カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

水香る伏見の地に。

2009-01-23 17:38:37 | 京都徘徊記
ここのところ遠方に行く根性も無く・・・
休日の外出も市内をうろうろ。
京都の場合、何処へ行っても近くに社寺があるので
ふらりと寄ってしまいます。



ここも、酒粕ラーメンを食べた後、寄ってみた
『御香宮神社』(ごこうのみや)ごこうぐうの方が通称かな。
伏見と言えば伏見稲荷大社があまりにも有名ですが・・・僕は行ったことがないw

伏見は歴史の舞台にもよく登場する土地でもあり、印象深いのは
幕末でしょうか、鳥羽伏見の戦い。龍馬が襲撃された池田屋もそう遠くはありません。
鳥羽伏見の戦いでは、薩長軍がこの御香宮に屯所を構え、南に少し行った
伏見奉行所は土方歳三らの新撰組、林権助らの会津藩士、久保田備中守らの
伝習隊が陣を構えていたわけで、慶応四年(1868)正月もまだ3日の夕刻、
ここの薩長軍が伏見奉行所に向かって砲撃を開始、戦いの火ぶたが切られ、
その時、歴史が動き出した・・・わけで、この1868年は明治元年となったのです。

皮肉なことに(?)この神社、徳川家とゆかりが深い。
もともとここにあった神社を豊臣秀吉が伏見城の鬼門守護として北東に
移していたのだが、豊臣が敗退、1905年江戸開幕の年に徳川家康によって
元に戻されたもので、三代将軍家光の頃に取り壊された伏見城大手門が
移設され、ここの表門(上の写真)となってます。
ちなみに、二条城の唐門、高台寺塔頭の円徳院は伏見城化粧殿、
今は国宝になっている豊国神社唐門なども元は伏見城の建築物です。


その表門をくぐり、鳥居の右手には桃山天満宮があります。(小さいけど)
先には伏見城跡の残石なども積み上げられてました。



ちゃんと牛さんも置かれてますよ。
左手にはこれも秀吉が伏見城築城の際に茶花として取り寄せたとされる
樹齢400年の椿があります。五色の花が咲くらしく
小堀遠州がこれほど見事な椿はおそらく無いだろうと、たたえた事から
以来「おそらく椿」と呼ばれるようになったそうです。
残念ながら僕は見落としましたが・・・まだ咲いてなかった?





拝殿。中央が割れているので「割拝殿」といわれます。


拝殿の軒唐破風飾りは、極彩色の花や鳥獣たちが20もあります。


絵馬堂と能舞台。


本殿(裏から)


本殿(背面)の破風も極彩色、桃山文化が感じられます。


この御香宮神社の起源は、調べても解らなかった(HPにも明記されてない)ですが
初めは、『御諸神社』(みもろ)と称されてたが、平安時代貞観四年(862年)に
この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇より『御香宮』の名を賜ったとか。





ここに湧き出した水は「石井の御香水」と呼ばれ、『名水百選』にも選ばれてます。
徳川頼宣(紀州)、頼房(水戸)、義直(尾張)の徳川御三家が
ここの水を産湯に使われたそうです。
日本第一安産守護之大神として広く崇められている、神功皇后を主祭神として
仲哀天皇応神天皇他六柱の神を祭る。とあり、
安産祈願の神社としても知られてますから、そのためかな。

御香水は、お持ち帰り自由なので、絶え間なくお水を汲みに来られてました。

この辺りの地下水は伏見の酒にも欠かせない超軟水で、
昔から灘の辛口男酒に対し、伏見の酒は甘口女酒と言われてるようです。


他にも遠州ゆかりの石庭などもあったのですが・・・パス。
それより気になったのが この像。



なんだかミスマッチのような・・・・

そう言えば御香宮神社のお隣は





学校法人桃山キリスト学園 桃山幼稚園。
十字架が立ってますが、建物は文化財もののような・・・



09.1/12。御香宮神社にて