判にまでいたるケースにおいて重要な「資料」として活かされます。

例えば、

結婚相手の素行調査
 
素行調査をあなた自身が行うには、情報収集能力や調査ノウハウ等に関して限界がありますよね。
第一、相手はあなたのことを知っています。
影でコソコソ嗅ぎまわっているのは、あまり良いものではありませんよね。
そういう時に探偵社・興信所に依頼するのは賢明な方法です。

行方調査

実際のケースとしては、警察に届出をした上で行方調査を依頼される方が大半です。
これは、警察の捜査能力の問題ではなく、警察が一個人のために費やす時間とエネルギーには限度があるからです。
雪山遭難等の場合などの特殊なケースでない限り単に「届出」としての有効性しかありません。
そういうわけで、行方調査を探偵・興信所に任せる人は多いものです。

ストーカー対策



これも最近増えてきましたよね。
ストーカー規制法が施行された現在でも被害が絶えないのです。
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また現れて、

くどいようでござ~♪~ますけれど。。。

とにかく、この十二単でしょう。。。

夏はつらいのよねぇ~~

だから、スタミナをつけようと

食欲を刺激しているのでござ~♪~ますわ。



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そうなのよ。良く覚えているわねぇ~。

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ダメよ!そうやって生返事ばかりして、

この場をうまく誤魔化そうなんてぇ~

そういうコスイ考え方は、お止めになった方が

良いのでござ~♪~ますわよゥ~。

見てよね。お願いねぇ。

面白いお話がたくさんあるわ。

うふふふふふ。。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょう。

じゃあね。





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肉体の悪魔 PART 1

2008-08-15 12:27:16 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ


 
肉体の悪魔







レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』を

読もうと思っている人は

ネタバレに注意!




残り香
 
 

 

ひとり寝る

夜の長さよ

寂しさよ

枕に残り香

涙をさそう

 
 
by めれんげ

2008.08.13 Wednesday 00:21




『即興の詩 残り香』より



愛の正体



う~~ん。。。

実にめれちゃんらしい短歌

だと思いながら。。。

振り返ってめれちゃんとの

ネットの5年間を

回想してみましたよう。

\(^_^)/キャハハハ。。。

“社会派”のめれちゃんも

居たけれど、

“愛の正体”を追い求める

めれちゃんの存在が

一番大きかったように思います。

そうなんだよね~。

そう思いながらデンマンが詠める返歌三首。


愛の長さ



一人寝に

夜の長さを

恨むとも

きみは知らずや

愛の長さを




肌のぬくもり



身も心

一つになりて

結ばれぬ

きみは忘れじ

肌のぬくもり




変わらぬ愛



残り香に

昔をしのぶ

きみなれど

変わらぬ愛は

永久(とわ)に宿(やど)りて



体育会系の“硬派”のめれちゃんが

あえて“軟派”になって

“愛の正体”を求めて

ネットの旅に出たのでした。

2004年7月15日の事でした。

それから、まもなくめれちゃんと

ボクちゃんの出会いがあったのでした。

\(^o^)/ うしししし。。。

めれちゃんは上の短歌を詠みながら

“ネットの愛の旅”の原点を

振り返ったのではないのか?

“愛の正体”を探す。。。

そうして詠んだのですよね。

ひとり寝る

夜の長さよ

寂しさよ

枕に残り香

涙をさそう


う~♪~ん。。。

ボクちゃんは、この短歌から、また

インスピレーションをもらいましたよう!

ん。。。どんな、、、?

めれちゃんは次のように

書いていたのです。




「ペスト」が終わったら
ラディゲの「肉体の悪魔」でも読もうかと
考えています(^ω^)

「肉体の悪魔」は、
ずっと前に読んだのですが、
やたらおもしろかったことを
おぼえています

わたし、最近書けないんです(ノд<。)゜。
めれんげサバイバルで書いていた
「猫小町手習い日記」も
全然進まないし…

スランプかな?

by めれんげ

2008/07/31 11:22 PM




『即興の詩 指きり』のコメント欄より


「肉体の悪魔」を書いた

レイモン・ラディゲは早熟だった。

14歳の頃、『肉体の悪魔』の

モデルとされる年上の女性と出会い、

勉強しなくなって、不登校!

そのために学校を放校処分になってしまう。

『肉体の悪魔』は、

彼の自伝的要素が強い作品なのだ!

\(@_@)/ キャハハハ。。。

ところで、めれちゃんも早熟だった。

小学生の頃から「チャタレー夫人の恋人」を読んで、

それで、16歳で桜の花びらを散らしてしまったのだから。。。

んも~~。。。

めれちゃんは文学少女だったんだよねぇ~

めれちゃんが、ひとり寝の夜の長さに

寂しくなって

枕に残り香を感じて涙ぐむ。。。

その「残り香」とは

『肉体の悪魔』ではないのか?

\(^Д^)/ギャハハハハ。。。。

そう言う訳で8月15日の

『レンゲ物語』は題して「肉体の悪魔」。

これから書き始めて

ライブドアで予約投稿しますよう。

例によって15日の午前0時20分から読めます。

めれちゃん!ぜひ読んでね。

めれちゃんの「愛の正体」に

肉迫するつもりで

マジで一生懸命に書きたいと思いま~♪~す。

♪┌(・。・)┘♪ うしししし。。。

では、楽しみにしていてね。

by デンマン

2008/08/13 04:30 AM




『即興の詩 残り香』のコメント欄より




それで、今日は上のコメントでデンマンさんが書いたようにレイモン・ラディゲが書いた「肉体の悪魔」の事ですか?



そうですよう。レンゲさんも読んでメチャ良かったと言っていたじゃないですか。。。

ええ。。。あたしにとっても、忘れられない印象に残る作品ですわ。

ほおォ~。。。レンゲさんにとっても、それ程までに思い出に残る作品なのですか?。。。で、どういうところが。。。?

