カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

伏見漫遊、乃木神社。

2010-03-24 22:49:59 | 京都徘徊記
伏見桃山陵から たらたらと坂道を下ると
『京都・乃木神社』があります。



御祭神は乃木希典大人之命(ノギマレスケウシノミコト)、言わずと知れた(?)
乃木希典、大日本帝国陸軍 陸軍大将。日露戦争の英雄と言われた乃木大将です。



ここにも見事な薮椿の巨木があります。







乃木神社が撮りたいのに、何やら邪魔が入りますが・・・



函館、那須、東京、善通寺、下関にも乃木神社があります。
特に東京 乃木坂にある乃木神社は有名なのではないでしょうか。







これだけ人気のある乃木大将、聖将とよばれたり愚将と評されたりしますが
長州藩の支藩である長府藩の藩士を父に持ち、幕末には奇兵隊と合流、
幕府軍と戦い、明治新政府下では陸軍少佐として西南戦争に参加。
その後、ドイツへ軍事留学。日清戦争を経て、台湾征伐に加わり
台湾総督に就任するも統治に失敗、辞職。日露戦争の開戦にともない
第三軍司令官(大将)として旅順攻撃を指揮。
この時、二人の息子を戦死させてしまいます。凱旋したものの、
多くの犠牲者を出したことから、責任をとり、切腹を申し出たのですが、
明治天皇から「自分が死ぬまで死ぬことはまかりならん」と止められ
学習院の院長を命じられ、無くした息子の代わりだと思い育てるようにと、
昭和天皇の教育係とされたとのこと。
そして、明治天皇崩御。大葬の夕に
「うつ志世を神去りましゝ大君乃みあと志たひて我はゆくなり」との
辞世の句を残し、妻と共に自決、殉死されました。
ちなみに3男1女の子がありましたが、いずれも子を持つことなく
亡くなっているので、子孫はありません。

明治天皇の陵の麓に創建されたのは大正5年。建立の中心となった
村野山人は薩摩藩出身、関西の鉄道王と呼ばれた人物で、職を辞し私財を
投じての創建だったようです。
境内には乃木希典の記念館的な施設もあります。



ちょっと重い話になりましたが、ここの境内は椿をはじめ花がいっぱい。


土佐水木(トサミズキ)






平和って良いなって感じさせてくれます。


柊南天(ヒイラギナンテン)


木瓜(ボケ)


この後、伏見 椿めぐり最後の目的地へ向かいます。その途中の道にも






春がいっぱい。


ミモザ(銀葉アカシア)



やっと辿り着いたお寺は・・・閉門してましたw











覗くだけの観賞で終わります。




2010.3/14、乃木神社にて。 サンシュユの花
(こちらのブログにも別写真など)