見えない人はアイドルの推しメンをどのように決めているのか
年末年始9連休1日目。
今日から連休開始。といってもまだ今日は普通の週末土曜日という感覚。いつもの土曜日のように朝起きてガイドヘルパーさんが家にくるのを、点字毎日テキストデータをパソコンで読み上げさせながら聞いて待つ、そしてスポーツジムへ行く。そのあと図書館へ行ってボランティアさんにハロプロ雑誌をよんでもらう。網膜色素変性症な私デスペア。ほぼ全盲な視覚障害者の私。ガイドヘルパーさん、ボランティアさんと接することができてうれしいね。
かつて私が目が見えなくなる前、司法試験受験のためずっと家にこもっていたことがあった。するとだれとしゃべらず、どんどん気が滅入る。そんな生活が結構つづいた。その時と今を比べることで、いかに人間は社会的動物であるか、人とのかかわりが日常的になければ精神的にも不安定になるということ知った私。
そして、理解できない人間の社会性も感じる。ガイドヘルパーさんは報酬をもらっての仕事としてのガイド、だけど対面朗読のボランティアさんは交通費はもらっているものの無報酬。それでいてなぜ見知らぬ、子供でも親でもない視覚障害者に、しかもその視覚障害者が興味のある本に一緒に興味をもって、ハロプロメンバーの名前をおぼえて、読み間違えをしないように雑誌をよみあげてくれる。そして、その対面朗読がおわったら、帰る方向が一緒だからという理由で、手引きしてもらい、商店街の2つのスーパーにたちよって私の買い物につきあってくれる。しかも、そのために、そのスーパーのチラシをわざわざもってきてくれる。
こういう行為の源泉、モーティブがどこにあるのかいまだに理解できない私。無償性、見返りをもとめないこの気持ちはどこからくるのかわからない。
そんなボランティアさんは、私のために、新聞記事を切り抜いてもってきてくれる。視覚障害に関連する記事、IPS細胞だったり、点字ブロックのことだったり、鉄道駅のホームドアの記事だったりいろいろ。
今日も、たくさん記事をもってきてくれた。ハロプロ雑誌を読んでもらいたいのはやまやまだけど、この情報もありがたい。
その記事に、東京工業大学の准教授のイトウアサさんが書いた本、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」に関連する記事がのっていた。
そのイトウアサさんが言うには、見えない人というのは、健常者から見ることを引き算した人、つまり見ることが欠落している人ではなく、見えない人は、目でなくほかの感覚で見ることをしている人という定義には新鮮だった。
家に帰って、さっそく視覚障害者用の録音図書のサイト「サピエ」に久しぶりにログインをして、イトウアサのその本をさがして、読んでみた。
学者らしい、論理的な、定義づけられた意味の再解釈、しかもわりとかんたんな言葉でかかれていて読みやすい。資格しょぐ愛車のインタビューかから、視覚障害者の見ている世界を見ようとするイトウアサ。
彼女がいうには、目が見える人と見えない人は、完全な人間と欠落した人間ということではないということ。
たとえ話がうまい。
4本脚のイスがあって、その1本の脚がとれてしまったら、そのイスは3本脚になり、もうイスの目的ははたせなくなる。つまりはたった1本の脚がなくなったことで、そのイスはイスという存在意義を失ってしまう。
まさに、目の見える人がもし自分が目が見えなくなったらどうしよう、こわくてたまらない、もう私が私でなくなる、いままでのようなことはできなくなる。車の運転も、本をよむことも、いとおしい我が子の顔をみることも、マチュピチュの幻想的な風景を見ることもできない、世界がまっくらやみになってしまう。 実際に目が見えている人が見えなくなると、、絶望して、中には自殺する人もいる。私も絶望した一人。
でも、イトウアサはそうではないという。 イスの中にもともと3本脚のおしゃれなイスもある。4本足のイスも3本脚のイスも同じ存在意義がある。3本脚が4本足の役割をはたす。つまり1本なくなったその足のかわりをのこった3本のあしがやっているということ。それが視覚障害者とのこと。
うまいこというね。
彼女がいうには、目で読むことができなくなっても、手で点字を読むことで、読むことはできるし、音声読み上げパソコンをつかえば文章をよみあげさせてそれを読むこともできる。
彼女がいうには、見るという身体行為のその先にあるその行為の目的、その意味が大事だといっている。見ることではなく読むことが大事。目で読む人もいれば、手や耳で読む人もいる。
実に論理的だね。
まだ最後までは読んでいないが、読むのがたのしみ。 このイトウアサさんは、生物学と美学の専門家とのこと。美学とは何かというと、ただ単に何がうつくしくてうつくしくないかの基準をさぐるのではなく、美しいとされているものを言葉でどう表現するかということの学問らしい。言葉であらわせられないものを言葉であらわす学問が美学とのこと。
この本を読めば、きっと、目の見えない人がアイドルの推しメンをどう決めているか?がわかるかもしれないね。
いやいや、伊藤亜紗さんも、そこまではまだたどりつけていないはず。そのなぞを解き明かすのが私の役目だね。
ps そんな今日、佳林のブログが更新されないなとおもったら、なんとJuice=Juiceのエース、ハロプロの至宝、宮本佳林はインフルエンザとのこと。29日のカウントダウンフェス、31日のハロプロカウントダウンはほぼ欠席まちがいなしかな。1月2日から東京中野サンプラザではじまるハロープロジェクトの合同コンサート、通称ハロコンの出演もあやういな。うーん心配。
でも、佳林は年末にかけてソロライブとかバースデーライブとか大忙しだったので、いい休養になるね。しっかり体と合たmをやすめてほしいね。たまには料理をしてリフレッシュしてほしいな。