やっぱり、自分をマルトの立場に置いて、あの作品を読んでみると、いろいろな事を考えさせられましたわ。男の感じる愛。。。女の感じる愛。。。愛し合いながらも愛しきれないと言うか。。。最後にマルトは子供まで産んで、まだ若いのに死んでゆく。。。

つまり、レンゲさんも「愛の正体」について考えさせられた、と言う事ですか?

そうですね。。。愛についてずいぶんと考えさせられましたわ。それで、デンマンさんは、どう思いました?

僕は1947年に作られた映画をビデオで見たけれど、小説は読んでなかったのですよう。

。。。で、図書館で借りて読んでみたのですか?

残念ながら、バンクーバーの市立図書館には日本語に訳された本もなければ、英語に訳された本もなかった。フランス語の『肉体の悪魔』が1冊ありました。

フランス語で読んだのですか?

僕はそれ程フランス語が堪能ではないのですよう。

それで、デンマンさんはどうしたのですか?

たまたま、ジュンコさんが最近読んだと言うので、借りて読んでみましたよう。中条省平さんが訳したもので、光文社から出ているものです。文庫版で230ページ。めれんげさんがメチャ面白かったと言っていたけれど、確かに一気に読めましたよ。

。。。で、どうでした?

映画を見た印象とまるで感じが違っているのですよう。

どのように。。。?
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肉体の悪魔 PART 2

2008-08-15 12:26:17 | 恋愛・失恋・不倫・性の悩み・セクハラ




■ 『肉体の悪魔』 - 映画紹介

ヒロインの19歳のマルトを演じたミシュリーヌ・プレールと15歳のフランソワに扮したジェラール・フィリップの写真ですよう。僕の目に映画では大人同士の恋なんですよう。僕は、特に年齢にこだわって観てなかったのだけれど、小説を読む時には、この年齢が気になったのですよう。

どうしてですか?

映画の中の二人を見てくださいよう。全くの大人に見えるのでしょう?僕はネットで調べてみましたよう。


ジェラール・フィリップ (Gérard Philipe)

1922年12月4日に生まれる。
1959年11月25日、肝臓ガンを患い36歳で亡くなる。

フランス・カンヌ出身の俳優。
1940年代後半から1950年代のフランス映画界で、二枚目スターとして活躍。
1950年代のフランスの美としてその人気を不動のものとした。

ちなみに1940年代の美はジャン・マレーであり、1960年代の美はアラン・ドロンである。
またその持ち味も、マレーが感性、ジェラールは知性、ドロンは野心の美とそれぞれ違う。
愛称はファンファン(Fanfan)。




ミシュリーヌ・プレール (Micheline Presle)

1922年8月22日生まれ。
現在も英語版のウィキペディアを読む限り、まだ生存している。

これまでに150本以上の映画に出演している。
最も最近出演した映画は、1999年に製作されたフランス映画。
英語のタイトルは Venus Beauty Institute
フランス語のタイトルは Vénus beauté (institut)

http://en.wikipedia.org/wiki/Micheline_Presle



出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


二人とも1922(大正11)年生まれですよう。映画が作られたのが1947年だから、このとき二人とも25歳です。15才と言えば中学生ですよう。25才の役者に15才の中学生の役を演じるには無理がある。

なぜ、デンマンさんは年齢にこだわるのですか?

僕は映画を見ていた時には、全く年齢にはこだわらなかったのですよう。でも、レイモン・ラディゲを調べてゆくうちに、この男が早熟な天才である事が分かった。


レイモン・ラディゲ (Raymond Radiguet)

1903年6月18日にフランスはパリの郊外、サンモール・デ・フォッセで生まれる。
1923年12月12日に、まだ20才なのに腸チフスで亡くなる。
フランスで生まれた小説家、詩人。

生涯

幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、学業そっちのけで風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。
そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。

14歳の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。
その後、自宅で父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。

15歳の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。
コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。
数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかる。



途中、詩集『燃ゆる頬』、『休暇中の宿題』の出版や、いくつかの評論の執筆を行ないつつ、「肉体の悪魔」の執筆を続行。
数度のコクトーを介した出版社とのやりとりと改稿の末に、ベルナール・グラッセ書店から刊行される。
このとき出版社は新人作家対象としては異例の一大プロモーションを敢行したため文壇から批判を浴びるが、作品は反道徳的ともとれる内容が逆に評判を呼びベストセラーとなり、ラディゲは一躍サロンの寵児としてもてはやされることになる。

「肉体の悪魔」で得た印税を元手に、コクトーとともにヨーロッパ各地を転々としながらも、
ラディゲはすでに取りかかっていた次の作品『ドルジュル伯の舞踏会』の執筆を続行。
同時に自分がこれまで書いた評論などの原稿や詩作を整理しはじめる。

1923年11月末頃に突如、体調を崩し腸チフスと診断され入院。
病床で「ドルジュル伯」の校正をしながら治療に専念するが、快方には向かわずそのまま20歳の短い生涯を閉じる。

遺作の「ドルジュル伯の舞踏会」は、死後出版された。
コクトーはラディゲの早すぎる死に深い衝撃を受け、その後およそ10年にわたって阿片に溺れ続けた。

フランス文学界での位置づけ

ラディゲのフランス文学史全体における位置づけは、作家としての活動期間が短かく、作品の本数も少ないせいもあってか決して高くはない。
しかし処女小説「肉体の悪魔」は、題材のセンセーショナルさに溺れることなく、
年上の既婚者との不倫に溺れる自らの心の推移を冷徹無比の観察眼でとらえ、
虚飾を排した簡潔な表現で書きつづったことで、
今日もなお批評に耐えうる完成度に達している。



「ドルジュル伯の舞踏会」に至っては、
ラディゲ自らが参考にしたとしているラファイエット夫人の『クレーヴの奥方』を、
高度に文学的な手腕で換骨奪胎し、
別の次元の「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げていることからも、
「夭折の天才」の名にふさわしい文学的実力の持ち主であったことが容易に推察される。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


調べてゆくと、14才の頃に習作で『肉体の悪魔』を書いたと言う人さえ居た。どうやら、16才から18才の間に書いたらしい。17才で書いたと言うのが一般的です。いづれにしても10代の時に書いたことに間違いがない。

やはり、あまりにも亡くなるのが早すぎた天才なのでしょうか?

