カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

大名気分で茶を一服

2009-01-08 23:50:06 | 旅アルバム
ここ岡山後楽園は日本三名園のひとつだが、そもそもこの日本三名園って
全て、大名庭園から選ばれたもので、日本庭園の代表と言う訳ではない。
大名庭園と言うのは庭園形式としては認知されていないと思われる。
もともと江戸時代、徳川家の奨励もあって各国の大名達がこぞって造った
庭園で、主に政略的な接客の場にされたのではないかな。

日本庭園を語るなら(私は特に勉強したわけでも無く詳しくも無いので
語る価値は無いのだが・・・)
京都に都があった平安期が大きな存在になる。
そもそも京都は三方が山に囲まれ清流にもめぐまれており造園には最適地。
周辺は樹木・石・水・砂など良質の作庭材料の宝庫でもあった。
公家、僧侶を中心に特権階層の文化が集中、庭園様式も確立された。

神泉苑、嵯峨大覚寺に代表される寝殿造り庭園、
浄土思想の普及で極楽浄土を庭に表現した浄土式庭園(代表的なものは
平等院、浄瑠璃寺など)と言われる様式は平安時代のもので、
鎌倉・室町・戦国時代になると大仙院、竜安寺に代表される
枯山水の様式が流行する。
安土桃山時代になると書院式庭園が現れる
(代表的なものは醍醐寺三宝院庭園、西本願寺大書院庭園)
茶庭も茶室に通る路を本位としてつくられた庭として茶会での
流儀に則して規定されている。
そして江戸時代、廻遊式庭園の様式が確立されたようだ。
桂離宮、岡山後楽園、水戸偕楽園、金沢兼六園、熊本成趣園などが代表、
書院庭園の様式と茶庭の様式を合流し、池庭と石庭が渾然一体となった庭である。
池・島・山をつくり所々に茶庭を配し、いくつかの露地の連続として
園路、橋などにより連絡される。今で言うテーマパーク?
近世、江戸後期には梅屋敷と言うのが出現。徳川斉昭が梅の植栽を始めたことが
きっかけだろうが、観光地として梅だけではなく多種の草木を植え、
茶店、風呂、食べ物、みやげ物の販売など、江戸市民集客のために
いろいろな手段を講じている。浅草の花屋敷などもこの時期に開園した。

特権階級の嗜好や宗教の場から下々の娯楽の場へと変遷したわけで・・・

ただ日本庭園を入園料を払って楽しむなら、ほんの少し知識として
基本的な庭園様式や手法、技法を知り、庭園の考え方や、庭を造った
背景などを少しでも理解することで、日本庭園をより深く楽しむことが
できるのかも知れません。

私なんかいつも順路は無視、寄り道をしたりショートカットしたり
鑑賞以前の問題ですが・・・(^_^;ゞ





沢の池に造られた中の島、そこにはお茶室のような庵が建てられてる



太鼓橋を渡ると通行止めw。どうやら近くにある茶店で申し込むと
ここでお茶がいただけるようなので・・・決定!






正式な茶室ではない、あくまで茶屋。島茶屋と呼ばれる建物です。



廻りには濡れ縁があり、天気も良いのでそこで
お抹茶と吉備団子をいただくことに。




しゃかしゃかとお抹茶をたてる音を聴きながら
お庭を眺めてひと休み・・・
ここの吉備団子は後楽園でしか置いていない餡入りの特製もの。
器の説明とかされて・・・茶道の心得などないから、ちんぷんかんぷん。
島茶屋はもともと殿様が利用されたもので、ここからの
お池、庭の風景が一番よく見えるよう設計されたものだとか・・・
いろいろお茶のせんせに解説してもらいました。

と、言うことは「とのさまかっぱ」やなぁ・・・とかッ♪
ちなみに茶店では300円でいただけるのが、ここだと800円(でも値打ちありです)



池に舞う鳥は・・・なんと、カモメ。ちょっと場違いなw








今日のニャンコ in 後楽園。









・・・幸せそうやな。




2008.12/28 岡山後楽園 沢の池。


大名庭園―江戸の饗宴 (講談社選書メチエ)
白幡 洋三郎
講談社

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