馬鹿と天才は紙一重(かみひとえ)と言うけれど、少なくとも文学的な才能を持っていたことは確かでしょうね。

それで、デンマンさんは急に年齢が気になりだしたのですか?

そうですよう。映画を観て自分なりに理解した物語と、本を読んで理解した物語が、内容はほとんど同じなのにもかかわらず、全く別の物語のようになってしまった。

どう言う事ですか?

つまり映画では、いつしか月日が流れて僕のオツムの中では25才の男と32才の女の不倫話と言う事になっていた。

どうして女性が32才なのですか?

僕には、そのぐらいの年恰好に見えたのですよう。とにかく、僕はイメージから物語を追っていたのですよう。ところが小説では15才の中学生と19才の女の恋愛物語になっているのですよう。一つの話が僕のオツムの中では映画と小説とでは全く別物になってしまっている。僕は小説を読んで、そのような感じを持ったのですよう。映画を観る前に原作を読んでいないから、映画を観た時には主にイメージから物語を理解していたのですよう。

言葉よりもイメージから物語を理解していた、と言うことですか?

そうですよう。たぶん、表面的なことしか理解していなかったのでしょうね。だから、印象深い映画として僕の思い出の中に刻み込まれていなかった。めれんげさんが“『肉体の悪魔』はメチャ面白かった”と言わなければ、僕はすっかり忘れ去っていたかもしれませんよう。

それ程、映画の印象はデンマンさんにとって薄かったのですか?

そうですよう。めれんげさんがそのように書いたので、そう言えば、映画を見たことがあったなァ~。。。と思い出したのですよう。

確か。。。デンマンさんが筆おろしをなさったのは19才の時でしたわよね?うふふふふ。。。

レ。。。レン。。。レンゲさんは良く覚えて言いますねぇ~?

相手は確か人妻だったとか。。。?

あれっ。。。ボクは。。。僕はそんな事まで言いましたか?

おっしゃいましたわ。あたしは、はっきりと覚えていますもの。。。確か、お名前は由香さんとか。。。

あれっ。。。僕はそんな事までレンゲさんいに言いましたか?

デンマンさん!白々しいですわよう。日本語が分かる世界のネット市民の皆様の前でデンマンさんは、はっきりとおっしゃいましたわ。

僕が記事の中で書いていたと。。。?

そうですわよう。先ほどネットで調べてみましたわァ。次ぎの記事の中でちゃんと書いていましたわよう。

■ 『愛することに目覚めて…(2006年2月8日)』

もう、2年以上も前の記事ですね。。。相手の女性の名前まで書いてしまったとは。。。

どうせ、本名ではないのでしょう?

もちろんですよう。僕はそこまで愚か者ではありませんからね。ちゃんと相手の女性のプライバシーは守っているつもりです。

それで、あのォ~。。。10代の男の子って年上の女性に憧れを持つものなのですか?

一般論として断定する気はないけれど、僕の場合はそうでしたね。ただ、僕の場合には小さな頃から叔母と親しんでいたので、その影響で年上の人に憧れを持つのかなあああァ~、と思っていたのですよう。

そう言えば、『小百合物語』の中で叔母さんの事が出てきましたわね。


叔母はアラン・ドロンの熱烈なファンでした



今夜は、午後10時に、珍しい事に鴻巣市に住む叔母から電話がかかってきました。半年振りでした。
この叔母は僕のお袋の一番下の妹で、僕よりも6歳年上です。

親戚中で僕とは最も気の合う人物です。
その叔母も暑いと言ってましたよう。
35度と言ったのかな?

なぜか35度と言う数字がオツムに残っています。
零時10分まで、つまり、2時間10分話し込みました。

現在は行田市に編入されましたが
北河原村と言うのが僕の母親の実家があったところです。
もちろん、現在でも、同じところにあります。



お袋が僕を産んで1年した頃、僕を連れて実家へ帰ると、
7歳の叔母がどうしても僕を“おんぶ”したいと言ったのだそうです。

お袋も、仕方なく“おんぶ”させたとか。。。
近所の人に見せたいと。。。
赤ん坊なのに“わかいし(若者)”のような顔をしている、と近所の人が言ったそうです。
そのような話をしていました。

もちろん、僕には記憶の無いことです。

行田女子高校に入学して初めて僕の家に来たときには、
僕を自転車の後ろに乗せて本町通りの川島本屋まで連れてゆきました。
そこで、スーパーマンか何かの消しゴムのついた鉛筆を買ってくれました。

叔母が16歳のときですから、僕は10歳。4年生ですよね。
まてよう。。。
違いますね。
僕は小学校に上がるか上がらない年頃でしたよう。
だったら、6つか7つの頃のはずです。

第一、小学校4年生ならば、スーパーマンの形の消しゴムがついている鉛筆などもらっても、うれしくも何とも無いはず。
それなのに覚えていると言うことは、小学校1年生の頃の事に違いないですよう。



だとすると、叔母は中学1年生ですよう。
セーラー服を着ていたから、まず間違いありません。
自転車に乗って僕の家まで遊びに来たのでしょう!

とにかく、この叔母とは、それ以来よく出かけました。
日光に行ったり、上高地に行ったり。。。
そう言えば帝国ホテルで食事した事もありました。
よく喫茶店にも一緒に出かけましたよう。
もちろん、バンクーバーにもやって来ました。

大学生の頃は、とりわけ叔母と良く出かけました。
叔母はちょうど結婚前で、結婚する前に思いっきり羽を伸ばしておこうと言うつもりだったのでしょうね。
知らない人が見れば、僕と叔母は、まさに恋人同士のように見えたでしょうね。
叔母にしてみれば、安心して連れて行ける“ボーイフレンド”だったのでしょう。
ずいぶんとおごってもらいました。



ある時、今でも忘れませんが、熊谷の駅の近くの“田園”と言う喫茶店に入りました。
その夜、テレビでアランドロンの主演する映画「太陽の季節」(もしかすると「太陽がいっぱい」)をぜひ見たいと言っていたのですよう。
叔母はアランドロンの熱烈なファンでした。
ところが、どう言う訳か、時間に間に合わなかった。

後で、僕のせいにされてしまったのですよう。
それ程見たければ、“これからテレビで映画を見なければならないから、もう出ようね。”
そう言えば良かったじゃないか!

なぜか、この時の事を何度も聞かされたものです。
どうして、僕が責められるのか、未だに訳が分かりませんが。。。
僕のせいじゃないよう!

電話の声を聞く限り、喫茶店“田園”で話した頃と全く変わっていません。
その声には、今でも夢とロマンを感じます。

2時間10分。

20年以上時計がタイムスリップして
熊谷駅の近くの喫茶店“田園”でダベッた2時間10分でした。




『夢とロマンの軽井沢 (2008年7月19日)』より


10代の男の子が年上の女性に惹かれると言うのは一般論としては言えないのでしょうか?

例えば、小さい頃に母親を亡くしたので母親を慕うように年上の女性に惹かれる、と言うような事はあるかも知れませんよね。でも、男なら誰もが10代の頃に年上の女性に惹かれるか?それは、その人によってまちまちだと僕は思いますよう。

デンマンさんの場合には叔母さんと親しかったので、なんとなく年上の由香さんに惹かれるようになったのですか?

たぶんね。。。叔母とは言えども、僕は女として見ている事ってありましたよう。僕の目に叔母は女として魅力的でしたからね。

つまり、“筆おろし”をしてもらいたい程に叔母さんに女性の魅力を感じていたのですか?

うん、うん、うん。。。確かに、そう言う事を考えてみた事はありますよう。でも、叔母とエッチする事は、考えてみことはあっても、とても実行に移す気にはなれませんよう。

それで、そうゆう思いが由香さんへと。。。?

多分、そう言う事だったのかも知れませんよね。

ところで、レイモン・ラディゲの場合、年上の女性に惹かれる理由が何かあったのでしょうか?

ありました。大いにありましたよう。

どのような理由ですか。。。?

それを話し始めると長くなるから、あさってにしましょう。

ぜひ知りたいですわ。

うん、うん、うん。。。僕もじっくりと話したいですよう。


【レンゲの独り言】



ですってぇ~。。。
仕方ないですよね。あさってまで待つ事にしましょう。
面白くなりそうですわ。

あなたもどうか、また、あさって読みに戻ってきてくださいね。
では。。。




メチャ面白い、

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こんにちはジューンです。

アラン・ドロン (Alain Delon)と言えば、

何と言っても『太陽がいっぱい』ですよね。

まばゆい地中海の太陽と海の輝きを背景に、

屈折した青年の鮮烈な青春像を浮き彫りにする。

主演のアラン・ドロンは、この映画で

スターの地位を不動のものにしたのです。

冷酷なフィリップを演じるモーリス・ロネ、

その恋人を演じるマリー・ラフォレの美しさも

見ものでしたよね。

それに、何と言っても、

あのテーマミュージックの素晴しさ!

地中海の太陽と海、青年の野望。

富も恋人も手中に収めたかに見えたのです。。。

でも、世の中って、そう何もかも

うまくゆかないのですよね。

天国から地獄に転落するようなラストシーン!

そのバックグラウンドに流れる、

忘れようとしても忘れられない旋律。

近いうちに、またあのラストシーンを

名曲と共に観たいと思います。



ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。

■ 『あなたのための 楽しい英語』

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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あなたの心理が分かる

2008-08-15 12:24:06 | お笑い・ユーモア・娯楽・ゲーム・音楽


  
あなたの心理が分かる



おほほほほほ。。。

卑弥子でござ~♪~ますわよゥ。

また出てきてしまいましたわぁ~

ええっ?どうしてかって。。。?

あなたにお会いしたいからで

ござ~♪~ますわよゥ。

うふふふふふ。。。

ええっ?

あたくしに、そうたびたび

会いたくないの?

どうしてよゥ?

ん?いつも同じ顔だから。。。?

あなただって同じ顔でしょう?

ゴタゴタ言わないで読んでちょうだいよォ~。

ねっ。。。お願いだから。。。

ええっ。。。そんなことよりも

“あなたの心理が分かる”って何だい!?

早く話せ!

あなたはそのように強い口調で

あたくしにご命令なさるのですか?

んもお~~。。。イヤ~♪~なお方ぁ~♪~!

分かりましたわ。

今日はそのことについてお話しようと思って

出てきたのでござ~♪~ますわよ。

うふふふふ。。。




今日はね、あなたのために心理テストをしようってわけなのよ。

ええっ?テストって聞くと頭が痛くなるの?

あなたって、かなり受験勉強に苦しめられたのね?

心配しなくってもいいのでござ~♪~ますわよ。

点数をつけてあなたの頭の良さを測るわけではないのですわ。

だからね、気楽にテストを受けてね。

では、あなたの心理を判断いたしますわよ。

次の問いに答えてね。

外出先で突然トイレに行きたくなりました。



近くに駅もデパートもないのよ。

それでちょっと辺りを見回すと、コンビニがあるのよ。

それで、あなたはお店に入ってゆきます。

さて、あなたはどうしますか?


A: 店員にトイレを借りたいと話す

B: いきなり黙って入る

C: 何かを買ってついでに入る

D: 「無断使用禁止」の張り紙を見て諦める


どうですか?選びましたか?

実はね、この結果であなたがはまりやすい異性のタイプが分かるのよ。

信用するのも、しないのもあなたの勝手ですわよ。

だから、参考程度に読んでみてね。

あまり深刻に考えて自殺しようなんて考えちゃダメよ。

いいわね。

これは半分お遊びなのですからね。

じゃあ、あなたのはまりやすい異性のタイプは。。。


A: 【異性を感じるタイプ】

「店員に話す」を選んだあなたは、異性を感じさせる仕草や言葉に弱いのですわよ。
男性らしさ、女性らしさを発見したらはまってしまうの。
どう?思い当たる事はありませんか?

B: 【仲間意識を感じるタイプ】

「黙って入る」を選んだあなたは、仲間意識を感じられるタイプが気になる。
友達のように付き合えるタイプに弱いのですわ。
どうよ。思い当たるでしょう?

C: 【ユニセックスなタイプ】

「ついでに入る」を選んだあなたは、さっぱりとした性格なのよね。
異性を意識しなくてもよい中性的なタイプに惹かれるのよ。

D: 【同性の友達のようなタイプ】

「張り紙を見て諦める」を選んだあなたは同性の友達といる時が一番落ち着けるのよ。
つい、異性を意識しないタイプを探してしまうのでは?


どうでしたか?

なんとなく当たっていたでしょう?

ん?。。。全く当たっていなかった。。。?

そう言う事もあるのよ。結局一人一人みな違うのだから。。。

“十人十色”と言うでしょう?おほほほほ。。。

では、今日も楽しく元気良くお過ごしくださいね。





あなたが絶対、

見たいと思っていた

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■ 『辞書にのってない英語スラング』

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おほほほほ。。。。

また現れて、

くどいようでござ~♪~ますけれど。。。

あたくしもブログで頑張っているのでござ~♪~ますのよ。

あなたも頑張ってますか?

ええっ?ブログを始めると、

どういうすばらしことがあるのかって?

それはね、デンマンさんのブログを見れば分かりますわよ。

あなたは、レンゲさんの記事を読んだことがありますか?

ないのォ~?

ダメよ!そいじゃあああ~~

実に面白いから次のリンクをクリックして読んで御覧なさいよ!



■ 『レンゲの面白いお話 (愛と性の美学)』

このレンゲさんは、実はデンマンさんが

ネットで出会った女性なのですわよ。

デンマンさんが4年程前にネットで出会って、

それ以来、お二人はラブラブなんですのよ。

あなたがまだ、その記事を読んでいないのだったら、

ぜひ読んでね。

つまりね、ブログを書くと、

そのような出会いもあるという事なのよォ~。

だから、あたくしもブログを始めようと

思ったのでござ~♪~ますのよ。

ええっ?それは不純な動機だとおっしゃるのですか?

何を言ってんのよォ~~。んもお~~

不純であろうが、なんであろうが、

あたくしはボーイフレンドが

欲しいのでござ~♪~ますわよゥ。

。。。そいでもって、ネットでデンマンさんのような

すばらしい殿方との出会いがあるのならば、

これ以上の幸せは無いのでござ~♪~ますのよ。

うふふふふふ。。。。



お分かりですかぁ~~?

あたくしだって、こうしてラブラブに

萌えたいのでござ~♪~ますわよゥ~~。

うしししし。。。。

ええっ?でも、そうゆうのは

不純だと言うのですかぁ~?

あなたは、まだ、そのような下らないことに、

こだわっているのですかあ~? んもお~~

不純だろうが、なんであろうが、

結果としてデンマンさんのような

すばらしい殿方と出会えて、

上の写真のようにラブラブになって

萌えることが出来たなら、

これ以上の幸せは無いので

ござ~♪~ますわよ。でしょう?

どうなのよ。。。?あなた。。。? 

このように萌え萌えになったことがあるのォ~?

ないでしょう?

だから、ブログを始めるのよおゥ~~

今度は分かったでしょう?

分かって頂戴よ?んも~~!!

うへへへへ。。。。

そう言う訳なのよゥ~。

だから、わりィ~事は言わないから、

あなたも騙されたと思って

次のリンクをクリックして今から始めるのよ!ねっ?

■ 『あなたの明るい未来を開くブログを始めよう』

お願いよゥ~ うしししし。。。

頼むわよねぇ~。うへへへへ。。。。

あなたはいい子だから絶対に

ブログを始めてくれるわよねぇ~♪~?

ええっ?

そんなことはどうでもいいから、

何か面白い事を話せっつんですかあああァ~♪~

貴方は、あたくしのお願いを

聞いてくれないのですかぁ~?

ええっ?

聞いてあげるから、面白いことを話せと

あなたはあたくしに強要するのですかァ~?

いやなお方ぁあああ~~~

分かりましたわ。



どうよ、これ。。。?

ええっ?クリントン元大統領に似た人が

どうしてエッチな事をしているのかって。。。?

だからね、こうゆう面白い話がいっぱいあるのよう。

どうなの。。。?

あなたも覗いてみたいでしょう?

ん?

絶対に読みたくなってきたでしょう?

じゃあねぇ~、次のリンクを

クリックして読んでみてねぇ。

■ 『あなたも笑ってクソ暑さを吹き飛ばそう!』

ダメよ!生返事だけして

この場を誤魔化そうとしちゃぁあああ~~

絶対見てよねぇ。 

貴方が面白い話をしてって、

強要したのですからねぇ~。

見ないとダメよォ~

おほほほほ。。。。

とにかく、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。バーィ





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ロマン@幸福の谷 PART 1

2008-08-14 13:43:02 | 海・河のスポーツ・旅行・車


  
ロマン@幸福の谷




軽井沢で癒されてきてね。




投稿日時: 2008/08/04 08:25 (ロンドン時間)
日本時間: 8月4日 午後4時25分
バンクーバー時間: 8月4日 午前0時25分





明日(8月5日)から 三男坊 次男坊と3人して軽井沢に行ってきます。
やっと 涼しい 軽井沢に行って 自由 勝手にできます。 

パソコンは持っていきません。
今回は洗濯機を入れませんでした。
アレがあると 1日中 洗濯してます。
もうヤダ! ためてやる。


はい、はい、はい。。。。
軽井沢で癒されてきてください。
せっかく念願の別荘をもてたのだから。。。

自分自身へのご褒美ですよう!






どこか インターネットカフェ があったら
ロンドンの『ビーバーランド e-XOOPS』 を開きます。
でも15キロ位 離れた佐久まで行かなければ。


うん、うん、うん。。。
時間があったら開いてみてね。




では 今回は 1週間いません。
デンマンさんも体調を崩さないで!


はい、はい、はい。。。
ありがとう!
僕は体調を崩しませんよう。
安心してくださいね。
もう、20年以上体調を崩していません。

でも、充分に気をつけますよう。
小百合さんも、体調を崩さずに軽井沢で癒されてね。

いずれ、その機会があれば、僕の“体質改善マッサージ”で、小百合さんを“風邪の子”から“夢とロマンの女神”に体質を改善してあげますよう。
うしししし。。。



じゃあね。



では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしてね。








投稿日時: 2008/08/04 11:02 (ロンドン時間)
日本時間: 8月4日 午後7時2分
バンクーバー時間: 8月4日 午前3時2分

『おはよう』スレッドより
ロンドンの 『ビーバーランド e-XOOPS』




『念願の軽井沢だから…(2008年8月8日)』より




今日は、また“幸福の谷”のお話でござ~♪~ますか?



そうですよう。実に素晴しい名前が付いているでしょう。

でも、あたくしが調べた限りでは、あまり幸せそうな谷ではなさそうでござ~♪~ますわ。

ほおォ~。。。卑弥子さんは調べてみたのですか?

そうでござ~♪~ますわ。

どうして幸せそうじゃないのですか?

デンマンさんは堀辰雄の書いた『風立ちぬ』をお読みになった事がおありでござ~♪~ますか?

ん。。。? 『風たちぬ』?

そうでござ~♪~ますわ。

名前だけは聞いたことがあるなぁ~ 堀辰雄がそういう小説を書いていたんだぁ~。

いやですわァ~。。。デンマンさんが書いていたではござ~♪~ませんか!

僕が。。。?

そうですわ。次のように書いていたのでござ~♪~ますわ。


幸福の谷



これがその場所でござ~♪~ますか?

そうですよ。

どのような訳でここが「幸福の谷」なのでござ~♪~ますか?

旧軽井沢のはずれ、軽井沢万平ホテルの裏手にあるのが、この谷なのですよ。



美しいカラマツ林の木立のなかに苔むした石垣と焼き石を敷き詰めた石畳の道がずっと続いてます。周囲は静かな別荘地帯で、心静かに散策を楽しむには絶好の場所ですよ。

でも、そこがどうして幸せの谷なのでござ~♪~ますか?

「幸福の谷(ハッピーバレー)」と呼ばれるようになったのは明治時代です。

明治時代でござ~♪~ますか?いったい誰がそのような名前をつけたのですか?

もちろん、ここに別荘を構えた外国人宣教師たちですよ。この「幸福の谷」にはエピソードがあります。

どうのような。。。?

ここにノーベル賞作家の川端康成が別荘を構えたのですよ。

どのような経緯(いきさつ)なのでござ~♪~ますか?

昭和12年、『雪国』が文芸懇話会賞に入賞すると、川端康成は逗留先の軽井沢の宿から東京の授賞式に出席したのですよ。

それで。。。?

授賞式を終えると川端康成は、真っ直ぐ軽井沢に戻ったそうですよ。

それで。。。?

賞金で外国人宣教師から幸福の谷の別荘を譲り受けたと言うのです。

賞金で買ったのですか?それほどの大金だったのですか?

おそらく賞金だけではなかったのでしょう。。。賞金をもらった事がきっかけになって川端康成は「幸福の谷」に別荘を買う気になったと思うのですよ。面白いのは、堀辰雄の『風立ちぬ』の終章が「幸福の谷」の川端康成の別荘で完成しているのですよ。

マジで。。。?

もちろんですよ。その小説を読んでみれば分かります。

それで、この「幸福の谷」が小百合さんとどのように関係しているのですか?

上のメールの中で「よかったらデンマンさんも。。。」と書いてあるでしょう?。。。僕は、その時、ぜひ小百合さんと、この「幸福の谷」の石畳を二人だけで歩いてみたいのですよゥ。




『軽井沢と小百合さん 2007年12月4日』より


このようにデンマンさんは堀辰雄の『風立ちぬ』を持ち出したのでござ~♪~ますわ。

卑弥子さんは記憶力が抜群なのですねぇ~

デンマンさんは忘れてしまったとおっしゃるのですか?

いや、卑弥子さんに見せ付けられて、今思い出しましたよう。うしししし。。。

うししじゃござ~♪~ませんわァ。デンマンさんが読んでみたら?と言ったのであたくしはマジで読んだのでござ~♪~ますわ。

ほおォ~。。。卑弥子さんも意外に素直なところがあるのですねぇ~。それでどうでした?

「幸福の谷」の川端康成の別荘で『風立ちぬ』を完成した、とは書いてござ~♪~ませんでしたわ。

もちろん小説の中で、そこまで詳しく書くアホは居ませんよう。でも、読めば分かるのですよう。

そうですわ。だから、あたくしも読んだのでござ~♪~ますわ。

それで、良~く分かったでしょう?

でも、堀辰雄にとって「幸福の谷」は、幸せそうには見えなかったのですわ。

。。。で、どのように見えたのですか?

夏は確かに観光客がやって来て、多少は賑(にぎ)わうのですけれど、冬になると人影もなく寂しい谷になってしまうのでござ~♪~ますわ。それで「死のかげの谷」と呼んだ方がよさそうだ、と書いているのでござ~♪~ます。

ほおォ~。。。そうですか?

デンマンさんだって、お読みになったのでしょう?

読んだけれど、僕にとって、それ程思い出に残るような作品ではなかったのですよう。

どうしてでござ~♪~ますか?デンマンさんが気に入るような夢とロマンのお話でござ~♪~ますわ。

でもねぇ、主人公の男の妻は死んでいるのですよう。ロマンチックと言うよりも、悲しみが小説の底流に滲(にじ)んでいる。僕は20代の頃に読んだのだけれど、ルンルン気分の恋愛に惹かれる若い男には、実に悲しい、やるせない話と思えて、あまり好きになれなかった。卑弥子さんは、そういう悲しい話が好きなのですか?

あたくしは悲しいお話だとは思いませんでしたわ。むしろ男性に、それほどまでに思われている女性がうらやましいと思えましたわ。だから、あたくしもデンマンさんに、いつまでもいつまでも懐かしく思い出されるような女にならねばならないと努力しているのでござ~♪~ますわァ~。ォほほほほ。。。

(半分白けながら。。。) うん、うん、うん。。。見上げた心がけですよう。そんな事よりは「幸福の谷」の話ですよう。

んも~~。。。デンマンさんには、繊細な女心が全くお分かりにはならないのでござ~♪~ますわね?

あのねぇ~、脇道にそれると、この記事がまた長くなるのですよう。「幸福の谷」がテーマなのだから、余計な事はなるべく言わないでくださいよね。

分かりましたわ。「幸福の谷」に戻ればよろしいのでしょう。。。確かに夏は木漏れ日が漏れて、それなりに避暑地らしい雰囲気があるようでござ~♪~ますわ。でも、冬は人影もなく本当に寂しい厳寒の谷になるのでござ~♪~ます。しかも、堀辰雄が小説を書いていた当時は、冬になると水道もとまり、木造の建物は防寒対策もほとんどとられていなかったと言う事です。

ほおォ~。。。卑弥子さんは、そこまで調べたのですか?
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ロマン@幸福の谷 PART 2

2008-08-14 13:41:56 | 海・河のスポーツ・旅行・車


そうでござ~♪~ますわ。あたくしも、いつの日にかデンマンさんと二人で「幸福の谷」を訪れるのでござ~♪~ますもの。。。おほほほほ。。。

ほらァ~。。。また、卑弥子さんは余計な事を言うのですよう。。。でもねぇ、言っておきますが、今年の秋ではないですよう。来年の秋ね。

分かっておりますわア。

それで、堀辰雄がどうしたと言うのですか?

「風立ちぬ」を書き上げた堀辰雄は、初めの予定では「幸福の谷」と書くつもりだったそうでござ~♪~ますわ。でも、冬の厳しい谷の様子を見て、最終章の題を「死のかげの谷」としたのでござ~♪~ますう。

ほおォ~。。。さすがは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している卑弥子・准教授だけの事はありますよねぇ~。読みが深いですよう。僕は、改めて卑弥子さんの文学的な才能を見直しましたよう。

このぐらいの事は、その辺で遊んでいるミーちゃんハーちゃんでも分かりますわよう。

つまり、卑弥子さんは、冬は「幸福の谷」ではなく「死のかげの谷」だと言いたいのですね?





そうでござ~♪~ますわ。しかも夏場だって、それ程、幸せそうではないのでござ~♪~ますわ。

それはどう言う訳ですか?

だいたい、あの近辺にある別荘の庭はコケで覆われているのでござ~♪~ますわ。あの谷の付近だけではござ~♪~ませんわ。軽井沢って、どこもかしこも苔で覆われていますわよう。住むには湿気との戦いなんだそうですわ。

ほォ~。。。卑弥子さんは、そんなことまで調べたのですか?

だってぇ~。。。いつの日には、あたくしとデンマンさんと二人して「幸福の谷」に行くのですものォ~、うふふふふ。。。だから、しっかりと下調べをしておこうと思い立ったのでござ~♪~ますわ。

なるほどォ~。。。ごもっともな事ですよう。。。で、卑弥子さんが調べる限り、思ったほど幸せそうじゃないので、僕と一緒に「幸福の谷」に行くのを断念した。。。そう言う訳ですね?

もちろん、デンマンさんとご一緒に行きますわよう。

でも、卑弥子さんにとって「幸福の谷」は「死のかげの谷」なのでしょう?

だから、あたくしはデンマンさんが「死のかげの谷」を一人でお散歩している間、すぐそばの万平ホテルのカフェテリアでお待ちしていますわ。





キャア~!すてきィ~。。。そいでぇ、ジョン・レノンがお気に入りだったと言うローヤルミルクティーを飲みながら、デンマンさんがぜひ食べたいと言っていた木の実のタルトをあたくしもいただくのでござ~♪~ますわ。



つまり、花より団子ですね?

いいえ、団子だけではござ~♪~ませんわ。あたくしはホテルの中を散策したいのでござ~♪~ますわ。レトロな雰囲気に満ち満ちていてシックで素敵なのでござ~♪~ますう。



こういう時代がかった雰囲気が卑弥子さんは好きなのですか?

そうでござ~♪~ますわ。「大正デモクラシー」の頃の自由でのびのびとしていて、それでいて古風な感じがメチャいいのでござ~♪~ますわ。

そういうところは京都生まれの京都育ちの影響でしょうね。

。。。んで、「幸福の谷」のあと、どこへ行くのでござ~♪~ますか?



小百合さんの別荘がある近くに「ささやきの小径(こみち)」と呼ばれている散歩道があるのですよう。



これがその小径でござ~♪~ますか?

そうですよう。中央を流れている“せせらぎ”は矢ケ崎川です。堀辰雄の小説「美しい村」にも登場する小径ですよ。

ずいぶん狭い散歩道ですわね?

左右には別荘や木立が続き、小鳥のさえずりが聞こえてきます。なんとなくロマンチックな感じがするでしょう?ここを小百合さんと二人で散歩したいのですよう。うしししし。。。

あたくしとは。。。?

来年の秋ですよ。だから、今年の秋には邪魔をしないでくださいね?

どうして「ささやきの小径」なのでござ~♪~ますか?

実は、他にも呼び名があるのですよう。「アカシアの小径」、「恋人たちの小径」。。。なんとなく分かるでしょう?愛する人と甘くささやき合いながら散歩する小道ですよう。

つまりデンマンさんは、この小径を小百合さんと夢とロマンをささやきながら散歩するのでござ~♪~ますか?

そうですよう。いけませんか?

。。。んで、あたくしとは。。。?

来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。

んも~~、いちいち余計な事を言わないでくださいましなァ。。。んで、どうしてこの小径が特別なのでござ~♪~ますか?

実は、この小径にも英語の名前があるのですよう。サナトリウム・レーンと言うのですよう。

なぜ、そういう名前が付いているのでござ~♪~ますか?

大正10年に軽井沢避暑団、現在の軽井沢会、の要請で療養所が造られた。この療養所が「軽井沢サナトリウム」と呼ばれるようになったのですよう。

その療養所が「ささやきの小径」のそばにあったのでござ~♪~ますか?

そうなのですよう。イギリス人のニール・ゴードン・マンロー博士が病院長だった。だから、この人の名前を取って「マンロー病院」とも呼ばれたのです。このマンロー博士は、人類学者としても有名で、アイヌ研究の第一人者として日本では良く知られていた。

日本人もその療養所で治療を受けたのでござ~♪~ますか?

そうですよう。特に肺結核治療が得意と言われ、堀辰雄や土井晩翠なども通院して治療を受けたのです。堀辰雄の小説「美しい村」でも、このサナトリウムはたびたび登場しています。小説の中で「レイノルズ先生」として登場するのが、実はこのマンロー博士なのですよう。

。。。んで、今でもその療養所はあるのでござ~♪~ますか?

残念ながら建物は取り壊されてしまった。だから、もう見ることはできません。雲場池(くもばいけ、別名、スワンレイク)の近くにある外人墓地ではマンロー博士が今も静かに眠っていますよう。

「ささやきの小径」には、何かロマンチックなエピソードでもあるのでござ~♪~ますか?

堀辰雄の小説「美しい村」では、実際の婚約者だった矢野綾子との想い出が綴られているのですよう。なかでも、サナトリウムのあった道を2人で腕を組んで散歩するシーンは幻想的に書かれています。堀辰雄はこの道に沿って並ぶアカシア並木を愛したと言うことですよ。

それで別名「アカシアの小径」でござ~♪~ますか?

たぶんね。。。堀が「美しい村」を書いた当時、そのアカシアは背丈ほどだったらしい。現在は、上の写真でも分かるようにアカシアが成長してアーチのようになっていますよう。

。。。んで、デンマンさんも堀辰雄と矢野綾子の真似をして、恋人同士のように小百合さんと「ささやきの小径」を甘くささやきながら散歩するのでござ~♪~ますか?

そうですよう。いけませんか?

。。。んで、あたくしとは。。。?

来年の秋ね。だから、今年の秋は邪魔をしないでね。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
やっぱり、あたくしを仲間はずれにするのですわ。
これって、大人のイジメですわよね?
イジメでないのならば、嫌がらせですわよう。。。

デンマンさんは、何が何でも小百合さんと二人きりで、ロマンチックな気分に浸ろうと妄想しているのでござ~♪~ますわ。
いけすかないこと。

でも、あたくしにだって考えがありますわ。
今年の夏は、バンクーバーに行ってデンマンさんを驚かせようと思いますわ。

とにかく、また、あさってが面白くなりそうです。
だから、あなたも読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。






ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

軽井沢と言えば、明治の頃から

外国人の別荘地として発展してきたので

未だに外国の影響を受けた建物が

たくさん建っていますよね。

その中でも、言わば軽井沢のシンボル

となっているのが聖パウロカトリック教会です。



アメリカの有名な建築家アントニオ・レイモンド氏が

1930年に建設したことで知られ、

簡素で傾斜の強い三角屋根に

ひときわ大きい尖塔の姿が緑に映えて美しく、

落ち着きのある姿を見せています。

堀辰雄の「木の十字架」にも登場しています。

また、数々の著名人がこの教会で

挙式を挙げたことでも有名ですよね。

この教会で結婚式を挙げるのが

今でも多くの女性の憧れになっているようです。

現在は軽井沢の名誉町民でもある

カルロス神父が守っています。



ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

暑さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。






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